【屍の塔~恋人を生き返らせる為、俺は100のダンジョンに挑む】   作:埴輪庭

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第九十一話「城戸③」

 ◆

 

 片倉の拳が虚空を打った。

 

 城戸は最小限の動きで顔を逸らす。

 

 まるで風に揺れる柳のような自然さだ。

 

 返す刀でナイフが片倉の脇腹を狙う。

 

 銀光が弧を描く。

 

 片倉は後方へ跳躍し、間合いを取った。

 

「おっと、熱くなるなよ片倉」

 

 城戸の声は相変わらず飄々としている。

 

 だがその眼光は研ぎ澄まされたナイフの鋭さを孕んでいる。

 

 氷の刃のような視線が片倉を射抜く。

 

 薫子は血溜まりの中で浅い呼吸を続けていた。

 

 赤黒い液体が床に広がり、不吉な模様を描いている。

 

 堂内に二人の探索者が対峙していた。

 

 片倉の全身から立ち上る怒気は、まるで見えない炎のように空気を歪ませている。

 

 筋肉が微細に震え、血管が浮き上がる。

 

 獣が牙を剥く前の緊張感を前に、城戸も警戒の姿勢を崩さない。

 

「なんで押野さんを……」

 

 片倉の声は低く唸るようだった。

 

「言っただろ、仕事だよ」

 

 城戸がナイフを構え直す。

 

 血に濡れた刃が薄暗い堂内でぬらりと光った。

 

 まるで生き物のように、獲物の血を舐めるかのような妖しい輝き。

 

「桜花征機の探索者を始末する。それが依頼だった」

 

 淡々とした口調。

 

 まるで今日の天気でも語るような軽さだった。

 

 片倉は歯を食いしばる。

 

 奥歯が軋む音が、静寂の中に小さく響いた。

 

「お前もわからない奴だな。期待してるんだろ? 本当はもっと違う理由でいて欲しいって、よ」

 

 その声には自分でも理解できない何かへの苛立ちが滲んでいた。

 

 眉間に刻まれた皺が、内なる葛藤を物語る。

 

「なあ片倉、俺は押野だけを始末すりゃよかった。なのに、なんでお前を誘ったと思う?」

 

 問いかけ。

 

 だが答えを求めているようには聞こえない。

 

 片倉は答えない。

 

 ただ鋭い視線で城戸を睨みつけている。

 

「分からねぇんだよ、俺にも」

 

 城戸は自嘲気味に笑った。

 

 唇の端が歪に吊り上がる。

 

「"これ"もそうだな。山田たちと一緒に帰らせりゃよかった。そうすりゃ面倒もなかった。なのに俺は……」

 

 言葉が宙に浮く。

 

 城戸自身にも説明のつかない衝動。

 

 それが彼を突き動かしていた。

 

 堂内の空気が重く沈殿する。

 

 血の匂いと、古い木材の腐臭が混じり合う。

 

 片倉の握る刀剣が微かに震えた

 

「城戸さん……あんたは」

 

 片倉が言いかけたその瞬間。

 

 城戸が動いた。

 

 床を蹴る音すら立てない、滑るような踏み込み。

 

 ナイフが下段から跳ね上がる。

 

 片倉はそれを受ける。

 

 金属同士が激突し、火花が散った。

 

「考えてる暇はねぇぞ!」

 

 城戸が吼える。

 

 連続してナイフが閃く。

 

 横薙ぎ、突き、斬り上げ。

 

 その動きは洗練されていた。

 

 だがどこか違和感がある。

 

 ──本気じゃない

 

 片倉はその違和感の正体に気づいていた。

 

 城戸の攻撃は鋭い。

 

 技術も申し分ない。

 

 だが決定的な一撃がない。

 

 ──あれはどうした。あの腕の刀は

 

 城戸は銀刀をいまだに抜かない。

 

 ──いや、抜けないのか? 

 

 まるで自分でも何をしたいのか分からないまま戦っているような──そんな迷いが動きに現れていた。

 

 片倉は防戦に徹しながら、城戸の顔を観察する。

 

 汗が額を伝い、顎から滴り落ちる。

 

 呼吸は荒い。

 

 だがそれは疲労によるものではない。

 

 内なる混乱が、肉体に現れているのだ。

 

「どうした城戸さん! 本気でやれよ!」

 

 片倉が叫ぶ。

 

 挑発ではない。

 

 むしろ懇願に近い響きがあった。

 

 その言葉に城戸の動きが一瞬止まった。

 

 ナイフを構えたまま、虚空を見つめる。

 

「本気……か」

 

 呟き。

 

 そして再び刃が交錯する。

 

 刀剣とナイフが激しくぶつかり合う。

 

 火花が散り、金属音が堂内に響いた。

 

 二人の周囲で空気が渦を巻く。

 

 戦いながら城戸の頭の中では混乱が渦巻いていた。

 

 ──俺は何をしている? 

 

 片倉を殺したいわけじゃない。

 

 ふと玲子の顔が脳裏をよぎる。

 

 ──俺は一体、何がしてぇんだ? 

 

 困惑が城戸の動きを鈍らせる。

 

 ほんの一瞬の隙。

 

 だが熟練の探索者にとっては致命的な隙だった。

 

 片倉は見逃さなかった。

 

 低い姿勢から爆発的に踏み込む。

 

 まるで地を這う獣が獲物に飛びかかるような、原始的な動き。

 

 ナイフが振るわれる。

 

 城戸は咄嗟に避けるが、刃が脇腹を掠めた。

 

 布地が裂け、皮膚が切れる。

 

「ぐっ……!」

 

 血が滲む。

 

 赤い線が戦闘服に広がっていく。

 

 しかし城戸の顔には痛みよりもむしろ安堵のような表情が浮かんだ。

 

 まるで待ち望んでいたものを、ようやく手に入れたような。

 

「やるねぇ……」

 

 城戸が血の滲む脇腹を押さえながら呟く。

 

「悪くは、ねぇな。全然悪くはない」

 

 片倉はナイフを構えたまま、訝しげに城戸を見つめる。

 

「何を言ってる」

 

「いや、なんでもねぇ」

 

 城戸は首を振る。

 

 そして再びナイフを構えた。

 

 だがその構えは先ほどとは違っていた。

 

 迷いが消えている。

 

 堂内の空気が変わった。

 

 先ほどまでの混沌とした気配が収束し、研ぎ澄まされた殺気へと変質していく。

 

 片倉も本能的にそれを感じ取った。

 

 全身の筋肉が警戒態勢を取る。

 

「来るか……」

 

 呟きと同時に、城戸が地を蹴った。

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