ウマ娘SS集 作:SS制作マシーン
というレスが元になっています。
早朝のカフェテリアで、アグネスタキオンはダイワスカーレットと会話に花を咲かせていた。
「で、これが今回完成した香水というわけさ。少しばかり作りすぎてしまってね、いくつかスカーレットくんにも分けてあげようと思った次第さ!」
「研究の片手間でこんな素敵な香りまで作り出すなんて、やっぱりタキオンさんはすごいですね!」
「なあに、それほどでもないさ!」
純粋に自分を慕う後輩が相手ということもあり、タキオンの機嫌は絶好調だ。
「結構な量を作ったからね。この後用事があるとも言っていたし、スカーレットくんの友達とも分けるといい!
いくつ必要だい?」
「いいんですか!?
それじゃあお言葉に甘えて、3つください!」
いつもの社交辞令めいたやり取りを終え、タキオンがらしくもなくラッピングした包みを2つ取り出した。
「えっと、ひょっとして迷惑でしたか?」
「えっ……?
い、いやいやそんなことはないとも! 研究で少し気が抜けてしまっていたようだね!」
ダイワスカーレットの指摘に、慌ててタキオンは残っていた包みを差し出す。普段の手癖で包みを持ったつもりだったが、スカーレットへ言ったように研究の疲れが残っていたのだろうか。
心配そうに様子を伺うスカーレットへ、タキオンはふと湧いた疑問をぶつけた。
「そういえば、今回は誰と会うんだい?
同室の……えーっと、ウオッカくんとなら、わざわざ落ち合う必要はないだろう?」
「ええ、今日は3人で町へ行こうって話になりまして。ウオッカったら、かわいらしい服全然持ってないんですよ!
そんな格好良くない服着てられねーって、信じられます!?」
スカーレットのあまりの剣幕に、タキオンは思わず閉口してしまう。このままでは話が進まないと判断し、大げさに声を上げた。
「おーっと、もう時間じゃないのかい!?
私としては名残惜しいんだが、相手を待たせるのは悪いだろう!」
「いっけない、もうこんな時間!
タキオンさん、ありがとうございます!」
慌てた様子で鞄を手に取りダイワスカーレットが立ち上がる。一礼して去ろうとするスカーレットへ、タキオンは慌てて声をかけた。
「それで、その一緒に合う友人はなんという名前なんだい!?」
その声に足を止め、スカーレットは恥ずかしそうにはにかむ。
「すいません、うっかりしてました。
友人の名前は……」
1日のトレーニングを終えたタキオンが部屋へと帰ると、すでにアグネスデジタルが机で作業をしていた。
「あっ、おかえりなさいタキオンさん!
……あの、お疲れですか?」
「ああ、ただいまデジタルくん。べつにオーバートレーニングというわけではないから気にしないでくれたまえ」
どこか上の空のタキオンだったが、デジタルの一言で意識を取り戻す。そして思いついたようにデジタルへと助けを求めた。
「そうだ、一つ聞きたいことがあるんだけれど、今作業の方は大丈夫かな?」
「はい、丁度切りのいいところまで終わっていますので。
なんでしょうか?」
タキオンがデジタルの作業中に質問をする。今の状態にどこかデジャヴを感じながら、タキオンは質問を続ける。
「アストンマーチャンというウマ娘について教えてほしい。少しばかり小耳にはさんでね」
「アストンマーチャン、ですか」
僅かな沈黙。タキオンの緊張が跳ね上がる。どこか祈るようなタキオンの内心を後目に、時間はゆっくりと流れる。
そして、デジタルの口が開いた。
「アストンマーチャンさんといえば、どこかふわふわとした雰囲気が特徴なウマ娘ちゃんですね!
ダイワスカーレットさんとウオッカさんのライバルとして、互いに切磋琢磨する姿には感涙を禁じえませんとも!
カメラ好きなのか、撮影した写真や映像にはいつの間にか見切れているというミステリアスな点もとってもチャーミングです!」
タキオンの不安をよそに、濁流のような情報がデジタルの口から放出された。タキオンの理由なき不安を押し流しなおも続くそれを止めるため、タキオンは軽く手を挙げる。
「ああ、もういいんだ。スカーレットくんから珍しく名前を聞いたものだから、どんな相手なのか少し気になっただけさ。
最近怪談話や新入生の噂話を小耳にはさむ機会が増えたものでね。てっきりスカーレット君が新入生と仲良くなったのかと思っていたよ」
「そうだったんですか。たしかにタキオンさんとマーチャンさんはあまり関わりがありませんから、新入生と間違えても仕方ないですね。同じ寮とはいえ、階が違えばほとんど別世界ですし。
……寮に怪談と言えば、タキオンさんは最近流行ってる噂をご存じですか?」
「噂?」
タキオンの疑問に、デジタルは内容を知らないのだと理解し話し始めた。
「なんでも、聞いたことのないウマ娘の声がするって話です。
夜に栗東寮で歩いていると、背後に何者かの気配がして自己紹介してくるらしいんですよ。なんとかをよろしくお願いしますって。
なのに、その名前が聞き取れない。怖くて立ち止まっていると、何かが離れるような気配がして怖がったウマ娘ちゃんは部屋に逃げ帰る、と。それで、最後に潮の香りが記憶に残っているらしいです」
内容としてはオーソドックスな怪談に少々のフレーバーという、話題になるのもわからなくもないものだ。諸事情によりオカルトの類にアンテナを張っているタキオンからしてみても、同じ寮という手軽さを含めて興味をそそられる。
「しかし潮の香りか……内陸ではないにしろ、海から10km以上離れたこの学園で感じることは不可能と言っていいだろう。その1点は妙に引っかかるな……。
デジタルくん、その怪談は、複数人での体験談があったりするのかい?」
「複数人、ですか?
うーん……聞いた限りではありませんね。こういった怪談話では、抵抗を抑えるためか複数人の前には出てこないことが定石ですし」
「まあ、そう上手い話はないか。
時にデジタルくん、今から予定はあるかい?」
「はい?」
「なに、少しばかり夜の散歩に付き合ってもらおうかと思ってね。ついでに、怪談の検証をしようと思ったまでさ。
潮の香りだけでも残っていれば、その現場を検証することができるだろう?」
「い、今からですか!?
もう消灯時間近いですし、明日も平日ですよ?」
「なあに、寮を一周するだけさ。何もなければそれでよし、何かあっても、2人でいれば対応もしやすいだろう。
頼めないかな?」
「そ、その言い方は卑怯ですよぅ……一周だけですからね?」
ほかならぬタキオンの頼みを断れず、デジタルは規則違反すれすれの散歩に同行することとなった。
消灯時間前とはいえ、人通りの少ない時間まで照明を煌々とつけている必要がないことは明白だ。故に、トレセン学園栗東寮の廊下は歩行に支障が出ない程度の明るさとなっている。
普段ならば気にならない光景も、怪談を探すという目的の元に行動するとどこか不気味に感じるのだから不思議である。足音の反響ですら、何者かの関与を疑ってしまう。
「さて、もうほとんど回りきってしまったね。やはり噂は噂なのか、単に運が悪いだけなのか……」
「タキオンさん……あまりのんびり歩いていないで早く帰りましょうよぅ……」
「おやおや、デジタル君はこの手の体験は苦手だったかい?」
「いえ、そろそろ規則違反になってしまいますよ? 時計を見てください」
デジタルの言に従いスマホを取り出すと、たしかにあと10分もしないまでに消灯時間が迫っていた。
「なるほど。時間もちょうどいいし、そろそろ部屋へ……」
「た、タキオンしゃん。う、う、後ろから……」
デジタルの怯えた声の直後、タキオンの背筋に冷たいものが滑り込んだ。背後から、静かな足音が聞こえてくる。咄嗟に振り向くも、薄暗い廊下には誰もいない。だが、足音は確かに近づいてくるのだ。
「なんだ……一体、何が近づいてきている……?」
音はすれども姿は見えず。透明人間を相手にしているような錯覚を覚えるタキオンだったが、不意に足音が止まった。
僅かな、沈黙。
「アRトYJーチャYをよろしくお願いします」
耳元で、確かに声がした。はっきりと聞こえたお願いしますの文言とは裏腹に、まるで掻き消されたように聞こえない前半部分。そして、微かな潮の香りがタキオンの鼻腔を擽った。
硬直して動かないアグネスデジタルと、思考を高速で走らせるアグネスタキオン。両者を放置するように、見えない足音はゆっくりと遠ざかっていく。
「……面白い。必ず解き明かしてみせるぞ」
消えていく足音へ、アグネスタキオンは一方的な宣戦布告を投げつけた。
翌日。部屋へ撤収し睡眠をとったタキオンとデジタルは、互いの意見を交換していた。
「たしかに聞き慣れない声だったね。噂通り微かな潮の香りもしていた。
さて、デジタル君の意見も聞きたいね」
「そうですね、私はどこかで聞いたような声だったような気がします。一度聞いたウマ娘ちゃんの声を思い出せないなど、一生の不覚ではありますが。
潮の香りも確かにしていましたが、かなりうっすらとしたものでした。そよ風でも吹いて散らされてしまえば、感じ取ることはできなかったでしょう」
意見交換といっても、ほとんど情報などない。遭遇した情報の洗い直しが精いっぱいだった。
互いに頭を捻り、先に意見を出したのはタキオンだった。
「よし、カフェに頼ろうか」
「カフェって、マンハッタンカフェさんですか?」
「ああ、この手のオカルトなら、カフェの専門だろう。幸い今日は休日だ、彼女も用事はないだろうさ」
「そう、ですかね……?」
「まあ見ていたまえよ!」
自信満々のタキオンに、デジタルは一抹の不安をぬぐい切れなかった。
「お断りします」
「えーっ!?」
デジタルの不安は的中した。
アグネスタキオンとマンハッタンカフェが間借りする教室で、タキオンの自信満々の要求に対する第一声だ。きっぱりとした返答であり、取り付く島もない。
「何故だいカフェ! こういったオカルティックな分野は君の専門だろう!?」
「それは否定しませんが、そう簡単に私が動くと思われていることがまず不愉快です。
それに、その話を私は別件で受けたものでして」
「……なんだって?」
カフェの言に、タキオンが眉を顰める。デジタルもどういうことかと首を捻ると、カフェは居住まいを正した。
「数日前、栗東寮の娘から相談されたんです。丁度タキオンさんから聞いたような内容で、私としても気になったのでフジキセキさんに話をして夜にその娘が体験したという廊下に向かいました。
結論からすれば、あれは霊の仕業ではありません。もう少し我々に近い者の起こした現象、と言えるでしょう。非常に不安定な、何かです」
「私たちに、近い?」
タキオンの疑問に、カフェは応える気がないようだ。
「私がそう感じただけです。とにかく私としては何も知りませんし、できることもないですよ」
そう言ってコーヒーカップを傾ける。雰囲気からも、会話を再開できそうにない。
「そうかい、無理を言って悪かったね。
行こうか、デジタルくん」
「あ、はい! マンハッタンカフェさん、お話ありがとうござました!」
礼を言ったデジタルを引き連れて退室したタキオンは、部屋の前で小走りにこちらへと駆け寄ってくるウマ娘と遭遇した。
「あ、タキオンさん! 先日はありがとうございました!」
「おや、スカーレットくんじゃないか。どうしたんだい、そんなに急いで?」
タキオンの前で立ち止まり礼を言っていたスカーレットが、タキオンの一言で口を尖らせた。
「そうだ聞いてくださいよタキオンさん! ウオッカったら、せっかくタキオンさんからもらった香水をつけもしないんですよ!?
失礼ですし、この香りがわからないなんて女の子としてどうかと思います!」
「ま、まあまあ落ち着き給え。人によって好みというのは変わるものだ。
ところで、もう1人の友人は感想を言ってくれたのかい?」
タキオンの質問に、スカーレットは首を傾げた。
「もう1人、ですか?
私はウオッカの分の香水しかもらっていませんよ?」
「なんだって?
先日ラウンジで話したとき、私が包みを2つしか渡さなかったじゃないか。スカーレット君に言われて、もう1つ渡したときの話だよ?」
「私と、ウオッカと、予備の3つはいただきましたけど……。
タキオンさん、ひょっとしてお疲れですか?」
心配そうなスカーレットへ、タキオンは少し考えこんでから返答した。
「そうね、少し研究に力を入れすぎたみたいだ。今日は早めに休むとするよ。
デジタルくん、帰ろうか」
「え、あ、はい!
失礼します!」
「えーっと、おつかれさまです……?」
疑問符を浮かべるスカーレットを置いて、タキオンは足早にその場を立ち去る。困惑するデジタルを連れて自室に戻ると、レポート用紙を広げデジタルへと質問をぶつけ始めた。
「デジタルくん、先日私が君から怪談話を聞くきっかけとなった会話を覚えているかい?」
「きっかけと言いますと、タキオンさんがお疲れで部屋に戻ってきた後ですよね?」
「その後さ。私は君にどんな問いかけをしたかな?」
「えーっと……ウマ娘ちゃんの情報が欲しいと。
名前は、名前は……」
「そこまでだ、デジタルくん。そこまででいい。
デジタルくん、ゆっくりと私に続けていってくれ。アストンマーチャンと」
「アストンマーチャン、ですか?」
あっさりと、その名前はアグネスデジタルの口から出た。そして、その事実にデジタルは困惑する。
「あれ、なんで。私、タキオンさんにマーチャンさんのことで話したことを……?」
「おやおや、あんがいすんなりと済んだね。ちょっとした孤軍奮闘を覚悟していたのだが」
「ちょっとまってください、孤軍奮闘って……。いや、それよりも思い出しましたよ、昨日の声がなんて言っていたのか!」
「ああ、私も今思い出したところさ。あれは聞き取れていなかったわけじゃなく、理解できていなかったということだね」
アグネスタキオンとアグネスデジタルは、同時に昨日の声を再現した。
『アストンマーチャンをよろしくお願いします』
互いの認識が一致したことを確認し、2人は頷き合った。
「あの声、そしてこの挨拶。まちがいありません、あのときの見えない誰かはアストンマーチャンさんです!」
「カフェのいうことも間違っていなかったわけだ。彼女は確かに存在していたし、霊よりはこちら側の存在と言えるだろう」
「しかし、何故姿が見えなかったんでしょう?
流石に理屈がつきませんよ?」
「それに関してはそういうものだと納得するしかないね。心当たりがないわけじゃないが、説明がちょっと複雑すぎる」
どこか不服そうなデジタルだったが、タキオンはそれを無視する。根負けしたデジタルが、ふてくされた様子で口を開いた。
「それで、どうするんですかタキオンさん。アストンマーチャンが見えないどころか、さっきの話を聞く限りじゃあスカーレットさんの認識からも消えてしまっていますよ?
ウマ娘ちゃんがいなくなるなんて、学園の、世界の損失です!」
「いきなりヒートアップしたねデジタル君。ちょっと試したいことがあるから、時間をくれたまえよ。
君には、霊の怪談話がどのエリアで発生していたかを聞き込みしてほしい。カフェに聞けば、相談を受けた現場をある程度抑えられるだろう」
「私としては全力で動かせていただきますが、タキオンさんはどうするんですか?」
「なあに、ちょっと記憶の欠片に頑張ってもらおうとね」
それだけ言って、タキオンはレポート用紙に何かを書き始めた。デジタルは疑問を拭いきれなかったものの、少しでも情報を集めるため部屋から走り出した。
その日の夜、タキオンとデジタルは向かい合ってデジタルが集めた情報を精査していた。寮の簡易的な地図を広げ、ペンで情報を書き込んでいる。
「やはり、現場がかなり偏っているね。この渡り廊下付近が特に多い」
「はい。聞き込んだ結果、美穂寮でこの体験をしたウマ娘ちゃんは1人もいません。類似した怪談も確認できませんでした」
「ふむ、栗東寮特有となれば、私の仮説が補強される。
ところで、この現象を体験した時間はわかるかな?」
「それなら、カフェさんから聞いています。流石に正確な時間とは言えませんが……」
デジタルが書き込まれた現場の横に時間を書き足していく。半数を超えた段階で、ある傾向が見えてきた。
「これって……」
「ああ、特定のルートを辿れば寮の中から外に向かって時間が遅くなっていく。そして私たちの時も足音はたしかにルートに従った方向から聞こえてきた。
間違いない、アストンマーチャンはこのルートを辿ってどこかへ向かっている!」
アグネスデジタルは慌てて時計を見た。地図に記された最も遅い時間まで、あまり余裕は無い。
「じゃあ、早く行きましょう!
何か策があるんでしょう!?」
「落ち着き給えデジタルくん。準備はできているが、1つ気がかりなことがあるんだ」
「移動しながらでいいですから、早く行きましょう!
アストンマーチャンがいつまでこの状態なのか、戻れるのかもわからないんですよ!?」
「そう急かさないでくれたまえ。さあ、行こうか」
デジタルに引きずられるようにして地図のルート上へ向かうタキオンだったが、流石にデジタルも落ち着いたのか腕を引かずに先導する形になった。
「……それで、気がかりなことってなんですか?」
「ああ、私たちがきちんとアストンマーチャンと思われる相手を追跡できるかという問題だ」
デジタルは不思議そうに問い直す。
「足音についていけばいいんじゃないですか? 確かに小さな足音でしたけど、耳を澄ませれば十分聞き取れる大きさでしたよね?」
「寮はそれでいいとして、外に出た場合さ。学園外になればそれだけで追跡は困難になるし、昨日足音が急に消えたような気がしたんだ」
「そんな……それじゃあどうやって追いかけるんですか!?」
「場当たり的だが、足音が消えないかそれ以外の何かを追跡できると願うしかないね」
「そんなぁ……」
会話を続けている間に、昨日声と遭遇した場所へ到着した。昨晩よりも時間は早いが、先に行かれてしまう危険性を考えれば早い方がいいだろう。
「さて、少し耳を澄ませるとするか。デジタル君も、期待しているよ」
「……はい」
沈黙と緊張がその場を支配する。トゥインクルシリーズのゲート内にも似た雰囲気は、幸い長続きしなかった。
「タキオンさん、今!」
「ああ、私にも聞こえた」
昨晩と同じ、いや、より小さくなった足音が、割り出したルートに従って2人へと近づいてくる。そして、耳元で一言。
「アストンマーチャンをよろしくお願いします」
アグネスタキオンとアグネスデジタルは再び視線を交差させた。
「聞こえたね。これで私の仮説はほぼ確定だ」
「認識できたということですね。この声は間違いなく、アストンマーチャンさんの声です!」
同時に振り向き足音の向かう先を見る2人だったが、徐々に表情が険しくなっていく。
「そんな……足音が!」
「やはり昨晩の感覚は気のせいではなかったのか……」
足音が、徐々に聞き取りにくくなっていく。距離が離れていっているわけではない、異様な速度で、音そのものが小さくなっているのだ。
「なにか、なにかないんですか。このままじゃ見失っちゃいます!」
「落ち着くんだ。何か方法があるはず……これ、は……」
タキオンの鼻腔が、微かな香りを捉えた。先ほどまで存在しなかったその香りは、たしかにこの噂に存在していた最後のピース。
「磯の香り……!
デジタル君、磯の香りを辿るぞ!」
「は、はい!」
本来香るはずのない異臭が、鋭敏なウマ娘の嗅覚から逃れられるはずがない。渡り廊下から寮を離れた2人のウマ娘が辿り着いた先は、体育館にも似た施設だった。
「ウマレーターの保管庫ですね。何故ここからこんな香りが?」
「香りはこの中からだ。急ぐよ、デジタルくん!」
すでに磯の香りは人間でも感じられるほどに濃くなっており、その発生源であるウマレーター保管庫は海にでも通じでいるのではないかとタキオンが内心怪しむほどだ。
不思議なことに倉庫の入り口に鍵はかかっておらず、タキオンは慎重に体を屋内へと滑り込ませる。
「これは……デジタルくん、気をつけたまえ」
「わかりました。
これは、どうなっているんですか?」
「何かを再現しようとしているみたいだね」
保管庫の内部は、噎せ返るような潮の香りで満ちていた。保管されているウマレーターは全てが起動しており、にも拘らず駆動音は一切聞こえない。
「見てください、海ですよ。浜辺が再現されてます」
「何故、浜辺なんだ? それに、この量は……」
ウマレーター表面に取り付けられたモニターは、そのすべてが夜の浜辺を映し出してた。再現された浜辺から磯の香りがするとでもいうのだろうか。
「とにかく、あとは見えないアストンマーチャンを待つだけだ。あの移動速度からして、私たちよりも早く着くことはないだろうからね。
扉は占めたけど、あれが開くとも思えない。気を抜かないでくれたまえよ」
「はい。
ところでタキオンさん、アストンマーチャンが来たらどうするんですか?」
「それはもう準備してある。とりあえず警戒してくれたまえ」
「わ、わかりました!」
耳を澄ませ、視線を周囲に投げる2人のウマ娘。音もなく映し出される夜の砂浜が、集中力を掻き乱す。
そんな中、デジタルの耳が異音を捉えた。
「タキオンさん、あちらから水音が!」
「ああ、私にも聞こえたよ!」
波打ち際を歩くような、足で水を蹴る音が響く。
「タキオンさん……さっきまで、波の音なんて聞こえませんでしたよね?」
「ああ。ついでに言えば、砂を踏む感触もなかったはずさ」
気がつけば、倉庫内に波音が広がっていた。スピーカーからではない、床の上から直接聞こえるような感覚に、思わずたじろぐ。そうして動かした足には、靴越しに砂の感触が伝わってくるのだ。
そんな中、唯一の足音はゆっくりと進み続けている。
「タキオンさん、どうするんですか?
策ってやつはまだ使えないんですか?」
「もう少し待ってくれたまえ。できるだけ高い可能性に賭けたいんだ」
怯えるデジタルは、タキオンの返答に唇を強く結んだ。彼女が知るアグネスタキオンというウマ娘は、こういった状況下でごまかしや嘘は言わない。彼女が考える絶対のタイミングを、密かに図っているのだと信頼している。
そして水を踏む足音が、止まった。
「今だ!」
タキオンが高々と掲げたのは、真新しい目覚まし時計だ。そしてベルが鳴り響く。
ジリリリリリリリリリリ!
「さあ、夢現の時間はおしまいだよアストンマーチャン!
早く目覚めて、自分の足でベッドへ歩き給え!」
ベルの一鳴りが響くたび、波の音が引いていく。足元はしっかりと床の感触を返し、モニターは光を失う。目覚まし時計が鳴りやむころには、ウマレーター保管庫内はただの無機質な静寂が支配する空間となっていた。
そしてアグネスタキオンとアグネスデジタルの眼前に、一人のウマ娘が立っていた。
「……アストンマーチャンだね。私はアグネスタキオンさ。
いろいろと話したいことはあるが、今日はもう遅い。あしたラウンジで待ち合わせたいんだが、かまわないかな?」
「はい、アストンマーチャンです。それでは、あしたラウンジでお話ししましょう。
ただこれだけは言わせてください。ありがとう、ございます」
ぺこりと下げられた頭を見たタキオンは、柔らかな笑みを浮かべる。
「なに、こんな私を慕ってくれる後輩の友を、放っておけなかっただけさ。それに、理論の実践をできる良い機会だった。礼を言われるようなことはしていない。
さてデジタルくん、撤収といこうじゃないか。早く帰らないと、門限を過ぎて寮を抜け出したことがフジキセキくんにばれてしまう」
「そ、そういえばもうこんな時間じゃないですか!
早く帰りましょう。ほら、アストンマーチャンさんも走って!」
慌てて先導するデジタルを見たタキオンとマーチャンから笑みがこぼれ、どこか朗らかな雰囲気のまま門限との戦いは始まった。
翌日のラウンジで、アグネスタキオン、アグネスデジタル、アストンマーチャンの3人は壁際の席に座っていた。特に時間での約束はしていなかったのだが、アスリートでもある3人は行動パターンが似通っていたため自然と待ち合わせの形となったのだ。
「最悪行き違いになるところだった。今回はなんとかなったけど、時間を指定しなかったのはらしくもないミスだったな」
「そうかもしれませんが、いまはそれよりも話すことがあるじゃないですか。
私も昨日の件はわからないことだらけなんですから、説明をお願いしますよ?」
うなだれた頭を抱えるタキオンに、縋るようにして説明をねだるデジタルという構図。それを見るマーチャンは、クスリと笑みを溢した。
2人の視線が集まり、気恥ずかしそうにマーチャンが話し始める。
「あっ、すいません。仲がいいのだなと思いまして。
改めまして、アストンマーチャンです。昨日は本当にありがとうございました」
「かまわないとも。
確認になるが、君はダイワスカーレットくんと仲のいいアストンマーチャンで間違いないかな?
数日前にスカーレットくんとウオッカくんの3人で出かけたと聞いているが?」
「はい、そのアストンマーチャンで間違いないです」
マーチャンの返答を聞いたタキオンは深く頷いた。雰囲気が変わり、アグネスデジタルとアストンマーチャンが居住まいを正す。
「なら、私の理論に間違いはなさそうだ。
はじめの違和感は、その出かける前のスカーレットくんとのやりとりだった。香水瓶を彼女が3本と言ったのに、私は手癖で2本しか取らなかった」
「それは、誰にでもあることなのでは?」
あまりに些細なきっかけに、思わずデジタルがツッコミを入れる。
「なに、科学の徒としては自らも盲信する相手ではないということさ。
手癖ということは、スカーレットくんは普段2の数を私に頼んでいたということになる。しかし彼女はたいそう仲良さげに外出相手の話をしていてね、そんな彼女が2人の内1人にしか手土産を渡さないなんて事があると思うかい?」
「それは……考えにくいですね」
「そうですね、スカーレットさんがそんなことをしているところを見たことがないです」
「だろう?
これでなにかしらの異変があると踏んだわけさ」
こじつけに近い理論だが、タキオンには口に出さない根拠があった。自らの記憶の奥底にこびりつく、微かな違和感。カフェと共に造りあげなかった廃教室と、何故か持っていた目覚まし時計。
言っても仕方がない事柄は口に出さず、タキオンは話を続ける。
「そこで認識できないウマ娘の怪談と、同行者を忘れるスカーレットくんだ。これで何もないは通らないだろう?」
流石に疑惑を持つ2人も、実際その通りだったために異論を挟めない。
「霊的ななにかという点も、カフェ直々に否定されたんだ。それも、我々に近いなにかだとね。
現れては消え、霊よりも我々側。ならば存在が不安定なんじゃないかと当たりをつけて、こちら側に引き戻すためにこれを作ったわけなんだよ」
そう言って机に載せられたのは、目覚まし時計だった。
「これ、ウマレーターの倉庫で鳴らしたやつですよね?
ただの目覚ましにしか見えないです」
「そうですね。マーチャンを引き戻すなにかという話だったので、もっと不思議なものかと思いました」
「実際、これはほとんど普通の目覚まし時計だよ」
「えっ?」
思わずタキオンの顔を見るデジタルに、タキオンは得意げな笑みを浮かべる。
「時にデジタルくん、この世界とはなんだと思う?」
「この世界、ですか?」
突然の抽象的な質問に困惑するデジタルだったが、タキオンは構わず話を続ける。
「この世界は時間と空間が合わさってできているとされている。謎のウマ娘は足音が聞こえる以上空間的な所属は我々の側ということになるのだから、ならば時間を合わせてしまえばいいという理屈さ」
「でも、なんでその目覚まし時計が我々の時間軸に引き戻す鍵なんですか?」
「デジタルくん、世界で最も正確な時計を知っているかい?」
唐突な質問だったが、デジタルは持ち前の雑学でその問いに即答した。
「原子時計ですね。制度の低いものでも、数千年に一秒しかずれることがない、まさに時間の基準です」
「そう。この世界において、原子は物質の基底だ。ならばその原子を元に刻まれる時間こそが、この世界特有の時間と呼べるとは思わないかい?」
「なるほど、だからウマレーター保管庫でその時計を使ったんですね!」
「その通りさ。夢遊病者を道中で起こすのではなく、ベッドに戻ってから起こすようなものだ。
一定のルートを通っている以上、どこか拠点があると踏んでいたからね。あの場所こそ、ある意味最も眠りに近い場所だと確信したわけだ。
実験器具の一部として正確な時計が必要になった際、せっかくだからと原子時計を購入しておいて正解だったよ」
「え、それ、電波時計じゃないんですか?」
購入したの一言で、デジタルが凍りついた。
「ああ、本来はこの机程度の大きさだけど、基幹部分だけならば幸いこの時計に入る大きさだったからね。
なあに、厳密には時間が知りたいのではなく、この世界の時計が必要なだけだったんだ。同期の必要はなかったし、明日にでも修理すればそれで済む話さ」
決して安くない道具を、平然と分解して別の機械に組み込む暴挙。言葉を失うデジタルだったが、アストンマーチャンは別の感想を抱いたらしい。
「改めてになりますが、ありがとうございます。楽な作業ではなかったでしょうに、見知らぬウマ娘のためにここまでしてくれるとは。
優しいんですね、タキオンさん」
アグネスタキオンは普段の言動から、避けられ誤解されることが多い。故に、このような直球の行為を向けられることに慣れていなかった。
「なに、私の研究の理論が裏付けられるいい機会だと思っただけさ。礼は不要だよ。
ほらほら、あちらにスカーレットくんがいるじゃないか。友人同士、一方的になってしまうが再会を喜んでは……」
視界の端に違和感を覚え、タキオンが言葉を止める。違和感を覚えたデジタルが視線の先を見れば、明らかな不審者がラウンジに侵入するところだった。
着ぐるみを着た人物。それも、外見は勝負服のアストンマーチャンを模したものだ。質の悪いストーカー以外に考えられないその人物を見て、当のアストンマーチャンは手を叩いた。
「ああ、そういえばトレーナーさんに心配をかけてしまいました。
突然ですが、ここで失礼させてもらいますね?」
一礼し、小走りで着ぐるみへと走り寄るアストンマーチャン。親しげに話す様子から、あの着ぐるみがアストンマーチャンのトレーナーという事実に間違いはないようだ。
「どうしましたタキオンさん?
そういえばアストンマーチャンのトレーナーもここ数日の間見ませんでしたね」
呑気なデジタルの声はタキオンに半分も聞こえていない。なぜウマレーターが海を再現していたのか。元々この目覚まし時計に似たガジェットに入っていた虹色の結晶体は何なのか。今回に限って何者かが干渉してこなかったのは何故かのか。
そんな疑問はすべて消えていき、タキオンの脳内には一つの疑問のみが残された。
「デジタルくん、君はあのトレーナーが着ぐるみを脱いだところを見たことがあるかい?」
「いえ、ないですが」
「ここ数日間あの着ぐるみを見てないかったということは、彼もまた消えていたか、あの着ぐるみを着ていない状態で校内に存在していた可能性は考えられないかな?」
「……」
沈黙。
「気に、ならないかい?
あの着ぐるみの中身が!」
「行きましょうか、タキオンさん!」
睡眠不足も相まって、判断力の落ちたウマ娘二人が解き放たれた。
生徒会副会長であるエアグルーヴが暴走するウマ娘2人組を取り押さえ説教を開始する、わずか数分前の出来事である。