透き通る世界を照らす銀魂(ぎんのたましい) 作:時代に遅れている
想い寄せれば 桜ひらひら
こぼれ落ちる僕たちの涙
いついつまでも交わした笑顔
君との約束 全ての時よ輝き続けて
旅立つ日の君に何も言えなかった
「さよなら...」想い出の場所
空っぽの春空 満ち溢れた心
わかっていたはずなのに
とめどなく刻み行く日々
繋ぎ止めたい想いを
想い寄せれば 桜ひらひら
こぼれ落ちる僕たちの涙
いついつまでも交わした笑顔
君との約束 全ての時よ輝き続けて
二人約束した桜の木の下であの日の君を探した
茜色 暮れていく空
忘れられない想いを
振り向けばほら 桜ひらひら
蘇る共に過ごした日々
歩んだ道は 色鮮やかに
僕のとなりに君は居ないよ 永久に降り積もれ
君に会いたくて会いたくて 桜が散る前に...
巡る季節の中 きらめいた君が居たこと
想い寄せれば 桜ひらひら
君を探して空を見上げた
もう一度だけ 出会えるのなら
君に伝える言葉があるよ 花びらにのせて
鈍鉛色の雲が垂れ込める空の下、百鬼夜行の近海を満たす紺碧の水面は、まるで彼ら『余所者』の侵入を本能で察知し、拒絶するかのように荒々しい波風を立てていた。
ザパンッ、ザパンッと容赦なく小舟の側面に打ち付ける波飛沫が、これから向かう先の異常性を静かに物語っている。
「……旦那方、見えてきましたぜ」
舳先(へさき)で櫓(ろ)を漕いでいた、犬の獣人である年老いた舟漕ぎが、しゃがれた声で前方を顎でしゃくった。
「あっ!」
神楽が身を乗り出し、目を丸くする。
「あれが……っ」
新八もまた、潮風に煽られるメガネのブリッジを押さえながら、眼前にそびえ立つ異様な影に息を呑んだ。
二人の視線の先。月詠もまた、キセルを握る手に力を込め、警戒に満ちた鋭い流し目をその『島』へと向ける。
艫(とも)の方で腕を組み、船酔いを誤魔化すように狸寝入りを決め込んでいた銀時も、その時ばかりは重い瞼を片方だけ薄く開き、死んだ魚のような瞳で底知れない闇の方向を静かに見据えた。
そこにあったのは、海上にぽつりと浮かぶ、巨大な要塞のような断崖絶壁の孤島。
闇市が蔓延る無法地帯、『島原獄楽島』。
キヴォトスの裏社会を牛耳る犯罪シンジケートと深く結びつき、連邦生徒会の権力はもちろんのこと、ここ百鬼夜行を統治する陰陽部すらも手出しを諦め、黙殺を決め込む超法規的空間。
毒々しい提灯の灯りが、海面に血のような赤い光を落とし、島全体がまるでキヴォトスの海に開いた真っ黒な『口』のように彼らを待ち構えていた。
「旦那方も、随分と酔狂な人たちだ。……こんな命知らずなとこに、わざわざ来ようなんてね」
舟漕ぎの老人は、銀時から受け取った舟代を懐にしまいながら、「あっ、毎度あり」と愛想よく頭を下げた。しかし、その顔を再び島に向けた時、彼の犬の耳が不安げにペタリと伏せられた。
「しっかしいつ見ても……変なんだよなぁ、ここは」
老人の呟きに、新八が怪訝そうに眉を寄せる。
「どの辺がおかしいんですか? 僕らの目から見たところ、ただ巨大な水上都市……あるいは要塞にしか見えないんですけど」
「いやね……」
老人は周囲を警戒するように声を潜め、波の音に紛れさせるように語り始めた。
「他のお客さんや、百鬼夜行の連中はみんな、『この島は昔からここにあった』みたく口を揃えて言うんだ。……だがね、一年前まで、俺の記憶じゃこんな島は影も形も無かったんだよ」
「え……?」
新八の背筋に、ゾクリと冷たいものが走る。
「だか、古い地図や昔の写真をみれば……確かにそこには『ある』んだよ。この島がな」
記憶と記録の矛盾。キヴォトスの常識が歪められ、何者かの手によって世界の歴史(テクスチャ)そのものが改ざんされたかのような、背筋の凍る怪談話。
しかし、そんなクトゥルフ的なホラー展開を、我らがヒロインは容赦無く一刀両断した。
「ただのジジイのボケ発動じゃないアルか?」
酢昆布をモチャリと噛みながら、神楽が鼻ホジ混じりに身も蓋もない暴言を吐き捨てる。
「ハハハ……まぁ、他の連中もみんなそう言って俺を笑うんだよ」
老人は気を悪くする風でもなく、乾いた笑いを漏らした。だが、その声には確かな畏怖の念が込められていた。
「だが……何十年もここらで舟を漕いできた、俺の長年の勘が警鐘を鳴らしてるんだよ。この海の流れ、風の匂い……全てが不自然だ。この島は、決定的に『危険』だってな」
ドンッ、と小舟が獄楽島のひっそりとした寂れた船着場に接舷する。
「アンタらも、用が済んだら早よ帰りな。長居するような場所じゃねぇ。……じゃあな!」
老人は彼らを降ろすと、逃げるように素早く櫓を漕ぎ出し、小舟の向きを変えた。
「じゃあな、犬のボケじいさん」
神楽が最後まで失礼極まりない別れの挨拶と共に、小さく手を振る。
遠ざかる小舟の波音が消えた後、彼らを包み込んだのは、どこからともなく聞こえてくる三味線の狂騒と、咽せ返るような血と欲望の匂い。
「……行くぞ」
ただ一言。銀時が片目に宿していた修羅の光を両目に開き、木刀を肩に担ぎ直す。
島原獄楽島。いざ、深く淀んだ闇の中へ
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大提灯に墨黒と記された「楽」の一文字が、ねっとりとした夜気を切り裂くように中空へ浮かび上がっている。
通りの脇を流れる水路では、豪奢な錦鯉が緩やかに尾ひれを揺らし、水面に落ちた提灯の影を妖しく散らしていた。幾千もの灯籠が、闇を追い払うかのように街の威容を誇示し、紅と金が入り混じる濁った光の波が石畳を舐め回している。
これから死地へと向かうにふさわしい、重く、そして狂気を孕んだ艶やかな夜。
その極彩色の喧騒の中を、彼らは進んでいた。ただでさえ目立つ万事屋一行であるが、今宵の出で立ちは「目立つ」という次元を遥かに超越していた。
当然のことながら、普通の格好ではない。
「……おい。なんじゃ、そのふざけた格好は」
月詠がキセルを唇から離し、呆れ果てたような、ひどく冷ややかな視線を横に投げる。
「何って、決まってるだろ? 月詠。これは変装だよ、ふふん」
白いローブに身を包み、あろうことか銀髪をツインテールに結い上げた銀時が、どこぞの長命のエルフ魔法使いを完全にトレードマークにした得意げな表情で鼻を鳴らした。
その横では、長い付け髭に兜を被り、巨大な斧(のような棒)を持ったドワーフ風の神楽――もとい『カグゼン』が、両手をブルブルと大げさに震わせている。
「どうしたカグゼン、怖いの?」
銀時がわざとらしく、しかしどこか慈愛に満ちた(ような演技の)声で尋ねると、神楽は遠くを見つめるような虚ろな瞳で応えた。
「ああ……この恐怖が、私をここまで連れてきたアル……」
「うわっ、なんなのコイツら……」
神聖な僧侶のローブと錫杖を構えた新八(ハイター風)が、完全に役を忘れて素の表情に戻り、ドン引きした視線を月詠へと送る。
月詠はふぅと細い紫煙を吐き出し、深く、ひどく重い溜息をついた。
「……『なんなのコイツら』はわっちの台詞じゃ。何しに来たんじゃ主ら。これから冬のコミケの暗がりにでも駆け出すつもりか?」
呆れ果てて言葉も出ない月詠だったが、ふと、この完璧な(そして腹立たしい)コスプレパーティーにおける最大の矛盾に気がついた。
「というか……勇者ヒ◯メルはどうした!? パーティーの主役にして核である男が欠けておるじゃろうが!」
鋭いツッコミが飛ぶ。しかし、銀時はローブの裾をふわりと翻し、ひどく冷たく、そしてどこか哀愁を漂わせた伏し目をして、静かに言い放った。
「あらやだ。何言ってるの、この子」
銀時は言葉を切る。そして、圧倒的な原作リスペクト(ただの悪ノリ)を込めて、無慈悲な事実を突きつけた。
「……ヒ◯メルは、もういないじゃない」
そのあまりにも完成度の高い、それでいてこの場において一切の役にも立たない寸劇に、月詠の額にピキリと青筋が浮かんだ。
「……わかった。主らに正常性などという概念が最初から備わっていないことを、すっかり忘れておったわっちが馬鹿じゃった」
月詠の瞳から一切の光が消え、手にしたクナイがギラリと冷たい殺気を放つ。
「とはいえ――そのふざけた格好は、今すぐここで捨ててもらう!!」
「ちょッ、ストップ! ごめんって! イタッ! 痛い痛い痛い!」
情け容赦ない百華の頭領の物理的制裁(強制的な衣装の剥ぎ取り)が始まり、先ほどまでのエルフの風格など微塵もない、情けない悲鳴が夜の街に響き渡る。
「これ以上痛くしたら泣いちゃうからね!? 勇者ヒ◯メルも恐れた、俺の伝説のギャン泣きをここで披露しちゃうからね!!」
「主らの目的は魔王討伐でも旅のごっこ遊びでもないはずじゃ! さっさと脱げ!」
「うおーん! うおーん! うおーん!!!!」
極彩色の提灯に照らされた獄楽島の路地裏に、エルフの姿をした銀髪の侍の、全くもって美しくない情けない号泣が木霊する。
これから始まる死闘の気配など微塵も感じさせない、いつもの、ひどく平和でくだらない万事屋の日常がそこにあった。
「いくら泣こうがわっちがすることは変わらん、ほらさっさと脱ぎなんし」
月詠の声は、極寒の永久凍土のごとく冷ややかだった。銀時の(嘘っぱちの)大号泣を前にしても、彼女の整った顔には一ミリの同情も浮かばない。手にしたクナイをチラつかせるその絶対的な威圧感の前に、さしもの万事屋一行もついに観念した。
「「「はーい」」」
まるで母親に雷を落とされた悪ガキ三兄妹のように、間延びした情けない返事が極彩色の路地裏にハモる。
「全く、先が思いやられるわ」
月詠はキセルを咥え直し、深く、ひどく重い溜息を紫煙と共に吐き出した。これから巨大犯罪シンジケートの心臓部に乗り込むというのに、この緊張感の欠如たるやいかんともしがたい。
「展開が?」
しかし、そのシリアスな溜息すらも、銀時は平然と踏み躙る。ローブの襟を崩しながら、彼はどこか次元の壁を越えたニヤリとした笑みを浮かべた。(※劇場版の興行収入と、この小説の読者人気による作者のやる気に対する、ひどく生々しい懸念である)
「んなわけないじゃろ!鏡見てこいあやかり一行!!」
月詠の鋭いツッコミが夜の路地に炸裂する。大ヒット作の威光に全力でタダ乗り(あやかり)しようとする彼らの底知れない浅ましさに、百華の頭領の堪忍袋の緒がブチ切れた。
「じゃあ、次はスライムにでもなって海にくり出すか」
だが、銀時の悪ノリは止まらない。未練がましく純白のエルフローブを脱ぎ捨てながら、死んだ魚の目をらんらんと輝かせて、今度は異世界転生モノへのジョブチェンジを堂々と提案する。
「良いアルな、蒼海の涙編でも始めるネ」
神楽も付け髭をむしり取りながら、某大ヒットスライムアニメの劇場版タイトルを悪びれもなく口にして同調した。
「じゃあ僕はメガネをーー」
新八が便乗して、自身の本体(メガネ)に新たなファンタジー設定を付与しようと口を開きかけた、まさにその刹那。
「もうパロディはいい!!」
月詠の怒れる怒声が、これ以上広げればコンプライアンスに触れかねないメタ発言の連鎖を、物理的に叩き斬った。
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極彩色の提灯が、ドロリとした夜空を毒々しく照らし出している。
ようやくいつもの着流しとチャイナ服、そして地味な着物にメガネという(彼らにとっての)正装に戻った一行は、警戒を怠ることなく獄楽島の大通りを進んでいた。
表向きは、欲望渦巻く巨大な歓楽街。行き交う人々の喧騒、客を引く甘い声、どこからか聞こえてくる三味線の音色が、絶え間なく鼓膜を叩く。
「いろいろ回って見ましたけど……特に変なことありませんよね?」
新八が、周囲の様子を窺いながらポツリとこぼした。ズレたメガネを中指で押し上げるその仕草には、張り詰めていた糸が少し緩んだような、拍子抜けした安堵が微かに混じっている。確かに、法や秩序が届かない最凶の無法地帯と聞いて身構えていた割には、目に映る光景はただの騒がしい繁華街にしか見えなかった。
「いや、そうでもねぇよ」
だが、先頭を歩く銀時の声は、先ほどまでのふざけきった調子から一転、地を這うような重く低いトーンへと沈み込んでいた。
その声の冷たさに、新八たちがハッとして視線を巡らせる。
煌びやかな表通りの光から一歩外れた、建物の隙間や暗い路地裏の吹き溜まり。そこに蠢く影たちの輪郭が、次第に鮮明に浮かび上がってきた。
華やかな着物を纏いながらも、その瞳には一切の光がなく、怯えたように身を縮こまらせているうら若き少女たち。壁際に寄りかかり、周囲の僅かな物音に過敏に反応しては、恐怖を隠すように牙を剥き出しにして威嚇する獣人の男たち。
彼らの纏う空気は、決して「極楽」を楽しむ者たちのものではなかった。見えない鎖に首を繋がれ、いつ命を奪われるか分からない恐怖に怯える、囚人のそれだ。
「みんなみんな……険しい面ぁしてやがる。」
銀時の静かな呟きが、生温かい夜風に溶ける。
死んだ魚のようだった彼の瞳は、今は抜き身の刃のごとく鋭い光を宿し、この島を覆い尽くす『見えない恐怖』の正体を的確に見据えていた。華やかなネオンの裏で、島民たちの顔に深く刻み込まれた絶望と怯え。それこそが、景虎という絶対的な暴力がこの島を支配している何よりの証拠であった。
ーーーーーーーーーーーー
一方その頃――。
極彩色の欲望が渦巻く獄楽島から遠く離れた、百鬼夜行連合学院の静かな高台。
青白い満月がぽっかりと夜空に浮かび、春の夜風に煽られた桜の花びらが、雪のようにひらひらと舞い散っていた。
その月明かりの下、闇に紛れる(つもりの)忍び装束に身を包んだ少女たちの、ひそやかな、しかし熱を帯びた声が響いていた。
「フッフッフ……イズナ、ついに来た。この時がーー!」
忍術研究部部長、千鳥ミチルは、得意げに腕を組み、不敵な笑みを浮かべた。月光を背に受けるその立ち姿は、いっぱしのベテラン忍者のようでもあるが、狐耳の横から流れる汗が彼女の隠しきれない高揚感を物語っていた。
「イズナ、ワクワクが止まりませんニンニン!」
その後ろで、久田イズナがぴょんぴょんと飛び跳ねるようにして応える。ピンと立った狐耳と、背中でちぎれんばかりに揺れるふさふさの尻尾。主君である銀時のために動けることが嬉しくてたまらないといった、純度百パーセントの忠誠心と好奇心がその瞳にキラキラと輝いている。
「さぁ、行くわよ! 忍術研究部の初任務ーー」
ミチルがビシッと夜の海、その向こうに浮かぶ獄楽島を指差し、声高らかに宣言しようとした。
「カポネ・アル潜伏ーーー!!」
「ちょっ、ちょっと待ってください部長!」
その勇ましい号令を、ひどくおどおどとした、それでいて上ずった声が物理的に叩き折った。
声の主は、部員の中で最も長身でありながら、最も気の小さい少女――ツクヨだった。彼女は巨大な手裏剣を背負いながら、不安げに長い前髪の奥からオロオロと視線を彷徨わせている。
「もう、どうしたのよツクヨ。出鼻をくじかないでよね」
ミチルが唇を尖らせて振り返る。
「ぎ、銀さんに……月詠さんからも言われましたよね? 『絶対に来るな』って……」
ツクヨは長い腕を胸の前で縮こまらせ、震える声で大人たちからの厳命を口にした。
「えっと、それは……忍者として、主人に対するーー」
「対する?」
「……叛逆(はんぎゃく)行為になるんじゃ………」
ヒュゥゥゥ……と、春の夜風がやけに冷たく吹き抜けた。
叛逆。その重すぎる二文字が、高台の空気を一瞬にして凍りつかせる。
「!?」
(し、しまったぁぁぁっ! そんなこと、全っ然考えて無かった……!! どうしよう!?)
ミチルの顔面から、サァァァッと血の気が引いた。
ノリと勢い、そして「忍者の隠密ミッション」というシチュエーションへの憧れだけでここまで来てしまったが、ツクヨの指摘はぐうの音も出ないほどの正論である。主命に背く忍びなど、フィクションの世界でも真っ先に処断されるモブの末路だ。
どう言い訳しようか。瞳をグルグルと泳がせ、冷や汗を滝のように流すミチル。
しかし、そんな絶体絶命のピンチを救ったのは、他でもないイズナの『圧倒的なポジティブ思考』だった。
「いいえ! 叛逆なんてないですよ、ツクヨ殿!」
イズナは胸を張り、夜空の月よりも真っ直ぐで淀みのない瞳で言い切った。
「仲間を襲われ、その仇を取るのは忍者として当然の仕事……」
「と、部長が言ってました!」
「えっ」とミチルが小さく間の抜けた声を漏らす。
「だから、きっと主人殿(銀時)も分かってくれるはずです!」
イズナの言葉には、一片の疑いもなかった。尊敬する部長の(存在しない)教えと、敬愛する主君の懐の深さを完璧に信じ切っている、あまりにも眩しい笑顔。
「え、えぇ……」
ツクヨは、その太陽のようなイズナの気圧に呑まれ、タジタジと後ずさる。
一方のミチルはといえば。
(私、そんなカッコいいこと言ってたかな……? ま、いっか! 渡りに船だし!)
ミチルはコホンと一つ咳払いをして、先ほどまでの動揺を夜の闇へと全力で放り投げた。そして、これ以上ないほどのドヤ顔を作り、イズナの言葉に堂々と乗っかる。
「そ、そう! 忍者は不義理を犯さず、義理を通して忍ぶ者!」
ミチルはビシッと指を突き出し、強引に話をまとめた。
「ごちゃごちゃ言わずに出発する! 忍者研究部、しゅっぱーつ!」
「しゅっぱーつ!」
イズナが両手を高く突き上げ、元気いっぱいに夜空へ叫ぶ。
「しゅっ、しゅっぱーつ……」
ツクヨもまた、不安を隠しきれない顔を赤らめながら、おずおずと控えめに拳を握った。
極彩色のネオンが、淀んだ水たまりの表面に毒々しい斑模様を描いて反射している。
むせ返るような安酒のアルコール臭と、むやみに甘ったるい香水の匂いが鼻腔を容赦なく突く。
その迷宮のごとく入り組んだ路地裏を、百鬼夜行連合学院・忍術研究部の三人は、足音を殺し、周囲への警戒を怠ることなく進みながら隠密の『聞き込み調査』を行っていた。
まずは、獄楽島の裏口へと続く薄暗い路地。
壁に気怠げに背を預け、細い煙管をふかしていた狐の面の少女に尋ねると、彼女は夜の闇に溶け込むような、ひどく低い声で答えた。
「カポネ・アルのボス?……そういや珍しく剣の達人だって話を聞いたような」
有力な情報である。ミチルは闇に紛れながら手元のメモ帳に素早くペンを走らせ、小さく、しかし力強く頷いた。
さらに場所を移し、酔客が千鳥足で行き交う大通りの死角。
顔面に古傷を這わせた、鋭い眼光を放つ歴戦の狐獣人が、警告するように三人をねめつけ、低く唸った。
「闇夜に隠れて一発で敵を喰らうってアレだろ? お前さんら、ここらで手を引きな」
『闇夜に隠れて一発』。
その冷酷無比な暗殺者の手口を示す単語を脳内で反芻し、三人はゴクリと唾を飲み込む。忍びとしての緊張感が、ピンと張り詰めた糸のように高まっていった。
しかし――。
調査の歩みを進めるにつれ、この島のドロドロに淀んだ空気が、次第に聞き込みの趣旨を奇妙かつ致命的な方向へと歪ませていく。
喧騒の絶えない大衆居酒屋の軒先。
赤ら顔で徳利を傾けていた恰幅の良いブルドッグの獣人は、ろれつの回らない口で上機嫌に語り出した。
「一発か……そうだなぁ。夜に毎回一発キメてるからな〜。……でもオレ、虎ちゃんよりニクちゃん派だったな、キャンディーズでは」
(……ん?)
暗殺の脅威から一転、突如として昭和のアイドル談義へとすり替わった言葉に、三人は顔を見合わせたまま、無言で次の路地へと足を踏み入れる。
ネオンサインがジリジリと明滅する、場末の裏通り。
ドラム缶の焚き火にあたっていた、白髪混じりの柴犬の獣人が、遠い過去の栄光を思い出すかのように目を細めて言った。
「わしはピンクレディーの一発派だな」
さらに足を進め、猥雑な空気が最も濃く立ち込める歓楽街の最深部。
そこで彼女たちの前に立ちはだかったのは、およそこの世のものとは思えない奇異な出で立ちの存在だった。
赤ジャージを羽織り、下半身はふんどし一丁。顔には度の強いぐるぐるメガネをかけた、自称『神様』(どこぞのダンボールを被ったオッサン)である。
彼は夜風にジャージを無駄にバサァッと翻すと、おもむろにそのぐるぐるメガネをスッと外し、切れ長の鋭い(しかしひどく濁りきった)瞳を露わにした。そして、三人のうら若き少女に向かってビシッと指を突き出し、無駄に洗練されたポーズを決めて言い放った。
「わしは君たちとーー一発派じゃな」
もはや言葉の真意を隠そうともしない、純度百パーセントの劣情である。
だが、獄楽島の狂気はこれだけでは終わらない。
ゴミ溜めの横を通り過ぎようとしたその時、血まみれで倒れ伏していた死にかけの獣人が、最後の力を振り絞るように震える手を天へと伸ばした。
「わしは……誰でも良いから最後に一発…ガクッ」
事切れる寸前の、命の最期のきらめきすらも、その最低な一言に集約させて、獣人は白目を剥いて完全に動かなくなった。
そして、狭い路地の出口。
待ち伏せしていたかのように、下卑た笑みを浮かべた犬の獣人が、口元からよだれを垂らしながら両手を広げて飛びかかってきた。
「僕はーーァァァ!!!」
シュボッ、バチバチバチッ!!
犬の獣人の歓喜の叫びは、瞬時に断末魔の悲鳴へと変わった。
彼がその最低な言葉を言い終えるより早く、ミチルの手から放たれた導火線付きのロケット花火が、寸分の狂いもなくその右眼球へと深々と押し付けられ、激しい火花と白煙を景気良く噴き上げていたからである。
「良いわよ! わかってるわよ! ヤリたいんでしょ!」
のたうち回る獣人を冷酷に見下ろし、ミチルはついに限界を迎えた堪忍袋の緒を盛大にブチィッと引きちぎった。
極彩色の夜の歓楽街に、彼女のヤケクソ気味な怒声が木霊する。
「下の方しか興味ないこと分かってるんだから!」
ハァ、ハァと荒い息を吐きながら、怒りのあまり肩で風を切るミチル。その後ろで、身の丈ほどもある手裏剣を背負った長身の少女――ツクヨが、ひどく困惑した様子でオロオロと身を縮こまらせた。
「あの……部長。いつから『一発したいアンケート』なんて……」
「勝手にスケベジジイどもがズレていったの!!」
ツクヨの至極真っ当で控えめな疑問を、ミチルは血走った目で即座に怒鳴り散らして粉砕した。
真面目な聞き込み調査のつもりが、いつの間にか獄楽島の住人たちの「最後の一発アンケート」に成り下がっていたという、忍者としての痛恨の極み。息を乱すミチルであったが、不意に、その後ろから純真無垢な明るい声が響いた。
「さすがは部長! このような劣悪な環境でも、島民たちの生態と欲望を的確に掌握するとは、見事な情報収集能力ですニンニン!」
狐耳をピンと立て、背中の尻尾を千切れんばかりに振るイズナ。その澄み切った瞳には、一切の淀みも、大人たちの言葉の裏にある猥雑な意味への理解もなかった。ただ純粋に、尊敬する部長の斜め上の手腕に心から感動しているのである。
そのあまりにも眩しく、そして痛いほど無垢な眼差しを全身に浴び、ミチルはハッと我に返った。
(いけない、部長としての威厳が……!)
コホン、とわざとらしく咳払いをし、乱れた忍び装束の襟をスッと正す。
「そ、そうよ! 全ては敵の本拠地を探り出すための高等忍術……。さぁこのまま敵のアジトまでレッツゴー!!」
ミチルは冷や汗をかきながらも、ビシッと夜の闇の向こうを指差して力強く宣言した。
「ゴー! ニンニン!」
イズナが両手を高く掲げ、元気いっぱいに追従する。
しかし、その勇ましい号令の直後。
「で、その場所ってどこなんでしょう、部長」
ツクヨの、悪気など微塵もない純粋な疑問が、夜の冷たい風と共にスッと差し込まれた。
「あ」
極彩色のネオンの下。
ロケット花火の硝煙が漂う路地裏で、ミチルの時がピタリと止まった。
数十人から下世話なアンケートを取っただけで、肝心の「カポネ・アルのボスの居場所」は、最初の一人以降、誰一人として聞いていなかったという残酷な事実に、彼女は今更ながら気づいてしまったのである。
ーーーーーーーーーーーーーー
消毒液の微かな匂いが漂う、静まり返った白い病室。
窓から差し込む青白い月光が、ベッドの上に身を起こした少女の横顔を柔らかく照らし出している。
晴太は、ベッドの脇に置かれた丸椅子に浅く腰掛け、膝の上でギュッと拳を握りしめながら、上ずった声で口を開いた。
「サクラちゃん、具合はどう?」
その問いかけに、サクラは包帯が巻かれた痛々しい身体を少しだけ動かし、狐の面を外した素顔で、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「晴太くん、いつもありがとう。具合の方はうん。大丈夫だよ」
彼女は少し照れくさそうに視線を落とし、キヴォトスの生徒特有のタフさに自嘲気味な笑いをこぼす。
「神秘による治癒力に感謝しなきゃね、ハハハ」
カラカラとした、少し乾いた笑い声。
普段なら「本当に良かったね」と無邪気に笑い合えるはずの、心温まるお見舞いのワンシーンである。
「…………」
「…………」
しかし、病室に落ちたのは、鼓膜が痛くなるほどの重く息苦しい沈黙だった。
壁掛け時計の秒針の音だけが、無慈悲にチクタクと部屋に響き渡る。(気まず! めっちゃ気まずいんだけど!!)
晴太の心臓は、早鐘のようにドクドクと警鐘を鳴らしていた。全身の毛穴から、尋常ではない量の冷や汗が噴き出している。
(ノリノリでこの状況作ってくれたけどめっちゃ気まずいよ! 機嫌損ねたフェ◯ンとシュ◯ルクみたく気まずいよ!)
さっきまで「オイラがサクラちゃんを守るんだ!」と息巻いてヒロイズムに酔いしれていた自分を、今すぐタイムマシンに乗って全力で殴り飛ばしたい気分だった。
大人気ファンタジーアニメの不器用な若者ふたりのような、甘酸っぱいけれど窒息しそうなほどの独特の緊張感。
だが、晴太のパニックの原因は、単なる思春期のドギマギだけではなかった。
晴太の視界の端――病室のクローゼットの隙間から、銀時がこっそり持ち込んで放置していった『とある物体』が、嫌でも目に入っていたからだ。
(それにーー)
(何これ! 展開早すぎだよ! ヤリすぎだよ!)
そこにあったのは、どう贔屓目に見ても青少年育成条例を真っ向から喧嘩を売っている、モザイク処理が必須の卑猥なシルエット――『モザイクだらけのピードーム』であった。
なんでお見舞いの病室にそんなど直球のアダルトグッズ(?)が鎮座しているのか。晴太の脳裏に、病室に入る直前に背中を押してきた、あの天然パーマの最悪な大人の顔がフラッシュバックする。
「お前男なら一発ぐらいヤってこい。読者の永遠も蒼い牙も、ローマ字もみんなお前の赤飯を待ってる」
死んだ魚の目をした銀時からの、メタ発言と下ネタが複雑に絡み合った最低の激励。
(誰も待ってねぇよ! 待ってるのは作品差しどめのメールだけだよ!)
顔も知らない特定の読者層(ユーザーネーム)に向けてダイレクトアタックを仕掛ける銀時への、魂のツッコミ。コンプライアンスの波に飲まれて作品ごと消し飛ばされる恐怖が、晴太の胃をキリキリと締め上げる。
そんな煩悩とツッコミで脳内が完全にパンクしかけていた晴太の様子に、ベッドの上のサクラが不思議そうに小首を傾げた。
「あの、どうしたの晴太くん? さっきから様子が……」
上目遣いで覗き込んでくる、純粋で心配そうな瞳。
その無垢な眼差しと、自分の中で渦巻いている最低の大人から吹き込まれた邪念との凄まじいギャップに――。
「ビクゥ!!」
バネが弾けたように、晴太の身体が椅子から大きく跳ね上がった。
心臓が口から飛び出そうになるのを必死に飲み込み、彼は真っ赤に茹で上がった顔を勢いよく窓の方へと向け、裏返った声で叫んだ。
「全然! 何もないよ、いやぁ良い月だねぇ!!」
両腕を不自然にぶんぶんと振り回し、額に滝のような汗を浮かべながら、必死に窓の外の月を指差す少年。
不自然に月を褒めちぎる晴太の背中で、サクラが小さく、くすりと笑う気配がした。その微かな、けれど毒気のない笑い声に、張り詰めていた晴太の肩からスッと無駄な力が抜けていく。
気まずい沈黙を塗り替えるように、晴太は照れ隠しに頭を掻きながら、ふと以前から気になっていたことを口にした。
「そういえばさ……。春王だっけ? サクラちゃんの師匠の名前。サクラちゃんの苗字と同じだよね。あれって、何かの偶然だったりするのかな?」
それは、似た境遇を持つ者としての、純粋な好奇心からの問いかけだった。身寄りがなく、泥水をすするように生きてきた彼女が、どうして恩人と同じ姓を名乗っているのか。
サクラは窓の外の月からゆっくりと視線を室内に戻した。その瞳の奥には、冷たい暗殺者の氷は微塵もなく、陽だまりのような温かい記憶を反芻する、穏やかな色が浮かんでいる。
「そりゃそうだよ。だって『春王』って苗字……師匠から貰ったんだもん」
誇らしげな、それでいて壊れ物を扱うようにひどく愛おしそうな響き。家族を持たず、路地裏で名前すら呼ばれなかった彼女にとって、その『姓』を与えられたことがどれほどの救いであったか。晴太の胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「へぇ〜。苗字も……」
晴太が感心したように息を漏らすと、サクラはサイドテーブルの上に静かに置かれている『狐の面』へと視線を移した。青白い月光を浴びて不気味に浮かび上がる、かつて彼女が心を殺すために被っていた仮面。
しかし、それを見つめるサクラの眼差しは、慈愛に満ちていた。
「ほら、そこの狐の面もね。……師匠が作ってくれたの」
包帯の巻かれた細い指先が、愛おしい子供の頭を撫でるように、空中で微かに動く。
「そうなんだ……」
師匠から託された妖刀、与えられた名前、そして手作りの面。それら全てが、サクラにとってこの世界を生き抜くための宝物であり、彼女の魂を繋ぎ止める『錨』なのだと、晴太は子供ながらに理解した。
――しかし。
「ほんと……資格なんてないのにね」
自嘲の笑みと共に吐き出されたその言葉は、空っぽになったサクラの心からこぼれ落ちた、ひどく冷たくて重い雫のようだった。
病室に再び、息が詰まるような沈黙が降りる。
青白い月光が、力なくシーツに投げ出された彼女の細い指先を、残酷なほど鮮明に照らし出していた。
「…………」
晴太は、膝の上でギュッと拳を握り直した。
目の前で自分を責め続ける少女の痛みが、同じように親を持たず、泥水のような路地裏を這いずり回って生きてきた彼の胸を、ギリギリと締め付ける。
「どうしてそう思うんだよ? オイラは、サクラちゃんにお似合いだと思うよ」
少しでも彼女の心を軽くしたくて、晴太は精一杯の努めて明るい声を張り上げた。あの狐の面も、美しい紺碧の刀も、彼女を形作る大切な一部なのだと伝えたかった。
しかし、サクラは力なく、ゆっくりと首を横に振った。
「ううん、晴太くん。私に資格なんてないよ」
「私、守られてばっかりだもん……」
ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉には、隠しきれない震えが混じっていた。
彼女の脳裏に浮かんでいるのは、血に塗れた己の罪と、取り返しのつかない後悔ばかりだ。
「タキも守れず、師匠に助けられて、その師匠を助けられなくて」
シーツを握るサクラの手に、ギリッと力がこもる。
「タキと約束を守ろうとして、みんなを傷つけて……。結局銀さんたちに守られて……私、何も守れてない」
それは、暗殺者としての冷徹な仮面を完全に剥ぎ取られた、ただの無力な少女の悲痛な懺悔だった。
大事なものを守るために剣を取ったはずが、気づけば一番大切な教えを破り、見ず知らずの人々を傷つけ、最後は敵対していたはずの大人に命を救われた。その取り返しのつかない矛盾と無力感が、彼女の心をズタズタに引き裂いていた。
「そんなことないよ! サクラちゃんはーー」
たまらず晴太が身を乗り出し、彼女の悲しみを否定しようとした、その時だった。
サクラが、枕元に立てかけてあった愛刀――『村時雨』を両手で持ち上げ、晴太の胸元へと真っ直ぐに差し出してきたのだ。
「ん! これはーー」
突然突きつけられたずっしりと重い鞘の感触に、晴太は目を丸くして息を呑む。
「聞いたよ、晴太くん。この世界に来る前に、お母さんを夜王って呼ばれる巨大な敵から助け出したり……その後も、街をみんなと一緒に守ってきたって」
サクラの瞳が、涙の膜を張りながらも、晴太を真っ直ぐに見つめていた。そこには、純粋な尊敬と、己との決定的な『違い』を見せつけられた者特有の、深い諦念が入り混じっていた。
「いや、オイラは……それにその刀ーー」
「ううん、いいの」
戸惑う晴太の言葉を、サクラは静かに、けれど頑なに遮った。
「何も守れなかった私より、幼くしていろんなものを守ってきた晴太くんの方が……この刀を扱う資格があると思うから」
それは、彼女が自身のアイデンティティすらも手放し、完全な罰を受け入れようとする儀式だった。師匠から託された宝物を、自分よりも相応しい『光』の側にいる少年に譲り渡すことで、己の罪を少しでも贖おうとしているのだ。
「…………じゃあ」
晴太は、突き出された村時雨を受け取ろうとはしなかった。
ただ、ベッドの脇で俯き、前髪で表情を隠したまま、ひどく静かな声で問いかけた。
「なんで泣いてるんだよ……」
「えっ……」
サクラの頬を、一筋の熱い涙がツーッと伝い落ちた。自分でも気づかないうちに、彼女の瞳からは大粒の雫が次々と溢れ出していたのだ。
「なんで震えてるんだよ。なんで、強く刀握ってるんだよ」
晴太の真っ直ぐな視線が、サクラの手元を射抜く。
晴太に刀を差し出しているはずのサクラの両手は、小刻みにブルブルと震え、鞘を握りしめる指の関節は、血の気が引いて真っ白になるほどに強張っていた。
「本当は手放したくないって」
晴太の口から紡がれた、あまりにも残酷で、そして優しい真理。
図星を突かれたサクラの肩が、ビクゥッと大きく跳ねた。
「そんなことないッ!」
サクラは、自身の本心を誤魔化すように、半ば悲鳴のような声を上げて叫んだ。ポロポロと涙をこぼしながら、子供のように感情を爆発させる。
「こんな汚れた手で、扱っていいものじゃないッ!」
暗殺者として血に染まった自分の手は、師匠の清らかな形見を握る資格などない。強迫観念にも似たその悲痛な叫びが、白い病室に痛々しく響き渡る。
しかし、晴太は少しも怯まなかった。
彼は、泣き叫ぶ少女を真っ直ぐに見据え、一切の迷いのない声ではっきりと告げた。
「だったら、なおさら受け取れない」
「どうしてッ!」
サクラがすがるように、涙に濡れた顔を歪めて問い返す。
どうして受け取ってくれないのか。どうして私を、この重い十字架から解放してくれないのか。
そんな悲痛な願いに対する、晴太の答えは――サクラの想像を遥かに超える、重く暗い告白だった。
「オイラも、手を汚してるからだよ」
「え?」
サクラの息が、ヒュッと止まった。
涙で潤んだ瞳が、極限まで見開かれる。
目の前にいる、太陽のように真っ直ぐで、自分とは違う『光』の道を歩んできたと思っていた少年。彼が今、自分と同じように、過去の罪を告白したのだ。
病室の空気が、先ほどまでの悲哀とは全く違う、静かで冷ややかな衝撃へと一瞬にして塗り替えられていた。
「オイラ、銀さんたちに会う前……ずっとスリをしてたんだ」
ぽつりと落とされたその告白は、静かな病室の空気に小さな波紋を広げた。
サクラは信じられないものを見るように、大きく目を見開く。目の前にいる、太陽のように真っ直ぐで汚れを知らないと思っていた少年が、かつての自分と同じように、暗い泥水の中を這いずり回っていたというのか。
「身寄りもなくてさ。……吉原で花魁だった母ちゃんに、どうしても会いたくて」
晴太は自嘲するように小さく笑い、自身の両手を見つめた。
「汚い手だって、悪いことだって分かってた。……けど、あの頃のオイラには、それでしか金を手に入れる方法がなかったんだ」
生きるために、大事な目的のために、己の手を汚すしかなかった絶望。
その痛いほどの切実さは、サクラの胸の奥底に突き刺さり、共鳴した。
「そっか……晴太くんも、身寄りがなかったんだね……」
サクラの震える声に、晴太はゆっくりと頷く。
「まぁ、育ててくれたじいちゃんもいたんだけどね。早くに死んじゃったから……独りぼっちだった」
同じ境遇。同じ喪失。同じように罪に手を染めた過去。
サクラの中で、晴太という存在が「眩しすぎる光」から、「同じ痛みを分かち合える同志」へと変わっていく。
「……でもさ、そんな真っ暗な時に出会ったのが、あの銀さんたちだったんだ」
晴太は少し照れくさそうに頭を掻き、フッと苦笑いを浮かべた。
「初印象は、もう最悪だったよ。だってオイラが財布スろうとしたら、逆にスリ返してくるわ、あろうことか子供のオイラにパフェまで奢らせたんだよ!? 大人としてあるまじき所業だよ、ホント!」
「……うん、私にも分かる」
張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。
サクラもまた、初対面で顔面に虹色の吐瀉物をぶちまけられるという、生涯忘れることのできない最悪のトラウマ(被害)を被っている。最低な大人に振り回された被害者同盟が、ここにひっそりと結成された瞬間だった。
「でもね……そこからなんだ。オイラがスリから足を洗ったのは」
晴太の瞳から笑みが消え、代わりに強い、揺るぎない光が宿った。
「家族の大切さ、人はいつでも変われる力を持ってるってこと。……そして何より、どんなに自分が小汚くても、自分を信じて突き進む大切さ」
銀時たちの背中を見て学んだ、不器用で、けれど何よりも尊い生き様。
その言葉は、冷たく凍りついていたサクラの心を、春の陽だまりのように優しく溶かしていった。
「サクラちゃんも……どうしたいのか、心の奥底ではもう決まってるんじゃないの?」
晴太の真っ直ぐな問いかけが、サクラの胸を打つ。
「……………」
手放したいわけじゃない。師匠の形見を、自分の一部を、失いたくない。
けれど、己の罪がそれを許さない。葛藤に揺れるサクラに、晴太はさらに決定的な一言を投げかけた。
「それに、『何も守れなかった』なんて……そんなことないんじゃない? 現にサクラちゃんが守りきったものが、あるじゃないか」
「え……?」
サクラが戸惑いの声を上げた、まさにその時。
――ガラガラガラ。
病室の廊下から、車椅子の車輪が軋む音が近づいてきた。
ゆっくりと開かれた襖。そこにいたのは、ヨレヨレのスーツを着たマダオ(バカイザー)に車椅子を押され、青白い顔ながらも、しっかりと前を見据える幼い少女――タキの姿だった。
「タキ………!」
サクラは息を呑み、痛む身体を忘れて身を乗り出した。陰陽面の男に襲われ、三日三晩眠り続けていた間、ずっと気掛かりだった最愛の妹。
「お姉ちゃん……」
タキは車椅子の上で、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら微笑んだ。
「聞いたよ。……お姉ちゃんが、今までずっと辛い思いをしながら、私の面倒を見てくれてたこと」
「いや、私はそんな………っ」
暗殺者として手を汚した事実を知られたのか。サクラの顔からサァッと血の気が引く。
「お姉ちゃん!」
タキは、サクラの言葉を遮るように、か細いけれど力強い声で叫んだ。
「今まで一人で我慢しながら、私のことを守ってくれて……ありがとう」
「!」
その一言が、サクラの心を縛り付けていた最も太くて重い鎖を、粉々に打ち砕いた。
自分が血に塗れて得た金で生きながらえさせてしまったという罪悪感。しかし、タキはそれを咎めるのではなく、姉の孤独な戦いと犠牲に、心からの感謝を捧げてくれたのだ。
「これからは、私も頑張るから……だから、一人で抱え込まずに、困った時は相談してね」
タキの純粋な愛情に触れ、サクラの瞳から堰を切ったように涙が溢れ出した。自分が命を懸けて守ろうとしたものは、決して間違いではなかった。確かにここに、生きている。
感動の姉妹の対面。誰もが涙ぐむ美しい光景――を、容赦なくぶち壊す濁った声が響いた。
「その立派な台詞を吐くなら、まずはその病気を治してから言うもんだ」
車椅子を押していたバカイザー・MADAOが、ひどく現実的で夢のないツッコミを入れた。
「ちょっと! いい雰囲気ぶち壊すの辞めてくんない!? マダオのおじちゃん!」
晴太がすかさず噛み付く。
「お、おじ……おじちゃんとはなんだ! おじちゃんとは! 私はこれでも元エリートでだな!」
地雷を踏まれたマダオが顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
「はぁ!? おじちゃんをおじちゃんと言って何が悪いんだよ! どっからどう見ても立派な中年じゃないか!」
「なんだとこのクソガキィ!」
「やるかガラクタ!」
ガヤガヤ、ギャーギャー。
先ほどまでの涙を誘うシリアスな空気は跡形もなく消え去り、病室はいつもの騒がしくも温かい、どうしようもない日常の喧騒へと包み込まれた。
「ふふっ……」
そのしょうもない口論を眺めながら、サクラは涙を拭い、今度こそ心からの笑みをこぼした。
「まぁ、いろいろ話したけどさ」
ひとしきりマダオと言い争って息を切らした晴太が、改めてサクラへと向き直る。その瞳には、かつて銀時から教わった「強さ」が宿っていた。
「サクラちゃんは……本当はどうしたい?」
その問いに、もう迷いはなかった。
サクラは、ベッドの上に置かれた紺碧の刀――『村時雨』を、今度は自分自身の意志で、両手でしっかりと握りしめた。
鞘のひんやりとした感触が、手のひらを通して彼女の魂に熱を灯す。
「私はーー」
サクラは顔を上げ、月光よりも強い光を瞳に宿して、はっきりと宣言した。
「手放したくない……ッ!」
自分が守り抜いた妹の未来。そして、こんな自分に温かい居場所をくれた、不器用で最高な大人たち。
それら全てを守るために。
「ケジメをつけたい……! 過去に、そして、自分自身に、!」
少女の決意が、極彩色の欲望渦巻く獄楽島へと向かう、揺るぎない刃となった瞬間だった。
「ケジメをつけたい! 自分自身に、過去に!」
サクラの魂からの叫びが、白い病室の壁に力強く反響し、そして静かに溶けていった。
迷いを断ち切った少女の顔には、もう涙はない。あるのは、己の業(ごう)と正面から向き合い、大切なものを自らの手で護り抜くという、揺るぎない刃のような覚悟だった。
その、胸が熱くなるような静寂を――。
「……湿っぽい話はすんだ?」
唐突に、天井の死角から降ってきた、ひどく艶っぽくも呆れたような声が切り裂いた。
「えっ?」
サクラが弾かれたように見上げると、いつの間に忍び込んでいたのか、月明かりを遮るように窓枠の鴨居にぶら下がる『一つの影』があった。
紫色のくノ一装束に身を包んだその女は、顔の半分を隠すマフラーの奥で、赤縁の眼鏡をギラリと怪しく光らせている。
さらに。
「覚悟を決めたならさっさと立ちなさい。……出発しますよ」
鼓膜を撫でるような、淑やかでありながら有無を言わせぬ絶対的な圧を孕んだ声が、今度は病室の入り口から響いた。
影の中から音もなく姿を現したのは、ふさふさとした巨大な尾を背後で揺らす、華やかな和装の女。その顔には、サクラのものとはまた違う、禍々しくも妖艶な狐の面が斜めに被られている。彼女の纏う空気は、息を呑むほどに美しく、そしてひどく物騒な火薬の匂いを微かに漂わせていた。
(だ、誰……!?)
突如として病室に現れた、どう見ても『カタギ』ではない、放つオーラが濃すぎる二人の女。
かつて同じ牢屋にぶち込まれていた次元を超えたストーカー同士(※本人は知らない)という奇跡の共闘なのだが、サクラにとっては完全に理解の範疇を超えた不審者の乱入である。せっかくの感動の涙もスッと引っ込み、サクラは狐につままれたように目を白黒させた。
「え? どこにーー?」
戸惑いながらも、サクラはベッドの上で村時雨を抱きしめたまま問い返す。
満身創痍の身体。そして、外はキヴォトスの法すら届かない最凶の闇夜だ。
だが、呆気にとられるサクラをよそに、晴太はニカッと太陽のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。
彼は、窓の外――暗い海の向こうに浮かぶ、あの極彩色の欲望渦巻く無法地帯の方角を、親指で力強く指差す。
「決まってるだろ」
晴太のその言葉を合図に。
病室に集った、マダオ、晴太、そして素性も知れない謎の女二人組。決して交わるはずのなかった奇妙でカオスな面々が、まるでずっと前から示し合わせていたかのように、サクラの新たな門出を祝うべく、最高に痛快な大合唱を響かせた。
「「「足を洗いに!」」」
過去のしがらみを断ち切り、血に塗れた己の呪縛から抜け出すための、文字通りの『足洗い』。
病室の窓から吹き込んだ夜風が、サクラの黒髪をふわりと揺らす。その突拍子もない、けれどこれ以上なく頼もしい彼らの笑顔を前に、サクラはついに耐えきれず、涙混じりの晴れやかな笑い声を上げるのだった。
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広々とした畳敷きの客間。
そこは、周囲のどす黒い闇とはあまりにも不釣り合いなほど、豪奢な輝きに満ちていた。
部屋の中央に鎮座する黒塗りの立派な座卓には、目にも鮮やかな色合いの座布団が整然と並べられ、賓客をもてなすための豪勢な膳が完璧に整えられている。
朱色の欄干越しに外を眺めれば、暗い水面に揺蕩(たゆた)う無数の極彩色の提灯の明かりと、それらを繋ぐ豪壮な回廊が夜の海に不気味に浮かび上がっている。権力と富、そして暴力。それらすべてを具現化したような、圧倒的なスケールを誇る水上屋敷であった。
敵の本拠地である『島原獄楽島』のど真ん中。本来ならば一歩踏み入れるだけで殺気が飛んでくるはずのその死地において、万事屋一行はなぜか、この上ない『VIP待遇』を受けていた。
「あのー……なんかすみません。いろいろ話を聞いてたのこっちなのに、こんな立派におもてなしされちゃって」
新八は、ズレたメガネを直す振りをして冷や汗を拭いながら、目の前に座る『使いの者』に向かってペコペコと愛想笑いを浮かべた。毒でも入っているのではないかと疑うのが常識人の思考だが、漂ってくる美味そうな匂いに胃袋が悲鳴を上げているのも事実だった。
「いえ、良いんですよ」
使いの者は、顔の半分を覆う不気味な面の下で、ひどく丁寧な、しかし感情の読めない声で応えた。
「こうして出会ったのも何かの縁。今日は存分に楽しんでいってください」
「ああ、はい。ありがとうございまーー」
新八が恐縮して頭を下げかけた、その横で。
「何抜かしてんだ、ぱっつあん!」
ズズズッ! モチャモチャモチャ!
信じられないほどの咀嚼音と共に、銀時が両頬をリスのようにパンパンに膨らませて説教を垂れた。彼の手には、見事な霜降りの肉やら高級そうな天ぷらやらが次々と吸い込まれていく。
「聞き取りの途中でうつつ抜かすとか、やる気足りないネ! そんなんだから『新一』じゃなくて『新八』なんだヨ。なんだよ八って! もっと上を目指すアル!」
その隣では、神楽が自分の顔より大きなドンブリを片手に、猛然と白米を掻き込みながら便乗して新八を罵倒している。
「いや、アンタらが一番気ィ抜いてるよね!? 一番うつつ抜かしてるよね!?」
新八の魂のツッコミが、豪奢な客間に虚しく響き渡る。敵のど真ん中で出された飯を、一切の警戒もなく爆食いするその胆力(ただの食欲)は、ある意味でキヴォトスの神秘すら凌駕していた。
「……仕方ない。こうなれば二人で話を整理ーーと言っても無駄か」
月詠は呆れ果てたようにキセルをふかし、紫煙の向こうでアホなやり取りを繰り広げる万事屋を冷めた目で見つめた。
「そうですね……。大概みんな、バカイザーさんから聞いた話と同じでしたし」
新八もため息をつき、冷静さを取り戻そうと肩を落とす。
「どうですか、お味の方は?」
使いの者が、相変わらずの丁寧な口調で銀時たちに尋ねた。
「うん! んめぇ! んめぇ!」
「もっと私の腹にベットするアル!」
一切の遠慮なくおかわりを要求する銀時と神楽。
「オイィィィィ!! 少しはそのやる気を世の為にベットしろ!!」
新八の血管がブチ切れそうになる中、銀時は箸を止め、口の周りをナプキンで適当に拭うと、死んだ魚のような目をスッと使いの者へと向けた。
「……ところでよ、お前さん。景虎ってやつの話、何か知らない? 俺たち、そいつに用があるんだけど」
先ほどまでのふざけた態度から一転、その声には、隠しきれない修羅の冷たさが混じっていた。
しかし、使いの者はその凄みに怯むこともなく、淡々と問い返す。
「そうですか。ちなみに、銀時さんたちは一体どの程度ご存じなのですか?」
「まぁ、刀の扱いが上手くて男で、一度狙ったら逃さねえってことぐらいだな。あと、男で……」
「そうですか」
使いの者は、銀時の言葉をスッと遮った。
「ですが、その情報には一つ間違いがございます。あのお方は、普段から本来とは別の存在で……『本体は女性』なのです」
「え!?」
新八が驚愕に目を見開く。男だと思い込んでいた最凶の暗殺者が、実は女だったという衝撃の事実。
「ええ。あと、あの刀は何度も磨上げ(すりあげ)をされており、本来の力を失っているということぐらいですかね」
スラスラと、あまりにも重要すぎる情報を明け渡す使いの者。
その異様なまでの『親切さ』に、月詠の瞳がギラリと細められた。
「ほう……。主、よく知っておるな」
月詠はキセルを座卓に置き、音もなくクナイを手の中に滑らせる。
「どうしてこんなに丁寧にしてくれるのか、気になるが」
その月詠の鋭い問いかけに対し、使いの者は初めて、面の下で『嗤(わら)った』。
「ハハハ。それはもちろんーー」
ドロリと重い、本物の殺気が客間を埋め尽くした。
「今この場で、消すからに決まってるじゃないですか」
――ッ!!
銀時の背筋を、強烈な悪寒が駆け抜けた。
本能が告げる絶対的な危機。銀時がハッとして広間を囲む襖へと向き合った瞬間、それらは内側から爆発するように吹き飛び、無数の黒光りする銃口が一斉に万事屋一行へと向けられた。
タタタタタタタタタッ!!!
空気を引き裂く風切り音と共に、四方八方から無数の銃弾の雨が、豪奢な客間を容赦なく蹂躙し始める。
逃げ場のない完全な包囲網。常人であれば、悲鳴を上げる間もなく蜂の巣にされていた絶望的な状況。
しかし――。
「チッ……!」
銀時は、座布団を蹴り飛ばすと同時に腰の木刀を抜き放った。
手首の絶妙なスナップで木刀をくるりと旋回させ、飛来する鉛玉の軌道を次々と力任せに弾き飛ばしていく。
本来ならあり得ない、金属が木に弾かれる甲高い音が、狂った祭囃子のように途切れなく広間に鳴り響く。隣を見れば、月詠がクナイで、神楽が番傘で、そして新八でさえも己の木刀を振るい、迷いなく死の雨を弾き落としていた。
「おいおい、聞いてねぇぜ。こんな賑やかな祭りが開かれるなんてよ」
銀時は弾丸を弾き飛ばしながら、口角をニヤリと吊り上げて不敵に笑う。
「どうやらわっちらは、もう敵の流れに乗せられた小舟のようじゃの」
月詠もまた、きらした煙管を咥えながら、静かに、しかし確かな闘志を燃やして呟いた。
次回予告
ついに始まった犯罪シンジゲートの本土合戦!
景虎の性別は男でなく女性だった!!
話が進むにつれて謎が深まるばかり、果たして晴太の恋も深まるのか……
新八「いやそこォォォ!?」
次回
【挿絵表示】
パヴァーヌ篇一章改修ほぼ終わり
〜透魂〜第一回キャラクター人気投票
-
銀時
-
新八
-
神楽
-
沖田
-
土方
-
山崎
-
高杉
-
桂
-
定春
-
エリザベス
-
ホシノ
-
シロコ
-
ヒナ
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アコ
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ミカ
-
ナギサ
-
セイア
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ユウカ
-
ノア
-
近藤