透き通る世界を照らす銀魂(ぎんのたましい) 作:時代に遅れている
「それと今回2万2千文字。オープニング前の会話も入れると3万近くになるらしい。ま、読む人は読んでな。今回銀魂キャラあんま出ないんでよろしくゥ〜」
「後評価……あっりがとうございましたァァァァァ!!」
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濁った空を割くように、サイレンの音が響いていた。
崩落した建物の隙間を縫うように、赤と白の制服を纏った救急医学部の部員たちが走り抜けていく。瓦礫の間を掻き分け、血に塗れた地面に目を走らせる彼らの表情に、迷いは一切なかった。
「負傷者を発見! 搬送します!」
部員Aの声が飛ぶと同時に、別の方向から部員Bが手を上げる。
「こちらに担架を!」
「向こうです、まだ数名が残っています!」
部員Cが指差す方向には、倒れ伏す生徒たちの姿が霞んでいた。土煙と焦げた匂いが入り混じり、空気はむせ返るほど重く、焦燥を煽る。
その時、部員Dが駆け寄ってくる。泥と水に塗れた肩を大きく揺らし、叫ぶように報告した。
「部長! 湖に落ちた飛行船から、万魔殿の議員たちを救出しました! マコト議長も含まれていたようです!」
その報告を聞いたセナは、静かに目を細めると、小さく微笑んだ。
「さすがは議長。運の良さは相変わらずですね。……湖に落ちたことすら、彼にとっては幸運だったのかもしれません」
その余裕を含んだ声には皮肉よりも、どこか呆れに似た親しみが滲んでいた。
だが、次の瞬間には声色が一変する。
「各地の救助を続けてください。基本的には全員、強制的に集中治療室へ。意識の有無にかかわらず、例外は認めません」
冷静な判断を下すその背中を見て、部員たちは再び走り出す。
そして、再び部員Dが報告を上げた。
「部長! マコト議長の容態ですが……どうやら頭がアフロになっただけで済んだようです!」
報告の内容に一瞬、周囲の空気が凍る。だが、セナは微かに目を見開いただけで、やがて肩の力を抜くようにため息を洩らした。
「……アフロ、ですか。ええ、まぁ……それも彼らしいですね。むしろ、それで済んだのなら幸運です」
雨脚が強まる気配に、セナは空を見上げた。雲は更に厚みを増し、いつ降り出してもおかしくない。
「雨が来ます。急ぎましょう。各自、持ち場を維持して。搬送は迅速かつ確実に。後方支援との連携も強化して」
部員たちが応じる声を背に、セナは再び指揮を飛ばす。
「……いえ、何でもありません。引き続き負傷者の救出を。私たちの仕事は、まだ終わっていません」
風が舞い、彼女のスカートの裾がはためいた。
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会議室を満たすのは、焦燥に掻き立てられた足音と、次々に飛び交う報告の声だった。深夜の鐘も鳴り止んだ後、月明かりは厚い雲に隠れ、部屋を照らすのは天井の灯だけ――けれど、それすらも緊張と混乱の色に染められていた。
「正義実現委員会のツルギ委員長が重傷とのことです! ハスミ副委員長は……重体!」
行政官Aが報告を告げた瞬間、空気が凍ったように沈黙が広がる。その後を追うように、別の行政官が声を上げる。
「サクラコ様も……重体とのこと! 救護騎士団の治療室はすでに満床で、現在は古書館の寝室へ搬送中とのことです!」
「……真選組の方々が手を貸してくださったおかげで、搬送作業はなんとか……」
Cが絞り出すように呟いた。報告であるはずの言葉に、どこか感謝と罪悪感が滲む。
そして、その言葉の向こうでマリーは震えていた。机にすがるようにして立ち尽くし、呆然と口元を押さえる。
「サ……サクラコ様……」
彼女の視線の先にあるのは現実ではない。過ぎ去ったあの柔らかな笑みと、強く静かな声――それが今、どこか遠くへ引き剥がされていく。
「……ナギサさんは?」
ハナコが声を上げた。感情を抑え込んだ声音はかすかに震えていたが、その中に必死に理性を繋ぎ止める強さがあった。
「彼女については、まだ……捜索中とのことです」
行政官Aの声には、無念と悔いが混じっていた。
その瞬間、行政官Cが震えるように叫ぶ。
「つ、ついに一部の過激派が……ゲヘナへ戦布告を行う準備を始めたという情報が!」
「は、はいっ!?」
マリーが椅子から身を乗り出すように立ち上がり、血の気が引いた顔で周囲を見渡す。
「だ、ダメです……今ここでそんなことをしたら、取り返しが……!」
ハナコが必死に声を振り絞る。だが、もう秩序は崩れ始めていた。
「正義実現委員会の残党が、大聖堂への進入を試みているとのこと! これを阻もうとしたシスターたちと、中央ホールで衝突が発生しています!」
「な、なんですって……!?」
怒号と悲鳴が、既に聖域の中にまで届いているというのか。
ハナコは両手を胸に当て、深く息を吐いた。混乱が各地で起こっている。救護も追いつかず、秩序は崩壊寸前、敵味方の境界も曖昧になりかけていた。
「……早く……戦闘を止めさせないと……! これ以上、命を落とさせるわけにはいきません……!」
誰に言うでもなく、強く、けれど震える声で呟く。
――あまりに多すぎる変数。不確定要素が飽和し、情報の整理すら困難な状況。決断を下すには材料が足りず、時間もない。
(……私に、何ができるの?)
ハナコは奥歯を噛み、震えるまぶたを閉じる。
(セイアちゃん……)
(先生……)
不意に、瞼の裏に浮かんだのは、何気ない日常の中で微笑んでくれた二人の顔だった。
雨に濡れた風景。壊れた街。絶望と混乱の狭間で、それでも立ち止まらなかったあの人たちを、思い出す。
(――私が……、諦めては)
彼女の目に、静かに意志の光が灯った。
静まり返ったティーパーティー本部の執務室に、重苦しい空気が立ち込めていた。分厚いカーテンが外界を閉ざし、灯されたシャンデリアの下で、ティーパーティー傘下の幹部たちはひそやかに、だが確かな決意をもって事を進めていた。
「宜戦布告の文章はできましたか?」
冷ややかな声が部屋を走る。指示を受けた行政官が、淡々とした調子で頷いた。
「はい、大丈夫です。すでに準備は整っております」
「よし。では、すぐにでも――」
その言葉を遮るように、勢いよく扉が開かれた。
「――待ってください!」
凛とした少女の声が響いた瞬間、幹部たちの表情が一斉に曇る。その場に立っていたのは、瀬和ハナコ。トリニティ中枢の生徒であり、かつては誰よりも誠実に秩序を守ろうとした少女だった。
「瀬和ハナコ……!? どうしてここに……!」
行政官の驚愕の声にも臆することなく、ハナコは真っ直ぐに幹部たちを見据えた。
「戦布告は、ティーパーティーの校則上“ホスト”なしでは宣言できないはずです!」
一瞬、場が凍りつく。だがハナコは続けた。声に焦りはあるが、瞳は迷わない。
「あの映像をご覧になったでしょう!? 相手はゲヘナではありません。あれはきっと……アリウスが操っている“別の何か”です!」
幹部たちの間に、微かなざわめきが走る。
「トリニティ自治区内にある遺跡……そしてその地下に繋がっている“カタコンベ”を通じて――」
しかし、言葉の続きを許さぬように、幹部の一人が命じた。
「――捕えてください」
「……ッ!?」
即座に、部屋の隅から複数の警備兵が姿を現す。ハナコが一歩後退すると、幹部の男は哀しげな仮面をまとい、淡々と続けた。
「瀬和ハナコさん……残念です。貴女のような優秀な生徒が、ここまで頑なとは」
「何を言ってるんですか……!?」
声が震える。怒りとも、戸惑いともつかない混乱がハナコの胸を締め付ける。
「確かに、あの“ユスティナ聖徒会”とやらの映像は確認しました。我々の情報網でも、彼女たちが“シスターフッド”と関係していることくらいは把握しています」
「……そんな……!」
「だからこそ、こうして動いているのです。探偵ごっこはお終いですよ、ハナコさん」
その言葉の冷酷さに、ハナコは絶句した。幹部の眼差しは、まるで落ちた駒を見下ろす将棋の指し手のように無感情だった。
「そして、巡航ミサイルの発射位置。あれも確認済みです。発射されたのは、シスターフッドの管理下にある“聖堂の遺跡”からでしたね」
ハナコは息を呑んだ。
「アリウスが、その地下にある“カタコンベ”を通って我々の自治区に侵入した……そういう可能性も、もちろん視野には入れております」
幹部の声は穏やかだった。しかし、その口から紡がれるのは、断罪の言葉に他ならなかった。
「だが、そもそも――“アリウスとシスターフッドが最初から手を組んでいた”という線も否定できないのでは?」
「……っ、そんなことは!」
ハナコの否定は虚しく空気に溶けた。幹部はゆるりと首を振る。
「あれほど徹底された秘密主義の集団。貴女の言う“別の何か”などと、我々が無邪気に信じるとでも?」
机の上に広げられた文書――それはもう、押印されるのを待つのみだった。
「私たち《パテル分派》は、この危険な状況に迅速に対応することを決めました」
「……それは、まさか……!」
幹部は静かに頷いた。
「ええ。判断を留保した《フィリウス分派》および《サンクトゥス分派》の幹部は、すでに拘束済みです」
ハナコの瞳が大きく揺れる。
「……クーデター……ですか?」
「いえ」
幹部は微笑んだ。ぞっとするほど穏やかに。
「違いますよ。なぜなら、まだ正式な《ティーパーティー》のメンバーが一名――いらっしゃる」
「……っ!?」
「《パテル分派》の首長にして、ティーパーティー最後の一人――《ミカ》様」
その名が出た瞬間、ハナコの体が硬直する。
「彼女を解放し、本来のお望み通り――《ゲヘナ》との全面戦争を開始します」
ハナコの心臓が、ひときわ大きく鳴った。
「そんな……」
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曇天
鉛の空 重く垂れ込み
真白に澱んだ太陽が砕けて
耳鳴りを尖らせる
ひゅるりひゅるり 低いツバメが
8の字なぞってビルの谷を翔る
もうじきに夕立が来る
曇天の道を傘を忘れて
歩く彼女は雨に怯えてる
ので僕も弱虫ぶら下げて空を仰ぐ
あちらこちらあんよは上手
珈琲屋に寄って一休み極めたら
帰れない帰らない
曇天の道をぶらりぶらぶら
歩く二人は足軽のごとく
危険好きの誰かのふりをする小心物共
曇天の道を傘を忘れて
歩く彼女は雨に怯えてる
ので僕も弱虫ぶら下げて空を仰ぐ
トリニティ郊外――荒れ果てた廃墟の一角。
崩れた天井、砕けて散乱した床のタイル。斜めに歪んだ鉄枠の窓からは、割れ落ちた硝子片が床に散らばり、頭上には垂れ下がった配線ケーブルが蜘蛛の巣のように絡みついている。無機質で乾いた空気の中を、アリウス・スクワッドの足音だけが硬質に木霊していた。
無言で進みながら、最後尾を歩くヒヨリが手元の端末に目を落とす。次の瞬間、小さく肩を跳ねさせた彼女が、先頭を歩くサオリに声をかける。
「……あ、あの、たった今別働班から件の兵器、その起動を確認したとの報告が……」
「……アレか。映像は?」
「えっと、届いています」
「確認する」
サオリは足を止め、無駄のない動作で振り返る。彼女の傍らに駆け寄ったヒヨリが端末の画面を開き、再生を始めた。隣にいたミサキも興味深そうに画面を覗き込む。
「こ、これが……例の――」
「戦術兵器、か」
端末の中で、ノイズ混じりに映し出されたのは、常識を逸した影だった。
それは、まるで――赤い布に包まれたやせ細った巨人。禍々しき神像にも似た姿をしていた。赤いフードに覆われた顔は闇に沈み、まるで中身が空洞であるかのよう。二本の腕が錫杖に似た杖を持ち、残る二本の腕は胸の前で祈るように組まれている。
その背後には、荘厳な黄金の円環装飾と垂れ幕が掲げられ、外見だけを見れば神聖な存在にも映った。だが、彼女たちは知っている。この存在が意味するのは、信仰などではなく、ただの――破壊だ。
映像越しに発せられた叫びは、まるで現実に振動をもたらすように端末の画面を揺らし、ヒヨリが無意識に肩をすくめる。
「……ただの化物だな」
吐き捨てるようにサオリが言い放つ。ミサキは協力者から送られた資料に目を落とし、顔を顰める。
「太古の教義を元に作られた……失敗作? あの二つ頭の人形、失敗したって事?」
「失敗作だが、それでも戦術兵器足り得るという事だろう――使えるのであれば、何であれ構わない」
サオリの口調は冷静だった。武器に情を抱くことなどない。ただ、命令と目的に応える兵器であれば、それで充分だった。
「そう、なら良いけれど……それと、そろそろ次に進む段階じゃない?」
「………」
ヒヨリが端末を仕舞い、スクワッドは再び歩みを進める。ミサキが提案するように告げる。
「ゲヘナも、トリニティも、あの大人先生が死んだ事で結束し始めた。そろそろ次の目標に向かわないと対策が取られる」
「……どの道、もう手遅れだ」
サオリの瞳には、確信にも似た冷たさが宿っていた。
アリウスは既に動いている。ETOは掌中にあり、戦術兵器も目覚めた。隠し持っていた切り札も、この戦いで放たれる。質でも、量でも、圧倒的に優位なのは此方――それを誰よりも彼女自身が知っていた。
「――ミサキ、待機中の部隊に合図を」
サオリの命に、ミサキが無言で頷き端末を手に取る。画面には各地に点在するアリウス部隊の位置情報が光点として示され、操作と共に発令待機状態へと移行する。
サオリはスクワッド全体に視線を巡らせ、宣言した。
「これより、トリニティへの進撃を開始する」
その瞬間だった。
拳を振り下ろす寸前、サオリの動きが凍りつく。まるで時間が止まったかのように、身体全体が微動だにしない。
「………?」
「リーダー?」
異変に気づいたメンバーが戸惑いの声を漏らす中、サオリの瞳が静かに周囲をなぞる。
「……私達アリウスが此処を空けていたのは、どれくらいだ?」
「え? え、えっと……三時間くらい――でしょうか」
その言葉と同時に、空気が、変わった。
古びた部屋の奥から――香ばしく、甘い香りが漂ってきた。
それは、濃厚で、それでいて何処か懐かしい香りだった。
ヒヨリの鼻がぴくりと動く。
「ああ……美味しそうな匂いがします〜」
サオリが振り返りざま、鋭く叫ぶ。
「ヒヨリ待て!」
しかし時すでに遅し。
次の瞬間、静寂を引き裂く声が響いた。
「んまい棒コンポタージュ……」
その声と共に――
ドォォォォン!
地響きのような爆音が、建物の骨組みごと震わせた。
舞い上がる粉塵。飛散する無数の――んまい棒の破片が、甘く、焦げた匂いと共に爆風に巻き上げられ、空間を満たした。
壁が揺れ、天井が軋み、宙を舞った錆びた扉が金属音を響かせながら崩れ落ちる。
粉々になったコンポタージュの甘い香りが、今や戦場の硝煙と入り混じり、異様な空気を作り出していた。
「ひっ、ひぃいいッ!?」
悲鳴を上げて蹲るヒヨリ。ミサキが叫ぶ。
「これ、即席爆発装置IED!?」
混乱の中、床に転がる小さな金属球――それを認めた瞬間、全員の表情が引き締まった。
手榴弾――
「ッ……!」
「ぐ、グレネードッ!」
「は、早く逃げないと……!」
「――動くなッ!」
鋭い怒声が場を貫く。サオリが即座に反応し、転がったグレネードを蹴り飛ばす。その弾道は美しい放物線を描き、廊下の先へと飛び去る。
直後、再び爆音――そして連鎖的に始まる爆破。予め仕掛けられていた複数のブービートラップが誘爆し、室内を次々と破壊していく。
ミサキが呻くように呟いた。
「っ……! 逃走経路に、ブービートラップ!」
サオリは低く唸り、粉塵に霞む視界を睨みつける。
「相変わらず、この手の仕掛けは上手い、だが――……」
その時、視界の先でゆらりと影が立ち上がる。
ガスマスク。トリニティ制服。愛銃。
「アズサ」
サオリの目が鋭く細められる。
アズサは一言も発することなく、スクワッドを見据えたまま踵を返し、音もなく駆け出した。
「っ、逃がすか!」
叫びと同時に銃を構え、サオリが追撃を敢行。だが弾丸は虚しく壁を抉り、アズサは煙と粉塵に紛れて角を曲がり、その姿を消した。
小さく舌打ちを漏らしながら、サオリは一陣の風のように駆け出した。灰色の噴煙が彼女の背を呑み込み、その姿はすぐに霧散するように視界から消えた。
「リーダー、追うのは――って、はぁ……仕方ない。ヒヨリここで待ってて。」
疲れ切ったミサキの声も虚しく響く。ヒヨリは痛みに顔をしかめながら、その場に座り込んでいた。
「は、はい……気をつけてくださいっ!」
爆風で膝を痛めたヒヨリは、戦線から外れざるを得ない。ミサキは周囲を睨みつけながら、素早く通信端末を操作し、最寄りの部隊へ救援要請を送信する。現場には味方の展開は無く、仮に応援が到着しても三十分以上かかる――長期戦を覚悟せねばならなかった。
「……これは、骨が折れるね」
ぼそりと漏らした言葉は、すぐ先から轟いた銃声に掻き消される。
銃火を抜け、アズサは廃墟の廊下を走っていた。ガスマスク越しに曇る視界の中で、彼女はまるで迷い家の中を知り尽くした幽霊のように、正確な軌道を描いて駆ける。背後から飛来する弾丸は紙一重で彼女を掠め、しかし一度も的中することなく壁や窓を撃ち抜いていく。
ちらりと後ろに目をやり、アズサは確認する。追ってくる気配。間違いない――サオリだ。
曲がり角に差し掛かる。その瞬間、トラップが作動した。
『ピッ』という、どこか玩具じみた電子音。
死角に設置されたIEDの赤いセンサーが一瞬だけ灯った。
爆発。
火の手が吹き上がり、窓硝子が炸裂した。アズサはその瞬間、床へ飛び込み、耳を塞ぎながら身を丸める。背中に熱風が走り、髪が逆巻く。だが、直撃は避けた――完璧なタイミング。
これで終わった――そう思った。
だが。
煙の奥から、姿が現れる。
「言っただろう。お前の仕掛け程度、容易く見破れると――」
朧を裂き、サオリが現れた。炎を背景に、まるで地獄の番犬のような輪郭で。
無傷だった。
即座にアズサの元へ詰め寄り、銃を横から叩き落とす。引き金にかけた指は無力に空を切り、弾丸は天井へ飛んでいく。硝子が割れ、ガラス片が星のように舞い落ちた。
「チッ――!」
次の瞬間、強烈な蹴りがアズサの胸を打つ。轟音と共に吹き飛ばされた彼女は、背中で窓を破り、室内へと転がり込む。咳き込むほどの痛みに胸が軋み、呼吸が止まりそうになる。だが、まだ動ける。
這いずるように立ち上がる。
同時に、弾丸が背中を穿とうと襲いかかってくる。転がってそれを回避し、アズサは扉を蹴破って廊下へ逃げ出した。
追うサオリの怒号が背後から響く。
「意志だけは固い、お前は昔からそうだッ!」
胸が焼けつく。肺に酸素が足りない。アズサはそれでも走る。自らの肉体に鞭打ち、すでに治癒しきっていない傷口を騙しながら。
――殺さなければ。
その使命だけが、彼女の脚を動かしていた。
頭の中で、建物の構造と設置したトラップの位置を思い描く。限られた時間で張り巡らせた罠、それを最大限に活用しなければ勝機はない。
その時、背後から別ルートを取っていたミサキが合流した。彼女の目は、先ほど爆発した部屋を一瞥して細められる。
「……リーダー、このままだと埒が明かない。ユスティナ聖徒会を呼んだら?」
「それは無理だ」
即答。サオリはきっぱりと言い放つ。
――ユスティナ聖徒会は、トリニティとゲヘナの紛争にのみ介入する。
アズサがアリウス所属だと誤認されれば、その介入が自分達に牙を剥く。サオリの判断は冷徹で、理に適っていた。
「ま、戒律なんて解釈次第ってことか……。でも、仕方ないね」
「だから、私がやる。私が、あいつを止める」
サオリの手には、無骨なアサルトライフル。アリウスの校章が刻まれたその銃だけが、彼女の矜持を映していた。
スクワッドは再び散開し、東西からアズサを追い詰める形で動く。その刹那――
建物が震えた。
微かな、しかし確かな振動。天井から塗装の破片が剥がれ落ちる。全員が一斉に周囲を見渡す中、サオリの思考が疾走する。
――もし、自分がアズサの立場なら。
追撃の手が届かないと判断した時、彼女が選ぶ最も効果的な手段。それは――
「まさか……!」
次の瞬間、頭上が崩れた。
耳を劈く爆音、天井を突き破る瓦礫。サオリは間一髪で横へと飛び退き、辛うじてその直撃を避ける。しかし、ミサキの姿は煙と破片に呑まれていた。
「ミサキッ!!」
崩れ落ちた階層が、地下一階までを押し潰す。灰と炎と鉄骨が混じり合い、まるで世界が崩壊するかのような衝撃が空間を埋め尽くした。
粉塵の海の中、ミサキは身体を瓦礫に押し潰されながらも、わずかに身を動かす。
「げほっ、ごほっ……っ」
肺が焼けるように痛い。だが、生きている。それだけが、わずかな希望だった。
上階から見下ろすサオリの声が響く。
「無事かッ!? 応答しろ!」
「……一応、ね。ただ、動けそうにはないかな」
淡々とした声。しかし、その口調の裏に、悔しさと痛みが滲む。
「ごめん、リーダー……私は、置いていって」
静かな覚悟の言葉。
だが、サオリはそれに応えず、ただ静かに言い放つ。
「――待っていろ。直ぐに、救援を呼ぶ」
瓦礫の下、ミサキはわずかに微笑んだ。
「……気長に、待っているよ」
言葉の最後に微かな笑みを滲ませながら、ミサキは動かぬ右手をゆるりと持ち上げ、空へと振った。だが、瓦礫に押し潰された下半身の痛みが、彼女の喉から短く詰まった息を漏らさせる。サオリの足音が遠ざかり、音のない廊下に沈黙が戻る。
その影が見えなくなったことを確かめると、ミサキはゆっくりと頭上を仰いだ。
「……はーっ……」
肺から漏れた吐息が、粉塵混じりの空気に霧散する。
「……ホント」
天井の割れ目から射し込む月光が、舞い上がった灰の粒を淡く照らし出す。それはまるで星屑のようで、けれどその美しさは破壊と痛みの果てにある幻のようだった。
傷だらけのミサキは、そんな幻想的な景色に呆然と目を奪われたまま、小さく――まるで独り言のように、ぽつりと呟いた。
「……酷い、世界」
■
「はぁっ、はっ、はっ……ッ!」
呼吸が乱れ、肺が灼けるように痛む。廊下を駆けるアズサの足取りが、徐々に鈍っていく。全身の筋肉が悲鳴を上げ、擦り傷から滲む血が体温と共に体力を奪っていく。それでも彼女は走り続けた。
背後から聞こえた爆音――階層の崩落。それは、自らが仕掛けた罠が成功した証だった。
上階は崩れ、追跡者の進路は断たれた。地上に迂回するか、屋上を経由して再接近するしかない。そこにも罠は張り巡らせてある。散開したスクワッドがどう動くか――それに応じて次の行動を変える。全ては想定通りのはずだった。
だが。
その思考の一瞬を、突如として伸びてきた腕が断ち切った。
「――ッぐッ!?」
「捉えたぞッ!」
曲がり角から突然飛び出してきた影――サオリだった。横合いからのタックル。瞬間、アズサの視界が傾き、床が迫る。
完全な奇襲。否、それは読み通りの迎撃だった。
「地形は私の方が熟知しているッ……! 無論、あらゆる最短経路もなッ!」
「く、ぅのォッ!」
体勢を崩しながらも、アズサは巴投げの要領でサオリを投げ飛ばす。だが――軽い。あまりにも。
違和感。
次の瞬間、彼女はサオリの掌に握られた金属の存在に気づいた。弾倉。咄嗟に自らの銃へ視線を落とせば、そこには装填されていたはずの弾倉が、すでに消えていた。
「……!」
あの一瞬の接触で、彼女は抜き取ったのだ。
床に転がりつつも体勢を立て直したサオリが、即座に射撃を開始する。咆哮のような銃声が廊下を裂き、アズサの頬をかすめた弾が、一房の髪を空中に舞わせた。
アズサは即座に身を翻し、教室の扉を蹴り開けて飛び込む。硝子が砕け散り、足元に降り注ぐ破片。その中で、彼女は腰のポーチから予備の弾倉を取り出そうとする。
――間に合わない。
視界の端に、突入するサオリの姿が映る。
条件反射のように、アズサは抜き取った弾倉を銃に装填し、構えたまま引き金を絞った。
「く、ぁッ――!」
マズルフラッシュが室内を連続して照らす。反響する銃声が鼓膜を焼き、薄暗い空間に閃光が脈打つ。
だが、狙いを定める余裕などない。ただ撒き散らすだけの乱射。サオリはそれらを地を這うように躱し、瞬く間に間合いを詰めてきた。
そして――
「……っ!」
サオリは銃を短く持ち直し、下から掬うようにストックを振り上げた。
顎へ、直撃。
脳が揺れる。目の前に白い火花が散り、二歩、三歩と後退。握っていた銃口がだらりと垂れ、手の中の重さが遠のいていく。
「此処までだ、アズサ」
倒れる。
視界が崩れる。
音が、遠ざかる。
――その瞳に映ったのは、銃口を向けるサオリの顔。鋭く、冷たく、勝利を確信した者の目。
そして――
黒へと沈みゆく視界の中に、まるでスライドのように、記憶が浮かび上がる。
鼻をほじる先生。銀時。頼りなく、だらしない、けれど何度も自分たちを救ってくれた人。あの教室。あの夕暮れ。教卓に差し込んだ陽光の眩しさ。
【アズサ殿】
『アズサ』
いつもヒフミと活動している攘夷志士?らしい。そういえばトリニティーで最初に出会ったのも彼らたちだった。
正義実現委員会に真選組、この学園の治安を守る云わば生徒たちの光。訳あって彼らに包囲された時があった。普通ならば助けになど来ない……ただでさえ圧倒的に不利な状況。おまけに捕まれば立場が危うくなる。そんな事する奴なんていない。だが、彼らは来た。
他人からの評価など気にせず、己が許せないと思ったことに対しては徹底に対抗する。その精神を学んだ。
【アズサ!】
勇気を失わない、コハルのまっすぐな声。
一緒に学び、教え合い、支え合った時間。二人で乗り越えたあの日々が、今の自分を作ってくれた。
【アズサちゃん♡】
ハナコの、朗らかな声。
プールの掃除、夜のお喋り、食事を作って、笑って、こっそり泣いた。意味がないと思っていた時間が、どれほど大切だったかを、ようやく理解した。
【アズサちゃん】
そして、ヒフミ。
前の席に座り、教科書を開いてくれた、最初の「友達」。
戦いとは無縁の、温かな日常を教えてくれた人。
優しさを惜しまず、自分のために手を伸ばしてくれた人。
……それなのに。
自分は、その全てを――突き放した。
戻りたい。
笑い合った、あの陽だまりの中へ。
補習授業部の、あの輝かしい時間へ。
失われた青春の日々へ。
――けれど、それはもう叶わない。
最後に浮かんだのは、涙を流しながら自分の名を呼ぶ、ヒフミの姿だった。
――「待ってください! アズサちゃんッ!」
その声だけが、暗闇の底で、何度も、何度も木霊していた。
「ッ、ぐ、が、ァあぁアアアアアッ!」
「――!?」
咆哮した。
それはアズサにとって、腹の底から絞り出した憎悪の叫びだった。 どうして私アズサは此処に居るのか。
どうして私アズサは彼女達を顧みず、突き放したのか。
尊くて、大切で、何よりも代えがたい希望光を自ら手放して尚、守りたかった唯一のもの。
その理由は単純だ、単純で、だからこそ絶対に譲れない一線だった。 絶叫し、倒れかけていた体を持ち直した彼女は力強く踏み込み、体勢も何も考えない様な全力の突貫を敢行。踏み出した一歩が床に罅を刻み、二歩目でサオリの腹部を捉える。サオリは死に体だったアズサが一瞬にして息を吹き返した事実に驚愕し、一瞬体を硬直させた。
しかし、タックルを受けたと見るや否や即座に膝をアズサの腹部に打ち込み、同時に肘撃を首筋に一発。肉と骨の軋む音が響き、確かな手応えを感じさせる。 しかし、アズサの動きは止まらず。
想像以上のタフネスと怪力にサオリはそのまま後方へと押し込まれ、二人は勢い良く壁に突っ込む。老朽化していた内壁はアズサの渾身の突撃に耐え切れず、二人はそのまま壁を突き破り廊下へと転がり出た。 爆音と衝撃、壁、そして床と続けて叩きつけられたサオリは強烈な衝撃に目を細めながら、組み付いたまま離れないアズサを睨みつける。衝撃で手から銃が零れ落ち、床の上を滑って行くのが見えた。そしてそれはアズサも同じだ。素手のままサオリの肩を掴み、馬乗りとなった彼女は血走った目で彼女を睥睨する。
「こ、のっ……!?」
「サオリッ、お前、だけはァッ!」
朦々と立ち上る粉塵を顧みず、アズサは白に塗れた腕を振り上げる。 差し込む月光に照らされたアズサの表情。 ガスマスクを消失し、憎悪と悲壮に塗れた彼女の表情その顔は、鮮烈な印象と共にサオリの脳裏に刻まれた。 「――お前だけはッ、絶対許さないッ!」
「フン、威勢は良いがまだわかっていないのか?お前のその戦闘技術は全て私が教えた。つまりーーこの私には勝てないということを!」
「ああ、確かにそうだ。私の戦闘技術はお前から学んだことが多い。今までの私なら勝ち目はなかっただろう。」
「ならーー」
「聞いてなかったか?今までの私ならばと私は言ったッ!」
その瞬間アズサは近くにあった鉄の棒を手に持ち思いっきりサオリに向けて振るう。
「!?」咄嗟に後方に避ける。
「何だ?銃を持った私にそのような鉄の棒切れで私に勝てるとでも?」
「勝てる勝てないじゃない……勝つんだ。」
「……ハハハハ!そうか!ならーー」
「抗って見せろ!アズサ!!」
吐き捨て、サオリは繰り出された四発目に合わせ拳を突き出す。アズサは少しばかり緊張している。自分でも鉄の棒で複数の弾を防げる自信がなかったからだ。しかし、ここで過去の記憶が蘇る。
ーーーーーー
補習授業部の休憩時間。
まだ何の暗がりもない平和だったあの時、庭で刀を振るっていた桂にその時のアズサは今まで思っていた疑問を問いかけた。
『なぁ、桂?』
『どうした?アズサ殿。』
『桂たちはなぜリーチが少ない刀で戦うんだ?』
『銃の方が楽じゃないか?エリザベスに至っては普段はプラカードだし……』
『良いか?アズサ殿。刀は武士の魂だ。魂が無くなれば命があっても死んだも同然』
『だから肌身離さず持ち戦うのだ。』
『だが、それでは感情論だ。』
『う〜ん、ならば……』
『銃は威力は変わるか?』
『いや、変わらない。だが安全圏から何発も打つことが可能だ。』
『そうだ。だが刀は己が手から離れはしない。己の思いで威力が変わる。』
『もし、アズサ殿が銃の扱いで勝てないと思い、その手に刀を持った時があったならばその時はーー』
『思いで負けるな』
『今までの道にもこれからの道にも俺たちがついている』
ーーーーー
「!」
目を開き、全ての銃弾を鉄の棒を巧みに扱い銃弾を弾いた。弾かれた銃弾は窓などに当たり月の光を反射して輝く。
驚きのあまり動きが止まったサオリの目の前に鉄の棒(刀)が迫る。
そして、鬼の形相で叫ぶ。
「何ッ!?」
「サオリ――ッ!」
絶叫が反響し、サオリは引き金を絞る時間が酷く遅く感じられた。 ――銃声と叫び、二つ、廊下に轟く。
閃光は互いの視界に瞬き、衝撃が互いの身体を突き抜けた。
「う、ぐ――がッ……!」
「………っ」
アズサの身体がくの字に折れ曲がり、サオリは胸元を抑えながら蹈鞴を踏む。 弾丸と刀(鉄の棒)は互いに負傷、サオリは顔面と胸部の二箇所二連撃を、アズサは腹部に当たった。 アズサは腹部を抑えながら膝を突き、その場に蹲る。口から垂れた赤交じりの唾液、それが床に零れ落ちる。手から力なく滑り落ちた銃が、サオリの足元へと滑り込むようにして転がった。 サオリはそんな彼女を見下ろしながら、大きく息を吸い込み足でアズサの愛銃を受け止める。そしてゆっくりと、銃口を再びアズサに向けた。 勝敗を分けたのは単純な理由。――耐久力の差連戦による、疲労だった。
「……なるほど、ただの戯言ではなかったということか。この私にこれほどの深手を与えるとは……だが、これで終わりだ、アズサ」
「ぅ……ぐ――」
地面に蹲ったまま、サオリを見上げるアズサ。痛みに呻きながらも睨みつけるその視線は未だ衰えず。しかし、意志だけではどうにもならい現実が目前に横たわる。
「ふぅ、ふッ……!」
荒い息が漏れていた。這い蹲り、此方に銃口を向けるサオリを睨みつけるアズサは、自身の腹部を抑えながら肩を上下させる。砂塵に塗れ、血に塗れ、汗に塗れ、あらゆる手を尽くし足掻いた彼女は満身創痍だった。戦闘に次ぐ戦闘、不眠不休での戦闘訓練はアリウスでも頻繁に実施されていたものだが、実際の戦闘ストレスと比較すれば余りにも質が違う。
張り詰めた糸は必ずどこかで切れる。
しかし、アズサのそれ糸は一等頑丈であった。
良い意味でも、悪い意味でも。
サオリ同胞はそれを、良く知っている。
「……あぁ、今のお前は確かに、アリウスに相応しい」
這い蹲って尚、戦意を失わぬ瞳。憎悪を孕んだ表情を前にサオリは薄らとした微笑みを浮かべる。それは漸く『此方側』に踏み込んだのかと、喜ぶような口調ですらあった。銃口を向けながらゆっくりと屈み込むサオリ。アズサの歪んだ表情を覗き込むように伺う瞳、暗闇の中で光るそれは不気味な色を放つ。
「その目だ、その目こそアリウスだ、アズサ、意志さえあれば道具は関係ない、重要なのはそこに込められた意志――人を殺すという、殺意」
混じり気の無い殺意、相手を殺すという意志、それをどこまでも貫徹し、実行する行動力。それこそがアリウスがアリウスたる所以、それ以外を持たず、それ以外を棄て、その感情のみで満たされた時――アリウスの生徒兵士は完成する。
立ち上がり、満足げに息を吐き出すサオリ。アズサは引き攣った吐息を零しながら、歯を食い縛る。
唐突に、サオリはトリガーを引いた。
銃声が鳴り響き、至近距離で瞬いたマズルフラッシュがアズサの姿を浮かび上がらせる。弾丸は彼女の胸元に着弾し、アズサは目を見開き、胸を貫いた衝撃に思わずもんどりうって転がった。
「あぐッ……!?」
「――だが、お前は何も成せない」
胸元を抑え、喘ぐような呼吸を繰り返すアズサの肩を蹴り飛ばし、仰向けに転がす。そして腹部を脚で押さえつけると、苦し気に呻く彼女に再び銃口を突きつけ告げた。
「それはお前が弱いからだ、弱いから、何も成せずに斃れる」
再度、銃撃。
閃光が二人の影を濃く壁に映し出し、弾丸はアズサの胸元に再び着弾する。肋骨が軋み、心臓が大きく脈動するのが分かった。肺に詰まっていた空気が、一気に抜け落ちる。何度も続けて受けたダメージの蓄積がアズサの肺を締め付ける。
このままでは、拙い。
集中的な攻撃を受ければ、呼吸すら出来なくなる。
そう直感したアズサは、苦し紛れにサオリの足を両手で掴む。しかし、その行動を予期していたサオリはアズサの左肩を銃撃し、痛みに硬直した瞬間アズサの顔面を正面から蹴り飛ばした。
「ごッ、が……!」
アズサの鼻から血が噴き出し、サオリのブーツを汚す。揺らいだ身体が後方へと転がり、倒れ込む。
瞬間、彼女が背負っていた背嚢、その口が緩み中から幾つかの物品が転がり出た。軽い音を立てて床に広がるそれら。
空の弾倉、配線の繋がれていない爆薬、小さなペンケースに中の筆記用具、そして――。
「……ほう?」
サオリは、その奇妙な物体を目にした瞬間、興味深そうに声を上げた。
ゆっくりとした足取りで進み、床に転がった妙なシルエットの白い物体を掴み取る。柔らかで、汚れも無く、肌触りも良い。アリウスの様な生徒には不釣り合いな一品だ。鼻を抑え、血を垂れ流すアズサは、サオリの行動に気付かない。這い蹲ったまま震えるアズサに歩み寄ったサオリは、これ見よがしにソレをぶら下げ、云った。
「前にも見たが――この奇妙な人形は、お友達からのプレゼントか?」
「っ……!」
咄嗟に顔を上げたアズサ、鼻血に塗れた頬をそのままに視線を向ければ、サオリの手の中に――彼女にとって初めてのプレゼントであり、宝物であるペロロ人形が握られていた。
頭部を握られ、変形し、血の付着した大切な宝物。
アズサはそれを見た瞬間、カッと自身の中で血が沸騰するような感覚を覚えた。手を地面に突き、上体を起こす。そして息も絶え絶えになりながら、彼女は言葉を紡ぐ。
「触れ、るな……!」
「………」
強い口調で、アズサはそう告げた。
手を伸ばす。震えた指先で、必死にサオリの持つ人形へと。
その様子を見下ろすサオリは、酷く無機質な瞳で彼女を捉える。
「それに、触れるな……ッ!」
「――虚しいな」
「ぐ、ぁ――!」
再度、銃声、衝撃。
アズサの身体が仰け反り、肉体が痛みに反応して硬直する。弾丸により無理矢理体を引き起こされたアズサの目前に、月光に照らされた銃口が直ぐ傍まで突き出された。
「虚しい」
「ぃぎッ――!」
閃光、銃撃、衝撃。
「虚しい」
「ぃ、ッ――!」
「虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい、虚しい」
銃撃、銃撃、銃撃、銃撃――セミオートで繰り返される、ただ嬲る様な攻撃。肩、胸、腹、鳩尾と、痛む場所ばかりを狙い意識を失わせない。その精神を徹底的に破壊してやるとばかりに、視界で閃光が瞬く度に鈍痛と衝撃が体を貫く。
空薬莢が床に落ちる音、銃声、サオリの声、アズサの呻き、周囲に響く音がソレが全てだった。
一体、何発撃ち込まれたのだろう。
少なくとも、ニ十発以上は確実に撃ち込まれた筈だった。終わりは、カチンという弾切れの音と共に訪れる。何度も何度も引き金を絞ったサオリは、弾倉の中身が空になった事に気付き、漸く足元に転がる空薬莢へと目を向けた。
数秒、軽く息を吸い込んだサオリはそれを蹴飛ばし、空になった弾倉を取り外すと無造作に床へと放り捨てる。軽い音と共に転がるそれを見下ろし、サオリは呟いた。
「ぁ、が……ぅ――」
「………虚しいな、アズサ」
アズサは精魂尽き果てたかの様に床へと崩れ落ち、そのままか細い呼吸だけを繰り返す。何度も何度も銃撃を叩き込まれた箇所は、青痣と血に塗れ、所々が細かく痙攣しているのが見えた。うつ伏せになったアズサの肩に足を乗せ、サオリは新しい弾倉を愛銃に嵌め込む。薬室に弾丸を送り込みながら、自身の足下で呻くアズサを睨みつけた。
「友情か……偽りの関係、偽りの場所、そこで得た偽りの友――ならばその、無駄で虚しくも懸命に守ろうとするモノから破壊するとしよう、あぁ確か……『ヒフミ』、だったか?」
サオリは以前、アズサからトリニティ潜入中に受けていた報告、その中に出て来た人名を思い出す。トリニティ襲撃の際に目にした、あの淡い髪色の生徒。確か、この奇妙な縫い包みと同じ様なデザインをしたバッグを背負っていた。恐らくこの品を贈ったのも彼女だろう。
ならば――最初に壊す殺すのはソイツにしよう。
そうすればアズサも目を覚ます筈だと、そう考えて。
「お前の目の前で、ヘイローを破壊殺してやる――先生と、同じように」
その言葉に。
呻く事しか出来なかったアズサの、その指先が。
ぴくりと震えた。
「一つずつ、お前の大切なものを目の前で壊す、さて……」
サオリがアズサの頭部に銃口を向け、淡々とした口調で告げる。
「お前は何人目で、その夢から覚めるのだ?」
ゆっくりと握り込まれ、象られる拳。肩を踏みつけられ、これ程までに嬲られ、それでも尚尽きぬ意志。燃料は、怒り。爆発的なそれはアズサの身体を巡り、痛みを、疲労を掻き消す役割を持つ。激しい怒りと云うのは、鉄血の味がする。
暗闇の中、鈍い光を放つアズサの瞳。それを見つめながら、サオリの指が再び引き金を絞ろうとした時、アズサはすぐさまに立ち上がり先ほどの戦いで割れた窓ガラスから飛び降りた。
「まだ動けるのか、アズサ……!?」
サオリが驚きと共に叫ぶ。だが返答はなかった。ただ、空間に残された微かな残像と、次の瞬間に耳を打った破砕音が、それに応える。
廊下の向こう――硝子が炸裂する鋭い音が響き渡る。月明かりを背負って宙を舞う少女――アズサ。高くはあるが、飛べない高さではない。彼女の決意が、躊躇いのない跳躍へと変わっていた。
「っ、あぐッ……!」
地面が迫る。着地の瞬間、痛覚が激しく体を突き抜ける。衝撃を分散できず、アズサの身体はアスファルトに叩きつけられるように倒れ込んだ。鋭く肩を打ち、呼吸と共に悲鳴が洩れる。けれど、倒れていられる時間などない。
「は、はぁ……っ、う、ぐ……ッ、くぅ……!」
肩を押さえ、血の滲む頬を擦りながら、アズサは這うように立ち上がる。震える膝を叩いて無理やり動かし、闇に紛れるように、廃墟の裏手へと走り出した。まるで命を喰らう炎に追われる獣のように。
月光の届かぬ路地裏、喘ぐような呼吸と、地面を蹴るかすかな足音だけが彼女の存在を物語る。
制服は既に防弾の役割など果たしていない。無数の痣が肩や腹、胸に刻まれ、鼻腔からの出血は乾く暇もなく、腕も、背嚢も、機材も、全てが奪われていた。
それでも、アズサは逃げる。否、生きるために、走る。
次の「機会(チャンス)」を掴むために。 ヒフミを守るために。 未来を、まだ捨てていないために。
高みから、その姿を見下ろしていたサオリは、口の端を僅かに吊り上げて息を吐いた。
「……相変わらず、頑丈なことだ」
呆れと興味、僅かな嫉妬の混ざった声が月夜に溶ける。あれほどの弾丸を受け、肉体も精神も焼け爛れているはずの少女が、それでも走れるとは。以前のアズサならば、もう動けないはずだ――そう思っていた。
では何故、彼女は立ち上がれたのか。答えは一つしかない。
【何か】が、あるのだ。
彼女にとっての『光』。『お友達』という希望が。
サオリはゆっくりと、部屋の中央へと歩みを進める。そこには、月明かりに照らされ、ひときわ白く浮かび上がる縫い包み――あの奇妙な表情をした人形が、ぽつんと落ちていた。
膝を折り、それを拾い上げる。爆風に晒された割には、破損は少ない。ただ少し、砂埃がまとわりついているだけだった。サオリは手のひらでそれを払い落としながら、そのぬいぐるみの丸い顔を見つめる。
「……彼奴は、直ぐに戻って来る」
その声には確信があった。自分が誰よりも、アズサの心の脆さと、そこに灯った一筋の希望の重さを知っているから。
「この『友情の証』を、取り戻さなければならないからな」
静かにそう呟いた後、サオリは天井を仰ぐようにして瞳を閉じた。
「――闇の中で光を見つけた虫共は、もうそれ無しでは生きられない」
あの日、自分に手を差し伸べようとした“あの人”を思い出す。人としての正しさを、真っ直ぐに、愚かに振る舞い続けた人間だった。満身創痍でも、笑っていた――生徒を庇いながら。
自分が、◯した人間。
「それが身を焦がす代物だと分かっていても、人は……手放せないんだ」
生きるには、何かが必要なのだ。拠り所が。信じるものが。たとえそれが脆く、偽りであったとしても。
近づけば焼かれると知っていても、灯火を求めて飛び込んでしまう――そんな本能的な願い。それを一度でも手にしてしまえば、もう二度と、何も持たずには戻れない。
サオリは知っている。
だから、彼女は一度、その手を退けたのだ。銀時たちの伸ばした手を。暖かくて、痛いほど優しい手を。
――それを受け取ってしまえば、もう、戻れなくなる。
「こんなつまらない人形が……アズサの心を支える“光”だと……?」
その顔に、諦めにも似た薄笑いが浮かぶ。
「希望を、諦めきれない。……絶対に、戻ってくる」
その言葉と共に、ぬいぐるみをぎゅっと握り締めた。自分にとっては、ただの布と綿でできた無意味な物。しかし、アズサにとっては――それは思い出であり、象徴であり、救いそのものなのだ。
「ならばその度に、幾度でも……」
ゆっくりと立ち上がり、サオリはその人形を胸元に抱いた。
「幾度でも打ち倒そう。理解させよう。無理矢理にでも、叩き込む」
世界の理――すなわち。
「……全ては、虚しいのだから」
サオリはそう言い放ち、人形を見下ろした。 その目には、怒りも憎しみもなかった。 ただ、凍てつくほど冷たい“諦念”が宿っていた。
――ふいに、空気を切り裂くような電子音が鳴った。
乾いた、無機質な音。まるで何かのスイッチが押し込まれたような、甲高く金属的な音だった。それは一度きりでは終わらない。規則正しく――冷酷な心臓の鼓動のように、一定のリズムで鳴り続ける。
カチ、カチ、カチ――。
その音は小さく、息をひとつ漏らせば消えてしまうような微かなものだった。けれど今、この場にある静寂が、それを際立たせる。闇の中、音だけが浮かび上がるように耳を打つ。
「……?」
サオリの眉がわずかに寄る。音源を探すように周囲へ目を走らせた――が、すぐにその出所に気づいた。
手の中。
自身が抱えていた“あれ”――縫い包みからだ。
鳴動は止むことなく続き、しかもわずかに、その間隔が短くなっている気がした。まるで何かが、時を刻みながら迫ってくるかのように。
「何だ……? この音は……中に、何か……?」
ぬいぐるみの知識はない。だが、かすかな記憶の底で引っかかる情報があった。ヒヨリが読んでいた雑誌の中に、こんなものがあった気がする。音の鳴るおもちゃ。ボタンを押せば声が出るぬいぐるみ。
爆発の衝撃で、何かのスイッチが偶然作動したのだろうか――。
しかし、何度見ても表面にはボタンもスピーカーも見当たらない。ただ、手のひらの中で響く不気味な電子音だけが、その異常性を訴え続ける。
舌打ちが零れた。
「……面倒だ」
サオリはレッグホルスターからナイフを抜き放つ。切ればいい。内部の配線を切断すれば、黙らせることくらい容易だろう。そう思い、ぬいぐるみの腹部に浅く刃を滑らせた。
裂けた布地から、ふわりと白い綿が舞う。その奥に――何か、光が見えた。
――赤。
点滅する、小さなレッドランプ。
刹那、全身の神経が凍り付いた。
「ッ……!?」
息が止まる。心臓が、一瞬、跳ね上がったかと思えば、次の瞬間には急速に冷えていく。指先に走る痺れ。背筋を駆け上がる悪寒。目の前の現実が、拒絶したくなるほど鮮明だった。
綿の奥深くに仕込まれていたそれ――見間違いようもない、IED。即席爆発装置。しかも、赤く点滅するランプの脇には導線が複雑に絡み合い、見覚えのある回路がむき出しになっている。
『知らなかったか? 棒には――』
『玉が付きものだ』
そう、嘲るように。
視線を落とすと、床に転がる――アズサの扱っていた“棒”。そのすぐ傍らに、球体の爆弾が慎ましく置かれていた。あまりにも馬鹿げた比喩だ。だが笑えない。形は変わっても、使われているのは紛れもない、あの時の試作品。
「これは……セイア襲撃時の……ッ!」
忘れるわけがない。あのとき、トリニティを揺るがした最初の作戦――セイア襲撃でアズサに託された、試作型のヘイロー破壊爆弾。市街戦向けに作られた強力なIED。携行性は低いが、その威力は兵器と呼ぶに相応しい破壊力を持っていた。
そして今、それが、自分の掌の中にある。
見逃していた。外見を変え、綿に包まれ、無垢な姿で潜んでいたそれは、見事に警戒心の網を潜り抜けていた。
至近距離で、爆発すれば――助からない。
咄嗟に、ぬいぐるみを床に叩きつけるように放り投げた。反射的に身を翻し、逃れようと背を向ける――だが、
電子音が変わる。
規則的だった音が、わずかに歪み、早まる。短く、鋭く、そして――長く引き伸ばされる。
それは“カウントダウンの終わり”を告げる音だった。
「逃げ――――」
言葉が喉を割くように飛び出しかけた瞬間。
――影、二つ。
闇から駆け寄ってきた二つの人影が、サオリの視界を覆った。
「ッ……!」
ヒヨリと、ミサキ。
サオリの前に立ち塞がるように、彼女たちが飛び込んできた。その顔はマスクに覆われていて見えない。それでも、感じ取れた。迷いのない意志。守るという、ただ一つの行動原理。
そして――
世界が、白く染まる。
甲高く響いた最後の電子音が、爆風に呑まれ、かき消された。
――ドォン。
耳を裂くような衝撃。視界を覆い尽くす爆炎。吹き飛ぶ窓硝子、砕ける壁、捩じれる空気の流れ。全てが一瞬で呑まれ、歪み、崩壊していく。
その中でサオリは、ただ一度、口を開こうとした。
けれど、その声はもう、爆風の向こうに消えていた。
雨が降り出した。
まるで空さえ彼女の痛みに共鳴しているかのように、冷たく、容赦のない滴が静かに、だが確実に世界を濡らしていく。
ここ最近は雨ばかりだ―― アズサは、重く鉛のような四肢を引きずりながら、そんなことを思い出していた。 奪われていく体温。
じわりじわりと肌の奥まで染み込んでくる冷たさが、骨をも凍らせる。
血と泥に汚れた制服。胸元には幾つもの青痣。
その一つにそっと手を添えながら、アズサは濡れた石畳を這うように進む。
夜は深い。けれど、朝はまだ遠い。まるで永遠に夜が明けないかのような、そんな錯覚を覚える漆黒の中。聞こえるのは、自らの呼吸。―掠れて、切れて、どこか壊れた獣のような呼吸音。そして、靴下まで沁みた雨が、足元でぬちゃりと鳴る音。
「ぅぐ……ッ!?」次の瞬間だった。ほんの些細な段差。誰もが何でもなく跨げる石畳の継ぎ目に、彼女は足を取られる。転倒と共に跳ね上がる水飛沫。愛銃が、雨に濡れた石の上を転がり、無機質な音を残して数歩先で止まった。
立ち上がらなければ。行かなくては。それなのに、身体が言うことをきかない。思考は進めと命じるのに、筋肉が拒絶する。自分の身体が、自分のものでなくなったようだった。
「ぐ、ぁ、は……ハッ、あ、ぅ……――」
呼吸はひゅうひゅうと喉の奥で掠れ、吐息すら重たい。アズサは腹を押さえ、地面に膝をついて蹲る。先ほどの転倒で、受け身を取る余力もなく打ちつけた腹部が、鈍く痛む。いや、腹だけではない。全身がズキズキと脈打ち、痛みが波のように押し寄せては引いていく。
「い……た――ぅ……」
思わず口を衝いて出た弱音。けれどアズサは、その言葉を己で噛み潰すように歯を食いしばった。
――弱音なんて、吐くな。
それは、彼女がずっと自分に課してきた呪いのような信条。幼い頃も、訓練所でも、血の滲む努力をしてきたその日々も。どれだけ痛くても、どれだけ孤独でも、アズサは声を殺して、涙を見せずに、立ち上がってきた。耐えて、堪えて、前を向いて――そうやって生きてきた。だから、今回も……そう、今回もきっと……。
――なのに。
雨が、冷たい。
それだけの事が、こんなにも悲しい。
視界が滲む。鼻が詰まる。歯を噛み締めた奥から、情けない声が漏れ出した。
「う、うぅ……ッ……!」
頬を伝う液体は雨か、涙か。初めは点でしかなかったそれが、やがて線となり、やがて――滝のように。
アズサは、ただ蹲って泣いた。まるで壊れた人形のように、震える身体を抱きしめながら、石畳の冷たさに身を任せて。
「ご、ごめ……ヒフミ――ごめん……っ!」
最初に口を突いて出たのは、大切な親友の名前だった。――空っぽの背嚢。そこには、あの子との思い出が詰まっていた。友情の証。肌身離さず持ち歩いて、何よりも大切にしていた宝物。
それを、自分は。
「大事にッ、一生、大事に……するって……言ったのにッ……! 約束、したのにっ……!」
叫びと共に制服を握り締める。拳が震える。感情が堰を切ったように溢れ出し、止まらない。
それは――後悔だった。罪悪感だった。喪失と、自責と、そしてどうしようもない孤独だった。
雨は冷たく、痛かった。けれど、それ以上に心が痛い。彼女の中で、何かが崩れ、何かが終わった音がした。
「わ、たしは……もう、これ、で――に、二度と……ヒフミと、う、ぐぁ、あぁ……!」
こんな形で終わるはずじゃなかった。一緒に笑って、一緒に未来を見て、ただそれだけでよかったのに。
アズサはそれを、自らの手で壊した。宝物を――誰かを殺すための道具に変えてしまった。 どれだけの感情を踏みにじったのか、どれだけの想いを裏切ったのか。
「桂、エリザベス……教えてもらったことをこんなことに使って……ごめん……」
かつて支えてくれた人たちの顔が脳裏に浮かぶ。優しさを教えてくれた声。温もりを伝えてくれた背中。なのに――彼らから受け取ったものすら、自分は裏切ってしまった。
「ごめん、ごめん、なさい……みんな……っ、う、うぅうあああぁああッ……!」
雨が、感情を隠してはくれなかった。地面に身を投げ出し、腕で顔を覆って嗚咽する少女の姿は、あまりにも脆く、儚く、そして……孤独だった。
「う――ぐッ……!」
――鉄骨が軋む。瓦礫が崩れ落ちる。砕けたガラスが地面に降り注ぎ、雨音のように乾いた音を立てる。耳の奥でキーンと鳴る耳鳴りが止まないまま、サオリは痛む瞼を震わせて、ゆっくりと目を開いた。
視界の端で煙が立ち上っていた。灰と血の匂いが鼻を刺す。
右腕が痺れていた。肺に入り込んだ塵が咳を誘う。それでもサオリは、歯を食いしばり、傷の疼きに抗って腕を動かした。折れた肋骨が悲鳴を上げるように痛んだが、気力だけで膝を立て、口を開いた。
「ミサキ……ヒヨリ……! 大丈夫か……!」
声が掠れた。掠れた声を闇に投げる。
だが返答はなかった。代わりに聞こえてきたのは、軋む鉄の音と崩れた廊下の奥から吹き込む風の音。破壊された建物はもはや、ただの瓦礫の山と化していた。あの一撃で三階の大部分が消し飛び、火花を散らしながら断線したケーブルが空中にぶら下がっている。落ちたコンクリート片が地面に口を開け、まるで咆哮する獣のように不規則な影を投げていた。
そんな中、月光が射し込んだ先に、白い布が微かに揺れた。
「……っ!」
サオリが駆け寄ると、そこに埋もれていたのはヒヨリとミサキだった。血と泥に塗れ、破れた制服の隙間から無数の傷が覗く。けれど彼女たちは、奇跡のように、生きていた。
「うぅ……」
「これは……なかなかやばいね……」
途切れた声。けれどその調子は、命に関わるものではないと告げていた。深い安堵が、サオリの胸に満ちた。次の瞬間には、彼女は地面に膝を落とし、二人を抱きしめていた。
「よかった……本当に……よかった……!」
喉の奥から、押し殺した嗚咽のような声が漏れた。温もりを確かめるように、強く、強く、二人を抱き締める。
「リーダー? ど、どうしたんですか……」
「………」
問いかけに返す言葉はなく。ただそのまま、少しの間、静寂が三人を包んだ。
そしてやがて――。
サオリは立ち上がった。瓦礫の下から、自身の銃を引き抜き、冷えた金属を手に馴染ませる。表情は既に、先ほどの安堵とは別の色に染まっていた。
「……二人は、此処で待っていてくれ」
「え……?」
「大丈夫だ、直ぐに戻る」
静かで、しかし何処か決意の籠もった声。命令ではない。懇願でもない。ただ、それは確固たる意思の表明だった。ヒヨリとミサキは言葉を失い、サオリの背中を見送るしかなかった。
サオリは歩き出す。通信端末で救援要請を送り、2人の負傷を報告しつつ、己の中の怒りと痛みを燃やして。
「……アズサ」
その名を呼んだ瞬間、声の温度が急激に下がった。沈むように低く、まるで喉の奥底から這い出すような声だった。
「こうまでして……お前は、私たちを否定するのだな……」
アリウスを否定する。スクワッドを否定する。――自分たちの“正しさ”そのものを、否定するというのか。
爆弾は友情の皮を被っていた。かつて共に笑い合い、戦い抜いたその絆――その証すら、アズサは罠として利用した。サオリは信じていた。いや、信じたかった。アズサがそこまでの選択を下すはずがないと、心の奥底で願っていたのだ。
でも、アズサはやってのけた。
あの優しかった彼女が、あの夜、涙を堪えて拳を握りしめていた彼女が、自らの手で全てを切り捨てた。
信じたくない現実。けれどサオリは、それを突きつけられた。
――甘かった。
その一言が脳裏を過ぎる。
三階へと戻る。爆風で砕けた廊下、剥き出しの鉄骨の隙間に、ひしゃげた仮面が垂れ下がっていた。サオリはそれを拾い上げ、指先で塵を拭う。
「ならば……」
その声は、もはや誰かに届くものではなかった。
日向を捨て、影に生きると誓った彼女が、再びその仮面を手に取る。唯一、アズサを迎えることができたはずの場所――アリウスを。サオリを。全てを否定し、棄てたのだ。
だからこそ、彼女は決めた。
「私は、お前を――殺すぞ。アズサ」
その声は静かだった。だが、凍てついた鋼のような決意があった。
雨が、再び降り出した。
夜の帳が、その仮面の下に揺れる瞳を深く深く、包み込んでいく。
冷たい雨が、静かに、しかし確実にアズサの体を蝕んでいた。
夜空は墨を流したように重く、雲の切れ間から差す光もない。風は吹かず、ただただ雨だけが真っ直ぐに降り注ぎ、その音が世界を覆っていた。全身が濡れそぼり、張り付いた髪が視界を遮る。指先はかじかみ、爪の奥まで冷たさが染み渡っていく。
蹲るアズサは、小さく震えていた。血と泥に汚れた指で、補習授業部の人形をぎゅっと抱き締めたまま。嗚咽は雨音に紛れ、それでもなお、押し殺した息が時折喉の奥から洩れ出た。
「う、ぐ……っ……!」
突如、ぱしゃり、と水音が跳ねた。泥濘に手を突き入れた拍子だった。重力に逆らうように、彼女はゆっくりと上体を起こす。濡れた服が体にまとわりつき、引きちぎるようにして背を伸ばすその動作ひとつに、全身が悲鳴を上げた。
その痛みに、唇を噛んだ。血の味がした。
――まだだ。
心の奥底で、声がする。幻影だ。自分の内側に潜むもう一人の「アズサ」。影のようなその存在が、雨に打たれる彼女を見下ろしていた。冷たく、理知的で、情を排した声で告げる。
――まだ、立ち止まっている場合じゃない。
「……ぐ、ぅ……っ」
分かってる。分かってるんだ。
アズサは歯を食いしばった。濡れた地面に膝をつき、粘土のような泥の感触が膝頭を覆っていくのを感じながら、それでも、立ち上がる。体が軋み、関節が悲鳴を上げるたびに、痛みが脳を焼いた。けれど、その痛みすら、今の彼女にとっては希望の証だった。まだ動ける。まだ戦える。
「……次……」
震える声でそう呟きながら、アズサは視線をさ迷わせる。数歩先、泥に半ば沈んだ愛銃が、冷たく月のない夜に沈黙していた。
一歩、また一歩。
足がもつれるたび、彼女は雨に助けを求めるように両手を広げ、バランスを取りながら、前に進んだ。泥が跳ね、脛を汚す。けれど気にしている余裕などない。伸ばした指先が冷たい鉄に触れた瞬間、アズサは確かに「自分」を取り戻した気がした。
愛銃を胸に抱き、彼女は呟く。
「サオリも……アツコも……まだ、生きている……」
ヘイロー破壊爆弾。あれは切り札だった。万策を尽くして作り上げた一撃。しかし、それすらも、彼女たちを葬るには至らなかった。スクワッドの生存は、ユスティナ聖徒会がまだ存在していることの証だ。血のように冷たく、不気味で、拒めども繋がり続ける鎖のような存在。
悔しさが、喉奥に塊のように込み上げる。
――でも、立ち止まるわけにはいかない。
弾は、残りわずか。背嚢の中身も空に近い。頼れる仲間もいない。
あるのは、意思だけ。
「行か、ないと……」
ふらりと一歩を踏み出す。肩が揺れ、膝が折れそうになるのを、必死に堪えながら。愛銃を腕に抱え、水たまりを蹴るたび、ぴしゃぴしゃと跳ねる音が夜を叩く。
――動かないと。
そうしなければ、補習授業部の皆を守れない。あの笑顔を、日常を、もう一度取り戻すためには。
「何としてでも……サオリを――」
アズサの口から漏れた言葉は、決意という名の呪いのようでもあった。
弾倉を抜き取り、残弾数を確認する。指先が自然とポーチに滑り、弾薬の数を数える。訓練で染みついた習慣が、消耗した思考を支えていた。
「……殺さ、なきゃ――」
それは祈りではない。誓いでもない。
ただ――覚悟。
ぬかるんだ地面に足を取られ、壁に体を預けながら、彼女は歩き出す。その背中に、痛みも、涙も、罪悪も――全てを押し込めて。
雨は止まない。闇は深く、世界は尚もアズサに試練を与え続ける。
しかしその瞬間――。
『ようやく見つけた……』
不意に、耳に届いた声。聞き馴染みのあるその声に、アズサはぴたりと動きを止めた。
誰もいない。背後を振り返っても、そこには雨と闇しかなかった。
……それでも、確かに「誰か」がいた。
だが、もう立ち止まっている時間はない。
アズサは何事もなかったように再び歩き出す。震える足、もつれる呼吸。けれど、顔を上げ、前を向いて進む。
その後ろ姿を――
雨の帳の向こう、朽ちたアーチの陰から、二つの影が静かに見つめていた。
一人は、桂。もう一人は、エリザベス。
その視線は、追うでも、遮るでもなく。
ただ、アズサという存在の行き先を、言葉もなく見守っていた。
沈黙が、雨音に溶けていく。二人は動かない。ただ、その場に在ることで、何かを伝えようとしているかのように。
――アズサはまだ、気づいていなかった。
次回予告
銀時「あれ?現実に戻ってき……た?」
セリナ「ハナエちゃん!少し落ち着いてください!!」
新八「ちょっと!いつもこの人こんな感じなんですか!?」
「看護師というか人殺しそうな勢いですよ!殺人鬼ですよ!!」
銀時「ぎゃーぎゃーやかましいんだよ。病人が寝てるつーのに……よ。」
ハナエ「いいえ!もう待ってられません!!これからーー」
「解体して治療して治しますからァァァ!!」
銀時「待て待て待て待てェェェ!!チェンソーはやめろォォォ!!」
次回 ジェイソンはチェンソーじゃないらしいけどやっぱりチェンソーでしょ
〜透魂〜第一回キャラクター人気投票
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銀時
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新八
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神楽
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沖田
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土方
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山崎
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高杉
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桂
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定春
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エリザベス
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ホシノ
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シロコ
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ヒナ
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アコ
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ミカ
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ナギサ
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セイア
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ユウカ
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ノア
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近藤