からり。
レモン水を入れたグラスが音を立てる。
私の目線を引くには十分だったが、目の前の人物がそこに視線を向けることは無い。
私は喫茶店の椅子でじっと座り、彼女は手元のキャンバスにじっと集中していた。かれこれ30分程はこの状態だ。なんせ店員が飲み物を聞きに来た時も、運びに来た時もこのままなのだから。
なぜこのように奇妙な状態に置かれているかと言うと、始まりは私が目の前の人物をナンパしたことにある。
目の前の彼女は背が高く、まとめた髪は漆のようにつややかな輝きを放っていて、夏には不似合いそうな真っ黒い全身コーデが様になってる癖に、それとは対照的に半分出した腕はやけに真白くて目を引く。
だけど、1番目を引くのは人形よりも丹精込めて作られたと思えるくらいのゾッとするほどの美人な顔だ。
だから、街中で彼女と目が合った時、私は思わず声をかけてしまっていた。
彼女のご返事はというと嫌そうな顔をしていた。嫌というか、明らかに不機嫌そうな冷たい表情だった。お前もか、みたいな。
だからこそ私だって二、三言話せたらその場を離れ、もうその人とは関わらないつもりだったのだ。何せ、本当に突発的な衝動に首根っこを掴まれて声をかけただけなのだ。
目の前の女性は時折私を覗き見る。
キャンバスに私を写し取るためだろうが、その鷹のような鋭くて切れ長の目は、合う度に私の動悸を狂わせてくる。
これがトキメキならいいのだが、どうも捕食される5秒前のネズミの気がしてならない。
カフェで自分の絵を描かれている。
何故だろう。何度考えても謎だ。いや、ナンパは成功したのだから喜ぶべきなのだろうけれど。
ナンパ成功率は顔面の偏差値か話の内容によって上がるはずだ。少なくとも私はそう考える。どちらも満たしていないのだ、何が違ったのだろう。
いや普通のナンパと変わったとこは確かにある。
声をかけたタイミング的に彼女を助けたような感じになったことだ。先客のナンパがいたのだが私はそれを無視して、「やぁハニー」と声をかけたのだ。
ほぼ下心みたいなものだし、そのお礼が絵というのも分からないし、もっと言えば数十分は同じ席にいて会話の発生がほぼゼロなのがとても気まずい。彼女の美人度もそれを手伝っている。黙っているだけだと迫力と圧が凄いのだ。
意を決して、席をたとうと財布に手をかけた。会計は私がするから、あなたはそのままここにいていいと彼女に伝えて。
しかし、彼女がその氷の美女とも言うべき見た目に反して、実に緩やかな声を以て制止する。
「どうぞそのままで」
「わたしにとって」
「大切なことなので」
こちらの意志を尊重しつつも、自分の意見を内包した言葉に、私はなんとなく逆らえず席に着いた。カリスマとでも言うべきか、それとももっと他の圧か。
そうすると、彼女は初めて笑みを浮かべた。
ゾッとするような綺麗さは、少女のようなあどけなさに上書きされ、知らず見惚れてしまう。
そうして彼女はガムシロップ入りのレモン水を手に取り、いつ終わるともしれない絵を描き続けるのだった。
時折、私へ目を合わせながら。