【屍の塔~恋人を生き返らせる為、俺は100のダンジョンに挑む】   作:埴輪庭

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第二十八話【霧の中の瑞樹】

 ◆

 

 一歩、また一歩と近づいていく度に、朧気だった女の後ろ姿の存在感が確としたものになっていく。

 

 やがて女は片倉の方を振り向こうとし──

 

 僅かに横顔を見せた後、霧の奥へ歩み去っていった。

 

 女の横顔が一瞬片倉の視界に入ると、思わず一歩踏み出してしまう。

 

 体ではなく、心が反応したのだ。

 

 ──澪

 

 この時片倉の注意は、完全に赤い街灯の横に佇む女へ注がれていた。

 

 だから瑞樹が「片倉さん!」と叫ぶまで、背後から迫る気配に気づく事が出来なかった。

 

 ・

 ・

 

 ──片倉さんにはあの影が何に見えているんだろう

 

 瑞樹はそう思いながら、何かあればすぐに片倉を止めるつもりだった。

 

 今の片倉は瑞樹が知る冷静沈着な片倉ではない。

 

 何かに魅入られてしまったかのように茫としている。

 

 ──まるで、死んだと思っていた誰かが急に目の前に現れたかのように

 

 この時瑞樹も、注意力が散漫となっていたのだろう。

 

 ゆえに背後の気配に気づいた時にはもう遅かった。

 

 黒い霧の中から、黒い腕がぬると伸びてくる。

 

 一本、二本、三本……ぬるぬるとした質感の気味の悪い腕が瑞樹の腕と足を掴み、霧の中へ引きずり込もうとして。

 

 腕の力の強さに瑞樹は抗う事が出来ず、しかし完全に引きずり込まれてしまう前に「片倉さん!」と叫ぶことができた。

 

 ◆

 

 片倉はしまったというような顔をして瑞樹の方へ駆け出そうとしたが、ほんの一瞬、霧の中へ去って行こうとする女へ目をやった。

 

 この瞬間、瑞樹はなんだかどうでもよくなってしまった。

 

 心という部屋の中に自棄と諦念、納得の混合物がぶちまけられ、とっちらかり、その余りの乱雑さに掃除するのも面倒になってしまったといった感じだろうか。

 

 というのも、助けて欲しいという思いは確かにあったが、見てしまったのだ。

 

 片倉の目に揺蕩う思いの《色》を。

 

 それがどういう感情であるかは瑞樹には分からないが、見ていて胸が切なくなるようなそんな色だった。

 

 だから自分でもわけのわからぬまま「なんとかできそうです! だから、行って!」と付け加えてしまう。

 

 これでいて自己評価が最低にできている否認気質の瑞樹である、片倉にもしあの影を追っていく大切な理由があるなら自分《なんか》を、優先していいわけがない──そんな不条理で理屈に合わぬ思いが彼女にはあった。

 

 ◆

 

 片倉は瑞樹の叫び声に、はっと我に返った。彼女の方へ目を向けると、黒い霧の中から無数の腕が伸び、瑞樹を捕らえている。

 

 逡巡したのは一瞬だけだった。

 

 片倉は足を踏み出し、全力で瑞樹の元へ駆け寄る。

 

 ──くそっ……

 

 言葉にならない声が喉の奥で漏れる。

 

 瑞樹の体は徐々に霧の中へと呑まれていく。

 

 彼女の目がこちらを捉え、何かを言おうと唇が動いた。

 

「片倉さん、大丈夫だから……っ」

 

 しかし片倉は足を止めない。

 

 霧の中へと手を伸ばし、瑞樹の手を掴もうとする。

 

 だが、その手は虚しく空を切った。

 

 黒い腕が瑞樹を完全に包み込み、瑞樹の姿は霧の中へと消えてしまった。

 

 片倉は一瞬立ち尽くす。

 

 だが次瞬、片倉は迷わず霧の中へと飛び込んだ。

 

 ・

 ・

 

 濃密な闇が片倉の全身を包み込み、視界が完全に奪われる。

 

 湿った空気が肺に入り込み、息苦しさを覚える。

 

 ──何も見えないな

 

 視界はこの上なく不良だ。

 

 片倉は慎重に前へと進んでいった。

 

 足元はぬかるみ、何かが絡みつく感触がある──だが止まらない。

 

 霧の中から、囁き声が聞こえる。

 

 耳元で密やかに囁きかけてくるその声は、澪の様でもあったし雪のようでもあったし、武のようでもあった。

 

 あるいは小堺にも似ていたかもしれないし、二階堂沙耶や日野海鈴の声にも似ていたかもしれない。

 

 ──随分と意地が悪いダンジョンだ

 

 不意に片倉の両腕がぶん、とブレて水袋が破裂したような音が響いた。

 

 側面から忍び寄ってきた《ナニカ》の頭を片倉の拳が叩き潰したのだ。

 

 ──『酷いよ、真裕』

 

 そんな声が響くが、片倉は努めて無視をして歩を進めていく。

 

 そうしている内にふと違和感を覚えた。

 

 無限に続く様な黒い霧の中、一点が(こご)って見えるのだ。

 

 霧が渦巻き、うねっている。

 

「沖島さん」

 

 片倉は瑞樹の名前を呼んだ。

 

 しかし応えはない。

 

 だが何となく、片倉はそちらの方に瑞樹がいるような気がして進んでいった。

 





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