【屍の塔~恋人を生き返らせる為、俺は100のダンジョンに挑む】   作:埴輪庭

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第七十三話【男】

 ◆

 

 重厚なカーテンに遮られた窓から、都会の夜景がわずかに滲んでいた。

 

 高級ホテルのスイートルームは上品な調度品が整えられているが、室内に満ちる空気は冷ややかだ。

 

 部屋の奥にある黒革のソファに、岩戸重工の重役とおぼしき男が腰かけている。

 

 円熟した年齢らしく髪は白髪交じりで、やや肥えた体躯をテーラードスーツが包んでいた。

 

 一方、入り口付近に立つもう一人の男は一見して探索者の様に見えた。

 

 一言でいえば美形だ。

 

 色白の肌に赤い長髪が映え、どこか耽美な雰囲気を醸し出している。

 

 立ち姿には力強さがあり、探索者としての技量というか、凄みが見える。

 

 とはいえ実際は岩戸重工の医療技術がその命を支えているのだが。。

 

 男の目には、かつての自由を失った者特有の諦観が宿っている。

 

 筋肉質な体躯と対照的に、精神は疲弊している様に見える。

 

 男を知る者には決して見せない姿であった。

 

「"いつもの依頼"だ」

 

 重役がそう声をかけると、男は応えず視線を落とす。

 

 彼の態度は不機嫌そうだが、先方への敵意は表に出さないように見える。

 

 重役はわざとらしく咳払いをした。

 

 男の指先が微かに動く。

 

 それは不調のためではなく、抑えきれない苛立ちのせいだった。

 

 彼の体は岩戸重工の技術によって完璧に機能しているが、皮肉にもその完璧さが彼の自由を奪っている。

 

 肉体的には問題ないが、精神的な鎖に繋がれた感覚は日に日に強まっていた。

 

「今回の件、詳しくは伝わっているはずだ。龍華寺のダンジョンで桜花征機の企業探索者が動く。向こうは越前探索者連盟や探索者協会とも連携するだろう。実に厄介だ」

 

 男は目を細めて床を見つめる。

 

 そして低い声で呟くように言った。

 

「俺がやる必要があるのか。これで何度目になる……」

 

 その言葉には疲労感が滲み出ていた。

 

 かつては自らの意志で危険に立ち向かった探索者が、今や企業の命令で同業者を狙うことを強いられる皮肉。

 

 重役は笑みを浮かべ、ソファの背もたれに身体を預ける。

 

 その顔には、含みのある憐憫と嘲りが混じっていた。

 

「さてな。しかしお前はわが社に借りがある」

 

 男は口をつぐんだまま、暗い表情を崩さない。

 

 重役は少し首をかしげて続ける。

 

「他社の有象無象の探索者ならどうとでもなる。問題は桜花征機だ。我々の利権を虎視眈々と狙っている。ダンジョン内で事故が起きたところで、誰も深くは追及しないさ。連中は龍華寺ダンジョンの所有権を得るべく、精鋭を送りこむそうだ」

 

 重役は足を組み替える。

 

「岩戸重工としては、ここで桜花征機の鼻を折っておきたい。連中が龍華寺の資源を確保する前にな。越前探索者連盟との合同で入るにしても、桜花が絡むなら黙って見逃すわけにはいかないのだよ。できれば“始末”してくれ。いざとなれば偶発的な衝突に見せる形でもいい。ここは我々のモノだ、手を出すな──と、そういうメッセージになる」

 

 男は眉をひそめたまま、吐き捨てるように言う。

 

「くっだらねえ事ばかり考えやがって」

 

 重役の唇は笑っているが、その目は冷たい。

 

「戦略上の利益が最優先だ。だが、お前とてタダ働きじゃない。わが社からの依頼を受ける事で得るものもあるだろう?」

 

 男の肩がわずかに震えた。

 

「わかってる。だが、いいかげん俺じゃなくて別の奴に頼んでもいい頃じゃないか。実際、社内に使える探索者はゴロゴロいるだろう……」

 

 重役は頭を振った。

 

「いや、そうもいかん。相手もなかなかの大駒でな」

 

 男は何か言いたげに口を開きかけたが、やめた。

 

 しばし沈黙が降りる。

 

 重役が時計を見て小さく息をつく。

 

「わが社の技術力でなくしてお前はそれ以上生きられない。確かにお前は優秀な探索者だったが、当時大怪我を負ってそのまま死んでいたかもしれないところを助けたのはこちらだぞ。思い出せ」

 

 男はうんざりしたように視線をそらした。

 

 しかし重役の言葉は続く。

 

「この部屋に入る前も、医療スタッフから報告を受けた。あれがなければ、お前はもうとっくにガタが来ている。つまり、お前は我々に借りがある。返してもらわなければならない。命の借りは重いのだ」

 

 男は肩を落とし、ぼそりと零す。

 

「……で? 具体的に何をどうしろって?」

 

 重役の瞳が鋭くなる。

 

「桜花征機の探索者を狙い撃つ。それもできる限り痕跡を残さずな。あとは連中の動きを探り、必要に応じて他の連中も足止めしてくれ。それだけで十分だ」

 

 男は薄く唇を噛む。

 

「……そうかよ。了解した」

 

 その声には疲労感と諦念が混ざっている。

 

 重役は満足げに頷き、立ち上がる。

 

「お前が死なないよう、我が社もサポートはする」

 

 重役は男の表情を眺めてから、わざとらしく笑い声を立ててみせた。

 

「嫌ならやらなければいい。が、そのときはお前にこれまで施した医療技術をすべて停止する。それだけの話だ。お前には目標があるのではなかったか?」

 

 男は拳を握りしめるが、そのまま動かない。

 

 言い返せる言葉を探すように数秒が過ぎた。

 

 やがて男は声を絞り出す。

 

「…………わかったよ」

 

 重役は頷き、黒革の鞄を手に取る。

 

 そしてスーツの襟を正すと、一つだけ釘を刺すように言い放った。

 

「わが社は結果を重視する。うまくやれ。報酬はそれなりに用意してある」

 

 その言葉が終わると、重役はゆっくりとドアの方へ歩き出した。

 

 扉を開けた先にはホテルの廊下が広がっている。

 

 客室係の姿は見えず、人気もなかった。

 

 重役は最後にちらりと男を振り返るが、何も言わず部屋を後にする。

 

 ドアが閉まると、部屋には男だけが残された。

 

 壁に掛けられた時計が規則正しく秒を刻んでいる。

 

 男は沈黙の中、しばらくその場に立ち尽くした。

 

 やがてソファへ歩み寄り、深々と腰を下ろす。

 

「……クソが」

 

 男は小さく呟いて天井を仰ぐ。

 

「飼い殺しってやつか」

 

 男の声には苦渋が混ざり、唇の端がわずかに震えていた。

 

「らしくねぇよな……」

 

 視線を落とした男は、テーブルの上に置かれたグラスへ手を伸ばす。

 

 しかし、その中には何も注がれていない。

 

 男は虚空を眺め、唾を飲み込む。

 

「なあ……玲子。お前は今の俺を見て、どう思う?」

 

 男は誰もいない空間に問いかける。

 

 壁から照らす淡い間接照明が、男の顔の影を濃くする。

 

 その影の濃さはまるで男の心中の色の様だ。

 

 想像の中の玲子は、切なげな目をして男を見つめている。

 

 だが何も言わない。

 

 生と死という絶対の境界が二人を隔てている。

 

 男は細く息を吐いた。

 

「すまない……。俺はこんなくだらねぇ仕事を続けてる」

 

 誰に向けるでもない呟きが、静かな室内に溶けていく。

 

 男は口を閉じる。

 

 テーブルの上に指先で触れ、磨き上げられたガラスの感触を確かめる。

 

 この豪奢な空間は、彼にとってまるで牢獄だった。

 

 彼は岩戸重工への借りを返し終わるどころか、むしろ負債を増やすかのように利用されている。

 

 何もかもが相手の掌の上だ。

 

「……なぁにが単独探索者だか。餌がなけりゃ生きてもいけねぇ野良犬がよ」

 

 男は皮肉気に笑った。

 

 その笑みには覇気もなく、諦観が混ざっている。

 

 岩戸重工の技術がなければ、男の体は遠からず限界を迎えるだろう。

 

「玲子……」

 

 男はそっと目を閉じた。

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