【屍の塔~恋人を生き返らせる為、俺は100のダンジョンに挑む】   作:埴輪庭

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第七十九話【念、昂じて】

 

 ◆

 

 撤退準備の号令が下るが、誰もが安堵とはほど遠い表情を浮かべている。

 

「逃げるなら急いだほうがいいな。この辛気臭い声は余り良いもんじゃねぇ」

 

 低い声でそう言った城戸に、山田は険しい面持ちで頷く。

 

 先ほどから断続的に聞こえている真言のような囁きは消えていなかった。

 

 むしろ先ほどよりもはっきりと音量を増しているようにさえ感じられる。

 

 薄暗い広間の隅々を見渡しても、人影らしきものは見当たらない。

 

 どこかから響いてくる不気味な経文は、壁を伝って耳元へ染み込むように広がっていた。

 

 ──『おん……ころころ……せんだり……まとうぎ……そわか……』

 

 片倉はその声音から何も感じる事はできない。

 

 敵意もなければ殺意もない。

 

 ただの声だ。

 

 しかし、こんな場所で聴こえるこんな声がまともなものであるわけもない。

 

 “危ないと思えない”からこそより不気味なのだ。

 

 堂内に集まった探索者たちも誰一人として気を緩めてはいない。

 

 照明代わりに携行していたランタンの光が、群がる仏像たちの陰影をくっきりと浮かび上がらせる。

 

 そこかしこに散乱する瓦礫や木片も、まるで生あるもののように佇んでいた。

 

「全員、警戒を解くなよ」

 

 山田が再度呼びかける。

 

 その声には、作戦の指揮官としての焦りも透けて見えた。

 

 実際、採取班や後続部隊を迎え入れるにしても、この奇怪な声の正体を突き止めないままでは安全とはいえない。

 

「やっぱりあの金色の仏像か」

 

 城戸が視線を奥の如来像へ移す。

 

 大空間の最奥に鎮座したまま、微動だにせず、ただ金箔の肌を鈍く光らせる仏像。

 

 周囲の朽ちた仏像とは一線を画すほどの存在感を放っている。

 

 だがどれだけ注視しても如来像は動かない。

 

 ──いっそ襲い掛かってきてくれれば話は単純なんだけどな

 

 その沈黙がかえって不安を煽るようにも見える。

 

「佐々木も大丈夫そうだな」

 

 山田が怪我をした若手──佐々木 良平を見て言った。

 

「こんなところ、さっさと引き揚げたいですよ……」

 

 佐々木が弱音を吐く。

 

「まだ調べる場所は残ってるからな……だが、この場にとどまるというのはナシだ」

 

 山田が肩越しに広間の奥を見ながら言う。

 

 そこにはさらに薄暗い通路が続いている様子があるが、果たしてどんな仕掛けが待ち受けているのかは皆目見当もつかない。

 

 採取班のために、なるべく危険を事前に排除しておく事が山田らに求められている仕事だ。

 

 しかし、やみくもに戦えばよいわけではない。

 

 真言のような囁きはまだ絶えず、時折その抑揚が妙に高まっているのがわかる。

 

 ──『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』

 

 堂内に立つ探索者たちが注視する先──金色の仏像が何をしようとしているにせよ、それにまんまと嵌るわけにはいかなかった。

 

「まあ、仕方ないな。よしある程度資材を回収したな。撤収!」

 

 山田がそう言った瞬間。

 

 佐々木が急に、くつくつと小さく笑い始めた。

 

「……? 佐々木さん?」

 

 薫子が怪訝そうに顔を覗き込む。

 

 さっきまで痛みを訴えていたはずの佐々木が、笑いを堪えきれないかのように肩を震わせている。

 

 布で覆ったはずの掌から血は滲んでいない。

 

 むしろ、彼の表情には嬉々とした明るさすら浮かんでいた。

 

「はは、なんだこれ……すごい……」

 

 佐々木は眉を上げ、明るい声で言う。

 

「痛みが……痛みが消えました……!」

 

 薫子が一瞬動揺して布を見直すが、そんな短時間で自然治癒するはずがない。

 

 ──まあでも、そこまで重傷というわけではないから、興奮や緊張で痛みを忘れるということも……

 

 薫子はそう思うが、そうだとしてもやはり腑に落ちない部分はあった。

 

 佐々木の表情は晴れやかで、見たことのないほど活き活きとしているのだ。

 

「おいおい、どうしたよ」

 

 城戸が近づいて問いかける。

 

 佐々木は酷く優しい目で周囲の仏像たちをぐるりと見回す。

 

 唇は薄く笑みを湛えているが、それが次第に大きく歪んでいく。

 

「すごいんです。なんていうか、身体が軽い……」

 

 ははは、と笑いながら、佐々木は自身の内からこみ上げる何かを抑えきれないのか、ドンドンと床を踏み鳴らす。

 

「おい! 佐々木! いい加減に……」

 

 山田が佐々木の肩を掴もうとすると、佐々木がその手を乱暴に振り払って言った。

 

「触らないでくださいよ、こんなに気持ちいいんだから……!」

 

 その口調には狂乱じみた陶酔が混じり始めている。

 

「佐々木? 落ち着け!」

 

 連盟の仲間が駆け寄るが、佐々木はやはりその手を払いのけ、ケタケタと笑う。

 

「痛みが消えただけじゃない……すごく力がみなぎるんだ!」

 

 その声は既に尋常ではないテンションに振り切れている。

 

 浮かれ切った笑顔。

 

 そして──

 

 ──『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』

 

 真言。

 

 ◆

 

「佐々木、動くな!」

 

 山田が声を張り上げる。

 

 何がどう、と明言できるわけではないが、山田にはこのままではまずいという予感があった。

 

 城戸や片倉、薫子に至っては臨戦態勢を取ってさえいる。

 

 しかし佐々木は笑い続ける。

 

 目の焦点は定まらず、恍惚とした様子だった。

 

「はは……最高ですよ……こんなの、初めて……」

 

 佐々木の呼吸が急激に荒くなる。

 

 まるで体内の血液そのものが煮えたぎっているかのように、頬が朱に染まっていく。

 

「おい……やばいぞ」

 

 隣のメンバーが身構えたまま佐々木を凝視する。

 

 佐々木の肌がじわりと赤黒く変色し、掌の包帯がずるりと外れ落ちる。

 

「佐々木さん……?」

 

 薫子が思わず声を潜めた瞬間、彼の腕がぶくぶくと異常な膨張を始めた。

 

 その様は、内側から肉を足されたように筋繊維が盛り上がり、皮膚を突き破らんばかりに膨れ上がっていく。

 

「ひ……っ!」

 

 一瞬、佐々木自身が痛みに耐えかねて悲鳴を上げるかに思われた。

 

 だが違う。

 

 佐々木の口から漏れたのは、むしろ陶酔の笑いだった。

 

「なんだ……これっ……はは、すげぇ……!」

 

 山田は呆然と立ち尽くす。

 

「なんだこれは……」

 

 探索者にとって人体の変容はそこまで珍しいものではない。

 

 だが、それにしたところでここまでの異様な変容は余り例がなく、豊富な探索経験を持つ山田も目の前でこんな光景をみた事はない。

 

 巨大化した腕は二メートル近くにも伸びていた。

 

 肌色も健康的な、筋肉隆々のたくましい腕だ。

 

「…………」

 

 一瞬だけ広間が冷え込んだように静まり返る。

 

「佐々木……?」

 

 連盟メンバーの一人が意を決して呼びかけるが、もはや佐々木の耳には届いていないようだった。

 

「なんて気持ちがいい……!」

 

 佐々木の声は歓喜に震えていた。

 

 ◆◆◆

 

 ダンジョンはよくもわるくも、“進化”をもたらす。

 

 あるいは変容というべきか。

 

 変容するのは、物質や生物だけではない。

 

 風化した建材も、石垣に根を張った雑草もダンジョンの胎内では別の意味を帯びる。

 

 だが真に厄介なのは、形なきものすら例外ではないという事実だ。

 

 想念。祈り。畏れ。

 

 その場に幾度も積み重ねられてきた人々の意思──たとえば信仰や執着、悔恨や欲望といった“概念”ですら、ダンジョンの中ではひとつの現実となりうる。

 

 残滓のように漂うその力が、時にモンスターを生み出し、時に空間を捻じ曲げる。

 

 この「龍華寺」もまた、例外ではなかった。

 

 建立当時から数多くの仏像が祀られてきたこの寺は、信仰というよりもむしろ、権勢欲の象徴として建てられたものだった。

 

 だが、いかに動機が俗なものであろうとも、そこに人々の視線と感情が注がれた以上、それは“力”として積もっていく。

 

 今回の例でいえば、「薬師如来」。

 

 病を癒し、安寧をもたらす東方浄瑠璃世界の主であるとされ、人々に「癒し」「再生」「希望」の象徴として信仰されてきた仏である。

 

 その右手は施無畏印を結び、左手には薬壺を持ち、見る者に慈愛を示すその姿は、本来ならば救済の象徴であるはずだった。

 

 だがこのダンジョンの中では、その在り方が歪められている。

 

 蓄積された想念は、長い年月と共に本来の在り方を歪めてしまった。

 

 祈りと呪いは紙一重──“それ”はもはや、人を救う仏ではない。

 

 今この広間に響く真言は、かつて誰かが祈った救いの言葉ではない。

 

 それは仏が仏であることをやめた瞬間に生まれた、“仏を装った何か”の声である。

 

 

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