「よし、これでもう大丈夫だろう」
フレディは額の汗を拭うと、使っていた道具を湯の張られた桶に放り込んだ。寝台ではまだ青い顔で白眼を剥いているものの、何とか呼吸を取り戻したレアが横たわっている。相変わらず死にそうなその表情に、アヤナはフレディの白衣の裾を引っ張った。
「ねぇ……これ、本当に大丈夫なの?」
ココロがレアの目を閉じさせてやり、メルニが絞った布巾をべちゃりとその額に乗せるのを横目にしながらアヤナはそう問い掛ける。
「危機は脱したよ。顔色が悪いのは……まぁ窒息で死に掛けたということもあるが、主な原因は食べた魔獣の肉に含まれていた瘴気に中てられた所為だな」
フレディは布巾を取り上げると、きっちりと絞り直してレアの額に置き直した。
「瘴気……それは、毒消しとかで何とかできないの?」
「難しいな。そもそも、瘴気と毒は根本的に異なるものでね。毒消しや《キュア》のような魔法は効かないんだ。時間を掛けて抜くしかない」
「そうなんだ……」
視線を落とすアヤナに、フレディは今回は運が良かったんだ、と肩を竦める。
「今回はハーピー……何であんなもの食おうと思えるのか正気を疑うが、とにかく、食べたのが比較的瘴気の少ない低級の魔獣で、体内に入った瘴気の量が少なくて済んだ。それから、早めに処置ができたことも大きいな。発見したメルニさんに感謝するといい。迅速に肉を吐き出させることが出来たからな」
「もし、体内に入った瘴気が多かったり、処置が遅れたりしたら危なかったってこと?」
「もちろん。身体が瘴気にどんどん蝕まれるし、場合によっては邪悪化してしまうことだってあるかもしれない。言っても分からない馬鹿については、僕も散々苦労させられてきたから一旦そっちの話に乗ったが……」
フレディは面差しを真剣なものに変えると、神妙な顔で話を聴いている三人娘一人一人に視線を合わせる。
「そういう時は力尽くでもいいから止めてやってくれ。特に、口に入れるものなんて大したものじゃないように見えて危ないものが沢山あるんだ。人が食べない、食べれないとしている物にはみんなそれなりに理由があるんだからな。こんなつまらないことで、仲間を失いたくはないだろう」
「分かったわ……気を付ける」
「わたくしも、一層気を配るようにいたします」
アヤナとココロは引き締めた表情で頷いた。前回の冒険ではあれだけの攻撃と毒を浴びながらも、肉さえ齧れば後は平気な顔で敵に突っ込んで行く不死身っぷりを見せていたレアが、今は青い顔でひっくり返っているのだ。受けた衝撃は並大抵のものではない。
「わたしも、気を付けるです……サミアさんとか、変なの食べそうですし」
一方のメルニは少し微妙そうな顔をして頷いた。やらかしそうな具体的な顔でも思い浮かんだらしい。
ともあれ、言いたいことはしっかりと伝わったようだと感じたフレディはよし、と一つ頷いて立ち上がった。テーブルに置いてあった薬包をまとめて手に取ると、アヤナへ手渡す。素直に受け取り、これは? という顔をした彼女へ説明を始める。
「瘴気への耐性を高める薬だ。一回毎に小分けしてあるから、これを日に二回、朝晩の食後に飲ませるように。三日もすれば回復する筈だ」
「分かったわ。二つ、訊いてもいい?」
ココロが差し出した袋に丁寧に薬包を納めながらアヤナは首を傾げた。フレディはあぁ、と鷹揚に頷く。
「患者と周囲に充分な説明をするのは医者の勤めだ。なんだ?」
「邪悪化って、何?」
アヤナの質問に虚を突かれたフレディは思わず目を瞬かせる。その反応に少し眉を顰めたアヤナは、隣のココロを振り返った。
「……一般常識的なヤツ?」
「はい。邪悪化とは、瘴気に侵された動物や人間が、魔獣や妖魔に変貌することを指します。彼らの殆どは、瘴気を通じて邪神の意志から影響を受け、わたくしたち神の子に牙を剥きます」
「妖魔って? その説明からすると魔獣の人間版って感じ?」
「はい。元となった神の子と同様、六種族ございます。わたくしと同じエルダナーンからはヴァンパイアが。レアさまと同じネヴァーフからはトロウルが、それぞれ邪悪化されて誕生しました」
他、ヒューリンからはフォモールが。フィルボルからはゴブリン。ヴァーナからバグベア、ドゥアンからはオウガが生まれたのだとココロは説明する。
「じゃあ、処置が遅れてたら、レアはトロウルになるところだったってこと?」
「いや」
アヤナが少し青ざめた顔でココロに訊くのを見て、フレディは口を挟んだ。
「邪悪化の話は警告のつもりで出したんだ。今回、実際にそうなる可能性はそこまで高くなかっただろうな」
「そうなの?」
ああ、とフレディは頷く。
「余程強い瘴気を浴びるか、長期間瘴気に曝され続けるでもしなければ完全に妖魔になってしまうことはない。人が一度に食べる量なんて高が知れているし、食べたのは瘴気の少ない低級の魔獣だ。仮に治療しなかったとしても、おそらく邪悪化まで至ることはなかっただろう」
酷く苦しむことになっただろうがね、と腕を組んで言うフレディに、アヤナはそう、と息を吐く。少し安堵した風なその表情に、彼はもっとも、と少し語気を強めて続けた。
「継続して食べたり、瘴気を多く含んだ強い魔獣を食べたりした場合は話が別だ。瘴気の濃さによっては身体の一部に異形が顕れたり、一時的に邪悪化してしまったりすることもあるだろう。そうなってしまうと瘴気が抜けたとしても、完全には元に戻らない可能性がある」
「そ、そうなるとどうなるの?」
「さて、それは実際にそうなってみないとなんとも言えないな。なにせ、症例の数だけ症状がある。肌が硬くなるとか、髪が硬質化するとかならまだいいんだが、場合によっては目が増えるだの、鱗が生えるなんてこともあるらしい」
「一時的に邪悪化してしまったのち、時折強く何かを壊したくなるような衝動に襲われるようになった方の話を、伺ったことがございます」
フレディとココロが語った後遺症に、アヤナは想像したのかうげぇ、とつい声を漏らした。
「どれもロクなもんじゃないわね……」
「そう、ロクなものじゃない……しかし、驚いたな。邪悪化を知らないとは」
「申し訳ございません」
「ん? 何故君が謝るんだ?」
突然頭を下げたココロに、フレディは訝しげに片眉を上げる。
「主さまにこの世界の十分な基礎知識を身に付けていただけていないのは、従者であるわたくしの落ち度でございますので」
「ココロが悪い訳じゃないでしょ。あたしだって積極的に学ぼうとはしてなかったし、そもそもそんな時間も無かったしね」
「ちょっと待ってくれ」
ココロの頭に手を置いて優しく叩くアヤナに待ったを掛けるフレディ。
「一気に話が分からなくなったぞ。アヤナ、君は何者なんだ? ココロさんは君に仕えているのか? この世界というのは? 違う世界があるのか?」
「あー、うん」
「アヤナさまは、アエマさまに導かれ、異世界から参られた勇者でございます」
問いを重ねるフレディの様子に微妙な顔で頷いたアヤナに代わり、ココロがそう答える。すると、話を横で聞いていたメルニが目を輝かせて食い付いた。
「勇者様ですか! それも、アエマさまがお選びになったですか! すごいです!」
「あ、うん。ありがと……」
手を握ってくるメルニに少し押され気味になりながら、アヤナは控えめに礼を言った。勇者をやるとは決めたものの、その称号はまだ自分には荷が勝ち過ぎていると感じているアヤナにとっては、その称号に向けられた賞賛は余り嬉しいものではないのだろう。それには気付かず、メルニはぱっ、とアヤナの手を離すとココロの手を取った。
「ココロちゃんに神託が降ったですか?」
「はい。この方に仕え、支えるように、と」
「凄いです! わたしはぜんぜん、お言葉を聞かないですから」
「メルニさまであれば、お言葉を賜るのもすぐだと思いますよ」
「あれ、アンタ達知り合い?」
朗らかに笑うメルニと、穏やかな笑みを浮かべるココロが親しげな様子で話をするのを見て、アヤナは首を傾げた。彼女にとっては偶然居合わせてレアの治療を手伝ってくれた恩人だが、ココロはもう少し深い付き合いがあるように見える。
「はい。メルニさまは以前から親交のある友人でございまして、共にアエマさまにお仕えしております。メルニさまも冒険者をされていまして、先日ギルドの話になった際に出させていただいた知り合いというのが、彼女になります」
「メルニステラ・エルステリオンです。長いので、メルニって呼んでくださいです」
「分かったわ。あたしはアヤナよ。よろしく」
アヤナは改めて差し出されたメルニの手を握ると、改めてフレディの方を振り返った。
「ごめん。話が逸れたわ」
「構わない。それで、異世界というのは?」
「あたしは……うーん、そうね。地球って世界から来たわ」
本来は星の名前であるが、他の世界の存在を認知していない世界に固有名詞など付くわけもない。だが呼び名がないのも困るのでそう答えると、アヤナは説明を続ける。
「地球には魔獣とか妖魔みたいなのはいないし、人間もこっちの人達みたいに寿命とか身長が大きく違う人種はいないわ。神様も……多分いない。知る手段がないだけかも知れないけどね。魔法も無いわ。代わりに科学が発展してる」
「そんな世界があるのか……想像がつかないな。魔法がないなら治療はどうなる? ポーション頼りか?」
「こっちみたいに飲んだだけで傷が治るような冗談みたいな薬はないわよ。基本、自然治癒任せで、それでどうにもならないところを薬や外科治療で補う感じね」
「そうなのか。大分遅れている……いや、魔法が無い世界なら仕方ないのか? どんな薬があるんだ?」
「あたしはただの学生だったから、そんな詳しくはないんだけど……」
冷静なように見えて思っていた以上にぐいぐい来るフレディに少し口元を引き攣らせながらも、アヤナは質問に答えていく。
「薬はそうね、痛み止めとか、ワクチンとか、抗生物質とか?」
「痛み止めは分かるが……後ろの二つは聞いたことがないな」
「ワクチンは簡単に言うと、弱くしたウィルスを身体に入れて、慣れさせるというか、抵抗力を高める薬かな。抗生物質は……身体の中に入った菌を殺して病気を治す薬ってくらいしか分からないわね」
「病を治す薬、か……それは本当に効果があるのか?」
疑わしげに眉を顰めるフレディに、アヤナの眉根も自然に寄った。
「あると思うけど。天然痘とかはワクチンで根絶されたって授業で習ったし、抗生物質は登場してから、多くの感染症が治療出来るようになったって本で読んだわ」
「効果があったのか!」
フレディは目を見開いて詰め寄ると、アヤナの肩をがっちり掴んでその顔を覗き込んだ。完全に腰が引けたが肩を掴まれている為逃げるに逃げられないアヤナは、少し身体を戦慄かせながら頷く。
「あたしは、そう聞いてるけど……さっきも言ったけど、あたしはただの学生なんだからその辺り全然詳しくないのよ。これ以上は答えられないわ」
「そうか……、っと、すまない。初対面の、それも女性に向かってする振る舞いじゃなかったな」
アヤナの震えを感じ取ったフレディは、自分の気の昂りに気付いて両手を離すと、頭の熱を散らすかのように目頭を揉みながら頭を下げた。アヤナは外套で少し身体を隠すようにしながら、別に、気にしてないけど、と目を逸らす。ココロとメルニの視線が厳しくなったのを感じたフレディは再び謝罪を述べた。
「いや、本当にすまなかった。僕の本業は薬師でね。病を治す薬と聞いて居ても立っても居られなくなってしまったんだ」
「え、こっちには病気を直す薬ってないの?」
「ある。あるんだが……正直、きちんと効果があるかどうかは微妙だ」
「え、薬師がそれ言っちゃうんだ?」
アヤナは目を丸くしたが、フレディは忸怩たる思いの滲む表情で頷いた。
「薬師だから言うんだ。こっちでは、瘴気を含んだ空気を吸ったからだの、魔族が土地に掛けた呪いの所為だの色々言われるが……瘴気が原因とされる病の患者に、さっきの瘴気への耐性を高める薬を投薬しても、投薬しない患者と比べて病状に大きな差はできない」
レアさんみたいな瘴気に侵された患者にはきちんと効果のある薬なんだけどな、と呼吸の落ち着いて来たレアを横目にフレディは言う。
「きっと、原因が違っているのだろうとずっと思ってきたが……アヤナ、君のおかげで確信できた。異世界から来たというのも信じよう。君の持つ常識は僕のものとは大分違うようだが、違う世界から来たと言われれば納得できる」
出来れば、その薬について深い知識を持っていてくれれば嬉しかったんだが、と冗談でも言うような軽い口調で彼は苦笑した。
「あら、言葉の割にはあんまり残念そうじゃないわね」
「残念だとも。ただ、薬師として薬学には非常に高度な専門知識が必要なのは理解できる。だから、君にその知識がないのは仕方ないと諦めがついただけだ」
「成る程、理性的じゃない」
「あまり虐めないでくれないか」
揶揄うアヤナの言葉に顔を顰めたフレディは、あぁ、でもそうだな、と、
「さっき君が言っていた、科学について教えてくれないか。魔法が無い代わりに、その科学というのが発展しているんだろう。ワクチンやら抗生物質やらの薬は、その科学の産物じゃないのか?」
「あー……まぁそうかも。でも科学かぁ……」
上手い言葉が見つからないのか、アヤナは腕を組んで頭を捻った。
「科学って結局、色んな学問が集まったものだから、説明が難しいんだけど……そうね、端的に言うと、なんでそうなるのか? をひたすら追求する学問かしら」
「それが科学なのか? 至って普通のことに聞こえるが……」
「まぁ、そうなんだけど」
眉を顰めたフレディに、アヤナは苦笑を返した。
「でも、その追及が半端じゃないのよ。さっきの病気の話だと、原因は瘴気を含んだ空気って言ってたじゃない」
「ああ」
「科学だと、その瘴気は何でできてるか、とかどんな性質があるのか、とか細かく調べるのね。調べられなければ調べるためには何が必要かってまた調べながら」
「それは……キリがないんじゃないか?」
そうかも、とアヤナは苦笑を濃くした。
「でも、過程で分かることはいくらでもあるわ。それで分かったことを確かめて、応用して、あたしの世界は発展してきたの」
苦笑を仕舞ったアヤナは指を一本立てる。
「あたし達の世界では、病がウィルスや細菌っていう目に見えない位小さな生き物が身体の中に入り込んで悪さをして起こるってことが分かってるわ。熱が出たり、咳込んだりするのはウィルスや細菌を殺したり追い出そうとする身体の防御反応だってことも。あたし達の世界は科学でそういうメカニズムを解き明かして、身体の免疫機能を強化したり、菌そのものを殺す薬を開発したりしてきたのよ」
「……今僕は、さらっと凄い知識の断片を聞かされた気がするんだが? というか、詳しいじゃないか」
「冗談。こんなの、子供でも知ってることでしかないわよ」
アヤナは何でもないことのように肩を竦めるが、フレディは難しい顔をした。
「目に見えない大きさというのは、どれくらいの大きさを指すんだ?」
「え、そうねぇ……髪の毛の太さの千分の一*1……とか? ごめん、よく分かんない」
「……どう考えても無理だな。そんな小さなものを見る技術なんて聞いたことがない。その科学という学問においては、この世界は大分遅れているようだ」
自分の目で確かめてみたかったのだろう、歯噛みしながらフレディは首を振った。
「まぁ、こっちの方でも多分凄い顕微鏡とかじゃないと見えないから……ちょっと気になったんだけど、結局こっちの世界では病気はどうやって治すの?」
「あぁ、薬と食事を与えて、後は回復するまで安静にさせる」
「その辺りはこっちと同じね」
「後は経過を見ながら、体力が消耗してきたらHPポーションで回復する。場合によってはアコライトを呼んで《ヒール》や《レイズ》で持ち堪えさせることもあるな」
「一気に魔法とかでゴリ押しになったわね……もしかして、そういうゴリ押しで何とかなるから科学が発展してないのかしら」
必要がないと学問も技術も発展しないし、とアヤナは額に手を当てる。
「そういうことも、あるかもしれないな……すまない、こちらも大分話を逸らしてしまった。訊きたいことはもう一つあるんだろう?」
「え? あー、そうだった」
忘れ掛けていたのだろう、アヤナは一つ手を打った後、気不味そうに顔を逸らした。
「その、なんだけど。レアの治療費とかは……」
「あぁ、そのことか。彼女に直接請求しようと思っていたが……」
「いくらくらいなの?」
「そうだな……」
フレディは少し顎を摩った後、アヤナに金額を提示した。アヤナはココロと顔を見合わせる。
「……足りる?」
「共有財産のみでは全く。後はレアさまの所持金からになりますが……」
「レアよ? どうせまた有り金全部肉に突っ込んでるに決まってるじゃない」
最後に見た時より膨れ上がっていそうなレアの背嚢を指して言う。ココロは眉尻を下げた。
「でしたら、わたくしの貯蓄を崩せば……少し、生活面で主さまにご不便を掛けることになりますが」
「……背に腹は変えられないか。レアがこの調子じゃ依頼は受けられないだろうしね……」
アヤナはサイドテーブルに置いてあった依頼書を手に取った。
「せめてこの依頼に出れれば解決するんだけど」
「待て。そう言えば、ここに来る時、依頼を受けて来たと言わなかったか?」
「言ったけど」
「依頼に出れないならば当然キャンセルになるだろうが、違約金はどうするつもりだ?」
「え"っ。そんなのあんの?」
アヤナは目を皿にして依頼書に目を通し直す。その視線は一点で止まると、がくりと頭を落とした。ココロに問題の箇所を指し示しながら依頼書を見せる。
「あったわ……どうする、ココロ」
「わ、わたくしの手持ちから、なんとか」
「ちょっと、声震えてるわよ。どうする? 何とか二人だけで行ってみる?」
「なりません。わたくしだけでは、主さまを護りきることは不可能でございます。このようなことしか申し上げられない我が身を恥じ入るばかりでございますが、どうかご再考ください」
「あー、うん、ちょっと言ってみただけだから。ね?」
若干涙目になったココロを撫でながら、どうしたものかとアヤナは溜め息を吐く。実際問題駆け出し冒険者の彼女達に金はない。冒険に出る直前であれば尚更だ。だからといって前衛がいない今の状態で冒険に出ても、囲んでタコ殴りにされるのが目に見えている。ここでリスクを取れる程、アヤナは馬鹿ではなかった。
やはり目の前の健気な従者の財産を切り崩してもらうしかないかと苦悩するアヤナを見て、フレディは少しだけ茶色の瞳を天井へ向けると、肩の力を抜くように息を吐く。
「仕方ないな。なら、こういうのはどうだ」
「え?」
「僕が同行しよう。僕は副業として冒険者もやっていてね。得物はナイフ。斬るのも投げるのも得意だ。報酬はまず僕が全体の三分の一を貰う。その後、残りから今回の医療費を貰おう。どうだ?」
「どうだって……いいの?」
呆然と訊き返すアヤナに、フレディは薄く微笑った。
「今回、君からは随分と面白い話を聞かせてもらった。その礼ではないが、少しくらい手伝ってみてもいいかと思ってね」
それよりもいいのか? と彼は少し含むような笑みを見せる。
「さっきの条件、君達の取り分は大分少なくなると思うが」
「そりゃ、仕方ないでしょ。分け方は妥当だと思うし。減った分はレアの酒代と肉代から何とかさせるわ」
「わたくしも、異存ありません。ありがとうございます、フレディさま」
アヤナは気の抜けた顔で肩を竦め、ココロは深々と頭を下げた。そこへ、良かったです! とメルニが飛びついたのを見ながら、フレディはくっ、と小さく音を立てて笑いを溢す。なんとまぁ、善良な少女達だろうか。患者として様々な人間を見て来た彼でも、彼女達程の人柄は滅多に見ない。少々、初対面の人間を信じすぎではあるが、善意で提案した身としては疑われるよりは余程気分がいい。
フレディがそんなことを考えていると、眠るレアの姿に視線を移したアヤナがあ、と声を上げる。
「でもそうすると、レアの世話はどうしようかしら」
一人にする訳にはいかないし……と腕を組むと、ココロにじゃれついていたメルニが手を上げた。
「皆さんがいない間は、わたしがお世話するです! うちのギルドも、今は人が出払ってるです。しばらくこの神殿にいるですので、時々様子を見て、薬を飲ませる位なら全然できるです!」
ココロちゃんのお友達なら全然構わないです! と、メルニはぺかーっと笑った。底抜けに無邪気なその笑みに、アヤナは一瞬目を丸くすると、ふわりと笑顔を返す。
「それじゃ、お言葉に甘えようかしら」
「任せてくださいです!」
「ありがとうございます、メルニさま。メルニさまであれば、安心して託すことができます」
ココロが差し出した薬包の入った袋を、メルニは腰のポーチへと大切に仕舞い込んだ。仕舞い込んだ後に一度ポーチを開けて、本当に入っているか確認するメルニに眦を下げたフレディは、一つ咳払いをする。
「さて、では一時的に僕は君達のギルドの一員になる訳だ。確か申請が必要だった筈だが……」
「はいこれ〜。ここに名前を書いてね〜」
「あぁ、ありがとう。用意がいい、な……?」
フレディは差し出された用紙と筆記用具を受け取ったところで、用紙の欄を指す指の元を辿った。そこには、にこにことフレディの顔を見上げる緑の悪魔の姿が。
「ルフィア!? アンタ今まで一体どこに……」
「邪魔だっていうから〜、ずっと部屋の隅でおとなし〜くしてたよ〜? あ、はいこれ〜」
言いながらルフィアが放り投げたものを、アヤナは反射的にキャッチする。
「って、あたしのスマホ! アンタまた勝手に……!」
「依頼のあった村までの地図と〜、討伐対象のゴブリンのデータを入れておいたからね〜。ついでに充電もしといたよ〜」
「充電って……ホントだ! 100%になってる!」
慌てて確認すれば、こっちに来て以降減る一方だったバッテリーがフル充電になっていた。
「アンタ、どうやって!」
「企業秘密ですよ〜」
「それは何だ? 光る板……か?」
スマートフォンを初めて見たフレディが興味深そうに覗き込む。身に付いた習慣で咄嗟に画面を隠したアヤナは、少しバツの悪そうな顔を彼に向けた。
「これは、あたしの世界の道具で……なんて言ったらいいかな。情報を記録したり色んな便利機能を持たせたりできる道具ね」
「こんな小さな板にか。魔導書のようなものなのか?」
「魔導書とはちょっと違うけど……まぁ、後で説明するよ」
ふむ、と
「ね〜、早く書いて〜。依頼の説明が出来ないから〜」
「あ、あぁ、すまない」
ルフィアに促されたフレディは考えを中断すると何も考えずにペンを取った。彼女は彼が必要事項を書き込んでいくのを黙って見つめている。
そんな彼女にメルニがおずおずと声を掛けた。
「あの、ルフィアさん」
「な〜に〜、メルニちゃん」
「さっきは、レアさんと荷物を運んでくれて、ありがとうです」
ぺこりと頭を下げたメルニに、気にしないで~、とルフィアはぱたぱた手を振る。
「人が倒れてたら助けないと~」
アヤナとココロ、フレディが、お前そんな人間じゃないだろ、と言わんばかりの冷たい視線を向けるが、そんなに重くなかったしね~、と笑うルフィアには微塵も届かない。そこで、アヤナがあれ、と気付いた。
「アンタ、まさかレアが動けないって最初から知ってたの!?」
「知ってたね~」
「アンタ、あたしとココロしかいないって分かってたのに受注させたわけ!?」
あっけらかんとした返答に、アヤナは眦を吊り上げた。ココロとフレディも表情を険しくする。メルニだけは分かってない表情でぽへっ、と首を傾げていたが。ルフィアはま~ま~、と抑えるように手を広げた。
「こうして前衛も揃ったわけだし~。問題無いよね~?」
「無いわけないでしょ!? 先生が手伝ってくれなきゃどうなってたか……!」
「でも~、大丈夫だったでしょ~?」
「それは結果論でしょうが!」
燃え盛るような瞳で今にもルフィアに掴み掛かろうとするアヤナの肩を、フレディが叩く。
「落ち着け。患者が寝ている」
「ぐ……」
冷静なフレディの声に、アヤナは拳を握り込んで歯噛みする。ちらりとレアを見て黙り込んだ彼女を置いて、フレディはひたりとルフィアを見据えた。
「まるで、僕が彼女達を助けると分かっていたかのような口振りだな?」
「そうだね~」
うんうん、とルフィアはあっさりと頷く。
「アヤナちゃんとココロちゃんなら~、先生は絶対気に入ると思ったからね~。そしたら先生は~、困ってる二人を見捨てないでしょ~?」
「僕はそんなにお人よしではないつもりなんだがな……それに、彼女達が僕を受け入れない可能性もあるだろう?」
「それはないよ~。先生もいい人だからね~」
一切表情を崩さず言い切ったルフィアに、フレディは盛大な溜め息を吐いた。
「……正直、手のひらで踊らされているようで不愉快だが、吐いた唾は呑み込めんな」
「……なんかごめん」
苦虫を噛み潰したような表情で謝るアヤナに、フレディも似たり寄ったりの表情をしてルフィアを顎でしゃくる。
「君が謝ることはない。謝る必要があるとしたらこの女だけだ」
「え~? みんなが一番得するようにしたつもりなんだけどな〜」
「得ぅ? あたし達はともかく、先生に得なんてないでしょ」
「そんなことないよ〜」
ルフィアはフレディを見て小首を傾げる。
「先生はお金が必要でしょ~? 今みたいな生活を続けても~、お金は溜まらないって、気付いてるよね~?」
「……否定はしないが。だが、そんなつもりで同行を決めたわけではないぞ」
「そうだね〜。でもほら〜、得がないわけじゃなかったでしょ〜?」
ルフィアの言葉に、フレディの噛む苦虫が十倍位に増える。
「……噂は正しかったようだな。この女は悪魔だ」
「そうね」
「言い得て妙でございますね」
「です」
「え〜?」
納得がいかない風な笑顔を傾げると、ルフィアはフレディが書き終えていた書類を手に取る。一瞬書面に視線を走らせると、書類を懐に仕舞い込んで別の書類を引っ張り出した。
「それじゃ〜、依頼内容について説明するね〜」
今までのやり取りが無かったかのように始めるルフィアに、そういう所だぞ、と誰もが思い、なんなら顔にも出したが、結局その笑顔は最後まで崩れることは無かったのだった。
冒険者紹介
○アルフレッド・ピュートン(ヒューリン)シーフ/ヒーラー
グランフェルデンで開業医を目指す青年。愛称はフレディ。
常には冷静だが、時折直情的な面も顔を出す。探求心が強く、興味のある事柄にはぐいぐい行く一方、興味のないことにはとことん関心が薄く、相手の名前をちゃんと覚えないような一面もある。面倒見自体はいい方で、気になったことは口煩く注意するタイプ。
パーティにおける役割は物理アタッカー兼バッファー。回避楯の役割も兼ねる。本人の能力がすごく高い上に強力な攻撃バフもしてくれるのでただでさえ火力の高い肉食団が更に酷いことに。
プレイヤーはこれまでGMやってくれてた人。
登場NPC紹介
○メルニステラ・エルステリオン(フィルボル)アコライト/バード
明るく無邪気な小人族の少女。愛称はメルニ。
英雄の家系に生まれ、戦士として育てられたが、争い事が苦手な性格且つ不器用な所為で全く向かず、神殿に預けられることになった。真面目ないい子なのだが天然でどこか抜けている。
作者達の別ギルドに所属するキャラクター。パーティ内の役割はバッファー兼防御・回復役。自身の攻撃力は絶無だが、パーティの攻撃力の底上げを担う。
今回はゲストとして登場。プレイヤーはアヤナの中の人。