文化祭当日
午前中のクラス別の飲食店や展示会の時間も終わり、午後のメインイベントである個人ステージが始まる。
合唱、コンビ漫才、マジックショーなど生徒たちが披露する芸種は多く、僕たちの他にもバンドを組んで申し込んでいたグループもいくつかおり、ドラムセットまで持ち込んでいるところもあった。運営委員会で決められたプログラムの順番では準備により大荷物が必要な出し物は後ろのほうに回され、準備が少なく済むものは早めに出番が回ってくる。
僕とひとりも持ち物はキーボード、ギター、その他周辺機器という比較的簡単な用意のため、順番はちょうど真ん中あたりだ。
プログラムはつつがなく進み。着々と出番が近づいてくる。幕横の控えスペースからステージを覗くと、今のステージ上には男子が一人でサックスを持ち、最近映画が公開された全国的に有名なアニメの主題歌を独奏している。管楽器には疎いが、高い演奏技術であることは分かる。きっとこの日のために練習を積み重ねてきたのだろう。その練習の成果は演奏中に時折聞こえる「すげー!」という歓声が物語っている。
僕とひとりも負けていられない。ステージに立つに相応しいパフォーマンスのための特訓を積んだのはこちらも同じだ。キーボードの電池は確認した。設定も間違っていない。チューニングもできている。あとは出番を待つのみ。
緊張する。あと数分もすれば100人を超える生徒達の前で演奏するのだ。
怖い、でもそれと同時に、わくわくする。
磨き上げた自慢の弾奏をあの聴衆に見せつけられる。どんな顔をするだろうか、どれだけ湧かせられるだろうか。何十万回も動画を再生させた僕ら兄妹の実力は伊達じゃないってことを教えてやる。
なあそうだろ妹よ
「あばっ…あがっ…あばばばばば…」
その妹は部屋の隅で机の下に入り込んで縮こまり、バイブレーター機能を常時オンにしたかのごとく震えていた。
「ひとり、ちゃんと深呼吸はしてる?」
「し、してるけど…やややっぱり緊張するよぉ…」
参った。想像以上にガチガチになっている。落ち着かせるために飲み物を与えたり緊張が取れる手のツボを押したりといろいろ試してはいるが、プログラムが進んで出番が近づくたびにまた緊張するのを繰り返している。僕でも怖いと思うんだ。この子にはきっとその何倍もの重圧がのしかかっているのだろう。
「大地震とか来て中止にならないかな…」
まずい。完全に逃げ腰になっている。このままステージに上がってもパフォーマンスの発揮どころかギターを弾くことすら危うい。
どうする、本当に出演を辞退することを考えるべきか。出番が来る前に体調不良を訴えればまだ面目も保てる。ステージ上で動けなくなるよりはマシだ。決断するなら早く───
『3年1組の岡田さんに伝えたいことがあります!』
頭の中で思考を巡らせていると、いつの間にかサックス奏者の演奏が終わっており、不意にステージのスピーカーからそんな声が聞こえてきた。
嘘だろ!? ヤバい!この流れは!
「危ない!!」
「え、ひゃっ!?」
『岡田───さん!好きです!付き合ってください!』
───危なかった。こういうことがあるとは聞いていたが、まさかこの学校で公開告白なんてやる奴が出るとは。
ひとりの耳を塞ぐのがあとほんの少し遅れていればひとりの砂人形より脆い青春コンプレックスを貫かれ、再起不能に陥っていただろう。ナイスファインプレーだ、自分
『『キャアアアアアーーーー!』』
女子の甲高い黄色い悲鳴が聞こえる。まだ答えは出てないのか岡田さんとやら。少なくともこれが終わるまではひとりの耳を塞ぐ手を離すわけにはいかない。
「ゆ、ゆうちゃん…?」
唐突に手で顔を掴まれて目を丸くしてこちらを見るひとり。耳を塞いでいるから説明しても聞こえないだろう。ごめん、訳がわからないと思うけどもう少しこのまま───
あれ?
ひとりの震えが、止まっている
びっくりして気が紛れたのか、今まで深呼吸もツボ押しも効かなかった緊張は、今のひとりには感じられない。
これは絶好の機会だ、今の状態を維持したままステージに行ければひとり本来のパフォーマンスを発揮できる。でもどうやって?耳を塞いでいるから声は届かない。ジェスチャーも無理だ。どうすればいつもギターを弾く時のひとりに
『…ふへへっ』
………
そうか
言葉なんて、いらないじゃないか。
僕のキーボードとセッションしている時に、言葉なんて交わす必要はなかった。目を合わせれば、次の瞬間には二人で音の世界に入っていた。
いつも通り、いつも通りでいいんだ。
僕はひとりの頭を少し傾け、こちらに向けさせる。ひとりの青い目と僕の目の視線が交差し、じっと見つめ合う。
そのまま、現実と空間が切り離されたようにゆっくり時間が流れた。ほんの数秒のはずなのに、まるで何分もそうしていたように感じる。
そう思った時、空間に動きがあった。
「…もう大丈夫だよ、ゆうちゃん」
ひとりが口を開く。
「私、行ける。いつもみたいに、ギター、弾けるよ」
なんだ、外でもそういう顔、できるじゃないか。
よかった。このやり方は間違ってはいなかった。ひとりの緊張を解すだけじゃなく自信も持たせることができた。
そうだひとり、お前はすごい奴なんだ。その調子でステージの上で僕らの力、見せつけてやろう。
「え、あの、ゆうちゃん?私もう大丈夫だよ…?なんでまだ頭抑えたままなの?ねえ…?」
『はい!よろしくお願いします!』
『『キャアアアアアーーーーッ』』
うん、まだだね。今ヤバい劇物が投げ込まれてるから。あれ食らうと今度こそトドメ刺されるから。
そしておめでとう、岡田さん、サックスの人。
『次のプログラムは双子兄妹バンド「G.T.ロッカーズ」です』
アナウンスと共に幕から進み出る。僕はキーボードとスタンドを持ち、ひとりはギターを肩にかけて
スタンドにキーボードを乗せ、マイクの高さと距離を合わせる、ひとりと共にシールドをアンプに繋ぐ。
『双子なんだって』『すごい似てるー』観客席からそんな声が聞こえてくる。
「G.T.Rockers」僕ら二人のバンド名。GTは単純に後藤の母音、Rockersはひとりの目指すロックなミュージシャンとなることを意味して名付けた。
お互い真横に並び立つ。指を鍵盤に乗せる。
準備は完了した。いつでもいける。僕がイントロから切り出せばひとりのギターも合わせてくる。何度も何度も練習したんだ、絶対にやれる。
ひとりの方を向くとひとりと目が合う。若干不安げな顔を浮かべたが、その不安を振り払うかのようにぶんぶんと頭を振ってから向き直る。そして力強く、頷いた。
そして僕は鍵盤の上で指を跳ねさせた。
セトリは三曲。一曲目はオーチューブに上げられている人工音声の個人オリジナル曲だが、総再生数は5000万を超え、ネット上で非常に高い知名度を誇る曲だ。ピアノのイントロから繋ぐギターパートは聴く者に爽快な疾走感を与える。掴みの一曲目としては良い選択だと思う。
キーボードに指を走らせながら頭の中で歌詞を浮かべて喉から声を出す。指への意識はない。意識しなくても弾ける。歌にさえ気をつけていればいい。
アウトロのギターとピアノのハーモニーを弾き切る。
その演奏が終わった瞬間、100人を超える数の拍手が僕らに向けられた。
これがライブか。なんて気持ちいいんだ。
一曲目が終わると自己紹介を挟んでから二曲目に入る段取りだ。姿勢を正して正面を見据える。
「こんにちは、僕らはG.T.Rockersです。僕らは双子の兄妹で、ギターとキーボードだけですがバンドを組んでいます」
どこからか「後藤ー!」「後藤くーん!」と聞こえた。おそらく僕のクラスメイトだろう。少なくはあるが「後藤さん」も聞こえた…気がする。
「メンバーを紹介します。ギター、妹のひとり!」
いつでも弾けるよう身構えていたひとりがギターからピックスクラッチで音を掻き鳴らす。当初ここで歯弾きをしたいと言ってきたが見ていて怖かったので没とした。
「そして僕、キーボードアンドボーカル、兄の優一」
ピアノの音でちょっとしたメロディーを奏でる。自己紹介だからこれくらいでいい。
「あと二曲続きますのでそれまでお付き合いください。それでは二曲目ーーー」
二曲目の流行りの邦楽をコピーした曲を弾き終わり、いよいよラストの三曲目となる。観客の中には興奮してきた生徒もいる様子が窺える。
ラストはひとりが最も気に入っている洋楽のロックジャンルの曲だ。知名度は邦楽と比べて落ちる。だがひとりが文化祭ライブに出るならこれで盛り上げたいと熱望した曲だ。この曲で最高の思い出を作りたいと。
この曲で歌う気はない。二人の演奏技術の集大成にしたい、だから全力の演奏をしようと。二人で決めた。
ひとりの方を見る。これほどの熱気ある空気と注目の視線を受けたのは人生でも初めてだ。この初めての経験にひとりは気負いしていやしないか心配だった。
ひとりは俯いてギターのほうを見つめているためその様相は分からない。それでも少しでも勇気の出る言葉をかけてやりたかった。あまり長くは喋れない。なにか一言
たった一言でいい
「ギターヒーロー」
そう呟くとひとりははっとしてこちらに顔を向ける。僕はひとりと視線が合うと、悪戯を企む子供のように口角を上げ、握り拳に親指を立てた。
「やってやろうぜ」そう意味を込めて
きっと意味は通じた。それを見たひとりは口元を緩ませ、同じくこちらに向かって親指を立てた。
そして何か一言発してひとりはしっかりと前を見据えた。声は小さくて聞き取れなかったが、口の動きで何を言ったか分かった。
「キーボードマン」と
そして今、僕とひとりの、僕ら兄妹の全てを乗せたライブが始まった。
ヒーローの隣に並び立つ仲間とは、なんとも幼稚な名前だと思っていた。でも今はこの名前が誇らしい。この臆病なヒーローと共に戦えることを、とても嬉しく感じている。こんなにも素敵で、かっこいい音を奏でられる妹の伴奏ができるなんて、幸せとすら思えてしまう。
ひとりの音が会場を駆け巡る。誰にも邪魔されず好き放題に走り回る。
合わせる必要はない。合わせようとしなくても、勝手に指が合わせてくれる。ひとりとセッションした分だけ、指がひとりの音を覚えている。鍵盤を叩く力に熱が入る。感情を音に乗せて楽器から出ていく。こんなに熱くなってキーボードを弾いたことはなかった。
今の僕とひとりは間違いなく、このステージを支配したロックミュージシャンだった。
終奏を迎える。終わってほしくない、こんなに楽しい時間なのに、終わらなければいいのに。
その願いも虚しく最後のキーを抑え、余韻を残して音が消え去る。
終わったのか?興奮しすぎて心臓が痛いくらいにドキドキする。観客は?なぜこんなにも静かなんだ?まさか夢中になりすぎて何かやらかしてしまったのか?
刹那の間だけそんな疑問を頭の片隅に浮かべたが、
次の瞬間
会場が湧いた。
手を拍手に使うのが惜しいと言わんばかりに手を振り、拍手ができない代わりに歓声でステージ上の奏者を讃えていた。
すごい。この喝采は全部僕らに向けられている。これがバンドライブなのか。この達成感、この解放感、注目されすぎて、目立ちすぎて、頭がおかしくなりそうなのに、全然嫌な気分じゃない。逆だ。すごく気持ちが良い。
僕はキーボードの前に進み出て手を振っている生徒達に自分の手を振り返す。
「後藤ー!」
「後藤かっけええーー!」
「後藤さんすごかったよー!」
「後藤さーん!!」
聞いたかひとり、今ひとりのことをすごいって言ってくれる人がいたよ。これだけ文化祭ライブを盛り上げたんだ。今のひとりは間違いなくパリピだ。陽キャになれたんだ。だからひとりもこの声援に応えて手を振ろう。いつまでもうつむいてないで、今日だけは調子に乗って良いんだ。この空気に乗っかって自分を解き放とう。どうしたんだひとり、そんな青い顔をして、そんな顔してたらみんなに失礼だよ。さあ顔を上げて、ちやほやされるために注目の的になってこの視線を全身に受けて───
「オ゛エ゛ッ……
オ゛ロ゛ロ゛ロ゛ロ゛ロ゛ロ゛……」
ああ神様
どうしてこの世界は、この子にとって、こんなにも生き辛いのでしょうか