「おーい星君? 起きてー! 戻ってきてー!」
「んぁ」
虚空を見つめ、無と化している内にいつの間にか眠ってしまっていたようで、天使の囁くような声に魂を引っ張られて覚醒した俺の目の前には、伊地知さんの愛らしい顔があった。
「この爆音環境で寝れるなんて最早才能」
山田さんが俺をまるで化け物でも見るような顔で見て戦慄している。
「そろそろ本番始まるから! 行くよ! リョウ! ぼっちちゃん!」
「ぼっちちゃん?」
聞きなれない単語に、俺は首を傾げて伊地知さんへと問う。
消去法で考えると後藤さんのあだ名なんだろうけど、流石にかわいそうじゃない? まさか俺が眠っている間に激しい女の戦いが……? まさかいじめ……なんて過酷な世界なんだガールズバンド……!
「多分星君が心配してるようなことはないからね」
「あっ、ぼぼぼぼ、ぼっちです!」
照れくさそうに、そして嬉しそうに満面の笑みで段ボールから顔を出した後藤さんを見ていると、俺の心配は杞憂だったんだなと安心して胸をなでおろした。良かった。女の戦いなんてなかったんだ……。てか何で段ボールに入ってるんだろう。
「じゃあ、俺は演奏楽しみにしてます。あっ、チケット代払っておいた方がいいですよね」
「うむ、頂戴いたす」
「いたさない、いたさない!」
俺が出した財布に手を伸ばす山田さんの手をはたく伊地知さん。
「代役で来てくれたのにお金なんて貰えないよ。せめて今日は楽しんでって!」
そう言ってはにかむ伊地知さん。なんていい人なんだ。俺は何の役にも立っていないというのに。むしろ寝てただけだ。今のところ俺はサポートに来たと見せかけて、スタジオにタダ乗りして、爆睡かましてライブまで
「ライブ、応援してます」
「うん! ありがとう!」
笑顔が眩しい……今の俺には眩しすぎて直視出来ないよ伊地知さん。まるで天使のような優しさを見せる伊地知さんにせめて……せめて俺は――
▽
「初めまして! 結束バンドでーす!」
「うぉぉぉぉぉぉ! 結束バンドぉぉぉぉぉ! こっち向いてぇぇぇぇ!」
全力でサクラを遂行する――!
「なにあの人……」
「え、こわ」
周りの不協和音には一切目もくれず、「結束バンド、最高ー!」と叫びながら、自分でも信じられないくらいの声量で声を上げる。
「ベースの低音響いてるよー! ユニセックスな見た目も素敵!」
「ドラムいい音出てるぞー! もう、俺がドラムになりたい! 後、可愛い!」
「マンゴー食べたーい!!!」
思いつく限りの言葉で結束バンドを褒め称え、観客を煽る。どうだい伊地知さん、俺は役に立ってるかい?
「恥ずかしい……」
「絶対目合わせちゃ駄目だから! 知らないふりして!」
山田さんと伊地知さんが何やらこそこそ話してるが、結束バンドの助けになっているのなら、俺は嬉しい。
「おい、あいつつまみだせよ」
「もうやってます! 店長! 彼、石造かってくらい重いです! 体幹えぐいし、動かせません!」
俺の腰回りに群がる人たちはどうにか俺を追い出そうと躍起になっているが、残念ながら不可能だ。常日頃クソ選択肢によって鍛え上げられた俺の肉体を動かそうなど片腹痛いわ。こんな些細なことは気にせず応援に徹しなければ!
その日、俺は声が枯れるまで叫び続けた。産声よりも大きな声で、結束バンドへの愛を語らった。ライブが始まり、爆音が世界を支配するようになってからも俺は負けじと叫び続けた。
結束バンド最高! ビバ! 結束バンド!
そうしてなんやかんやで、生まれて初めてのライブ鑑賞はけたたましくも終わりを迎えたのだ。
▽
「お前、出禁な」
「すみませんでした」
結束バンドの出番が終わり、すぐに俺はこのライブハウスの店長に呼び止められ、たった今、出禁を言い渡されていた。
そんな……俺、今日初めてライブに触れて、音楽の良さが分かったところなのに……
「お前、名前は?」
「喜多郁代です」
「違うよね!? ちょっと、星君やめてよね! ほんとに恥ずかしかったんだからあたし!」
「伊地知さんっ!」
店長に詰められて泣きそうになっていた俺に救いの手を差し伸べてくれたのは、やはりというべきか伊地知さんだった。
「はぁ? こいつ、虹夏の友達か?」
店長さんは俺のことをギロリと睨んでくる。その視線には明らかに敵意が込められていて、何かしようものならすぐにでもつまみだされそうな勢いだ。
「えっと、友達……かな? 今日来れなくなっちゃったギターの子の代わりに来てくれてて」
「え、こいつ、ステージにいなかったじゃん」
「あー、今日は体調悪かったみたいでっ!」
伊地知さんが必死に俺の為に誤魔化してくれてる……なんていい子なんだ。好きだ。俺も黙ってないで弁明しよう。
「俺」
「星君は喋らないで! 話がややこしくなるから!」
あれぇ?
「いや、こいつ、クッソ叫んでてうるさかったし体調悪そうには……はぁ、もういい。虹夏がそう言うんならそうなんだろう。次はないからな」
店長さんはまだ納得いっていない様子だったが、伊地知さんの助けもあって何とか矛を収めてくれた。
「ご迷惑をおかけしました」
「ほんとだよっ。すっごい迷惑だったんだから!」
まじですみません。
「えっと、そういえば後藤さんと山田さんは?」
居た堪れなくなって、その場にいない山田さんと後藤さんについて尋ねる。
すると伊地知さんは頬をぷくっと膨らませて、少しムッとした様子で答えた。
「もう帰ったよ。これから反省会ってところだったのに」
どうやら一足先にSTARRYを後にしていたみたいだ。一応挨拶しておいた方がいいかとも思っていたがそれなら仕方ない。
解散したということは、結束バンドとしての活動もとりあえず今日はおしまいだろう。喜多さんの代わりに来た俺がここにいる意味もなくなったし、帰らせてもらおうかな。
「そうですか、俺もそろそろ帰ります。今日はありがとうございました」
そう言って踵を返し、そそくさとSTARRYの出口へ向かおうとしたところ、伊地知さんが急いで追いかけてきた。
「あっ、待って待って。星君、ボーカルは出来るんだよね? それなら、うちでやる気ない?」
伊地知さんは俺の腕を軽く掴んで、期待に満ちた眼差しを向けてくる。その瞳に嘘はなく、その場を和ませようとしているだとか、俺に気を使っているだとか、そんな気配は微塵も感じられない。きっと彼女は今、大切な何かを俺に託そうとしている。
「一応、聞きますけど、なんでですか?」
「真剣だったから……かな。さっきはちょっと怒っちゃったけどね? 普通、初めて会った知り合いのバンドにあんな真摯になるなんてありえないって。ちょっとひいちゃった。でも星君、楽しんでくれてたみたいだし……応援だってしてくれたし、星君は何かに真剣に打ち込める人なんだってことは分かったの」
「重ねて一応。つまり俺の真剣な姿勢がバンドにとってプラスになると思ってくれたわけですか?」
「うん!」
申し出は嬉しいし、是非とも参加させてもらいたくはあるけれど、結束バンドにとっての最後のピースは俺じゃないと、俺の魂は訴えかけてくる。きっと彼女であるはずだ。だって彼女はあんなにも――
「……魅力的なお誘いではありますが、やめておきます。後、実は俺バンドとかやったことないし、音楽ド素人です」
「えぇっ!?」
実はボーカルすらやったことがないという事実をネタバラシしてみると、伊地知さんは目を大きく見開き、ぴょこぴょことアホ毛を揺らしながら驚愕の表情を浮かべていた。
そりゃそうだろう。例えるなら助っ人外国人が野球をやったことがないどころか、野球のルールすら知らなかったんだから。
「それでは」
俺は改めて言葉を切り出し、軽く会釈をしてから踵を返す。
「待って星君!」
「……まだ、何か?」
「星君さえよければうちでバイトしない!?」
「バイトですか?」
思ってもみなかった提案だった。もう会うことはないだろうなんて思ってただけに、喜びも大きい。ここでバイトするってことは伊地知さんにも定期的に会えるってことだ。それにこんなにも呼び止めてくるなんて、もしかして伊地知さん俺のこと好きか?
「そう! お姉ちゃんも男手欲しいよね!」
お姉ちゃん?
不思議に思い、伊地知さんがお姉ちゃんと呼んだ女性を見ると、そこにいたのは店長さんだった。
姉妹だったのか……確かに言われてみれば似てるな。さっき許してくれたのも、きっと可愛い妹の頼みだったからってのもあるのかもしれない。
「あぁ? まぁ、そりゃいないよりはいいけど……お前はいいのか?」
「俺は、まぁ」
高校生になったらどのみちバイトは始めようとは思っていたから特に不都合はない。
「んじゃ、一応形式だけでも面接するから」
「はい」
「ここに名前とか住所とか書いて、正式な履歴書はまた今度持ってこい」
「うす!」
「シフトだけど、いつ入れる?」
いつも暇だし特に希望もない。適当に――
【平日水曜の夜に一時間だけなら入れますよ】
【365日いつでもどこでも入れますよ】
今日やたらと選択肢出てくるなぁ……
どこの世界に平日の、しかも水曜一時間しか働けない学生をとる経営者がいるんだよ。いるわけないだろ。いい加減にしろ。
「365日いつでもどこでも入れますよ」
「はっ? そんなに入らなくていいよ」
「いえっ! やる気は本当にありますんで!」
バンドとしては役に立てないかもしれないが、このライブハウスを陰から支えるヒーローくらいにはなってやろうじゃないか。
「……あー、じゃあさっそく今日ドリンクだけでも覚えて帰ってもらおうかな」
「任せてください!!!」
▽
「おい虹夏、こいつやっぱ出禁にしよう」
「星君! ドリンクを! 混ぜない! あっ、混ぜるなっつってるだろコラぁ!」
星君はファミレス行ったらドリンク全混ぜして飲むタイプの人間です。