「おはよう、星くん。昨日下北にいたわよね? すごい慌ててたように見えたけど何してたの?」
教室に入ってきて早々俺にそう声を掛けてきたのは、我らがクラスの陽キャ代表といっても差し支えない陽キャ大臣。喜多郁代だ。クラスの皆からは喜多ちゃんと呼ばれ親しまれている。かくいう俺は喜多ちゃんなどと呼べるはずもなく喜多さんと呼んでいるが。
「おはよう、喜多さん。昨日は確かに下北にいたけど……昨日はというか下北に住んでるからいつもいるにはいるんだけどね」
「そうだったのね! それじゃあ、昨日のランニング? はトレーニングでもしていたの?」
「ランニング? そんなのした覚えが……昨日は一日中ごろごろしてたから、買い出しくらいしかしてないはず……小腹が空いたから家を出て……おかしいな、そこからの記憶が一切ない」
喜多さんは何を言っているんだろうか。俺は基本インドア派なので買い出し以外で外に出ることはほぼないし、走るなんて面倒なことを自発的にするはずもない。となると俺を見かけたのは買い出し時になるわけだがその時の記憶が一切ない。
「えぇ!? 大丈夫なのそれ!」
「いや、でもなんだか思い出してはいけない気がするんだ。この話はもうよそう」
脳が考えることを強く拒否している。昨日は何もなかった。何もなかったんだ。
「え、ええ。そうね。星君がそう言うならやめておきましょう」
話もそこそこに喜多さんが俺の席を離れようとした刹那、ヤツはやってきた。
【喜多ちゃんなんだか浮かない顔をしているようだが悩みでもあるのか? 俺でよければ話聞くよ。てかどこ住み?】
【郁代、顔色が優れないようだが悩みでもあるのか? 俺でよければ話聞くよ? てかロインやってる?】
クッソこのタイミングで来るかこの野郎……
どちらを選んでも最終的に好感度が下がる気がしてならないが、流石に名前呼びはないだろう。喜多さん自身確か名前で呼ばれるのを嫌がっていたはずだ。
「喜多ちゃんなんだか浮かない顔をしているようだが悩みでもあるのか? 俺でよければ話聞くよ。てかどこ住み?」
「えっ、私そんな顔してたかしら……でも、そうね。悩みは少し……でも大丈夫よ。気を使ってくれてありがとう星君」
喜多さんはそう言って微笑んだが、その表情には確かに陰りが見えた。この異能もたまには役に立つな。そしてどこ住みかは教えてくれずにスルーされた。
「喜多ちゃんおはよー!」
「あっ、おはよう!」
どうやら友達も登校してきたようで、いつの間にか教室も騒がしくなってきた。この辺りの時間帯から俺はいつも自然とフェードアウトして背景と化すようにしている。
「それじゃあね」
喜多さんは女の子らしい小さな手で俺に手を振って友達のもとへと向かっていこうとする。そんな姿がどこか弱弱しく見えて、咄嗟に喜多さんの腕を掴んでしまっていた。
「喜多さんっ! 何か本当に悩んでるなら力になるよ」
喜多さんは俺が急に腕を掴んだことに少し驚いたようで、しばらく黙って考え込んでいた。その後、彼女は深呼吸をして、決意したような表情で俺の目を見つめる。
「そう、そうね、うん。星君、今日の放課後少し時間を貰える?」
「もちろん」
▽
放課後の教室は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。多くの学生が下校し、部活動に向かっていった後の教室には、わずかに残った空気が漂っている。俺はその中で、クラス一の陽キャである喜多さんと二人きりになっていた。
「それで、喜多さんの悩みって?」
俺がそう言って喜多さんを促すと、喜多さんは少し気まずそうにしながら、ためらいがちに口を開いた。
「それが……その、私がバンドを組んでるってことは知ってる?」
「あー、何か最近クラスの女子がそういう話をしてたってのは知ってるかな。喜多さん歌上手いらしいね」
俺は喜多さんの歌を聴いたことがないから知らないけど。クラスのやつらがカラオケに行っては喜多さんの歌で盛り上がっているということは何となく知ってる。
「ふふ、ありがとう。……それでね、その、バンドなんだけど実は今日ライブがあるの。そのバンドで私はギターボーカルをやることになってるのよ」
ギターもボーカルもやるなんてすごいな喜多さん。俺みたいなシングルタスク人間には一生出来ないようなことやってのけてるじゃん。流石陽キャ大臣。
「へぇ、そうなんだ。それで緊張してるってことかな」
「いえ、そうじゃなくて、その、私……嘘吐いちゃったの」
「嘘?」
「私、実はギターが弾けないの」
「へぇ……えっ、今日ライブなんじゃないの」
練習しても弾けなかったとかそういうことだろうか。完成度が低いだとかはバンドメンバーが一番分かってそうだけど……
「ええ、それに一番問題なのは私がこのことをメンバーに伝えていないことなの」
まじかよ。何で?
「なるほど。メンバーの人も喜多さんがギターを弾けないことは知らないわけだ。練習どうしてたの?」
「それは、なんとか誤魔化して……」
無理があるだろ。どうやって誤魔化したんだろう。一度も顔合わせて練習しなかったとかか? それはもうどうせぶっつけ本番になるし他のバンドメンバーも悪いだろ。めちゃくちゃ気になるけど話の腰を折るわけにもいかないな。
「だから、私今日のライブは行けないって……思ってて。本番当日にいきなり逃げ出すなんて無責任なことするのはいけないって分かってるんだけどね」
喜多さんは俺が思っている以上に思い詰めているようで、目に涙を溜めながら震えていた。
「本当は逃げ出したくないし、みんなに迷惑をかけたくないんだけど……どうしても自分の嘘がばれるのが怖くて、どうしたらいいか分からないの。卑怯よね」
零れ落ちそうになる涙をこらえながら、弱弱しい声を絞り切る喜多さん。
クラスの人気者で、誰よりも笑顔が素敵で、皆を笑顔にさせる陽キャ大臣。悩みなんて何一つないんだろうななんて思ってたけど、世界はどうもそう簡単に出来てはいないらしい。上手くいってるやつなんてのは遠目から見ていると全てが上手くいってるように見えてしまうけれど、実際そんなことは全くなくて。きっと俺が見ている喜多さんなんて喜多郁代という人間のほんのごく一部にすぎないんだろう。
喜多さんは適当なその場限りの慰めなんて求めてはいない。俺に、断罪してほしいのだろう。無責任だ、卑怯者と。普段大して何のかかわりもない俺だからこそ、喜多さんのことを客観的に裁くことが出来るのかもしれない。でもそれは根本的に何の解決にもならないことを俺も、そしてまた喜多さんも知っているはずだ。
とはいえ、今の喜多さんの精神状態で根本的解決は不可能だろう。それなら俺のやることは決まっている。喜多さんが心の整理をつけるために、まずは一時的にでも問題から距離を置く手助けをすればいい。
さてどうするか。
答えはすぐに出た。
「なら俺が喜多さんの代わりにライブに出るよ!」
「……えっ」
「今日だけは
簡単な話だ。
俺が喜多郁代になればいい。
代理がいればバンドメンバーもとりあえずは許してくれるだろう。許してくれるよね?
「ワタシはイソスタ陽キャ大臣! 喜多郁代よ!」
「ずっと思ってたけど星君って時々頭がおかしいわよね!? 後、陽キャ大臣って何!?」
「キターン! キタキタキタキターン! どう! 似てるかしら!」
「星君から見て私ってそんな感じなの!?」
多分誰から見てもこんな感じじゃないかな喜多さんは。
全身全霊で俺は体内の数少ない陽キャオーラ、否、喜多ちゃんオーラを漲らせる。大丈夫、これで終わってもいい。
どうせ普段陰キャだしね。使えるところでエネルギー使っとかないと損だ。
「それで、場所は?」
「えっ、下北沢のSTARRYってライブハウスだけど。待ってほんとに行くつもり!? というか星君ギター弾けるの!?」
「弾いたことないけどきっとなんとかなるわ! 何故なら私は喜多郁代なんだからっ! キターン!」
「私そんなにポジティブじゃないわ、星君! 待って! やめてぇぇ!」
星君は選択肢とかなくても普通に頭おかしいです。