透き通る世界を照らす銀魂(ぎんのたましい)   作:時代に遅れている

117 / 154
場面の切り替え激しすぎて難しい。…我慢して読んで欲しい。

ーーーーーーーーーーーー

            曇天

鉛の空 重く垂れ込み
真白に澱んだ太陽が砕けて
耳鳴りを尖らせる

ひゅるりひゅるり 低いツバメが
8の字なぞってビルの谷を翔る
もうじきに夕立が来る

曇天の道を傘を忘れて
歩く彼女は雨に怯えてる
ので僕も弱虫ぶら下げて空を仰ぐ

あちらこちらあんよは上手
珈琲屋に寄って一休み極めたら
帰れない帰らない

曇天の道をぶらりぶらぶら
歩く二人は足軽のごとく
危険好きの誰かのふりをする小心物共
曇天の道を傘を忘れて

歩く彼女は雨に怯えてる
ので僕も弱虫ぶら下げて空を仰ぐ


第百四訓  真の和平とはルールで定められたものでなく、互いのことを思い合うことなり

 緊急車両の車内は、張り詰めた静けさに支配されていた。遠くで断続的に聞こえる銃声と爆音。その向こうでまだ戦いが続いているという事実を、皮膚の奥でじわじわと実感する。

 

 銀時はベッドに横たえられていた。左胸の血は止まりきらず、包帯の隙間から赤が滲んでいる。その脇で、セナが沈痛な面持ちで処置を施しながら、銀時の容体を確認していた。

 

 ヒナは無言のまま、ベッドの縁に座り、視線を背けていた。その表情は読み取れない。震える指先が彼女の内面を物語っていた。

 

 新八が静かに口を開く。

 

「どうですか?」

 

 その声は微かに震えていた。答えを聞くのが怖い――それでも、聞かずにはいられなかった。

 

 セナは包帯を押さえながら、口を開いた。

 

「かなり不味いですね。弾丸に毒が塗られている……」

 

 言葉が、重く落ちる。

 

「解毒をしなければこのまま……」

 

 空気が凍る音がした気がした。

 

「そんな……」新八の声がかすれた。

 

 だが――

 

「ですが、悪いことばかりではありません。幸いなことに心臓には傷がついていませんでした」

 

「!?」

 

 ヒナ、新八、神楽の三人が一斉にセナを見つめた。

 

 目を疑った。撃たれたのは、確かに左胸。だとすれば、直撃しているはずだ。心臓を逸れるなどということが、果たしてあり得るのか。

 

 新八が言葉を絞り出す。

 

「それってどういうことですか?」

 

 セナは軽く頷くと、処置中の銀時の胸元を少しだけ露わにし、指先で指し示した。

 

「見てください」

 

「!」神楽が目を見開く。

 

「これは――!」新八の顔色が変わった。

 

「心臓が逆にある!!これって……」

 

 セナは淡々と、しかしどこか呆れたように口を開く。

 

「今まで知らなかったですか?」

 

「見たところ右に過去に銃弾を受けた後、貫かれた跡などがあり……てっきり知っているものだと………」

 

 神楽が勢いよく声を上げる。

 

「そんなことはどうでもいいアル!!」

 

 新八も戸惑いながら続ける。

 

「これってどういうことなんですか!?」

 

 セナは落ち着いた口調で説明を続けた。

 

「これは『右胸心』といって、本来左にあるはずの心臓が右側にある状態を指します」

 

「先天性奇形などで異常がある場合もあるのですが――」

 

 彼女の目が銀時の胸に走る。

 

「見たところそんなことはなさそうですね」

 

 しばしの沈黙。そして……

 

「よかった〜」新八が肩を落とすように安堵の息を吐いた。

 

「安心したアル」神楽もまた、表情を緩めた。

 

 だが、その束の間の安堵は、すぐに引き戻される。

 

「ただ……事態は一刻を争います」セナが凛とした声で言った。

 

「まずは弾丸の摘出からです。そして、解毒に関しては医療機関に辿り着かないことにはできませんから……」

 

 その場に再び緊張が走る。新八は、不安そうに隣のヒナへと目を向けた。

 

「あの……委員長さん」

 

 ヒナはかすかに眉を動かし、顔を向ける。

 

「ヒナ……ヒナでいい」

 

 その声は、震えていた。だが確かに答えた。

 

 神楽が一歩踏み出す。

 

「ヒナちゃん……これは一体どういうことアルか?」

 

 問いの刃は優しく、けれど確かに深く、ヒナの胸に刺さっていた。

「…………」

 

 その声はまだ細く、震えていたが、何かを決意したように徐々に力を持ちはじめる。

 

 新八がその隙間を埋めるように言葉を差し込む。

 

 「これは、ゲヘナとトリニティー、両学園間の“平和条約”なんですよね? それがどうして……アリウスの手によって狙われ、こんな事態になってるのか……僕たちは、それを知りたいんです」

 

 神楽も続くように口を開いた。

 

 「『銀ちゃんが撃たれた』……それだけの理由があれば、教えてもらえるよな?」

 

 ヒナは目を伏せたまま、静かに頷いた。

 

 「………………」

 

 そして、ゆっくりと、言葉を紡ぎはじめる。

 

 「この条約は、名目上は“平和条約”……だけど、実際には過去にトリニティーの方で施行されていた、ある旧条項を下地にしたもので……」

 

 新八と神楽は、目を合わせて眉を寄せる。

 

 「私も……信じてた。あなたたちと同じように、“エデン条約”はただの平和条約だと思ってた。でも……」

 

 彼女の声はそこで一度途切れ、苦しげに喉が鳴る音だけが残った。

 

 「実際には、互いの学園が直接衝突しないよう、ETO――エデン条約機構を使って、間接的に戦力をぶつけ合う。……不可侵条約に近いものだったの」

 

 「紛争を抑え込むことで、全面戦争を回避する……それが真の目的だったってことか」

 

 新八が呟くように整理する。神楽は不満げに唇を尖らせ、口を尖らせながら鋭く問いかけた。

 

 「でも、それと“あの幽霊ども”を引き連れた厨二ガスマスク……アイツらとどう関係があるアルか?」

 

 ヒナはしばらく沈黙し、そして――まるで喉奥の棘を引き抜くように、言った。

 

 「……あなたたちは、アリウスについて、どれくらい知ってる?」

 

 新八は、思い出すように言葉を探す。

 

 「ここに来るまでの間にアズサさんから聞きました。……長年、ゲヘナとトリニティー、両方に恨みを抱いていたって。そして、今回のことも、その積年の恨みを晴らすためだって……」

 

 ヒナは、それを聞いて小さく頷く。

 

 「……それだけのことを知っていれば、もう話してもいいわ」

 

 彼女の目が、まっすぐに前を向いた。雨粒が窓にぶつかる音だけが、しばし車内を満たしていた。

 

 「アリウスは、ずっと私たちを憎んでいた……それは事実。でも、それだけじゃなかった」

 

 「…………」

 

 「これから話すのは、あくまで私の推測に過ぎない……でも、恐らく彼女たちは、“エデン条約機構”そのものを、私たちから合法的に奪う手段を手にしたのだと思う」

 

 「……奪う?」

 

 「ええ。そして、手に入れたその機構を使って、“正当な権利”の名の下に、ゲヘナとトリニティーを……合法的に“消し去る”。――それが、彼女たちの目的」

 

 新八の背筋が冷たくなる。神楽も目を見開いたまま、拳を強く握りしめている。

 

 「“あの幽霊たち”……おそらくは、エデン条約機構における“守護者”たち。契約と条文によって縛られた存在……それを、アリウスが制御している。」

 

 ヒナの言葉は、まるで冬の冷気のように静かで、重かった。

 

 新八は呟く。

 

 「……条約そのものが、彼女たちの“武器”になってる……そういうことですか。」

 

「私は少なくともそう考えてる。」

 

ーーーーーーーーー

 

一方で

 

 

「ああああァアアッ!」

「………」

 

 叫ぶ、咆哮する、自身の中にある熱を、渦巻く感情を発散する様に。

 愛銃を構え、射撃を敢行しながら距離を詰める。閃光が瞬き、銃声が轟く。次々と飛来する弾丸を、サオリは軽く身を捩る様にして避ける。強い視線と感情はアズサの狙いを容易に悟らせ、射線の予測を簡単にしてしまっていた。だからサオリはアズサを見つめ、ただその殺気が通る場所を避ければ良い。そうすれば、弾丸は掠りもしない。

 

 周囲のユスティナ聖徒会は何もしない、ただ棒立ちのままアズサとサオリを見つめるのみ。

 アズサには何か策がある訳ではなかった。何か狙いがある訳でもなかった。ただ目の前の人物に、サオリに、自身の怒りをぶつけなければどうにかなってしまいそうだったから。

 だから彼女は我武者羅に、遮二無二、馬鹿正直に突貫を繰り返す。

 必死の形相で、その愛銃を振り回す。

 

「――相変わらず、未熟だ」

 

 そんなアズサの様子を、サオリは冷徹に見つめていた。

 

「正面からの突撃など正気の沙汰ではない、お前の長所は周囲の環境と兵装を生かしたゲリラ戦、その中で敵の意表を突く事だろう、私と正面から戦って勝てると思ったのか?」

 

 呟き、一向に引き金を絞らなかった銃口をアズサに向ける。怒り狂いながらも繰り返した訓練の記憶が、アズサに咄嗟の回避を選択させた。

 素早く射線上から身を反らすアズサ。しかし、それはブラフだ。突き出した銃口が火を噴く事はなく、代わりにサオリの足元から何か硬質的な音が響いた。

 

「あぐッ……!?」

 

 次の瞬間、瞼の上に衝撃が走る。思わず目を瞑りよろめくアズサ。見ればサオリはブーツの先で足元の石礫を蹴り上げ、アズサの顔面に見事命中させていた。ただ逃げている様に、回避に専念している様に見せて、つぶさに地形を観察し利用出来るものを探している。そうだ、本来であればコレこそがアズサの持ち味であり、唯一サオリに勝る点である筈だった。

 しかし、それは怒りに目の曇ったアズサでは困難で。

 

「先ほどの様な絡め手も」

 

 一瞬、たった一瞬の怯み。

 顔に石礫が当たってよろめいた、その程度の時間でサオリはアズサの懐に潜り込む。彼女が再び目を開いた時、直ぐ目前に、サオリの色を喪った瞳が迫っていた。

 

「奥の手も無い」

「っ、このォッ!」

 

 目前に迫ったサオリに、アズサは咄嗟に愛銃のストックを繰り出す。銃口が下がった状態から手首を返し、横合いからコンパクトに突き出される一撃。サオリの首から顎先目掛けて放たれたそれを、彼女は予測していたと云わんばかりに肘で叩き落とした。強い衝撃にアズサの肩が落ち、姿勢が崩れる。見開かれたアズサの瞳に、能面の様なサオリの表情が映った。

 

「ぐ、ぎッ!?」

 

 顎を襲う、強烈な打撃。

 サオリの掌打が下から掬い上げる様にアズサの顎をかち上げ、脳を揺らした。思わず足元から力が抜け、意識が混濁する。それでも倒れなかったのは彼女の意思が為せる技か。

 しかし、一発を堪えた所でどうなる訳でもない。

 続けて放たれる胸への肘打ち、腹部への膝蹴り、鈍い音を立てて突き刺さったそれがアズサの身体をくの字に折り曲げ、骨が軋み息が詰まる。堪らず膝を突いたアズサの後頭部目掛けて、サオリは踵を振り下ろす。

 頭部を襲う、強烈な衝撃。頬が地面に叩きつけられ、身体全体が硬直する。冷たく、硬いアスファルトに押し付けられながら、アズサは立ち消えそうになる意識を必死に繋いだ。

 

「……今のお前は、只の弱者だ」

 

 アズサの後頭部を踏みつけながら、サオリは告げる。

 そこには何の感情も込められてはいなかった。

 いや、僅かに含まれているとすれば、それは。

 

 ――憐れみか。

 

「あぐっ……!」

 

 サオリは頭を掴み取るや否や無理矢理上体を引き起こすと、ひざまずかせる様に足を差し込んだ。項垂れたアズサは顔に張り付いた雨水をそのままに、サオリを睨みつける。

 

「お前が態々来てくれて手間が省けた、裏切りによって多少計画にズレは生じたが、所詮は誤差の範囲内、危険分子のナギサも、潜在的な脅威だったシスターフッドも、一度に纏めて排除できるとは予想外の成果だったよ――おかげで後の掃討作戦が随分と楽になる」

 

 跪き、自身を見上げるアズサを見つめながら、サオリは淡々とした口調で言葉を紡ぐ。愛銃を担ぎ、マスクを片手に持つサオリは張り付いた前髪を軽く拭い、一歩を踏み出した。足元の水溜りが跳ね、アズサの制服を汚す。

 

「何が起きているのか全く分からないという顔だな、アズサ? あぁ、ならば教えてやろう――私達は、『エデン条約』を奪い去ったのだ」

 

曇天の下、アズサは濡れた地面に膝をついていた。顔に雨水と泥が張り付き、呼吸は浅く、か細く震える。だが、その瞳だけは――その瞳だけは、まだサオリを睨み据えていた。

 

 サオリは黙然と、アズサの髪を掴み、顔を強引に上げさせる。視線が交錯する。濁った空の色のようなサオリの瞳は、まるで感情というものを持たない無機質な深淵に似ていた。

 

「……エデン条約を、奪った?」

 

 アズサの声は掠れ、それでも言葉を拒まなかった。喉奥に詰まった血と雨を呑み込みながら、彼女は問いかけた。理解が追いつかない。あまりに非常識だ。条約を奪うなど、まるで神の領域に踏み込むような話だ。だがサオリは、その非常識を涼しげな声で肯定する。

 

「忘れたのか、アズサ。私達には、トリニティとしての“資格”がある」

 

 その言葉はまるで刃のように、過去と現在を切り裂いた。

 アリウス――長らく存在を抹消され、記録から追われた「元トリニティ」の派閥。誰もが忌避し、存在ごと封じたはずの彼女たちが、過去の正統性を武器に再び現れたのだ。

 

「この条約は、第一回公会議の再現だ。あのとき、全ての分派が一堂に会し、現在のトリニティ総合学園が成立した。だが――私達アリウスだけが、除かれた」

 

 サオリは語る。まるで教会の説教台から、禁忌の真理を解き放つ使徒のように。

 

「私達は数百年、冷たい闇の中で待ち続けた。光に見捨てられ、戒律に裏切られ、希望など与えられず、それでもトリニティの影として生きてきた。ならば、その権限は今なお私達にある」

 

 アズサは震えた。怒りか、恐怖か、あるいは――理解の及ばぬ真実の重みによるものか。

 

「契約の中に一文を加えるだけでいい。【エデン条約機構は、アリウス・スクワッドが担う】。それだけで、機構全体は我々のものとなる。形式上は合法だ、我々は“内側”にいたのだから」

 

 アズサの口がかすかに開いた。言葉が出ない。あまりに緻密で、冷酷で、――そして、完璧だった。

 

「ETOを動かすには、ゲヘナとトリニティの同意が必要……だが、もはや“機構”そのものが意志を持つアリウスになってしまえば、指示も命令も無意味だ。命じられるのではなく、我々が自ら動く。それこそが“自由意思”の武力機構。真のETOだ」

 

 ――すなわち、アリウスはETOとなった。外部からの攻撃は“戒律違反”となり、条約の守護者たるユスティナ聖徒会(のミメシス)は、アリウスに味方する。

 

「……ユスティナ聖徒会は、戒律の守護者。条約に従うのが彼女たちの本能――例え、それが『改竄された条約』でも、だ」

 

 それはつまり、トリニティの神の軍勢が、今やトリニティ自身に牙を剥いているということだった。

 

 その事実に、アズサの全身が凍りついた。

 

 

 ETOエデン条約機構を動かすにはゲヘナ首脳部、及びトリニティ首脳部、両学園の同意が必要となる。しかし最後の一文、【エデン条約機構は、アリウス・スクワッドが担う】という部分が、その権限の有無を全て無意味なものに変貌させた。

 本来であればETOは意志を持たぬ武力組織、ゲヘナやトリニティが協議して初めて動く部隊だが、その部隊そのものに、『アリウス』という意識が宿ってしまった。自身で判断し、自身で行動する完全な独立した武力集団に権限など何の意味も持たない。

 そして、アリウス・スクワッドがETOエデン条約機構を担うのであれば、それに対する攻撃行為は全て――戒律違反となる。

 

「ユスティナ聖徒会、戒律の守護者にしてトリニティの伝説的な武力集団――正確にはその複製ミメシスだが、戒律を守護する存在に違いはない、彼女達は我々『ETO』を助ける不死身の軍団だ」 

 

 

「――最初から」

 

 アズサは呻くように呟き、震える唇を噛み締めた。胸の奥で燃え滾る悔しさが、喉奥から吐き出される。滴る雨が彼女の頬を伝い、血と泥に混じって滴り落ちる。

 

 エデン条約――それは、ゲヘナとトリニティの間に結ばれたはずの平和の象徴。その理想に救われ、希望を抱いてきた。だが、今。サオリの口から語られた言葉は、その信念を足元から打ち砕くものだった。

 

 それは平和の名を借りた、新たなる武力機構の創造。

 それこそが、アリウスの目的だった。

 

 彼女たちは最初から、和平など望んでいなかったのだ。欲していたのは、力だった。正義の顔をした支配権。合法的に両学園を殲滅し、統治するための“権限”だった。

 

「首脳部を狙った攻撃じゃ……なかった、のか……!」

 

 アズサの問いに、サオリは迷いもなく頷いた。

 

「そうだ。この兵力を確保することが、私たちの目的だった」

 

 エデン条約調印式――その儀式の裏側で密かに書き換えられた条文。手中に収めたのは条約の守護者、ユスティナ聖徒会の複製体たち。サオリたちの描いた計画は、あまりにも冷酷で、完璧だった。

 

 アズサの中で、怒りが沸騰する。

 

「そして次なる目標が――シャーレの先生、その排除」

 

「ッ……!」

 

 サオリの声が落ち着いているほどに、アズサの感情は荒れ狂った。震える肩に、明確な怒気が宿る。サオリはその反応を待っていたかのように、ゆっくりと膝を折り、アズサと同じ目線に立つ。

 

「マダムからの直々の指示でな……あの大人は危険だった。お前の意思を、想いを、すぐ傍で煽っていたのだろう?」

 

「この世界の真実を隠し、事実を歪めて嘘を教える――悪い大人だ」

 

 アズサの目を覗き込みながら、サオリは優しく、どこか哀れむような目をした。紫がかったその瞳に宿る怒り、悲しみ、迷い。すべてを受け止めるように、サオリは微笑みを浮かべ、言った。

 

「だが、その悪い大人も、もう消えた。だから後は、ゆっくりと教え直せばいい」

 

 雨が打つ。互いの瞳が雨粒で霞む中、サオリはアズサの血の滲む口元を指先で拭った。ぬめった感触に眉一つ動かさず、続ける。

 

「トリニティでは楽しそうだったな、アズサ」

 

 アズサは何も言わない。ただ、睨むだけだった。

 

「……あの学園での生活は、楽しかったか?」

 

 淡々とした語り口の中に、何かが滲み始める。歪な愛情か、壊れた同情か。

 

「好きな人たちと一緒に居られること。理解してくれる人と笑い合えること。暖かな陽射しの差す場所で、日々を謳歌する毎日……」

 

 ふと、視線がアズサの胸元へと落ちた。濡れた制服に縋るようにぶら下がる、小さな補習授業の人形。サオリの表情に、軽く影が差す。

 

「――虚しいな」

 

 その一言には、静かな殺意すら含まれていた。

 

「思い出せ、お前を理解し、受け入れてくれるのは、私たちだけだ。此処、陽の当たらぬ場所こそが、お前の居場所だ」

 

 言葉と共に、サオリの指先がアズサの瞳を指す。暖かさを知ったせいで、弱くなった。夢に酔い、現実から目を背けた。その幻想が、彼女を地に堕としたのだと。

 

「私たちが憎いか、アズサ?」

 

「ッ、当然、だろう……!?」

 

 吼えるようにアズサは反駁した。身を捩り、全身から迸る殺意を視線に込めて。

 

「お前は……先生を……ッ!」

 

 しかしその刃も、あくまで一方的な感情に過ぎない。

 

 サオリは、目を細めた。

 

「だが、それは我々も同じだ」

 

「!?」

 

 アズサの目が揺れる。

 

「知っているか? この作戦に姫は参加していない。いや、参加“できなかった”んだ」

 

「どういう……ことだ」

 

「彼女も、あの男のもとへ送られた。シャーレの先生がどのような人物かを確かめるために……」

 

 雨音が強くなる。サオリの声がその中でもはっきりと響いた。

 

「彼女は夢を見せられたんだ。あの男に」

 

 アズサの眉がわずかに揺らいだ。

 

「それがいけなかった。甘い嘘に取り憑かれた。そのせいで……姫は、儀式の“生贄”とされた」

 

「……っ!」

 

 アズサの喉が詰まる。胸の奥が凍りつくような冷たさに包まれる。

 

「大事な者を、奪われた」

 

「だから、あの男は◯されて当然だったんだよ」

 

 沈黙。だがその空気を打ち破るように、通信音が割り込む。

 

 ピッピッピ。

 

『どうした? ヒヨリ、ミサキ』

 

「リーダー、このままだと危ないかも……彼ら、撃たれても撃たれても立ち上がってくる……」

 

「こっちも突然やってきた“桂”とかいう人物に翻弄されて、聖徒会が手も足も出ない状態が続いてます……やっ、やっぱり……この世の中、辛いですね」

 

「……分かった。ここは一旦、退いて体制を整えよう。聖徒会はそのまま。“彼ら”は倒れはしないのだからな」

 

 ピッ。通信が切れた。

 

 そしてサオリは再び視線をアズサへと戻す。口元に冷ややかな微笑を湛えながら――

 

「さて、アズサ。諦めて私たちに――」

 

 その瞬間。

 

 ――ドカァン!

 

 爆風が地面を割り、視界が真っ白な煙に包まれる。

 

「まだ逃げるつもりか! アズサ!!」

 

ーーーーーーーーーーーー

 

一方で――

古聖堂・西側。

 

 崩れたアーチ、裂けた壁、焦げ臭い風と共に、祈りの場は瓦礫の墓場と化していた。僅かに吹き込む風が、炎の残滓を宙へと巻き上げ、周囲の廃墟に影を落とす。

 

 焼け焦げた制服をまとい、血を滲ませながら瓦礫をかき分ける影があった。アコ――ゲヘナ風紀委員会所属の行政官。その瞳には焦燥が宿り、その足取りには決意が滲む。彼女の指揮の下、辛うじて無事だった風紀委員たちが散開し、地獄と化した爆心地を捜索していた。

 

 会場を護っていた警備隊は爆撃で壊滅。アコは近くにいた委員に庇われたことで奇跡的に命を拾ったが、無事とは到底言い難い。彼女の右腕は深く裂け、制服は焼け焦げていた。それでもなお、探していた。

 

 ――ヒナ委員長の姿を。

 

「ッ、委員長……ヒナ委員長は……っ!? トリニティを蹴散らしてでも、一刻も早く――!」

 

 声が上擦る。理性が焦燥に押し流される寸前で、背後から声が飛んだ。

 

「アコ行政官! 待機していた後方部隊、合流しました!」

 

 振り返れば、幾人もの委員たちが火の粉に塗れた廃墟を駆け抜けてくる。その顔にも、傷と疲労の色。彼女らは万が一に備えて待機していたゲヘナ後方部隊、今は生き残りの最後の拠点だった。

 

「後方部隊は他の負傷者の救助を! 私は直ぐに――」

 

 だが、次の瞬間。

 

「あ、アコ行政官、傷口が……ッ!」

 

 叫びと同時に、アコの顎先から血が垂れ落ちる。額の裂傷から流れる赤が、制服を濡らし、視界を染めた。それでもアコは顔を上げ、怒気を孕んだ眼差しで叫んだ。

 

「私の傷なんて、今はどうでもいいッ! 早くヒナ委員長の捜索を――!」

 

 その声が震えるのは、痛みのせいではない。脳裏を過ったのは――彼の姿。

 

 天パの男、シャーレの“先生”。

 

 彼はキヴォトスの生徒のように肉体強化の恩恵を受けてはいない。あの爆撃の中、無事でいられるとは到底思えない。だが――

 

「っ、ヒナ委員長と、あの天パ……シャーレの先生の捜索を行いなさいッ! 早く!」

 

「は、はッ!」

 

 駆け出す部下たちの背を見送りながら、アコは己の中に生まれた感情に、唇をかみしめた。これはただの職務だ、恩を売っておくだけ。ただ、それだけ。感傷など、不要なのだ。

 

 蹴り上げた瓦礫が粉塵を舞わせる。崩れた聖堂を見渡しながら、彼女は静かに名を呼んだ。

 

「……ヒナ委員長っ」

 

 無事でいてくれ――ただ、それだけを祈って。

 

 同時刻。トリニティ・本校舎周辺地区。

 

 空が赤く染まり、混乱の叫びが大気を震わせていた。中央噴水広場を中心に、人の波が押し寄せ、幾重にも重なる声が渦を巻く。所属も学年も関係ない、生徒たちが校舎から溢れ、情報を求め、答えを叫ぶ。

 

「会場が爆破されたって本当なのか!?」

「校舎の外に出るな! ゲヘナに襲われるぞ!」

「ゲヘナが敵? 会場にはあのヒナ委員長だって……!」

「じゃあ誰が、誰が攻撃を――!?」

「委員会の暴走だって噂もあるぞ!」

「正義実現委員会は何をしてる!? 連絡は!?」

「ティーパーティーが緊急事態宣言を……!」

「サクラコ様がいないって本当か!?」

「議会はどう動くんだ、行政官は――!」

 

 校門から広場まで、ただ混沌のみ。理性を失いかけた群衆の中をかき分けて、補習授業部の面々が姿を見せた。

 

「待て、散らばるな! 学園から出たら――!」

 

「そうだよ、ゲヘナに攻撃される!」

 

「……あ、あうぅ……」

 

 震えるヒフミの隣で、ハナコが静かに呟く。

 

「……大変なことになってますね」

 

 その時、人混みを掻き分けて駆け寄る少女の姿があった。

 

「ハナコさん、補習授業部の皆さん……!」

 

「マリーさん……!? 無事でしたか……!」

 

 息を切らしながら現れたのは、シスターフッドのマリー。雨に濡れた彼女の顔には、焦燥と決意が浮かんでいた。

 

「今、一部の過激派が緊急召集令を独断で発したようでして……」

 

「つ、そんな……」

 

「え、な、何? どういうこと?」と、コハルが不安げに問いかける。

 

 マリーの言葉が続く。

 

「サクラコさんも不在の中……シスターフッドを統率し、ティーパーティーの各派閥の暴走を止められるのは……きっとハナコさんしか……」

 

「で、ですが今は……!」

 

「ハナコさん……お願いです」

 

 そこへ新たな声が割り込む。

 

「――あっ、そこ!」

 

 正義実現委員会の部員が、慌ただしく走ってきた。

 

「たしか、正義実現委員会のメンバー……だよね? これから即応態勢に入るって話が出てる。急いで、部室に集合!」

 

「え、私も? で、でも……!」

 

「委員長も副委員長も見当たらないの! 早く!」

 

「う、えっと……わ、分かりました!」

 

 目を泳がせながらも、コハルは走り出す。揺れる決意を抱きしめて。

 

 そのやり取りを静かに見守っていたヒフミが、ふたりを見つめて微笑んだ。

 

「……ハナコちゃん、コハルちゃん。私はアズサちゃんを探します。お二人は、それぞれの場所へ行ってください」

 

「ヒフミちゃん……!」

 

「大丈夫です。アズサちゃんなら、必ず桂さんと、エリザベス様が連れ戻してくれます。見つけたら、すぐ連絡しますから」

 

「……わ、分かった! じゃあ、また後で!」

 

「……はい、了解です。マリーちゃん、行きましょう!」

 

「は、はいっ……!」

 

 騒然とした中、それぞれの使命を胸に走り出す少女たち。

 

 残されたヒフミは、ぽつりと空を見上げた。混沌とした世界の中、消えそうな声で祈るように呟く。

 

「……一体、何が起きて……アズサちゃん……」

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

――独房にて

 

 『エデン条約の会場は火に包まれており、現在古聖堂周辺は凄惨な状況が――』

 

 途切れ途切れに響くレポーターの声が、薄暗い独房にこだまする。狭く、冷たい石の壁に囲まれたその部屋で、ミカはひとり、手元の端末をじっと見つめていた。

 

 画面には、火に呑まれる古聖堂の映像。見慣れた建物が赤黒い煙に飲まれ、崩れ落ちる光景を前に、ミカは震える指先をぎゅっと握り締める。

 

 ――ナギちゃん。

 ――先生。

そして、カモちゃん

 

 その三人の名前が、心の中で何度も繰り返された。

 

 彼らは、あの場にいた。映像の奥、どこかに。

 無事なのか。生きているのか。

 それを考えるたび、今すぐにでも扉を蹴破って走り出したい衝動に駆られる。

 

 だが、ミカは動かなかった。

 ――これ以上、迷惑はかけられない。

 自分が動くことで、どれだけの人間がまた傷つくか。それは、痛いほど知っている。だからこそ、自制した。

 

 それでも、彼女にとってその“我慢”はあまりに酷なことだった。

 

「……ナギちゃん。私、いつか言ったよね」

 

 その声は、独房の石壁に吸い込まれるようにして消えていく。

 

「私たちは、こういう世界に生きているって」

 

 騙す者がいて、騙される者がいる。

 信じた者が裏切られ、裏切った者が自分を責める。

 この世界――キヴォトスは、そんな悲しみで出来ている。

 

 だから、きっと――

 

 ふっと、ミカは笑った。それは優しさからくる微笑みではなかった。

 全てを悟ったような、諦めきった表情。

 セイアがいつも浮かべていた、冷たくて乾いた笑いに似ていた。

 

「やっぱりセイアちゃんの言う通り……これは、そういう物語なんだろうね」

 

 苦しくて、辛くて、それでも続いていく物語。

 

■ トリニティ:行政連絡局内――シスターフッド会議室

 

 『速報です。トリニティで緊急会合が行われるとの情報が入りました。万魔殿も同様に……これは非常事態宣言に続く、大規模な――』

 

 無数のモニターが点滅し、緊急報を映し続ける。シスターフッドの行政室は、騒然としていた。十数人の幹部と行政官が詰めかけ、誰もが声を荒げ、状況の把握に奔走していた。

 

「結局、爆発の原因は何なのですか!?」

「サクラコ様の行方は!? 負傷者の数は!?」

「ナギサさんとは連絡が取れないのですか!?」

「ツルギ委員長、ハスミ副委員長も未だ不明とのことです……正義実現委員会の応答も途絶えています!」

 

 怒号と不安が飛び交う中、マリーが震える声で報告する。

 

「後方に待機していたシスターたちが、ゲヘナの予備兵と交戦中とのことです……指示を待っています!」

 

「空崎ヒナです! きっと、あの女が元凶に違いありません!」

 

 怒りに任せた叫びが場を支配しかけた、その時だった。

 

「……皆さん、落ち着いてください!」

 

 その声は澄んでいて、けれど芯が通っていた。

 

 沈黙。皆の視線がその声の主へと向く。浦和ハナコ――普段はおっとりした補習授業部の一員が、まっすぐに幹部たちを見据えていた。

 

「……サクラさんからの依頼です。今から少しだけ、口を出させていただきます」

 

「ど、どういう意味ですか?」

 

 幹部の一人が怪訝そうに眉をひそめた。だが、隣にいたマリーが即座に援護に回る。

 

「わ、私が保証します! サクラコさんが……『もし自分に何かあったときは、ハナコさんにシスターフッドの指揮を』と……!」

 

 沈黙が、再び落ちる。幾人かが顔を見合わせた。

 

「……しかし、それは……」

 

「今は、そんなことを言っている場合ではありません!」

 

 ハナコの声が一段、強くなる。

 

「ティーパーティー全員が不在の今、組織がバラバラになってしまえば、トリニティは――本当に崩壊してしまいます!」

 

 強く、訴える。普段の彼女からは考えられないほどの迫力がそこにはあった。

 

「三頭政治の弱点……今、まさにそれが露呈しているのです。統制は崩れ、情報も錯綜している……!」

 

 手に握った資料を掲げながら、ハナコは続ける。

 

「まずは、状況の把握と秩序の維持。それが最優先です! 暴走を止めなければ、この学園は戦場になります!」

 

 その言葉に、ようやく幾人かの幹部が頷いた。

 

「……わかりました。それが、サクラコ様との約束なのであれば」

 

「異存はありません。指揮をお願いします」

 

「ありがとうございます。では、すぐに指揮体系を構築し、各地の交戦を抑制します」

 

 そう言いながら、ハナコは次々と指示を飛ばしていく。まるで、普段の自分ではないかのように。

 

「負傷者の捜索を最優先とし、同時に目撃情報を収集、敵対勢力の正体と攻撃経路を特定します!」

 

 そこへ、新たな報告が飛び込む。

 

「第14校舎にて騒動発生! パテル分派が戒厳令を要求し、ティーパーティー本部へ向かっているとのこと!」

 

「っ……正義実現委員会に連絡を! ハスミさんとツルギさんの不在時連絡先を照会して!」

 

 一拍の沈黙のあと、ハナコは唇を噛み締めた。

 

「……いえ、今はそちらも動けないはず。現在、シスターフッドで運用できる人員数を確認して!」

 

 そして誰にも聞かれないよう、そっと胸の内で祈るように呟いた。

 

(……ごめんなさい、ヒフミちゃん。私は、ここで動くのが精一杯かもしれません)

 

(アズサちゃん、コハルちゃん、桂さん、エリザベスさん、そして先生……)

 

(……私も、全力を尽くします。どうか、どうかご無事で……)

 

ーーーーーーーーー

■ 正義実現委員会部室周辺――緊急配置

 

 「ティーパーティーの行政官から、第14校舎へ支援要請が来ました!」

 

 怒号に近い報告が飛ぶ。正義実現委員会の臨時指令室――通称“部室”は、情報と命令の波に飲まれかけていた。次々と舞い込む指示、矛盾する伝達、そして、答えの出ない問い。

 

 「さ、先ほどまでは『古聖堂の方へ』って……」

 「シスターフッドからも連絡が……どうします!?」

 「他組織の命令に従ってる場合じゃないわ! 今はまず、ハスミ先輩とツルギ先輩を探し出さなきゃ!」

 

 混乱の渦中、少女たちの焦りは頂点に達しつつあった。指揮系統は事実上の断絶状態にあり、各員がそれぞれの正義を手探りで追い求める、危うい時間が流れていた。

 

 「……あ、あの……っ」

 

 声を発したのはコハルだった。声は小さく、不安げに揺れている。

 

 「派遣されてる部員からも次々に連絡が……! も、もうっ!」

 

 叫ぶような声にかき消され、コハルの声は誰にも届かない。

 

 「あなたも持ち場について! 突っ立ってる暇なんてないでしょ!」

 「えっ、えっと……わ、私の担当って……」

 

 焦点の合わない視線の先で、コハルの呟きがこぼれた。

 

 「押収品の……管理室?」

 

■ ーーーーーーーーーー

 

 「どこもかしこも統制が乱れてる……このままじゃ、トリニティが瓦解する」

 

 混線する無線、錯綜する指令、分派同士の温度差と猜疑心。各派閥が各々の“真実”に従って動き始める中、その少女――パテル分派の先鋭メンバーである彼女もまた、自らの“信じる敵”に向けて銃を取っていた。

 

 古聖堂の爆破。誰が犯人かなど、考えるまでもない。

 ――トリニティがそんな真似をするはずがない。

 ――会場にはゲヘナもいた。ならば、あの角の生えた者どもが犯人に決まっている。

 

 「報復を。宣戦を――今こそトリニティの威信を見せる時です!」

 

 金属的な音が、次々と銃器のスライドを引く音に重なった。パテル分派の生徒たちが続々と広場に集い、膨れ上がる声は次第に怒りと熱狂の色を帯びていく。

 

 「仕掛けてきたのはゲヘナでしょう!? 一体他に誰がこんな真似を!」

 「正義実現委員会も総括本部も、一体何をしているんですか!?」

 「銃を向けるべきはゲヘナ! あの角付き共に天誅を!!」

 

 叫び、拳を振り上げる。

 熱気と叫喚が渦巻くなかで、群衆はゆっくりと進軍していく。

 

 

 その時だった。

 

 「ん……? おい、止まれ! ここから先は許可が――うわッ!?」

 

 守衛の制止を無視し、一台の車両が車輪をきしませて滑り込んでくる。

 煙を巻き上げて停止したそれは、至るところに弾痕を残し、防弾ガラスには蜘蛛の巣状の罅が刻まれていた。今しがた戦場から抜け出してきたかのようなその車両は、見る者に冷たい緊張を植えつける。

 

 そのエンブレム――見慣れた、しかし今は忌むべき存在となった“あの学園”の象徴がそこにあった。

 

 「っ、ゲヘナの……校章……!?」

 「救急車……のつもり? 冗談じゃない、今の状況、分かってるの!?」

 

 それは、ゲヘナの救急医学部が使用する専用車両。

 だが、今やその証は“敵”の印でしかない。

 

 「敵が、堂々と本校舎に乗り込んできた!? ふざけないで!」

 

 指が銃のトリガーに触れる。迷いはない。彼女たちの中で、ゲヘナはすでに“敵”と断定されていた。敵は撃たねばならない。どれだけ取り繕ったとしても、攻撃を仕掛けた罪は消えない。

 

 ――怒りは伝染する。

 

 視線と銃口が揃い、爆発寸前の緊張が走った。

 

ドンドンドンドン!

 

 硬質な衝撃音が、車体を通して内側に響いた。救急車の外壁が荒々しく叩かれるたび、微かに車体が揺れる。

 

 「どうしたアルか!?」

 

 神楽が眉をひそめる。続けて、新八が顔を強張らせながら答える。

 

 「なんか外から……叩かれてる音がする……!」

 

 その隣でセナが表情一つ変えずに立ち上がった。静かな声で、しかしはっきりと告げる。

 

 「すみません、少々……邪魔が入ったようで。代わりに外へ出て、状況を確認してもらえますか?」

 

 新八が頷くと、神楽と共にドアの取手に手をかけた。重たい音を立てて扉が開かれる。

 

 ガチャッ。

 

 その瞬間、彼らの目に飛び込んできたのは、怒気を帯びた数人のトリニティ生徒たち。その表情は、今にも爆発しそうな憤怒に染まっていた。

 

 「――あの様な破壊行為を行いながら、よくものうのうと戻ってこられたわねッ!」

 

 前に立っていた一人が指を差し、怒鳴りつける。

 

 「運転手を引っ張り出しなさいッ! 怪我人だか何だか知らないけど、ここはトリニティ自治区ってこと、思い知らせてあげるわ!」

 

 「ちょ、ちょっとアンタら! 何やってんですか!!」

 

 思わず新八が前に出た。

 

 「怪我人を運んでる救急車を止めるって……自分たちが何してるか、わかってんのかよッ!」

 

 「はァ? あんたたちこそ誰よ!? ここはトリニティの中、ゲヘナのような醜い角が生えた連中が入ってきていい場所じゃないのよ!」

 

 言葉の棘が、冷気のように肌を刺した。

 

 「アンタら……こんな状況になってもまだそんなことを……!」

 

 怒りに震える神楽が、迷いもなく傘の安全装置を外す。カチリという音が、空気を切り裂いた。

 

 しかし――

 

 「やめてくださいッ!」

 

 切迫した声が空気を割った。瞬間、傘の銃口の前に飛び出した二つの影。どちらも清廉な白を基調とした、特徴的な制服を纏っている。

 

 「あなたたちは……!」

 

 新八が目を見開く。

 

 「――救護騎士団……!?」

 

 その言葉に、生徒たちがざわめいた。

 

 「お待たせしてすみません。状況は把握できていませんが……ここは、私たちに任せてください」

 

 前に立ったセリナが、落ち着いた声音で告げる。すぐ後ろに立つハナエが、怒気を抑えた語気で続けた。

 

 「負傷者が乗っているってわかっていて、救急車を攻撃しようとするなんて……そんなの、私たち救護騎士団が見過ごせるわけがありません!」

 

 「もし攻撃を強行するのなら、その前に――私たちが相手をします」

 

 セリナの眼差しが鋭く光った。

 

 「本当に……何てことをするんですか。ミネ団長がここにいたら、きっとこの状況を……悲しんだでしょうね」

 

 その名前が出た途端、空気が変わった。

 

 「ミネ団長……?」

 「って、あの“ミネが壊して騎士団が治す”のミネ団長!?」

 「筋金入りの問題児じゃないの!? あの人が“悲しむ”ですって!? 冗談も大概にしなさいよッ!」

 

 まるでスイッチが入ったかのように、生徒たちは激昂する。

 

 「えっ!? い、いえ、団長はその……ちょっとだけ時代錯誤なだけで……!」

 

 ハナエがしどろもどろになる。

 

 「“傷を治すより、傷の原因を取り除くべき”って理論で、相手を吹っ飛ばすって……治療じゃなくて打撃じゃない!」

 

 「ゴリ押しじゃねぇかァァァァ!!」

 

 叫んだのは新八だった。額にはツッコミの血管が浮かび上がっている。

 

 「どうすんだよコレ! 事態を鎮圧するどころか、油注いで火柱上がってんぞ!?」

 

 セリナが小声で弁明する。

 

「違うんですよ。ミネ団長は……その、独特と言いますか……みなさんに嫌われることが多くって」

 

 ハナエも恥ずかしそうに続けた。

 

「そうです。『傷を治すより傷の原因を取り除くべき』という理論に基づいて皆を吹き飛ばして事態を鎮圧してるだけーー」

 

 その一言に、新八が目を見開き、叫ぶ。

 

「結局ゴリ押しじゃねぇかァァァァァ!!」

 

 叫びにも似たツッコミが空気を震わせる。

 

「どうすんですかコレ!!一触即発なんですけどコレ!!もうどうにか出来そうにないんですけど!!」

 

 そんな彼の焦りに対して、神楽は静かに一言呟いた。

 

「仕方ないアルな。ここは私が原因そのものを取り除いてやるネ」

 

 その言葉に、新八の悲鳴が爆ぜる。

 「お前、そいつが原因でこの状況になってるってわかってて言ってんのかァァァ!!?」

 

怒号と銃声が混ざり合う中、救急車の周囲にはトリニティの生徒達が押し寄せていた。彼女らは拳を震わせ、ゲヘナの救護車両に向けて今にも引き金を引こうとしている。

 

 新八と神楽は車両の前に立ち塞がっていたが、その二人を包囲する形で数が増していく生徒たち。救護騎士団のセリナやハナエも応戦しているものの、事態は明らかに一触即発の様相を呈していた。

 

 そんな緊迫のただ中――

 

 唐突に、飄々とした男の声が上空から落ちてきた。

 

「はぁいテメェら……痴話喧嘩はそこまでぇ」

 

 声の主はどこか場違いなほどに脱力した響きを含みながらも、妙に耳に残る――どこか凶悪な余裕を感じさせるものだった。

 

 生徒たちが一斉に振り返った先、そこには異様な風格の男が一人。片栗虎――かつて警察組織の重鎮にして、今なお数多の修羅場を踏み抜いてきた男。

 

 彼がにやりと口元を吊り上げて言い放つ。

 

「3秒以内に道開けろ。じゃないと――」

 

 そこに、冷徹な口調の女声が続く。

 

「閃光弾を投射します」

 

 その女――スズミと呼ばれたその人物は、自警団としてトリニティーの平和を守ってきた彼女は整った顔立ちに冷ややかな光を湛え、無駄なく構え閃光弾を手にしていた。

 

「はいいーち」

 

 片栗虎がカウントを始めるや否や――

 

 ドカァン!!!!!

 

 強烈な光と音が爆ぜ、周囲は一瞬にして白煙と混乱に包まれた。生徒たちは目を押さえ、叫び声を上げ、思わず後退する。

 

「……あの、2と3は?」スズミが小さく問いかけた。

 

「しらねぇ〜な〜。漢は1だけ覚えときゃ生きていけるんだよ」

 

 飄々と答える片栗虎。

 

 スズミは即座に冷静なトーンで返す。

 

「いや、私女です」

 

 

「くっ、これは…・・・!?」

「急に何…・・・!?」

 

 混乱の中、トリニティの生徒たちが呻く。

 

「申し訳ありません、手荒な真似を……それに、こんな状況になってしまいました……」

 

 スズミが深く頭を下げた。その背には、救急車の側面を庇うように立つ、救護騎士団の二人。

 

「じ、自警団の……!」

 

 ハナエが目を見開く。

 

「スズミさん!」

 

 セリナが駆け寄った。

 

「ご無沙汰しております。救護騎士団の皆さんには以前、何度もお世話になりましたね」

 

 スズミが微笑を浮かべ、敬意を滲ませた口調で応じた。

 

「片栗虎さん!!」

 

 新八が声を上げる。

 

「よぉ〜将ちゃんの友公よ〜久しぶりだな〜」

 

 片栗虎は相変わらず飄々とした態度のまま、手をひらひらと振った。

 

「どうしてこんなところにいるアルか?」

 

 神楽が訝しげに問いかける。

 

「てっきりキャバ嬢と朝からドンペリかましてるかと思ってたヨ」

 

「いやぁね、実はどうしても助太刀に来たいって――」

 

 と、片栗虎が言いかけたところで、スズミが遮るように一歩前へ出た。

 

「自らの足でここに来た方がいまして――」

 

 その瞬間、全ての視線がひとつの人影へと集まる。

 

 陽光を背に、堂々と姿を現したその人物は、まさに威風堂々。白の礼装に身を包み、落ち着いた足取りでゆっくりと前へ出ると、静かに告げた。

 

「皆の者、武器を収めよ。くだらん争いはここまでだ」

 

 それは――

 

「しょ、しょ、将軍かよォォォォォォ!!!!!」

 

 新八の絶叫が、空へと響き渡った。

 

「ど、どうして将軍様がここに!!」

 

 新八が目を見開き、言葉を失いながら叫んだ。

 

 その中心に立つのは、まさしく――将軍。その威厳に満ちた佇まいと、静かながらも周囲を圧倒する気配は、誰の目にもただ者でないと映った。

 

「中継で皆が混乱の中戦いに出ている中、上の者が眺めているだけでは世は何も変わらないだろう。」

 

 柔らかながら芯の通ったその声は、燃え盛る瓦礫の中にもかかわらず、澄んだ水のように辺りに響き渡る。

 

 

 将軍は静かに頷き、優しげな眼差しで新八と神楽、そして救護騎士団の面々を見つめた。

 

「友(ダチ)に、そして、救護班の皆。ここまでよくしてくれた。この場は、余に任せよ。」

 

 まるで春風のようなその一言に、救護車両の周囲にいた者達が一瞬、息を呑む。

 

 しかし。

 

「あ、アンタ!最近連邦生徒会に入ったっていう、あの……!」

 

 トリニティの生徒が声を荒げた。憤りと不信が混じった声音で、彼女は将軍を指差す。

 

「あんな無能の集まりみたいなところにいる奴の言うことなんて、聞く気が起きない!!」

 

 さらに別の生徒が続ける。

 

「脅せば引き下がるんじゃない?だって彼、この世界の人じゃないんでしょ!」

 

 嘲るような口ぶりに、神楽が激昂する。

 

 だが――

 

 スッ

 

 その神楽の前に、将軍が静かに手を差し出し、制した。

 

 神楽がはっとして言葉を飲み込む。

 

「将ちゃん……」

 

 将軍は一歩、前へと出た。光の中、その背筋は少しの乱れもなく、まっすぐに伸びている。

 

「ならば撃ってみよ。この私を撃ち、その手を血に染める覚悟があるのならば……」

 

 冷たい静けさがあたりを包んだ。銃を構えていた生徒たちが、揃って息を呑む。

 

「ぐっ……!」

 

 手が震える。照準が揺れる。

 

 将軍の声音は変わらない、だがその言葉は鋼のように重い。

 

「撃てないと言うことは、その咎を受け止められるほどの器が其方らにはないということだな。」

 

 彼らは言葉を返せなかった。否、返すことができなかった。

 

「な、なにをーー!!」

 

「聞こえなかったのなら、もう一度言おう。」

 

 将軍の声が、さらに一段低く、力を帯びて響いた。

 

「武器を収め、道を開けよ。」

 

「この救護車に乗っている者は皆、互いの学園の平和がために戦った者たち。」

 

「其方らのように、何の覚悟も持ち合わせていない者に止められていいものではないのだ。」

 

 ――沈黙。

 

 怒号も憤りも、どこかへ消え失せていた。あれほど騒いでいたトリニティの生徒たちは、ただその場に立ち尽くし、将軍の言葉の余韻に呑まれていた。

 

「………………」

 

 新八は胸がいっぱいになり、思わず呟いた。

 

「将軍様……」

 

 将軍はその肩に手を置き、柔らかく言った。

 

「行け……」

 

「先ほど言った通り、その者たちは互いの学園がために戦った武士(もののふ)。ここで死なせるわけにはいかぬ。行け。」

 

 その言葉に、新八はぶわっと目頭を熱くし、頭を下げた。

 

「っ! ありがとうございましたァァァァァ!!」

 

 神楽も涙ぐみながら、笑みを浮かべて叫ぶ。

 

「将ちゃん! そよちゃんにもよろしくネ!!」

 

 救急車のエンジンが唸りを上げ、ゆっくりと動き出す。

 

 ブウゥン……!!

 

 走り去る車両の後ろ姿を見送りながら、将軍はそっと呟いた。

 

「ダチ公を……其方らの主君を頼む。」




次回予告

セイア「やぁ先生、また会ったね」

「さぁ…これまでの振り返りをするとしようか」

次回 変えてきた未来

〜透魂〜第一回キャラクター人気投票

  • 銀時
  • 新八
  • 神楽
  • 沖田
  • 土方
  • 山崎
  • 高杉
  • 定春
  • エリザベス
  • ホシノ
  • シロコ
  • ヒナ
  • アコ
  • ミカ
  • ナギサ
  • セイア
  • ユウカ
  • ノア
  • 近藤
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。