Key,boardman   作:rocket

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得られたもの

 

 

「う゛ぅ…ぐすっ……」

「……」

「う゛ぅぅぅぅぅぅ……」

 

 文化祭が終わったその日の夜、妹は抱きついて僕の胸に顔を埋め、泣き声とえずきを立てて僕のシャツを涙と鼻水でびしゃびしゃに濡らしていた。僕はただひたすらに頭と背中を撫でて慰めていた。

 

 もう4時間は経っただろうか。濡れたシャツが冷えて寒くなってきたし、ひとりを乗せている足も痺れてきた。

 

「ひとり…もうそろそろ泣き止んでくれないかな…?」

「やだぁっ…離れたくないぃ…」

「ひとり〜…」

 

あと何時間止まり木になる羽目になるのかと思うとため息が出る。

 

 ひとりが嘔吐したあの後、在校生の文化祭運営委員会の手によって現場は清掃された。手を汚してでもステージ進行に努めてくれた彼らには頭が上がらない。

 先生方の勧めもあって、僕らは早退が許可された。文化祭の片付けを全て押し付けてしまったクラスメイトにはちゃんと謝罪をしなければ。

 

 あんなことがあったんだ、帰ったらしばらくは一人だけにしておいた方が良いだろうかと考えたが、ひとりは僕と一緒にいることを選んだ。それからは僕の上に乗って、丸くなって胸に埋まりながら延々とすすり泣いている。

 

「ゲロ女って言われる…ゲロ女だって絶対指差される…」

「また言ってる…うちの学年にそんなことする人いないから大丈夫だって…」

「後輩が『おーい、ゲロ女先輩見に行こうぜ』って言っていっぱい友達連れてきて廊下から見られるんだ…陽キャの話のネタにされるんだ…」

「なんでそんな具体的に考えるの…」

 

 この子のネガティブ思考も年々レベルアップしてる気がする。想像力豊かになると言えば聞こえはいいが、この子の場合完全にマイナスに働いている。

 

「そんなことやったら僕が怒るし、僕がクラスメイトのつてで触れないでほしいってお願いするから大丈夫だよ。それに人の噂も75日っていう言葉もあるでしょ?75日も経てばみんな興味もなくなるよ」

「ながいぃぃぃ………」

 

 うん、確かに長いかも。ほぼニヶ月半噂され続けるのはさすがにキツい。実際は一ヶ月も続かないと思うけど、それを伝えてもたいした慰めにはならないだろう。

 

「もう学校行きたくない……学校やめて誰も知らない遠いところまで逃げたい……」

「ひとり…お願いだからそういうこと言わないでよ…逃げたところでどうやって生きていくの」

「ゆうちゃんも一緒に来て……」

 

 そしてこうなる。小さい頃から面倒を見てきたせいか、僕さえいればなんとかなると考えている節がある。実際ひとりができないことは僕がやっていたし、ひとりを守るためならなんでもするが、非現実的な話となれば別問題だ。中学生の兄妹が家出して生きていくなど簡単に了承できる話ではない。

 

「僕がついて行ったとしてどうなるのさ」

「私達のことを知らない遠いところまで一緒に逃げよ……?四畳一間のボロアパートで兄妹身を寄せ合って生きていこ……?」

「なんで泣きながらそこまで考えられるの…?遠くまで逃げたとしても生活できないよ」

「ゆうちゃんなら頭良いから公務員とか安定した仕事に就けるから……だから私を養ってよぉ……」

 

いくらなんでも14歳で公務員になるのは無理だ。そして実の兄に駆け落ちを提案した上に兄のヒモになりたいとまで言うか。

 

「お布団干すから……お皿洗うから……ゴミも出すから……ねぇお願い……」

 

それ今できる家事手伝いの範囲だよね?養われるならもっといろいろやってくれないと困るんだけど

 

「とにかく、僕は誰にも悪口は言わせないし、言ってきた奴がいたら誰であろうと許さない。だから学校行かないなんて言わないでひとり」

「うぅぅぅ………」

 

また顔を胸に埋めるひとり。これはまだ相当長くなりそうだと考えた時だった。

 

「こんなはずじゃなかったのに…文化祭でライブして盛り上げたかっただけなのに…」

「うまくいかないことなんて誰にでもあるよ。今回がそうだっただけ」

「こんなことなら、ギターなんて始めなきゃよか

 

 

「駄目だひとり」

 

 

「ゆうちゃん…?」

「ひとり、それは言っちゃ駄目だ」

 

駄目だ。それだけは駄目だ。この子の極度の人見知りを理解できる人は多くない。この子にはあまりにも味方が少ない。だからこそ

 

「自分」という最大の味方まで失うようなことを言わせては、駄目だ

 

「ひとり、自分の努力を否定しちゃ駄目だ。そんなこと言ったらひとりはきっと自分を嫌いになる。僕はそうなってほしくない」

「だって…ギターを始めなかったら文化祭をめちゃくちゃにすることなんてなかった…!こんな思いすることなかった…っ!」

「ひとりはギターを頑張って弾けるようになった。それは何のためだった?」

「ぶ、文化祭でライブしたかったから…?」

「そうだね、その目標を達成するためにひとりはギターを頑張った。僕が大事にしてほしいのはその過程だ。ギターを弾く努力をしたからこそ、得られたものはいっぱいあったよね」

「え…?」

 

「ギターは上手くなった、音符もコード譜もタブ譜も読めるようになった、ギターヒーローとしてネットで人気者になった」

「でも…そんなのギターのことだけだし…」

「もちろん、それだけじゃない」

「え?」

「ひとり、ギターを始めてから可愛くなったよ」

「かっ、かかかかわっ!?」

 

顔を赤くして照れ隠しのつもりかまた身体を丸めて顔を隠してしまうひとり。

くぐもった声で「そんなこと…」「むしろゆうちゃんのほうが…」とか言ってるが、まだ自分を否定するのなら話を止めるわけにはいかない。駄目だよ。ちゃんと聞いてもらうから

 

「ギターを始める前はさ、ひとりあまり笑わなかったよね。昔はそういう子だと思ってあまり気にしなかったけどさ」

「でもギターを持って、コードを覚えるたびに、新しい曲が弾けるたびに、嬉しそうに笑ってさ、初めて知ったんだ。ひとりはこんなに笑える子なんだって」

「いつも一緒にいたのにおかしいよね。ひとりのことならなんでも知ってると思ってたのに、僕はひとりのことを全然分かってなかったんだって、ちょっとショックだったよ」

「……」 

 

ひとりは黙って聞いている。

 

「笑ってるひとりが可愛いからもっと見たくなって、ギターが上手くなったらそれが叶うと思ったから、頑張ってできないこともできるようになってほしかった」

「僕もひとりと一緒に演奏できるようになって、キーボードがもっと楽しくなった。ひとりと弾いてる時が一番楽しくて好きな時間になった」

「だから今、お礼を言わせて。ギターを弾けるようになってくれて、ありがとう」

 

「ゆう…ちゃん…」

「結果的に文化祭は失敗しちゃったけど、今日の演奏は本当に今までで一番楽しい時間だった」

「忘れろ、というのは難しいかもしれないけど、このままギターを続けてればいつか必ず笑い話にできる。ひとりのギターはそれくらい凄いんだって信じてる」

「だから、ギターを始めたことを後悔しないで。頑張った自分を褒めてあげて」

「僕はギター弾いてるひとりのことが、好きだから」

「うぅ…う゛わあぁぁぁぁぁ!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」

 

そこまで言い切ると、ひとりは今までにないほど感情的になって泣き声をあげた。ひとりは感情をうまく表に出せる子ではない。だから自分の中で混ざり合った感情を整理できなくなったのだろう。ひとりはただ泣き喚いた。溜まったものを吐き出すように、ぐちゃぐちゃになって収拾がつかなくなったものを捨てるように。

 

今はこれでいい。

いらないものは今、全部ここで出してしまえ。泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、また明日を生きる為に、気が済むまで泣くといい。僕はひとりのためなら、やれることは全部やるから。

 

 

 

 

 

 

後日、ひとりは学校を休んだ。

 

 僕はあの後の雰囲気でステージに上がることになった演者に謝罪しに回った。彼らは気にしていないと快く許してくれた。そればかりか、それよりも妹さんは大丈夫なのかとひとりのことまで気遣ってくれた。

 クラスの皆にも文化祭の片付けを押し付けて帰ったことを謝罪し、同時にひとりに文化祭のことはどうか触れないでやってほしいとお願いした。

 幸いにも皆はひとりの失敗を同情的に見ており、他のクラスの友人にもこのことを伝えると同時に、下級生の後輩達にも強く命じると約束してくれた。この人情ある世代と同学年になれたことは神に感謝すべき幸運だろう。

 

 散々泣かせて発散させたとはいえ文化祭のことは黒歴史としてひとりの中で深く根付いたらしく、ひとりが勇気を出して学業復帰するまでには一週間を要した。その間僕が帰宅してからは今まで以上に僕と過ごしたがるようになり、セッションは深夜まで続ける日々でこの一週間はずっと寝不足だった。体力的にかなりキツかったが、不登校生にならなかったことと、ギターを嫌いにならないでいてくれたからよしとしよう。

 

 そして受験期に入り、進路を真剣に考える時期には、「ひとりのことを誰も知らない場所」と「ひとりの学力で入れる高校」を考慮した結果、金沢八景から電車でおよそ二時間離れた秀華高校を一緒に受験することになった。

 父さんからは「優一ならもっと偏差値の高い高校に入れる」と言われたが、「ひとりと一緒にやりたいことがある」「ひとりを放っておけない」と返したらそれ以上は何も言わないでくれた。もっとももしひとりと別の高校を受けたらひとりがヤバい状態になるので選択肢はなかったのだが。

 

こうして楽器も息抜き程度に我慢し受験生らしく勉強漬けの日々を送り

 

 翌春、僕らは共に合格しめでたく高校生となることが決まった。

 合格が出た日から今までできなかった分を取り戻すかのように楽器に没頭した。その初日に24時間ずっとセッションをやりたがるひとりには殺されるかと思った。

 

 この遠く離れた学校で0から始める道を選んだことで、奇跡的な巡り合わせで新たなバンドの仲間を得ることになるのを、僕らはまだ知らない。

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