透き通る世界を照らす銀魂(ぎんのたましい)   作:時代に遅れている

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            曇天

鉛の空 重く垂れ込み
真白に澱んだ太陽が砕けて
耳鳴りを尖らせる

ひゅるりひゅるり 低いツバメが
8の字なぞってビルの谷を翔る
もうじきに夕立が来る

曇天の道を傘を忘れて
歩く彼女は雨に怯えてる
ので僕も弱虫ぶら下げて空を仰ぐ

あちらこちらあんよは上手
珈琲屋に寄って一休み極めたら
帰れない帰らない

曇天の道をぶらりぶらぶら
歩く二人は足軽のごとく
危険好きの誰かのふりをする小心物共
曇天の道を傘を忘れて

歩く彼女は雨に怯えてる
ので僕も弱虫ぶら下げて空を仰ぐ


第百九訓 Blue Archive

「……リーダー」

 

小さく呼びかける声に、サオリは立ち止まった。答えるその声は、低く、確信に満ちていた。

 

「あぁ」

 

灰色の雲が空を呑み込む。

夜明けは訪れたが、それは希望の光ではなかった。

天は雲に覆われ、朝を告げる陽光は十数分と持たず、代わりに小雨が静かに頬を濡らしていく。

 

そこは古聖堂区、爆撃で破壊された一帯。

崩れた石造りの柱、割れたステンドグラスの残骸。

雨に濡れた瓦礫は、まるで過去の信仰と崇高さを嘲笑うかのように、地に転がっていた。

 

その灰の中を抜け、聖徒会の検問をすり抜けたスクワッドが広場へと足を踏み入れる。

 

ざり――

 

湿った瓦礫を踏みしめる足音の中、背後を歩いていたミサキがぽつりと声を落とす。

その気配に、サオリが肩にかけていた愛銃の安全装置をカチリと外し、静かに足を止めた。

 

その場にいた全員が、空気の変化に気づく。

 

がらり――

 

鋭い音が耳を突き、石片が崩れ落ちる音が続いた。

その音の先、積み上がった瓦礫の頂から、ひとりの少女が姿を現した。

 

瓦礫を踏みしめて立つその姿。

泥に塗れ、傷だらけの肌に流れる雨粒が血と混ざり、皮膚を染めていた。

 

だが、その瞳だけは、曇りひとつ無く輝いていた。

息は荒く、体は震えている。それでも、その指先は銃の引き金を離さない。

 

「――アズサ」

 

名前を呼ぶ声に、ミサキの声が一瞬揺れる。

 

サオリは肩をすくめるように、小さく息を吐いた。

 

「……居残っていた部隊を蹴散らして、追って来たか」

 

「サオリ……ッ!」

 

アズサの声が届く。震え混じり、だが真っ直ぐだった。

その眼差しが、スクワッド全員の胸を射抜く。

 

(まさか、ここまで来るとは……)

 

拠点に残してきた部隊が担当するはずだった。

だが、この少女はそれを振り切ってここまで辿り着いた。

いや、もしかしたら、彼らは全滅させられたのかもしれない。

 

その真相は今や問題ではなかった。

今、目の前に確かにアズサが立っている。

 

全身から疲労の色が滲み出ている。

指先は痙攣し、引き金にかけたままの手が震えていた。

 

ミサキが構えようとするが、サオリは手で制した。

ヒヨリもガンケースの留め具に触れる手を止める。

 

静かに、サオリが二人の間を抜け前に進む。

雨に濡れた石畳を踏みしめ、瓦礫の上に立つアズサを見上げる。

 

「他者の光を奪い、自分の光だけは奪われない……そんな都合の良いことは、あり得ない。分かっているさ」

 

その声には、感情の揺れがあった。

 

「……だが、何故だ、アズサ」

 

サオリの問いには、怒りでも憎しみでもない、理解不能という戸惑いがあった。

 

「何故、そうまで足掻く? 何を証明しようとしている? 全ては虚しい。そうだろう?」

 

幾度も打倒し、何度も力の差を見せつけた。

それでも、彼女は立ち上がる。歯を食いしばり、涙を流し、それでも前へ進み続ける。

 

その意味が、理解できない。

サオリにとって、敗北とはその意味を失うことだった。

 

だからこそ、彼女の問いは叫びに近かった。

 

「何故、そこまでして、立ち上がる……!」

 

アズサは答えた。血を吐くように、震える声で。

 

「たとえ、虚しくても……私は……」

 

それは呪文だった。

痛みも、敗北も、世界の理も否定して。

それでもなお自分の足で歩くと、彼女が己に言い聞かせるための魔法の言葉だった。

 

「私は、この世界で……足掻くと決めた……!」

 

叫ぶその声に、サオリの顔が曇る。

 

その感情は、怒りなのか、悲しみなのか、それとも——

 

「思い出せ。全ては──」

 

「虚しくても、それでも足掻くと決めた」

 

アズサの声が、サオリの言葉を断ち切る。

 

その断言は、信仰の告白にも似ていた。

もう、その言葉は、誰にも届かない。

 

「そこに……何の意味があるッ!!!」

 

サオリの叫びと共に、青白い神秘が彼女の身体から溢れ出す。

冷たく、濁流のような力。怒りと絶望を混ぜた神の意志のような――凍てつく色。

 

次の瞬間、銃声。

 

銃口が閃き、アズサの身体に火花が弾ける。

 

この距離では……避けられない。

 

銃で急所をかばう。体が弾かれ、地面に叩きつけられる。

 

「……はぁ……はぁ……」

 

サオリの神秘の圧に、手足の力が抜けていく。

痺れが身体を這い上がり、視界がぐらついた。

 

(まだ……止められていないのに……)

 

ふらつく足。

意識が霞み、重力に抗えない。

それでも、私は倒れるわけにはいかなかった。

 

(ヒフミたちを……守らないと……)

 

地面が近づいてくる。

だが、その瞬間――

 

背から柔らかな腕が身体を受け止めた。

 

風に乗って、優しい花の香りが鼻腔をくすぐる。

どこか懐かしく、温かな感触。

 

その腕の主を、私は知っている。

 

「……ヒフ……ミ……?」

 

答えは無い。

ただ、黙ったまま、彼女は私を見つめていた。

 

その背後には、コハルとハナコ。

神妙な表情で立つふたりが、静かに戦場の空気を見守っている。

 

「……誰だ、お前は」

 サオリの声は冷えた雨のようだった。感情を殺したその一言は、まるでヒフミの存在そのものを否定するかのように響いた。

 

「普通の、トリニティの生徒です」

 

 それは震えているようで、しかし芯のある答えだった。

 

 アズサはその場でふらつき、擦り切れた指先をゆっくりとヒフミに伸ばした。血に染まったその手は、自分でも醜いと感じていた。泥に塗れ、罪に染まったこの手に、触れてほしくなどなかった。

 

「ヒフミ、駄目だ……どうしてこんなところに……ここは、ヒフミみたいな、普通の人が来るべき場所じゃ……ないんだ」

 

 だが――

 

「……確かに、私は普通で平凡です!」

 

 ヒフミの声は、雷鳴にも似た衝撃を伴って響いた。俯いたままの彼女の肩は小刻みに震えていたが、それは恐怖ではなかった。そこにあるのは、確かに――怒りだった。

 

「アズサちゃんの、ガスマスクを被った姿が本当の自分だと云いたいこと、理解しました。本当なら、私なんて踏み込んではいけない世界に生きている人間だと、そう云いたいことも――……」

 

 苦しそうな声が、やがて叫びへと変わった。

 

「でもっ!」

 

 顔を上げたヒフミの瞳は、雨雲すらも貫くほどに澄んでいた。その小さな肩が震えながらも、確かに前を向いていた。

 

「アズサちゃんは一つ、大きな間違いをしていますッ!」

 

 その言葉に、アズサは目を丸くする。

 

「ま、間違い……?」

 

「はいっ! “普通の平凡な一般生徒”――それは私の一つの側面に過ぎません。私だって、アズサちゃんに見せていない、もう一つの顔を持っているんです!」

 

 ヒフミは勢いよく、ペロロバッグを抱え直すと、中から何かを取り出した。それを見て、アズサは困惑した。どうして、ここでそんなものを……?

 

「も、もう一つの自分……?」

 

「はいッ!」

 

 ヒフミはぐっと拳を握ると、誇らしげに被ったそれを掲げた。

 

「その本当の姿はッ――!」

 

 一拍の沈黙。

 

「覆面水着団のリーダー、ファウストですッ!!」

 

 雷鳴のような自己紹介が、破れかぶれのポーズと共に空へと放たれる。

 

 それは――どう見ても紙袋だった。両目の部分に穴を開けただけの簡素な覆面。額には『5』と手書きで書かれたマジックの跡。まるで学園祭の演劇でも始まりそうな、場違いな装い。

 

 沈黙。

 

「……えっ」

 

 アズサの口から、情けない声が零れ落ちた。

 

「見て下さいよ、この恐ろしさッ! アズサちゃんと並んだって、全然見劣りしない不気味さを醸し出しているでしょう!? 寧ろ、こっちの方が恐ろしくて震えちゃうって云う人だって絶対いる筈です!」

 

「ヒ、ヒフミ……?」

 

 正気を疑うような視線。だがヒフミはひるまない。

 

「だからッ! 私達は違う世界に居るなんて事はないんですっ! 同じですっ! 隣にだって居られるし、手だって繋げる! 一緒に勉強したり、ご飯を食べたりも出来るんですッ!」

 

 ヒフミは一歩一歩と、確信に満ちた足取りでアズサへと歩み寄る。そして、泥と血にまみれたその手を、まるで宝物を包むように、両手で強く握り締めた。

 

「だから――」

 

「一緒に居られないなんて、悲しいこと、言わないでくださいッ!」

 

 その瞬間、アズサの胸に火が灯った。

 

 冷え切った雨の中に――確かな熱が在った。

 

 優しさというには強すぎて、友情というには深すぎる、その手の温もり。それは彼女が何度も捨てようとして、それでも忘れられなかったものだった。

 

 涙が零れそうになる。

 

 けれど――

 

「ありがとう、ヒフミ……私のために、そんな嘘まで吐いてくれて……」

 

 その声には、どうしようもない弱さが滲んでいた。

 

 ――しかし、それを遮ったのはヒフミではなかった。

 

「誰が嘘だって?」

 

 その声に、アズサは息を呑む。

 

 突如として背後に現れた五つの影。ヒフミの背後、そして自分の両脇を抜けるようにして現れたその人影たちは、彼女を挟むようにして列を成す。

 

 影のひとつひとつが、やがて光に照らされ、その姿を露わにした。

 

「やぁやぁ、リーダーのファウストから突然招集が掛かったから、吃驚しちゃったよぉ~」

 

「まぁ、でも丁度暴れる口実が欲しかった所。渡りに船」

 

「ふふっ、補給も完了してますし、好きなだけやれそうですね☆」

 

「恰好なんてどうでも良いわ。全部蹴散らしてやるだけ」

 

「ドローン・スタンバイ……ヒフッ――いえ、リーダー・ファウスト、いつでも行けます!」

 

 彼女たちは――確かにヒフミと同じ覆面を被っていた。色違いの目出し帽に、それぞれの数字が手書きされた即席の戦闘服。

 

 だが、どこか……誇らしげだった。

 

 笑っていた。

 

 アズサのために。

 

 アズサの隣に立つために。

 

 世界が「違う」と云うなら、「それならその世界を、笑い飛ばしてやる」とでも言うかのように――

 

 アズサは、もう何も云えなかった。

 

灰色の目出し帽に赤い眼鏡を掛けた零番。

 桃色の目出し帽、小柄ながら圧倒的な存在感を放つ一番。

 青いマフラーを首に巻いた、涼やかだが鋭い目をした二番。

 巨大なガトリング砲を軽々と抱える、緑の帽の三番。

 鮮やかな赤いツインテールを揺らす、どこか挑発的な四番。

 五色の覆面が並び立つだけで、場の空気は一変した。――重たい。

 彼女たちが纏うのは単なる変装などではなく、「異物」の風格であり、「本物」の風圧だった。

 

「……あの覆面、まさか……!」

 ハナコの声は震えを帯び、サオリの瞳が細く鋭くなる。

 

 五人は整列しながら、一糸乱れぬ動きでポーズを取る。

 白い制服の裾が風に翻り、まるで戦隊ヒーローの登場シーンのように光の粒がきらめいた――錯覚のようで、誰もがその輝きに息を呑んだ。

 

「目には目を、歯には歯を、孤高にして無慈悲、己が道をただ突き進む――」

 

「それが私たち、覆面水着団☆」

 

「ちなみに昼は学生、夜は悪を討つ裏稼業のヒーローグループです♪」

 

「だから違うって!そういう設定は勝手に作らないで!!」

 

「ともかく!ファウストさんの命令で、我らここに集いし五色の影!!」

 

 堂々とした宣言に、周囲は静まり返る。

 それは滑稽なはずだった――目出し帽に紙袋、手書きのナンバー。だが、誰も笑わなかった。笑えなかった。

 その背に纏う“本気”の気配が、冗談と現実の境界を踏み潰していた。

 

「え、えっ……?」

「実在したんですね――覆面水着団」

 

 アズサは困惑の余り右往左往し、ハナコは何処か感心した様な声で呟いた。アズサに関してはヒフミが自身の為に吐いた優しい嘘だと思っていたら、想った以上に『本気』な面子が揃った事に対する困惑であり。

 ハナコにとっては都市伝説めいたそれが、まさか事実であった事、そしてその一員にヒフミが入っていた事に対する驚きと感心であった。尚、背後のトリニティ生達は、唐突な展開について行けず、隣り合う生徒達で顔を見合わせ、ぼそぼそと言葉を交わしている。

 そんな反応を返す皆に反し、スクワッドの面々は新たな戦力を品定めるように、視線で彼女達をなぞりながら呟く。

 

「ミサキ、あいつらは――」

「……詳細なデータはなし、トリニティの制服を着用しているけれど、中身はどうだろうね、データが一切ないって言うのはちょっと変」

 

「心なしか、声に聞き覚えがある様な……? そ、それにしても覆面水着団なんて、噂に過ぎないと思っていましたが――本当に居たんですねぇ」

 

 ヒヨリがそうしみじみと呟けば、ミサキは厳しい視線で覆面水着団を睨みつけサオリに向け言葉を紡いだ。

 

「……リーダー、あいつらヘラヘラしているけれど注意した方が良い、少なくとも舐めてかかると痛い目に遭う」

 

「……分かっている」

 

 その声に、サオリは静かに頷く事で応えた。覆面水着団――表面上はふざけた名前だが、その実力は決して侮って良いものではない。その噂の真偽は兎も角、こうして対峙してみると良く分かる。連中は、確かな修羅場を潜っている猛者だ、死線を潜った者特有の気配を彼女は感じ取っていた。

 スクワッドを見下ろすアビドスこと覆面水着団は一歩を踏み出し、オラつくように顔を突き出して告げる。

 

「あのさ〜私たちに気を取られてていいの?伝説の覆面水着団には別働隊もあるんだよ?」

 

「何?」

 

 

「ほらあなた方のう、し、ろです⭐︎」

 

 ふっと降るような声。

 サオリがはっと後ろを振り向いた時、既に遅かった。

 

 白い化け物のような影が、背後から跳び出し、

 その前を行くは、長髪の女――髪を靡かせた謎の女性?が、軽やかに宙を舞う。

 

 ドンッ!

 

 サオリたちは攻撃の余波を受け、反射的に数歩後退。

 砂埃が舞い上がり、視界が揺れる。

 

「くっ……!」

 

「ふふっ、受け止められるとは……中々やるわね?」

 

 女が楽しげに微笑み、隣に並ぶ影――エリザベスと記されたプラカードを持った、白く巨大な存在が佇む。

 

「桂……! エリザベス!? 一体どうして……!」

 

 アズサが叫ぶ。すると女は、優雅に首を傾げて言った。

 

「桂じゃない、ヅラ子よ!」

 

 微笑の裏に狂気がのぞく。

 ヅラ子は、演劇の舞台女優のように誇らしげに宣言する。

 

「我々は――エリザベス親衛隊!!

 ファウスト様が流した涙、絶対に見逃さない!!」

 

「……え?どっからどう見ても桂ですよね?」

 

 ヒヨリが戸惑いながら呟く。

 

 

 

「ファウスト様はね〜、覆面水着団だけでなく、この別働隊・エリザベス親衛隊すら統べる、最凶最強のリーダーなんだ〜」

 

「……そ、そんな大層なものじゃ……」

 困ったように紙袋の目穴から視線を逸らすヒフミ。

 

 だが、ヅラ子が言葉を重ねた。

 

「ファウスト殿は怒ると怖いのよ? 何せカイザーだがなんだがすごいロボットの幹部を倒しちゃう位凄いんだから」

 

「ん、ブラックマーケットの銀行だって襲える、朝飯前、五分で一億」

「この間なんて、砲撃でカイザーPMCを纏めて吹っ飛ばしてやったんだから!」

「そうですね、生きて動く災いと云っても過言ではないかもしれません……! 或いは、暗黒街を支配するボスの様な方と云い換えても――」

「うんうん、立ち塞がる全てを薙ぎ払い、粉砕し、支配する、それこそファウスト」

 

エリザベスのプラカードが掲げられる。

『ファウスト万歳!!』

 

「「「ファウスト! ファウスト! ファウスト!」」」

 

 古聖堂の空気が揺れ、熱狂と賞賛の波が巻き起こる中、

 ヒフミは静かに紙袋に手をかける。

 

 ――そして、脱ぐ。

 

 露わになったその顔は、羞恥に染まり、頬は真っ赤だった。

 

「ちょっとリーダー、何やってんのよ!? せっかくノッてあげたのにーっ!」

 

「そうだぞヒフミ殿! まだあのセリフ『私の戦力は53万です』を言っていないではないか!」

 

「ありゃ、恥ずかしかったかな〜?」

 

 仲間たちの声が入り乱れる中、ヒフミは顔を赤らめたまま、覆面水着団に向かって叫ぶ。

 

「わ、私はもう……正体をバラしてしまったので、構いません! でも、皆さんはそのままで居てください!」

 

 彼女の声は震えながらも真っ直ぐだった。自分だけが矢面に立てば、仲間の正体は守れる。――そんな、ヒフミらしい、まっすぐな信念の叫びだった。

 

 その時、彼女たちのやり取りを遮るように、ミサキが無言で手元の端末を操作し、顔を曇らせた。

「……リーダー、悪い報告が一つ。ユスティナ聖徒会の防衛線が崩壊寸前……逆に包囲されつつある」

 

「……何だと?」

 

「どうやら、“あの死に損ないども”が勢いを盛り返したらしい」

 

 ーーーーーーーー

 

古聖堂地区、最前線――

 境界線に近い古聖堂の外周。黄ばんだ空気を引き裂くように銃声と悲鳴がこだまする。

「負傷者多数! 第四班、後退! 一時撤退を開始します!」

 

「商店街方面から大量の敵が! このままでは包囲されますッ!」

 

 正義実現委員会の救援部隊。捜索と救助を任された彼女たちは、追い詰められていた。焼け焦げた瓦礫の陰に隠れながらも、無数の不死のような聖徒たちが波状攻撃を仕掛けてくる。

 

「くッ……! こいつら……いったい何人いるんだよ……ッ!」

 

 空気は次第に絶望に染まり始め、撤退の声すら掻き消されるその時。

 

 ――ドンッッ!! 

 

 耳を劈く轟音。地響きが地面を撫で、煙が一気に立ち上がる。

 

「っ……!? な、何の音……?」

 

「ほ、砲撃……?」

 

 仲間たちが浮足立つ中、煙の中から現れたシルエットに、皆の視線が釘付けとなる。

 

 

「ギャハハハハハアアッ! 鏖殺だァッ!! 殺す! 殺す!! 殺すぅぅう!!!」

 狂気の笑みを浮かべた少女が、二丁の散弾銃を振り上げて、目の前の敵を撃ち抜く。火花が迸り、幽鬼の如き敵が霧散する。

 

「い……委員長!?」

 

「ま、まだ救護騎士団の病棟に居た筈では……!?」

 

 答えは一つ――

 

「既に完治したァッ!!」

 

 その宣言に、皆の胸が震えた。絶望の淵に一筋の光が差し込むような、圧倒的な安心感。そして――

 

「ふぅ……私の方は、まだ万全とはいきませんが……」

 

 地面をコツコツと鳴らすヒールの音が、煙の中から響いた。黒く広げた翼、しなやかでありながら凛とした姿。副委員長・ハスミの登場に、生徒たちは再び歓声を上げる。

 

「副委員長まで……!」

 

 

 ハスミは冷静な目で周囲を見渡し、指揮権を握る。

「総員、再集結。指揮は私が取ります。作戦は――銀さんから受け取っています」

 

「銀さんってことは……先生……から、ですか!?」

 

「えぇ。彼もまた、別の戦場で戦っている」

 

 その一言で、再び皆の表情に火が灯る。銃を構える手に力が戻り、立ち上がる背中に希望が宿る。

 

「この戦い、必ず勝って終わらせましょう」

 

「は、はいッ!」

 

 

 

 ハスミはそっと視線を後ろに投げる。そこには、肩を鳴らし、笑みを浮かべながら佇むツルギの姿があった。

 

「ツルギ、行けますか?」

 

「……キヒッ」

 

「――えぇ。では、存分に暴れてください」

 

 ツルギの背に、ハスミの言葉が風のように吹き抜ける。

 

 コッキング音が乾いた夜に響いた。

 

 この日、戦場に再び――“正義”が、舞い戻った。

 

ーーーーーーーーー

 

古聖堂地区――外郭、燃え落ちる街並みの影にて

 焦げた空気が鼻を刺す。爆音の余韻が街の隅々まで響き、古聖堂外郭に展開する戦線は、激戦の爪痕に彩られていた。

「アコ行政官! 負傷者多数、戦線の維持が――ッ!」

 

 悲鳴のような報告に、アコは奥歯を噛み締めた。掌のタブレットには、赤く染まるマップと刻々と更新される傷病者のリスト。状況は悪化の一途を辿っていた。

 

 ここは、トリニティ本隊が古聖堂制圧に向かうための橋頭堡。ゲヘナ風紀委員会が防衛を担当していた。アコは増援を引き、万全の布陣を敷いたつもりだった。だが、眼前の現実は、想定を大きく上回る厳しさだった。

 

 指示は最善だった。配置も、支援要請のタイミングも。けれど――

 

「……ヒナ委員長……」

 

 その名前を呟いた瞬間、胸の奥に抑えようのない焦燥が広がった。

 

 主戦力であるヒナがいない。

 

 それだけで、風紀委員会の士気は方向性を失った。怒りと憎しみを燃料に、仲間たちは前へ、前へと出すぎてしまう。防衛戦において、それは自殺行為に等しかった。

 

「っ、敵増援、再び……!」

 

「このままでは、と、突破されますッ――!」

 

 虚空を裂いて現れるユスティナ聖徒会の影。アコはすがるようにホルスターから愛用のホットショットを引き抜いた。指が小さく震える。それでも、逃げる訳にはいかない。

 

 その時――

 

「――アコ、少し頭を下げて」

 

 耳元で囁く声に、アコは反射的に身をかがめた。

 

 瞬間、轟音。空気を切り裂き、弾丸の嵐が前線をなぎ払った。吹き飛ばされた瓦礫が空を舞い、火花と共に敵の群れが爆ぜる。

 

「こ、この銃声は――ッ!」

 

 恐る恐る顔を上げたその先に、立っていたのは。

 

「……お待たせ、アコ、皆」

 

 風を纏う白髪。仏頂面のまま、愛銃を肩に担ぎ歩む少女。

 

 ――ヒナだった。

 

「ひ、ヒナ委員長ッ!」

 

 歓声が、戦場に響いた。

 

「皆、無事でよかった、遅くなってごめん」

 

「い、いえ、その様な……!」

 

 ヒナは周囲を見渡し、少し口角を上げる。

 

「ここにいるのは銀ちゃんのおかげ――作戦はあるから、忠犬なら私に従って」

 

「は、はいッ! 勿論ですっ! 指揮権をお返しします!」

 

『あの天パバカ。約束を果たしてくれたんですね。』

 

 アコは言葉を失いかけた。ヒナの言葉が脳内で何度も反響する。

 

「あの忠犬って……どういう事ですか?」

 

「銀ちゃんからあなたが私の忠犬でなんでもいうこと聞くから来てくれって言われたんだけど………」

 

「…………あ、あ、」

 

「あの天パァァァ!!!!」

 

「アコ、今はそんなこと言ってる場合じゃない」

 

 いつも通りのやり取り――その軽妙さが、アコの胸を熱くさせた。

 

 ヒナは一歩前へ出て、愛銃のストックを地に叩きつけた。バチンと手袋を締める音が、周囲に緊張をもたらす。

 

「――手早く済ませて帰ろう、まだ未決裁の書類が執務室に残っているから」

 

「……わ、わかりました。」

 

 風紀委員会の隊員達が笑顔を取り戻し、銃を握り直す。ヒナの背に希望が灯った。

 

「さぁ、始めよう」

ーーーーーーーー

 

同時刻 古聖堂地区・周辺路地裏

 轟音と煙の渦の中、満身創痍の4人が背中を預けていた。

「ったく、柄にもなく人助けなんてする時なんでこう酷い目に合うのかねぇ」

 

 沖田が肩を落としながらも、口元はいつもの調子を保っていた。

 

「タバコの火が欲しいのは土方だけだってのに」

 

「おい!何俺に集中砲火させようとしてんだ!!そんなことしたらタバコどころか全てが吹き飛ぶわ!!」

 

「おい、お前らそんなことして場合じゃ――」

 

「来る!」

 

 信女の声が鋭く響いた瞬間、再びユスティナ聖徒会が一斉に襲い掛かる。

 

 だが、次の瞬間――

 

 空からロケット弾が落ちてきた。

 

 爆風が地面を抉り、敵の群れを吹き飛ばす。

 

「何だ!今度はどうした!」

 

「アイツはーー!近藤さん土方さん見てくだせぇ!」

 

 沖田が指さした先、戦火の煙を背にひとり立つ影。

 

「全く何やってるんだ!」

 

「この僕から副長の座を奪い返した君がその調子では真選組は堕落を極めることになるぞ!」

 

「お、お前はーー!」

 

 その姿は忘れられる訳もない。

 

それは、かつて真選組を裏切り乗っ取ろうとした元隊士。

 

「伊藤!!」

 

「先生!!」

 

 厳しい眼差しでこちらを見下ろす影、伊東は肩を竦めた。

 

「全く、君たちの危機だと聞いて地獄から舞い戻ってきたというのにこの体たらくとは……」

 

「よく言うぜ、協力してたお仲間に裏切られて死んだヤローよりはマシでしょ?」

 

「それを言われると言い返せないが……再会の挨拶は後にするとしよう。今はこの状況を打破するのが先だ。」

 

 彼は剣を構え、叫ぶ。

 

「副長指揮を」

 

 土方は数秒の沈黙の後、決意と共に口を開いた。

 

「………!」

 

「真選組、全隊士につぐ。敵はほぼ不死身……ただの斬り合いじゃ勝ち目はねぇ…」

 

「だが、俺たちは不死身の体を持つ奴との戦い方を知ってる。」

 

「大暴れして一気に叩き込めろ!!」

 

「「「「おォォォォォォ!!」」」」

 

 真選組、再集結。燃える街の中、地獄のような戦場に、新たな戦火の灯がともる。

ーーーーー

 空を引き裂くような爆音と共に、焦げた硝煙の匂いが戦場を覆う。重く垂れ込めた雲が頭上を這い、陽光は地上に届かず、どこまでも鈍色の陰が地を包んでいた。

 

「――想定より早いな、もう暫くは掛かると踏んでいたが」

 

 その声は静かだが、微かに苦味を帯びていた。ミサキは目を細めながら端末を見下ろし、指先で数度なぞる。そこに並ぶのは、各方面からの報告――戦闘継続不能、後退、敵の出現、そして想定を超える戦力。

 

「これはちょっと、厳しいんじゃない? リーダー」

 

 通信越しの冷静な声が、その報告をなぞるように重なる。言葉とは裏腹に、明らかな焦りが滲んでいた。

 両学園の首脳部を襲撃した作戦、その余波は確かにあった。指揮系統は撹乱され、シャーレの“先生”を襲撃したことで感情の揺らぎを誘った。数時間……いや、半日程度は持ち堪えると読んでいた。にもかかわらず、連中は想定より早く戦力を再構成し、この地に迫ってきた。

 

 ――だが。

 

 ミサキの視線が端末に縋るように走る。そこに映る、各分隊からの戦況報告。前線の多くはETOが支えていたが、アリウスの影も散見された。彼女たちは主に後方支援と情報提供を担当し、その情報の中で最も目を引くもの。それは、“古聖堂周辺で各学園の戦力が再結集し、攻勢を強めている”という事実だった。

 

 それを受け取ったサオリは、小さく舌打ちを噛み殺すように呟いた。

 

「知ったことか。無限に増殖する『ユスティナ聖徒会』の前では等しく無意味」

 

 灰色の風が、彼女の長髪をなぶる。無尽蔵の兵力、それは戦場において最強にして最恐の概念。倒しても倒しても終わりがなく、やがて士気も希望も磨り減っていく。

 

 ――その絶望こそが狙い。

 

 サオリの眼光が冷たく輝いた。

 

「……むしろ好都合だ。アズサだけでなく、この場にいる全員に知らせてやれ。この世界の真実を……殺意と憎しみに満ちたこの世界で、あらゆる努力は無駄なのだと」

 

 理不尽と絶望に打ちひしがれ、膝を折る瞬間を見届ける。希望は潰え、夢は霧散する。

 

 そうサオリはまだ折れない……。

 

「足掻こうと何の意味もない、全ては無駄なのだという事を!!」

 

 その叫びは、願いではなかった。呪詛であり、断罪であり、滅びへの導き。

 

 ――だが、それは同時に。

 

 こちらもまた、折れることのない意志を試される瞬間でもあった。

 

「ヒフミ殿、彼らに言ってやれ。貴様の思いを、魂の叫びを」

 

 ヅラ子――いや、桂が一歩下がり、場を明け渡す。ここから先の舞台は、彼女に託す。それが主役に与えるべき敬意であり、役目である。

 

 ヒフミは、瓦礫を踏みしめ、ゆっくりと一歩を踏み出した。その柔らかな眼差しに宿るのは、かつて見せたことのない凛然とした光。怒りに似た情動が彼女の体温を上げ、瞳の奥で燃えていた。

 

「アズサちゃん、私は今すごく怒ってます。すっごくです」

 

 言葉は明確で、刃のように鋭い。

 

「ですが……それ以上に、無事でよかったです。すっごく怒ってましたが、よく考えてみれば、それはアズサちゃんのせいではありません。ですから、私はもう怒っていません」

 

 それは彼女なりの赦しだった。憎しみに支配されない意志、それを体現するように、ヒフミは視線を横へと向ける。

 

「ですが、あの方々についてはまだ怒っています」

 

 眼差しは、アリウススクワッドに突き刺さる。彼女の足は、瓦礫の山を登り、声はますます強く、空へと響き渡る。

 

「殺意ですとか、憎しみですとか……ましてや、それがこの世界の真実ですとか……それを強要して、全ては虚しいのだと言い続けてましたが……それでも、私は……!!!」

 

 その声は怒号ではない。だが、剣より鋭く、銃よりも速く、確かに人の心を撃ち抜いた。

 

 ――彼女は、奇跡の具現者だった。

 

 憎しみに屈せず、理不尽に負けず。

 誰かを恨まず、誰かに縋らず。

 ただ、信じている。人の心に宿る、希望という微かな光を。

 

「アズサちゃんが人殺しになるのは嫌です……。

 そんな暗くて憂鬱なお話、私は嫌なんです。

 

 それが真実だって、この世界の本質だって言われても、私は好きじゃないんです!

 

 私には、好きなものがあります!

 

 平凡で、大した個性もない私ですが……自分が好きなものについては、絶対に譲れません!」

 

 彼女の声が、曇天を裂くように響く。

 

「友情で苦難を乗り越え、努力がきちんと報われて、辛いことは慰めて、お友達と慰め合って……!

 苦しいことがあっても……誰もが最後は、笑顔になれるような!

 そんなハッピーエンドが私は好きなんです!!」

 

 握りしめた拳が震える。けれど、その震えは恐怖ではない。意志の揺らぎが産む、魂の波動だ。

 

「誰が何と言おうとも、何度だって言い続けてみせます!

 私たちが描くお話は、私たちが決めるんです!

 終わりになんてさせません、まだまだ続けていくんです!

 

 私たちの物語……

 私たちの、青春の物語《Blue Archive-》――を!!」

 

 その声が、戦場に響き渡った瞬間。長く続いていた暗雲の帳が音を立てて崩れ、空の一角に朝焼けが滲んだ。

 

 まるで、誰かがその言葉に応えたかのように――。

 

 止まない雨はない。永遠の曇りも存在しない。

 分厚い雲の向こうには、必ず青空が広がっている。

 

風が止んだ。

 さっきまで重たく垂れ込めていた鉛色の雲が、まるで何かに弾かれたかのようにゆっくりと引き裂かれていく。空に小さな穴が空いたように、光がこぼれ落ちてきた。

 

「あ、雨雲が……」

 

 誰かがぽつりと呟いた。場の誰もがその天変地異の兆しに、言葉を失う。

 

「気象の操作……? いや、神秘の行使は見当たらなかった……」

 

「奇跡……ですか? ──っ、奇跡なんて無い! 何これ……!」

 

 アリウス・スクワッドの隊員たちの顔に、明らかな動揺が走る。信仰と冷徹さに裏打ちされたその仮面の奥から、初めて“恐れ”という感情が零れ落ちた。彼女たちの目は、天へ――否、ただの空ではない。蒼穹に向けて立ち上る、一本の光柱に奪われていた。

 

 それは否応なく目を惹く、**本物の“奇跡”**だった。

 

 その中心に立つヒフミは、静かに一礼をして背後へと身を引く。そして、声を上げた。

 

「後は頼みます、ナギサ様!」

 

 その一言とともに前に進み出たのは、トリニティー総合学園、ゲヘナ学園の支柱たる存在――

 ゲヘナ学園・万魔殿議長、羽沼マコト。

 トリニティ総合学園・ティーパーティーホスト、桐藤ナギサ。

 そして、シャーレ代理――いや、坂田銀時の代理、そのまた代理、志村新八の代理の、神楽のそのまたの代理である、愛犬・定春。

 

「ワン!」

 

 定春の一声が、場に不釣り合いなほど明るく響いた。

 

「貴様らも無事だったと言うのか」

 

 アリウス・スクワッドの中心、サオリが低く唸るように言った。その眼差しは、未だ揺らぎを許さない氷のような冷静さを保っている――ように見えた。

 

「キヒヒ、トリニティーの方はともかく、このマコト様が簡単に倒れるわけがないだろう!」

 

「ティーパーティーのホストがあのような襲撃で機能停止するようではこの役職など意味を持ちませんよ。」

 

 マコトが下品に笑いながら羽織の裾を翻し、ナギサも負けじと言い返す。そして、懐から一枚の大きな文書を取り出す。きらびやかな封蝋が施されたそれは、今まさに新しい時代の幕開けを告げる証だ。

 

「ここに宣言する! ゲヘナ学園 万魔殿議長 羽沼マコト!」

 

 ナギサもすっと一歩前に出て、その声に続く。

 

「トリニティ総合学園 ティーパーティーホスト 桐藤ナギサ。」

 

 そして三番目。文書の前に座り込んだ白い犬が、堂々たる鳴き声を上げた。

 

「連邦生徒会 生徒会長の代理坂田銀時のそのまた代理の志村新八のそのまた代理の神楽のそのまたの代理の定春(さん)!」

 

「ワン!」

 

 笑う者も、呆れる者もいなかった。ただ、場にいたすべての者がその名乗りの“重さ”を、本能的に理解していたからだ。

 

 マコトとナギサが同時に高らかに宣言する。

 

「「以上二名と一匹の私たちが――新しい《エデン条約機構》だ(です)!!」」

 

「ワン!!」

 

 定春が勢いよく書類に肉球を押しつけた。ぽん、と音がした瞬間。

 

 ――世界が、変わった。

 

 空が割れるような閃光が走り、書類から放たれた蒼白い光はまるで天に向かって叫ぶように、雲を突き抜けて昇っていった。その光は、願いの具現であり、希望の矢でもあった。誰もがその圧倒的な力に息を呑み、ただ見上げることしかできなかった。

 

 サオリはその光景を呆然と見上げながら、背筋に冷たいものが這い上がるのを感じた。

 本来、エデン条約の調印は“連邦生徒会長”によってなされるべきもの。シャーレはその直属機関であり、その責任者たる“先生”が意識不明である以上、何人も代行などできるはずがない。

 

 ……なのに。

 

「戒律を……捻じ曲げたのか……ッ!?」

 

 サオリの声が、驚愕と怒気をない交ぜにして迸る。

 

 咄嗟に周囲を見渡す彼女の視線に映ったもの――それは、崩れ落ちていく“秩序”だった。

 

 ユスティナ聖徒会。

 彼女たちが誇る無限の守護者たちの輪郭が、淡い光に溶けていくように徐々に揺らぎ、そして消えていく。輪郭を失った存在たちは、まるで夢のように崩れ落ち、残滓だけを宙に漂わせながら、音もなく消滅していく。

 

 ミサキとヒヨリが、叫ぶ。

 

「リーダー、ユスティナの統制が狂い始めた……!」

 

「し、指揮系統に混乱が……エデン条約機構を助けるという戒律、しかし今はETOが二つあって、どちらを優先すべきかの記述がないから――」

 

「ッ……知った事かッ!!」

 

 サオリが怒声を上げる。

 叫びはあくまで彼女自身を奮い立たせるためのものだった。

 かつて誇った“無敵の兵力”が、今や光の中に溶け落ちていく。

 その現実が、彼女の精神を確実に蝕んでいた。

 

 ユスティナ聖徒会の消滅は、単なる戦力の損失ではない。

 それは、アリウスが支配していた“神の力”の否定に等しかった。

 

 だがサオリは、消えていく残滓を掻き払うように手を振り、光に包まれた“彼ら”の方へ一歩、また一歩と踏み出した。

 

「こんな、ハッピーエンドだと……!? ふざけるなッ、そんな言葉でッ……世界が変わると、本気で思っているのかッ!? それだけで、この憎しみが、不信の世界が――何を、夢の様な話を……ッ!!」

 

 その悲痛な咆哮は、もはや怒りですらなかった。

 信じていた秩序が壊れ、自らが縋っていた理想が崩壊しつつある現実。

 それに抗おうとする、最後の抵抗だった。

 

 しかし、その叫びを受けて、また新たな声が聞こえた――まるで空間そのものが裂けたかのように――声が響いた。

 

「ほう……夢とな?」

 

 声は優雅でありながら、深く、冷ややかに響く。

 

「妾からすれば其方たちのいう“戒律”を以て学園を制するということそのものが、戯言のように聞こえるがの?」

 

 その声はまるで、世界そのものが語りかけてくるようだった。

 

 ――混迷と絶望が去りつつある空の下、“希望”という名の抗戦が、ついに本当の始まりを告げたのだった。

 ──サオリの鋭い声が空気を裂く。

「今度は……誰だ!」

 

 声が反響する間もなく、穏やかでありながら不敵な響きを帯びた女の声が返ってくる。

 

「妾か?」

 

 周囲の視線が、一斉にその声の主へと向けられる。まるで霧が晴れるように現れたその人物は、誇り高く、どこか威厳をまとっていた。

 

「妾はーー」

 

 その場の空気すら制するような一拍の間を置いて、彼女は胸を張り名乗る。

 

「玄龍門門主 龍華キサキ。」

 

 続けて、隣の人物もゆるやかに頭を下げ、にこやかに言葉を紡ぐ。

 

「私は玄武商会から朱城ルミ。」

 

 二人は声をそろえて堂々と宣言する。

 

「山海經一同、友人の危機に助太刀に参じた。」

 

 場が凍りつく。

 

 トリニティの代表たるナギサが、目を見開き、口元を覆うようにして呟いた。

 

「玄龍門に……玄武商会? どうして……? 私たちの学園とは何の関係もないはず。それに、あなたたちは長らく犬猿の仲であると聞いていましたが……」

 

 キサキは小さく笑みを浮かべ、まるで些細なことを打ち明けるように軽く言った。

 

「何、お主たちもお世話になった万事屋……ここでは“シャーレ”というのかの。あやつらに妾たちも助けられてな。」

 

 ルミが微笑を添えて肩をすくめる。

 

「だから“助け返す”ってだけの話。ここまで来たわけだよ。」

 

 サオリの声が、思わず荒ぶる。

 

「ッ馬鹿な……なぜだ!? 犬猿の仲だった者同士が、どうして手を取り合ってまでたった1人の先生を救おうとする!?」

 

 問いはもはや叫びだった。世界の理を否定されるような感覚。価値観が、音を立てて崩れていく。

 

 キサキは肩を揺らし、目を細めて呟くように言う。

 

「犬猿の仲である者同士が手を取り合うことが、そんなに珍しいことかへ?」

 

 ルミが笑う。

 

「助けられたら、その人が困ってるときに助ける。……普通のことでしょ?」

 

 キサキがふと視線を横に流し、周囲をぐるりと見渡す。

 

「ここにいる皆も、主たちの“絶望しかない物語”よりも、あやつら──万事屋が紡ぐ“ハッピーエンドな物語”の方が、よほど好まれるようじゃぞ?」

 

「ッ……!」

 

 サオリの顔が強張り、唇を噛む。

 

 そのどこまでもまっすぐな理想が。

 この絶望と混沌に支配された世界には不似合いなほど美しい信念が。

 サオリの中に渦巻く何かを、無遠慮に揺さぶってくる。

 

 ――夢で人は救えない。

 ――理想で飢えは満たせない。

 ――それでも尚、希望を信じると言うのなら。

 

「貴様が……貴様らが! そのような……!」

 

 食い縛った歯が軋む音が、無音の中で鈍く響く。

 湧き上がるのは怒りか、憎しみか――それとも、その先にあるもっと形容しがたい、醜くも美しい……心のうねり。

 

「そんな甘言を……鵜呑みにするから……ッ!」

 

 キサキが歩み寄り、穏やかに、それでも凛とした声で言い返す。

 

「ああ、甘言じゃよ。」

 

「っ……!」

 

 サオリの視線が鋭くなる。だがキサキの目には、それ以上の何かが宿っていた。怒りではない。

 それは、サオリの背後にいる“彼女たちをこうした”存在――世界に、体制に、押しつけられた歪みに対する憤りだった。

 

「誰も傷つかず、皆が笑い、憂いなく幸福に生きられる世界……その何と遠く、実現の何と困難なことか。玄龍門を束ねる立場にある妾は、その重さを日々、骨身にしみて感じておる。」

 

 けれど、とキサキは一歩前に出た。

 

「じゃがな。」

 

 そこへルミが続く。言葉には確かな熱があった。

 

「新八君も、神楽ちゃんも、……誰も諦めたりなんかしなかった。」

 

「だからこそ見える景色がある。私たちはその景色を見るために、今ここに立ってるの。」

 

 そこに、ふらりと覆面水着団が割り込んできた。

 

「うへ〜そうだね〜、諦めてたらここにいないしね〜。」

 

「まぁね! 諦めたらなんか負けた気がしてさ、嫌なのよ!」

 

「ん、銀ちゃんから学んだ一番大事なこと。」

 

 それぞれが言葉少なに、けれど揺るぎない芯を持って応じる。

 

 マコトもまた、静かに前を見据えて語る。

 

「私はな、あの男の、何事にも物怖じせぬ姿勢に……感銘を受けたのだ。」

 

 ナギサもそっと目を伏せる。

 

「彼は最後まで、補習授業部を救おうとしていました。そのおかげで、私はトリニティの生徒たちを失わずに済みました。」

 

 補習授業部の面々も、思い思いに言葉を紡いでゆく。

 

「バカでも、諦めなかったから……テストに合格できた。」

 コハルが恥ずかしそうに、けれど誇らしく言った。

 

「私は、彼のおかげで学園生活を“楽しんでいる”と気づけた。彼がいなければ……今頃、私はどこかに旅に出ていたかもしれません。」

 ハナコの言葉は柔らかく、それでいてどこか寂しげだった。

 

「私は……信じてる。諦めない、その先に“明るい未来”があるって。」

 アズサの声は小さいが、強く響いた。

 

 そして最後に、静かに、優しく、けれど確かに言い切る。

 

「……サオリ、これが私の意見だ。」

 

 キサキが微笑み、肩をすくめる。

 

「まぁ、これが“世の中すべて絶望”と切り捨てて来た主たちと、“万事の者と繋がってきた者たち”の違いというやつじゃな。」

 

 サオリは、震えていた。

 心か、体か、思考か、それともそのすべてか。

 圧し潰されるような感情に苛まれながら、彼女は――

 

「……リーダー……」

「サオリさん……」

 沈黙は、重く、痛かった。

 ユスティナ聖徒会の影は既に掻き消え、無数の銃口がその場を取り囲んでいた。だが敵より恐ろしかったのは、仲間から零れる諦めの声だった。

 

「もう……ユスティナ聖徒会はまともに動作していない。私たちが結んだ戒律も、急速に意味を失っている」

 

「……手札がない。これが、私たちの……敗北だ」

 

 その言葉に、静寂が落ちた。

 終わりを告げる鐘のように、静かで冷たい敗北宣言。だが、誰よりもそれを受け入れられない者が、そこにいた。

 

 拳が、震えていた。

 強く、血が滲むほどに握りしめられたその拳から、怒りとも痛みともつかない熱が滲む。俯いたまま、一歩。サオリは、石畳を踏み砕くように前に出た。

 

「……――ふッ、ざけるなぁアアアッ!!!」

 

 獣の咆哮のようだった。

 その怒声に、ミサキとヒヨリが僅かに身を退く。彼女たちが知る理知的で冷徹なリーダー像が、今まさに崩れ落ちようとしていた。

 

「何が夢だ……何が理想だッ……何が未来だとッ!? そんなもので腹が膨れるか!! 甘い! 甘過ぎるんだよ……ッ!!」

 

 呻くように、嗚咽を噛み殺すように、サオリは叫び続けた。

 頬が紅潮し、目は憎しみに染まりながら、同時にその奥底では何かが泣いていた。

 

「ハッピーエンド……だと? 幸福……だと? ふざけるな……!!」

 

 言葉が、止まらない。止められない。

 心の底に押し込めていた感情が、堰を切ったように溢れ出す。

 

「何故だ……ッ! なぜ私たちは……こんなにも苦しまなければならなかった!? 地下に押し込まれ、光も知らずに、寒さに凍え、飢えに蝕まれ……ただ、他人の罪を背負わされてッ……!」

 

 語られるのは、血と泥にまみれた記憶。

 誰にも理解されることのなかった過去。

 生まれながらにして背負わされた罰。

 

「そんなものが、いずれ来きたる笑顔の代償だとでもいうのかッ!? 私たちの苦しみが、誰かの幸せの礎だとでもいうのかッ!?」

 

 その叫びは、訴えであり、呪詛でもあった。

 俯いたサオリの肩が震え、震える手が銃口を握り締める。

 

「いいや……いいやッ、そんなもの……認められるわけがないッ!」

 

 空を見上げたその顔に、陽が差す。

 だがそれは、彼女には届かない光だった。

 陽の光を背に立つアズサ。彼女の影が、サオリの身体をすっぽりと覆っていた。

 

「それは……お前たち、“陽”の側の人間にのみ許された特権だろうッ!」

 

 泣き叫ぶように、サオリはアズサを睨む。

 その瞳は、怒りと嫉妬と羨望と――そして、深い悲しみに濁っていた。

 

「どうしてだ……ッ! アズサ、どうして……お前だけが……!」

 

 足元がふらつく。魂を削るように、搾り出される言葉。

 今にも崩れそうなサオリは、震える手をアズサに向ける。掴みかけたその手は、空を裂くように空しく伸びる。

 

「私たちは一緒に苦しんだじゃないかッ! 絶望したじゃないかッ! それなのに……ッ!」

 

 アズサが目を見開いた。

 唇が震える。だが、言葉が出ない。

 サオリの咆哮が、空を震わせる。

 

「お前だけがッ! 何故お前だけが意味を持つんだッ!? 希望を、未来を、手にするんだッ!!」

 

 銃口が、震えていた。

 怒りが、嫉妬が、悲しみが、憎しみが、すべてを狂わせる。

 そして、その頬を一筋の涙が流れ落ちる。

 

「全て……全てを否定してやる! お前がトリニティで得たものも、掴んだ信念も、気づいた何もかもッ! そんなもの、全部虚しいんだよッ!」

 

 泣いていた。サオリは、泣いていた。

 誰にも見せたことのないその涙は、強さの仮面を剥ぎ取った。

 それは、彼女が人間である証。

 弱さを持ち、傷つき、苦しみ、それでも――何かを求めた証。

 

「……だって……全ては虚しい筈なのだから……ッ!」

 

 その言葉に、誰もが息を飲んだ。

 陽の光が、なおもアズサの背を照らす。

 それは、対比だった。象徴だった。

 日陰に生きる者と、日向に立つ者――その決定的な違い。

 

【Vanitas vanitatum, omnia vanitas.】

 虚しきかな、虚しきかな。すべては虚しきもの――

 

 それは、サオリの生き様に刻まれた呪いだった。

 

「ヒヨリ、ミサキ。……諦めるのは、まだ早い」

 

その言葉に、沈黙していたふたりがはっと顔を上げた。

 

「リーダー……?」

 

敵意に満ちた視線を向けた先、なおも迫りくる敵の影。囲まれたこの状況で、なお戦う術があるというのか――そんな疑念を払うように、サオリは静かに言葉を紡ぐ。

 

「……古聖堂の地下には、“アレ”が残されている」

 

その声は低く、しかし確信に満ちていた。

サオリの脳裏を過ったのは、戦いが始まる前、木人形が映し出した禁忌の映像。ユスティナ聖徒会の複製はもはや使い果たされた。しかし、唯一残された切り札――アリウスの“最終手段”が、まだ地下に眠っている。

 

「最後の召喚を通せ……! 古聖堂地下へ撤退する」

 

「……了解」

 

ミサキが短く頷き、虚空に指を走らせる。描かれた術式が空間に展開されると、再びユスティナ聖徒会の兵が姿を現した。だが、その姿は以前と異なり、輪郭は曖昧で、まるでノイズがかかったかのようにぼやけていた。

 

戦力の低下は歴然。けれど、その数は圧倒的だった。

 

「ま、まだこれだけの余力が……!?」

ヒフミの驚愕の声が上がる。

 

「だが、これ以上の力はないはずだ。これさえ凌げば……!」

 

アズサが弾倉を切り替え、前へと踏み出そうとしたその時。

 

「待ってください!」

 

彼女の背後から鋭い声が飛ぶ。――ハナコだった。

 

「まだ、何かがある……サオリは“地下”を口にした。あの言い方、奥の手が残っているとしか思えません!」

 

その言葉にアズサは息を呑んだ。スクワッドの三人がユスティナ聖徒会の影に紛れて、すでに古聖堂の奥へと姿を消していく。――追わなければ。

 

「逃してはならん」

 

前方から放たれたのは、キサキの鋭い命令だった。

 

「玄龍門の者、私に続け!」

 

「レイジョ、私たちも行くよ!」

 

「はいっ!」

 

「おじさんたちも行くよ〜」

 

「ん!」

 

「もちろんだ!」

 

「逃がしません⭐︎」

 

「追跡を開始します」

 

幾多の生徒たちが、追撃のため駆け出す。が、その時――

 

ズン……

 

地を揺らすような重圧と共に、何かが現れた。

 

「な、なにコレ……!」

 

コハルが思わず後ずさる。現れたのは、異形の存在。

長く鋭利な爪、青白く漂うオーラ。そして、その背に浮かぶ光輪は禍々しいまでの輝きを放ち、周囲の空気すら歪ませていた。

 

「コイツは――アンブロジウス」

 

サオリの声には、明確な緊張が滲んでいた。

 

「ユスティナ聖徒会の最終兵器の一つだ。……他の者とは違う。桁違いの力を持ち、なおかつ聖徒会を統率する権限すらも有している」

 

「だから、貴様らの“エデン条約機構”はこの存在の前では無力だ」

 

「甘い夢に溺れて消えろ……!」

 

「くっ……!」

 

アズサが踏み込もうとしたその時、背後から声が飛ぶ。

 

「行け、アズサ殿!」

 

「!」

 

「ここは私たちに任せてください!」

 

ヒフミの瞳が強い意志を宿している。

 

「だけど!」

 

「大丈夫〜、おじさんたちがヒフミちゃんを守るからさ〜!」

 

「……!」

 

定春が「ワン!」と一声、力強く鳴いた。

その目は、言葉以上に全てを物語っていた。

 

「……分かった」

 

そう言い残し、アズサは振り返らず古聖堂地下へと駆ける。

 

――コツ、コツ。

響く足音。地下通路に鳴り響く靴音は、二人分。後ろを振り向くと、そこには――

 

「……お前たち」

 

「やぁ、また会ったね」

新八が柔らかく微笑む。

 

「またひとりで戦うなんて、水臭いネ!」

 

「……二人とも」

 

その姿に、アズサの顔に自然と笑みが浮かぶ。

 

ドンッ!

 

突然、銃声。足元に銃弾が着弾し、火花が散る。

反射的に三人と一匹は身構えた。

 

「……まさか、ここまで手を回していたとはな」

 

薄暗い通路の奥、サオリが静かに姿を現す。

 

「こ、ここまで大変だったはず……傷だってあるはずなのに、なぜあの人はあんな風に……!」

 

ヒヨリの声は震えていた。

 

「ほんと、意味が分からない……」

 

ミサキも同様だった。

 

サオリの目に、理解不能な光が宿る。

 

「先生は生きていた。重傷を負っていた。なのに……どうしてだ。なぜ……あの男の目には、光が宿っている? どうして諦めない? お前たちは一体、何なんだ!!」

 

その叫びに、三人は揃って――ニヤリと笑った。

 

そして。

 

「――宇宙一バカな先生だ、このヤロー!!」

その声が、地下の奥に響き渡った。

 

同時に、銀時は静かに歩みを進めていた。

肩に木刀を担ぎながら、忌まわしき名を冠する兵器――《ヒエロニムス》を操るマエストロの元へと。

 

その顔には、悪戯のような笑み。手をひらひらと振った。




次回

銀時「テメェの作った木彫りのガラクタなんざこの棒切れで十分だ。」

沖田「はいいーちはいにーはいさん!」



アンブロジウス『ここで見せやろう貴様らは何も守ることができないと言うことをーー!』

ヘドロ「少し本気を出したゲンコツ一発ぐらいならなんとかなりそうですね」

アカネ「ヘドロさん一家怖いです。やっぱりあなたたちが一番怖いですよ!!」

アリス「光よ!!」

次回 ソシャゲはインフレから逃れられない

〜透魂〜第一回キャラクター人気投票

  • 銀時
  • 新八
  • 神楽
  • 沖田
  • 土方
  • 山崎
  • 高杉
  • 定春
  • エリザベス
  • ホシノ
  • シロコ
  • ヒナ
  • アコ
  • ミカ
  • ナギサ
  • セイア
  • ユウカ
  • ノア
  • 近藤
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