月明かりの下、暗いオフィスにカタカタと言う音がやけにうるさく響く。たった一つだけの音は、たった一つだけだからこそ大きく目立つ。
不規則だけど、途切れることは無いソレは決して大きくはないにも関わらず聴く者に怒りの感情を感じさせる。ままならない現実に対して、どこにもぶつけられない、そんな気持ちが零れているような。
だがやがて、威勢のいい"ターン"という音を皮切りにそれっきり聞こえなくなった。
「やぁっと終わったぁ」
私以外は誰もいないオフィスの中、ぐにーっと伸びをして強ばった体を伸ばす。誰かに目を向けられることもうるさい注意が飛んでくることもない。なぜならもうド深夜で、私は終電すら逃しているのだから。シンプルに時間が足りなくて今日も残業きっと明日も残業。今日も明日も明後日も♪
マイナス域のルンルン気分で自販機まで歩き、コーヒーを買っていると、ようやく疲れが体の認識に追いつきどっと溜息をついてしまう。思わず、視線を下げるとくたびれたスーツと少し汚れた革靴が出迎える。今度の休日……に一日眠り続けなければ買いに行こう。
スーツと靴から目を逸らすと、次に視線が向ける先として何となく窓に目を向ける。パソコンの刺々しい青と白色とは違う、涼やかで柔らかい光が降り注ぎ、テーブルと自販機を包んでいた。さっきまでの薄暗さとパソコンの光しかない事務室に比べてなんと美しいことか。残業を極めたものにしか見れない光景であるという事実が、非常に景観へのイメージを損ねてはいるが。
ぷしゅ、と間抜けな音。いつものようにいつものコーヒー缶を開ける。満月の下で飲むコーヒーは格別美味い。それにさっきはあんなふうに言ったが、この時間自体は別に嫌いじゃない。この時間以外選べないのが嫌いなだけで。足らぬ足らぬは工夫が足らぬとは言ったものの、じゃあつまり上層部はどんだけ足りない人間なのかと毒々しい考えが湧いてきた。
だが、どれだけ仕事が面倒で世の中が灰色に見えていても、嫌な奴が居なくて綺麗な光が見れるこの瞬間は、こんな僕でもきっと子供の時と同じ気持ちを思い出せる。忘れていた何か大事な気持ちが顔を覗かせる、そんな気がした。
月は何も答えないけれど、ただ他のものと同じく僕の体も優しい光で包んでくれている。
「さて、と。帰ろっかなぁ」
いつか、帰る先が出来たらこんな光景を見ることも無くなるのだろうか。そう思えば少しだけ名残惜しい、と途中まで考えて。
「……」
手の中の缶を力を込めて、ゴミ箱に投げ捨てる。
月明かりの下、ひとつもの寂しくカランと音が鳴った。