ウマ娘SS集 作:SS制作マシーン
今日もまた同じ夢を見る。真っ暗な空間に、私と1人のウマ娘だけが存在する夢。
「あ、お姉ちゃん!」
とても嬉しそうに、夢の中でしか見たことがないウマ娘は私に笑顔を見せる。ほんの数歩の距離を詰めることなく、しかしこれ以上ないほどに弾んだ声で。
「……」
そんなウマ娘に返事を返すことなく、私は目の前のウマ娘を観察する。
明るい茶褐色系の髪色に、顔の下半分を覆う白い衛生マスク。バツ字と金の鎖がデザインされた勝負服は、どこか内気そうな少女に意外なほど似合っている。
体は動くが、不思議と彼女へ近づこうとは思わない。一歩でも踏み込んだが最後、取り返しのつかないことになると本能が警告しているのだ。
彼女は私が踏み込むことを待っているのか、決して自分から最後の距離を詰めることはしない。その代わりに、言葉と仕草を駆使しこちらを揺さぶってくるのだが。
「お姉ちゃん?」
心配そうに声をかけられるだけで、異常なほどに心が乱される。まるで本当の妹を不安がらせているかのような罪悪感に襲われるが、理性でそれを押さえつける。そうでもしなければ、反射的に彼女へと踏み込んでしまいそうになる。
ふと、誰かに呼ばれたような感覚を受けて振り返った。その感覚は少しずつ強くなり、同時に意識が揺らいでいく。
「今日はここまで、か。
またね、お姉ちゃん」
耳に残る声を最後に、意識は現実へと引き上げられていった。
自らの姉がうっすらと目を開ける様子を見たオルフェーヴルは、安堵の息を吐いた。
「姉上、ずいぶんと魘されていたようだが如何した?」
目覚めたばかりの相手には相応しくない質問だが、オルフェーヴルは自らの姉を信じている。当然のように、ドリームジャーニーはその信頼に応えてみせた。
「わざわざ起こしてくれたのかい。ありがとう、オル。
少し寝苦しかっただけみたいだから、なにも心配することはないよ」
そう笑顔で応えるドリームジャーニーは、一見普段と何も変わらない様子だった。一般的な交流しかしていなければ、珍しいこともあるものだと自らを納得させてしまっていただろう。
しかし同室であり実妹であるオルフェーヴルは誤魔化されない。そもそもドリームジャーニーが魘されるようになってすでに1週間は経っているのだ。連夜ではないにしろ、3日と間を置かずに魘され続けているのは流石に異常だ。
日常生活にも影響は出ているようで、ドリームジャーニーのトレーナーからも様子を見るよう頼まれたのだ。オルフェーヴルをどこか苦手に感じているトレーナーを動かすほど、ドリームジャーニーは精彩を欠いているらしい。
「致し方ない、か」
姉の強がりを尊重するのは妹の役割だが、それで体を壊しては元も子もない。姉の意に反することは不本意ながら、オルフェーヴルは行動することを決定した。
数日後。アグネスタキオンとマンハッタンカフェが占領する空き教室に、オルフェーヴルの姿はあった。堂々と椅子に座る姿は部屋の主のようであり、差し出されたコーヒーを飲む姿すら絵になっている。
反対に本来部屋の主であるアグネスタキオンとマンハッタンカフェは、すでに持ち込まれた話が面倒ごとであると予想しているため渋い表情だ。
「それで、私たちに相談事とのことですが」
「うむ、この学園で怪奇現象の専門家といえば貴様らと聞いたのでな。こうして足を運んだというわけだ」
「その話の出所を聞きたいところだけれど、もう広がりすぎていて元はたどれないんだろうね」
「よくわかっているではないか。少なくともこの数日で、同じような紹介を5回は別の口から聞いたぞ。
ばらばらに挙げられたものを含めれば数倍になる」
それを聞いたタキオンとカフェは、互いにこれ以上ないほどに苦い顔をした。
だがここで百面相をしても、現実が変わることはない。溜息とともにコーヒーを呷り、カフェが口を開いた。
「それだけの噂を聞いたということは、私とタキオンさんで対応できるものは違うということも知っているでしょう。
今回の相談とは、どういったものになりますか?」
「ふーむ、そうだな……。じつは未だどちらの領分なのか判別がついていないのだ。
ここで話せば、それもわかるかと思ったのでな」
眉間に皺を寄せるオルフェーヴルへ、マンハッタンカフェはおかわりのコーヒーを差し出した。湯気を薫らせ香りを楽しんだ金色の暴君は、二つ名に相応しかった皺を僅かに緩ませる。
「見事な腕だ。おかげで考えがまとまった。
相談とはほかでもない、我が姉上のことなのだ。ここのところ、満足に寝付けていない」
相談内容に、カフェとタキオンが顔を見合わせた。正直なところもっと変わった内容を予測していただけに、肩透かしを食らった気分なのだ。
「それは、保健室や病院に相談するべきなのでは?」
「魘されるたび、同じ夢を見るとしてもか?」
追加の情報が提示された途端、部屋の空気が変わった。どこか緩んだものから、引き締まった臨戦態勢と呼べるものへと。
それを察知したオルフェーヴルは、満足そうな笑みを浮かべる。
「なるほど、それが事件と向き合う顔という訳か。ここに相談を決めた余の判断は間違っていなかったということだな」
言いながら頷く暴君へ、カフェは居住まいを正した。ひたすらにメモを取るタキオンも、僅かに身を乗り出す。
「姉上は自らの弱みを見せることを好まない故、あまり詳しい話はできない。
姉上の夢に出る不届き者は茶褐色の髪をしたウマ娘だ。少なくとも1週間以上はその夢を見続け、ほとんど決まって魘されている。
それと、近頃ではそのウマ娘らしい姿を現実でも見るようになった疑いがあるのだ」
「現実で、ですか」
カフェの眉がピクリと上がった。
「先日、珍しいことに姉上が廊下で呆けていてな。故を聞いたのだが、夢の娘がとまで言って我に返り誤魔化されてしまった。
逆に言えば、余にここまでの情報を漏らすほど姉上は弱ってしまっているのだ」
「たしかに、話に聞く限り君の姉君であるドリームジャーニー君の性格からして弱みを人に見せるとは考えにくい。身内ならば余計にだろう。
普段なら黙っている情報すら話してしまうほどに精神が弱っているのか」
「うむ。これ以上見過ごせばどうなってしまうか余にも予想がつかん」
「ここまで聞いて放置では流石に良心が痛みますね」
タキオンとオルフェが真剣な顔をつき合わせる横で、カフェが静かに立ち上がった。
「オルフェーヴルさん、あなたの寮室とドリームジャーニーさんが違和感を覚えた場所を案内してください。それと、ドリームジャーニーさんを遠くからで良いので少し観察したいです」
「動いてくれるか。
寮室と現場にはすぐ案内できる。この時間であれば姉上はトレーニング中故、観察も容易に済ませられるだろう」
「それでは今から向かいましょう。
タキオンさんはここにいてください。騒ぎになっても面倒なので」
聞いた情報をレポート用紙に纏めているタキオンを一瞥し、マンハッタンカフェはオルフェーヴルを連れて部屋から出て行った。
1人となったタキオンがレポート用紙の情報を整理し、残った紅茶を飲み、新しい実験のアイデアを書き出しはじめてようやく2人は帰ってきた。時間にして約1時間半であり、もう少しで部屋の電気をつけなければならないほど太陽が傾いている。
夕暮れに染まった扉が音もなく開き、その先には黒い長髪を持った少女が音もなく佇んでいる。気の弱い人物ならば悲鳴を挙げるであろう光景は、部屋の主の片割れであるアグネスタキオンにとっては少しばかり珍しい光景にすぎない。
黙って入室するカフェの後ろを、オルフェーヴルが黙って追従している。
「おやカフェ、ずいぶんとかかったね。なにか新しい情報はあったかな?」
からかいを含んだタキオンの台詞を無視し、カフェは水出しのコーヒーをカップに注ぎ着席した。
「寮室にも現場にもドリームジャーニーさん自身にも、異変は見えませんでした。
これはあなたの領分ですよ、タキオンさん」
コーヒーを呷って一言、カフェは真剣な表情でタキオンへ告げた。
「そうかい。
なにか新しい情報はあるかい?」
「トレーニングの様子を見ましたが、かなり憔悴してました。あまり余裕はないと思った方が」
「なるほどねぇ……」
顎に手を当て首を捻るタキオンだったが、不意に背後から体が持ち上げられた。
「カフェ?」
疑問は無視され、無理に立たされる姿勢のまま廊下へと連れ出される。
「それでは、調査頑張ってください」
そう言い残し、扉はタキオンの目の前で閉められた。
「……先ほどといい今といい、ひょっとして嫌われているのか?」
「ただの照れ隠しさ。さて、私の部屋へ行こうじゃないか」
どこか気を使うようなオルフェーヴルという非常に珍しい存在を引き連れながら、タキオンは自室へと歩き出した。
アグネスタキオンの寮室につくころには、すでに日は落ちきっていた。招き入れたオルフェーヴルへ椅子を勧め、タキオンは勉強机へと腰掛ける。
「さて、カフェの協力で今回の件が私に関わり深い案件だということがわかった。
とはいえ流石に情報が少なすぎるのでね、ここで話を聞かせてほしい」
「それは構わぬが、そちらの者は大事ないのか?」
オルフェーヴルの視線の先では、高速で手を動かすアグネスデジタルの姿があった。瞬きをほとんどすることなく、視線を逸らさないまま目を見開いて手元の紙へと筆を走らせ続けている姿は控えめに言って狂気の具現化と言える。
「ああ、彼女のことなら気にしないでくれたまえ。
そんなことよりも話を進めようじゃないか。門限まであまり時間がない」
オルフェーヴルが視線を時計へ向けると、たしかに門限まで一時間と少ししかなかった。移動時間を考えれば、込み入った話をするには少々心許ない。
「貴様の言うとおり、時間はあまりないようだな。
して、なにを聞こうというのだ?」
改めて椅子に座り直すオルフェーヴルだったが、アグネスタキオンは情報の確認や最近の姉妹の行動についてといった簡単な内容の質問を繰り返すことしかしなかった。もっと込み入った話をする者だと身構えていたオルフェからすれば拍子抜けだ。
「このような話で姉上を助けることができるのか?」
「物事はいきなり核心を突くことができないようになっているものだよ。足場固めの情報はつまらないものさ」
「そういうものか」
なんとも言えない表情でうなるオルフェーヴルだったが、彼女は専門家の言うことを否定するような愚鈍ではない。そういう者かと納得したところで、ふと視線が時計へ向けられた。
「そろそろ時間だな。
明日はどうすればよい?」
「ある程度聞きたい話は聞けたから、こちらが情報を纏めるまでは普段通りに過ごしてくれて問題ないよ。姉君のことを気にかけてやってくれ」
「言われるまでもない。
何かあればすぐに知らせる故、そちらも進展があれば即座に報を投げよ」
そう言い残し、オルフェーヴルは退室した。足音が遠ざかることを確認し、タキオンは同室の生徒へと向き直る。
「さて、無茶な頼み事をして悪かったね。情報は集まったかな?」
「私としても利のあるものでしたので、お気になさらず!
とりあえずになりますが、ある程度の情報は纏められました。少し時間をおいて精査しますので、少々お待ちを」
「いや、纏める前の資料が欲しい。君の感覚を元に書かれた資料の方が、より鮮明なものを拾っている可能性が高いからね」
事前に話を通されたデジタルが、ひたすらにオルフェーヴルについて纏めていた紙束を受け取るタキオン。視線を走らせ、要点を抜き出していく。
「姉について心配していることは事実か。心当たりも無い、となると被害者本人にも話を聞く必要が……うん?」
資料を滑らせていたタキオンの手が止まる。複数の紙を眺め、顎に手を当てた。
「デジタルくん、ドリームジャーニーについての情報はあるかい?」
「ドリームジャーニーさんですか?
少しお待ちを」
デジタルはノートを取り出すと、それを広げた。
「こちらになります。
彼女は秘密主義なので、あまり情報はないのですが」
そう言いながら差し出されるノートを受け取るタキオンは、情報の少なさに驚いた。だが他のウマ娘の数分の一程度しか無いそこには、タキオンが求める情報が記載されている。
「うん、後は聞き込みをして裏付けをとればよしだ。うまく事が運べば明日の夜には解決するね。
デジタルくん、今回は君にも同席してもらうよ」
「ええっ!?
いや、そんな急に言われても!」
突然の要請に慌てるデジタルだったが、タキオンはどこ吹く風だ。
「今までは雑用だけ任せて一番重要なところで君を外してしまっていたからね。今回からは心配をかけないよう、気を配るつもりさ。
それでは明日は聞き込みがあるからね。おやすみ」
「た、タキオンさん!?
……もう、急すぎますよぅ」
言うだけ言って布団へ横になったタキオンへ、デジタルは仕方ないといった笑みを浮かべ机へと向かった。
翌日の夕方、タキオンとデジタルの姿はオルフェーヴルの寮室にあった。同室であるドリームジャーニーは不思議そうに2人の様子を見ており、オルフェーヴルは不機嫌さを隠そうともしていない。
「貴様ら、解決策があるからこそ姉上を呼び立てたのであろうな。
余の話から、姉上を想う考えがわからなかったなどと抜かす愚鈍は許さぬぞ?」
「安心してくれたまえよ。少しの確認さえできれば、それで今回の依頼は解決するはずさ」
「ならばよい。
して、その方は何用で連れてきたのだ?」
タキオンの弁明に一応の納得を見せたオルフェーヴルは、顎でデジタルを指した。はじめは何らかの助手程度に考えていたのだが、入室してからただ縮こまり一言も発していない彼女を流石に不審に思ったのだ。
「彼女の特技が必要になるのでね。ただの野次馬ではないから許容してくれるとありがたい」
「ならばよい」
「お許しをいただけてなによりだよ。
さてドリームジャーニーくん、今回君の妹君から睡眠障害についての相談を受けた。それはここ1週間程度と言うことで間違いないかな?」
「オルにそこまで心配をかけさせていたとは……。
安眠ができなくなったのはその期間で間違いありません。それと原因になにか関連性が?」
「少しばかり奇妙に聞こえるかもしれないが、あるというのが私の見解さ。
今の担当トレーナーと契約して、メイクデビューで勝利したのも同じ頃で間違いなかったね?」
「そうですね。記録も残っています」
不思議そうに小首をかしげるジャーニーへ、タキオンは満足げに頷いた。
「間違いなさそうだね。
さてドリームジャーニーくん、君の不眠は君自身で決着をつける必要があるようだ」
「決着、とは?」
「信じ難いとは想うが、君の不眠はただの精神的なものではない。夢に出てくるウマ娘は、いずこからかの干渉の結果という可能性が非常に高い」
普段のジャーニーであれば、馬鹿な話だと一笑に付す内容だ。しかし同じ夢を、しかも続きとして見続けることが異常であることはジャーニーにも理解できる。そして眼前のタキオンの眼差しは、悪ふざけや冗談の含まれていない真剣なものだった。
「……それでは、どう対処するのですか?」
「姉上、信じるのか?」
「完全な嘘というわけではなさそうだし、オルが信じているからね。私にとってはそれで十分さ」
驚く妹へ、小柄な姉は眼鏡を押し上げながら答えた。身内にのみ向けられる笑顔に浮かぶ疲れを見て、オルフェーヴルは忸怩たる思いを強める。
「それで、どのような手段をとるのですか?」
「まず目的の夢を見るためにイメージを固める必要があるからね、彼女の力を借りて件の少女を絵にしてくれたまえ」
そう言いながら、タキオンはデジタルをジャーニーの眼前へと押し出した。
「よ、よろしくおねがいしましゅぅぅぅ……」
縮こまり怯えるように挨拶をするデジタルを見て、ジャーニーは内心疑問を覚えた。このウマ娘が一体何をするのかと。
しかしデジタルが鞄からスケッチブックと鉛筆を取り出し深く深呼吸すると、その疑問は跡形もなく消え去った。先ほどまでとは打って変わって硬質な雰囲気を纏い、視線は触れれば切れそうなほどに鋭い。
「ではジャーニーさん、夢に出てくるウマ娘ちゃんの髪の色を教えてください」
「たしか、明るい茶褐色でした」
「それでは、髪型は……」
応答は続き、1つ答えると筆が僅かに進むやりとりが繰り返される。デジタルの雰囲気に飲まれ、オルフェーヴルも口を挟めない。奇妙な作業風景は、意外なことに数十分で完了した。
「でき、ました。こちらが夢に出てくるというウマ娘ちゃんですか?」
紙面を向けられたドリームジャーニーは、座りながらも立ちくらみのような感覚に襲われる。紙面から、あのウマ娘がこちらを見つめていたのだ。
「っ……はい、このウマ娘で間違いありません」
その声を合図に、オルフェーヴルが紙面をのぞき込む。
「余に見覚えはないな。そちらの方はどうだ?」
「私にも見覚えはありません。すくなくとも、トレセン学園内にこの顔のウマ娘ちゃんはいないはずです」
「おそらく、この世界に存在しないウマ娘だろう。探すのは無駄だろうからおすすめしないよ」
似顔絵を一瞥したタキオンの発言に、オルフェーヴルは眉をひそめる。
「学園だけでなく、この世界に存在しないとはどういうことだ。貴様、何を隠している?」
「今は君の姉君と話をする必要がある。説明は後でするから、少し待っていてくれたまえ。
ドリームジャーニーくん、君にはこのウマ娘を夢の中で説き伏せる必要がある。もう自分に執着しないようにね」
「説き伏せる、ですか。
狙った夢を見ることはかなり難しいと聞きますが、どうやって接触するのですか?」
「私の見立てが正しければ、このウマ娘を考えながら眠ればいいはずさ。向こうからしても、接触する機会を逃しはしないだろう」
妹をあしらいながら提示されたよくわからない解決策を、ドリームジャーニーは複雑な心境で聞く。嘘八百と切り捨てるには妙な説得力があり、受け入れるには胡散臭すぎる。
「わかりました。やってみましょう」
僅かに考え出した結論は、とりあえずやってみるという場当たり的なものだった。ただ寝るだけでいい手軽さと、愛する妹が連れてきた人材が相手という2つが大きな理由だ。
「話が早くて助かる。
では、交渉が手早くまとまることを願うよ」
タキオンから差し出された手を握り返し、ジャーニーはベッドへ横になる。心配そうに見つめるオルフェーヴルへ大丈夫だと視線を投げ。デジタルが持つスケッチブックに描かれたウマ娘を思い描きながら目を閉じた。
不眠気味であったことを加味しても、不自然なほど速やかにドリームジャーニーは夢へと引きずり込まれていった。
ふと気がつけば、いつものように真っ暗な空間にドリームジャーニーは立っていた。視線の先には、先ほどアグネスデジタルによって描かれたウマ娘がジャーニーを見つめている。
「来てくれたね、お姉ちゃん」
普段の輝くような笑顔は無く、感情がない声で少女はジャーニーへと呼びかける。
「アタシと話すために来てくれたのは嬉しいけど、それがお別れのためってのは悲しいよ。アタシはお姉ちゃんと仲良くしたいだけなのに」
寂しそうに呟く少女に対し、湧き上がってくる罪悪感をジャーニーは必死に押し殺す。なぜここまで眼前の少女に情が湧くのか。ただ姉として呼ばれているだけでは説明がつかない。
普段であれば、ドリームジャーニーはこの違和感から身を守るために眼前のウマ娘を意識から閉め出しただろう。だが夢に落ちる前に、タキオンから夢の相手を説き伏せろと言われたのだ。交渉のため、ジャーニーは意を決し口を開く。
「私は、貴女の姉ではありませんよ」
拒絶の言葉でありながら、それを聞いたウマ娘は花が咲いたように笑う。
「やっと話してくれた!
お姉ちゃんいつもアタシを無視するから、これで一歩前進だ」
久しぶりに家族と再会したような空気を纏うウマ娘は、マスク越しにでもわかるほどの笑顔を崩さない。
「アタシはお姉ちゃんと過ごせればいいんだから、さよならなんで言わないで欲しいな」
妹が姉へおねだりするような口調に、ジャーニーは思わず頷きそうになった。精神力で動きを止め、静かに深呼吸をする。
「貴女がなぜ私を姉と呼ぶのかわかりませんが、この夢は私の睡眠障害の原因になってます。すぐにやめていただきたい」
「お姉ちゃんが私を受け入れてくれれば、寝不足にならないよ?
私にはちゃんとした家族ができるし、お姉ちゃんはよく眠れる。何も悪い事は無いんじゃない?」
「仮にそれを受け入れた場合、私はどうなりますか?」
両手を広げ誘うウマ娘は、ジャーニーの指摘に動きを止めた。
「どうって、何も変わらないよ?
私と一緒に暮らせるだけ」
「質問を変えましょうか。それを受け入れたとき、私は目覚めることはできるですか?」
「現実の世界から目覚めるなんて、お姉ちゃんは変なことを言うんだね?」
下手なはぐらかしは、かえって肯定となる。ドリームジャーニーは眼前のウマ娘の誘いに乗ったが最期、もう帰ることはできなくなると確信した。
「私が貴女の誘いに乗ることはありませんよ。私を想ってくれる人たちを裏切ることはできませんし、なにより見ず知らずの相手からの誘いを受けることなどありません」
「見ず知らずって言うのはひどいなぁ。妹に向けて言うことじゃないよ?」
何故こうも眼前のウマ娘から妹を連想するのか、ドリームジャーニーは自分がわからなくなっている。身長も、マスクに半ば隠された顔も、声も、態度も、何一つとしてオルフェーヴルとは似ていないのに。
髪の色と、姉に対する限りない甘えを振りかざして、ウマ娘はジャーニーを見つめる。
「せめて、たまに遊びに来るくらいはしてくれてもいいじゃない」
「いけません。私は眠らなければならないので。
何故私なのでしょう。貴女の両親や、それこそお姉さんではだめなのですか?」
その問いが失敗だったとドリームジャーニーが気づいたのは、少女が纏う雰囲気が変わったからだった。
どこか内向きで弱々しかったそれは、深淵を覗き込んだような空虚なものへと変貌する。
「いないよ、産まれなかったから」
「なに、を……」
両親が産まれずして、子が産まれることなどありえない。先に産まれたからこそ姉と呼ばれるのであって、先に産まれたのに姉を欲しがるなどまるで子供の癇癪だ。
「本当は産まれたかも知れないけど、私しか産まれなかった。私にはレースと、ライバルしかいない。
だって走ってるだけだもん。走って、マスクが飛ばされて、気持ちが切り替わって、それでおしまい。
それしかないの」
そう言いながら、少女はマスクを外した。顕わになった顔は、不思議とオルフェーヴルを思わせるものだ。
マスクをつけていたときはどこか大人しい印象を与えていた顔は、獲物を前にした肉食獣のような荒々しいものへと変わっている。
「だからアタシには何もない。勝利も、友達も、家族も!
ならせめて家族くらい欲しい。お姉ちゃん、あたしにはそれすら許されないの!?」
身を削るような魂の叫びが、ドリームジャーニーを貫いた。愛妹であるオルフェーヴルとは似ても似つかないのに、妹が泣いているかのようにどうしようもなく心が揺れ動く。
少しでも気を抜けば嗚咽を零す少女へと駆け寄ってしまいそうになる自分を叱咤し、ジャーニーは脳裏に愛する人々を思い描いた。彼らのためにも、自分は帰らなければならないのだ。少女一人のために自分を犠牲にすれば、どれほどの人が悲しむだろうと歯を食いしばる。
「……そうです。あなたには許されません」
その一言に、少女の嗚咽が止まった。絶望に染まり、信じられないものを見る目がドリームジャーニーを捕らえる。
「あなたが望むものが家族であるのなら、私を求めるのはお門違いです。
もしあなたが私の妹であるというならば、その姿こそが否定になります」
「……あたしをみすてるの?」
真っ赤に腫れた眼が、ドリームジャーニーを縋るように見る。弱々しいそれを、小柄なウマ娘は体躯からは考えられない圧をもって切り捨てた。
「私の妹であるというならば、そのていたらくはなんですか。周囲を見ずに友がいないといじけ、戦いもせずに勝利がないと喚き、あげく振り返りもせず家族がいないと膝を折る。そんな軟弱な妹など、私には心当たりがありません。
仮にも私の妹を名乗るなら、オルフェーヴルを騙るなら。前を向き、胸を張り、気高くありなさい!
そうすれば必ず、あなたにも友達ができます。勝利などいくらでも積み上がります。家族だって、きっと見つかるでしょう」
怒りではない感情が込められた叱咤に、先ほどまで泣いていたウマ娘は眼をぱちくりと瞬いた。
「……それでもし、勝てなかったら。見つからなかったらどうするの?
私は走っているだけだから、誰にも会えなかったら?」
「走っているだけが貴女なら、今私に会うことはできなかったでしょう。今こうして私と話していることこそが、貴女が望めばなにかが変わる証拠ですよ。
変化があれば、必ず出会いがあります。勝てない程度で離れる者など、友達ではありません。家族ならば必ず貴女を見つけ出し、最後まで側にいてくれますよ」
そう言い残し、ジャーニーは内心で自らを叱咤しながら踵を返した。
相手を怒らせることも、励ますことも避けるべきだった。今はこちらを近づけようとしているだけだが、あちらから近づいてこない保証などない。当たり障りのない会話を続け、隙を見てつけ込み交渉を進めるべきだったのだ。
だが、頭で理解していてもジャーニーにそれはできなかった。自分を姉と呼び、助けを求める謎のウマ娘。文字に起こせば不信でしかない彼女を、見捨てられなかった。
歩を進めるたび、周囲が明るくなっていく。目覚めが近いと直感的に理解したジャーニーの耳が、背後からの声を拾った。
「ありがとう、お姉ちゃん。
…………ごめんなさい」
視界いっぱいに広がる白に圧倒されながらも、ジャーニーは振り返らずに口を動かす。
「頑張りなさい。あなたのお姉さんによろしく」
最後まで妹と呼んであげられなかったなとどこか寂しく思いながら、ドリームジャーニーは光に包まれ意識を失った。
ドリームジャーニーが不自然な眠りについた部屋で、オルフェーヴルは不機嫌そうに腕を組んでいた。耳は極限まで絞られ、尻尾も威圧的な揺れを隠していない。
「して、説明はあるのだろうな?」
ある種の下手人であるアグネスタキオンへ、オルフェーヴルは鋭い視線を投げつけた。それに怯え背後に隠れるアグネスデジタルを気にせず、タキオンは不敵な笑みを崩さない。
「もちろん、今から説明させてもらうさ。
まず聞きたいんだけれど、君は最近ずいぶんと姉君に話しかけるようになったらしいね」
「貴様、それに今更何の関係がある」
「答えてくれたまえ。きちんと意味のある質問なのだから」
暴君の圧に全く怯まないタキオンに、オルフェーヴルは僅かに気圧される。
「そう言われればだが、たしかにここのところ余から話しかけることは増えていたかもしれぬ」
「ある程度予想していたとはいえ、やはり本人の肯定は大きなものだね。
オルフェーヴルくん、君がドリームジャーニーの不眠の原因さ。自覚はないだろうけれどね」
「なに?」
タキオンの一言を聞き、オルフェーヴルの表情が抜け落ちた。なにかのきっかけで爆発しかねない危うさが、暴君の内部で膨らんでいく。
「……聞き捨てならん言葉が聞こえたぞ。余が、姉上を害したと?
面白くもない冗談だが、何故そう断言したのか聞かせよ。言うまでもないが、ここからは内容を選んで口を開くことだ」
自らを律しながら、オルフェーヴルは続きを促す。並のウマ娘ならば、いや、人間であっても言葉が詰まるであろう怒れる暴君を前に、アグネスタキオンは恐れることなく自説を展開した。
「君は、姉君がトレーナーと共にメイクデビューを勝利で飾ったことに喜んだのだろう。身内の勝利を喜ばない者はそういないだろうから、それは当然のことだ。
しかし興奮が収まれば、君は不安に苛まれたはずさ。愛する姉が、誰とも知らないトレーナーなどと親睦を深めてしまうと。ひょっとしたら、自分よりも深い信頼を得てしまうかもしれないと」
タキオンの推測に、オルフェーヴルは口を開かない。真正面から突きつけられたそれが、金色の暴君が誰にも明かすことなく心の内に秘めていたものだったからだ。それが事実である以上、否定をすることは王たる者の矜持が許さない。
沈黙を選んだオルフェーヴルへ、アグネスタキオンは言葉を続ける。
「にわかには信じられないだろうけど、世界を隔てる壁は意外と不安定なようでね。ちょっとしたきっかけで近い世界とつながってしまうことがあるんだよ。
君の姉君への執着ともいえる感情が切っ掛けとなって、近い世界の君と反応してしまったんだろうね」
「近い世界の余だと?
何故そう言い切れる」
オルフェーヴルが抱いた疑問は当然のものだ。アグネスタキオンは返答の代わりに、アグネスデジタルへ視線を向ける。
「デジタル君。君が書いたこの絵の人物に、見覚えが無いと言っていたね?」
「はい。少なくとも覚えている限りは、学園内でこのウマ娘ちゃんを見たことはありません」
「先ほども言ったが、余も見たことがない。それがどうしたというのだ?」
「私には、これがオルフェーヴル君とダブって見える。
まるで加工した写真を見ているように、見知らぬウマ娘とオルフェーヴル君の顔が重なって見えるのだよ。奇妙なことにね」
その言葉に、暴君と勇者は引き寄せられるようにスケッチブックを見た。
タブレットのような電子機器ならば画面の不調で他の映像記録とダブる可能性もあるが、似顔絵が描かれたのは紙面だ。それこそスケッチしたアグネスデジタルが意図して仕込みでもしない限り、そのような見え方はありえない。
現に、覗き込んだ2人の目に異常は映らなかった。
「戯れ……ではないのだな」
「タキオンさんはこういったことで嘘は言わない人です。
私には見えませんけど、きっと何かが重なっているのでしょう」
疑いを拭いきれないオルフェーヴルとは対照的に、アグネスデジタルは揺るぎない信頼を見せる。
「ありがとうデジタル君。
髪の色が似ている程度しか共通点がないこの娘だが、私の考えが正しければこれは別の世界の君と言うことになるんだ、オルフェーヴル君。
君が持つ姉君への思いが、偶然別世界の自分と重なってしまったんだろう。
私は今まで数度この手の怪現象に遭遇してきたから、経験からの推測になるけどね。根拠こそないけど、ある程度の自信はあるよ」
自然体のままなタキオンに、暴君は唸ることしかできない。
「では何故姉上はそのようなものに囚われた。余の残滓のようなものに、いいようにされる姉上ではないぞ」
「わかっているだろう。君の姉上はこの上なく君を愛しているからだよ」
あまりにもまっすぐな言葉に、オルフェーヴルは声を詰まらせた。
背後で倒れたアグネスデジタルを意識の外へ追い出し、アグネスタキオンは口を動かす。
「見た目が違おうとも、世界が違おうとも、君の姉君はそれがオルフェーヴルであると理解してしまったんだ。姉君は、妹を見捨てて自分だけ助かろうなどという選択をするような性格をしていない。
だからこそ、彼女自身で決着をつける必要があると言ったのさ。彼女を苦しめているのはあくまでも別世界のオルフェーヴルであり、それの執着を断ち切っても妹を見捨てたことにはならないと理解すればこの件はすぐに収まる。
つまりだ。君は姉から捨てられるかもしれないという不安を抱く必要も、原因が自分だと自らを責める必要もないってことさ」
タキオンの一言に、オルフェーヴルは目を見開く。迷うように視線を伏せだが、すぐにあげられた視線は真っすぐにタキオンを見据えていた。
「そうだな。余はなにを弱気になっていたのだ。
姉上が、余を見捨てるなどありえん。ぽっと出のトレーナーがなんだというのだ、姉上は余を常に優先するに決まっておる!」
「何をわかり切ったことを言っているんだい、オル?」
普段の調子を取り戻したオルフェーヴルが胸を張ると、その背後でゆっくりとドリームジャーニーが起き上がった。
「姉上!
無事戻ったのか。大事はないか?」
「大丈夫だよオル。心配をかけてしまったね」
互いを言祝ぐ姉妹をタキオンがしばらく眺めていると、その視線に気がついたドリームジャーニーが改まって向き直った。
「ありがとうございます、アグネスタキオンさん。夢の中で件のウマ娘とは話し合いが済みました。
もう、あの子が原因で私が不眠症になることはないでしょう」
「それはなによりだね。
では、私たちはこれで失礼するとしよう。少々すれ違いが合ったようだし、姉妹仲を存分に深めてくれたまえ。
ほらデジタル君、起きるんだ」
「引き留めるのも失礼ですね。この度はありがとうございました。
お礼は後程させて頂きます」
「律儀だねぇ。では、楽しみに待たせてもらうよ。
それでは、これで」
「お、お邪魔させていただきました!」
優雅な礼を見せるドリームジャーニーの前で、2人のアグネスを通した扉は静かに閉められた。
数日後、タキオンとデジタルは寮室で互いに顔を見合わせていた。2人の手元には、かわいらしくラッピングされた小包。
「……それで、デジタルくん。その箱には君が欲しがっていたウマ娘名鑑が入っていたと」
「はい。もう絶版となっていた稀覯本でして、探しても断片的な情報しかなかった代物です。
タキオンさんの箱には、論文が入っていたとのことでしたが」
「ああ。真新しいものではないんだが、非常に応用の利く理論の基礎となったものだ。翻訳されていないから、どうやって取り寄せようかと悩んでいたところにこれが届いたというわけさ」
かなりの希少品。それも、特に欲しいと公言していない者がピンポイントに届く。人によっては、かなりの恐怖を感じるだろう。
「で、箱の中にはメッセージカードが一枚だ」
2人の手には、簡素な紙片がそれぞれ握られていた。表面には端的な文章と共に、ドリームジャーニーの名が書かれている。
「お礼ということなんだろうけど、正直少々薄ら寒いものを感じるねぇ」
「頂けて嬉しいものではではあるんですけどね……」
冷たいものが背筋を伝う2人の脳裏には、ドリームジャーニーの笑い声が響いていた。