透き通る世界を照らす銀魂(ぎんのたましい)   作:時代に遅れている

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新劇場銀魂吉原大炎上 公開記念
シャーレの部室の窓から差し込む気怠い午後の日差しの中、新八の声だけがやけに生き生きと響き渡っていた。
「いやぁ……! 待ちに待った新劇場版**『銀魂 吉原大炎上』**、ついに公開されましたね!」
興奮冷めやらぬ面持ちで、新八はピカピカの映画パンフレットを机にドンッと置いた。そのレンズの奥の瞳は、まるで少年のようにキラキラと輝いている。
しかし、その純粋な熱量を受け止めるべき男は、ソファに寝転がったまま気怠げに鼻をほじっていた。
「ああ。……まぁ実際のところ、昨日公開されてたんだけどな」
「作者が原稿を間に合わせられなかったアル」
銀時が気の抜けた声で事実を告げると、すかさず定春に寄りかかっていた神楽が、酢昆布を齧りながら身も蓋もない真実(メタ)を被せてきた。
「メタいよ! っつーか、リアルなスケジュールの都合をバラすな!」
新八の鋭いツッコミがシャーレに響く。しかし、長年の付き合いで培われた彼の切り替えの早さは見事なものだった。ゴホン、と一つわざとらしく咳払いをし、再びパンフレットに熱い視線を落とす。
「気を取り直して……。いやぁ、でも凄いじゃないですか! あの名作『吉原炎上篇』が完全新作アニメーション、しかも銀魂初の大迫力シネマスコープサイズで映画化されるなんて!」
「まぁな。しかも主題歌はあのSUPER BEAVERだよ? 書き下ろしの新曲『燦然』だっけか」
銀時はほじっていた指をジャンプのページでこっそり拭いながら、どこか誇らしげに、けれど照れ隠しのように口角を上げた。
「なんかもう、俺たちみたいな汚れきったジャンプキャラには勿体ねぇくらい、熱くて泣ける曲じゃねーか。ワーナーの野郎、今回はかなり予算(マネー)突っ込んでんなぁ」
「でも銀ちゃん、ネットの感想だとさっそく荒れてるアルよ」
神楽は手元のスマホをスクロールさせながら、無慈悲な現実を突きつけた。
「『原作にいない真選組やヅラを無理やりねじ込んでてノイズだ』とか言われてるネ。一部の原作ファンが、親の仇みたいにブチ切れてるらしいアル」
「ちょっ、神楽ちゃんストーップ!!」
新八は顔面を蒼白にさせ、慌てて神楽のスマホを隠そうと手を伸ばした。
「公開翌日の2月14日(バレンタインデー)っていう、甘く浮かれたこのタイミングに! いきなり賛否両論の『否』の方をピックアップしないで!?」
「おいおい新八ぃ、落ち着けって。確かにそれについては、この『ブルアカ✖️銀魂』のクロスオーバー小説を書いてる、時代に遅れた作者様も内心唸ってはいたけどよォ〜」
銀時は天然パーマの頭をボリボリと掻きむしりながら、まるで業界の裏を知り尽くしたプロデューサーのような、悟ったような目を天井に向けた。
「仕方ねぇんじゃねぇの? 恐らく大人の事情ってヤツだよ。監督の『ここも入れたい、あそこも魅せたい』って要望を全部ブチ込もうとすると、どうしても尺と金が足りなくなる。かと言って、名台詞を削るわけにはいかねェ……。結果、『よし、人気キャラを出して尺を稼ぎつつ画面を持たせよう!』みたいな、苦肉の策だったんじゃねーの?」
「だーかーらー!! リアルな大人の事情を推察して話すな! って言ってるでしょォォォ!?」
静寂を打ち破るように、新八の魂の叫びが響き渡った。
まさにその直後だった。
バーンッ!!
防弾ガラスも備えたシャーレの頑丈な扉が、蝶番が吹き飛ぶほどの勢いで荒々しく蹴り開けられた。
「……誰がノイズだ、コラ。切腹しろ」
硝煙と土煙の中から現れたのは、咥えタバコから苛立たしげに紫煙をくゆらせる真選組副長・土方十四郎だった。その額には、ネットの辛辣な評価への怒りからか、隠しきれない青筋がピキピキと浮かんでいる。
「そうですよォ、旦那。俺たちだって好きで地下の吉原(あんなとこ)まで出張ったわけじゃねェんです。土方さんなんか、無理やりねじ込まれた自分の出番が不自然すぎて、楽屋でマヨネーズ啜りながら泣いてましたからね」
「泣いてねェよ! つーかお前も『尺稼ぎのモブ斬りダルい』とか言ってサボってたじゃねーか!」
土方の背後からひょっこりと顔を出した一番隊隊長・沖田総悟が、いつものように無表情で上司を売り飛ばし、即座に土方の怒号が飛ぶ。
「ほら見ろ新八ぃ。被害者はここにもいんだよ。こいつらだって貴重な休日を割いて、わざわざ宣伝ポスターの賑やかしのために駆り出されてんだ。労ってやれよ。……あ、ちなみに今Spotifyで流してるのがその主題歌な」
銀時はやれやれと肩をすくめながら、手元の端末を操作してSpotifyのプレイリストを再生し、SUPER BEAVERのエモーショナルなナンバーをシャーレの部室に響かせる。
「銀ちゃん達のシリアスな空気ぶち壊してご苦労なこったネ」
神楽が容赦なく塩を塗る。
その時だった。
「ノイズじゃない、桂だ!!」
バァァァン!!
今度はシャーレの備品ロッカーの扉が内側から勢いよく開き、中から完璧にスタンバイしていた攘夷志士・桂小太郎が、プラカードを掲げたエリザベスを引き連れて堂々と登場した。
しかもご丁寧に、トリニティ総合学園の制服を着た見知った少女――阿慈谷ヒフミまで連れている。
「あはは…どうして私までここにいるんでしょう?私銀魂キャラじゃないですよね?」
「問題ない。ヒフミ殿はエリザベスのキュートなフォルム(?)を高く評価してくれた同志だからな!」
苦笑いするヒフミをよそに、桂は腕を組み、ドヤ顔で言い放った。
「貴様ら、現代の映画ビジネスというものを分かっていない! 俺や真選組のような人気キャラクターがポスターにデカデカと載っていなければ、グッズの売上や初期の集客が見込めないという大人の切実な判断だろうが! 感謝しろ銀時、俺の出番が興行収入を底上げしてやったのだぞ!」
「なんでアンタは堂々と『客寄せパンダでした』って自白してんだよ!? っていうか、いつからシャーレのロッカーに居たの!!?」
限界を突破した新八のツッコミが炸裂し、彼は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「でもよォ、ヅラ」
銀時は死んだ魚のような目をさらに細め、半ば呆れたように桂と真選組の面々を見やった。
「お前らが出張ってきたせいで、俺のシリアスな見せ場にノイズが走ったって言われてんのは事実だぞ。どう落とし前つけてくれんの?」
「フッ、案ずるな。そこは合理的かつシームレスな解決策を用意している」
桂はドヤ顔を崩さず、自信満々に言い放った。
「次回のブルアカのアップデートで、アロナ殿に頼んで我々『攘夷志士&真選組』をピックアップガチャの限定生徒(?)として実装してもらえば丸く収まるだろう。私のEXスキルは『スタンバイ(コスト5)』だ」
「収まるかァァァ!! キヴォトスの世界観が崩壊するわ!! お前らみたいなむさ苦しいオッサンども、誰が青輝石砕いて引くんだよ!!というか二次創作だから!実装とか出来ないから!!」
新八の喉から血が滲みそうな叫び声が、Spotifyから流れる熱い楽曲と共に、キヴォトスの澄み渡る空に吸い込まれていった。

銀魂吉原大炎上 公開記念 〜ネタバレとピー音〜
「……というかさ〜、最後のアレ、何?」
銀時が唐突に、心底納得がいかないといった様子で口を開いた。先ほどまで主題歌を絶賛していた感動の余韻はどこへやら、その死んだ魚のような目にはありありと不満の色が浮かんでいる。
「最後の最後、美味しいところ全部アイツに掻っ攫っていかれたんだけど……」
「えっ、ちょ、銀さん! ここでその話しちゃうんですか!?」
新八が血相を変えて立ち上がった。ここはキヴォトス・シャーレの部室とはいえ、公開二日目の映画の結末を語るなど、エンタメ界のタブーに他ならない。
「まだ公開されたばかりですよ!? 思いっきりネタバレになるんじゃ……!」
「あっ、そうか。そりゃマズイな」
あっさりと引き下がろうとした銀時の横で、神楽がどこから取り出したのか、テレビ局のサブ室にあるような怪しげな赤いボタンをドンッと机に置いた。
「大丈夫アル、銀ちゃん。こういう時は、大人の魔法『ピー音』を入れて誤魔化せばいいネ。私がタイミングよく押してやるアル」
「……それもそうだな。よし」
銀時はコホンと一つ咳払いをして、再び忌々しそうに腕を組んだ。
「いやでもさ、お前らホントどう思うよ、最後のアレ。散々俺たちが体を張って仕事して、血反吐吐いて観客の目を惹きつけてたってのにさァ。最後の最後で、船の上から涼しい顔して『――ピーーーッ』なんざほざきやがってよォ」
神楽の見事なタイミングの自主規制音が、シャーレの空間に無機質に響く。しかし、隠された言葉の意図は、その場にいる全員に痛いほど伝わっていた。
「全くだ」
腕を組んだまま、桂が深く、それは深く頷いた。その表情は、長年の同志に対する嫉妬と理不尽への憤りに満ちている。
「俺たち(賑やかし組)が『ノイズだ』とネットで叩かれているのに、あの『ピーーーッ』の奴だけが『最高』だの『尊い』だのと持て囃されて、一切叩かれないのが実に遺憾だ……!」
「クソッ! いかにも『この後、続きがありますよ』みてぇな思わせぶりな台詞ほざきやがって!」
土方がギリッと苛立たしげに歯軋りをして、真新しいタバコに火をつけた。
「俺たちの完全新作『真選組血風録』もまだ映像化されてねェってのに、あんな露骨な匂わせしやがって……!」
「いやいや、そんなむさ苦しい男どものスピンオフより、俺らの『白夜叉爆誕篇』の映画化が先だろ」
土方の悲痛な叫びを鼻で笑い飛ばし、銀時はニヤリと悪戯っぽく口角を上げた。
「だって、あの『ピーーーッ』の奴が、あんな意味深に『ピーーーッ』って吐き捨てたんだぜ? そりゃあ、次にやるならアイツがメインで出てくる因縁の映画の――」
「オイィィィィィィィィッ!!!」
新八のツッコミが、ついに鼓膜を破らんばかりの音量で炸裂した。
「ピー音の意味が全く機能してねェェェ!! 伏せてるようで情景から丸わかりなんだよ! もうそれ、ピーーーーーーって言ってるようなもんじゃないですかァァァ!!」
鼓膜を破らんばかりの怒号とツッコミが飛び交い、完全に阿鼻叫喚の渦と化したシャーレのオフィス。
その大混乱から少しだけ距離を置いた場所で、阿慈谷ヒフミは困ったように、けれど補習授業部で鍛えられた「カオスへの耐性」を発揮して、ひきつった愛想笑いを浮かべていた。
「あはは……。まぁ、皆さんが色々と揉めている間に、私たちの方でご挨拶を済ませておいた方がいいかもですね」
ヒフミはコホンと一つ小さな咳払いをすると、姿勢を正し、画面の向こうの読者(カメラ)へとスッと向き直る。
「私、そもそも『銀魂』のキャラクターじゃないんですけど……」
シュバッ。
そんな彼女の申し訳なさそうな呟きに答えるように、隣に立つ巨大な白い宇宙生物(?)――エリザベスが、勢いよくプラカードを掲げた。
『問題なし』
そこには達筆なマジックの文字で、力強くそう書かれている。
「あ、ありがとうございます……?」
エリザベスの無言のフォローに少しだけ安堵したのか、ヒフミはいつものふんわりとした、天使のような微笑みを浮かべた。
しかし、その可憐な唇から紡がれたのは、トリニティの一般生徒とは思えないほど生々しく、かつブラックな台詞だった。
「そんなわけで、映画には賛否両論あるでしょうけれど……銀さんを『百億の漢』にするために、私たちもまんまと汚い大人たちの手に引っかかってみましょう!」
ニコッと首を傾げるヒフミ。
背後から「おい誰が汚い大人だコラ!」「生々しいこと言ってんじゃねェ!」という土方や新八の声が飛んできた気もしたが、彼女は華麗なスルー技術を見せつけた。
「それじゃあ、いよいよ本編が始まります! 皆さん、どうぞ〜!」
ヒフミが両手を広げ、アイドルさながらの可愛らしい笑顔で綺麗に締めくくった、まさにその横で。
キュッキュッ、と素早くマジックを走らせる音が鳴り、エリザベスが新たなプラカードを無言でカメラのド真ん中に突きつけた。
『作者、大学合格したなら金を貢げ』
見事なメタ発言と、合格の喜びに容赦なく水を差す身も蓋もない金の無心が、いよいよ始まる「本編」の幕開けを強引に飾ったのであった。



第百二十八訓 大きくなっても心は中2、それが男という生 き物

【前回のあらすじ】

「俺は高校生探偵の坂田銀時――」

どこからともなく、サックスの渋いBGMが脳内に響き渡る。

幼児化し、ダボダボになった着流しを引きずりながら、銀時は哀愁漂う(ように見せかけた)声で、虚空に向かって語り始めた。

「同級生の結野アナ(※妄想)と、ここ梅花園に遊びに来たところ……黒ずくめの男たちの怪しげな取引現場を目撃した」

「取引を見るのに夢中になっていた俺は、背後から近づいてきたもう一人の仲間に気付かなかった。俺はその男に毒薬を飲まされ、目が覚めたら……」

銀時は自身の短い手足をジッと見つめ、悲痛な面持ちで拳を握りしめる。

「身体が、縮んでしまっていた……!」

迫真の演技。だが、ここは米花町ではなくキヴォトスであり、黒ずくめではなく謎の霊薬のせいである。しかし銀時のモノローグは止まらない。

「源外のじいさんの助言で、正体を隠す事になった俺は、名前を聞かれて咄嗟に――『小栗◯(おぐり・しゅん)』と名乗って……」

「奴らの情報を掴むために、お兄たま(陰陽師)が探偵をやっている結野アナの家に転がり込んだ……。まぁ、その後何やかんやあってな。キヴォトスなんて物騒な学園都市で『先生』なんてものやらされて――数々の難事件を解決していったんだよ」

カメラ目線(※存在しない)でウインクを決める銀時。

すると、隣で同じく幼児化した神楽が、テレビショッピングの司会者のような手つきでスッと前に出た。

『ここでは、源外のじいさんの発明品を紹介しようと思う!』

謎のテロップ演出が空間を支配する。

『最初はコレ……! 銀ちゃんのメインウェポン・木刀!! と、私の傘アル!』

神楽は、幼児の体には大きすぎる番傘と「洞爺湖」と彫られた木刀を掲げ、ドヤ顔を決めた。

『キヴォトスのどんな銃弾も弾き返す、超硬度の得物! さらに、手元の隠しボタンを押すと――』

『ブシュゥゥゥ!!』

『なんと、先端から新鮮な醤油が出るネ! これでいつでも卵かけご飯が食べられるヨロシ!』

「どんな機能つけてんだよジジイ!!」というツッコミ不在のまま、コーナーは進行していく。

銀時は、自身の鼻柱に乗っている「それ」を指先でクイッと押し上げた。

『そして最後に――このメガネ!!』

銀時の顔面に鎮座する、銀縁の丸眼鏡。

それはただの視力矯正器具ではない。肉体を失い、概念と化した志村新八そのものであった。

『コイツはな、俺たちがどんなに理不尽なボケをかまそうが、全部自動で「オイィィィィ!」ってツッコんでくれる、超がつくほどの優れものだ。全自動ツッコミ機(ウェアラブルデバイス)だ!』

銀時は自慢げに鼻を鳴らす。

『とまぁ、こんな感じで一通り俺のガジェットを紹介してきたところで――』

銀時と神楽は、バシッとポーズを決め、お茶の間(※園児たち)に向けて指を突きつけた。

『小さくなっても頭脳は同じ! 迷宮なしの名探偵――!』

二人が息を吸い込み、あの国民的アニメの決め台詞を放とうとした、その刹那。

 

「真実はいつもひとーー!!」

「って、何堂々とパクリ挨拶してんだァァァァァァ!!!」

ビリビリビリッ!!

銀時の鼻柱に乗っていた眼鏡(新八)が、激しい怒りの感情と共に高速振動を引き起こした。レンズが真っ赤に曇り、ツルが銀時のこめかみをギリギリと締め付ける。

『何やってんですかアンタら!! 状況分かってます!? 僕、肉体なくなってるんですけど!!』

「新八、お前ちょっと度数がキツくなって――」

『度の問題じゃねぇよ!! なんで僕だけコナンくんのメガネポジションに収まってんだよ! せめて人間としての尊厳を返せェェェ!!』

銀時の顔面から直接発せられる、哀しきツッコミデバイスの絶叫。

レンズが怒りの蒸気で真っ白に曇り、ツルが銀時のこめかみをギリギリと締め上げる。だが、銀時は死んだ魚のような目をピクリとも動かさず、小指で耳をほじりながら鼻で笑った。

「何言ってんだ。新八ィ、お前は元からメガネだろ? 本体がメガネで、今まで人間という名のスタンドをまとってただけじゃねぇか。何を今更、人間ぶってんだよ」

『違うから! アニメ銀魂でも僕の幼少期、ちゃんと描かれてたでしょ!! 泣き虫だけど可愛い人間の男の子だったでしょ!! っていうか、ツッコミどころありすぎるわこの状況!! なんで誰も僕がメガネ化してる理不尽を解決しようとしないんですか!?』

必死の抗議も虚しく、銀時はやれやれと首を振り、幼児化した短い腕を組んだ。

「あーあ。他人の演出にケチつけるのは簡単なんだよなぁ。そんなに俺の完璧なプロローグに文句があるって言うなら……お前がやってみろよ」

「そうアル」

神楽が酢昆布をくわえながら、横からドヤ顔で加勢する。

「他人のパクリにぐちぐち文句言う暇があるなら、お前がオリジナルをやってみろネ。どうせツッコミしか能がない『フレームとレンズの集合体』には無理アル」

『……ッ! 言いましたね!』

レンズの奥(※誰もいないが)で、新八の何かが弾けた。

バカにされたまま引き下がるわけにはいかない。彼はツルを器用にパタパタと動かし、銀時の顔面の上でベストなポジションへと位置取った。

『わ、分かりましたよ。僕だってやるときはやります! 本家の重厚感とサスペンス、見せてやりますよ!!』

ゴクリ、と(メガネが)息を呑む音。

そして、どこからともなく、あの有名なメインテーマのサックスが、悲しげなマイナーコードで脳内に鳴り響き始めた。

ーー

『……僕は、高校生探偵、志村新一(しむら・しんいち)』

シリアスな、どこか影を帯びた声色。

新八は自身の魂の底から、名探偵のオーラを絞り出した。

『同級生の、お通ちゃん(※アイドル)とここ梅花園に遊びに来たところ……黒ずくめの男たちの、怪しげな取引現場を目撃しました』

(おい、ヒロインのポジションに自分の推しアイドルねじ込んでんじゃねーよ)という銀時の無言のツッコミを無視し、新八の語りは熱を帯びていく。

『取引を見るのに夢中になっていた僕は、背後から迫ってくるもう一人の仲間に気が付かなかった…!』

レンズに、凶器の鈍い光が反射する(ような幻覚が見える)。

『その男に、背後から毒薬を飲まされて……目が覚めたらーー』

タメにタメて、新八は己の悲劇を絶叫した。

『身体が、縮んで(というか消失して)しまっていました!!』

銀時の顔面で、メガネがブルブルと震える。迫真の演技だ。

『しかし、ここで僕が生きていると奴らにバレれば、お通ちゃんの命まで狙われてしまう……! 源外さんの助言で正体を隠す事になった僕は、とっさに名前を聞かれて、こう名乗ったんです――!!』

ついに来る。

あの、運命の歯車が回り出す歴史的な名乗りが。

新八は、ありったけのイケメンボイス(実写版の記憶)を憑依させ、言い放った。

『僕の名前は――菅田将◯!!』

バキィィィッ!!

『結局テメェもパロってんじゃねぇかァァァァ!!』

銀時の容赦ない投げ捨てが炸裂した。

梅花園の床に吹っ飛んでいく銀縁メガネ。

「しかも実写版の俳優の名前出しやがって! メタいんだよ! お前がその名前名乗っていいのは、銀幕の世界線だけだろーが!!」

「そうアル! お前の本体はただの地味なツッコミメガネネ! イケメン俳優ぶるなヨロシ!なんだよ新一って彼女いないくせに!」

『理不尽!? 銀さんだって小栗◯って名乗ってたじゃん!僕だって恩恵ぐらい預かりたいんだよ!!』

 

床に転がり、カチャカチャと虚しく震える哀れなツッコミデバイス(新八)を見下ろし、銀時はフッと余裕の笑みをこぼした。

「俺は良いんだよ……」

幼児化した短い腕を偉そうに組み、死んだ魚のような目にどこか遠くの星(大人の事情と版権ビジネス)を映しながら、銀時は滔々と語り始める。

「俺はいずれ、あの天下の国民的アイドルあたりに演じてもらう予定だからな。アニメだってほら、なんやかんや新劇場版だって公開されてるわけだし? そろそろ実写版も『3』とか出してもいい頃合いだろ」

銀時は自らのパーマ頭を撫でつけ、根拠のない自信に満ちたドヤ顔を決めた。

「その暁には、キラキラした超絶イケメンにこの坂田銀時を演じてもらうから。だから事前の匂わせとして、人気俳優の名前を名乗るのは主人公としての正当な権利なんだよ。お前みたいな地味メガネの無断借用とは格が違うわけ」

『寝言は寝て言えェェェェ!!』

床のメガネが、激しい振動と共に叫ぶ。

『実写版は『2』で綺麗に終わったでしょ! ハシカンちゃんやお亮をこれ以上巻き込むな! そもそも、どのアイドル事務所が、鼻ほじって糖分に依存してる幼児(中身は三十路のフリーター)の役を引き受けるんですか!! 事務所NGのオンパレードだよ!!』

「銀ちゃん、それは甘いヨ」

神楽が酢昆布を指に巻き付けながら、横からドヤ顔で参戦した。

「実写版3をやるなら、私はまたあの千年に一人の美少女に演じてもらうアル。今度はもっと鼻ほじりとゲロの量を増やして、アイドルの限界を突破させてやるネ」

『ヒロインが人気女優のキャリアを物理的に汚そうとするなァァァ!!』

銀時の顔面から転げ落ちてなお、新八のツッコミは冴え渡る。

「あのー……皆さん、少しよろしいですか?」

控えめだが、どこか切羽詰まったキリノの声。

 

「ああ!?」

 

「アレ」

薄暗い給湯室。

冷凍庫に手を伸ばしていた短い腕が、ピタリと止まった。

「んー! んー! ……ハッ!」

背伸びをして、プルプルと震えながら目的の品(ラムレーズン)に触れようとしていたシュエリン(幼女化したシュン)は、背後に突き刺さる複数の視線に気づき、ビクッと肩を跳ねさせた。

振り返った彼女の顔は、羞恥で限界まで赤く染まっている。教官としての威厳も大人のプライドも、欲望の前に敗れ去った決定的瞬間を見られたのだ。

「あ、ちが……これは、その……!」

言い訳を捻り出そうとしたが、限界を迎えた彼女は両手で顔を覆い、脱兎のごとく給湯室からダッシュで逃げ出した。

「あっ、おい! 待ちやが……れ?」

短い足でバタバタと追いかけようとした銀時だったが、唐突に背後から強い力で着流しの裾を引かれ、急ブレーキをかけられた。

 

「待つのじゃ……」

振り返った銀時の鼓膜を打ったのは、先ほどまでの「キキ」の甘ったるい声音ではない。

静謐で、冷徹で、そして圧倒的な「支配者」の威厳を帯びた、背筋が凍るような低い声音だった。

「そんな闇雲に向かおうとも、奴のペースに惑わされるだけじゃ」

銀時の裾を掴んでいたチャイナドレスの幼女が、ゆっくりと顔を上げる。

その瞳には、もはや幼児の無邪気さは微塵も存在しなかった。あるのは、山海経の暗部を統べる絶対者の鋭い眼光だけだ。

『あ、あなたはーー!』

銀時の顔面に装着されたツッコミデバイス(新八)が、カチャリとレンズを光らせて震える。

チャイナドレスの少女は、自らの小さな手を胸に当て、荘厳な空気を纏って高らかに宣言した。

「そうじゃ。妾は玄龍門の門主ーー」

給湯室の空気が、彼女の言葉一つでピンと張り詰める。

「龍華(りゅうげ)キサキじゃ……」

一拍の静寂。

そして、万事屋の二名(内一名はただのメガネ)による、鼓膜を破らんばかりの絶叫が美しくハモった。

「「も、門主様かよォォォォォ!!」」

『嘘でしょ!? さっきまで「銀ちゃんのパフェ食べた〜い♡」とか、あざとさ全開で言ってませんでした!?』

新八が激しい振動と共にツッコミを叩き込む。

「え、えぇぇぇぇ!!? も、門主さまだったんですか!?」

キリノも目を限界まで丸くして、持っていた手帳を取り落とした。

「て、てっきり……先生たちと同じように小さくなったものとばかり……!」

キリノの驚愕は尤もだった。今のキサキの背丈は、幼児化した銀時や神楽と完璧に目線が同じなのだから。

銀時は額から冷や汗を滝のように流しながら、引きつった笑みを浮かべてキサキを見下ろした(見つめ合った)。

「い、いやいや。流石に縮んでるよね? アポトキシってるよねぇ!? いくらなんでも、飛ぶ鳥を落とす巨大マフィアのボスが、このサイズ感なわけねぇもんねぇ! な? も、門主様?」

必死に「薬のせい」という設定(コナンパロ)にしがみつこうとする銀時。

しかし、キサキは心底心外だと言わんばかりに、細い眉をピクリと寄せた。

「いや、あれはただ園児服に着替えただけで、妾の変装じゃ。別に小さくなどなっておらん」

「…………」

「元からこの背丈じゃが、何か不服か?」

彼女の言葉は、冷酷なまでに物理的な真実であった。

薬など飲んでいない。彼女のその愛らしくコンパクトなフォルムは、正真正銘の「初期設定(デフォルト)」なのだ。

銀時は膝から崩れ落ち、虚空を見つめながら乾いた声で呟いた。

「ほ、本体かよぉ〜………」

銀時の顔面にへばりついたまま、新八(メガネ)のレンズが名探偵さながらの鋭い光を反射させた。

「ということは……」

新八は、ツルを器用に動かして銀時の鼻柱でのポジションを微調整しながら、自信満々に推理を披露した。

「つまり、今までのあの『キキ』としてのあざとい振る舞いは、全て計算し尽くされた演技……! 園児に扮して懐に入り込み、シュエリンがシュンさん本人であることを確実に確認してから、逃げ場のない状況で捕まえる腹積もりだった……ってことですよね?」

さすがは巨大マフィアのトップ。自らの威厳をかなぐり捨ててまで任務を遂行する、その執念と冷徹な計略に新八は戦慄した。……しかし。

当のキサキは、なぜか気まずそうにスッと視線を泳がせた。

「……………」

そして、不自然なほど勢いよく、ふいっとそっぽを向いてしまったのだ。

チャイナドレスの裾が翻り、銀髪の隙間からわずかに覗く彼女の耳の先が、ほんのりと朱に染まっているように見えるのは気のせいだろうか。

「………すでに、頼もしい協力者を呼んでおる。まずは其奴と合流しようぞ」

あからさまな話題のすり替え。

声のトーンこそ「玄龍門の門主」の威厳を取り戻していたが、その背中はどこか逃げるようだった。

「ちょっと……! 目を逸らさないでくださいよ!」

新八のレンズが、疑念の蒸気でみるみるうちに曇っていく。

「演技、なんですよね!? あの『銀ちゃんのパフェ食べた〜い♡』って甘えてたの、100%捜査のための立派な演技なんですよね!? まさか、ただ純粋に幼児退行して甘やかされたかっただけとか言わないですよね!?」

必死に真実(大人の尊厳)を追い求める新八の叫びが、薄暗い給湯室に響き渡る。

しかし、その悲痛なツッコミを切り裂いたのは、傍らで酢昆布をくちゃくちゃと噛む神楽の無慈悲な一言だった。

「往生際が悪いアル、新八」

神楽は、ダボダボの袖から短い指を突き出し、新八(メガネ)をビシッと指差した。

「あのロリ門主が素で甘えてたかどうかなんて、今はどうでもいいネ。……少なくとも、お前のペラペラな『人間の演技』よりは、よっぽど上手くて自然だったアル」

> 『人間の演技って何!? 僕、元から人間!!』

>

ツッコミデバイスと化した少年の魂の叫びは、またしても冷酷なキヴォトスの空(天井)へと虚しく吸い込まれていった。

ーーーーーーーーーーーー

 

玄龍門の門主・キサキに案内され、一行が足を踏み入れたのは山海経が誇るマッドサイエンティストの巣窟――『錬丹術研究部』の部室だった。

得体の知れない薬草の青臭い匂いと、色とりどりのフラスコで沸騰する謎の液体の湯気が充満するカオスな空間。

その部屋の奥から、白衣を羽織り、ネズミの耳をピコピコと揺らした小柄な少女が現れた。

「よく来たのだ! 」

妙に自信たっぷりで、どこか聞き覚えのある甲高い声。

それが鼓膜を揺らした瞬間、銀時は死んだ魚のような目を限界まで見開き、パチパチ、パチパチと二度、三度、大げさに瞬きを繰り返した。

「……ん? どうしたのだ、天パの銀髪? 僕さまの顔に何かついているのか?」

不思議そうに首を傾げる少女。

しかし、銀時の脳内では、大江戸テレビの報道番組のセットと、マイクを握りしめる女性アナウンサーの姿が鮮明にフラッシュバックしていた。なぜなら結野アナがみたいのに大体このアナウンサーが出番を奪うからだ。

(いや……声帯が完全に一致してんだろ……。間違いない、あの絶妙にクセになるトーン……!)

銀時は、幼児化した短い指でビシッと少女を指差し、確信に満ちた声で告げた。

「いや、アンタ……『花野(はなの)アナ』だろ」

「サヤなのだ」

間髪入れず、少女――サヤは胸を張って即答した。語尾の「なのだ」が己のアイデンティティを強烈に主張している。

「いやいや、誤魔化せねェって。大江戸テレビの花野咲(はなの・さき)アナウンサーだろ? 結野アナの後輩の。出番奪って司会者と不倫してる。なんでこんな中華マフィアの学園で白衣着てネズミのコスプレしてんだよ。バイトか? なぁ、花野……」

「サヤなのだ」

サヤは一切の表情を変えず、ただ事実のみを告げるマシーンのように同じ言葉を繰り返した。

「いや、中の人(※田村ゆか◯)の都合とか大人の事情は分かるけどさ、視聴者は誤魔化せても俺の耳は誤魔化せ――」

「サヤなのだ」

「花野――」

「サヤなのだ」

絶対に認めようとしないサヤの「なのだ」の壁。

キヴォトスという異世界が引き起こした、次元の壁を越える禁断のメタ・クロスオーバー。あまりにも強固なそのアイデンティティの圧に、銀時はついに口をつぐんだ。

銀時の顔面に乗っている新八(メガネ)も、このあまりに高度な「中の人ネタ」にはツッコミを入れることすら放棄し、ただカチャカチャと虚しい音を立てて白く曇るしかなかった。

 

「で、事情は分かったのだ。話を聞くに、皆そろって見事に子供になってしまったと」

サヤは腕を組み、フラスコから立ち昇る怪しげな紫色の煙越しに、幼児化した万事屋一行を興味深そうに観察した。

「そうじゃ……」

キサキは静かに頷き、冷徹な視線をサヤに向ける。

「お主なら、この厄介な状態を治せるのじゃろ?」

「ふふん! まぁ……僕さまの天才的な頭脳にかかれば、治せないことはないのだ」

サヤは得意げにふんぞり返り、自慢のネズミ耳をピコピコと揺らした。

その時、キリノがおずおずと手を挙げた。

「あ、あの……門主様?」

「なんじゃ?」

「つかぬことをお聞きしますが……なぜ、真っ先にここ(錬丹術研究部)に? ……」

もっともな疑問だった。

しかし、キサキは微塵も表情を変えず、淡々と、そして無慈悲に真実を告げた。

「なぜとな……? 決まっておるじゃろ」

キサキの冷ややかな声が、薄暗い部室に響き渡る。

「こやつが、その『人間を子供にする薬』の開発者だからじゃ」

ピタリ、と。

サヤの動きが硬直し、部室の空気が完全に凍りついた。

「ギクゥッ……!」

サヤの喉から、カエルが潰れたような間の抜けた音が漏れる。

ズゴゴゴゴゴゴゴ……!!

突如、部屋の温度が急激に下がり、背筋の凍るようなドス黒い殺気が膨れ上がった。

「…………!」

サヤが恐る恐る振り返ると、そこには薄闇の中で目をギラリと赤く光らせる、三つの影(うち一つは顔面に乗ったメガネ)が立っていた。

「お前の仕業アルかァァァァァァ!!」

先陣を切ったのは神楽だった。ダボダボのチャイナ服を翻し、小さな拳を握りしめて鬼の形相で迫る。

「お前のせいで! 俺の腕がパンパンなんだよ!! ガキ共のご機嫌取りでパフェ作りすぎて腱鞘炎になりかけてんだ! どーしてくれんだテメェェェ!!」

銀時が短い足でドスドスと床を鳴らしながら、サヤの白衣の襟首に(一生懸命背伸びをして)掴みかかる。

『銀さんたちはまだマシですよ!! なんで僕だけ! なんで僕だけ肉体を奪われてただのメガネにされてんだァァァ!! 開発者のアンタなら、この生命倫理を無視したバグを説明できるんだろうなァァァ!!』

銀時の顔面から、新八の絶叫と激しい振動がサヤの鼓膜を直接殴りつける。

「お、落ち着くのだ!! 待つなのだ!! 別に僕さまが悪いわけじゃ……! あれはあくまで実験段階のプロトタイプで……!」

サヤは慌てて両手を振り回し、顔を引きつらせながら必死に言い訳を並べ立てる。

「悪いもクソもあるか!」

銀時はサヤの弁明を一切聞き入れず、自らの顔面に乗った震えるメガネ(新八)を、クイッと中指で押し上げた。そのメガネが光った顔は、どこからどう見ても平成から令和を駆け抜けるあの『名探偵』のシルエットそのものだ。

「いいか。動機がどうであれ……真実はいつも一つなんだよ……!」

銀時は、足元に転がっていた謎の丸い物体(フラスコ、あるいは丸めたキャロットケーキの残骸)に鋭い視線を落とし、短い足を大きく後ろに振りかぶった。

「犯人は最後! キック力増強シューズで放たれたサッカーボールと共に、派手に吹っ飛ばされる運命なんだよォォォ!!」

 

「こ、これさえ飲めば元に戻れるのだ……! だから蹴るのはやめるのだァァァ!」

サヤは涙目でネズミ耳を伏せ、白衣のポケットから震える手で小さな試験管を取り出した。その中では、淡い緑色の液体がポコポコと小さな泡を立てている。

銀時が振り上げていた短い足が、ピタリと止まった。

万事屋の三人(※一名は顔面装着型)は、その試験管を獲物を狙う鷹のような目で凝視している。

「……チッ。命拾いしたな、ネズミ野郎」

銀時は舌打ちをして足を下ろすと、サヤの手から乱暴に試験管をひったくった。

その隙を見計らったかのように、それまで手帳を抱えてオロオロしていたキリノが、コホンと咳払いを一つして前に出た。彼女の瞳に、ヴァルキューレ警察学校の生徒としての「捜査官」の光が宿る。

「それではサヤさん。……ことの経緯を、詳しく教えていただけますか?」

ペンを構えるキリノの真剣な眼差しに気圧され、サヤはコクリと喉を鳴らした。

「わ、分かったのだ……。あれは数週間前のことなのだ。いつも通りこの研究室で、新たな霊薬の調合実験をしていた……。そんなある日、研究室の前に『出所不明の届け物』が置かれていたのだ」

サヤの言葉に、部屋の空気が少しだけ重くなる。

送り主の記されていない荷物。それは山海経の暗部において、危険極まりない代物である可能性が高かった。しかし――。

「僕は天才ゆえの好奇心で、その届け物の中身を確認してしまったのだ。そこに入っていたのは、見たこともない奇妙な成分の試薬……。僕はすぐさま調べ、研究を重ねて……そしてついに『若返り』の段階……つまり、錬丹術の究極系である『不死の薬』における、老化のプロセスを逆行させる段階にまで突入したのだ!」

サヤは先ほどの恐怖も忘れ、研究者としての興奮を隠しきれない様子で熱弁を振るう。

「だが……そんなある日の夜だったのだ」

ふと、サヤの声のトーンが落ちた。ネズミ耳が警戒するようにピンと立つ。

「何者かがこの研究室に潜入し、完成間近だったその薬を、何処かへと持ち去ってしまったのだ」

「そこで、この妾に泣きついてきおったというわけじゃ」

サヤの言葉を引き継ぐように、キサキが腕を組みながら静かに口を開いた。

彼女の小さな、しかし威厳に満ちた影が、薄暗い部室の床に伸びる。

「玄龍門の諜報網を使い、その盗まれた薬の居所を探らせた。……すると、奇妙なことに、その痕跡は山海経の裏社会ではなく、表の教育機関へと向かっておった」

キサキの冷徹な瞳が、キリノを、そして幼児化した銀時たちを順番に射抜く。

「……梅花園に、たどり着いたと」

キリノの手帳を走るペンが止まった。

点と点が、一本の線に繋がっていく。

出所不明の薬。

それを盗み出し、あろうことか梅花園の教官であるシュン(シュエリン)の元へと送り届けた「何者か」。

その姿なき影(申谷カイ)の存在に、この場にいる誰一人としてまだ気づいていなかった。

 

「それにしても……あの若返ったシュンを捕まえる、か。それはひどく骨が折れる作業なのだ」

サヤは腕を組み、やれやれとネズミ耳を伏せて深い溜息を吐いた。

そのただならぬ雰囲気に、キリノが首を傾げて尋ねる。

「えっと……そんなに難しいのですか? いくら教官とはいえ、今は身体も小さくなっているわけですし……」

ヴァルキューレの生徒として、迷子の園児一人を捕まえることなど造作もないと思っているキリノ。しかし、キサキは酷薄な笑みを浮かべ、薄暗い部室の天井を見上げた。

「それはそうじゃろ。なにせ、奴の正体はただの教官ではない」

キサキの声色が、突如として壮大なスペース・オペラのナレーションのように重厚な響きを帯び始める。

「奴は、あらゆる銀河で『エリオ』と呼ばれる黒猫の脚本(シナリオ)に従い、星々を巡る手配度マックスの女……そう、星核ハンターのカフーー」

「ストップゥゥゥ!!ストップです門主さま!」

キリノが、決死の形相でキサキの口を両手で塞ぎにかかった。

ヴァルキューレの警察手帳をかなぐり捨て、次元の壁と著作権を守るための大立ち回りである。

「それ以上は色々とアウトです!! メタ的な事情(コンプライアンス)の壁を越えようとするなら、私が全力で取り締まりますよ!? どこぞの宇宙開拓列車のライバルママさんと声帯が同じだからって、設定まで引っ張ってこないでください!!」

キリノの悲鳴に近い制止が響く中、部屋の隅では別の問題が発生していた。

「……なぁ?」

「ヒッ……ど、どうしたのだ?」

サヤがビクッと肩を震わせる。

振り返ると、解毒剤を一気飲みしたはずの銀時と神楽が、真顔で立ち尽くしていた。

ダボダボの服。短い手足。そして、幼児特有の丸みを帯びた輪郭。

「……全然、元に戻らないネ」

神楽が自分の短い指をグーパーと開閉させながら、虚無の瞳でサヤを睨みつける。

「あ、当たり前なのだ! 薬の成分が細胞に浸透して効果が出るまで、多少の時間はかかるに決まっているのだ! 即効性を求めるなら――」

サヤが慌てて薬理学の言い訳を並べ立てるが、銀時はその声を完全にBGMとして処理し、短い指を耳に当てて「電話をかけるフリ」を始めた。

「もしもーし。阿笠博士ぇ? 誰かぁ、こんな使えねぇ『鼻の穴(ハナノアナ)』なんて捨てて、灰原さん連れてきて~」

「誰が鼻の穴なのだ! 花野アナのパロディから物理的な悪口にスライドするななのだ!!」

「マジでアポトキシってくるから。幼児化するなら、ちゃんと元に戻る実績のある薬がいいんで。ちょっと高校生探偵になって、蘭姉ちゃんとお風呂入って戻ってくるから」

銀時がどこまでも厚かましい欲望(コナンパロ)を垂れ流すと、隣で神楽が自身の髪の毛(お団子)をグイグイと引っ張り、頭頂部に向かって鋭利なドリル状に固定し始めた。

「私は、頭に凶器みたいな角が生えた『蘭ちゃん』ならぬ、『か・楽ちゃん』になってくるネ。これで黒ずくめも一突きアル」

「ヒロインの髪型を物理攻撃用のツノとして解釈するなァァァ!!」

銀時の顔面から、新八(メガネ)の激しいツッコミが炸裂する。

効果の出ない薬、次元を越えるメタ発言、そしてツノを生やそうとする幼児。

錬丹術研究部の部室は、収拾のつかないカオスへと見事に沈み込んでいくのだった。

「正面からの強行突破は難しいかな……」

キサキは小さな顎に手を当て、深い思案の海へと沈み込んだ。

相手は山海経のベテラン教官。いくら幼児化して思考が少し引っ張られているとはいえ、その戦術的勘は侮れない。

「お話を聞くところ……今のシュン教官は完全にこちらの意図を警戒して逃げ回っていますし。うーん……これは困りました」

キリノが手帳をペラペラと捲りながら、お手上げだとばかりに八の字眉を寄せた。

正攻法での確保は困難。部室に重苦しい閉塞感が漂い始めた、その時だった。

「……フッ。お前ら、ガキのくせに頭が固ぇな」

ダボダボの着流しを引きずり、銀時が一歩前へと進み出た。

幼児化したその小さな輪郭には不釣り合いなほど、彼の顔の半分には真っ黒な影が落ち、口元には歪な三日月型の笑みが刻まれている。

「いい方法が、あるぜ……?」

その、あまりに悪役(ヒール)然とした振る舞いに、キリノとキサキが息を呑む。

銀時の顔面にへばりついた新八(メガネ)のレンズが、期待にピクリと光を反射させた。

『えっ? 銀さん、本当ですか!?』

「銀ちゃん! 一体どんな作戦アルか!?」

神楽も目を輝かせ、身を乗り出す。

薄暗い錬丹術研究部の部室。

沸騰するフラスコのポコポコという音だけが響く中、全員の視線が、小さな銀髪の「名探偵(仮)」へと注がれた。

――ゴクリ。

誰かの喉が鳴る音が、やけに大きく響いた。

銀時は、悪魔が魂を刈り取る前のような、底知れぬ漆黒の笑みを深め……そして、堂々と言い放った。

「誘拐(さら)っちまえば良いんだよ」

「…………は?」

キリノから、間の抜けた声が漏れる。

『オイィィィィィィィ!!!』

静寂を切り裂き、銀時の鼻柱から新八の絶叫が爆発した。

『何言ってんだアンタはァァァ!! 警察学校の生徒の目の前で、なんで堂々と重犯罪を提案してんだ!! 解決策が完全に反社(マフィア)の手口じゃねーか!!』

「おいおい、引くこたぁねぇだろ、新八ィ」

銀時は一切悪びれる様子もなく、短い小指で鼻をほじりながら反論を開始した。

「いいか? あの天下の国民的アニメのメガネ坊主(コナン)だってな、かつて俺と同じようなどえらい悪人面で**『盗聴すりゃあ良いんだよ』**って、犯罪行為を堂々と提案してたんだよ? 探偵のトップランナーがやってんだから、俺がやったってセーフの範囲内だろ」

『セーフどころかまるまるアウトだよ!!』

メガネがカタカタと激しく上下に揺れる。

『だいたいアレは、灰原さんが何の音楽聴いてるか知りたいっていう、事件でも何でもないクソどうでもいい理由だったでしょ!! しかもその直後、光彦くんたちに「犯罪ですよ!」ってドン引きされながら全力で止められてたからね!? 主人公の倫理観がバグった稀有なシーンを、正当化の理由に使うな!!』

「バカ野郎。あっちはただの好奇心による盗聴だが、こっちは行方不明者の保護(という名の誘拐)だ。人命がかかってる分、俺の誘拐の方が遥かに大義名分があるってもんだろーが!」

『盗聴より誘拐の方が何倍も罪が重いわ!! 比較対象がおかしいんだよ!! というか、いい加減コナンパロにすがるのやめてもらえます!?』

「そうアル! 誘拐なんてまどろっこしいことせず、アタッシュケースに札束詰めて、黒ずくめの格好で取引を持ちかければ一発アル!」

「神楽ちゃんも犯罪のステージを上げない!」

キヴォトスの治安を守るキリノの目の前で繰り広げられる、倫理観ゼロの万事屋式ブリーフィング。

 

「ちょっと待ってください! 警察学校の生徒の目の前で、堂々と『誘拐』の計画を立てるなんて言語道断です!!」

キリノが顔を真っ赤にして叫び、腰のポーチからジャラリと手錠を取り出した。

いくら相手がシャーレの先生(の中身を持った万事屋)とはいえ、正義の執行者として見過ごすわけにはいかない。

「たとえ目的が保護であっても、手段が刑法違反なら本末転倒です! これ以上危険な思想を広めるなら、今すぐここで現行犯逮捕しますよ!!」

手錠をカチャカチャと鳴らし、キリノが警察としての矜持を見せつけた――その時である。

「いや……案外、いい方法かもしれないのだ」

「「「「え?」」」」

手錠を構えたキリノ、ドヤ顔で言い訳を考えていた銀時、酢昆布をくわえた神楽、そして顔面のメガネ(新八)の動きが、一斉にピタリと止まった。

サヤは腕を組み、フラスコの怪しい光をネズミ耳に反射させながら、マッドサイエンティスト特有の知的な(そしてろくでもない)笑みを深めていた。

ーーーーーーーー

一方、その頃。

山海経の片隅にある、普段は使われない旧校舎の薄暗い廊下。

「うぅ……まさか、私の飲み残しを、先生たちが飲んでしまうなんて……!」

身を潜めていたシュエリン(幼女化したシュン)は、壁の隅で膝を抱えながら、消え入りそうな声で呻いていた。

頭を抱える彼女の頬は、羞恥で茹でダコのように真っ赤に染まっている。

「これ、絶対にバレちゃいましたよね……。私が『若返りの薬』なんて怪しいものに手を出した挙句、見つかりそうになってラムレーズンアイスを盗み食いしようとしていたことまで……!」

ギュッと目を閉じると、先ほどの給湯室での惨めな逃走劇が脳裏にフラッシュバックする。

「あぁ……私の教官としての威厳が……! 先生たち、私のあんな浅ましい行為に幻滅しているかもしれません……っ」

本来の優雅で落ち着いた「大人のレディー」としての余裕は、もはや見る影もない。今の彼女は、ただの「イタズラがバレて絶望する子供」そのものだった。

「はぁ……これからどうやって皆さんと顔を合わせれば……。って……ん?」

床を見つめて深いため息をついていたシュエリンは、ふと視界の端に映った異物に気づき、涙目のまま顔を上げた。

「……何でしょう、この変な機械」

薄暗い廊下のあちこちに、見たこともない「円形の金属プレート」のようなものが、一定の間隔で設置されていたのだ。

チカチカと不気味な赤いLEDランプを点滅させるそれは、どう見ても野生動物を捕獲するためのトラップ(罠)にしか見えない。

ーーーーーーー

――回想シーン。

錬丹術研究部、数十分前。

「ふふん! 相手は梅花園の構造を知り尽くし、しかも今は警戒心マックスの教官。まともに追いかけても逃げられるだけなのだ。ならば、向こうから引っかかるように仕向ければいい!」

サヤは踏み台の上に仁王立ちになり、白衣をバサァッと翻した。

その手には、先ほどシュエリンが見つけたのと同じ、怪しげな円形の機械が握られている。

「『誘拐』という言葉は犯罪の匂いがしてキリノがうるさいが、要は合法的に『罠(ワナ)』を張って捕獲すればいいだけの話なのだ! その名も――」

サヤはビシッと機械を天に掲げ、高らかに宣言した。

「『トラップ作戦』なのだ!!」

「「「トラップ作戦?」」」

銀時、神楽、新八(メガネ)、そしてキリノとキサキまでもが、そのあまりにも捻りのない、身も蓋もないネーミングセンスに、呆れたような声を綺麗にハモらせたのであった。

 

「そう! このトラップは、踏んだ瞬間に強力な麻痺効果を持った毒ガスが噴射され、対象はしばらくの間、指一本動かせなくなるのだ!」

サヤは悪びれる様子もなく、恐ろしい局地兵器の仕様をドヤ顔で語った。

『それって結構危ないんじゃ……っていうか完全にテロリストの手口ですよね!?』

銀時の顔面で、新八(メガネ)がカチャカチャと激しい警告音を鳴らす。

「そうですよ! いくら教官を保護する目的とはいえ、人体に危害を加えるような真似は、ヴァルキューレ警察学校の生徒として絶対に見過ごせません!」

キリノも腰の拳銃(非致死性)に手をかけ、厳しい声で抗議した。

「フハハ、心配無用なのだ! 確かに効果は強烈だが、持続時間はかなり短く設定してある。……要は、対象が動けなくなった隙に、この解毒薬を口に放り込むまでの『時間稼ぎ』にはもってこいなのだ!」

サヤの自信満々な説明に、腕を組んで聞いていたキサキが鋭い視線を向けた。

「して、その物騒な円盤をどう使う気じゃ?」

「簡単なのだ! シュンが現れそうな通路という通路に、大量にばら撒いて設置するのだ! 避けて通ろうにも足の踏み場もない、まさに地獄のスタンプラリー! どう足掻いても絶対に踏むように仕掛けるのだ!」

ーーーーーーーーーー

――現在――

「フフフ……我ながら、実に完璧な作戦なのだ……」

監視カメラの映像を映し出すタブレット端末を覗き込みながら、サヤは陶酔の笑みを浮かべていた。

計算し尽くされた配置。物理的に回避不可能な絶対の罠。彼女の脳内ではすでに、麻痺して倒れ込む教官の姿が再生されていた。

『あのー……すいません、サヤさん……』

ひどく言いにくそうな、冷や水を浴びせるような新八のツッコミが響く。

「ん? どうしたのだ新八? 獲物が罠にかかる決定的な瞬間を、そのレンズに焼き付けたいのか?」

サヤがウキウキと振り返るが、銀時の顔面に乗ったメガネは、哀れみすらこもった声で無慈悲な現実を告げた。

『……いや、その……全部、見事に避けられてますよ』

「…………は?」

ーーーーーーーーーー

一方、旧校舎の廊下。

「おっと……危ないところでした」

シュエリン(幼女化したシュン)は、床に仕掛けられた凶悪な地雷(トラップ)を、まるで水たまりを避けるかのような軽やかで優雅なステップで、ヒョイッと飛び越えた。

「もう……こんな廊下の真ん中に、いかにも高そうな機械なんか置きっぱなしにして。うっかり踏んで壊してしまったら大変じゃないですか」

彼女は小さな胸を撫で下ろし、ホッと息を吐く。

罠の危険性など微塵も感じ取っていない。教官としての生真面目な習性から、「生徒の落とし物を踏んではいけない」という純粋な善意だけが彼女を動かしていた。

拾って安全な場所に置いてあげようか。そう思って一歩足を踏み出した――その時。

「て、こっちにも!?」

シュエリンは目を丸くした。

彼女の足元には、二つ、三つと、等間隔に並べられた同じ円盤が。さらに薄暗い廊下の奥を見渡せば、まるで飛び石のように無数のトラップが敷き詰められているではないか。

「こんなにたくさん落ちてますね……。よっぽど急いでいたんでしょうか、落とした人は」

シュエリンは不思議そうに小首を傾げた。

それが自分を捕獲するための『回避不可能な地獄のスタンプラリー』であることなど露知らず。彼女は「他人の大切な機械を踏まないようにする」というただ一点の気遣いのみで、サヤの完璧な計算を凌駕する絶妙なコース取りで、トラップ群をケンパの要領でポンポンと進んでいくのであった。

監視カメラの映像に映る、軽やかに地雷原(トラップ群)を駆け抜けていくシュエリンの姿。

それを見ていたサヤのネズミ耳が、ピクッと大きく跳ねた。

「……ッ! そうか……!」

サヤはタブレット端末を指差し、戦慄の表情で叫んだ。

「今のシュンには、あの圧倒的な質量を誇る『ダイナマイトボディー』がない!! つまり、移動時における胸部の空気抵抗が皆無! 体が小さく軽量化されたおかげで、皮肉にもかつてないほどの身軽さと機動力を手に入れているのだ!」

「胸部装甲のパージで空力を得たってか。ミニ四駆じゃねぇんだぞ」

ダボダボの着流しを着た銀時が、死んだ魚のような目でモニターを見つめながら鼻をほじった。

「で、どーするよ天才『鼻の穴』。このままじゃあの合法ロリ教官に逃げられちまうぞ。早くなんとかしろよ」

「だから僕はサヤなのだ! ええい、こうなれば、もはや背に腹は代えられない。強硬手段なのだ」

サヤは床に置いてあった予備のトラップ(円盤状の機械)を拾い上げ、銀時の足元へとゴロンと転がした。

「銀時! このトラップを思いっきり蹴り飛ばして、直接シュンの脳天にぶつけるのだ!」

「おお、なるほど。物理的な飛び道具にするわけだな。任せな」

銀時は不敵な笑みを浮かべ、トラップから数歩距離を取った。そして、幼児化した短い足でスッ、スッとステップを踏み、足首を回す。

「3年Z組銀八先生時空で見せた、俺の華麗なるサンダルシュートを見せてやらぁ……!」

そう呟きながら、銀時はゆっくりと片膝をついた。

そして、自分が履いている(ただの幼児用の)靴の側面に手を当て、カチッ、カチカチッと、存在しない『キック力を増強するダイヤル』を回すような動作をひどく真剣な顔で行った。

『ダイヤル回すなァァァ!!』

銀時の顔面から、新八(メガネ)の激しいツッコミが炸裂する。

新八の悲痛なツッコミを完全に無視し、銀時は猛然とダッシュした。

短い足が床を蹴り、全力のフォームで円盤型トラップへと右足を振り抜く。

「いっけぇぇぇぇぇぇ!!!」

ドスッ! という鈍い衝撃音と共に、円盤型トラップは恐るべき初速で射出された。

それはまるで殺人フリスビーのように空を切り裂き、廊下の奥でピョンピョンと跳ねているシュエリンの背中へと一直線に迫っていく。

「もらったァァァ!」

銀時が勝利を確信してガッツポーズを取った、その瞬間だった。

「きゃっ!? な、何か飛んできました!?」

背後に迫る尋常ではない風切り音に気づいたシュエリンが、サッと振り返る。

迫り来る円盤。

しかし、彼女の身体には『梅花園の教官』としての、そして『山海経のベテラン狙撃手』としての反射神経が染み付いていた。

「うぅ……! 今の私には少し重いですが……!」

シュエリンは自身の背丈ほどもある長大なスナイパーライフルを、小さな肩で必死に支えながら構えた。

幼児化した身体にはあまりにもアンバランスで、銃身の重さに身体がふらついている。だが、スコープを覗き込んだその瞳は、紛れもなく一流の狙撃手のそれだった。

「梅花園の平和を乱す不審物は……私が撃ち落とします!」

ズドンッ!!!

旧校舎の廊下に、鼓膜を劈(つんざ)くような銃声が轟いた。

放たれた弾丸は、空を飛ぶ円盤型トラップのど真ん中を寸分違わず撃ち抜いた。

「「「え?」」」

銀時、神楽、サヤ、キサキ、キリノの動きが止まる。

空中で破壊されたトラップは、その衝撃で安全装置が外れ――なんと、銀時たちの真上という最悪のタイミングで、内部に圧縮されていた強力な麻痺ガスを大噴射した。

プシュゥゥゥゥゥッ!!!

「ゲホッ!? げ、ゴホォォォ!?」

「銀ちゃん! 目が、目がァァァアル!!」

『ちょっ、僕メガネなのにレンズが痺れてきた!? どういう原理!?』

濃密な紫色のガスが、追跡者たちを一瞬にして呑み込んだ。

強力な麻痺成分は瞬く間に神経を掌握し、銀時はコナン君のキックのポーズのまま、神楽は酢昆布をくわえたまま、サヤはドヤ顔のまま、見事に全員が床へと崩れ落ち、ピクピクと痙攣を引き起こした。

罠を張った狩人たちが、自らの罠によって全滅するという、あまりにも美しすぎるオチ。

「あ、あれ……? 当たって爆発しちゃいました……。もしかして、誰かの大切なドローンだったのでしょうか……?」

一方のシュエリンは、遠くでバタバタと倒れる怪しい影たちに気づくこともなく、少し申し訳なさそうに銃を下ろし、再びトテトテと廊下の奥へと去っていくのであった。

 

そこには、前衛的なオブジェのごとく無様な姿勢で固まった追跡者たちの姿があった。

キックのフォロースルーのまま石像と化した銀時。

酢昆布を口にくわえたまま白目を剥く神楽。

そして、見事に全滅した山海経とヴァルキューレの面々。

「ど、どうするんですか……サヤさん!」

床に突っ伏したまま、キリノが涙声で呻いた。ヴァルキューレ警察学校の生徒としての矜持も虚しく、ピクピクと小刻みに震える指先以外、身体の自由が全く利かない。

「指一本、ぜっ、全然動けませんよ……! 犯人確保どころか、私たちが不審物として回収されちゃいます……!」

悲痛な叫びが響く中、元凶であるサヤは、床に頬を押し付けた無様な体勢のまま、なぜか口元に不敵な笑みを浮かべていた。

「ふっふっふ……空中で撃ち落とされ、ガスが不規則に飛散したというのに、対象を完全に無力化するこの圧倒的な威力……。さすが僕さまの天才的な発明なのだ!」

自らの手で味方を全滅させたという事実を棚に上げ、サヤのネズミ耳だけが誇らしげにピコピコと揺れる。

その瞬間、硬直した銀時の顔面から、激しい怒りの振動と共にツッコミの凶弾が放たれた。

『自画自賛してる場合かァァァァァ!!!』

新八(メガネ)のレンズが、怒りの蒸気で真っ白に曇る。

『味方ごと巻き込んで全滅しておいて、どの口がドヤ顔で喋ってんだ!! 天才的なのはアンタのその取り返しのつかないポンコツ具合だけだよ! 罠を仕掛けた本人が自分の罠に引っかかって身動き取れなくなって、一体どういう三流コメディ見せられてるんですか僕たちは!!』

新八の悲痛な叫び(正論)が木霊するが、サヤは都合の悪い言葉をスルーする強靭なメンタルを発揮し、フイッと視線を逸らした。

そのサヤの横顔に、今度は絶対零度の視線が突き刺さる。

キサキだ。

彼女もまた床にペタンと這いつくばる羽目になっていたが、その冷徹な威厳だけは失われていなかった。チャイナドレスの裾を乱し、床の冷たさを直に味わいながら、キサキは地の底から響くような低い声で問うた。

「……で、次は?」

「ヒッ……」

その短くも圧倒的なプレッシャーに、サヤの喉がヒュッと鳴る。

『この醜態をどう挽回する気じゃ?』という無言の圧力が、麻痺した身体にさらなる冷や汗をかかせていく。

天才発明家を自称するサヤの脳内コンピューターが、フルスピードで解決策を弾き出そうとショート寸前まで回転し――。

「……………」

やがてサヤは、ふっと遠い目をして、虚空を見つめながらポツリと告げた。

「………ひとまず、麻痺の効果が切れるまで、ここで横になって待つとしよう……なのだ」

 

麻痺ガスによる地獄の硬直時間から解放された後、散り散りになって捜索を続けた一行は、夕暮れ時の静かな公園で、ようやくその小さな背中を発見した。

公園の茂みの陰。

葉っぱの隙間からターゲットを覗き込み、キリノがホッと安堵の息を漏らす。

「はぁ……ようやく見つけました……!」

「見つけたはいいけど……問題はこの後どうやって捕獲するかなのだ」

サヤが腕を組み、マッドサイエンティスト特有の危険な思案顔を浮かべた。

「ここは一丁、さっきよりさらに強力な麻痺効果と幻覚作用をブレンドした凶悪トラップを……」

「もうお前の頭が麻痺ってるネ。ポンコツネズミ」

神楽が容赦なくサヤのネズミ耳を引っ張る。

「それに、奴に同じ手は二度も通用せんぞ。次は間違いなく妾たちの眉間が撃ち抜かれるじゃろうて」

キサキも呆れたように首を振り、強硬手段を却下した。

打つ手なしの状況に「うーん」とサヤが唸り声を上げた、その時だった。

「ん? あれは――」

キリノが茂みの向こうを指差し、目を丸くした。

茜色に染まる公園のベンチ。

シュエリン(幼女化したシュン)は、誰にも見られないその場所で、小さな膝を抱えてポツリと呟いた。

「はぁ………みんな、嫌いです」

夕暮れの風が、彼女の黒髪を揺らす。

いつもなら「大人のレディー」として飲み込んでいるはずの弱音が、ぽろぽろと口から零れ落ちていく。

「みんな、みんな……好き勝手するのに。わがまま言って、甘えて、逃げ回って……。どうして私ばかり、好き勝手出来ないんですか……!」

梅花園の教官という重圧。しっかり者でいなければならないという呪縛。

身体が小さくなったことで、蓋をしていたはずの「子供の心」が溢れ出し、彼女の視界を涙で滲ませていく。

「どうして私を……いじめるんですか……」

ギュッと目を閉じた、その刹那だった。

ピトッ。

「ヒッ!?」

突然、火照った頬に冷たい水滴のついた何かが押し当てられ、シュエリンは小さく悲鳴を上げた。

恐る恐る目を開けると、そこには「いちご牛乳」の紙パックがあった。

「よぉ。こんなとこで何やってんだ、鬼ごっこ中のお嬢さん?」

逆光を背に立っていたのは、見慣れた天然パーマのシルエット。

だが、その背丈は自分と同じ「幼児」のものではない。着流しをだらしなく着こなし、死んだ魚のような目で気怠げに見下ろしてくる、頼りがいのある(?)大人の男。

「せ、先生……!?」

シュエリンは信じられないものを見るように目を瞬かせた。

「どうして……ここに。それに、そのお姿……!」

茂みの陰からその光景を見ていたキサキが、鋭い目を細める。

「あれは……」

「銀ちゃんアル!」

神楽が身を乗り出す。その視線の先には、完全に元の『坂田銀時(大人)』の肉体を取り戻した男の姿があった。

「ば、馬鹿な! 僕さまの計算では、解毒剤の効果が出るまでまだかなりの時間があるはずなのだ!」

サヤがパニックを起こして自らの計算式を疑い始めた、その背後から。

「僕も元に戻ったよ」

「うわぁっ!?」

唐突にかけられた声にキリノが飛び上がり、振り返る。

そこには、銀縁メガネをかけ、地味な着物を着た一人の少年――いや、『肉体を取り戻した志村新八』が、ホッと安堵の表情を浮かべて立っていた。

「し、新八さん!? なんで人間の姿に……!」

「もうずっとメガネのままかと思ってたアル」

神楽の毒舌をスルーし、新八は己の指がちゃんと動く(メガネのツルではない)ことに感動を覚えながら、静かに説明を始めた。

「どうやらあの解毒薬、性別によって効果が出る時間に差があるみたいなんだ。ここはキヴォトス……女子生徒しかいない学園都市 。元々『女の子の体質』に合わせて成分が調整されてたか、あるいは僕ら男性の代謝機能が薬の成分を早く分解したか……。まぁ、大人の事情(尺の都合)も含めて、そんなとこで理解しておいてよ」

新八は優しく微笑み、再び視線をベンチの二人へと戻した。

夕暮れの下、不器用にいちご牛乳を差し出す銀時と、戸惑いながらもそれを受け取るシュエリンの姿。

「シュンさんのことは、ひとまず銀さんが何とかしてくれるはずです。あの人は、ああいう不器用な子供の相手……得意ですから」

新八の言葉に、キリノも、サヤも、そしてキサキも、そっと息を潜める。

「だから今は……口を出さずに見守りましょう」

西日が長く影を伸ばす公園で、万事屋のリーダーによる「特別授業」が始まろうとしていた。

 

夕暮れの風が吹き抜ける公園のベンチ。

長く伸びた二つの影が落ちる中、銀時は隣で膝を抱える小さな少女に、紙パックからピンク色の液体をトクトクと紙コップに注いで差し出した。

「悪りぃな。いくらマダオな先生とはいえガキに酒は勧められねぇ、この『いちご牛乳』で我慢してくれや」

シュエリンは、差し出された甘ったるい香りのするコップをじっと見つめ、警戒心を露わにして顔を上げた。

「……先生は、私に解毒剤を飲ませる気ですか? その中に、こっそり混ぜているんじゃ……」

「はァ?」

銀時は心外だとばかりに眉をひそめ、自分の分の紙パックにストローをぶすりと刺した。

「何、この銀さんがそんなコソコソ薬盛るような真似すると思ってんの? 人の純粋な善意を疑うなんて、失礼な奴だねぇ」

「……誰が何と言おうと、私は元には戻りませんから」

シュエリンは頑なに首を横に振り、きつく唇を噛み締めた。

その決意の固さに、銀時は無理に説得しようとはしなかった。

「…………そうかい」

ただ一言、短く吐き捨てて、いちご牛乳をチューッと啜る。

あまりにあっさりとした反応に拍子抜けしたように、シュエリンは瞬きをした。

「……止めたりしないんですか? どうして私がこんな姿のままでいたいのか、理由を聞いたりも……」

「誰にだって、全部放り出して立ち止まりたくなる時ぐらいあんだろ。それをいちいち問い詰めるほど、俺ぁ野暮じゃねぇよ」

銀時は空を見上げ、茜色に染まる雲に目を細める。

「ほら、まぁ飲めって。冷てェうちに飲まねぇと、わざわざ注いでやった意味がねぇだろ?」

シュエリンは躊躇いながらも両手でコップを受け取り、一口だけ口に含んだ。

とろけるような甘さが、張り詰めていた心の糸を少しだけ緩ませていく。

「………私は、梅花園の教官です。その役職は山海経の中でもかなり重要で、玄龍門の幹部に匹敵するほどの特権も与えられています」

ポツリ、ポツリと、彼女は抑え込んでいた本音を零し始めた。

「でも……その分、責任も重いんです」

コップの縁を指でなぞりながら、その声は次第に沈み込んでいく。

「仕事の時には、子供たちが目を覚ましてから眠りにつくまで、一瞬たりとも目を離せません。それに、怪我やトラブルが起きれば、夜遅くまで膨大な事務処理もしないといけない……。それらに忙殺されて、山海経の生徒として受けるはずだった自分の授業すら受けられない……。そんなことも、ざらなんです」

彼女の小さな肩が、微かに震えた。

「私は……疲れました。子供たちの面倒を見ていても、毎日怒ってばかりで、辛いことばっかりで……」

懺悔のような吐露を、銀時は静かに聞いていた。そして、ぽりぽりと頭を掻きながら、大きく同意の息を吐く。

「そうだよなぁ……。正直、銀さんも驚いたよ。髪を容赦なく引っ張るわ、気に入らねェと床転がって駄々こねるわ、鼓膜破れるかと思うくらい泣き叫ぶわ……。あんなエネルギッシュなガキどもの世話を毎日たった一人で見てるとか、身体がいくつあっても足りねぇよ」

「そうですよね!?」

シュエリンは弾かれたように顔を上げた。その瞳には、ようやく自分の苦労を分かってくれる「共感者」を見つけたという、切実な安堵が浮かんでいた。

「やっぱり、先生もそう思いますよね?」

「………まぁな。そもそも銀さん、『先生』なんて偉そうな柄じゃねぇし」

銀時は自嘲気味に笑い、紙パックを揺らした。

(やっぱり……先生だって嫌なんです。大人でいることは……責任ばかり重くて、辛いことばっかりなんだ)

シュエリンは胸の奥で、自分の逃避を肯定する言葉を反芻した。

「けどよ、お嬢さん。俺から言わせりゃ、お前さんはちょっと『真面目』すぎるんじゃねぇの?」

「え……?」

「『子供が目を覚まして眠るまで目を離せない』? ばっかお前、んなもん24時間監視カメラじゃねぇんだから、人間がやることじゃねぇよ。テレビで『アンパンマン』でも流しといて、その間に裏で茶ァしばくくらいでいいんだよ」

「そ、そんなの無責任です……!」

シュエリンが身を乗り出して反論する。その真剣すぎる瞳を見て、銀時はやれやれと息を吐き、死んだ魚のような目をゆっくりと向けた。

「あのなぁ……。大人だからって、教官だからって、四六時中『完璧で立派な人間』でいなきゃいけないなんてルール、一体誰が決めたんだよ?」

夕暮れの風が吹き抜ける。銀時の着流しの裾が、ゆっくりと揺れた。

「世の中の大人なんざ、お前が思ってるよりずっとテキトーで、ズルくて、だらしねぇ生き物なんだよ。疲れたら酒飲んで愚痴吐いて、パチンコ打って、糖分取りすぎて医者に怒られて……そうやって上手いこと『息抜き』しながら、なんとかギリギリで社会の歯車やってんの」

 

銀時は自身の短いパーマ頭を指差して、ニヤリと笑った。

「全部背負い込んで、自分の時間まで切り売りしてたら、いつか壊れちまう。……お前が今『逃げたい』って思ってんのは、お前が薄情だからでも、子供が嫌いになったからでもねェ。ただ単に、お前が限界まで頑張りすぎた結果だろ」

シュエリンの瞳が、大きく見開かれた。

「限界まで、頑張りすぎた……」

「だから、わざわざ怪しい薬飲んでガキに戻ってまで、全部放り出す必要なんてねェんだよ」

銀時は立ち上がり、夕日に向かって大きく伸びをした。

「元に戻ったら、少しはズルくなれ。ココナってレディーに仕事押し付けて有給取れ。たまにはガキ共ほったらかして、美味えスイーツでも食いに行け。……**『適当にサボる技術』**を身につけるのも、立派な大人の条件だ。」

その言葉は、教官としての責任感でガチガチに縛られていた彼女の心を、温かいお湯で溶かすように解いていく。

「適当に、サボる……」

シュエリンは、手に持っていたいちご牛乳のコップを見つめた。

甘くて、少しぬるくなったピンク色の液体。それは「子供の象徴」のような飲み物だけれど、これをくれた大人は、誰よりも自由で、そして不思議なほど頼もしかった。

「……ただし」

不意に、銀時の声からチャランポランな響きが消えた。

木刀を提げた大人の男が、振り返って彼女を見下ろす。

「どんだけ普段サボってようが、どんだけダメな大人だろうが……あのガキ共に『本当の危機』が迫った時だけは、誰よりも前に立って泥被ってやる。……それができるのが、『教官』ってやつの唯一の特権であり、責任なんじゃねーの?」

普段は適当でもいい。いざという時だけ、護ればいい。

その言葉が、シュエリンの胸の奥の、一番痛かった部分にスッと落ちていった。

 

夕暮れの風が、いちご牛乳の甘い香りを乗せて静かに吹き抜ける。

銀時はベンチの背もたれに深く体重を預け、空に浮かぶ一番星を見上げながら、面倒くさそうに――けれど、どこか温かい声で口を開いた。

「もし、もしだ。……どうしても我慢できなくなって、また全部放り出して『ガキになりてぇ』なんて思った時は、俺たちの万事屋シャーレ(ところ)に依頼しな」

シュエリンはハッとして、隣の大きな背中を見上げた。

「ずっとってわけにはいかねェが……お前が息抜きする少しの間ぐらいは、あの体力オバケのガキ共の面倒、俺たちでみといてやるからよ」

「せ、先生……」

シュエリンの胸の奥に、温かいものがじんわりと広がっていく。

この適当でだらしない大人は、不器用ながらも自分に『逃げ場所』を用意してくれたのだ。彼女の瞳が再び潤みかけた――その時である。

「あっ、でも休日とか祝日とかは絶対やめてね」

銀時は真顔で、シュエリンに向けてビシッと人差し指を立てた。

「休日は朝からパチンコとか打ちに行かないといけないから。あと、新台入れ替えの日もマジでやめてね。あれは激アツで当たり確定だから。並ばなきゃいけねェから。そこんとこ、大人の事情としてよろしく」

「……せ、先生……」

せっかくの感動を台無しにする最低な念押しに、シュエリンは半ば呆れたように細く息を吐いた。だが、不思議と心は羽のように軽くなっていた。

その時だった。

遠くの方から、夕暮れの空気を震わせて、聞き慣れた声が風に乗って運ばれてきた。

『ねぇ、ココナちゃーん。シュンお姉ちゃんはどこ行ったの〜?』

『ココナちゃんのご飯、やだ〜! ベチャベチャするぅ!』

公園の入り口付近。そこには、園児たちに囲まれてパニックに陥っているココナの姿があった。

『だ、だから! ココナちゃんじゃなくて「ココナ教官」でしょ!』

ココナは涙目で園児たちを宥めようとしているが、完全にナメられている。

『料理の腕は仕方ないでしょ! シュン姉さんたちがとびきり上手なんだから、比べないの! も、もし……シュン姉さんが見つからなかったら、これからも私の料理を食べなさいよ!?』

『やーだー! シュンお姉ちゃんのがいい!』

『シュンお姉ちゃんどこ〜? ウワァァァァン!!』

連鎖する園児たちの泣き声。

その大合唱を前に、ついにココナの強がりも限界を迎えた。

『ちょっ、泣かないの! 泣いても、シュン姉さんが今すぐ帰ってくるわけじゃないんだから……!』

ココナは顔をくしゃくしゃにして、その場にしゃがみ込んでしまった。

『っていうか……泣きたいのは私の方で……っ。シュン姉さん、どこ行ったの……! 一人にしないでよ……うぇぇぇぇっ!』

遠くで響く阿鼻叫喚の地獄絵図。

ベンチに座る銀時は、いちご牛乳をズズッと啜りきり、空のパックを潰した。

「……どうやら、あのガキどもはもう限界みてぇだな。ココナってレディーも含めて」

シュエリンはベンチから立ち上がり、泣きじゃくる梅花園の子供たちと、小さな後輩の姿をじっと見つめた。

脳裏に、先ほどの銀時の言葉が蘇る。

――『あのガキ共に「本当の危機」が迫った時だけは、誰よりも前に立って泥被ってやる。……それができるのが、「教官」ってやつの唯一の特権であり、責任なんじゃねーの?』

「…………」

迷いは、もう微塵もなかった。

彼女は静かに振り返り、銀時へ向かって小さな右手をスッと差し出した。

「先生。……薬をください」

その迷いのない瞳を見て、銀時はニヤリと口角を上げた。

「おっ、やる気が出たか」

懐からサヤの解毒剤を取り出し、シュエリンの手のひらへと落とす。

「……やっぱり、先生は聞いていた通り、いえ、それ以上に……ズルい人ですね」

シュエリンはクスリと笑い、薬の入った小瓶を握りしめた。

「私から『大人に戻りたい』と思わせるように仕向けるなんて」

「悪りぃな。生憎俺もその小汚ねぇ大人って奴なわけだ…」

銀時は夕日に向かって、やれやれと肩をすくめた。

「もし、シュン姉さんが帰ってきたら……思いっきり文句言ってやるんだからぁ……っ!」

涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ココナは地面に向けて恨み言を吐き出していた。

すると、彼女の背後から、ひどく落ち着いた、そしてどこまでも優雅な声が降ってきた。

「あら。今言っていただいても良いんですよ?」

「……え?」

ココナが弾かれたように振り返る。

そこには、夕日を背に受けて立つ、見慣れた長身のシルエット。

艶やかな黒髪を風に揺らし、柔らかな微笑みを浮かべた『梅花園の教官』――大人の姿を取り戻したシュンが立っていた。

「ね、姉さん……! い、いつの間に……!?」

「はい、お待たせしました♡」

シュンは優しく微笑み、しゃがみ込んでココナの目元に浮かんだ涙を、そっと指ですくい取った。

「いくら辛くても、梅花園の教官が子供たちの前で涙なんて流しちゃダメですよ? フフッ、ココナちゃんも、まだまだですね」

「べ、別に泣いてないから!」

ココナは慌てて袖で顔を乱暴に拭い、ツンと顔を逸らした。しかし、その声は安堵で震えている。

「というか! 今までどこ行ってたの!? 姉さんがいなくなった間に、あの天パ頭の先生に子供扱いされるし、おやつは美味しかったけど……『当て馬』なんて意味の分からない漢字のダメ出しされたし! もう散々だったんだから!」

捲し立てるココナを見て、シュンは困ったように眉を下げた。

「それは……確かに、先生の言う通りなのだと思いますが……」

「えっ!?」

「ふふ、ごめんなさい。私が目を離したばかりに、苦労をかけましたね。……今度、ココナちゃんが大好きな『バーゲンダッツのキャラメル味お餅入り』を買ってあげますから、それで許してくれませんか?」

「やっ、やった〜! ……って、アイス一つじゃ誤魔化されないからね!!」

文句を言いながらも、ココナの顔にはパッと明るい喜びの花が咲いていた。

そのやり取りを見ていた園児たちが、わぁっと歓声を上げてシュンに群がってくる。

「わぁー! シュンお姉ちゃんだ!」

「ねぇねぇ、シュンお姉ちゃんどこ行ってたの〜?」

足元にすがりついてくる小さな命の温もりに、シュンは愛おしそうに目を細めた。やはり、自分が帰るべき場所はここなのだと実感する。

「聞いて聞いて、シュンお姉ちゃん!」

一人の園児が、シュンの服の裾を引いて無邪気に言った。

「今日ね、ココナちゃんが作ったご飯は、『新八ってメガネが本体の人の恋みたいにまずい味』がするんだって! 銀ちゃんに教えてもらったんだ〜!」

「…………」

シュンの笑顔が、ピシリと固まった。

(……そういえば、あの万事屋の先生、そんなこと子供たちに吹き込んでいましたね……。自分が子供の姿だった時は気にもしませんでしたが……これは流石に、教育上良くありません)

シュンは内心で深い溜息(と、銀時への呆れ)を吐き出しながら、ゆっくりと園児たちの目線に合わせてしゃがみ込んだ。

「皆さん」

シュンは、教官としての凛とした、けれど優しい声で諭すように言った。

「それは、あまり良い言葉ではありませんから、他所では絶対に言わないように。……良いですね?」

「はーい!」

元気よく返事をする園児たちを撫で回し、シュンはパッと華やかに微笑んだ。

「良い子ですね。それじゃあ、お留守番を頑張ってくれたご褒美に……今日のおやつは、私がパンケーキを焼いてあげましょう」

「「「やった〜!! シュンお姉ちゃん、大好き〜!!」」」

夕闇が迫る公園に、平和で温かな歓声が響き渡る。

少し離れた木陰から、その様子を見守っていた銀時、神楽、新八の万事屋一行は、やれやれと踵を返し、キヴォトスの街へと歩き出すのだった。

夕闇が迫る帰り道。長く伸びた三つの影が、並んで石畳の上を揺蕩(たゆた)っていた。

「いやぁ、流石銀さん。よくあの頑なだったシュンさんを説得しましたね」

新八が、振り返る。

対する銀時は、着流しの袖に両手を突っ込み、ひどく面倒くさそうに首をポキッと鳴らした。

「別に、んな大層なことした覚えはねぇよ。最後に腹括って決断したのは、アイツだよ。俺ぁただ、隣で甘ったるいイチゴ牛乳を酌み交わしただけだっての」

照れ隠しのように鼻をほじる銀時の横で、神楽が酢昆布をモグモグと噛みながら小首を傾げた。

「そういえばシュンちゃん、薬飲んで大人の姿に戻るの、すっごく早かったネ。私と銀ちゃんはあんなに時間かかったのに、どうしてアルか?」

「そりゃあアレだよ。尺とか、テンポとか、そういう大人の事情(アレ)がピンポイントで働いたんだよ。感動の再会シーンで薬効くの待ってたら、尺が足りなくなって読者が作品変えちまうだろ?」

「相変わらずのメタ発言ですね……。少しは余韻ってものを大切にしてくださいよ」

新八の呆れたようなツッコミが、夕暮れの空に平和に吸い込まれていった。

一方、山海経の錬丹術研究部。

カオスな騒動から帰還したサヤは、フンと胸を張り、ネズミ耳を得意げに揺らしていた。

「ま、色々あったが結果オーライってことで良しとするのだ!」

自分のポンコツ具合を完全に棚に上げる図太さを見せつつ、サヤはチラリとキリノの顔色を窺った。

「ところでキリノ。今回の件について、僕さまへのお咎めは……?」

上目遣いで尋ねるサヤに対し、キリノはヴァルキューレの警察手帳をパタンと閉じて、ふぅと息を吐いた。

「無事解決しましたし、結果的にシュン教官に直接的な被害があったわけではありませんから……今回は『不問』とします」

「ふふん! そうこないとなのだ!」

サヤがパァッと顔を輝かせる。

「ですが!」

調子に乗るサヤを、キリノの真剣な声がピシャリと射抜いた。

「あの危険な薬の件については、ヴァルキューレとして引き続き定期的に調査に入りますから。抜き打ち検査も覚悟しておいてくださいね!」

「うーん……それは面倒なのだ……」

サヤが露骨に肩を落として呻く中、部屋の隅で一人、キサキだけは静かに冷たい瞳を伏せていた。

(今回、錬丹術研究部にあの『若返りの薬』のサンプルを送りつけたのは、一体何者じゃ……?)

小さな腕を組み、キサキの明晰な頭脳がフル回転する。

玄龍門の諜報網にも引っかからず、サヤの好奇心を利用して梅花園を混乱に陥れた、見えざる悪意。

(まさか――)

キサキの脳裏に、ある一つの厄介な影が過った。

山海経の喧騒から遠く離れた、薄暗い一室。

無機質なモニターの光だけが、その男の顔を青白く照らし出していた。

「……ふふっ、面白い結果が得られたよ」

申谷カイは、手元の端末に記録された一連のデータ――シュンが幼児化した際の身体変化と、周囲の反応――を眺めながら、底知れぬ笑みを唇に刻んだ。

「それにしても……この程度のちっぽけな問題すら迅速に解決出来ないなんてね。あの泣く子も黙る玄龍門も、すっかり耄碌(もうろく)したってことかな」

冷酷な嘲笑が、静寂の部屋に溶けていく。

彼にとって、今回の騒動はほんの小手調べ。自らの壮大な実験のための、ごく一部のデータ収集に過ぎなかったのだ。

「まぁ、いいや」

カイはモニターの電源を落とし、闇の中で目を怪しく光らせた。

その視線の先にあるのは、山海経という名の巨大な箱庭。

「さぁ……本当の祭りは、これからだよ」

万事屋の介入によって幕を閉じた梅花園の騒動。しかしそれは、山海経を揺るがす巨大な陰謀の、ほんの序章に過ぎなかったのである。




次回予告

ウイ「え、銀魂の映画と同日に出た恋愛映画を潰すために出て欲しい?」

「いや、そういうの間に合ってるというか……」

「拒否権なしですか………」

次回 図書館司書のヤバいやつ

〜透魂〜第一回キャラクター人気投票

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