馨しいインクの香り、重みのある装丁。
そして中に詰まった人の叡智と年月の結晶体。
そう、私は小説だ。
文章は間違っていない。私自身が小説だ。そう言うとお主は小説家であるのかと勘違いされるが、全くもって違う。私は誰に書かれたかも知れぬ小説だ。
内容は分からない。
理解できない、といった事ではなく単純明快。見ることが出来ないのだ。目が表紙についている。
正確に言えば目と言うべきかどうか怪しいが、とにかく視覚機能は表紙によってグルングルンと世界を回転させる。
そんな私は今燃えている。
苦しい。
私の中に描かれた名も知れぬとも、内容を知らぬとも誇らしさを抱き続けてる偉大な物語が日の中に消えゆくのが悲しい。
常人のような熱さや痛みは今の所感じてはいない。なにせ、人ではない物だから。
ただ、視覚はどうやら私の原型に依存するようで、表紙が燃えゆくと共に見える世界も消えていく。黒く焦げていく。
焼いているのは、今まで私を大事に読んで本棚に優しくしまってくれたあの老人では無い。あの老人とはだいぶ長らく会っておらず、ようやく本棚から取り出されたと思ったらコレだ。
恐らくあの老人は空への階段を登っていったのだろう。私の視界から見える彼らは老人の元に時折訪れていたのを覚えているが、皆一様に痛ましい顔をしている。中には涙を流すものもいて、その心の傷は小説である私にも十分に理解できるほどであった。
こんな時、あの老人がいたのなら頭を撫で、「困った時は寿司を食えばだいたい解決する、とろサーモンがいいぞあれはカロリーの味がする」なんて優しく微笑んでいた事だろう。
ぱちぱち。
自分の体が消えていく音が響く。意識が焼け落ちていく。
まさか、人に読んでもらう一生だった私が、今際の際に人の機微を読むことになろうとは。
不思議と気分は凪いでいる。もしかしたら、泣き叫ぶ為の恐怖の感情が最初に焼き払われていたのかもしれない。もしくは私の内部にその感情に対する記述がなかったか。
大抵の小説は、そういった喜怒哀楽は種類はあれども基本のものは全て書かれているはずだが、私の中にははてさて何が書かれていたのか。人の機微は読めても自分の中は読めないということか。
消えゆく私が最後に見たのは、彼の好物だった。
燃える私の儚い命を使って、これまた命の成れ果てである炙られたとろサーモンが口に運ばれるところであった。
残り火は消えた。是即ち、諸行無常。されど、ご老人と私は彼らの明日を支える。だからこそ、私の話はここでおしまい。
とっぴんぱらりのぷぅ。 なんてね。