透き通る世界を照らす銀魂(ぎんのたましい)   作:時代に遅れている

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今回は超長いです。ネルさんもパワーアップしています。
パワーバランス間違えたかも……気にせずどうぞ


第三十三訓 ヤンキーは派手だが中身は優しい

【ミレニアムサイエンススクール・ゲーム開発部 部室】

「お姉ちゃん、まだ!?」

 部室に置かれた年代物のパソコンの前で、モモイは顔を真っ赤にしながら懸命にキーボードを叩き続けていた。カタカタカタッ!という乾いたタイプ音が、まるで心臓の早鐘のように焦燥感を煽り立てる。

 その背後から、普段は温厚なミドリの、今にも泣き出しそうな悲鳴じみた声が突き刺さった。

「ま、待って、急かさないで! あとこれだけ入力すれば終わりだから……!」

 モモイの指は、長年のゲーマー人生で培われた凄まじいAPM(1分間の操作量)でキーの上を駆け巡っていたが、彼女の額には滝のような冷や汗が滲んでいた。

 目の前の画面には、修正しきれていない複雑なプログラムコードがびっしりと並び、エラーとデバッグの果てしないイタチごっこが続いている。残りの作業がどれほどかかるか、天才ゲーマーである彼女自身にも全く読めなかった。

 それでも、迫り来るタイムリミットの恐怖に押され、彼女は泣きそうになりながら最後の仕上げに食らいつく。

「あと2分だよ!? 急かさずにはいられないってば!」

 ミドリは腕に巻いたスマートウォッチを睨みつけ、切羽詰まった表情で再び声を張り上げた。

 目の前で姉がどれほど文字通り血反吐を吐く思いで頑張っているか、一番よく理解している。しかし、ミレニアムプライスのエントリー締め切りという『絶対的な死の時刻』は、無情にも刻一刻と迫っていた。

「正確には96秒です。そう言っている間に、残り92秒……」

 傍らで、アリスが内蔵タイマーと同期したかのように、寸分の狂いもない正確な時間を淡々と告げる。

 彼女の声は平坦で、状況の緊迫感を余所に機械のように無機質だ。そのカウントダウンが無情な死刑宣告のように部室に響き渡り、室内の空気はさらにギリギリと張り詰めていく。

「わ、分かった分かった! もうできたから焦らせないでェェェ!」

 モモイは半狂乱で叫びながら、瞬間的にマウスを弾くように動かした。彼女の声は完全に上ずっており、徹夜による極限の疲労と緊張がピークに達しているのがわかる。

 早く、早く、早く!!

 ミドリはさらに身を乗り出し、祈るように両手を組みながら、モモイの肩越しにパソコンの画面を食い入るように覗き込んだ。

 今日この瞬間。このエンターキーの一撃に、ゲーム開発部の存続と、彼女たちが文字通り命を削って創り上げた神ゲーの運命、そしてミレニアムプライズへのエントリーの全てがかかっているのだ。

「こっちは簡単な動作テストだけやって……うん、致命的なバグ(エラー)は出ていません、モモイ!」

 アリスの手元で、エラーをチェックするための簡易プログラムが緑色のランプを灯した。彼女の表情は微動だにしないが、その声には確かな熱と、仲間への絶対的な信頼がこもっていた。

「オッケー! パッケージ化終了! サーバーへファイルをアップロード! 完了までの予想時間……15秒! アリス、締め切りまであと何秒!?」

 モモイは画面の進捗(プログレス)バーがじりじりと、カタツムリのような遅さで動くのを確認しながら、喉から血が出そうな声でアリスに問いかける。

「残り、19秒です……!」

 アリスの声が、メトロノームのように正確に時を刻む。

 19秒。たったそれだけの時間が、彼女たちにとっては永遠の地獄にも感じられるほど重く、息苦しくのしかかる。

 95%……97%……99%……!

「お、お願い……! いけぇぇぇぇぇっ!!」

 モモイは画面に向かって、己の魂を込めるように叫んだ。

 全てはこの一瞬にかかっている。画面のアップロードバーがついに100%に達し、エントリーの最終確認画面がポップアップした。

 あとは、エンターキーを、押すのみ。

 緊張感が臨界点を突破し、モモイの震える人差し指がキーボードの上に高く掲げられた。

 ほんの一瞬、部室のすべての音が遠ざかり、時間がスローモーションになったかのような錯覚に囚われる。

 そして――。

タァァァァァァァァァァンッッ!!!!

 親の仇でも討つかのような凄まじい勢いで、エンターキーが叩き割られんばかりに押し込まれた。

 …………。

 ……………………。

【ミレニアムプライスへの参加受付(エントリー)が完了しました】

 画面の中央に、女神の微笑みのようなその一文が表示された瞬間。

 張り詰めて凍りついていた部室の空気が、春の雪解けのように一気に融解し、弾けた。

「……間に、合った……あぁぁぁぁぁぁっ!!」

 モモイは、椅子から弾かれたように立ち上がり、抑えきれない歓喜を叫んで両腕を天高く突き上げた。

 彼女の絶叫が部屋中に響き渡り、徹夜の疲労と死の恐怖で凍りついていた空間に、爆発的な生と喜びのエネルギーが一気に流れ込んだ。

「やった……やったよぉぉぉ、お姉ちゃぁぁんっ!!」

 ミドリは、へなへなとその場に崩れ落ち、安堵と達成感でポロポロと涙をこぼしながらモモイの腰にしがみついた。

「ピロリン! 勇者たちは、ついに魔王の試練(締め切り)を打ち破りました! エクストラステージ、クリアです!」

 アリスも、バンザイのポーズでクルクルとその場を回りながら無邪気にはしゃぐ。

「ギリギリ……本当に心臓止まるかと思った……」

 モモイは弱々しく笑いながら、全身の力が抜けてスライムのように床へとへたり込んだ。彼女の指先はまだ痙攣するように小刻みに震えていたが、頭の中で反芻する「終わった」という圧倒的な安堵感が、心地よい疲労感となって全身を満たしていく。

「ふう。……これでひとまず、大仕事は終わったな」

 歓喜に沸く少女たちの背後から。

 部室の隅の古びたソファで、ジャンプを顔に乗せて仰向けに寝転がっていた男が、どっこいしょと重い腰を上げ、まるで自分が世界を救ったかのような、ひどくやり切った、渋い表情で静かに言葉を漏らした。

「ああ。長ェ戦いだったが……よくやった、あー疲れた」

 銀時は、ジャンプをパタンと閉じ、窓から差し込む朝日に目を細めながら、疲労困憊の戦士のような哀愁を漂わせて深く息を吐いた。

「…………」

「…………」

「…………」

 ――ピタッ。

 部室の歓喜の空気が、一瞬にして絶対零度に凍りついた。

 モモイとミドリの顔から、笑顔がスゥッと消え去り、般若のような青筋がピキピキと浮かび上がる。

「……何、銀さんたち『オレたちも一仕事しました』みたいなドヤ顔で哀愁漂わせてんのォォォォ!?」

 モモイが、ツッコミのオーラを纏って指を突きつける。

「そうだよ! 私たちが死に物狂いで徹夜でデバッグしてコード書いてる間、銀さんたち、ずーーーーっとそのソファでジャンプ読んで、鼻ホジって寝っ転がってただけじゃん!!」

 ミドリも、徹夜明けの充血した目で、心の底からのヘイトをぶつける。

「バカ言ってんじゃねェぞアマ。銀さんだってなァ、何もしねェで寝てたわけじゃないの。……俺もちゃんと、燃やしてたんだよ? 魂(こころ)を」

 銀時は、ジャンプの『最新号の燃える展開』を指差し、死んだ魚の目で真顔のまま言い放った。

「「「ジャンプの展開に心燃やしてただけでしょうがァァァァァァァァ!!!」」」

 ゲーム開発部の、怒りに満ちた美しい三部合唱のツッコミが、朝日が昇るミレニアムの空に、清々しく(?)響き渡ったった。

 

【ミレニアムサイエンススクール・ゲーム開発部 部室】

「……まぁ待て。今は仲間割れなどしている場合ではないはずだ」

 腕を組み、深刻な顔つきで桂が口を開いた。彼の落ち着いた声が、徹夜明けの喧騒に包まれていた部室に静かに響き渡り、少女たちの間に再びヒリヒリとした緊張感が戻ってくる。

「……3日後には、お前たちがこのままこの部室にいられるのか、そうじゃないのかが決まるのだからな」

 3日後の結果発表――それこそが、ゲーム開発部の命運を左右する真の審判の日だった。

 ミレニアムプライズは、ただ完成品を提出して終わりではない。参加要件を満たし、最終的に「何らかの賞を受賞すること」。それが、ユウカから突きつけられた廃部撤回の絶対条件なのだ。

 モモイたちの目の前には、エントリーという壁を越えた直後に、さらに高く冷酷な「結果発表」という大壁がそびえ立っている。その重圧が、徹夜の疲労と相まって、じわじわと彼女たちの心を締め付け始めていた。

「うぅ……言われてみれば、一気に緊張してきた……」

 ミドリはふと自分の手のひらを見つめた。先ほどまでエンターキーを打つために祈るように握りしめていた拳が、再び冷や汗でじっとりと湿っていることに気づく。

 皆が無言でその重い緊張感を噛みしめている中。

 突然、モモイが何か閃いたようにパッと顔を上げた。彼女の表情には、重圧を吹き飛ばすような、どこか悪戯っぽく、そして大胆な色が浮かんでいた。

「ねえねえ! でもさ、3日後って結構長くない? そこで提案なんだけどさ……」

 モモイはニヒヒと笑い、とんでもないことを口走った。

「結果発表の前に、先にWeb版の『テイルズ・サガ・クロニクル2』を、フリーゲームのサイトにアップロードしてみるのはどう!?」

「ッ!?」

 ミドリが、心臓を鷲掴みにされたような顔で目を大きく見開いた。

 彼女の心にドッと押し寄せたのは、期待と、それを遥かに凌駕する強烈な「不安」が入り混じった複雑な感情だった。モモイの提案は確かに理にかなっている部分もある。だが、それと同時に、ネットという顔の見えない大海原に自分たちの作品を放り投げた結果がどうなるか、全く予測できないからこそ恐ろしかった。

「ど、どうして……?」

 ミドリが恐る恐る聞き返す。彼女の声は徹夜明けのせいだけではなく、明らかな戸惑いと怯えを隠しきれず、かすかに震えていた。

「だって、3日間もただ指をくわえて待てないよ! それに、頭の固い審査員の小難しい評価より先に、遊んでくれる『本当のユーザー』の生の反応を見たくない!?」

 モモイの瞳は、まるで自分のアイデアが最高の裏技であるかのようにキラキラと輝いていた。

 彼女の主張には確かに一理ある。審査員の評価も大事だが、実際のゲーマーたちからのダイレクトなフィードバックは、それ以上にリアルで、クリエイターとしての純粋な喜びを満たしてくれるはずだ。

 ――だが、それに伴うリスク、特に「ネガティブな反応(クソリプ)」も当然、無数に存在している。

「うーん……でも、やっぱりちょっと怖いかも……。心無い低評価コメントとか、辛辣なレビューとかついたら……私、立ち直れないよ」

 ミドリの声はか細く、自分たちの魂を削ったゲームが、顔も知らない誰かに冷酷に切り捨てられる恐怖に囚われていた。ネットの海は、時に優しく、時に残酷だ。彼女はイラストレーターとしての顔も持つゆえに、その評価の刃の鋭さを痛いほど知っていた。

「何言ってるのさ! ……自信をもって、胸を張って見てもらおうよ! 私たちは、やれるだけのベストを尽くしたんだから!」

 モモイは、太陽のように元気よく反論する。彼女にだって不安はあるだろう。だが、それ以上に「自分たちが作り上げた最高のゲームを世に送り出す喜び」が、恐怖を完全に上回っていた。

「そ、それはそうだけど……でも……」

 ミドリはまだ迷っている。彼女の中では、モモイの言葉に背中を押されつつも、恐怖のブレーキが完全に外れたわけではなかった。

「……うん、アップしよう」

 その時。静かに、しかし確かな決意を込めた小さな声が、部室に響いた。

 普段はロッカーに引きこもり、誰よりも他人の目を恐れるはずの部長――ユズが、一歩前に出て、深く息を吸い込んだのだ。彼女は、その小さな体にありったけの勇気を詰め込み、真っ直ぐに皆の目を見た。

「え?」

 ミドリが驚愕の表情でユズを見つめる。

「私は……みんなに、私たちが作ったゲームを遊んでもらいたい。低評価コメントも……正直、すごく怖いけど……でも、みんなが一緒なら、大丈夫だから……」

 ユズの言葉は震えていたが、その中には確かな「クリエイターとしての矜持」が宿っていた。彼女の瞳は揺るぎなく、ネガティブな反応の恐怖よりも、自分たちの作品を世界に届ける覚悟の方が勝っていたのだ。

「ユズちゃん……」

 ミドリは、その言葉に深く心打たれ、思わず呟いた。誰よりも臆病な部長の振り絞った勇気が、ミドリの中の不安の氷を少しずつ溶かし、解きほぐしていくのが感じられた。

「よしっ! 部長の決裁も下りたことだし! それじゃあ今すぐ、フリーゲームサイトへアップロードォー!!」

 モモイは喜びの声を上げ、考える隙も与えずにすぐさま行動に移った。彼女の指が素早くマウスを滑らせ、最終ビルドのファイルを選び、アップロードボタンにカーソルを合わせる。

「え、えぇっ!? ま、待って! まだ私の心の準備が……!」

 ミドリは慌てて姉を止めようとするが、時すでに遅し。

カチッ。

 軽快なマウスクリック音と共に、アップロードのプログレスバーが走り始めてしまった。ミドリは「ああっ……!」と目を見開いて頭を抱える。

「はい、転送完了! これで世界中のゲーマーが私たちのゲームを遊べるようになったよ! まぁ、実際にプレイして感想のコメントが貰えるまでには、少なくとも2、3時間はかかるだろうし、結果発表までの間、後はしばしの休息ってことで!」

 モモイは満足げに画面を見つめ、高らかにそう宣言した。彼女の顔には満面の笑みが浮かんでおり、徹夜のプレッシャーから完全に解放されたかのように晴れやかだった。

「では、いつもの如くマリオでもやりながら気長に待とうではないか! どうだ? 差し入れとして持ってきた『んまい棒(コンポタ味)』もあるぞ!」

 桂が、肩の力を抜きながら、どこから出したのか大量の駄菓子を取り出しつつ提案した。彼のマイペースで穏やかな声と姿勢が、部室全体の張り詰めた空気を一気に日常のそれへと和らげていく。

「……うん、賛成!」

 ミドリも、少しずつその提案に乗ることに決めた。結果に怯えて胃を痛めるばかりではなく、少し肩の力を抜いて、仲間と共にしばしの休息を取ることが必要だと感じたからだ。

 桂は暇つぶしとして持ってきたレトロゲームのカセットを本体に差し込み、皆が使い慣れたコントローラーを握り締め、ブラウン管の前に集まった。いつものピコピコという電子音が部室に響き始めると、重く感じていた空気が嘘のように軽くなった。モモイの表情も、すっかりいつものゲーマーの顔にほころんでいる。

 だが。

 その和やかな空気の中で、アリスだけはコンピューターの前から一歩も動かず、パイプ椅子に正座したまま、じっと座っていた。

 彼女のサファイアブルーの視線は一切外れることなく、ゲームをアップロードしたサイトのダッシュボード画面を食い入るように見つめ続けている。彼女の周囲には独特の緊張感が漂い、集中の糸がピンと張り詰めているようだった。

 一方の銀時はというと、再びソファに寝そべり、先ほど読みかけだったジャンプを顔に乗せていた。目はページを追っているようだが、時折ペラペラと意味もなくページをめくるその仕草には、彼なりの「結果を待つ微妙な緊張感」が見え隠れしていた。

「ん? アリス、マリオやらないの? なんでコンピューターの前にずっと座ってるの?」

 モモイが、コントローラーを動かしながらふとアリスに声をかけた。

「待機しています。……皆さんが、私達のゲームのダウンロードを始めたようです。……反応が、気になります」

 アリスは画面から目を離さず、静かに答えた。

 彼女の声は冷静そのものだが、その眼差しには確かな熱がこもっていた。サイトのアクセス解析ツールが、アップロードされたゲームが徐々にダウンロードされ始めていることを示しているのだ。

「これからゲームをプレイしてもらうのに、エンディングまで数時間はかかるだろうし、待っててもそんなにすぐには感想なんて来ないと思うよ?」

 モモイは少し驚きながらも、アリスをリラックスさせようと優しく声をかけた。

「はい。それでも、アリスはここで待ちます。勇者の帰還を待つお城の門番のように!」

 アリスの返答は変わらず、微動だにしない。彼女の中で、初めて自分たちが生み出した世界に誰かが触れてくれているという事実が、静かな炎となって燃え続けているようだった。

「……なら、せめて見張りの合間に何か腹に入れとけ。ほらよ」

 銀時が、ソファから気怠げに身を起こし、アリスの前にどんぶりを差し出した。

 それは、ホカホカの白飯の上に、これでもかと大量の「ゆであずき」が山のように盛られた、強烈なビジュアルの一品――銀時特製の『宇治銀時丼』であった。

「ありがとうございます銀さん……パンパカパーン! アリスは回復アイテムを……て、何ですかこれ?」

 アリスはどんぶりを受け取り、割り箸を割ろうとしてピタリと動きを止め、小首を傾げた。その無表情に近い顔に、明らかな「戸惑い」と「警戒(エラー)」のサインが浮かんでいる。

「何って、『宇治銀時丼』だろうが。糖分と炭水化物を同時に摂取できる、徹夜明けの昼飯の最強の相棒(エリクサー)だろ?」

 銀時は、さも当然のように、自信満々に答える。

「………犬の餌(ドッグフード)です」

 アリスは、一切の感情を交えない、AI特有の極めてフラットで冷酷な音声で、静かに一言だけ呟いた。

「あァ!?」

 その言葉の意味を理解した瞬間、銀時のドヤ顔が一気に崩れ去り、部室に情けない叫び声が響き渡った。

 

「おいコラ! 誰の飯が『犬の餌』だ!? あんなマヨネーズを親の仇みたいにぶっかけるマヨラーと一緒にすんじゃねェよ!!」

 自慢のソウルフードを「犬の餌」と一刀両断された銀時は、顔を真っ赤にして青筋をビキビキと浮かばせながら、持っていたジャンプを床に叩きつけて激しいツッコミを飛ばした。

 しかし、非情なAI少女(アリス)は、一切の悪気がない、澄み切った青空のような純真無垢な瞳で首を傾げ、さらに追い打ちをかけるような残酷な提案を口にした。

「……犬の餌がダメなら、猫の餌(キャットフード)ならいいですか?」

「そういう問題じゃねぇよ!! 対象の種族を変えろって言ってんじゃないの!! 俺のは正真正銘、人間の、しかも糖分を愛する選ばれしエリートのための至高のどんぶりなの!!」

 銀時は両手で頭を抱え、己のグルメが全く理解されない異世界の理不尽さに魂の叫びを上げた。

 すると、マリオのプレイ中でコントローラーを握っていた桂が、画面から目を離さずに真剣な顔つきで横槍を入れる。

「銀時、猫に謝れ。あの愛らしい肉球と気高さを持つ彼らに、そんなどす黒いあんこの塊を供えるなど言語道断! 最近のキャットフードの方が、お前のその得体の知れない物体よりも、遥かに総合栄養食として優れているぞ!」

「お前はどっちの味方だヅラ! てかお前、絶対今マリオの残機減ったの俺のせいにして八つ当たりしてんだろ!!」

 部室の中に、いつもの万事屋と桂の不毛で騒がしい口論が響き渡る。

 そんな大人たちの醜い争いをよそに、アリスは宇治銀時丼をじっと見つめ、目の中で青いリングを光らせて真顔のまま分析(アナライズ)結果を報告した。

「ピロリン! アナライズ完了しました。白米(炭水化物)と小豆の砂糖煮(炭水化物+過剰な糖分)。ビタミン、ミネラル、タンパク質が致命的に不足しています。これを摂取し続ければ、数ターン後にステータス異常『糖尿病』および『栄養失調』を併発し、最悪の場合ゲームオーバー(死)に至ります」

 アリスはどんぶりをそっと机の端に押しやり、銀時を哀れむような目で真っ直ぐに見つめた。

「結論。これは生物の食事として不適切です。食べるとHPが減る『呪われたアイテム』です」

「お前らさ、銀さんの数少ない生命線(ソウルフード)をよってたかって全否定とか人の心とかないの……。いいよ、お前らみたいな味覚の青いガキ共に食わせる糖分はねェ。俺が一人で食うから」

 銀時は、いじけたように宇治銀時丼を自分の手元に引き寄せ、背中を丸めてムスッとしながら割り箸を割った。

「お前らには一生、この大人の甘味(ロマン)の奥深さはわかんねェよ……モグモグ……あぁ、疲れた脳髄に直接糖分が染み渡るゥゥゥ。血糖値が爆上がりするこの背徳のメロディが聞こえねェとは世も末だねぇホント……」

 ぶつぶつと文句を言いながら、山盛りのあんこと白飯をかき込む銀時のその哀愁漂う背中を見て、モモイとミドリは顔を見合わせ、思わずクスッと吹き出した。

 ユズも、ロッカーの陰からその様子を見て、小さく口元をほころばせている。

 緊張と恐怖で張り詰めていた部室の空気が、いつの間にか、銀時とアリスの漫才のようなやり取りによって、すっかりと暖かく、柔らかなものへと変わっていた。

 アップロード直後の、あの息が詰まるような焦燥感は、今はもうない。ただ、自分たちが持てる全てを出し切ったという心地よい疲労感と、結果を待つ静かな時間が流れていた。

          †

 それから、数時間が経過した。

 窓から差し込むミレニアムの夕日が、部室の雑然とした床や、少女たちの横顔を茜色に染め始めた頃。

 桂とモモイはマリオの全面クリアを目指して白熱しており、ミドリは隣でうたた寝をし、銀時は完全に食後の血糖値スパイクにやられてソファで大いびきをかいていた。

 そんな、穏やかで気怠い夕暮れの静寂を破るように。

 パソコンの前で、まるで石像のようにピクリとも動かず画面を監視し続けていたアリスの耳に、小さな、しかし明確な電子音が飛び込んできた。

――ピコンッ。

 フリーゲームのホスティングサイトから届いた、新着通知のポップアップ音。

 アリスのサファイアブルーの瞳が、ハッと大きく見開かれる。

「……あ」

 アリスのその小さな声に、部室の空気が一瞬にして凍りつき、ピタリと止まった。

 コントローラーを叩く音も、銀時のいびきも止まる。モモイが画面から弾かれたように振り返り、うたた寝していたミドリもガバッと跳ね起きた。

「ア、アリス……!? 今の音、もしかして……」

 モモイの声が、期待と恐怖で露骨に震えている。

「はい」

 アリスは、画面の右下に表示された小さな吹き出しのアイコンを見つめたまま、ゆっくりと頷いた。

「『テイルズ・サガ・クロニクル2』のコメント欄に……初めての『感想(レビュー)』が書き込まれました」

 ゴクリ、と。

 部室にいる全員が、無意識のうちに生唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。

「……見よう」

 ユズが、震える両手をぎゅっと握りしめ、勇気を振り絞って立ち上がった。

 モモイも、ミドリも、そして銀時と桂も、吸い寄せられるようにアリスの座るパソコンのモニターの後ろへと集まってくる。

 全員の視線が、モニターの一点に集中する。

 伝説の聖書(G.Bible)の言葉通り、己の『愛』の全てを注ぎ込んで作り上げた、神ゲーのプロトタイプ。

 その世界に初めて触れた、顔も知らないプレイヤーからの、運命の第一声。

「開くよ……」

 モモイが、震える手でマウスを握るアリスの手に、そっと自分の手を重ねた。

 そして、静かに、通知のアイコンをクリックする。

 画面が切り替わり、白い背景の上に、一つのコメントが浮かび上がった――。

 

【ミレニアムサイエンススクール・ゲーム開発部 部室】

 白無垢のように無機質なウェブブラウザの背景。そこに、ぽつりと一つだけ産み落とされたテキストデータを、アリスのサファイアブルーの瞳が静かに、そして正確にスキャンしていく。

 部室の全員が、祈るように固唾を呑んでその小さな背中を見守っていた。次に紡がれる言葉は歓喜か、それとも――。期待と不安が風船のように限界まで膨らみ、心臓の鼓動が耳障りなほど大きく響く数秒間。

「えーーと…………」

 アリスの平坦な音声モジュールが、薄暗い部室にその文字を落とした。

〈hermet021:わお、これ前回クソゲーランキング1位を取った、あれの続編? もうゲーム作りはやめたと思ってたけど、懲りないねぇ〉

「…………」

「…………」

 そのコメントの全文が読み上げられた瞬間。

 茜色の夕日に染まっていたはずの部室の空気が、まるで絶対零度の液体窒素をぶちまけられたかのように、一瞬にして凍てついた。

 物理的な暴力など比較にならないほど、冷酷で、無慈悲で、悪意に満ちた言葉の刃。それは、身を削ってゲームを完成させたゲーム開発部のメンバー全員の、無防備で柔らかい心を、容赦なく深く抉り取った。

 画面に表示されたその刺々しい一行を前に、誰もが時間が止まったかのように声を出せず、ただ無言で立ち尽くすことしかできない。冷たい汗がツーッと背筋を伝い落ち、胸の奥で、鉛を飲み込んだかのような苦々しく重い感覚がどす黒く広がっていく。

「っ……」

 才羽姉妹は、そのコメントが目に入った瞬間、呼吸の仕方すら忘れたかのようにピタリと体を硬直させた。

 モモイの口元がヒクッと引きつり、浅く息を吸い込もうとするが、肺が酸素を拒絶する。いつも太陽のように明るい彼女の表情から、一切の色彩が抜け落ちていく。過去のトラウマ――『伝説のクソゲー』と世界中から石を投げられ、嘲笑されたあの日の泥濘(ぬかるみ)のような記憶がフラッシュバックし、彼女たちの細い首をギリギリと締め上げていた。

「うぅ……っ」

 誰よりも批判を恐れていたユズは、両手で口元をきつく覆い隠し、目を伏せたまま小刻みに震え始めた。隠しきれない大きな瞳の縁ギリギリで、今にもボロボロとこぼれ落ちそうな大粒の涙が、表面張力を保って震えている。

 部屋の中は痛いほどの静寂に包まれ、重苦しく、息も絶え絶えになるような沈黙の波が押し寄せていた。

 そんな中、読み上げたアリス自身は、一見すると無表情で冷静に画面を見つめているように見えた。だが、その背中越しに見えるキーボードに置かれた指先は――処理しきれない『悲しみ』というエラーコードに直面し、微かに、けれど確かにカタカタと震えていた。

 努力が、愛情が、ただの一笑で踏みにじられた瞬間。

 少女たちの心がポッキリと折れそうになった、その時だった。

「……。―――ヴェリタスのマキに通信を繋ぎます。該当IPアドレスの物理座標を特定し、宇宙戦艦から最大出力の光の剣(サテライトキャノン)を食らわせてきます」

 静寂を物理的に叩き割ったのは、他でもないアリスだった。

 彼女は振り返りもせず、極めて静かに、しかし『勇者として魔王を討伐する』という確固たる殺意――いや、決意を込めた平坦な声で、恐るべき報復手段を口にした。

 そのあまりにも極端で物騒すぎる言葉に、重く淀んでいた部屋の空気がビキッと微かに揺らいだ。

 さらに。

「ごめんなさーい。銀さん、今からナメック星でフリーザ戦やっちゃってもいいかな? ちょっと親友殺されてブチギレて、スーパーサイヤ人になっちゃってもいいかな? いいよね?」

 気づけば、後ろに立っていた銀時が、腰を深く落とし、手と手の間に青白い気(のようなもの)を極限まで圧縮する謎のポーズを取り始めていた。その顔は完全に、某国民的バトル漫画で金髪に覚醒した直後の主人公の怒り顔をトレースしている。明らかに「かめはめ波」を撃とうとしている構えだった。

「全く、嘆かわしいことだ。画面の向こうの安全圏に隠れて石を投げるような卑劣漢……よもやこんな所でも、天誅を下し外道を成敗する事になろうとはな」

 チャッ、と。

 マリオの帽子を被った桂が、両手に導火線に火のついた黒い球体の爆弾(どう見てもテロリストの標準装備)を幾つも抱え、どこか遠くを見つめながら凛々しい顔で呟いた。

『クソリプ野郎は、ミンチにすんぞ!!』

 極めつけは、部屋の隅にいた巨大な白い生物・エリザベス。

 掲げられたプラカードの過激な言葉と同時に、パカッと開いたその巨大な口(くちばし)の奥から、ズオォォッと黒光りする大砲の砲身がせり出し、画面の向こうのIPアドレスへ向けて物理的に照準を合わせ始めた。

「…………え?」

 一瞬の真空のような沈黙の後。

 涙をこぼす寸前だったユズも、息を止めていたモモイとミドリも、あまりにもカオスで無法地帯と化した大人たちの姿に、ぽかんと口を開けた。

 宇宙からのビーム。かめはめ波。テロリストの爆弾。口から大砲。

 悪意あるコメントのショックなど一瞬で彼方へ吹き飛ぶほどの、圧倒的でバカバカしい『暴』のフルコース。

 彼らの声と行動は、完全にふざけ切っていた。だが、そのデタラメなユーモアと過剰なまでの防衛本能が、傷ついた少女たちを理不尽から庇い、その場の沈みきった空気を少しでも軽くしようとする、彼らなりの「最高に不器用な優しさ」であることは、火を見るよりも明らかだった。

 

「ダ、ダメダメダメダメ! アリスも銀さんたちも、シャレにならないから!!」

 トラウマよりもツッコミの使命感が勝ったミドリが、涙と鼻水を吹き飛ばしながら絶叫する。

「大丈夫大丈夫、ちょっくら一発やるだけだから。星ごと『バカヤロー!!』って決め込むだけだから、ちょーっと地形変えるだけだから」

 銀時は気を練り続けながら、物騒極まりないセリフを連呼する。

「とどめ刺す気満々じゃんソレ! 1アカウントどころか、プロバイダごと地球の一部が消し飛ぶ奴じゃんソレェェェ!!」

 モモイも青筋を立てて立ち上がり、必死に大人の暴走を止めに入る。

「チッ、せっかく銀さんが気を利かせて、ネットのクソリプに大人の厳しさ(物理)を教えてやろうと思ったのに。最近の若者は打たれ弱くていけねェなァ」

 銀時は、構えていた両手をだらりと下ろし、やれやれと肩をすくめた。

「銀時、やはりここは穏便に、奴の家のポストに毎日ピザのLサイズを20枚デリバリーする嫌がらせから始めるべきだったか」

「だから穏便のハードルがおかしいよ!!」

 

わちゃわちゃと騒ぎ立てる、いつも通りのカオスな部室の日常。

 そのデタラメなやり取りをぼんやりと見ているうちに――誰よりも深く傷つき、怯えていたユズの目からこぼれそうだった涙は、すっかりと引っ込んでいた。

「……ふふっ」

 ユズが、小さく、本当に小さく吹き出した。

 その消え入りそうな笑い声に伝染するように、モモイとミドリも、先ほどまでの鉛のように重苦しい空気が嘘のように、クスクスと笑い始めた。

「もー、銀さんたちバカすぎ。……せっかく私たち、シリアスに落ち込んでたのに、雰囲気台無しだよ」

 モモイが、ジャージの袖で乱暴に目元を拭いながら、ズビッと鼻をすする。

「でも……ありがとう。おかげで、ちょっとだけ……元気出た」

 ミドリが、うっすらと赤くなった目で、照れくさそうに銀時たちを見上げた。彼らのバカバカしい優しさが、痛いほど心に染みていた。

「フン。落ち込んでる暇があるなら……画面の向こうの安全な場所から石投げてくるようなヒマ人に、てめェらの作ったゲームがどんだけスゲェか、腕組んで堂々と見せつけてやれ」

 銀時は、ボサボサの天然パーマをポリポリと掻きながら、ひどく面倒くさそうに、しかし、腹の底に響くような力強さで言い放った。

「悪意のあるたった一言でポキッと折れちまうくらいなら、お前ら、最初からゲームなんて作ってねェだろ? ……お前らが信じたモンを、最後まで信じ抜け」

 ダメな大人の、何よりも温かいエール。

 その言葉は、どんな魔法の呪文よりも確かな温度を持って、少女たちの心に深く、力強く根を下ろした。

「ピロリン! アリス、新着通知を検知しました!」

 和やかな空気が戻りかけた、その時。

 アリスが、再び画面の右下を指差して、クリアな声を上げた。

「……今度は、長文のレビューが届いています」

 ごくり、と。

 再び部室に、先ほどとは違う種類の張り詰めた緊張が走る。

 だが、今度は誰も目を逸らさなかった。モモイも、ミドリも、ユズも。己の生み出した世界に向き合う覚悟を決め、しっかりとモニターを睨み据える。

ピコン。

ピコン、ピコンピコン。

ピピピピピピポンッ。

 ――しかし。

 一つ、また一つと。その後も怒涛の勢いで『テイルズ・サガ・クロニクル2』への反応(アクセス)が押し寄せてきた。

 年代物のパソコンから鳴り響くチープな通知音が、次々と小気味良いリズムで彼らの耳に届き、部室内の緊張感のボルテージを否応なしに跳ね上げていく。

「う、うわあぁぁ……っ! 誰の目にも止まらない『無関心』じゃなければ良いな、くらいに思ってたのに……! ここまで一気に数が増えると、流石に急に怖くなってきたよぉ!」

 モモイが両手で顔を覆いながら、限界を迎えた感情を抑えきれずに叫んだ。

 その声は、爆発的な反響への「期待」と、未知の評価に対する「不安」がマーブル模様に入り混じった、複雑な響きを持っていた。少し前までの楽観的な気持ちが、凄まじい波のような反応の多さに完全に呑み込まれ、不安の方が急激に膨張しているのだ。

「……。……アリスの胸の奥のモーターが、とてもドキドキしています」

 アリスは相変わらず座禅を組んだような無表情でパソコンの画面を見つめているが、その平坦な声には、微かな熱と緊張の色が滲んでいる。いつも冷静で機械的な彼女ですら、この初めての「世界との繋がり」に高揚と不安を隠しきれていなかった。

「うぅっ! 期待と不安で、心臓が爆発しそう……!」

 ミドリもまた、その極限のプレッシャーを共有していた。彼女は胸をきつく押さえ、シャツ越しに心臓がドクドクと異常な速さで高鳴っているのを感じている。その鼓動が、自分の不安をさらに煽り立てる。

「あー……。なんか、俺まで無駄に緊張……してきた。ちょっと落ち着くために……ジャンプでも読むか」

 銀時は、額にうっすらと汗をかきながら、床に落ちていた週刊少年ジャンプを拾い上げ、いつも通りの気怠い調子で現実逃避を試みる。しかし、その手つきはどこかぎこちなく、大人のくせに子供たちの熱に当てられて心の中で焦っているのが丸わかりだった。

「なんで銀さんが緊張してんの!?」

 ミドリは、すかさずツッコミを入れ、少しだけその場のピリついた緊張をほぐす。だが、心の中のメーターはまだ、結果への恐怖と期待で振り切れる寸前だった。

「いやいや、ジャンプで緊張を完全燃焼、開始しま〜す! ……って、あれ? 今週号、合併号で休みじゃん……」

 銀時が冗談めかして宣言しつつページをめくるが、そのポンコツな様子に、ミドリは引きつった苦笑いを浮かべた。

「しなくて良いから! ってか、文字上滑りして読めてないでしょ!」

 彼女は呆れたように返すが、そこにはわずかな安心感も宿っていた。ふざけた会話が、張り詰めた糸のような彼女の心を、少しだけ緩めてくれていたのだ。

「あーもう、ダメ! 本当に心臓爆発しそう! こう……ドガーーーーン!! って、みたいに――」

 モモイが、興奮と不安の入り混じったハイテンションで、両手を大きく広げて叫んだ。

 まさに、その瞬間だった。

ドガァァァァァァァァァァンッッ!!!!

『わぁぁぁっっ!!?』

 モモイの「ドガーン」という擬音を、数百倍の質量と音量で具現化したかのような、鼓膜を物理的に破壊するほどの凄まじい【爆発音】が鳴り響いた。

「きゃあぁっ!?」

「うわっ!?」

 突然、部室全体が直下型地震に直撃されたかのように激しく揺れ、全員が悲鳴を上げて床に這いつくばった。

 冗談ではない。ゲーム開発部は今まさに、何者かの『襲撃』を受けたのだ。

 強烈な爆発の衝撃波と共に、部室の壁や天井から無数のひび割れが走り、パラパラと漆喰の粉塵が舞い散る。激しい揺れに耐えきれず、積み上げられていたレトロゲームのソフトや、機材の乗った机やパイプ椅子が、けたたましい音を立てて次々とドミノ倒しのように崩れ落ちていく。

 一瞬にして、平和な部室が瓦礫と土煙の舞う「戦場」へと変貌した。

 視界を塞ぐ煙の中で、ミドリやモモイ、ユズたちは、咳き込みながら驚愕と恐怖に顔を歪め、しばらく床にうずくまって動けずにいた。

「な、なに!? なにが起きたの!!?」

 モモイは目を見開き、粉塵を吸い込んでむせながら、震える声で絶叫した。

 彼女の頭の中は完全にパニックを起こし、今起こっている理不尽な状況を処理する余裕など1ビットも残されていない。パソコンの画面では、まだ自分たちのゲームへの「反応」がピコンピコンと鳴り続けているはずだが、それどころではない。

 

 【ミレニアムサイエンススクール・ゲーム開発部 部室】

 濛々と立ち込める土煙と、キーンという不快な耳鳴り。

 崩れ落ちた天井の瓦礫とひしゃげたパイプ椅子が散乱する中、銀時はボサボサの頭から漆喰の粉を払い落とし、一切のふざけを含まない、底冷えするような低い声で呟いた。

「――襲撃だ」

「……え?」

 モモイは、顔を土埃で真っ黒にしながら、間抜けな声を漏らす。

 銀時は、死んだ魚の目をスッと細め、部室のドアや窓の外からひしひしと伝わってくる無数の『殺気』を正確に読み取っていた。

「どうやら俺たちゃ、完全に囲まれちまったらしい……」

「えぇ!? ど、ど、ど、どういうこと!! 私たち、さっきまでただ平和にパソコンのコメント見てただけだよ!?」

 モモイがパニックを起こし、涙目で腕を振り回す。

「おそらくだが……生徒会(セミナー)の手による報復だろうな」

 マリオの帽子を被った桂が、腕を組みながら冷静極まりない推察を口にした。

「せ、生徒会!? な、なんで!?」

「お姉ちゃん……現実逃避しないで」

 震えるミドリが、姉のジャージの裾を力強く引っ張り、冷酷な事実を突きつける。

「そのゲームを開発するために使おうとしたソフト(鏡)、どこにあったか覚えてる……? その時、私たち何した?」

「あ」

 モモイの動きがピタリと止まる。

「わ、私たち……数時間前に、ミレニアムの最上階を……しゅ、襲撃したよね?」

 ユズが、ロッカーの残骸の陰からガタガタと震えながら真実を補足した。

 そう。彼女たちは数時間前、立派な『テロリスト』としてミレニアムタワーの防衛網を物理的に粉砕してきたばかりなのだ。反撃(お礼参り)が来ないほうがおかしいのである。

「だ、誰!? ゲーム開発のために生徒会を襲撃しようって言ったヤツ!! 率先して悪いことしようって言った人、正直に手あげてーー!!」

ゴスッ!!

「お前だよ……」

 責任逃れを図ろうとしたモモイの頭頂部に、銀時の容赦ない拳骨がクリーンヒットした。

「ピロリン! アリス、戦闘準備完了しました! いつでも最大出力で発射可能です!!」

 コントのようなやり取りの横で、アリスが瞳のリングを赤く光らせ、自分より大きなレールガン(光の剣)を構えて「ウィィィィン……!」と危険なチャージ音を響かせ始める。

「待てアリス殿! こんな狭い密室でそんな規格外のエネルギーを発射でもすれば、敵を倒す前に部室自体が跡形もなく吹き飛ぶぞ!!」

 桂が慌てて制止に入る。

「そ、そんな……。勇者の剣が、こんなところで封じられるなんて……」

 アリスがしょんぼりとレールガンを下ろす。

「じゃあどうすればいいのさ! このままじゃ瓦礫と一緒にペチャンコだよ!」

 モモイが頭を抱えてしゃがみ込む。

「ひ、ひとまず外に出ようよ! 降参するにしても、話はそれからーー」

 ミドリが、半壊した部室の扉の方へと駆け出そうとした、その時だった。

「いや……」

 銀時は、ミドリの前にスッと腕を伸ばして制止すると、ゆっくりと木刀『洞爺湖』の柄に右手をかけた。

 そして、土煙が淀む部室の『奥』――崩れた壁の暗がりへと、鋭い刃のような視線を突き刺した。

「そこにいんだろ? 出てこい。……気付いてねェとでも思ったか?」

 銀時の声に、少女たちの息がピタリと止まる。

 静寂。

 やがて、粉塵の向こう側から、ジャリ……とコンクリートの破片を踏み砕く重い足音が一つ、響いた。

「……チッ。流石だなぁ。アタシら(C&C)を抜いた全員、ブッ倒したって話は伊達じゃねェってことか」

 土煙を切り裂くように響いたのは、小柄な少女の、しかし血の匂いがむせ返るほど濃厚に漂う、圧倒的に好戦的な声だった。

「久しぶりに……心の底から『燃える相手』とやれそうだ!」

 彼女の声がはっきりと空間を震わせた瞬間、その場にいた少女たち全員がヒュッと息を呑んだ。

 まるでその一言が、部室の空気を圧縮し、酸素を奪い去ってしまったかのように、周囲が一気に極限の緊迫感に包み込まれる。

 もうもうと舞う粉塵が晴れ、姿を現したそのシルエット。

 

 土煙の向こうから現れた、二丁のサブマシンガンを携えた小柄なメイド。

 背中に金色の龍を背負い、圧倒的な強者のオーラと濃密な殺気を放つその姿に、部室の空気は氷のように張り詰め、誰もが息を呑んで沈黙した。

「……………」

「……………」

 数秒間、映画のワンシーンのようなヒリヒリとした睨み合いが続く。

 ――しかし。

「(……えっ? 誰あの子。銀さん、1ミリも知らないんだけど)」

 銀時は、顔の向きも表情も一切変えないまま、口元だけを微かに動かして、すぐ後ろにいるモモイに向かって極小の声で囁いた。

 その声には、先ほどまでの「そこにいんだろ?」という百戦錬磨の達人のような威厳は微塵もなく、ただの『知ったかぶりをしてしまった大人の焦り』が滲み出ていた。

「(なっ……!? わ、私に言われても困るって! 銀さんが『気配で気づいた』みたいな、めちゃくちゃ強キャラ感出してたから、てっきり知り合いなのかと思ってたのに!)」

「(いやだって、なんかヤバい気配がしたからとりあえず凄んでみただけで……。めっちゃカッコつけといてアレだけど、全然分からないちびっ子が出てきちゃったんだけど! どうすんのこれ!)」

「(どうすんのって……とにかく話合わせとこうよ! 殺されるよ!)」

 緊迫した空気の裏側で繰り広げられる、あまりにも締まらないヒソヒソ話。

 銀時は「コホン」と一つわざとらしく咳払いをすると、木刀を肩に担ぎ直し、努めて余裕ぶった、しかし完全に舐め腐った態度で口を開いた。

「あ、あー、えっとー……。なんだ、ウチに道場破りにでも来たってことで良いですかァ? チビギャングさん」

 ピキッ。

 その言葉が落ちた瞬間、小柄なメイドの額に、明確な青筋が浮かび上がった。

「誰がチビギャングだコラァッ!!」

 少女は、両手のサブマシンガン『ツイン・ドラゴン』をガチャリと乱暴に構え直し、怒気を含んだ鋭い瞳で銀時を睨み据えた。

「私(アタシ)はネル!! ミレニアム最強のメイド部『C&C』のリーダー、美甘ネルだ!! 」

 鼓膜を震わせるような怒号が、半壊した部室に轟く。

 ミレニアムにおける武力の象徴。その頂点に立つリーダーの咆哮に、モモイたちはヒィッと肩をすくませた。

 だが、銀時は死んだ魚の目でボサボサの頭をボリボリと掻き、反省の色など全く見せずにあくびを噛み殺した。

「あー、あのメイドの親玉ね。ハイハイ、分かった分かった。リーダーってことはお前が一番エラいんでしょ? スンマセンねェ、ウチも今ちょうど立て込んでてさ。とにかく、今日のとこは大人しく帰ってくんない? えっとー……チビねるねちゃん」

ブチィッ!!

 ネルの中で、何かが決定的に千切れる音がした。

「だから! 私の名前は『ネル』だって言ってんだろ!! 『チビ』は余計だブッ殺すぞ!!」

 ネルは怒髪天を突き、今にも引き金を引かんばかりの勢いで銀時へ向けて一歩踏み出した。

「名前覚える気あんのか、この腐れ天パ!! てめェのそのふざけた頭ごと、蜂の巣にしてやろうか!!」

 ミレニアム最強の猟犬の沸点が完全に限界を突破し、部室に暴力の嵐が吹き荒れようとした、まさにその一触即発の瞬間だった。

「あ、いたいたーっ! やっほ〜、銀ちゃん!」

 ネルの背後。崩れた瓦礫の向こう側から、この極限の緊張感を1ミリも読んでいない、ひどく間延びした明るい声が響き渡った。

 ひょっこりと顔を出したのは、透き通るようなアッシュグレーの髪を揺らす長身のメイド――C&Cコールサイン・ゼロワンの、一之瀬アスナであった。彼女は、殺気を撒き散らすリーダーの背後で、遠足中の子供のように満面の笑みで銀時に向かって手を振っているのだった。

 

「いやぁ、ごめんね銀ちゃん! うちのリーダーがさぁ〜、急に飛び出して行っちゃって、アスナたちじゃ止められなくて!」

 アスナは悪びれる素振りなど微塵も見せず、てへっと可愛らしく頭を掻く。

 そして、天井には青空が見えるほどの大穴が開き、ひしゃげたパイプ椅子や高価な機材が無惨に散乱している部室の惨状をぐるりと見渡すと、無邪気に小首を傾げて不思議そうに尋ねた。

「あれ? ……ここで何かあったの?」

 そのあまりにも天然すぎる、空気を1ビットも読んでいない純真な一言。

 瓦礫の陰に隠れていたモモイとミドリは、(お前らのリーダーが今さっきぶっ壊したんだよォォ!)と心の中で激しいツッコミのデュエットを響かせたが、圧倒的な恐怖の前に声帯がストライキを起こし、口をパクパクさせることしかできない。

 一方の銀時はというと、死んだ魚の目をさらに半開きにし、まるでスーパーのお菓子売り場で駄々をこねる他人の子供を前にしたかのように、重く、深々としたため息を吐き出した。

「何があったも何も……。おたくの〜、えーと……『美(み)かーーカンカンチビネルギャング』さんが、いきなり人の家に大砲ぶっ放して道場破りに来て、大迷惑してんのよ」

ピキピキピキッ!!

 その瞬間、ネルの額に、先ほどよりもさらに太く、脈打つほどに明確な怒りの血管が何本も浮き上がった。もはや彼女の脳内の怒りボルテージはメーターを粉々に振り切り、沸点を完全に突破して蒸発している。

「おいコラァァァッ!! 今、絶対にわざと間違えただろォが!! カスリもしてねェし、一文字も合ってねェぞ!!」

 ネルは両手に握った愛銃、ダブルサブマシンガン『ツイン・ドラゴン』をガチャリと乱暴に振りかざし、獲物の喉笛を食いちぎらんとする猛獣のように牙を剥いて吠え猛った。

「後なァ! 『チビ』は余計だってさっきから言ってんだろ!! 私はまだ成長期が来てねェだけだ!! 次その単語口にしたら、マジでてめェのその腐った天パごとブッ殺すぞ!!」

 キャンキャンと激しく吠え立てる小型犬のようなサイズ感。だが、その華奢な体躯から放たれる圧倒的な威圧感と、肌を刺すような極上の殺気は、間違いなくミレニアムの裏の戦場を血で染め上げてきた「最強のバケモノ」のそれであった。普通の生徒なら、睨まれただけで気絶していてもおかしくはない。

 だが、そんな彼女の致死量の殺意を真正面からシャワーのように浴びながらも、銀時は全く動じる気配がなかった。

「はいはい。背が伸びなくて四六時中イライラしてんのね。カルシウム足りてねェよ、チビっ子。牛乳飲んで出直してきなァ」

 銀時は、どこ吹く風といった様子で、小指でほじった耳のカスをフッと吹き飛ばしながら、世界で一番踏んではいけない地雷の上でタップダンスを踊ってみせた。

「…………ッ!!!」

 ネルの目の焦点が、完全に「怒り」という名の狂気に染まり切る。

 最強の刺客の登場により、緊迫の極致で始まるはずだったシリアスな死闘の幕開け。それは一瞬にして、絶対的なペースメーカーである銀時の「理不尽なギャグ時空」へと強引に引きずり込まれ、C&Cの誇る最強のメイドは、今まさに理性の糸を完全に焼き切り、怒りで我を忘れる寸前となっていた。

 

「上等だコラァァッ! 御託はいい、まずその腐れ天パのアンタから相手してやる!!」

 ネルが怒号と共に床を蹴り、凶器のような殺気を剥き出しにして銀時へと跳躍しようとした、その刹那。

「……ッ!」

 突如として、銀時は自身の左胸をギュッと強く鷲掴みにし、死んだ魚の目を限界まで見開き、顔面を苦痛に歪ませた。

「ぎ、銀さん!? 胸を押さえてどうしたの!?」

 先ほどまでのふざけた態度から一転、あまりにも深刻な銀時の様子に、ミドリが血の気を引かせて不安そうに声をかける。

「……もう、ダメだ。心臓が……心臓が、痛い。……も、もう勘弁してください……」

 銀時が、地面スレスレの極小のボリュームで、ミドリに向けてポロリと本音(リタイア宣言)をこぼす。

「(……私ももう、無理)」

 ミドリも、徹夜の疲労と理不尽な襲撃の連続に精神力を使い果たし、全てを諦めたように深々と肩をすくめた。

「待て!! 今のはツッコメよ!! なんで普通に心筋梗塞で納得してんだよ!!」

 ボケを放置されたネルが、完全に空振りした怒りのやり場を失い、サブマシンガンをだらりと下げて困惑しながらツッコミを入れる。最強の暗殺者が、自ら漫才のストッパー役を引き受けてしまうという屈辱。

「無理だよネル先輩。今ツッコんだら私たちの負けだからね! ってか、徹夜明けにこのノリは体力的にキツくて出来ないでしょ」

 モモイが、半目になりながら呆れたように肩をすくめた。

 その完全に「戦意喪失(というかただの疲労)」した空気の前に、ネルは完全に呑まれ、さっきまでの張り詰めていたはずの死闘のプレッシャーが、見事に、跡形もなく崩れ去ってしまった。

「あー、クソッ……! ペース乱しやがって……!」

 ネルはギリッと奥歯を噛み鳴らし、頭を振って無理やり仕切り直しを図る。再び冷酷な戦闘狂としてのスイッチを入れ、鋭い瞳で一同を睨み据えた。

「な、なんの用ですか? 生徒会からの防衛依頼は、もうとっくにキャンセルされているはずですよね……?」

 ミドリが、不安で震える膝を必死に抑え込みながら、何とか冷静さを保って問いかけた。

「……なに、用があるのはアンタら『ゲーム開発部』じゃねェよ」

 ネルの視線が、モモイたちからスッと外れ。

 その殺気を孕んだ鋭利な視線が、真っ直ぐに、レールガンを抱えたアリスと、床にしゃがみ込んでいる銀時へと向けられた。

「……そっちの、バカみたいにデケェ武器持ってる新入部員の奴と……先生、アンタらだ」

「アリスと?」

 モモイが驚愕してアリスに視線を移し、状況を必死に理解しようとする。

「俺らに?」

 銀時は、心臓を押さえたままの情けない体勢から、面倒くさそうに顔を上げ、何かを悟ったように小さく頷いた。

「そうだ。てめェらには個人的に用がある。……ウチの可愛い後輩ども(C&C)に、えらく見事な一発(恥)を食らわせてくれたらしいじゃねェか。……ちょっと、ツラ貸せや」

 ネルは冷たい狂気の笑みを浮かべ、サブマシンガンのグリップをギリッと握り締め、明確な戦闘態勢を取った。

 その明らかな「タイマン(殺し合い)の要求」。

 モモイたちは息を呑み、圧倒的な武力衝突が避けられない事態に、再び全身に強烈な緊張を走らせた。

 ……しかし。

「ピロリン! アリス、理解しました。……これは、俗に言う『告白イベント』ですね」

 緊迫の極致。その空気を、アリスの極めて平坦で純真無垢な電子音声が、真っ二つに叩き割った。

「チビメイド様は……アリスと銀さんたちのことが気になっていて、裏舎(体育館裏)に呼び出して、強引に『惚れている』と伝える展開です。ツンデレという属性ですね」

 アリスが、全く悪気のない、澄み切った瞳でぽつりと呟いたその言葉に。

 場が、完全に、そして文字通り氷点下まで凍りついた。

「――は?」

 ネルは目を限界まで丸くし、自分の耳に飛び込んできた理解不能な単語の意味を、数秒かけて懸命に噛みしめる。

「え、マジで? そうなの? ……あー、ごめんね。俺、結野(けつの)アナウンサー以外の三次元と恋人になるのは……ちょっと今のところ考えられないっていうか。それに、いくらなんでも犯罪の匂いが強すぎるし」

 銀時は、立ち上がってペコリと丁重に頭を下げ、本気のトーンで謎の女子アナウンサーへの純愛を貫き、ネルからの『告白(殺害予告)』をきっぱりと断った。

「ふ、ふッッざけんなこの野郎ォォォォッ!!」

 ネルの顔色が、一気に茹でダコのように真っ赤に沸騰した。

「誰がてめェらみてェな電波と天パに惚れるか!! そもそも誰がチビメイド様だ!! マジでミンチにしてやろうかァァァ!?」

 ネルの怒りが臨界点を突破し、サブマシンガンをめちゃくちゃに振り回して暴れ狂う。その常軌を逸した怒声に、少女たちがヒィッと身を縮める中。

「待て、ネル殿」

 マリオの帽子を被った桂が、腕を組み、ひどく真剣で、どこか哀愁を漂わせた表情で静かに口を開いた。

「俺は、お前のような子供を愛でるような、破廉恥なロリコンではない。……俺が好きなのは『NTR(人妻)』だ! だから、俺のことは潔く諦めてくれ!」

 桂の、己の業の深さを誇るかのような堂々たる性癖の暴露。

 そのあまりにも最低すぎる言葉に、その場の全員が(味方すらも)完全に引いてしまい、部室が墓場のように静まり返った。

「……だから! 違うっつってんだろォが!! マジで全弾撃ち込むぞコラァ!!」

 ネルは苛立ちを抑えきれず、額に幾筋もの青筋を浮かべながら狂犬のように叫んだ。

「それに何だその『NTRがいい』ってのは!! てめェ、こんな女子高生の部室でサラッととんでもねェドス黒い性癖暴露してんじゃねェぞ変態!!」

 ミレニアム最強の不良メイドに、倫理観とコンプライアンスで正論のツッコミを入れさせてしまうという異常事態。

 一方で、完全にペースを掌握した銀時とゲーム開発部のメンバーは、必死に肩をすくめて吹き出すのを堪えていた。

「まあまあ先輩、一度落ち着いてください。血圧が上がりますよ」

「そうだよリーダーがここでツッコんだら、この人たちのペースに巻き込まれて一生話が終わらないよ!」

 見かねたアカネとアスナが、背後からスッと現れてネルの肩を押し、激昂する猛犬を何とか宥めて場を落ち着かせようとする。

「ハァ……ハァ……チッ。どいつもこいつも、フザケやがって……」

 ネルは荒い呼吸を数回繰り返し、強引に怒りを胃の奥底へと飲み込むと、再び冷酷で真剣な顔つきを取り戻し、静かに、射抜くような視線で銀時たちを睨み据えた。

「な、なんの、用なんですか……?」

 ミドリが、恐る恐る、今度こそ本題に入るように不安そうに問いかける。

「……アンタたちに、本気で聞きたいことがあるんだよ」

 ネルは、チャキッ、とツイン・ドラゴンの銃口を下げ、低い声で尋ねた。

「どうして、アンタたちみたいに『理不尽に強い』大人が……わざわざこんな吹けば飛ぶような弱小部活(ゲーム開発部)の連中なんかに肩入れして、全力で守ろうとしてるんだ? ……ただの、シャーレの『先生』としての無駄な責任感からか?」

 ネルの瞳には、怒りでも殺意でもなく、純粋な『強者に対する疑問』が、真剣な色となって滲み出ていた。

「…………」

 銀時は、ポリポリと首の後ろを掻きながら、木刀を肩に乗せ、あくまでも淡々とした、飾らない口調で答えた。

「俺達は、『こいつらのゲーム部を守る』って約束した。……ただ、それだけだ」

 その言葉には、大仰な正義感も、余計な装飾の言い訳もなかった。ただ「約束したから守る」、それだけの、バカみたいに真っ直ぐで揺るぎない、侍の矜持。

「……それだけ?」

 ネルは、あまりにも拍子抜けな、利益も打算もないその答えに意外そうな顔を浮かべた。

 だが、すぐに何かを確信したように、ニヤリと、凶暴で楽しげな笑みを深く刻み込んだ。

「……フッ、フハハッ。そうかよ。面白ェじゃねェか……」

 ネルの瞳が、最高のおもちゃを見つけた子供のように、挑発的にギラギラと輝き始める。彼女はサブマシンガンを再び構え、明確な殺気を乗せて銀時たちを睨みつけた。

「だったら……見せてみろよ! アンタらの、その意地でも『守る力』ってやつをよォ!!」

 交渉決裂。

 完全に火のついた戦闘狂の開戦の合図。

「やれやれ。そこまで言われたなら、売られた喧嘩を買わねェわけにはいかねェな……」

 銀時は、死んだ魚の目にスッと鋭い刃の光を宿し、低く構えを取った。

 その瞬間、場の空気が再び張り詰める。

 

その瞬間、先ほどまでのふざけた空気が一掃され、半壊した部室の空気が再びガラスのように鋭く張り詰める。

「行け、アリス!」

 

「はい!」

 アリスが、自身の背丈よりも巨大なレールガンを構え、一切の迷いがない冷徹な瞳でターゲットを見据えた。直後、重厚な機械音と共に、網膜を焼くような青い光が一瞬にして砲身へとチャージされていく。

「行きます、トリガーONチャージ完了100%……! ―――光よ!」

 アリスの可憐な叫びと共に、青い閃光が爆発的に解き放たれた。

 それはまさに破壊の嵐だった。極太のレーザーが空気を焼き焦がし、轟音と共に辺り一帯を呑み込む。直撃を免れた位置にいたはずの銀時と桂でさえ、靴底を床に食い込ませて必死に踏ん張らなければ、暴風の余波だけで身体が宙に浮きそうになるほどの規格外の威力。

「一撃必殺です!」

 閃光が収まると同時、アリスは誇らしげに胸を張り、自信満々に宣言した。レールガンの砲口からは、高熱の白煙がシューッと立ち上っている。

 圧倒的な火力。これなら流石のバケモノメイドも灰燼に帰しただろう――ゲーム開発部の誰もがそう確信して息を吐き出そうとした、まさにその瞬間。

「――いや、まだ終わってねぇ」

 銀時が、額に冷や汗を滲ませながら静かに呟いた。彼の死んだ魚の目は、アリスの撃ち抜いた射線の先――もうもうと立ち込める土煙の奥を、まるで獲物を警戒する獣のように鋭く見据えていた。

「え?」

 モモイが、銀時の言葉の意味を理解できずに戸惑いの声を上げた。

「煙の先に倒したはずのネル先輩の姿が…!?」

 ミドリが悲鳴のような声を震わせる。

 その言葉の通りだった。アリスが最大火力を叩き込んだはずの爆心地。晴れゆく煙の奥で、ネルはまだ【生きていた】。直撃を間一髪で躱したのか、それとも相殺したのか。彼女は姿勢を極端に低く沈め、その戦闘態勢をただの一ミリも崩していなかったのだ。

「チャ、チャージを!」

 アリスが事態を察知し、焦燥と共に再びレールガンへエネルギーを送り込もうとする。しかし、その重い兵器が起動する動作の前に、ネルの影が爆発的なスピードで弾け飛んだ。

「遅ぇ!」

 それは、常人の動体視力では決して捉えきれない、文字通りの『神速』だった。

 ネルは瞬きする間もなく十数メートルの距離をゼロに詰め、巨大な砲身を構えるアリスの完全に死角となる側面へと回り込んだ。

「横だよ」

 耳元で死神のように囁かれたその言葉に、アリスは驚愕の表情で振り返る。

 ネルはそのコンマ一秒の隙を絶対に見逃さなかった。アリスの無防備な腹部めがけて、全身のバネを乗せた鋭く重い回し蹴りが叩き込まれる。

 アリスは咄嗟に分厚いレールガンを盾にして防御するが、ミレニアム最強の脚力から生み出された衝撃は、重い鉄塊ごと彼女の小柄な身体を無慈悲に吹き飛ばした。

「ぐっっ――うぁッ!」

 アリスの身体がボールのように空中を舞い、背後のコンクリート壁に激しく激突する。

 ドンッ! という鈍く重い音が響き、衝撃で肺の空気を吐き出したアリスの手から、頼みの綱であるレールガンが力なく滑り落ち、ガランと乾いた音を立てて地面に転がった。

「確かに、並大抵の火力じゃねぇが……それだけだ」

 ネルは、蹴りを放った体勢から流れるように立ち上がり、軽く首と肩を回しながら、倒れ伏すアリスの脳天へとサブマシンガンの銃口を突きつけた。

「くぅ……」

 アリスは苦痛に顔を歪め、ガクガクと震える腕で懸命に身体を起こそうとする。しかし、受けたダメージは深く、その動きはひどく鈍い。

「だが、その強すぎる火力のせいで、相手にある程度の距離まで入られたら撃てねぇ。爆発に自分まで巻き込まれるからな……そしてな」

 ネルは、絶対的な優位に立ちながらも決して油断せず、氷のように冷徹な目で状況を分析しながら、アリスの顔面に銃口を固定する。

「この間合いでアタシに勝てる奴なんざ、キヴォトス全体でもそう多くは居ねぇ、覚えておけ」

 勝利を確信したかのように冷笑を浮かべるネル。

 周囲の空気は真空のように張り詰め、銃口の先にある「死」の気配が、アリスの敗北がもはや確定事項であることを物語っていた。

「……アリスが、負けちゃった?」

 モモイが、信じられないものを見る目で絶望の声を漏らす。

「これがミレニアム最強……どうしよう……」

 ミドリは、自分たちの最強の勇者が手も足も出ずにねじ伏せられた事実に手を震わせ、極度の緊張で顔面を蒼白にして呟いた。ユズも、目の前で突きつけられた圧倒的な「力の差」という暴力に動揺し、恐怖で口元をきつく押さえている。

「安心しろ、お前が弱いわけじゃねえ……ただ場数が違った、それだけだ」

 ネルは、足元で這いつくばるアリスを冷たい眼差しで見下ろしながら、強者としての無情な宣告を言い放つ。

 しかし、アリスは悔しそうにギリッと歯を食いしばり、床についた小さな拳を微かに、しかし力強く震わせていた。

「…くっ、まだ終わっていません……」

 満身創痍の身体。それでも瞳の奥の「勇者の光」を消さず、アリスは気力を振り絞って再び立ち上がろうとする。だが、ネルはすかさず容赦のない一言でその希望を叩き折ろうとした。

「いや、もう終わった……ここから逆転は有り得ねぇ」

 ネルは、もう戦意を喪失するだろうと一瞬だけ銃口を下げた。

 ――だが、彼女は気づいてしまった。アリスのサファイアブルーの瞳に、まだ狂気じみた『戦意』が燃え盛っていることに。

 アリスは、ダメージで身体をガタガタと震わせながらも、床に転がっていたレールガンのトリガーへ手を伸ばし、再び致死のエネルギーをチャージし始めたのだ。

「うぅぅ…チャージを……」

「何?」

 ネルはその異様な動きを鋭く察知し、瞬時に再び銃を構え直す。

『まさか、この至近距離であの攻撃を……』

 銀時と桂も、アリスの破滅的な行動に即座に気づき、顔を青ざめさせて顔を見合わせた。

 彼らの脳裏に浮かんだのは、アリスが無謀にも、この自分すらも巻き込む至近距離でレールガンの最大火力をぶっ放し、ネルと『相打ち』を狙うという最悪の光景だった。

 止めなければ、全員が消し飛ぶ。

ピロピロピロピロ

 絶体絶命、文字通り一触即発の極限状態。

 その張り詰めた空気を、銀時の懐から鳴り響いた、ひどく間の抜けた安っぽい着信音が真っ二つに叩き割った。

『銀の字、お前さんたちに言い忘れがあった』

 電話に出るや否や、スピーカーから江戸のからくり堂の親父、平賀源外の呑気な声が鼓膜に届く。

「何だよ、こんな時に……」

 銀時は、目の前で自爆のカウントダウンを進めるアリスを横目に、顔を引きつらせて苛立ちながら耳を傾ける。

『あの娘のことだ。無茶して至近距離でレールガンを撃つかもしれねぇ。そうなったら最後は……』

「光よ!――」

 源外の言葉を遮るように、アリスの決死の叫びが部室に響き渡った。

 レールガンが限界までチャージされ、再び青い光が眩く膨れ上がる。ミレニアム最強のメイドと、ゲーム開発部の勇者。その至近距離で、破滅の閃光がまさに炸裂しようとしていた。

「くっ!」

 ネルはその強烈な光に対し、瞬時に腕で顔を覆い目を細めた。

 ――閃光。轟音。そして、全てを無に帰す破壊のエネルギーが放たれる、その瞬間。

ジョロジョロジョロジョロ……

 突如として、アリスのレールガンの巨大な砲口から、まるで水鉄砲の先から漏れ出るような、なんとも情けない音と共に『黒い液体』が勢いなく噴き出した。

 光も爆発もなく、ただただ黒い汁が床に生温かい水たまりを作っていく。

 あまりにも予想外すぎる、そして締まらない状況に、ネルもアリスも、その場にいた全員が石像のように完全に固まった。

「え?」

 モモイが、そのシュールすぎる光景に、本日何度目かわからない戸惑いの声を上げる。

 静寂に包まれた部室に、通話状態のままのスマートフォンから、源外の声だけが静かに、そしてやけにクリアに響いた。

『醤油が出る』

 タメにタメた沈黙を打ち破り、銀時が腹の底から、魂を込めた全力のツッコミを炸裂させた。

「だからなんで醤油だァァ!!お前コレただの醤油鉄砲だろーがァァ‼︎」

 「…………」

「…………」

 ミレニアム最強の武力と、ゲーム開発部の命運を懸けた勇者。

 二人の緊迫した死闘の果てに訪れたのは、大豆と小麦が織りなす芳醇で香ばしい匂いと、果てしなく気まずい真空のような沈黙だった。

 ジョロジョロと床に滴り落ちた漆黒の液体(キッコーマン)が、無残にも広がっていく。

「ちょっ! ちょっとタンマです!!」

 銀時は、顔面を滝のような冷や汗で濡らしながら、両手でアルファベットの「T」の字を作り、大声でタイムアウトを宣言した。そして、ショックで固まっているアリスの襟首を掴むと、猛烈なスピードでモモイとミドリのいる後方へと後ずさりし、緊急の作戦会議(円陣)を開いた。

「(アリス……負けちゃいました……)」

 アリスは、ポタポタと醤油を滴らせるレールガンを力なく抱え、瞳の端に大粒の涙を浮かべて極小の声で呟いた。勇者の誇りが、完全に粉砕された瞬間である。

「(負けてない負けてない! 醤油が出ただけだから! 勝負はまだこれからだから!)」

「(そうだよ、アリスちゃんは悪くない! 大丈夫だから!)」

 モモイとミドリが、必死にアリスの背中を撫でて慰める。

 銀時も、ボサボサの頭を掻きむしりながら、なんとかこの絶望的な状況を誤魔化すための、苦し紛れにも程があるフォローを絞り出した。

「(あ、安心しろアリス! 今回はホラ、あの……安全装置? 安全なんとかのせいで、たまたま防犯用の醤油が出ただけだから! 次はちゃんと調整して、眩しく輝く『光の醤油』が出てくるようになるからッ!)」

 もはや自分が何を言っているのかも分かっていないダメな大人の励まし。

 だが、そこに部屋の隅から、巨大な白い宇宙生物がそっとプラカードを差し出した。

『レッツファイ!』

 その謎の励まし(?)の言葉を見た瞬間。アリスのサファイアブルーの瞳に、再びピコンッと勇者の光が宿った。

「ピロリン! 勇者アリス、只今戦線に復帰しました!」

 立ち直りの早さは流石の最新型AI。アリスは涙を拭い、再び巨大なレールガンを力強く構え直して、ネルの待つ最前線へとトコトコと歩み出た。

「…………」

 再び訪れる、対峙の静寂。

 床の醤油溜まりを挟んで、ミレニアム最強のメイドと新入部員が視線を交差させる。

 ネルは、サブマシンガンを下ろしたまま、信じられないものを見るような、複雑な表情でアリスを見つめていた。そして、気まずそうに頭を掻き、ポツリと口を開いた。

「おい、アンターーー」

「ッ!」

 アリスがビクッと身構える。また「終わった」と冷酷に宣告されるのか。

「……スゲェな!!」

 ネルの口から飛び出したのは、予想外すぎる大声での称賛だった。

「あんな自分も巻き込まれる至近距離で、躊躇なくソイツぶっ放そうとするなんてよ!! 万が一、アレの中身が醤油じゃなくて本物のビームだったら、アタシ完全に負けてたかもしれねェ。……いやぁ、アンタのそのイカれた度胸、マジですゲェわ!!」

 ネルは、興奮したように目を輝かせ、アリスの特攻精神を心からベタ褒めし始めたのだ。

 あの致死の気配(中身は醤油だが)を前に一歩も引かなかったアリスの『覚悟』。不良メイドであるネルにとって、戦闘において最も評価に値するのは、火力の高さよりもその「度胸」だったのだ。

 それに、あんなシュールな不発(醤油)を見せられて、相手のプライドをへし折るような野暮な真似ができるほど、彼女は腐った性格をしていない。

「……アリスは、強いですか?」

 思いがけない称賛に、アリスは小首を傾げ、不安げに上目遣いで尋ねた。

「強い強い! あーうん、めっちゃ強いぞ、うん! アタシが保証してやるよ!」

 ネルは、ウンウンと何度も大きく頷き、全身全霊でアリスの強さを肯定してやる。

 その後方で。

 そのやり取りを聞いていた銀時は、目頭を押さえ、感動の涙をこらえながらモモイたちに小声で囁き合っていた。

「(おい見ろよお前ら……! 気ィ使ってくれてる! 完全にこっちのシュールな空気を読んで、わざわざ自分の格を下げてまで、こっちの面子を上げてくれてるぞ!! 良い子だよ、あの子めっちゃくちゃ良い子だよ!! 荒れてるように見えて、実は道端に捨てられた子猫とか拾うタイプの超良い子だよ!!)」

 敵であるはずのネルの、不器用で真っ直ぐな優しさに、大人(銀時)の涙腺が崩壊しかけていた。

「じゃあ……行きます!!」

 ネルの言葉で完全に自信を取り戻したアリスが、再びレールガンを構え、力強く宣言する。

「おう、こい!」

 ネルも、それに答えるように不敵な笑みを浮かべ、両手のサブマシンガンを構え直した。互いの闘志が、最高潮に達する。

「光よ!!」

 アリスの可憐な叫び声が部室に響き渡る。

 トリガーが引かれ、内部のエネルギーが極限まで圧縮され、そして砲口から解き放たれる――!!

ジョロジョロジョロ……。

「…………」

「…………」

 放たれたのは、先ほどと寸分違わぬ、香ばしい匂いを漂わせる真っ黒な液体だった。

 床の醤油溜まりが、さらに面積を広げていく。

 部室の全員が、二度目の無慈悲な現実に直面し、能面のような顔で完全にフリーズした。

「へいへい! スリーピングタイム!!」

 銀時は、耐えきれずに再び大声で叫ぶと、素早くアリスの首根っこを掴み、そのままズサァァァッとモモイたちの後ろまで強引に引きずって後退した。

 

二度目の不発。床に広がるのは、もはや言い逃れのできない真っ黒なキッコーマンの海。

 頼みの綱である『光の剣』が完全にただの液体調味料サーバーと化している現実を前に、アリスのサファイアブルーの瞳から、ついに勇者のハイライトがスゥッと消え去った。

「……光の剣、やっぱ出てきません。アリス、勇者失格です」

 アリスは、ポタポタと醤油を滴らせるレールガンを床にそっと置き、体育座りをして膝に顔を埋めた。

「世界を救うことは諦めて……アリス、明日からお寿司屋さんに行きます。下積みを経て、立派な大将になります……。ヘイラッシャイ……」

 勇者から板前への、あまりにも極端で悲しいジョブチェンジ宣言。その虚ろな呟きには、世界を救えなかった悲壮感と、磯の香りが漂っていた。

「だ、大丈夫だって! たまたま醤油のタンクが満タンだっただけだから! 次こそは絶対ビーム出るから!」

 モモイが、板前になりかけたアリスの肩を揺さぶって必死に引き留める。

「うんうんうんうん! アリスちゃんは世界一の勇者だよ! お寿司握るよりコントローラー握る方が絶対似合ってるよ!」

 ミドリも、首がもげるほどの勢いで縦に振り、涙目で全肯定のフォローを入れる。

「その通りだ。ここで諦めるな、若き勇者よ」

 そこへ、マリオの帽子を被った桂が、腕を組みながら厳かに、かつどこかで聞き覚えのあるトーンで語りかけた。

「諦めたら、そこで試合終了だ。……と、かの偉大なる湘北の安◯先生も言っておられたぞ。ホワイトヘアードデビルの教えを忘れるな!」

『レッツゴー!!』

 別世界のバスケ漫画の名言を堂々と拝借する桂に合わせ、エリザベスがプラカードをバァンと高々と掲げる。

「……ピロリン。安◯先生の教え、胸に刻みました。勇者アリス、三度(みたび)戦線に復帰しました……!」

 偉大なるバスケ部監督の言葉(と謎の宇宙生物の応援)により、アリスは再び立ち上がった。だが、その足取りは重く、瞳の端にはまだ不甲斐ない自分への涙がキラリと光っている。

 重いレールガンを引きずりながら、トボトボとネルの待つ最前線へと戻るアリス。

「…………」

 醤油の匂いが漂う中。

 三度、ミレニアム最強のメイドと向かい合う。

 ネルは、サブマシンガンを下ろしたまま、ひどくやりづらそうに頭を掻き乱し、そして、大きく息を吸い込んで叫んだ。

「オイ……アンタ……」

「ッ!」

 アリスが、ビクゥッと肩を震わせる。今度こそ「もういい、殺す」と言われるのだと、ギュッと目を瞑った。

「……二度も心が折れかけたのに、諦めねェで戻ってくるなんて、マジですげェじゃねェか!!」

 ネルの口から飛び出したのは、予想を遥かに超える、フルスロットルの熱いエールだった。

「その何度でも立ち上がる不屈の精神……! まさに、その『安◯先生』ってやつの遺志を立派に継いでるよ!! うん、間違いない!! アタシにはわかるぜ!!」

 なんと、最強の不良メイドは、敵陣営の茶番(バスケ漫画のパロディ)の文脈を完璧に汲み取り、それに全力で乗っかった上で、アリスのプライドをケアしてくれたのだ。彼女の表情には「ここでこの子の心を折っちゃいけない」という、謎の使命感すら漂っている。

 その後方。

 モモイとミドリを盾にしていた銀時は、そのやり取りを聞いて、両手で顔を覆いながらむせび泣いていた。

「 聞いてた! こっちのヒソヒソ話の寸劇、全部聞いて合わせてくれた!! ヤンキーだのギャングだの言った俺が莫迦だった! あの子、なんてもんじゃねェよ……良い子だよ!! 不良の皮被ったマザー・テレサだよあの子!!)」

 ネルの底知れぬ気遣いと人間力に、銀時のダメな大人としての涙腺は完全に崩壊し、全力で彼女の株をストップ高まで爆上げしていた。

「……! はいっ! 勇者は、諦めません!」

 ネルの(無理をしているが)熱い励ましに、アリスの表情がパァッと明るく輝く。

 サファイアブルーの瞳に完全な自信を取り戻したアリスは、三度目の正直とばかりに、レールガンを天高く構え直した。

「そ、それじゃあ……行きます………!」

「おう! 今度こそ、全力で来い!!」

 ネルも、今度こそまともな攻撃が来るはずだと信じ、ツイン・ドラゴンを構えて腰を落とす。

 部室の全員が、固唾を呑んでその砲口を見つめた。

 青い光が集束し、エネルギーが臨界点に達する――!!

「光よ!!」

 アリスの渾身の叫び。

 そして、レールガンの巨大な砲口から放たれたのは――。

がこんっ、がこんっ、がこんっ……。

「…………」

「…………」

「…………」

 放物線を描いてポロリと飛び出してきたのは、光のビームでも、黒い醤油でもなかった。

 どんぶりに盛られたホカホカの白飯の上に、黄金色に輝く生卵が鎮座した、見事な『卵かけご飯(TKG)』が三杯。

 それが、先ほど作られた床の醤油溜まりのすぐそばに、コトン、コトン、とシュールに着地した。

 完璧な朝食セット(卵かけご飯+醤油)の完成である。

 風穴の空いた部室を、涼やかな秋風が吹き抜けていく。

 アリスは、レールガンと床の卵かけご飯を交互に見比べ、完全に思考がショートしたように口をパクパクさせた。

 ネルは、構えたサブマシンガンをポロリと落とし、呆然と白飯を見つめている。

「…………はい、撤収ゥゥゥゥ!!!」

 数秒の致命的なフリーズの後。

 銀時は、涙と鼻水を吹き飛ばしながらアリスの首根っこをひっつかみ、猛烈な勢いで「たまごかけごはん」から目を逸らしながら、部室の奥底へと全力でズサァァァッと後退していくのだった。

 

三度目の不発。それも、よりによって醤油の隣に見事な『卵かけご飯』が三杯も射出されるという、兵器としてあるまじき奇跡の朝食コンボ。

 完全に心がポキリと音を立てて折れたアリスは、レールガンを床に放り出し、うつろな瞳で虚空を見つめていた。

「……銀さん、もう無理です。アリス、自分の存在意義がわかりません」

 アリスのサファイアブルーの瞳から、光が完全に失われている。

「私、魔王を倒す勇者じゃありませんでした。今日から『自動卵かけご飯製造機』になります。……少し胃袋のスペースを空けておいてください。新鮮な卵を、産み出してきます」

 最新鋭のAI少女から飛び出した、養鶏場への就職宣言。彼女は本気でアイデンティティを卵に明け渡し、コッコッと鳴き出しそうなほど深い絶望の淵に沈んでいた。

「だ、大丈夫大丈夫! たまたま朝ごはんのセットが揃っちゃっただけだから! 次はちゃんとお昼ご飯(ビーム)が出るから!」

 モモイが、卵を産もうとしゃがみ込むアリスの肩を必死に揺さぶる。

「いけるいける! むしろゲーム開発の夜食にピッタリだよ! アリスちゃんは最高のサポーターだよ!」

 ミドリも、もはや何のアドバイスにもなっていない慰めを矢継ぎ早に浴びせかける。

「そ、そうだぞアリス! だ、だ、だ大丈夫、大丈夫だから! お前は立派な勇者だよ!」

 銀時は、ボサボサの頭から冷や汗を滝のように流しながら、論理が完全に破綻した必死のフォローを絞り出した。

「卵かけご飯はなァ、日本の忙しい朝を救う『家庭の勇者』なんだよ! お前はその最上位ジョブに転職しただけだ! だから胸張れ! これからは『家庭の勇者』として、全国の食卓の平和を守るために頑張っていこう!!」

 ダメな大人が放った、無理やりすぎるジョブチェンジの肯定。アリスは「家庭の勇者……」と呟きながら、炊飯器のような顔で床の白飯を見つめている。

 ミレニアムの頂上決戦は、今や完全に「朝食の意義を問うハートフルドラマ」へと迷走しきっていた。

「あ、あのー……」

 そんな、カオス極まる円陣の端っこから。

 今までロッカーの陰でガタガタ震えていた部長のユズが、恐る恐る、蚊の鳴くような声で手を挙げた。

「「「……ん?」」」

 銀時、モモイ、ミドリ、アリス(卵かけ機)の四人が、一斉にユズを振り返る。

「そ、その……光の剣(レールガン)からご飯しか出ないなら……普通に、肉弾戦で戦えば良いんじゃ………?」

 ――ピタッ。

 部室の時間が、完全に停止した。

((((あっ!! そうか!!!))))

 四人の脳天に、まるで雷のような劇的なインスピレーションが突き抜けた。

 なぜ今まで誰も気づかなかったのか。銃が使えないなら、殴ればいい。あまりにもシンプルで、野生のゴリラでも思いつくような極めて原始的かつ合理的な解決策。

「ピロリンッ!!」

 アリスの瞳に、太陽のようなハイライトがギュンッ!と戻った。

 彼女はゆっくりと立ち上がると、ぽたぽたと醤油を滴らせるレールガンをそっと床に置き、代わりに、その白く華奢な両手をギュッと固く握りしめた。

「……………」

 四度(よたび)。

 勇者アリスは、醤油と卵かけご飯の海を飛び越え、ミレニアム最強のメイドの前に無言で歩み出た。

 その瞳には、もはや一切の迷いはない。己の拳一つで魔王を打ち倒す、武闘家(モンク)としての熱い闘志が燃え盛っていた。

「……フッ。ようやく、腹が決まったようだな!!」

 そのアリスの気迫(と、完全に意味不明な寸劇)をずっと黙って見守り続けていたネルは、ニヤリと凶悪で、しかしどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。

ガチャンッ!

 ネルは、愛用のダブルサブマシンガン『ツイン・ドラゴン』を、躊躇いもなく床に放り捨てた。

「さァ、アタシも手ぶらだ! 武器に頼らねェ、純粋な殴り合いってのも悪くねェ!!」

 ミレニアム最強の猟犬が、なんと自分から圧倒的なアドバンテージを捨て、両の拳を顔の前に構えたのだ。相手が徒手空拳なら、自分も同じ条件で受けて立つ。それこそが、彼女なりの美学であり、不器用な優しさの極致であった。

「いつでもいけるぜ。……準備は出来てるな? コイッ!!」

 ネルの咆哮が、部室の空気を再び熱く震わせる。

「(メイド長ゥゥゥ……! どんだけ良い子なのあの子……!! アナタ絶対不良じゃないよ、少年マンガの熱血主人公だよ!!)」

 銀時は、ネルのあまりにも漢気あふれる神対応に、部室の隅でジャージの袖を噛み締めながら、三度目の男泣きをしていた。

 剣も魔法も(ついでに醤油も卵も)捨てた、純度100%の拳と拳の語り合い。

 ゲーム開発部の誇りを懸けた、真の肉弾戦の火蓋が、今度こそ切って落とされた。

 

 ――といっても。

 この純度100%の肉弾戦の結末は、あまりにも残酷なまでに、最初から決まりきっていた。

「必殺! 勇者ストレートです!!」

 アリスが、大地を蹴り飛ばして一直線に突進する。

 数百キロのレールガンを軽々と振り回す彼女の膂力(りょりょく)から放たれる一撃は、まともに直撃すればコンクリートの壁すら粉砕するほどの威力を持っていた。風を切り裂き、唸りを上げて迫る白く小さな拳。

 しかし。

 悲しいかな、アリスのステータスは「怪力」に極振りされているだけで、武闘家としての格闘センスや経験値は完全に『レベル1』の素人なのだ。

 予備動作が大きく、軌道が一直線すぎるその大振りのパンチは、歴戦の猛者から見れば、止まって見えるほどに単調だった。

「……甘ェな!!」

 対するネルは、迫り来る致死の拳を前にしても瞬き一つしなかった。

 彼女の小柄な身体が、まるで水流のように滑らかに、かつ爆発的な速度で沈み込む。アリスの豪腕がネルの頭上を数ミリの差で通過し、虚しく空を叩いた。

(えっ――)

 アリスのサファイアブルーの瞳が見開かれ、完全に無防備となった自身の腹部に、ネルの鋭い視線が突き刺さるのをスローモーションのように認識した。

「オラァッ!!」

ドスゥッ!!

 重く、しかし絶妙に手加減(急所を外し、威力を殺すコントロール)が施されたネルの掌底が、アリスの鳩尾(みぞおち)に的確に吸い込まれた。

 圧倒的な『経験値』と『技術』の差という名の、分厚い壁。

「かはっ……!」

 肺の空気を根こそぎ押し出され、アリスの身体が「く」の字に折れ曲がる。

 視界がぐらりと揺れ、ピコピコと鳴っていた頭の中のBGMが、急激にフェードアウトしていく。

「……ピロリン。アリス……HPが、ゼロになり、まし、た……。目の前が、真っ暗に……」

 グラッ、と。

 アリスは白目を剥き、糸が切れた操り人形のように、その場にバタッと崩れ落ちた。

 ミレニアム最強の猟犬の前に、勇者アリス、無念の完全ノックアウトである。

「アリスちゃん!!」

「ア、アリスーッ!!」

 モモイとミドリが悲鳴を上げ、倒れたアリスの元へ駆け寄る。

 ネルは、ピンと張っていた気をスッと緩め、フーッと短く息を吐き出しながら立ち上がった。

「安心しな、気絶してるだけだ。……内臓は傷つけてねェ。しばらく寝てれば、ケロッと目を覚ますよ」

 乱れたスカジャンを直しなら、ネルはぶっきらぼうに、しかし確かな気遣いを含んだ声でモモイたちに告げた。敵対している相手を不必要に痛めつける趣味は、彼女にはないのだ。

「……さてと」

 ネルは、気絶したアリスから視線を外し、今度こそ『本命』へとその鋭い射線を向けた。

「部下の借りは返したぜ。……次はお前らの番だ、シャーレの『先生』」

 土煙と醤油の匂いが混ざり合う部室の奥。

 先ほどまで「家庭の勇者」だの何だのとふざけ倒し、ネルの男気に感動してジャージの袖を濡らしていたダメな大人。

 しかし。

 銀時は、もう泣いてもいなければ、ふざけてもいなかった。

「……ユズ。アリスをモモイたちと一緒にロッカーの陰に運んどけ」

 銀時は、いつもの気怠げなトーンのまま、しかし一切の隙のない足取りで、ゆっくりと、ゆっくりとネルの正面へと歩み出た。

 右手に握られた木刀『洞爺湖』の切っ先が、床の瓦礫をジャリッと擦る。

「……お? やっとやる気になったか、腐れ天パ」

 ネルの口角が、凶暴な三日月のように吊り上がる。相手から発せられる空気が、先ほどまでの「コントのモブ」から、明確に「修羅の同類」へと変貌したのを、彼女の野生の勘がビンビンに感じ取っていた。

「やる気なんて、最初から一ミリもねェよ。……ただ」

ネルがツイン・ドラゴンを構え直し、銀時の全身から『白夜叉』の冷たい覇気が立ち上った――まさに、その数秒後のことだった。

「いやぁ……その〜アイタタ! 急に腰が、腰が痛く!!」

 プスゥゥゥゥッ……。

 風船から空気が抜けるような情けない音と共に、銀時が纏っていた圧倒的な強者のオーラが、一瞬にして雲散霧消した。

 彼は突如として木刀を杖代わりにし、腰を「く」の字に曲げながら、この世の終わりのような大げさなしかめっ面で自分の腰をトントンと叩き始めたのだ。

「といった次第だ」

 その隣で、マリオの帽子を被った桂が、腕を組んだままひどく真面目な顔で深く頷く。友のあからさまな仮病を、まるで国家の重大な危機であるかのように厳粛なトーンで肯定してみせた。

「(……は?)」

 ネルは、極限まで高めていた自身のテンションのやり場を失い、完全にポカンと口を開けて固まってしまった。

 そんなネルの困惑などお構いなしに、銀時は痛む(はずのない)腰をさすり、苦笑いというよりもはや清々しいほどのサボり顔を浮かべながら、後ろに控える巨大な白い生物・エリザベスへと軽く視線を送った。

「次鋒エリザベスだ、行け!」

 銀時は言葉を発するや否や、ゴキブリのような凄まじいスピードで後方へと緊急退避する。それと同時に、桂が背後からドンッとエリザベスの丸い背中を押し出し、最前線へと立たせた。

「え? おいおい待て」

 ネルは、目の前にヌッと立ちはだかった、目も瞬きしない巨大な白いオバケ(?)を見上げ、不機嫌極まりない顔で眉間を深くしわ寄せた。

「何で一番強そうなお前らじゃなくて、このふざけたゆるキャラと戦わないといけねェんだよ」

 当然の疑問にして、極めて真っ当なツッコミである。殺し合いのテンションまで引き上げておいて、出てきたのがテーマパークの着ぐるみでは、戦闘狂のネルのプライドが許さない。

 しかし、桂はそんなネルの抗議に対し、心外だとばかりに胸を張って挑発的なセリフを投げ返した。

「ふざけてない! エリザベスだ! まず助手を倒さねば、俺たち(ボス)に手が届くわけないだろう。RPGの基本を忘れたか!」

 謎のオタク理論を振りかざし、ペット(相棒)を中ボス扱いにして堂々と前衛を押し付ける桂。

「そうそう。それに俺たち、ここに来るまで結構な数のロボットとかメイドと戦いに駆り出されてるからさァ。オッサンの体力はもう限界なの。休憩をかねて、コイツの相手でもしてくれや」

 後方の安全圏(瓦礫のソファ)にいち早く陣取った銀時が、小指で耳をほじりながら、全く悪気のない軽い調子で言い放つ。もはや自分たちがサボりたいだけであることを、隠そうとすらしていなかった。

 大人たちのあまりにも堂々としたクズっぷりと、デタラメ極まる理屈。

 常識人であれば激怒して銃を乱射するところだが、ネルはそのあまりのバカバカしさに毒気を抜かれたのか、あるいは怒る気力すら削がれたのか、不満げな表情を浮かべながらも、ツイン・ドラゴンの銃口をゆっくりと下げた。

「チッ……なんか上手いこと言いくるめられた気がするが……」

 ネルは苛立たしげに舌打ちをしつつも、何とかその理不尽な状況を己の中で消化(妥協)した様子だった。

 そして、獲物を定めるような鋭い視線を、眼前の巨大な白い生物へと向ける。

「ま、誰が相手でもブッ飛ばすことに変わりはねェ。……で、そいつ(次鋒)は、どうなんだ? やる気あんのか?」

 ネルが、小馬鹿にするような凄みを含ませてエリザベスに問いかける。

 最強のメイドから放たれる、ビリビリと肌を刺すようなプレッシャー。

 しかし、宇宙生物エリザベスは、その丸く虚ろな瞳を一切揺らすことなく、すかさず懐から一枚の木製プラカードをシュッと取り出し、ネルの目の前で力強く、高々と掲げてみせた。

『いつでも来やがれ!』

 その文字を見た瞬間。ネルの口角が吊り上がり、好戦的な三日月の笑みが深く刻み込まれた。

「……ハッ! そう来なくっちゃな!!」

 ネルは両手のサブマシンガン『ツイン・ドラゴン』の撃鉄を起こし、低く身を沈めてエリザベスへと突進する準備を整えた。

 瓦礫と土煙が舞う部室に、嵐の前の静寂が落ちる。

 巨大な白いオバケと、凶暴な小柄なメイド。次元も世界観も全く噛み合わない二人の間を、ヒリヒリとした極限の緊張感が満たしていく。

「………」

 エリザベスが、静かに息(?)を吸い、プラカードを日本刀の上段の構えのように高く振りかぶる。

「………」

 ネルもまた、獣のように静かに呼吸を整え、両足のバネに爆発的なエネルギーを圧縮していく。

 次の瞬間――。

ヒュンッ!!

 静寂を置き去りにして、エリザベスの巨体が空気を切り裂いた。

 あのずんぐりむっくりとした体型からは到底信じられない、砲弾のような猛ダッシュ。プラカードが空気を叩き割る音と共に、ネルの脳天へ向けて無慈悲に振り下ろされる。

「ハッ! 正面からバカ正直にそうくんのかよ!」

 ネルはその豪快すぎる一撃を素早く見極め、ステップ一つで紙一重で回避しながら、すかさずツイン・ドラゴンの銃口を向け、フルオートの弾幕を展開する。

 しかし、エリザベスは止まらない。

『――避けたつもりか?』

 エリザベスは、振り下ろした勢いをそのまま利用して空中で独楽(こま)のように鋭く回転し、遠心力を乗せた第二の斬撃(プラカード)をネルの胴体へと叩き込んだ。

「チッ……! 早ェ……だが、甘ェよ!」

 ネルは再び身をよじり、その連撃をギリギリで躱す。そして、流れるような動作で反撃に転じ、エリザベスの懐へと潜り込もうとした。

「単純なパワー馬鹿だろ? そのデカい図体なら、密着されたら手も足も出ねェはずだ!」

 ネルはサブマシンガンを乱射して牽制しつつ、間合いを強引に詰めようとする。しかし――。

『無駄無駄』

 エリザベスは、降り注ぐ弾丸の雨を、まるでスローモーションを見切るかのような最小限の動き(ヘドバン)で軽々と全て避け切り、逆にネルに向かって再度突進してきた。

「くっ、近接戦いけんのかよ! 近づかれたらマズいな……!」

 ネルは焦りを覚え、舌打ちしながら再びバックステップで距離を取ろうとした。

 しかし、エリザベスはその逃げを許さない。

 白い巨体がピョォォォン!と、重力を無視したかのようなバネで天井スレスレまで跳躍する。

 そして、空中でパカッと口を開けたかと思うと、その奥からズオォォッ!と黒光りする大砲の砲身を突き出し、真下のネルへと照準を合わせた。

「今度は大砲かよ、面白ェ!! ……けどなァ、ゆるキャラ。そりゃあ悪手って奴じゃねェか?」

 ネルは、頭上から降り注ぐ砲口を見上げ、ニヤリと笑った。

 空中に飛び上がれば、回避行動は取れない。格好の的だ。ネルはスッと背後に飛び退いて砲弾の直撃コースから外れると、二丁のサブマシンガンを宙に浮くエリザベスへと向けた。

「蜂の巣にしてやる!!」

 ネルがトリガーを引こうとした、まさにその刹那。

 エリザベスが、大砲を撃つよりも早く、手に持っていたプラカードを、なんとネルの「足元の地面」に向けて勢いよく投げつけた(振り下ろした)のだ。

バガァァァァンッ!!

『早いのはテメェだけじゃねェ』

「――はっ!? まじかよ!」

 プラカードがコンクリートの床を爆砕し、強烈な衝撃波と瓦礫の雨がネルの足元を襲う。

「なるほど……! 地面を破壊してネル先輩の体勢を崩し、対空射撃(カウンター)を封じたんだ! そしてさらに……!」

 後方で安全に見守っていたミドリが、実況解説のように叫ぶ。

「――」

 クルッ、と。

 エリザベスは、プラカードを投擲した反動を利用して空中で器用に身を捻り、大砲の狙いを崩れた体勢のネルへと正確に修正した。

『喰らえ』

ヒュドォォォォンッ!!

「くっ……!」

 大砲から放たれた砲弾。ネルは咄嗟に両腕のサブマシンガンをクロスさせてガードするが、その圧倒的な爆発のエネルギーに吹き飛ばされ、部室の壁際ギリギリまで後退させられる。

 靴底から煙を上げながら何とか踏みとどまったネルは、咳き込みながらも、即座にエリザベスへ向けて牽制の発砲を行った。

『無駄無駄』

 エリザベスは、着地と同時にプラカードを拾い上げ、弾丸をカキンカキンと器用に弾き落とす。

「(……チッ。遠距離からの銃弾はほとんど意味がねェか。なら……)」

 ネルは、血の滲む唇をペロリと舐め、腹を括った。

「やっぱりイチかバチか、懐(インファイト)に潜り込むしかねェよなァ!?」

 ネルは、弾丸をバラ撒きながらジグザグに突進し、エリザベスがプラカードで弾を弾くタイミングを巧妙にずらす。そして、エリザベスの真正面に到達した瞬間、爆発的な脚力で一気に跳躍した。

「さっきの対空のお返しだ!!」

 ネルは、エリザベスの頭頂部のさらに上、完全な死角へと回り込み、銃口を突きつける。

 流石に頭を撃ち抜かれるのはマズい。エリザベスは、プラカードを盾にしようと上体を仰け反らせて回避行動を取った。

 しかし――それこそが、ネルの真の狙い(罠)だった。

「あっ!」

「ネル先輩が発砲した弾の軌道を避けた、エリザベスさんの首元に……上手く武器の『鎖』を嵌めた!?」

 モモイが、その高度すぎる戦闘機動に驚愕の声を上げる。

 そう。ネルは、エリザベスが「後ろ」ではなく「前か横」に仰け反って避ける習性を完全に見切っていた。エリザベスが顔を背けた瞬間、ツイン・ドラゴンの銃身に繋がれた強靭な『鎖』をムチのようにしならせ、その太い(というか無い)首元へと見事に巻き付けたのだ。

「引っ捕らえたぜ!! ほらよッ!」

『うげぇ』

「え、エリザベスぅぅっ!」

「あああ! エリザベスさんの首に鎖が! しかも結構ガッツリと! な、中のオッサンのシルエットがうっすら見えるくらいに首が締まってるよ!?」

 才羽姉妹が悲鳴を上げる。

 首に何重にも巻きついた鎖が、エリザベスの気管(と着ぐるみの布地)を容赦なく圧迫する。ネルはそのままエリザベスの背後へと着地し、全体重をかけて鎖を後方へと力任せに引っ張り込んだ。

「悪いな、ゆるキャラ。このまま窒息して落ちろ………あ?」

 勝利を確信したネルの手元で。

 シュー……、シュー……、と。

 絞め上げられているはずのエリザベスの首元から、突如として高熱の蒸気(あるいはドライアイスの煙)のようなものが噴き出し始めた。

「……なんで、煙が出てくんだ? な、何だコイツ!?」

「な、なんで!? ゆるキャラでしょ!? なんでロボットみたいに排熱してんの!?」

 モモイたちもパニックになる中、銀時だけが「あーあ」とやれやれ顔で頭を掻いた。

「………もしかして、エリザベスさんって!」

「ガンダムによくある、リミッター解除(変身)キャラだった……!?」

「んなの……っ……反則(アリ)かよ!!」

 ネルが驚愕に目を見開く中。

 エリザベスは、己の筋肉(?)を限界までパンプアップさせ、『白い悪魔』状態へと突入した。全身の装甲(布地)が鋼鉄のように硬化し、頸動脈を圧迫されることなど全く意に介さず、首に鎖をかけられた状態のまま、グッ!と猛烈な力で首を後ろへと引き戻したのだ。

「なっ……力がッ!?」

 ネルは、自分が鎖を引っ張る以上の圧倒的な力で逆に引き寄せられ、エリザベスの巨大な背中(後頭部)へと一直線に激突しそうになる。

『ゆるキャラを舐めるなよ……』

 プラカードの文字が、死の宣告のように翻る。

「まずっ――」

「ねえ」

ゴッ!!!!

 という、スイカをハンマーで全力で叩き割ったような、およそ生物同士の衝突とは思えない重く鈍い音が、部室の廊下まで響き渡った。

 エリザベスは、引き寄せたネルの顔面へ向けて、渾身のバックドロップ気味の『後頭部頭突き』を繰り出したのだ。

 まともに頭突きを食らったネルは、「がはっ……!」と短くくぐもった声を漏らし、そのまま勢いよく数メートル後方へと吹っ飛び、床を激しく転がった。

「ヒィッ!? 今、絶対になっちゃダメな音が響いたよ!?」

「せ、先輩! 大丈夫ですか!?」

 モモイとアカネが同時に悲鳴を上げる。

「うわー、あれ結構ガッツリ食らっちゃったね……。リーダ〜、大丈夫〜? その小さい頭、パッカーンって割れてなーい?」

 アスナが、心配しているのか煽っているのか分からない能天気な声で呼びかける。

「――――誰の頭が小せェ(パッカーン)だ!!」

 瓦礫の中から、フラフラとネルが立ち上がった。

 その額からは一筋の血がツゥーッと流れ落ちているが、眼光の鋭さは全く失われていない。

「……ってェ……。クソが、マジで鉄アレイでも頭にぶつけられたのかってぐらいに痛ェぞ……」

 ネルは忌々しそうに額を押さえ、ギリッと奥歯を鳴らす。

「あ、あのミレニアム最強のネル先輩に、完全なダメージを負わせるなんて……凄い……」

「ね? 凄いでしょユズ!」

「やっぱりエリザベスさんも、レベルカンストのチートキャラです!」

 ゲーム開発部の少女たちが、自分たちの用心棒の頼もしさに歓喜の声を上げる。

 だが、後方で見ていた銀時だけは、少し様子が違うことに気づいていた。

「……けどよォ。大丈夫か? チビメイド様の方も相当やばそうだが……あの鈍い音、あいつ(エリザベス)の後頭部の方からもしたんじゃねェか?」

「……。大丈夫か? エリザベス!」

 桂も、ハッとして相棒の安否を確認する。

 皆の視線が、砂煙の晴れた中央に立つ白い巨体へと集まる。

 エリザベスは、頭突きを放った姿勢からゆっくりと顔を上げ――。

 自信満々に、そして誇らしげに、モモイ達の方を振り向いた。

 その丸い顔の真ん中には、痛々しいほどにクッキリと、サブマシンガンの銃身の形に凹んだ『巨大なタンコブ』が、ポッコリと自己主張して膨れ上がっていた。

 

「「「いや思いっきり大ダメージ食らってんじゃねェかァァァ!!」」」

 銀時、モモイ、ミドリの三人が、息の合った完璧なツッコミを鼓膜が破れんばかりに轟かせた。

「ピロリン! 痛恨の一撃です! エリザベスさんのHPゲージが、赤色を通り越して点滅すらしていません! 虫の息です!」

 アリスが、その巨大なタンコブを指差して無慈悲かつ的確なステータス報告を行う。

「エリザベスゥゥゥッ!!」

 桂が悲痛な叫びを上げ、愛する相棒の元へ駆け寄ろうとした。

 しかし、エリザベスはスッと片手(ヒレ)を上げて桂を制止すると、もう片方の手で静かに、そしてゆっくりと一枚のプラカードを掲げた。

『もちのろん』

「何が『もちのろん』なの!? 質問に対する答えになってないし、絶対大丈夫じゃないでしょそれ!!」

 モモイが悲鳴のようなツッコミを入れた、その瞬間。

「ガッハァッ……!!」

 エリザベスの巨大なくちばしの隙間から、ドプッ、と。

 およそマスコットキャラクターからは絶対に出てはいけない、赤黒く生々しい【鮮血】が数滴、いや、かなりの量が床に滴り落ちた。

「だ、大丈夫じゃなさそう!! 血! 血出てるよ!!」

 ミドリが顔面を蒼白にして叫ぶ。流石にゆるキャラの口からリアルな吐血がこぼれる光景は、女子高生には刺激が強すぎた。

『問題なし!』

 血をボタボタと滴らせながら、エリザベスは震える手で新たなプラカードを掲げる。

「それで問題なしは無理があるでしょ!?」

「口からそんなに血を流してるなら、絶対に良くないんですよ!? 内臓がいっちゃってます!」

 モモイとアリスがパニックになって叫ぶ中。

『別に死んでないし、それに血が出てるだけだ』

 プラカードの文字がひるがえった直後。

 ペッ、と。エリザベスが口の中に溜まった血と唾液を、オッサンのように床に吐き捨てた。そして――。

「……にしても痛かったな。ミンチにすっぞコラ」

「…………」

「…………」

「…………」

 低く、ドス黒く、そして完全に『長年タバコを吸い続けた中年男性(オッサン)』の野太い声が、エリザベスの口から直接発せられた。

「「「喋れたのォォォォォ!!?」」」

 ゲーム開発部のメンバー全員の絶叫が、ミレニアムのタワーを揺るがした。

 プラカードでの意思疎通が絶対のアイデンティティだと思っていたゆるキャラが、急に極道のような凄みのある声で喋り出したのだ。そのホラーすぎる展開に、少女たちの情緒は完全に破壊された。

 そんな周囲の混乱など意に介さず、エリザベスはくちばしの端についた血を無骨に拭い去ると、立ち上がったネルに向けて、再び静かにプラカードを掲げた。

『桂さん並の石頭だな』

「ハッ……! あんたに言われたくねェよ、この着ぐるみオバケが……!」

 ネルは、額の血を乱暴に拭いながら、不敵な笑みで返し――。

「――って、やべ。大声で叫んだら、意識が……」

 グラッ、と。

 ミレニアム最強のメイドの身体が、一瞬だけ大きく横に傾いた。エリザベスの一撃は、確実に彼女の脳を揺らし、三半規管に深刻なダメージを与えていたのだ。

『もう終わりか?』

 エリザベスのプラカードが、冷酷に挑発する。

「……舐めんな」

 ネルは、床に銃尻を突き立てて無理やり身体を支え、ギリッと血の滲む牙を剥き出しにして笑った。

 その瞳の奥にある闘争の炎は、ダメージを負う前よりも遥かに激しく、狂気的に燃え盛っている。

「これぐらいで……アタシが止まるわけ、ねェだろうが!!」

 ネルが、再び両手のツイン・ドラゴンを正面に構え直す。

 銃口がエリザベスを捉え、互いの殺気が最高潮に達し、火花を散らす。

「さァ……グダグダな前座は終わりだ。これで、最後にしようぜ!!」

『そうさせてもらう』

 ゲーム開発部の部室を巡る、ミレニアム最強のメイドと謎の宇宙生物の戦いは、突如として最終局面(クライマックス)へとヒートアップしていった。

ズズズズズズズッ……!!

 その時。エリザベスが、パカッと大きく開けた自身のくちばしの奥に両手を突っ込み、何かを『引きずり出す』ような異様な動作を始めた。

 鈍い金属の摩擦音が響く。

「なっ……!?」

 ネルが息を呑む。

 エリザベスの口の中から現れたのは――ギラリと冷たい殺気を放つ、**二振りの白刃(日本刀)**であった。

 四次元ポケットのごとき口内から引き抜かれた二本の刀を両手に構え、エリザベスはまるで伝説の剣豪のような、圧倒的で洗練された威圧感を放ち始める。ただのゆるキャラの皮を被った、正真正銘の『侍』の構え。

 周囲の空気が、さらに一段階重く、刃物のように鋭く張り詰めた。

「へぇ……」

 ネルは、その理解不能な光景に一瞬だけ眼差しを鋭くしたが、すぐにいつもの自信と狂気に満ちた、極上の笑みを浮かべた。

「ただのデカいだけのゆるキャラかと思えば……その図体で、刀の二刀流とはやるじゃねェか」

 チャキッ、と。

 サブマシンガンのセーフティを外し、ネルは重心を限界まで低く落とす。

「でもな……こっちも黙って斬り刻まれてやるつもりはねェぞ! 蜂の巣にしてやる!!」

 銃口と白刃。

 最強のメイドと二刀流の白い悪魔が、互いの全てを懸けた最後の一撃(フィニッシュ)へと向けて、同時に床を蹴り飛ばした。

 

「オラァァァァァッ!!」

 ネルの咆哮と共に、二丁のサブマシンガン『ツイン・ドラゴン』が火を噴いた。

 秒間数十発という致死の弾幕が、オレンジ色の閃光(マズルフラッシュ)と共にエリザベスへと殺到する。常人であれば瞬きする間にハチの巣にされる、ミレニアム最強の弾雨。

 しかし、二刀流を構えた白い悪魔は、その短い足(スネ毛付き)で信じられないほど滑らかなステップを踏んだ。

ガキンッ! キィィィンッ! カガガガガガッ!!

「なっ……弾を、全部斬り落としてる!?」

 背後で見ていた銀時が、思わず素のトーンで驚愕の声を漏らす。

 エリザベスの手にある二振りの白刃が、まるで扇風機のプロペラのように高速回転し、降り注ぐ無数の銃弾を完璧な太刀筋で全て弾き落としていく。火花が部室中に散り、硝煙の匂いが立ち込める中、白い巨体は一歩、また一歩と確実にネルへと近づいていく。

「チィッ! 化け物かよ!!」

 ネルは舌打ちをし、弾幕を張りながら横へとスライドするように駆け出した。

 正面突破が無理なら、機動力で死角を突く。それが小柄な彼女の最大の武器だ。

 壁の瓦礫を蹴り飛び、天井のパイプを蹴り、三次元的で変幻自在な軌道を描きながら、エリザベスの背後へと回り込もうとする。

「もらったァ!!」

 空中で反転し、エリザベスの無防備な後頭部へ銃口を向けた、まさにその絶対的優位の瞬間。

「――っ、しまっ……!」

 グラッ、と。

 ネルの視界が、唐突にぐにゃりと歪んだ。

 先ほどエリザベスから食らった、脳を揺らすほどの強烈な頭突きのダメージ。それがこの極限の機動の中で、致命的な「コンマ一秒の隙」となって彼女の三半規管に牙を剥いたのだ。

 引き金を引く指が、ほんのわずかに遅れる。

 そして、そのコンマ一秒の遅れを、歴戦の侍(の皮を被った何か)が見逃すはずがなかった。

『遅い』

 いつの間にか振り返っていたエリザベスが、空中にいるネルの下へと潜り込んでいた。

 二振りの日本刀が、下段からクロスするように跳ね上がる。

 ただし、それは刃(やいば)ではない。

ガキィィィィンッ!!!!

「くはっ……!!」

 峰打ち。

 刃の背を使った強烈な二撃が、ネルの両手首を正確に、かつ骨を砕かない絶妙な力加減で打ち据えた。

 激痛に耐えきれず、ネルの両手から愛銃『ツイン・ドラゴン』がすっぽ抜けて宙を舞う。

 武器を失い、空中で完全に無防備となったミレニアム最強のメイド。

 そこへ、エリザベスは刀を素早く口の中にスッと収納すると、空いた両手でプラカードを力強く握りしめ――。

『チェックメイトだ』

 バシィィィィンッ!!と。

 ハリセンのようにしなった木製プラカードのフルスイングが、ネルの脳天(先ほどと同じ場所)に、容赦なく、そして完璧なクリーンヒットを決めた。

「あ、がっ……」

 空中で姿勢を崩されたネルは、そのまま床に向かって真っ逆さまに落下し、ドサァッ! と重い音を立てて瓦礫の上に叩きつけられた。

「…………」

「…………」

 静寂。

 硝煙が晴れていく中、仰向けに倒れたネルは、ピクピクと指先を動かしたものの、立ち上がることはできなかった。

 彼女は、ぼんやりと霞む視界で、自分を見下ろす巨大な白いゆるキャラを映しながら、口の端をニッと吊り上げた。

「……ハッ。マジかよ。アタシが、こんな……得体の知れねェ、オバケに……」

 ネルは、悔しそうに、けれどどこか清々しい、強者を称えるような笑みを浮かべる。

「……すげェな、アンタ。完敗……だぜ」

 ガクッ。

 その言葉を最後に、ミレニアム最強の猟犬、美甘ネルは完全に意識を手放し、気絶した。

 激闘の果てに、部室に完全な静寂が訪れる。

 勝者、エリザベス。

「「「……勝ったぁぁぁぁぁぁっ!!?」」」

 数秒の沈黙の後、モモイ、ミドリ、ユズの三人が、信じられないものを見たという驚愕と歓喜の入り混じった絶叫を上げた。

 あの最強のメイドを、刀を飲み込むオッサンの声帯を持ったゆるキャラが、単騎で完全にタイマンで打ち倒してしまったのだ。

「フハハハハ! よくやったぞエリザベス! さすが俺の右腕だ!」

 桂が、ドヤ顔で腕を組み、高らかに相棒の勝利を称える。

『当然だ』

 エリザベスは、口の端からダラダラと血を流し続け(まだ出ている)、頭に巨大なタンコブを乗せたままで、夕日に照らされながら誇らしげにプラカードを掲げた。その姿は、どう見ても満身創痍のホラー画像であった。

「……いや、マジで勝っちゃったよコイツ」

 銀時は、完全に戦うタイミングを失い、呆れたように木刀を肩に担ぎ直した。

 最強の襲撃者を退け、どうにか部室の防衛に成功したゲーム開発部と万事屋一行。

 

 ひしゃげたパイプ椅子や粉砕されたコンクリートの破片が散乱する、まるで戦場跡のような部室。天井にぽっかりと空いた大穴からは、茜色に染まったミレニアムの夕空が覗いていた。

 その瓦礫の中心で、大の字になって倒れ伏したミレニアム最強の猟犬――美甘ネルは、荒い息を吐きながら、ゆっくりと目を開けた。

 全身の筋肉は悲鳴を上げ、頭の芯はまだガンガンと揺れている。立ち上がる気力すら残されていない、完全な敗北。

 しかし、彼女の顔に屈辱の色はなかった。むしろ、憑き物が落ちたような、どこか清々しい笑みがその口元には浮かんでいた。

「……負けた。完全に……」

 ネルは、苦笑混じりにポツリとこぼした。視界の端に映る、血を流しながらプラカードを掲げる巨大な白いオバケと、その後ろで肩の力を抜いて立っている大人たちの姿。

 ミレニアムの常識が一切通じない、理不尽でデタラメな強者たち。

「……あんたら、やっぱ強ェや……」

 それは、誇り高きメイドが、己の持てる全てを出し切り、それでも届かなかった相手へ送る、掛け値なしの最大の賛辞だった。

「まあな。伊達に幾多の死線をくぐり抜けて、戦ってねェからな」

 その言葉を受け、後方でジャンプを丸めて握っていた銀時が、さも自分が世界を救った勇者であるかのように、胸を張って堂々としたドヤ顔で頷いた。

「いや……アンタ、さっきから腰痛いとか言って、後ろに隠れて一歩も戦ってねェだろ……」

 ネルが、瓦礫に身を横たえたまま、呆れたようにジト目を向けて的確なツッコミを刺す。

「……あれ? そうだっけ?」

 銀時は、ボサボサの天然パーマをポリポリと掻きながら、全く悪気のない、とぼけた笑い声を上げた。

 そのあまりにもテキトーで締まらないやり取りに、ネルは毒気を抜かれたように吹き出し、肩を震わせてクスクスと笑い始めた。先ほどまでの、血で血を洗うようなヒリヒリとした殺気は、もうどこにもない。

 カツ、カツ。

 銀時が、瓦礫を踏み越えて、倒れたネルの元へとゆっくり歩み寄ってきた。

 そして、彼女の顔を見下ろすと、いつもの死んだ魚の目を少しだけ和らげ、無言で大きな右手を差し出した。

「…………」

 ネルは、目の前に差し出された、マメだらけのゴツゴツとした大人の手をじっと見つめた。

 手加減されたとはいえ、ウチの部下たちをコケにし、自分を完膚なきまでに叩きのめした連中の親玉の手。

 だが、その手には、勝者の奢りも、敗者を哀れむ同情もなかった。ただ「よく戦った」という、一人の戦士としての純粋な労いだけが込められていた。

 ネルは、しばらくその手を見つめていたが、やがてフッと苦笑いを作り、血の滲む小さな手で、その大きな右手をガシッと力強く握り返した。

 銀時が軽く腕を引くと、小柄なネルの身体が瓦礫の中から引き上げられる。

「リーダー!! 大丈夫!?」

「先輩! お怪我の方は……!」

 その時、半壊した部室の扉の向こうから、遅れて駆けつけてきたアスナとアカネが血相を変えて飛び込んできた。

 最強のリーダーが膝をつき、見知らぬ男に手を引かれている光景。エージェントとしての防衛本能が働き、二人が即座に武器を構えようとした、その瞬間。

「……いい! 手ェ出すな!」

 ネルが、鋭く、しかし静かな声で二人をピシャリと制止した。

 アスナとアカネがハッとして動きを止める。

 ネルは、スカジャンの土埃をパンパンと払い落とすと、真っ直ぐに銀時を見据えた。その瞳には、敗北の影を微塵も感じさせない、不屈の闘志が再びメラメラと燃え上がり始めていた。

「今回は、アタシの完全な負けだ。……だが、今度は絶対に負けねェぞ」

 ネルは、獰猛な牙を剥き出しにして、極上の笑みを浮かべた。

「覚えとけ……腐れ天パ。――いや、銀時」

 ミレニアム最強の猟犬が、初めて相手をただの不審者(ターゲット)としてではなく、己の魂を熱くさせる『好敵手(ライバル)』として、その名を確かに刻み込んだ瞬間だった。

「……フッ」

 銀時は、その真っ直ぐで力強い宣戦布告を受け、木刀を肩に担ぎ直すと、ニヤリと不敵で、大人げない挑戦的な笑みを返した。

「上等だ。……いつでも相手になってやるよ、メイド長さま」

 夕日の差し込む部室に、二人の笑い声と、モモイたちゲーム開発部の安堵の息が溶け合っていく。

 気絶から目を覚ましたアリスが「ピロリン! 勇者、復活しました!」と元気に立ち上がり、ミドリとモモイが泣きながら抱きつく。ユズは、ホッと胸を撫で下ろしてロッカーの定位置へと戻り、桂とエリザベスはなぜかマリオの続きをプレイし始めていた。

 殺意と硝煙に包まれていた空間は、いつの間にか元の賑やかで、カオスで、そして温かい『居場所』へと戻っている。

 激闘の嵐は去り、ゲーム開発部は、大いなる疲労と達成感と共に、再びかけがえのない平穏な時間を取り戻したのである。

 




次回予告

銀時「ついに発表だな」

モモイ「もう心臓がバクバクだよ」

ミドリ「あのー銀さん?」

銀時「あ?」

ミドリ「テレビに出てる司会者って」

銀時「あいつ何やってんだぁァァァァ!」

次回 発表会にはハプニングがつきものだよな

〜透魂〜第一回キャラクター人気投票

  • 銀時
  • 新八
  • 神楽
  • 沖田
  • 土方
  • 山崎
  • 高杉
  • 定春
  • エリザベス
  • ホシノ
  • シロコ
  • ヒナ
  • アコ
  • ミカ
  • ナギサ
  • セイア
  • ユウカ
  • ノア
  • 近藤
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