「こいつ、まじで戻ってきやがったぞ。普通あのまま帰る流れだろ」
「そんな流れ誰が決めたんですか? 俺は一度決めたことは必ず完遂する
俺は五分と経たずにお泊りセットを持って、当然のように伊地知さん宅を再度訪れていた。
「星君と知り合ってまだ一日しか経ってないけど、君がぶっ飛んだ子だっていうことは分かったよ」
「褒めてます?」
「褒めてないよ」
「褒めてねぇ」
流石姉妹。息ぴったりだ。
「どうします?
「修学旅行じゃないんだけど!?」
俺はなんならそのつもりで来た。何故なら女の子の家に泊まるだなんてイベントは、修学旅行よりも大事だからだ。俺は女子の家に泊まれるならば、修学旅行なんて行けなくて構わない。二泊三日の修学旅行より、二泊三日の異性宅へのお泊まりの方がドキドキもワクワクも上に決まってる!
「あっ、いっそ枕投げでもします? 俺、結構自信ありますよ」
「だから修学旅行じゃないって言ったよねぇ!? 後、人の家で枕投げを提案できる星君が怖いよ!」
「おい、虹夏。私はもう寝るから、そいつの相手は頼んだぞ」
「えっ、嘘!? ちょっと、お姉ちゃん逃げるなぁ!」
「先行は譲るよ伊地知さん」
「どっから出したそのカード! あー、もうっ! とりあえず、部屋行くよ!」
伊地知さんはそう言って俺の手を引っ張り、自室へと向かって歩き出した。伊地知さんの手のひらは温かく、強引ながらも優しい引っ張り方に、少しドキドキしながらも俺はそのまま体を任せて歩くことにした。
部屋の前に到着すると、伊地知さんはドアを開けて中に招き入れてくれた。
部屋の中へと一歩踏み込むと、温かい光と落ち着いた色合いのインテリアが迎えてくれる。壁には好きなバンドのポスターと思われるものや、写真が飾られてある。
「あの、自分で聞くのもなんですけど、部屋入って良かったんですか」
「急に落ち着いたね!? まぁ、あのままほっとくより先に落ち着いてもらった方がいいと思ったからね。ずっとうるさくされちゃ困るし、落ち着くまではあたしが面倒見るよ。って、もう落ち着いてるみたいだし今日はもう寝る?」
ママ……
「それじゃあ、早速
「情緒不安定すぎない? というか二人で
「えっ、嘘、一日で私の部屋に星君の私物が……リョウでもこんなに早く浸食してこなかったんだけど……って、やめなさい」
三十分ほど遊び尽くして、俺はトランプや人生ゲーム、ジェンガやカード等、持ち込んだものを適当な収納棚へとぶち込んでいると、伊地知さんにぺちっと手をはたかれた。
伊地知さんの部屋は、今や俺の遊び道具で溢れかえっており、その光景に伊地知さんはどこか遠い目をして疲れた表情を浮かべている。
「確かに、伊地知さんの趣味というよりは山田さんを感じる私物の方が多いですね」
なんとなく感じていた既視感はこれか。壁にポスターを張っていたり、謎のバンドの写真が飾られてあったり、どこに売ってるんだといいたくなるようなモノは全部山田さんが置いていった物なんだろう。
「そうなんだよね。今じゃ私のスペースがベッド付近だけになっちゃって」
「なら俺は山田さんと領域の押し合いをすることになりそうですね。どちらがより伊地知さんの部屋を侵食出来るか……楽しみです」
「ならないよ。星君は明日その私物を全部持って帰るんだよ」
「そんな」
「はぁ、なんだかうるさくなったリョウが来たみたいに感じるよ。星君もう少し静かに出来る?」
伊地知さんは俺が収納棚に隠した遊び用具たちを回収していくと、部屋の中に散乱していたおもちゃやゲームを一つ一つ手に取りながら、ため息をつく。伊地知さんは、目の前に広がるカオスな状況に困惑しながらも、手際よく片付けを進めていた。
「うるさかったですか?」
「自覚なかったんだ」
今のところ選択肢も出てないしおかしなことはしていないはずなんだけどな。
「明日も学校なんだから早く寝ないと。星君はお父さんの部屋使ってよ。今日は仕事で帰ってこないから」
こんな時間まで帰ってこないってことは……
「まさかブラック……」
「出張中だってば」
ブラック会社に勤めているのではないかと心配していたけれど、どうやらそれは違ったみたいだ。
「ほらほら寝た寝た。おやすみ~」
そう言って急かすように俺を父親の部屋へと押し込むと、伊地知さんは小さく手を振って扉を閉めた。
「あぁ……おやすみなさい」
扉が静かに閉まると、さっきまでの喧騒が嘘のように静かになった。さっきまでここに伊地知さんがいたと思えないほどだ。出来ればもう少し話していたかった……
▽
伊地知さんとおやすみの挨拶をしてから二時間程は経っただろうか。
今更ながら女子の家に泊まるという緊張感が押し寄せて来て、夜が更けていくにも関わらず、俺は眠れずにいた。
部屋の中は静寂に包まれ、外の音はほとんど聞こえない。しかし、その静けさが逆に不安を煽るように感じる。時計の針が刻む音だけが、まるで夜の静けさを引き裂くように耳に響く。
チクタク、チクタクと、一秒ごとにリズムよく続くその音が、今はただ煩わしい。
「駄目だ。寝れん」と、ついに我慢できずに呟いた。散歩にでも出掛けよう。
部屋を出て、そっとドアを閉める。
家の外に出ようと、玄関へと向かう手前、リビングの灯りが点いていることに気づいた。
店長さんかなと思い、部屋を覗いてみると、伊地知さんが鍋の蓋やお菓子の箱を並べて遊んでいる。
「伊地知さんっ!?」
「うわっ! びっくりしたー、星君かぁ」
びっくりしたのはこっちの台詞だ。お菓子の箱で遊ぶ伊地知さんが余りにも解釈不一致すぎて思わず飛び出してしまった。
「な、なにしてたんですか……?」
俺が震える声でそう尋ねると、伊地知さんは顔を赤らめて、小さく口ごもりながら答えた。
「ちょっと眠れなくって……ドラムの練習してた。ライブハウスは使えないし、うるさくしちゃっても迷惑だからね。スティックワークの練習に使ってるの。ちょっと恥ずかしいけどね」
その言葉を聞いて、俺の心配は杞憂だったんだなと一安心。そして、ちょっと尊敬。部屋の一角に置かれたドラムセットやスティックを見て、彼女がどれだけ熱心に練習しているかが伝わってくる。それだけ、結束バンドに本気なんだ。
「プロ目指してるんですか?」
「うーん、ゆくゆくはそうなればいいかなぁって思ってるよ! 目指せCDデビュー! だね!」
伊地知さんはそう言ってえいえいおーと手を高く掲げた。高く掲げた手を見る伊地知さんの目は星のように輝いていて、まるで未来のステージを見据えているかのようだ。
「でも、その為にはやっぱり早くメンバー集めないとなぁ……やっぱり星君ボーカルやってくれない?」
「嫌ですよ。というかガールズバンドじゃないんですか」
伊地知さんに山田さんに後藤さん。三人とも女の子だし、最後の一人もてっきり女の子だとばかり思っていたが、俺を誘ってきてるくらいだしそういうこだわりがある訳でもないのか。
「そういうつもりじゃなかったんだけどね。でも、確かにそんな感じになってるかも」
「それがいいですよ。というかボーカル決まったら俺に教えてくださいね。俺が審査します」
「星君の許可いるの!?」
「当然です。結束バンドのボーカルってことは俺の代わりに入る人ってことですからね。そりゃあ俺よりいい人じゃないと許せませんよ」
結束バンドに入りたければ俺を倒してから行くんだな。ちなみに暇な時にヒトカラで鍛えた俺のカラオケの点数は九十点を優に超えるぞ。
「せめて一回はうちのバンドで歌ってから言おうよ」
「とにかく、そこは俺が予約してるってことです」
「えぇー、じゃあ、星君が入ってくれる可能性もあるってこと?」
「それはないです」
俺はそう、はっきりと断言する。
「もう星君が何考えてるか分っかんないや」
伊地知さんは困ったように首を振り、どこか楽しげな表情を浮かべている。
「俺は……ただ、頑張ってる人には報われてほしいって、それだけです」
「……? そうだ! 星君、うちのライブハウスでバイトしてみてどうだった?」
どうだった? どうだったってそりゃ、最初は仕事覚えるの疲れたし、店長は怖いしで……
「――楽しかったです。それに……すごくいいところだなって。もっともっといいところになってくれたらなって思いました」
「――ほんと?」
俺の言葉に、伊地知さんは驚いたような顔をして目を見開いた。その表情からは心から嬉しいという感情が溢れているのが見て取れる。まるで自分の大切なものが他人に認められたかのような反応。
「本当です。お客さん皆楽しそうな顔してましたし、それに店長さんに怒られたりもしましたけど……なんだかんだ俺も楽しかったです」
「星君がそう言ってくれるなんて、本当に嬉しいよ!」
伊地知さんは口元に笑みを浮かべ、目を輝かせながら続ける。
「このライブハウスは私にとって、特別な場所だから。私ね、この箱が皆にいい箱だったって思ってもらいたいって気持ちがあって……それはお客さんだけじゃなくて、ここで働いてもらってる人や、ライブしてる人だったりにもそう。だから、星君にスターリーがいい箱だったって思ってもらえて、あたし今すごく嬉しい」
伊地知さんはその後、少し照れくさそうにしながら、ふわりと笑顔を浮かべた。
そんな伊地知さんの姿を見て、俺は彼女の期待に応えたい、もっとこの場所を輝かせたいと――
「これからも、もっといい場所にするために、俺も力になれたらと思ってます」
心から、そう思う。
「ありがと。ふわぁ……話してたら眠くなってきちゃったね。今日はもう遅いし寝よ? おやすみ、星君」
「おやすみなさい、伊地知さん」
俺も同じように返事をし、部屋へと戻り、ベッドへと倒れこむ。しばらく天井を見つめながら、さっきの会話を思い返す。伊地知さんの笑顔や、このライブハウスに込める深い思い。それら全てを心に刻みながら、俺はゆっくりと意識を手放した。
▽
「星くーん! 朝だよー! 起きなくて大丈夫なのー?」
気のせいか、伊地知さんの声が扉越しに部屋に届く。まだ夢の中にいるようなふわふわした感覚から、現実の世界へと引き戻される。目をこすりながら、ベッドから起き上がろうとするが、眠気がなかなか抜けてくれない。
「んぁ……? 伊地知さん?」
呟きながら、ようやく重い体を引きずってベッドから起き上がる。訳も分からないまま扉を開けると、そこには何故か伊地知さんが立っていた。
「寝ぼけてるのー? 昨日星君から泊まり込みにきたんでしょ」
そう言えばそうだった。そうだ、俺は昨日伊地知さんの家に泊まったんだ。
「もう、朝ごはん出来てるよ! 早く食べて、学校行く準備しなきゃ!」
伊地知家に泊まると、モーニングコールに朝ごはんまでついてくるのか……? 天国ってここにあったんじゃん。
俺は半ば夢心地で朝ごはんを食べ終え、その後は忘れ物がないか確認しながら、玄関まで見送られていた。
「昨日はありがとうございました。朝ごはんもすげぇ美味しかったです」
「それは何回も聞いたってば~! 行ってらっしゃい!」
「行ってきます! 後、お邪魔しました!」
ああ、なんて幸せな光景なんだろう。まるで新婚みたいじゃないか。伊地知さんの天使のような笑顔に見送られて学校へ行けるなんて……伊地知さんの笑顔が、今日一日の元気の源になる。俺はそう確信していた。
――世界の時が止まるまでは。
【行ってきますのキスをしてほしいな】
【行ってきますのハグをしてほしいな】
最悪だ。この言葉を発そうものなら、昨日積み上げたモノは一瞬で崩れ去る気がする。俺は頭を抱えて空を見上げる。憎々しくも、見上げた空には俺を悩ませる元凶の文字が、まるで天からの無常な試練のように浮かんでいる。
「……ハグだとガチっぽいし、ここはあえてキスを選択するか……? 伊地知さん、ツッコミ属性だし、いや、でも流石に……」
悩みに悩んだ末、俺は意を決して口を開いた。ついに選んだのは、あえてリスクを取る選択だった。
「行ってきますのキスをしてほしいな」
刹那、空気が凍りついたような感覚に襲われる。まるで時間が止まったかのように、周囲の音が消え、俺と伊地知さんの間に緊張が走る。
「星君、ほんと、そういうところだよ……」
当然というべきか、伊地知さんはツッコんでくれるはずもなく、冷たい目で俺を見下していた。俺の方が身長が高いはずなのに、その視線に圧倒され、まるで伊地知さんが倍以上の大きさに見える。
そしてこの目。どこか既視感があると思ったら店長さんだ。店長さんの目だ! 店長さんと同じ、いや、それ以上の冷ややかな視線だ。やっぱり姉妹似てるなぁ。
「い、いってきまーす……」
その凍えるような視線から目を逸らし、俺は逃げるように玄関を出て、伊地知家を後にした。
長い気がしたので分けました。