【屍の塔~恋人を生き返らせる為、俺は100のダンジョンに挑む】   作:埴輪庭

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第五十九話【マオ②】

 ◆

 

 マオが安心したように「他の探索者かな? こんにちはー!」と声をあげたのは、AKEBIとアリサ、それに片倉が軽口を叩いている時だった。

 

 線路沿いの枕木を踏みしめながら進んでいた一行の前方、木立の切れ間の辺りに小柄な老人が立っている。

 

 老人はまるでそこにずっと居たかのように、ひょいと顔を出していた。

 

「お~い! 線路を歩いちゃだめだよ~!」

 

 老人はそう言いながら片手を振ってみせる。

 

 皺だらけの顔に笑みらしきものを浮かべているが、それが笑顔だと言い切っていいものなのか、どこか引っかかる雰囲気がある。

 

 マオはその不自然さに気づいた様子もなく、救いの手を見つけたかのように表情を明るくし、早足で近づこうとする。

 

「あの! 探索者の人ですよね?」

 

 しかし、アリサが怪訝そうに眉を寄せ、「……あれ、何か変」と呟いた。

 

 同時にAKEBIが声を張り上げる。

 

「駄目!!」

 

 AKEBIはそう叫ぶや否やマオの腕を掴もうとするが、わずかに届かない。

 

 マオはもう数歩先へ進んでいた。

 

 うっそうと生い茂る木立の前に立つ老人にまっすぐ向かっている。

 

 アリサは身体を半回転させつつ拳銃のグリップに手をかけるが、引き金を引くわけでもなく、そのまま静止して事態を見守る。

 

 そして片倉も遅れて走り出し、マオの肩を掴もうとするが、ふと妙な違和感に気づいた。

 

 ──老人がいない

 

 いや、視界の隅に確かにいたはずなのだ。

 

 何も見通しの悪い密林というわけでもない。

 

 明るい空の下、視界は確保できているはずだ。

 

 それなのに、ついさっきまで手を振っていた老人の姿はどこにも見当たらない。

 

 木立の隙間も覗き込むが、足音ひとつ感じられない。

 

 マオが戸惑った顔で辺りを見回す。

 

 AKEBIは焦燥を隠せない様子で再び木立へ目を凝らし、アリサは訝しげに唇を引き結んでいた。

 

 片倉は肌がざらつくような違和感を覚えていた。

 

 すると。

 

「お~い! 線路を歩いちゃだめだよ~!」

 

 同じ声が、今度はすぐ近くから響いた。

 

 三人と片倉が一斉にそちらへ視線を飛ばすと、線路の枕木から数メートルも離れていない場所に先ほどの老人が立っている。

 

 先ほど覗いていた木立の辺りとはまるで違う位置だ。

 

 人間離れした速さで移動したとしか思えない状況だが、それを見たときマオの顔には安堵のような色が浮かんでいた。

 

「よかった……変な見間違いかと思った」

 

 マオは両手を胸の前で合わせるようにしながら、ぽつりとそう漏らす。

 

 まるで拍子抜けしたように力が抜けた表情だ。

 

 本人としてはここで別の探索者を見つけたのだと思い込み、「危険な場所をうろうろしなくてもいい、もしかしたら助けてくれるかもしれない」という僅かな希望を抱いたのかもしれない──探索者としてはありえない思考だった。

 

 まるで誰かに、あるいは "何かに" そう誘導されたのでないかぎりは。

 

 それに対しアリサはなおも警戒を解かず、銃のグリップに手をかけたまま呟く。

 

「このおじいさん、なんで同じ事を何度も……」

 

 少しぎこちない足どりで老人へ寄ろうとするマオを横目に、片倉は低く唸るように警告する。

 

「近づかないほうが良い」

 

 その声に込められた張りつめた気配をAKEBIもすぐに察した。

 

 視線だけで問うように片倉を見る。

 

「モンスター……って事ですか?」と声を震わせて尋ねると、老人がひとりでに答えた。

 

「モンスター? 儂はモンスターなんかじゃないよう」

 

 老人の顔は笑っている。

 

 頬の皺がぐしゃりと寄っているのだが、その口元はあまりにもひきつれて見え、片倉にはとても“笑顔”だとは思えなかった。

 

 酷く不自然な笑い方だ。

 

 笑みというものを初めて浮かべようという者が、教本かなにかを読んでぎこちなく浮かべるような──そんな笑み。

 

 まぶたの奥に覗く目はガラス玉のようで、そこには生きた人間がもつはずの温度が感じられない。

 

 不気味なことにマオはその笑みにまったく疑いを抱いていない。

 

 むしろ安心しているように見える。

 

 老人の顔に何を見たのか、疑念も恐れも感じないまま、足を進めていく。

 

 1歩、2歩、3歩……距離が縮まるたび、片倉の胸の奥に嫌な感触がじわりと広がっていく。

 

 ──魅入られている。厄介だな……

 

 片倉は唇を噛み、AKEBIとアリサに小声で「ここから離れるぞ」と告げた。

 

 AKEBIはマオを引き留めたそうに何度も視線を往復させるが、片倉の表情の険しさを見てやがて諦めたように頷く。

 

 アリサも状況を素早く飲み込み、足の向きを変えようとする。

 

 しかしマオはまだ老人へ視線を注ぎながら、「ですよね、人間っぽいし……えっと、探索者ですか?」などと問いかけている。

 

 危険の匂いを感じ取るどころか、親切そうなご老人を見つけてしまったくらいの気持ちなのだろう。

 

 そして、さらに一歩。もう一歩。

 

 片倉の焦りは頂点に達し、咄嗟に声を張り上げた。

 

「走れ!」

 

 それはAKEBIやアリサだけでなく、マオへ向けたせめてもの叫びでもあった。

 

 だがその警告と同時に老人の身体から突然、ぼうっと炎が上がった。

 

 全身にまとわりつく赤い火が瞬く間に膨れあがり、そこにあるはずの顔や衣服の輪郭を焼き尽くすように歪ませていく。

 

 にもかかわらず老人は苦しむ様子もなく、火を纏ったままマオへ抱きついた。

 

「きゃっ……!」

 

 悲鳴を上げたのは、マオの方か、あるいはAKEBIやアリサか、それとも両方か。

 

 すぐには分からなかった。

 

 とにかく燃え盛る炎が二人の身体を包むように大きく広がり、その轟音が鼓膜を突き破る。

 

 空気を切り裂く熱波が一瞬で周囲に伝播してくる。火は赤だけでなく、青や黄にも瞬間的に色を変えながら勢いを増していく。

 

 まるで人を燃やすためだけに生まれた悪意の塊の様な炎だ。

 

「っ、マオ!」

 

 AKEBIが叫んだ。

 

 しかし、そこに火だるまになったマオが生きたままであるか否かを確認することは到底できない。

 

 アリサも拳銃を構えかけるが、その激しい炎の壁を前に、撃ってどうにかなるものなのかまったく見当がつかない。

 

 それどころか、自分まで焼かれかねない。

 

 躊躇った一瞬の後、アリサもAKEBIの手を引いて走り出す」

 

 片倉は振り返らない。

 

 歯を食いしばりながら顎をしゃくり、AKEBIとアリサに合図を送る。

 

 その合図が示すのは逃げろ、という意思だけだ。

 

 長く探索者をやっていると、どうにもならない場面というのが確かに存在するのだと嫌というほど学ぶ。

 

 相手が人間であるなら、あるいは道具を駆使すれば助け出せる可能性もあるかもしれないが、この状況はそれを許さない。

 

 既に人の理から外れた怪異が目の前で起きている。

 

 下手に手を差し伸べれば、自分たちも同じように火の餌になるだけだ。

 

 AKEBIは唇を噛んで、一瞬だけマオの方へ視線を戻す。

 

 そこには青白い火柱が荒れ狂い、まるで何かを貪るように燃え盛っているのが見えた。

 

 そこに人の形がうっすらと見える気がしたが、叫び声はもう聞こえない。

 

 どう足掻いても生存を期待できる状況とは思えない。

 

 アリサも言葉にならない嗚咽を噛み殺すように顔を歪め、片倉に視線を投げた。

 

 片倉は小さく頷き、唇を歪ませながら「行くぞ」と呟く。

 

 そうして、三人は線路の上を全力で駆ける。

 

 といっても、まだ脱出経路すら満足に分かっていないダンジョン内だ。

 

 どこへ向かえば安全が保証されるのか、そんなあてはない。

 

 それでも、この場から離れなければ自分たちまで焼き尽くされるだろうという事が片倉にはよく分かっていた。

 

 AKEBIもアリサも必死の思いで足を動かす。

 

「マオ……」

 

 AKEBIのかすれた声が聞こえる。

 

 心の底から後悔と恐怖が混じり合った声。

 

 一瞬でも立ち止まれば、あの老人──いや、あの何かが再び姿を現し、今度は自分に襲いかかってくるかもしれない。

 

 身体がそう警戒信号を発する。

 

 アリサは拳銃を片手に握ったまま、荒い息を吐いている。

 

 片倉は先頭を走りながら、ちらりと背後を一瞥した。

 

 炎の勢いが衰えているのかどうかすら判断しづらい。

 

 線路の向こうにはあれだけの火柱が上がったというのに、黒煙が立ち上っている様子もない。

 

 現実の火とは根本的に性質が違うものなのかもしれない。

 

 片倉はもしあの火に焼かれれば、ただでは済まなかっただろうと内心で思う。

 

 肉体を焼かれるのみならず、魂までも食われてしまいそうな──そんな禍々しさを感じていた。

 

 ある程度走ったところで、三人は息を合わせるように足を止める。

 

 一気に酸素が足りなくなって肺が苦しい。

 

 心臓の鼓動が速すぎて耳鳴りさえしてくる。

 

 線路の枕木に片足を引っかけてAKEBIが前のめりになりながらうめいていた。

 

「はあ、はあ……マオが……」

 

「トラップの一種だな」

 

 片倉は断言する。

 

 ダンジョン内には訳の分からない罠がいくつもある。

 

 物理法則では説明できない奇々怪々な罠──死ぬだけで済めば良いというようなモノも少なくはない。

 

「片倉さん……」

 

 AKEBIが物問いたげに片倉を見ていった。

 

「マオは……助けられなかったんですか?」

 

 その質問に片倉は迷いなく頷く。

 

「ああ。もし助けようとしていたら君たち二人か、俺か、あるいは三人全員が死んでいた。そういう罠だ。分かるんだ、俺には」

 

 片倉の言葉に、AKEBIは「そっか」と泣きそうな顔で笑った。

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