透き通る世界を照らす銀魂(ぎんのたましい)   作:時代に遅れている

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            曇天

鉛の空 重く垂れ込み
真白に澱んだ太陽が砕けて
耳鳴りを尖らせる

ひゅるりひゅるり 低いツバメが
8の字なぞってビルの谷を翔る
もうじきに夕立が来る

曇天の道を傘を忘れて
歩く彼女は雨に怯えてる
ので僕も弱虫ぶら下げて空を仰ぐ

あちらこちらあんよは上手
珈琲屋に寄って一休み極めたら
帰れない帰らない

曇天の道をぶらりぶらぶら
歩く二人は足軽のごとく
危険好きの誰かのふりをする小心物共
曇天の道を傘を忘れて

歩く彼女は雨に怯えてる
ので僕も弱虫ぶら下げて空を仰ぐ


百十六訓  尊厳のために立つのは人、プライドで立つのは自己中、意地で立つのが男

転移の感覚が収まった瞬間、ヒヨリの絶叫が聖堂に反響した。

「うわァァァァァァん!!! もうおしまいですゥゥゥ!!」

 顔面蒼白になり、涙目で地面をばたばた叩きながら喚く。

「マダムに囚われて痛めつけられるんですよね!? 少しずつ痛みを与えられて……苦しみながら◯んでいかなきゃいけないんですよね!? 」

「ヒヨリ、落ち着いて」

 ミサキがすっと肩を掴み、冷静な声で制した。

「マダムに転移させられたのは確かだけど……ここにマダムはいない」

「へ?」と、涙で濡れた顔を上げるヒヨリ。

 サオリが周囲を見渡しながら答えた。

「ここは……おそらく旧校舎だ。願わずとも、マダムに転移させられた、ということだろう」

「じ、じゃあ……、先生たちと別れたってことですか?」

 ヒヨリの声がかすれる。

「そうなるね」ミサキは眉をひそめた。

「このまま突き進めば、マダムの思う壺だと思う」

「ミサキの言う通りだ」サオリは短く頷いた。

「マダムのことだ。何か意図があって私たちをここに送ったに違いない。それに――先生たちとも別れてしまった。単独行動は危険だ。ここは一度、連絡を待って……」

 ――その時。

 旧校舎の暗がりの奥から、低くしわがれた声が響いた。

「天変にあいて、天照を恨む者があろうが……いかなる凶事に見舞われようと、それは天が成すこと、天が定めし宿命。ただ黙して受け入れるしかないのだ。天の声を。我らが刃を――」

「誰だ!」

 サオリが咄嗟に愛銃を構える。

 闇を切り裂くように、姿を現したのは朧だった。

 やせ細った影のような身体、血走った双眸に宿るのは怨念か、それとも宿命への諦観か。

「……死に損ないが、まさかその身体で再びこの舞台に舞い戻ろうとは」

 低く笑う声は、血に濡れた鈴のように不気味に響く。

「まだ争うか。まだ吠えるか。……あの男、あの鬼に魅入られ、ここまで来たのか」

「朧……」サオリの声が硬くなる。

 ミサキは鋭い目を向けた。

「なるほど……マダムは彼に、私たちを処分させようとしたわけか」

「ひぇェェェェ! け、結局ここで終わっちゃうんですねぇぇ!!」

 ヒヨリは地面にへたり込んで泣き叫ぶ。

 その瞬間、背後から怒号が飛んだ。

「いたぞ! スクワッドだ!!」

「やれェェェ!!」

 アリウスの生徒たちが片手を掲げ、武器を手に突進してくる。

 サオリたちは反射的に銃を構えた――が、先に動いたのは朧だった。

 彼の指先から放たれたのは無数の細い針。鋭い風切り音を残し、疾風のように走り抜け――次の瞬間、突進してきた生徒たちの身体に吸い込まれる。

 経穴を正確に穿たれた彼らは、苦鳴を上げる間もなく崩れ落ち、石床に屍のように横たわった。

「な……ぜ……?」

 アリウス生徒の1人が言葉を失う。

 朧は血の気を失った顔で、だがどこか遠くを見るように呟いた。

「ただ、天に言われるがまま従うのも……また愚かなことよ」

 銃口を下ろしきれずにいるサオリが問う。

「お前……一体どういうつもりだ」

 朧はわずかに目を細め、口元に影を落とした。

「ついてこい。……姫に。お前たちの仲間を救いたいのならば」

 沈黙が落ちる。

 旧校舎の暗闇が、いっそう深くなるように感じられた。

 

ーーーーーーーー

 

銀時とミカは、アリウスの聖堂の門を力任せにこじ開け、回廊を駆け抜けていた。

 押し寄せるアリウスの生徒たちが悲鳴をあげて散り散りに逃げていく。

「アハハ、邪魔邪魔〜⭐︎!」

 ミカが軽やかに跳ね、銃を向ける敵が吹き飛ぶ。

「どけぇ! ゴラァァァ!!」

 銀時は木刀を薙ぎ払い、壁を砕く勢いで道を切り拓いた。

『――急げ。奴らの元へ、早く!』

 自身の声が、奥で響く

 だがその刹那。

『さて、では――幕を降ろしましょうか、先生?』

 別の場所で虚空に浮かぶベアトリーチェの冷たい声が、回廊に凍り付くように広がる。

 彼女の指先が空をなぞった瞬間、蒼い渦が巻き起こり、冷風が頬を切り裂いた。

 回廊に伸びる長大な影――。

 やがてその中心から、黒衣の聖女が姿を現した。

 通常の生徒の倍近い背丈。巨大な銃器を軽々と担ぎ、顔を覆うベールが不気味に揺れる。

『……聖女、バルバラ』

 そして、さらに。

 渦巻く蒼白の螺旋からもう一人の影が形を成す。

 同じく屈強な体躯に、異なる装束と武器を携えた亡霊の聖女。

 そのガスマスクの奥から突き刺す視線に、銀時の背筋を走るのは冷たい刃物の感触だった。

 瞬間、轟音。

 バルバラの銃口から吐き出された弾丸がミカを吹き飛ばす。

「っ――!?」

 壁を砕いて転がるミカ。

「ミカァァァァァ!!」

 銀時の咆哮が聖堂に轟いた。

 そしてさらに、駄目押しのように――。

 聖女たちの背後から、無数のユスティナ聖徒会の生徒たちが霧のように湧き上がった。

 回廊を埋め尽くす群れ。押し寄せる殺意。

 その全てが、確実に「ここで仕留める」という意思を示していた。

 紅い瞳を爛々と輝かせ、ベアトリーチェが笑う。

『さぁ先生。私たちの因縁、此処で断ちましょう――』

 銀時は木刀を握り直し、舌打ちした。

「チッ……クモみてぇに、うじゃうじゃと現れやがって……」

「アイツ、俺たちをここで潰す気みてぇだな……」

 立ち上がる影。

 粉塵を払って、ミカが拳を鳴らす。

「もう、痛いな〜……」

 次の瞬間、爆音。

 吹き飛ばされた壁の穴から、彼女は逆に飛び出し、バルバラの顔面へ拳を叩き込んだ。

 聖女の巨体が僅かに揺らぐ。

「聖女ともあろう生徒が、不意打ちなんてあんまりじゃない?」

 ミカの瞳が紅に燃える。

「私、頭にきちゃった⭐︎」

 振り返り、銀時へと声を放つ。

「先生、ここは私に任せて行って」

「相手が魔女を滅ぼす聖女なら――私は聖女を倒す魔女。これ以上アツい展開、ないでしょ?」

 だが、銀時は首を横に振った。

「寄越せ」

「……へ?」

「お前の火種をだ。お前をここまで動かす火種を、俺に寄越せって言ってんだよ」

 銀時の声は低く、だが揺るぎなかった。

「この厚い雲から陽を灯すのに、火種はいくつあっても足りねぇんだ」

「えぇ……それは困っちゃうなぁ。ねぇ、拒否とかって――」

「ダメだ。さっさと寄越せ」

 ミカは一瞬むくれた顔をしたが、すぐに小さく笑って、懐から一枚の板を取り出した。

 銀時へ放り投げられたそれは――ティーパーティーの集合写真。

 ナギサ、ミカ、そしてセイア。

 三人が笑顔で写ったその一枚。

 豪奢な装飾で縁取られ、傷一つつかぬよう守られているそれは、ミカをここまで突き動かした「火種」に他ならなかった。

 銀時はそれを片手で受け止め、低く言い放つ。

「そんなに取り戻したきゃ……戻ってこい」

「必ず、笑顔で帰ってこい」

「さっさと戻ってこねぇと……メ◯カリにでもどこにでも売り飛ばすからな」

 ミカは一瞬、呆気に取られた顔をした後、ふっと頬を赤らめる。

「……もう、素直じゃないなぁ」

 愛銃を構え直し、前に出る。

 

「ここから先は進ませないよ。」

 

「ここからはーー私が守るから」

 

 聖女と魔女。

 火種を託し、託された二人の物語が、今、大聖堂で激突しようとしていた。

ーーーーーーーーー

「…………」

 その場に沈黙が落ちる。足音だけが乾いた石畳に響く中、ミサキが堪えきれぬように口を開いた。

「ねぇ、今どこに向かってるの?」

 朧は一瞬、前を歩む足を止めずに低く応じる。

「――アリウス分校旧校舎。その地下回廊だ」

 意外すぎる答えに、ヒヨリは目を丸くした。

「えっ……ここ旧校舎って、もう長いこと放置されてる廃墟なんですよ!? そんなところに、一体何が――」

 慌てて口にした疑問を、ミサキがすっと伸ばした手で制した。

 その鋭い仕草に、ヒヨリは思わず言葉を飲み込み、ミサキは代わりにサオリを見やる。

「リーダー。……ここに、何かあるの?」

「あぁ」サオリは短く頷き、眼差しを前方に据えたまま続けた。

「これは姫から聞いた話だが――かつて聖徒会がアリウス分校を建てる際、バシリカと分校を繋ぐ“地下回廊”を作ったらしい」

「地下回廊……? 聖徒会が?」

 ミサキの顔に険が走る。耳慣れぬその言葉は、どうしても真実味を帯びて聞こえてしまう。

 眉間に指先をあて、彼女は沈思した。もしそれが事実なら、自分たちがこれまで知らされてこなかった事実が、まだまだ存在するということだ。

 朧は淡々と続ける。

「既にお前たちが自治区に潜入していることは、彼女も知っている。大通りは封鎖され、大聖堂には防衛隊が張り付いているだろう」

 その声色は、過去を語るように低く、湿っていた。

「遥か昔――ユスティナ聖徒会はトリニティ連合に反対したアリウスを糾弾しながらも、同時に脱出を支援し、自治区からのエクソダスを導いた。再建を主導したのも彼女らだ。……どのような経緯で回廊が築かれたのかは見当もつかないが、恐らく大半の生徒はその存在を知らぬ。血族の者にのみ伝えられた、いわば“影の道”だ」

 息を呑む気配が背後に重なった。

 緊急避難のためか、それとも別の企てのためかはわからない。だが少なくとも――今はそれが唯一の活路であると、朧は断じているようだった。

「回廊は古い。あの女がこの地を支配するより前から存在している。……故に、見落とされている可能性が高い」

 ヒヨリがぎこちなく頷いた。

「な、なるほど……ですね……」

「もし封鎖されていなければ――」ミサキが呟き、鋭く眼を光らせる。

「正面からぶつかるより、遥かに消耗を抑えてバシリカに侵入できる。……そういうことね?」

「そうだ」朧は短く答える。「多少の遠回りにはなるがな。だが愚直に正面突破するよりは、余程ましだ」

 サオリは黙して歩き続けていたが、やがて小さく息を吐いた。

「……朧。なぜ、お前は私たちを助ける?」

 その声音は低く、しかし鋭利な刃のように相手の胸を刺す。

「お前は私たちの味方でも、マダムの味方でもない。……なら、なぜ」

 短い沈黙。

 石畳に響く足音が、不気味なほど大きく響いた。

 朧は振り返らない。表情を見せぬまま、ただ吐き捨てるように答えた。

「…………質問に対する返答は以上だ」

 その声は、冷えた鉄のように硬く、感情の色を一切帯びていなかった。

「これ以上、無駄口を叩く暇はない。――先を急ぐぞ」

 彼の背に続くサオリたちの胸中に、拭いきれぬ疑念が渦巻く。だが今はそれを問う時間すら与えられぬように、地下へと続く暗き道が、彼らを待ち受けていた。

重い鉄扉を押し開けた先――湿った空気と、ひやりとした風が彼らを迎えた。

 苔むした壁に、かつての装飾の名残だけが薄ぼんやりと浮かび、遠くへと続く一本道の回廊は、闇と冷気に呑まれている。

 朧は一瞥だけをその奥へと向け、低く呟いた。

「ここが地下回廊だ。この先にバシリカがある。一本道ゆえ迷うことはない」

 その声音は、導く者のものというより、ただ“事実”を置き去りにするだけの冷たさだった。

「あ、ありがとうございました……」

 思わず頭を下げるヒヨリ。しかし返ってきたのは冷ややかな叱責だった。

「礼はいい。――さっさと行け。間に合わなくなるぞ」

 ミサキの目が鋭く細まる。

「……間に合わなくなる、ってどういう意味?」

 わずかな沈黙。

 その後に吐き出された朧の言葉は、回廊の闇をさらに濃くするように重かった。

「あの女は――すでに儀式を始めている」

「っ!?」

 空気が凍り付く。

 ヒヨリが悲鳴のように声を上げた。

「そんな……まだ時間はあるはずです!陽は登り切ってないのに……!」

 しかし朧は一切の情を排して言い放つ。

「その認識は、あの女の前では無意味だ」

 彼の声は低く響き、石造りの壁に反射して耳を抉る。

『儀式は、その気になればいつでも開始できた。――陽の出を待つ理由など、もはや彼女にはない。急がねばロイヤルブラッドのヘイローは砕け散り、その神秘の欠片を通じて、女はより高位の存在へと昇華するだろう』

 その瞬間、サオリの胸を冷たい刃が突き立てる。

 血の気が引くのを自覚しながらも、身体は逆に突き動かされたように前へ出ていた。

「ッ!」

 覚束ない足取り。だが焦燥が彼女を突き動かす。

「リーダー!」ミサキが追い縋る。

「サオリ姉さん!」ヒヨリも震える声で叫ぶ。

 だがサオリは振り返らない。

 その瞳にはただ一人、囚われの少女の面影が焼き付いていた。

「……アツコォォォ!!!」

 喉を裂くような絶叫が、地下回廊に木霊した。

 それは祈りにも似た叫びであり、誓いにも似た咆哮だった。

地下回廊に木霊する足音が、まるで戦鼓のように響き渡る。

 湿った石床を打つ靴底の音が、荒い呼吸と入り混じって反響し、月光に似た淡い光を反射して伸びる影が、壁を次々と駆け抜けていった。

 先頭を行くサオリ。その背に続くヒヨリとミサキは、手にした銃を離さず、視線を左右に巡らせている。暗がりの奥で、敵が潜む気配を決して見逃さぬように。

 バシリカから新たな兵が投入される可能性は高い。儀式が始まった今、時間は刹那ごとに彼女たちの喉を締め上げていた。

 ――走れ。迷うな。止まれば終わる。

 胸の奥で鳴り響く声に追い立てられるように、サオリは息を荒げながらも足を止めない。

「はぁ……っ、ハッ……!」

 喉の奥が焼けつくように痛み、心臓が破れそうなほど暴れる。だが倒れるわけにはいかない。

 これからが本当の戦いなのだ。ここまで足掻いて来た全ては、その時のため。

 ――まだ、私は倒れることを許されない。

 彼女の心に浮かぶのは、過去。

 血に塗れた道。

 背を向けてきた数多の人影。

 ミサキ、ヒヨリ、アツコ、アズサ……その全てを巻き込んでしまった自分の罪。

『私は……ずっと間違っていた。その過程で多くを傷付け、取り返しのつかない罪を犯して来た。』

 走る足音に合わせて、心の奥底から声が漏れる。

 暗闇の中でさえ、彼女の胸の奥の告白は焼け付くように痛烈だった。

『それでも――そんな私のために、力を貸してくれる生徒が居た。分かるか、マダム!私は、あの瞬間確かに託されたんだ。もう誰も手を差し伸べてはくれないと思っていたのに――!』

 壁に映る自分の影が揺らぐ。震えそうになる足を、彼女は必死に踏み締めた。

『もうこれはスクワッドだけの戦いじゃない。私は、義務が……いいや、責任がある!』

 声にならない叫びが胸を裂く。

 誰かの優しさ、想い、気高さ。それに応える責任が。

 例えそれが他者に依存した奇跡に過ぎなくても、彼女の中にある誓いは消えることはなかった。

 ――報いたい。

 背を向けてなお、自分に手を差し伸べてくれたあの光に。

 血の滲んだ指先を、サオリは強く握り締めた。

『だから私は、絶対に……アツコを、助けなくちゃいけない!』

 瞬間。

 彼女は地を蹴った。

 石床に叩きつけられた靴音が炸裂し、体が弾丸のように前へと飛び出す。

 ぐん、と加速したサオリの背を追って、闇に沈んだ回廊が一斉に揺れ動いた。

 

ーーーーーー

 

 「つ、着きました……!」

 「バシリカの、至聖所――!」

 地下回廊をひた走ること、幾度かの呼吸を削り尽くしたのち。

 ヒヨリが荒い息を吐きながら指差した先に、それは姿を現した。

 夜空に抱かれるように聳え立つ大聖堂。

 かつて信仰と祈りを受け止めたはずのその空間は、今や廃墟と化し、崩れ落ちた石柱と砕け散った瓦礫がホール一面に散乱していた。天を仰ぐステンドグラスは無惨に罅割れ、破片の数々が月光を受けて宝石のように煌めきながら床に散りばめられている。

 差し込む月光と星々の光が、残されたガラス片を透かし、地面に幻想的な模様を投げかけていた。その光と影の織り成す舞台の上に、スクワッドは立っていた。

 入口で足を止めた彼女たちの胸は烈しく上下し、肩越しに零れる吐息は冷え切った空気に白く滲む。

 ミサキとヒヨリは即座に銃口を揺らし、崩れた柱の陰、砕けた祭壇の裏、廃墟の影に潜むものを探る。

 サオリもまた、深く肩で息をしながら愛銃の弾倉を確かめた。

 残弾はわずか――だが、その眼差しは迷いなく前を向いている。

「リーダー、身体は?」

 気配を探るように問いかけたミサキの声に、サオリは短く返す。

「大丈夫だ。問題ない」

 その言葉に宿る硬さを感じ取り、ミサキはそれ以上を口にしなかった。幾ら心配を重ねても、この女は歯牙にも掛けない――それが彼女の確信だった。

「……だ、誰の姿も、見えませんが」

「もしかして、謀られた――?」

 ヒヨリの声に不安の色が混じる。ミサキもまた眉を顰めた。

 しかしサオリは、迷いなく首を横に振った。

「いいや、違う」

 その双眸はバシリカの最奥――長く伸びる祭壇へと吸い寄せられていた。

 そこに居る、と確信して。

 そして。

「――果たして、辿り着きましたか」

 乾いた声が空気を裂いた。

 まるで虚空そのものが溶け出すように、黒々しい気配が祭壇の上に滲み出し、形を成してゆく。

 月光に染められた聖堂に似つかわしくない、圧迫感と冷気。

 空間を押し潰すような存在感を伴いながら、その女は現れた。

 白磁のように純白のドレス。

 闇に溶ける黒髪がふわりと揺れ、片手の扇子を大きく振り抜けば、乾いた音が廃墟に轟いた。

 そして紅の眼光が、氷刃のごとき鋭さでスクワッドを貫く。

 

「マダム……いや、ベアトリーチェ!」

 

サオリがその名を告げた瞬間、空気は凍りついた。

 ベアトリーチェは前列に立つヒヨリとミサキ、そしてサオリを順に眺め、どこか感心したように口を開く。

「万全に万全を重ね、先生とあなたたちを引き離し、ロイヤルブラッドを人質とし、その脆弱な精神に幾重もの傷を刻んだというのに――まさか、手ずからバシリカにまで辿り着くとは」

 その声音には、彼女らしからぬ感嘆の色が混じっていた。

 それは憎しみと賞賛、二つの相反する感情が拮抗する、複雑な響きだった。

「いえ……恐らく、心のどこかで確信していたのでしょうね。あなたたちがここまで来るであろうことを。――何せ、あの先生の力を借りていたのですから」

 ミサキは瞳を鋭くし、銃口を向ける。

「此処までだよ、マダム。あなたの暗躍も、今日で終わりだ」

 しかしベアトリーチェは揺るがない。

 扇子を口元に添え、仄暗い笑みを覆い隠す。

「……いいえ。まだです」

 その言葉が落ちた刹那、ステンドグラスの前に陽炎のような歪みが走った。

 次の瞬間、光と影の揺らめきの中に、奇妙なオブジェクトが姿を結ぶ。星にも花にも見えるその形は、高く、禍々しく、聖堂の空間を支配した。

 そして――そこに、磔にされた影。

「姫――ッ!」

「姫ちゃん……!」

 ヒヨリとミサキの叫びが重なる。

 オブジェクトに絡め取られるように、アツコが宙に晒されていた。

 インナー姿の身体は紅の蔦に絡み、両腕も両脚も十字に拘束されている。顔はガスマスクで覆われていたが、その無力に垂れた首が、彼女の意識の無さを雄弁に語っていた。

 剥き出しの四肢には、無数の打撲と切創が刻まれていた。まるで拷問の痕跡のように、痛みを強要され、絶望を刻み込まれた証。――否、それは推測ではない。実際に、幾度も繰り返されたのだ。より苦しむように、より叫ぶように、より心を折るために。

 ベアトリーチェはその惨状を一瞥し、祭壇の前に立つと静かに告げた。

「ロイヤルブラッドの神秘を搾り取り、キヴォトスの外より来た力を媒介に――私はより高位の存在へと昇華しています。消耗はすでに回復しつつあります。そして何より、ここは私の領域。バシリカこそが」

 その声音には冷然とした確信があった。

 彼女は踵を返し、ゆるやかにサオリたちへと顔を向ける。靡いた黒髪が月光を反射し、紅の瞳が彼女らを射抜く。

 扇子を勢いよく畳み、手の中に落としたその動作は、一瞬の間に劇の幕を下ろすような緊張感を生んだ。

「私はただ――より高位の存在となり、キヴォトスを救いたい。それが大人の責務だから」

 吐き出された言葉は、冷酷にして矛盾。

 その声音は慈悲を語りながら、幾多の命を容易く切り捨てる残酷を孕んでいた。

「その道中で失われる命は必要な犠牲。捧げられる子羊だったと割り切ることもまた、強さだと信じています」

 そう云いながら目を細め、ほとんど祈りにも似た仕草で瞼を伏せる。

「……いいえ、今さらなことですね。あなたたち子供には決して理解できないでしょう」

 そして冷ややかに扇子を広げ、静かに結論を告げる。

「せめてもの慈悲です。黄泉で再会なさい。あなたたちの仲間と――」

「!」

 その瞬間。

 乾いた音を裂いて、後方から何かが飛んできた。

 ――木刀。

 空気を切り裂くその一撃が、彼女の演説を強引に断ち切った。

 

 ――ドォォォォン!

 大聖堂を揺るがす轟音と共に、乾いた破砕音が木霊した。

 十字架の下へ突き刺さる一本の木刀。石床を抉り、その衝撃で瓦礫が跳ね、埃が舞い上がる。

 ガラガラと残骸が崩れ落ちる音を背に、スクワッドは駆け寄り、縋るようにその影を抱き起こした。

「おいおい……聞いてねぇぜ?」

 月光を背に、一人の男が現れる。銀色の天パ、場違いな軽口を叩く。

 坂田銀時。――その登場だけで、緊張の糸が別の色に染まった。

「アリウス自治区の姫さんがいるって聞いたから来てみりゃあよぉ……どうやら、コブ付きだったらしい」

 彼は肩を竦め、木刀が突き刺さる十字架の下を顎でしゃくる。

「マスクの向こうから流れる涙……それが証拠だろ」

「アツコ!」

「姫!」

「姫ちゃん!」

 サオリたちが声を張り上げる。その叫びを背に、銀時は軽く鼻を鳴らし、わざとらしく指を鳴らす。

「保護者様よォ?……少しお話しようぜ。アリウス自治区の生徒で、誰が一番の別嬪さんかって話をよ」

 茶化す声音とは裏腹に、その眼光は鋭かった。

「……あなたは!」

 ベアトリーチェが憎悪を剥き出しにする。

「私の、敵対者!」

「はぁ?何言ってんだテメェは」

 銀時は気怠げに耳をほじる仕草をしながら、吐き捨てる。

「俺はお前なんざ知らねぇよ。俺はただのサボり好きの教師だ。悪ガキどもの生活指導のために家庭訪問してるだけのな」

 その言葉に、サオリは一瞬胸が熱くなる。

「先生……」

「何やってんだ、テメェら」

 銀時は片手を振って彼女らを制した。

「俺ぁいい。さっさとそいつを連れて行け。今から俺はコイツと二者面談だ」

 挑発的な視線をベアトリーチェに投げかける。

「まさか……その残り滓を逃すために殿を務めるつもりですか?」

 ベアトリーチェは嗤い、しかしその声音には揺らぎが滲む。

「先生……不可解な大人よ。私たちはそれぞれが望むものを追求する。私はただ、力を手に入れた。それだけのこと。子供から力を奪い、夢を糧に昇華しただけのこと」

 銀時の瞳が、鋭く光を帯びた。

「……なぁ、ベアトリーチェ」

 

「大人ってのが何のためにいるか、知ってるか?」

「何を今さら……」

 彼女は嘲る。

「世の絶望を子供に教えるためでしょう」

 その瞬間、銀時の声色が変わった。軽薄さを削ぎ落とし、真っ直ぐに叩きつけるような声音で。

「確かにな。大人ってのは、社会の残酷を見せることもあるだろうよ。理不尽に怒鳴られたり、自分勝手な上司に使い潰されたり……ガキは嫌でも思い知る」

 彼は一歩、石床を強く踏み締める。

「だがな――大人の役目は、そんなじゃねぇ」

 紅の眼光を真正面から睨み返し、声を張り上げた。

「大人はガキに夢を見せるためにいる。夢がなきゃ前に進めねぇ! 夢を抱かなきゃ、いつか立ち止まっちまう。だからこそ、ガキが未来へ踏み出せるように手を貸すんだ。それが大人ってもんだ!」

 扇子を震わせるベアトリーチェの手が、僅かに揺らぐ。

「……にもかかわらず、テメェはガキを、コイツらを道具にして、絶望という名の鎖で縛り続けた」

 銀時の声は、鋼のように硬く重く響く。

 

「大人としての役目も果たさなかったテメェに大人を、いや指導者を語る背中なんてあるかァァァァ!」

 

「ぐっ……!」

 ベアトリーチェの顔に初めて焦りが走る。

「黙りなさい!」

 叫ぶや否や、真紅に染まった刀がその手に現れる。

「……もういい。話し合いなど無意味。そんなもの鼻から意味をなさないことは知っていましたから。」

 

「それより、彼女たちが逃げられると思いますか?この掌から!」

 

 だが、銀時は一歩も退かない。

それどころか自ら前に進み放った木刀を掴む。

 その背を、堂々と張った。

「逃げねぇよ。どこにもー」

 振り返らずに言い放つその姿は、夜空に浮かぶ月影のように揺るがなかった。

「天井に座すのはお前じゃねぇ。お天道様だ」

 

「陽のあたらねぇ場所なんざこの世にゃねえ。」

 

「ここにも灯りが灯される時が来たんだ。」

 

「今から、その鎖を引き裂いてやる」

 

 木刀を力強く引き抜き構え、瞳が燃え上がる。

 

「ガキに夢ひとつ持たせられねぇ更年期ババアの鎖なんざ――一太刀で終ぇだ!」




次回予告

ベアババア「先生、所詮、あなたの剣は何もやり遂げることが出来なかったほど脆い剣ということです。」

「「「先生!!」」」

松陽「銀時、君のような若者が天寿を全うしただなんてーー」

「百年早い」


???「おやおや、せっかくエリートの私が彼らの手を引いて助太刀に来たというのに………ねぇ。アリウスの隊長どの」

???「全く、お天道さんが昇っていると聞いてきてみればどこにそんなものが昇っていると言うんだ?この大ホラ吹きが!!」


次回 帰りを待つ者

〜透魂〜第一回キャラクター人気投票

  • 銀時
  • 新八
  • 神楽
  • 沖田
  • 土方
  • 山崎
  • 高杉
  • 定春
  • エリザベス
  • ホシノ
  • シロコ
  • ヒナ
  • アコ
  • ミカ
  • ナギサ
  • セイア
  • ユウカ
  • ノア
  • 近藤
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