【屍の塔~恋人を生き返らせる為、俺は100のダンジョンに挑む】   作:埴輪庭

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第八十四話「薬師大医王②」

 ◆

 

 赤黒い粘液が泡を噛み、無数の口と指が蠢く。

 

 謎の液体の正体は定かではないが、浴びればただでは済まないだろう。

 

 堂内の空気がむわりと狂乱の熱を孕んだ。

 

「や、やべえって!!」

 

 一人の連盟の探索者が身を翻して逃げ出す。

 

 片倉たちを、いや、仲間たちですら背後に置き去りにして。

 

 それが何らかのトリガーをひいたのか、他の者たちもばらばらと続いた。

 

 混乱。

 

 悲鳴。 

 

 城戸は舌打ちする。

 

「素人かよ、逃げてどうすんだ」

 

 鋭い言葉が刃となり、逃げ腰の探索者の背を刺す。

 

 ダンジョンで挑戦を忘れた者の末路は無惨だ。

 

 逃亡は必ずしも 交戦より安全であるとは限らない。

 

 背を向ける事そのものにリスクがあるが、それ以上に臆病風に吹かれて逃げ出すものに対してダンジョンはある種の干渉をする。

 

 例えば新たな罠を逃亡先に生成させたり、逃亡するものが奇妙な脱力感に襲われたり。

 

 ゆえにダンジョンで危地に遭ったならば、特別な理由がない限り踏みとどまり打破を目指す──というのが生存への細い糸なのだ。

 

 城戸がちらりと目を向ける。

 

 片倉。

 

 薫子。

 

 そして連盟メンバーの中でも面構えの違う数名だけが、金泥の薬師如来像を真向から睨み据え、膝を沈めて臨戦の構えを取っていた。

 

 火よりも熱く、剣よりも鋭い戦気が堂内に充満しつつある。 

 

 薫子が声を潜めて訊く。

 

「──あの腕は使わないんですか?」

 

「クールタイムってやつだよ」

 

 城戸は義肢の左腕を軽く振りながら言う。

 

「連続使用は余り具合がよくねぇんだ、切り札ってやつさ」

 

 ──切り札? 

 

 薫子は一瞬、城戸の言葉に違和感を覚えた。

 

 ──彼は強い。“札の切り方”くらい心得ているはず。だが、あの探索者(佐々木)は切り札を切るだけの脅威だっただろうか? 

 

 そんな思いが薫子にはある。

 

 ──でも、考え込んでいる暇はないわね。この如来型は得体が知れない

 

 薫子は高度な近接戦闘術を修めているが、搦め手への対応はさほど得意な方ではなかった。

 

 片倉は無言で薬師如来の出方を探っている。

 

 緊迫した空気が凝縮し、不可視の爆弾となって爆裂するかと言う瞬間──連盟の男が一歩前に出て言う。

 

「全員でこれを片づけてしまいましょう」

 

 城戸が眉を上げた。

 

「……ムトウのオヤジか」

 

 中肉中背、色褪せた戦闘服に地味な装備の四十男、ムトウ。

 

 クラシックなメリケンサックを拳に嵌めている。

 

 遠征を好まず、地元の浅いダンジョンばかりを回って小金を稼ぐ──そう評され、軽く見られがちな探索者。

 

 だが城戸は知っている。

 

 数年前、北陸の水没遺跡で遭遇した怪魚の巣。

 

 協会の基準では乙級指定ダンジョンだったが、ムトウのチームは軽傷者を数名出すだけで最奥部に至った。

 

 城戸は肩をすくめた。

 

「あんたはビビってないんだな」

 

 ムトウは苦笑しながら言う。

 

「ビビってますよ。 金に目が眩んでこんな仕事受けた事を後悔してます。 まあでもここまで来たら仕方ないですわな」

 

 まあでも、とムトウは続ける。

 

「デビュー戦の時よりはマシですがね」

 

 デビュー戦? と薫子が眉をあげると、城戸がムトウの代わりに答えた。

 

「ああ、このおっさんこれで居て元プロボクサーなんだぜ」

 

 現役時代のムトウのあだ名は“スモーキィ・ライト”。

 

 煙の様に捉えどころのない右ストレートが売りのボクサー・タイプの選手であった。

 

 そんなムトウを筆頭に、一筋縄ではいかなそうな面構えの探索者が数名、薬師如来を取り囲むように陣形を組む。

 

 ・

 ・

 ・

 

 そのやり取りを横目に、片倉は2年前の事を思い出していた。

 

 ──蛙のモンスター。

 

 奥多摩の鉱山跡で、あの呑み口の広い怪物は片倉の仲間を鏖殺した。

 

 小堺 良平、二階堂 沙耶、日野 海鈴──奥多摩の元チーム・メンバーだ。

 

 彼らは全員死んだ。

 

 血汐の温度と、むせ返る泥の臭いが脳裏に蘇る。

 

 眼前の如来から感じられる圧はあの蛙以上のものだった。

 

 恐らくは何人か死ぬだろう──そう片倉は思っている。

 

 悲観主義的な考えによるものではない。

 

 “そういう相手”だと、片倉のダンジョン探索の経験が囁いている。

 

 ──ダンジョンは俺からまた仲間を奪うのか。俺の前で仲間を殺すのか

 

 城戸にせよ薫子にせよ、そして連盟の探索者たちにせよ、片倉にとっては一時的なチーム・メンバーでしかない。

 

 しかし、片倉が共に探索するその“一時的なチーム・メンバー”がこれまで何人死んで来たのか。

 

 まるで、片倉に仲間を持つ事を許さないかのような意思が働いているのかと勘ぐりたいほどだった。

 

 胸中に噴き上がった焔は、恐怖ではなく憤怒となる。

 

 ◆

 

 回廊へ逃げ込んだ影は、すでに視界の外で足音を途絶えさせた。

 

 罠にかかったかか、奇襲でも受けたか。

 

 何れにせよ、生還の望みは薄い。

 

 城戸は肩口で一つ息を吐いた。

 

「よし、やるか。 突っ込むぞ。 押野はアイツが動いたら背面を取れ。 片倉、ムトウの援護に回れ。 残れる奴は輪を絞れ。 逃げた連中のことは今は忘れろ」

 

「了解」

 

 薫子の返答は短い。

 

 片倉は視線だけで頷き

 

 ムトウは無言で前足をずらし

 

 薫子も僅かに身を屈める。

 

 薬師如来は依然として沈黙したままではあるが、やがて閉じていた目を見開いた。

 

 眼窩は虚空。

 

 慈悲も救いもそこにはない。

 

 右手をゆっくりと動かし、掌を片倉たちに向ける。

 

 これは施無畏印と呼ばれる手印の一つで、恐れを除く印相──だが。

 

「来るぞ!」

 

 明確な殺意を感じた片倉が叫ぶと同時に、カッと何かが瞬いた。

 

 青緑の光──瑠璃光が如来の掌から放たれたのだ。

 

 片倉たちはかろうじてそれを躱したが、光を浴びてしまった探索者もいる。

 

「お、あ゙ァァァ……」

 

 その探索者は全身の皮膚を泡立たせ、まるで正体不明の恐るべき死病に侵されているかのごとき様相へと変貌する。

 

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