【屍の塔~恋人を生き返らせる為、俺は100のダンジョンに挑む】   作:埴輪庭

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第八十話【念、昂じて②】

 

 ◆

 

 佐々木の顔には、先ほどまでの不安や痛みが微塵も残っていなかった。

 

 その代わりにあるのは、奇妙な陶酔と高揚だ。

 

 佐々木の肥大化した腕の表面は蠕動しており、グロテスクな様相を見せていた。

 

 しかし佐々木はそっと笑みを漏らし、熱のこもった声をあげる。

 

「はは……やばいくらい気分がいいんですよ。こんなの初めてです」

 

 周囲の探索者たちは困惑を隠せずにいる。

 

 しばし静寂が降りたが、不意に仏像の間を抜けるようにして、あの真言の声がまたかすかに響いた。

 

 ──『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』

 

「この声が原因なのは間違いねぇんだろうが──」

 

 城戸が低く唸る。

 

 ──“ああいう風に”なっちまうには何か条件が必要なのか? 

 

 城戸はさりげなく周囲を見渡した。

 

 片倉も薫子も山田も、そして他のメンバーも、佐々木の様に変容しようとする者は見当たらない。

 

「怪我、ですかね」

 

 いつの間にか片倉が隣に立ち、城戸にというより声に出して確認をするかのような風情でそう言った。

 

「そうかもな。奴は掌を怪我していた。それが条件なのかもしれない」

 

 だが、と城戸は顔をしかめる。

 

「もしそうだとしたら厄介だぜ。ダンジョンで怪我をするなってのはどだい無理な話だ」

 

 城戸の言葉に片倉も頷くが──

 

「ただ、これまでにもこのダンジョンで負傷した探索者はいたはずです。しかし──」

 

「ああ、こんなふうになってしまうという報告はなかった。だから単純に怪我をするだけというわけじゃないはずだ」

 

 山田が後を引き取って言う。

 

「おい、佐々木! 落ち着け!」

 

 そう促すが、佐々木は苦笑いするだけだった。

 

 その笑みはどこか無垢な子供のようにも見える。

 

「落ち着け? 無理ですよそんなの……やっと一歩踏み出せた気がするんです。俺がずっと怖くて踏み出せなかった“一線”を」

 

 彼はそう言いながら、床に転がっていた木片を手に取り、指先で弄び始めた。

 

 木片には先ほどまで佐々木の血がこびりついていたはずだが、今は乾いたように色が薄れている。

 

 周囲の探索者たちは徐々に輪を狭め、佐々木を取り囲む形に移動しつつあった。

 

 明らかに普通じゃない彼の様子を見て、放置できないと判断したのだろう。

 

 山田が声を低める。

 

「佐々木、いいから落ち着け。探索はもう切り上げる。帰って治療を受けろ」

 

 佐々木は「はは」と鼻で笑って首を振る。

 

「山田さん、俺……」

 

 そこで言葉を切り、佐々木は浅く息を呑んだ。

 

 目の奥に宿る光は興奮に燃えている。

 

「この探索に乗り気じゃなかったの、ホントです。恐ろしいモンスターに立ち向かっても、死ぬリスクが上がるだけ。だから無理せずに、そこそこの難易度のダンジョンを攻略しながら稼げればいい……ずっと、そう考えてました。そうでもしなきゃ、死んだら元も子もないですからね」

 

 息を継ぐたびに、彼の声は微妙に上ずる。

 

 その姿は何かに取り憑かれているようで、周囲の探索者はぎょっとした表情を浮かべていた。

 

 山田がさらに厳しい声を出そうとするが、佐々木がそれを遮るように続ける。

 

「でも、本当は違ったんです。俺も、誰にも負けないほど強くなりたかった。強くなって、自分を証明したかった。だけど怖かったんですよ。力を求めて死地に飛び込むなんて、正気じゃないと思っていた。そんなこと……あんたら、普通にやってるじゃないですか」

 

 彼の言う「あんたら」とは、城戸や山田、そして片倉たち熟練の探索者を指しているのだろう。

 

 山田が歯噛みする。

 

「誰も普通になんかやっちゃいない。怖いのは、俺たちも同じだ。それを……」

 

 山田の言葉が終わる前に、佐々木はまた笑いを漏らす。

 

「でも、俺は今日わかったんです。ダンジョンに“認められれば”痛みなんか消える。強さも得られる。ほら、この傷も……もう全然痛くない」

 

 ぐっ、と佐々木は握り拳を作ってみせる。

 

 そこには傷跡さえほとんど見当たらないように見えた。

 

 そのあまりの変化に、近くの隊員がたじろいだ。

 

 片倉は静かに剣を握り直し、薫子も髪の束をわずかに揺らして備える。

 

 城戸が山田のほうを見る。

 

「…………山田さん」

 

 その一言には「どうする?」という問いが含まれていた。

 

 だが山田もどう対応すべきか決めかねているようで、苛立ちを滲ませながら佐々木を見つめる。

 

 佐々木はさらに続ける。

 

「そりゃあ、怖いですよ。俺はビビリなんです。下手に突出したり死線をくぐるのなんて御免でした。けど、俺も分かってたんだ……そうやって適当に立ち回っていれば、俺は一生このままだって」

 

 彼は己の胸を変容していない方の拳で叩いた。

 

「でもダンジョンは、この龍華寺は、俺を選んでくれたんですよ。俺が見せた痛みや恐怖、それを乗り越えた一瞬を評価してくれた。だから、こうして力を与えてくれたんだと思う」

 

 佐々木の声には熱がこもっていた。

 

 まるで宗教的な陶酔に浸る者のように、ある種の神秘的な輝きを感じさせる。

 

 ただ、その“神”が仏像本来の慈悲を帯びた存在とはとても思えない。

 

 佐々木は視線を自分の変形した腕へ移す。

 

 ぐぐっと軽く腕を振るだけで、空気が圧されるような感触が伝わってくる。

 

 筋肉の繊維が異様に盛り上がり、皮膚が薄く透けるほど張り詰めている。

 

「こんな馬鹿げた力だけど……こんな力が、俺にもあるんですね。なんだか、もう何も怖くない」

 

 佐々木が小さく呟くと、広間にいた探索者の何人かが一歩退いた。

 

「怖くない」

 

 それは恐怖を捨てた言葉というより、恐怖を超えてしまった者の言葉にも聞こえた。

 

 片倉が口を引き結ぶ。

 

「佐々木……それはあんたの自身の力じゃなくて、ダンジョンの……」

 

 言いかけた刹那、佐々木の目の焦点が片倉へ向く。

 

 異様にぎらぎらしたその目は、まるで獲物を前にした猛獣のようだった。

 

「そうですよ。ダンジョンの力。だったら何なんです。俺が頑張れなかったところを、この龍華寺が補ってくれたんですよ。これって、最高じゃないですか」

 

 その発言に山田の顔が強張る。

 

「最高……だと……? お前、正気か」

 

 山田がそう問いかけるのも無理はない。

 

 いまの佐々木を見て、彼を人間だと思う者はいないだろう。

 

 人のまま人を超えたいと望む探索者は数多い。

 

 しかし、人でなくなりたいとは思わない。

 

「痛みも怖れも消えて、力だけが手に入る……こんな素晴らしいことがあるんですね」

 

 佐々木はそう言い放ち、さらに腕を伸ばす。

 

 気泡が弾けるような音とともに、腕の筋肉がさらに膨れ上がり、その表面に太い血管のような模様が浮き出る。

 

 だが色は人間の肌色ではなく、どこか木目を思わせる黄褐色に変わりつつあった。

 

 城戸が舌打ちを一つして、山田の横へ移動して──

 

「殺るか?」

 

 とはいえ、佐々木は連盟所属の探索者だ。

 

 すでに人としての形を大きく逸脱しつつあるが、“佐々木”としての意識もある。

 

 ここで殺害というのは、やや早計に過ぎるかもしれない。

 

「いや、それは……」

 

 山田が言いよどむ。

 

 佐々木の様子は明らかにおかしく、放置しておけば更に状況が悪化するかもしれないとは理屈では理解しているが、それでもまだ会話は出来る状態ではある。

 

 だのに“危なそうだから殺害”というのはさすがに割り切れないものがあった。

 

 当の佐々木は楽しそうに腕を眺めながら、満面の笑みを浮かべている。

 

「こんな“チカラ”をくれるなんて、ダンジョンって最高だな。もっと、くれ。もっと……」

 

 その言葉と同時に、佐々木の大きな腕が横薙ぎに振るわれた。

 

 ゴウッという突風のような唸りが部屋を駆け抜け、間近にいた連盟のメンバー数名がまるで人形のように吹き飛ばされた。

 

 壁際に激突する衝突音が響き、悲鳴が重なる。

 

「いっ、痛え……!」

 

「やばい……!」

 

 床に倒れ込んだ者たちの中には、先ほどの一撃で装備を破損してしまった者もいる。

 

 命に別条はなさそうだが、このままではさらなる惨事は避けられない。

 

 山田は激しい怒りの混ざった目で、目前の異形へ視線を向けた。

 

「佐々木、正気に戻れ! そうでなきゃ……」

 

 しかしやはり迷いはある。

 

 ──そうでなきゃ、どうするんだ? 

 

 山田は山田で、佐々木を可愛がってはいたのだ。

 

 だが。

 

「ぢからを……くれだんだぁあああああ!」

 

 佐々木が絶叫する。

 

 歓喜と苦痛の混じった不協和音。

 

 城戸がチラリと山田を見た。

 

「殺るか?」

 

 まったく同じ問いが繰り返される。

 

 山田は答えず、一度ぎゅっと歯を食いしばる。

 

「……くそっ」

 

 そう罵りながら、山田は腰に佩く大振りのタクティカルナイフを構えた。

 

 城戸の問いには二度とも答えない。

 

 しかし、行動が山田の意思をはっきりと表していた。




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