教室のドアが静かに開かれ、生徒たちが一人また一人と入ってくる。窓の外には晴れ渡る青空が広がり、その明るさは教室内にも広がっている。
いくつかの机には生徒が既に着席しているものの、大半の机は空席が目立つ。早めに到着した生徒たちは、静かに自分の席に座り、教科書やノートを取り出している。時折、静かにページをめくる音や、軽い話し声が響き渡るのみで、一年五組の教室内には、落ち着いた雰囲気が漂っていた。
その静けさを破るように、突然大きな声が響き渡る。
「おはようー!」
生徒たちが声の方に目を向けると、そこには満面の笑顔を振りまく喜多ちゃんの姿があった。
彼女の元気な挨拶は、教室の空気を一気に明るくし、生徒たちの表情を和らげる。
喜多ちゃんの登場で、空気が活気づき、静かだった教室が一気に賑やかになる。彼女が周りの友達に話しかけると、その周囲にも自然と集まり、雑談が始まる。
「喜多ちゃんおはよ~」
「おはー」
「おはよう! ねぇ、今日星君は?」
「星君? 私は見てないけど……」
「星君なら中庭で見たよ。花壇に水あげてた」
「今日は花愛でてるんだ」
「いや、あれは花っていうよりじょうろかな」
「喜多ちゃん、星君に用事?」
「そうなの。ちょっと話したいことがあって。ごめんなさいね」
「いいよ、いいよ。いってら~」と友達が笑顔で応じると、喜多ちゃんは軽く手を振りながら教室を出て行った。
▽
『ギャルゲー的選択肢』
俺が名付けたこの能力は、その名の通りまるでギャルゲーに出てきそうな選択肢を脳内に出してくる、という訳ではなく。選択肢の全てが結果的に見知らぬ誰かを攻略しようとするという代物だ。一見くだらない選択肢に見えても、その行動が誰かとの縁を結ぶ。そういう
そして、この能力はあらゆる事象に適応する。女子を口説くような選択肢を与えてくるだけでなく、時には男子、時には幼女と、あらゆる対象を攻略対象とする。更にそれだけでは飽き足らず、生命を持たない物体、無生物にまでこの力は牙を向く。万物を口説き落とさんとする力。それがこの能力の本質だ。
そして俺が何を言いたいかというと、つまり、こういう事故は日常茶飯事レベルで起きうるということだ。
「今日も可愛いね、じょうちゃん。じょうろのじょうちゃん。この持ちやすいフォルムに、晴れ渡る空に映える蒼い光沢……素敵だよ。ん? この穴から出てるのは何かな? じょうちゃん」
水だよ。
秀華高校の門をくぐり抜け、早々に俺の脳内に出た選択肢。
【中庭で花壇の花に水をあげながら、お気に入りのじょうろに愛を囁く】
【中庭の花壇の土にいちもつをぶち込み、交尾する】
【中庭の花壇で育てたお気に入りのチューリップに口づけを交わし、永遠の愛を誓いあう】
頭がおかしいとしか思えない。一体この選択肢が誰との縁を結ぶというんだ。こんな奇行をかます人間に興味を持つやつとかろくなやつじゃないし、こっちからお断りだ。
「星くん? お取込み中だったかしら……」
「っ!?」
まさかこんなやばい言葉を呟いている時に話しかけられるとは思わず、慌てて振り返ると、喜多さんが立っていた。
「喜多さんか。急に声かけられてびっくりしたよ。おはよう。どうしたの?」
努めて冷静に、特におかしなことはしていませんでしたよといった感じを醸し出して対応するのが、こういう時のベストアンサーだと、俺は長年の経験で知っている。
「え、ええ。おはよう。その、昨日のことなんだけど……」
昨日? 俺が喜多さんの代わりに結束バンドのサクラを担当したことの話だろうか。
「ああ、どうかした?」
「先輩たち、怒ってなかった?」
「よく分かったね。滅茶苦茶怒られたよ」
昨日は伊地知さんにも、店長さんにも、色々と迷惑をおかけした。出禁を言い渡されかけたり、雇われて早々クビにされかけたりとひと悶着あったけれど、最終的には土下座することで事なきを得たのだ。
「やっぱり! もう先輩たちに合わせる顔がないわ……星君にも謝らないとね。本当にごめんなさい」
何故喜多さんが謝る必要があるんだろう。普通に俺が悪いだけなんだけど……えっ、もしかして自分の代わりにライブに行かせた人が迷惑をかけたことに対して責任を感じてるとか? ギターのみならず、他人の非も背負おうだなんて、なんて立派な精神だ。きっと喜多さんは、将来立派なギタリストになるに違いない。
「大丈夫だよ。土下座したら許してくれたし、喜多さんが謝ることじゃないよ」
「土下座!? 土下座したの、星君!?」
喜多さんはあたふたとしながら大袈裟に驚いている。
「まぁ、そうでもしないと許してくれそうになかったし……」
店長さんはまじで俺のことをクビにしようとしてた。俺には分かる。あれは確実に何人か
「そんな……私、星君にそんなことさせちゃってただなんて、夢にも思わなくて……ごめんなさい」
「別に喜多さんのせいじゃないよ」
大体、何で喜多さんはこんなにも俺の罪に対して気が病んでるんだ。私の罪は私のモノ。お前の罪も私のモノってこと? 聖人かよ。
「そう言ってくれるのはありがたいけど、私の気が収まらないわ。なにかお礼を……私に出来ることならなんでも言って!」
「いやいや、お礼とかいいって」
「私の気が済まないわっ!」
「それじゃあ――」
適当にジュースでも奢ってもらうかな。そう、俺が口にしようとした瞬間、世界は瞬く間に暗転する。突如として世界は色を失くし、モノクロの空間へと変わっていく。
そんな見慣れた光景に辟易としながらも、今度は一体なんなんだと頭上の選択肢へと目をやる。
【喜多さんのパンツを見せてよ】
【喜多さんの自撮りと他撮りを送ってよ】
謎に上がった信頼度を、投げ捨てるかのような選択肢やめろよ! ミスって信頼度上げすぎちゃったんでこれでチャラにしてってか!?
いや、ポジティブに考えろ。案外俺と喜多さんの間には既に絆みたいなものが形成されているのかもしれない。俺が思う以上に喜多さんからの俺への好感度が高く、どちらの選択肢を選んでもラブコメの波動が生まれる可能性が……ある!
俺も馬鹿じゃない。流石にパンツを見せてもらえるほど好感度を高くした覚えはないし、答えは一択。
「それじゃあ……喜多さんの自撮りと他撮りを送ってよ」
「えっ、それは、ちょっと……」
嘘つき! 選択肢君の嘘つき! フラグの立たない選択肢を表示するんじゃないよ! バグだろこれ!
喜多さんからの好感度は俺が思っている以上に低そうだ。ドン引きしている。
「…………ううん、分かったわ! 写真を送ればいいのね! ちょっと待っててね」
え、いいの?
喜多さんは少し間を置いた後、くるりと後ろを向くと、スマホのカメラを使って髪を整えている。
「よし」と、自分に言い聞かせるように呟きながら、スマホを持ち上げ、自分にとって最高の角度を探し出す喜多さん。
わずかに緊張した表情は徐々に自然な笑顔に変わり、瞳の輝きも増してきた。今にもキターンと効果音が聞こえてきそうだ。
カメラのフラッシュが一瞬明るく輝き、パシャリというシャッター音が心地よく響く。喜多さんの笑顔がその瞬間、カメラにしっかりと収められた。
自撮りを確認した喜多さんは「どう? いい感じに撮れてる?」と、俺にスマホの画面を見せながら、キターンと目を輝かせて尋ねてくる。
写真に写る喜多さんの姿は、まさに可愛らしさと魅力が詰まった瞬間を捉えたものであった。流石イソスタ陽キャ大臣だ。自分が一番映える瞬間を見事に捉え、切り抜いている。正しく現代芸術。自撮り部門優勝といったところだろうか。
「はい! 星君! 可愛く撮ってねっ!」
そう言って俺の手に自分のスマホを押し付けてくる喜多さん。
「俺が撮るんですか」
「今、私と星君以外にいないじゃない」
それもそうだ。
「じゃあ、撮ります」
「なんで敬語?」
俺も分からん。
俺はスマホをしっかりと構え、喜多さんの姿を画面に収める。あの完成度の高い自撮りの後に撮るのは気が引けるが……
撮影のタイミングも分からなかったので、喜多さんがにっこりと笑ってダブルピースした瞬間に合わせて撮った。
喜多さんは俺が撮った写真を見て、「うーん」とか、「もう少し……」なんて独り言ちている。やはりイソスタのプロから見ると俺の映えの技術はまだまだらしい。他撮り部門は俺のせいで予選落ちのようだ。
「スマホ貸してもらえる?」
「……? どうぞ」
喜多さんは俺のスマホを受け取ると、慣れた手つきで画面を操作し始める。
「はい! 写真、送ったわよ! 後、友達登録しておいたわ」
俺は喜多さんからスマホを受け取り、ロインを開いて確認すると、喜多さんが送ってくれた写真が無事に届いていた。写真の下には、『ありがとう!』というメッセージまで添えられている。
ありがとうは十中八九俺の台詞だよ、喜多さん。
まさか喜多さんのロインIDまでついてくるとは。
自撮りと他撮り。二兎を追ってたら三兎得てしまった……
「あ、ありがとうございます」
「へ、変なことに使ったりしないわよねっ!?」
「しないよ! 神に誓って!」
多分。恐らく。Maybe。
「……そ、そろそろ
「あ、うん」
喜多さんは、少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら踵を返すと、早歩きでこの場を去っていく。
俺は喜多さんが去ったことを確認すると、スマホのロック画面に喜多さんの自撮りを。ホーム画面に喜多さんの他撮りを設定した。
さて、そろそろ教室に戻りますかね。
クラスのアイドルと連絡先を交換し、そして写真まで送ってもらう。今日はなんていい日だ。じょうろを愛でていて正解だったな。今日は気持ちよく一日が過ごせそうだ。
そう思ったのも束の間、俺のそんな気持ちに水を差すかのように、世界は無情にも暗転する。
【屋上から紐なしバンジー】
【全裸で校庭百週】
ふぅ。どうやらもう一仕事しないといけないみてぇだな。
ワンチャンダイブ!!!