「次の方〜ぁ、どうぞ〜ぉ」
前方から声が聞こえた瞬間、電子の世界から現実に切り替わる。
信頼する厚底くんに体重をかけて立ち上がり、前方の扉へ向かう。とつとつ、という私の靴の音が反響する。残りは私しかいないからだろうか?部屋の中で紙をめくる音すらはっきりと聞こえる。
扉を開く前にふぅっと呼吸を整える。意識が携帯から切り離されたからか、ふわりとやさしい香りが鼻をくすぐってくる。ローズマリー……って言うんだっけ。センセイが教えてくれた気がするけど、きちんと思い出せない。
思考を追いやり、私は扉を開く。
「久しぶりだね、或美ちゃん?」
「ええ、センセイも多少元気みたいで」
中にいたセンセイが頭を上げて、私の顔を見るとにへらと笑う。
くたびれた白衣に適当に伸ばして後ろでまとめただけの格好も、その笑顔もやる気の欠片すらないな、と思う。ヒョロリとした体も、メガネのせいで小さく見える自信なさげな表情も弱そうだなぁとか失礼なこと考えちゃう。
けれど、だからこそここでその顔を見る度、少しだけ安心する。
肩の力が抜けるのがわかったのか彼は後ろの椅子を勧める。
「さぁて、今日のカウンセリング、始めちゃおっか」
センセイと出会ったのは大体3ヶ月前くらい。
学校が嫌になって、バイトで貯めたおカネで、フリフリの好きなファッションばっかしてる時だった。
好きな服を着るのはとっても心が軽くなった。
ただ軽くなったと感じるってことは、元が重すぎるってことで。
学校のこと、親のこと、バイトで感じるストレス、友達。色々、抱え込んじゃって、たまたまコンビニ横でそれが溢れちゃった時。雨が降ってオキニのメイクもぐちゃぐちゃでもう泣きっ面に蜂ってレベルじゃないくらいに落ち込んでた。そんな時にセンセイが傘を差してここまで連れてきてくれたんだ。
暖かいココアくれて、私が泣き止むまで何も言わずにそばに居てくれた。その後、私の愚痴を否定せずに聞いてくれた
その時の私はそれだけで、センセイの事が手放せなくなるくらいに救われちゃったんだ。ぶっちゃけ好き。
でも、それが頼れる大人として、なのか恋愛なのかは審議中ってとこでそれを確かめる為も私の精神安定も兼ねてここに通ってるってワケ。
仕事てのは分かってるんだけど、こんなThe地雷系!みたいなカッコで胸も少なくて背もひっくい私を子供とバカにしないで接してくれるから、余計に依存してるなーとは自分で思ってる。
「それでね、友達がさ」
カウンセリングで先生に質問貰ってたのが、いつの間にか私が沢山話すようになってた。日差しみたいに暖かい気持ちにさせてくれるから。彼の目尻のシワが増えるから。
「そっか、素敵だね、君の考えもそのお友達も」
「でしょ!!」
「うん。……さて、そろそろ終わりの時間だよ」
その言葉に寂しさを感じるし、時間の経過を分からない自分にいつも驚く。気づけばいつもみたいに彼にすがる。
「え〜、まだセンセイに話したいことあるよ?」
「ほどほどくらいがちょうどいいの」
その通りだとも、それでも、とも思う。手に力が入って好きな服のスカートがくしゃる。けれどその決定が覆ることがないのも知ってる。
だから、私は聞き分けよく、にっこりと彼に笑いかけてうなずく。
「じゃ、限界になったらまた来なよ」
「毎週来るよー?」
センセイがいないと限界だから。だから今週も先週もここにいるのだ。その言葉にセンセイはニコニコと笑っている。笑っているだけ。何も言わない。
その姿にむぅと口を尖らせて部屋の外へ向かう。振り返ってもまだまだ笑んでいたセンセイに強めのバイバイを送って部屋から出る。
幸せ。
ぬるま湯に浸かるような気持ちよさ。しつこさも激しさも何も無いけれどすごく落ち着くこの時間。失いたくないな、と頭のどこかで囁く。
頭のどこかである理由は。
「あの子はそろそろ大丈夫だし、そろそろここへの通院はやめるように言わないとな。お金もいっぱい貰ったし。」
耳のスピーカーから聞こえる声は、センセイは聞こえてないと思ってる。だからこそ、私は許せない。
花を摘む人間は許可なんて取らないけれど、口があれば花だって文句を言うだろう。それに私は手足が付いていて、センセイを花に変えることだってできるのに。
「迂闊なセンセイ」
舌なめずりしながら呟く。もちろん、差した花瓶を私は枯らすことはない。楽しみにしていてね、センセイ?