【屍の塔~恋人を生き返らせる為、俺は100のダンジョンに挑む】   作:埴輪庭

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第三十話【澪と瑞樹】

 ◆

 

「多分こっちの方向だと思うんですが」

 

 黒い霧は普通の霧ではない。

 

 突如凝固して襲いかかってきたり、あるいは方向感覚を失わせたりする。

 

 片倉はそういった妨害・障害を悉く跳ね除けて瑞稀を守り切って霧を抜けた。

 

 瑞稀はそんな片倉に憧憬の視線を注ぐが、片倉からすればこの程度の障害は障害にならないのだ。

 

 なんだったら緩くさえあった。

 

「あっちの方、少し霧が薄い気がします」

 

 片倉が指差す方向をみても、瑞稀には違いがわからない。

 

 目を凝らしても、見渡すかぎりの闇が広がるばかりだった。

 

「私には全然わからないみたいです」

 

「こういうのは慣れですから」

 

 実際そうだ。

 

 ダンジョンに数多く潜ればその分数多くの罠に出くわすが、中でも非常に有名な罠というか、トラップゾーンがある。

 

「ダークゾーンはもううんざりする程経験してきましたから。モンスターとは普段より頻繁に遭遇しますし、単に暗いというだけでは飽き足らないあの闇に比べれば、ここの霧は大分楽です」

 

 まあこうして、と片倉は顔の横を払う仕草を見せた。

 

 耳障りな、ぶちゅりと何かがつぶれる音が瑞稀の耳朶を打つ。

 

「ちょっとしたちょっかいはありますが」

 

「あの、これはなんなんですか? というか触っても大丈夫なんですか? 私がアレに覆われてしまった時、なんというか脱力感があって」

 

 しかし片倉の返事は「さあ」とつれないものだった。

 

「まあ強いて言うなら、ヒルの様な性質を持つ質量のある非実在型モンスターって言う感じなんでしょうか」

 

 瑞稀はうぇっと顔を顰めた。

 

 ◆

 

「あ、やっと私にもなんとなく分かりました。なんていうか、生臭い匂いが薄まってる気がします」

 

「そうですね、この辺が境だと思います。ほら、あっちに赤い街灯がうっすらと見えます」

 

「やっぱりあっちに行かないといけないんですね」

 

「他に選択肢はなさそうですから。勿論ただで済むとは思いません。それなりに手強いモンスターが待ってると思っても良いでしょう。先手必勝です。俺から突っかけますから、できる範囲で援護してください」

 

 片倉は言外に瑞稀のことを役立たずだと言っている。

 

 瑞稀もそれは当然理解しており、しかし意気は消沈していない。

 

「はい、足手纏いにならないようにしますから!」

 

 妙に元気が宜しい瑞稀の様子に、片倉は不審なものを覚えるが、特にこれと言って指摘できるような点もない。妙に元気ですがどうしました? と言うのも不自然だ。

 

 まあ実際、瑞稀は溢れる程にやる気に満ち満ちていた。

 

 ただ意気軒昂も過ぎれば毒となる。

 

 特定の状況下でしか牙を剥かない特殊な毒だったとしても、毒は毒なのだ。

 

 ◆

 

 片倉と瑞稀は赤い街灯へ一歩一歩と進んでいった。

 

 道中にモンスターは出なかった。

 

 代わりに。

 

「気のせいかもしれませんけど、街灯の光が強くなっている様な」

 

 瑞稀の言葉に片倉は頷く。

 

「ええ、間違いありません。なんだか誘われている様ですね」

 

 話している間にも赤い街灯に少しずつ近づいている。

 

 そして街灯がはっきり視認できると、石の仮面を被った様な仏頂面の片倉の表情が僅かに歪んだ。

 

 そこには先程片倉が見たあの女が立っている。

 

 街灯にややもたれる様にして、背を向けている女は間違いない、片倉がよく知る女であった。

 

 片倉はその女をただ知っているだけではない、希求している。

 

「澪、か。少なくとも、姿だけは」

 

「澪さんって?」

 

「恋人でした。昔の。もう、死にましたが。沖島さんに見えないということは、つまりそういうことなんでしょう。いやらしい仕掛けだ」

 

 片倉の口調は硬い。

 

 笑顔らしきものを浮かべてはいるが、それは断じて友好のそれではない。

 

 片倉はわずかにでも心を動かされてしまった自分をどうにも許せなかった。

 

 そして、自身の心に土足で上がり込んだ「あのモンスター」の事も断じて許せない。

 

 ボウと燃え上がった敵意の炎が瞬く間に白み、青い害意のそれへと変じていく。

 

「殺してやる」

 

 ──今、すぐに

 

 ◆

 

 片倉のあまりに激しい感情の発露に、瑞稀はただただ呆然と見ていることしかできなかった。

 

 だが、羨ましいなという場違いな思いも抱く。

 

 ──『片倉さんからあんな風に想われる澪さんって、きっと素敵な人なんだろうな』

 

 誰かに大切に思われたいというという希求が、瑞稀にはある。

 

 ・

 ・

 ・

 

 深い怒りは、片倉に武器を使うという選択肢を奪い去っていた。

 

 怒りが根元的であればあるほど、その発露の形は原始的なものに近づいていくのだ。

 

 片倉は弾かれる様に飛び出しながら、振り向かれる前に頭を叩き潰してやろうとギリギリと拳を固め、そして撃ち放った。

 

 しかしそれは一見怒りに駆られてのものに見えるが、実の所は片倉の弱さが表層に出てしまった結果なのかもしれない。

 

 なぜなら片倉の拳撃がぴたりと止まってしまったからだ。

 

 ()()が振り向くのが間に合ってしまった。

 

 片倉が拳を止めたのも無理はない──正面を向いた()()は、余りにも澪に瓜二つであった。

 

 澪は緊張すると無意識に指先を絡める癖があったが、()()も同じように指を組み合わせている。

 

 さらに右足に重心をかけて立つ姿勢や、何かを言おうとして一瞬唇を噛む仕草まで、細部に至るまで完全に再現されていた。

 

 左耳の後ろにかすかに見える小さな痣まで再現されているときている。

 

 ()()はゆっくりと振り向き、片倉の目をじっと見つめた。

 

 微笑むときにわずかに左の口角が上がるのも、澪独特の癖だった。

 

 ()()はまさにその微笑みを浮かべ、片倉に向かって一歩踏み出した。

 

「久しぶりね、真裕」

 

 声は勿論、言葉を発するときに少しだけ息を吐くような話し方も、彼女の特徴だった。

 

 生前の澪がそこにいるかのようで、その一挙手一投足が片倉の胸の切ない部分をかきむしる。

 

「そう、随分と久しぶりだから緊張しちゃって……」

 

 左手で髪を耳にかける仕草は、照れ隠しのときによく見せるものだった。

 

 片倉の胸の奥で何かが軋むような音を立てた。

 

 目の前の存在がモンスターであることは明白なのに、その完璧なまでの再現度に理性と感情が激しく揺さぶられる。

 

 ()()はさらに一歩近づき、手を伸ばして片倉の頬に触れようとした。

 

 指先が僅かに震えている。

 

 その手の動きは、かつて澪が彼に親愛の情を示すときの仕草と全く同じだった。

 

「私をモンスターだと思ってる? 違うんだけれどなぁ。ダンジョンではどんな事でも起こり得る。昔、真祐が私にお説教した時の言葉だったよね」

 

 優しく囁くような声に、片倉は思わず後ずさりしそうになる。

 

 しかし足は地面に根を張ったかのように動かない。

 

 渾身の力で拳を振りぬいてしまえば済む事なのに、片倉にはそれが出来なかった。

 

 いや、あるいはそうしたくなかったのか。

 

 ◆

 

 拳を突き出したまま、まるで時間が凍り付いたかの様に片倉の動きが止まり、その場立ち尽くしている。

 

「片倉さん!?」

 

 瑞稀はすぐさま異変に気付き、声をかけた。

 

 普段の片倉ならば、どんな状況でも冷静に対処するはずだ──それが今、目の前で硬直している。

 

 ──あの、黒い影が何かを見せている? 

 

 瑞稀には女性らしき輪郭の影がぼんやりと見えるだけだ。

 

 ただ、片倉の様子から何か尋常でないことが起きていると理解した。

 

 ・

 ・

 

 事実片倉はほんの2、3秒だったが忘我の極みにあった。

 

 精神にそれほどの衝撃を受けたのだ。

 

 片倉はタフな男だが、精神を失調する事もないわけではない。

 

 例えば目の前に立つかつての恋人の姿が徐々に崩れていったりした場合は。

 

 澪の優し気な微笑が段々と()()()()()

 

 口が大きく開かれ、それでも飽き足らずに端が裂け、やがて顔の下半分が口になる。

 

 形の良かった歯の一本一本が鋭さを帯び、まるで鮫のそれのように形状を変えた。

 

 愛した者の姿が怪物に変わる—──その光景は片倉の心に深い衝撃を与えた。

 

 理性はしきりに「動け!」と警鐘を鳴らしているがしかし、感情がそれを受け入れられない。

 

 頭の中で様々な思考が錯綜し、身体が言うことを聞かない。

 

 片倉にとって何よりもショックだったのは、愛した女の姿が壊れていくという事実だ。

 

 かつて片倉は、彼をかばって身を呈した澪が()()()()を見て、発狂しかけた。

 

 後背から追いすがってくる黒い槍にも似た何かにバラバラに引き裂かれていく澪。

 

 雑司ヶ谷ダンジョンの湿った土の上にころりと転がる澪の目玉。

 

 フラッシュバックした記憶が片倉の足を地面に縛り付けた。

 

 とはいえたかが2、3秒だ。

 

 されど2、3秒──殺されるには十分すぎる程の時間。

 

 ◆

 

 瑞樹の目には人型の黒い影が腕を広げたように見えた。

 

 五指が蠢き、伸長し、凝固し──鋭く変形していく。

 

 まるで抱きしめる様に片倉を背から貫こうとしているのが瑞樹には分かった。

 

 それを見た瑞樹は咄嗟に駆け出した。

 

 しかしそれは片倉を助けるためとは一概には言いきれない。

 

 瑞樹は()()()だと感得したのだ。

 

 ・

 ・

 

 瑞稀は確信した。

 

 自分がずっと探し求めていた瞬間が、今まさに目の前にある。

 

 危険を顧みず自分を助けてくれた片倉に対して、ようやく自分の存在価値を示せる機会が訪れたのだ。

 

 これまでの人生で瑞稀は誰かの役に立つことを切望してきた。

 

 しかしいつも空回りし、誰からも必要とされないまま時間だけが過ぎていった。

 

 自分の存在が無意味なのではないかという疑念が、心の奥底に重く沈んでいた彼女である。

 

 しかし片倉は違った。

 

 片倉は危険な状況でも瑞稀を見捨てず、手を差し伸べた。

 

 価値のない自分なんかのために命を懸けてまで助けてくれた──その事実は、瑞稀の心を燃え上らせた。

 

 ──間に合って

 

 ただ、片倉を助けたいという重いだけが瑞樹の内にある。

 

 自身が生きるか死ぬかなどはもはや埒外の事になっていた。

 

 足が自然と動き出す。

 

 体の奥から熱いものが湧き上がり、幻想の活力が全神経を駆け巡る。

 

 それは瑞樹にとって、これまで感じたことのない感覚だった。

 

 周囲の音が遠のき、視界が鮮明になる。

 

 目の前には片倉と黒い影──その間に割って入る自分の姿がまるでスローモーションのように感じられた。

 

 瑞稀は片倉を強く突き飛ばす。

 

 ほぼ同時に後背から熱い様な冷たい様な何かが、瑞樹の背に深々と突き刺さる。

 

「あ」

 

 瑞樹は果たして何と言おうとしたのか。

 

 危なかったですね、か。

 

 それとも先だって、助けられた事に対してありがとうございますとでも言おうとしたのか。

 

 ただ単に、肉体への刺激に対して反射的に声が漏れただけかもしれない。

 

 しかし、言うまでもなくそれを確認する様な時間はない。

 

「お、沖島さ……っ!」

 

 片倉が瑞樹の名を呼ぶその前に、瑞樹の体内へ侵入した影の触手がぶわりと膨らみ──破裂した。

 




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