【屍の塔~恋人を生き返らせる為、俺は100のダンジョンに挑む】   作:埴輪庭

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第九十話「城戸②」

 

 ◆

 

「そういえば」

 

 城戸が何気ない風に言う。

 

 まるで世間話でもするような軽い調子だった。

 

「押野は片倉と親しいのか?」

 

 突然の問いかけに、薫子の足が一瞬だけ乱れた。

 

「えっ……」

 

 振り返った薫子の顔には戸惑いの色が浮かんでいる。

 

「いや、まあそうですね、一度会ったことがあるというか……」

 

 曖昧な返答だった。

 

 かつて片倉とは学生時代に先輩後輩の仲であったという事実を、薫子は伏せる。

 

 自分でも理由が判然としない。

 

 ただ、今ここでその過去を明かすことに何か抵抗があった。

 

「ほ~、片倉。お前も隅におけねぇなあ。押野もまんざらでもない様子だ」

 

 城戸がにやりと笑う。

 

 からかうような口調に、薫子は若干煩わしげな視線を向ける。

 

 片倉は黙ったまま前を向いていた。

 

 表情からは何を考えているのか読み取れない。

 

「怒るな怒るな、俺はお似合いだと思ってるんだ」

 

 城戸の言葉はますます軽薄になっていく。

 

「お、お似合いって……」

 

 薫子がやや照れたように俯いた。

 

 その瞬間であった。

 

 意識と意識の間をするりと抜けるように、城戸は自然体そのもので一歩踏み出す。

 

 他に人通りがない道で誰かがこちらへ向かってきたら、相手の一挙手一投足へ意識が向くものだ。

 

 しかし雑踏では気にならない。

 

 例えるならばそんなところだろうか。

 

 城戸の動きはあまりにも自然で、日常的で、何の違和感も抱かせなかった。

 

 そして城戸は片倉と薫子がその動きを咎める前に、大振りのナイフの刃を薫子の腹へ埋め込んでいたのであった。

 

 鈍い音。

 

 肉を貫く感触。

 

「……え?」

 

 薫子の声は小さかった。

 

 理解が追いつかない。

 

 自分の腹に突き立てられたナイフを見下ろし、そして城戸の顔を見上げる。

 

「悪い、押野。俺にも事情があるんだ。死んでくれ」

 

 城戸の声は感情を欠いていた。

 

 謝罪の言葉とは裏腹に、その目は冷たく薫子を見下ろしている。

 

 ナイフをぐりと抉るようにひねる。

 

 内臓を掻き回す激痛が薫子を襲った。

 

「がっ……」

 

 口から血が溢れる。

 

 赤黒い液体が顎を伝い、床に滴り落ちた。

 

 片倉は一瞬遅れて事態を把握した。

 

 振り返った時には既に、薫子の腹にナイフが深々と突き刺さっていた。

 

「城戸さん……!」

 

 片倉の声には驚愕と怒りが混じっている。

 

 しかし城戸は薫子から手を離さない。

 

 むしろ更に深くナイフを押し込む。

 

 薫子の足から力が抜けていく。

 

 膝が折れ、崩れ落ちそうになる体を城戸が無理やり支えている。

 

「なんで……」

 

 薫子の声は掠れていた。

 

 血の混じった唾液が唇の端から流れ落ちる。

 

「桜花征機の企業探索者を始末しろってな。そう依頼された」

 

 城戸は淡々と言葉を続ける。

 

「岩戸重工としては目ざわり、らしいぜ」

 

 ──岩戸重工

 

 その名前に片倉は目を見開いた。

 

 城戸の左腕、あの液体金属の義肢。

 

 それが岩戸重工製だということは先ほど聞いたばかりだ。

 

「あんた……最初から……」

 

 片倉の言葉を、城戸は肩をすくめて受け流す。

 

「まあな。でも俺も好きでやってるわけじゃねえんだ」

 

 薫子の体がぐらりと傾く。

 

 もはや自力で立っていることもできない。

 

 城戸はナイフを引き抜いた。

 

 べちゃりという音と共に、大量の血が床に広がる。

 

 薫子は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 

「か……片倉……さん……」

 

 薫子が片倉を見上げる。

 

 その瞳には無念と、そして何か伝えたいことがあるような切実さが宿っていた。

 

「まあ無理だろ。ただのナイフじゃねえからな。探索者にもしっかり効くようべったりと毒が塗ってある。ナノ毒ってやつさ」

 

 ナノ毒とは、ナノメートル(10億分の1メートル)サイズの微粒子を利用した毒物の総称である。

 

 従来の化学毒や生物毒とは異なり、物質のサイズ効果を利用して生体に害を与える新しいタイプの毒物として分類される。

 

 ナノ毒の主な特徴は、その極小サイズゆえに細胞膜や血液脳関門などの生体バリアを容易に通過できる点にある。

 

 通常の物質では到達不可能な組織や細胞内小器官にまで侵入し、直接的な損傷を与えることが可能なのだ。

 

 ただ、モンスターには例によって通用しない。

 

 むしろナノ毒による細胞の損壊を克服し、より強靭になって牙を剥いてくる。

 

 城戸は血に濡れたナイフを無造作に振り、片倉に向き直った。

 

「さて、片倉。お前はどうする?」

 

 挑発するような口調だった。

 

「てめえ……!」

 

 片倉の中で怒りが爆発する。

 

 ──また、ダンジョンが……いや、違う

 

 今回は違う。

 

 殺したのはダンジョンのモンスターではない。

 

 同じ探索者であり、つい先ほどまで共に戦っていた城戸だ。

 

「なんでだ、城戸さん!」

 

 片倉が叫ぶ。

 

 城戸は面倒臭そうに首を回した。

 

「なんでって言われてもな」

 

「金か? 金のためにあんたは……」

 

 片倉の声が震える。

 

 金? と城戸は鼻で笑った。

 

 だが。

 

「金……まあ、そうだな。そういう事にしておこう。で、どうするんだ? 俺は目的を果たした。お前を始末しろとまでは言われてねぇからな。ただし──」

 

 城戸が言葉を切る。

 

「お前が俺を殺そうとするなら話は別だ。正当防衛ってやつで、遠慮なくやらせてもらう」

 

 脅しではない。

 

 城戸の目は本気だった。

 

 薫子はまだ生きている。

 

 浅い呼吸を繰り返し、血の海に横たわっている。

 

 このまま放置すれば確実に死ぬだろう。

 

 しかし城戸が立ちはだかっている以上、助けることはできない。

 

「どうだ。片倉、ここはお前も見なかった事にして──」

 

 ──ふざけるなよ

 

 瞬間、片倉は城戸の顔面を叩き潰さんという勢いで拳を放つ。

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