かんながら   作:やまみち

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第三話 万里一空

 

 

 

「藤波の花は……。藤波の花は盛りになりにけり、奈良の都を思ほすや君」

 

 

 狩衣を身に纏い、頭には立烏帽子。

 艷やかな髪を腰まで伸ばして結び、女性と見紛うほどの端麗な容姿。

 薄暗い蔵の中、青年は光が唯一差し込む格子窓の傍に立ち、見下ろす庭の藤棚を鮮やかさに目を細める。

 

 青年の名は藤原佐為。所謂『幽霊』と呼ばれる存在だが、誰もが幽霊と聞いて想像するものとは違う。

 自分の足で立って、背筋も真っ直ぐに伸びており、生者に対する恨みを抱いていない。ご覧の通り、庭を眺めて愛でる余裕が有る。

 

 しかし、その生涯は語るも涙なら、聴くも涙。

 時代錯誤な衣装で察せられる通り、佐為の生前は江戸時代どころか、戦国時代よりも遥か昔。平安時代の中期まで遡る。

 

 隆盛を極めに極め、日本史に名を刻む藤原氏。

 その分家の一つに生まれ、長じると共に類稀なる囲碁の才能を発揮。天皇の囲碁指南役としての殿上人にまで至るが、この謳歌は長く続かなかった。

 勝利を重ねれば重ねるほど、天皇の覚えがめでたくなればめでたくなるほど、その才能と地位を妬まれて、遂にそれが謀略に発展。宮中は上を下への大騒ぎとなり、佐為は地位と名声を失った上に都からの追放処分を受けた。

 

 佐為の失敗は人付き合いを疎かにしていた点に尽きる。

 囲碁を愛するあまりにのめり込み過ぎて、宴席など社交の場を疎ましく感じ、それ等の誘いをよっぽどの事情か、囲碁のどちらかが絡まない限りは全て断り、一人だろうと碁盤の前に座る毎日。天皇を筆頭に佐為の清廉潔白さを知る者達もいたが、それ以上に 嫉妬の声の大きさに敗北を喫したのである。

 

 しかも、佐為と藤原家は事を急ぎすぎた。

 実は謀略といっても発端は囲碁の天覧試合で起こった些事。天皇は騒ぎが大きくなった為に罰を与える事となったが、その沙汰は蟄居のみ。それも謀略を仕掛けた相手も同様の両成敗であり、世間が落ち着いたら両者の蟄居を解き、段階をゆっくりと踏みながら参内を再び許そうと考えていた。

 

 だが、天皇の胸の内を知る由もない藤原家の者達は佐為を口汚く罵り責めた。

当時の藤原家は緩やかながらも確実に凋落の一途を辿っており、謀略のとばっちりを喰らうのを恐れて、その日の内に藤原家から佐為を着の身着のままで追放した。

 

 その結果、佐為は琵琶湖へと入水。命を絶った。

山野を二晩彷徨った末の決断である。謀略から三日目の朝、佐為の様子を心配した天皇が使者を藤原家へ立てた時はもう遅かった。

 

 ところがところがである。

 佐為は囲碁の才能が類稀なら、囲碁に対する執念も類稀だった。

 神の一手をまだ極めていない。その執念が魂を生前に愛用していた碁盤に宿らせ、生を終えた筈の佐為の生涯を継続させた。

 

 そう、千年という想像を絶する永い永い年月を経た今も。

 その事実一つとっても執念の強さが解る。今さっき呟いた言葉だって、そうだ。

 万葉集にある歌の一つであり、解釈は様々あるし、佐為が生きていた京都(平安京)と奈良(平城京)の違いもあるが、佐為は未練を自分自身へ問いかけて歌っていた。

 

 しかし、重ねて言うが、佐為は幽霊だ。

 執念がどれほど強くても、そこにただ在るだけ。執念の源でありながら碁石にも、憑いた碁盤にも触れる事は叶わない。

 

 それでも、佐為は満足だった。碁盤と共に在る限り、そこには対局が生まれたからだ。

 幾百、幾千、幾万の対局を、時には佐為を唸らせるほどの対局を傍らで見守り、佐為は神の一手へと至る道をひたすらに一人模索し続けた。

 

 その千年、佐為が幸運だったのは、佐為が藤原家に血を連ねていた点に尽きる。

 憑いた碁番は藤原家が所有するに相応しい逸品中の逸品であり、手入れを欠かさなかったら最高級の品質を保ち、人から人の手に今の世まで渡り続けた。

 

 一方、不運もあり、それもまた執念の強さがそうさせた。

 所謂『霊感』と呼ばれるモノが強い者は佐為の気配を感じ、より強い者は佐為の姿を目の当たりにして驚き、時には碁盤を呪物として扱われた挙げ句、蔵の奥に捨て置かれてしまい、日の目を見ない年月が度々あり、正に今の状況がそれにあたった。

 

 碁盤の前所有者は霊感が強かった。

 囲碁の腕前はそこそこだったが、たまに佐為が腕前を認めるほどの強者を連れてきて打ち、その対局の中で新たな定石を知る度、文字通りに喜び舞ってしまうほどの幸せを佐為は感じていた。

 

 だが、満月の夜に姿を目撃される事、数度。寺社のお祓いを受ける事、数度。

 最終的に碁盤は蔵の奥に捨て置かれてしまい、それは現所有者になっても変わらなかった。

 

 もっとも、それは佐為にとって、幾度も繰り返してきた過去。

 蔵から出せと、対局しろと聞こえない声を張り上げる時期はとうの昔に過ぎ去っている。

 目を瞑った暗闇の中、神の一手を模索していたら、一年や二年など正に瞬きの間であり、不満は無かった。

 

 それに碁盤の所有者はいずれ変わる。

 結果として恐れられようが、佐為は過去の経験から知っていた。

 囲碁を愛する者の手に必ず受け継がれると、囲碁を愛する者なら憑いた碁盤の逸品さに石を一度は打ってみたくなると。その時を待てば良かった。

 

 なにしろ、千年である。

 その間、佐為は火事や地震、水害などの災害に幾度も遭っているが、碁盤は苦難を乗り切って、もし劣化が見て取れたならその当時の所有者が修復を速やかに行い、常に最高級を保ち続けていた。

 

 それこそ、佐為と碁盤を乗せた船が荒波に飲まれた経験さえも持つ。

 海底へと沈む中、さすがの佐為もいよいよ終わりかと達観の境地に至ったが、翌日には海面にプカリと浮かび上がり、三日三晩を漂流した果てに四国のある浜辺に打ち上げられると、たまたま通りがかった碁好きの武士に拾われて、身代を崩してまでの丹念な修復が施されている。

 

 そんな待つばかりの佐為の生涯に奇跡が起きたのは江戸時代後期。

 約160年前、姿を見て取れるどころか、声までもしっかりと聞き取れる少年が佐為の前に現れた。

 

 そして、その少年もまた囲碁を愛していた。

 佐為の指南を受けて、才能を大きく開花させると、日本史上の囲碁打ちで最強は誰かと問われたら『本因坊秀策』と候補に必ず挙げ讃えられるほどになり、その生涯を満足の内に閉じた。

 

 しかし、佐為は神の一手に至れなかった。

 あと一歩だった筈という手応えに加えて、一度目があったのだから二度目の奇跡もある筈という期待が執念をより強くさせて、その時を待ち続けていた。

 ただ、本因坊秀策との日々が充実していた分、失った筈の焦燥も感じさせ、佐為は神の一手を一人模索する日々に満たされない寂しさを感じてさえもいた。

 

 佐為が先ほど目を開ける前、庭には雪がうっすらと積もっていた。

 憑いた碁盤から遠く離れられない佐為にとっての景色は、この場と格子窓から眺められる範囲の庭が全て。

 飽きるくらい眺めている庭の草花や木々の様子から察するに、目を閉じる以前から月日が一季節しか経っていないと悟り、たまらず佐為が溜息を漏らしたその時だった。

 

 

「おや?」

 

 

 最初に鍵が開く音がガチャンと鳴って、一呼吸の間を開けた後、次に蔵の出入口の戸が開く音がギギッギィーーと鳴り響いた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「変ですね。ここを掃除するのはもっと先の筈ですが……。」

 

 

 佐為と碁盤がこの蔵に捨て置かれてから、八年と少し。

 その間、蔵の出入口の戸が開いたのは年に二回。決まって、迎え盆の日と大晦日だけである。

 極稀に例外はあったが、佐為と碁盤に在る蔵の二階まで上がってきた過去は一度たりとも無かった。

 

 当然だ。蔵の二階には骨董品しかない。

 火鉢や飯釜、電化製品が普及する以前に使われていた日用品ばかり。木製の長箱も幾つかあるが、その中身は価値がある品は存在しない。

 価値がある品といったら、佐為が憑いた碁盤が唯一であり、この蔵の二階には捨てるのが面倒か、捨てるに捨てられない品しか存在しないのだから、ここを訪れる理由がそもそも無かった。

 

 だが、木が軋む音を何度も立てて、何者かが階段をゆっくりと上ってくる確かな気配があった。

 自分の姿が相手の目に映らなくても礼儀を失ってはならない。そう信念を持つ佐為は来客が間もなく現れるだろう階段へ向き直り、背筋を正しながら『ようこそ』と微笑む。

 

 

「えっ!?」

 

 

 しかし、その微笑みはすぐに驚愕へと塗り替わった。

 なんと来訪者は上半身を二階に現したところで一旦停止。古い家屋にありがちな急で狭い階段に払っていた注意を足元から上げると、微かに漂わせたその視線の先を佐為へと固定したのである。

 

 それも平然とだ。

 ここに佐為が居ると予め知っていたように、ここを訪れた理由は佐為と会う為だと物語るように。

 

 千年の間、気配を感じ取られたり、姿を見られた経験は枚挙にいとまがない。

 だが、それ等全ては夜に、それも新月のような深い闇夜に限った話。この蔵の薄暗さ程度では有り得ないばかりか、今の佐為は光が差し込む格子窓の前に立っており、目を合わせられるなんて絶対に有り得ない現実だった。

 

 そう、本因坊秀策というたった一人の例外を除いて。

 本因坊秀策は昼間だろうと、夜だろうと佐為の姿を目に映して、佐為の声も聞こえたばかりか、佐為は憑いた碁盤から離れて、本因坊秀策が行く先々に憑いて行けた。

 

 更に驚いた理由を挙げると、佐為は来訪者を、金髪の前髪が特徴的な少年『進藤ヒカル』を知っていた。

 憑いた碁盤の現所有者の孫であり、格子窓から見える庭で元気一杯にはしゃぐ姿を今より幼い頃から何度も見ていたし、前回の蔵の掃除が行われた際は現所有者と共にこの二階へ訪れてもいた。

 

 しかし、その時は佐為の姿を目撃するどころか、気配を感じている様子はなかった。

 今になって、それが何故という他は無い。佐為の心に本当に自分の姿が見えているのかという疑いが渦巻く。

 確認手段はヒカルへ問いかけるだけで容易く足りるが、ヒカルが目を合わせてきたのはただの偶然にすぎないという落胆したくない心が佐為を臆病にさせて、佐為は声を出せずにいた。

 

 

「ああ、やはり……。」

 

 

 そうこうしている内、ヒカルは再び動き出した。

 すぐ傍まで歩み寄られた時、佐為の期待感は爆発しかけたが、ヒカルが捨て置かれた骨董品達を動かし始めると不発に終わった。

 

 決定的だった。ヒカルに佐為を気に留めていない様子は無い。

 佐為は声をかけずに良かったとヒカルへ伸ばしかけていた右手を下げて、溜息と一緒に自嘲を漏らす。

 

 佐為が碁盤に憑いてから千年なら、本因坊秀策との死別からまだ百年と六十年。

 つまり、本因坊秀策との出会いが八百年の末に起きた奇跡なのだから、二度目の奇跡を期待するには六百四十年が足りない。佐為は期待した自分が愚かだったと自分自身を慰める。

 

 

「えっ!? ……えっ!?」

 

 

 だが、ヒカルの不可解な行動は更に続いた。

 未練を断ち切る為、視線を庭へ移そうとした佐為の前に憑いている碁番を運び置いて、その下座に座ると、碁盤の上に置いてあった黒石と白石が入った二つの碁笥を自分の手元に置き、黒石を一つ取り出して、碁盤上の『右上スミ、小目』と呼ばれる場所に打ったのである。

 

 しかも、それっきり腕を組んで動かない。

 その姿はまるで応手を待っているにしか見えず、佐為は再び湧いた期待感に目を見開いた。

 

 静寂の中、時間だけがただただ過ぎてゆく。

 碁盤を間に挟み、少年の前に対局者として座ろうか、座るまいか。佐為が葛藤のあまり動けずにいると、碁盤に注がれていた少年の視線が上がった。

 

 

「ほら、さっさと打て」

「えっ!?」

「え、じゃない。いつまで呆けている。

 俺達は碁打ちだ。

 なら、石を打てば解る。石が言葉より雄弁に語ってくれる。……違うか?」

 

 

 最早、問いかけるまでも無かった。

 ヒカルは佐為の姿が見えているし、声も聞こえているばかりか、佐為が碁打ちと何故か知っているのは明らか。

 

 

「ああ……。ああ、ああ……。あまねく神よ、感謝致します」

「そうだな。本当に感謝しないとな」

 

 

 佐為は訪れた二度目の奇跡にたまらず涙を零す。

 ヒカルは顎をしゃくって、佐為の着席を促すと、何やら意味深な苦笑と共に肩を揺らせた。

 

 

 







 ……という事でいかがだったでしょうか? 暇潰しに楽しめたなら幸いです。
 かーなり前に書いたけど放置してあったのを見つけたので供養を兼ねて、当時のものを手直ししてみました。
 これ以上の在庫はありませんので続きません。



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