冒険記録~ギルド『肉食団』~   作:弧埜新月

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忙しくて一週間で6,000文字位しか書けません
しかも予定の所まで到達しないという……
実質的に本シナリオのクライマックスフェイズになります



ミドルフェイズ・ゴブリンと冒険者

「──うおぉぉん……! ゴブロフ! こんな姿になっちまって……! こんなくたばり方、していい奴じゃなかったってェのに……!」

 

 数えるのが不可能になる程の弾痕が刻まれた床の上、散らばるゴブリンミンチを前にして、白い顎髭の老ゴブリン、ゴブンロスが立ち尽くして号泣していた。配下の二体のゴブリンも、腕に巻いた布で涙を拭っている。そんな彼等の背中を、アヤナ、ココロ、フレディの三人は冷めた目で見詰めていた。

 

「……凄い胡散臭いんだけど」

 

 ゴブリン達の嗚咽に紛れるように声を潜めて、アヤナはフレディに声を掛ける。その声には溜まった不満が透けて見えるようだった。

 

「態とらしいっていうかさ。こいつらに、本当に仲間意識なんてあるのかしら」

 

 先程のゴブンロスの発言から考えて、当然彼女達がここまで何体ものゴブリンの命を奪って来たことには気付いている筈だった。そのことには特に何も言わないのに、今こうして目の前の死体にだけは、過剰なまでの反応をして見せる。アヤナには、どうにも彼等が信用出来なくて仕方がなかった。

 

「こいつらに協力なんてして良かったの?」

「……言いたいことは分かる。僕も、彼等を完全に信用しているわけじゃない」

 

 だからこうして、彼は互いに三人ずつであったことをいいことに、互いの動きを互いに監視するように提案を出したのだ。お陰でこうして、土砂崩れを起こしたような顔で号泣するゴブリンなんていう、見たくもないものを見る羽目になっているが。

 

「だが、奴の提案は頷ける部分もあったからな。いずれにせよ、彼等のボスは倒さなきゃならない。情報が得られるなら願ってもないさ」

「そこも嘘だったら? ボスのいるところに誘いこんで、挟み討ちにする算段だったりして……」

「それはない、と思う。ここのゴブリン達は、ボスに不満を持ってるみたいだった。奴の手下も含めてね。奴自身はともかく、他のゴブリン達にそんな腹芸が出来るとは思えない」

「まぁ……確かに」

 

 アヤナは口を尖らせながら頷いた。彼女の気持ちがよく分かるフレディは小さく嘆息する。

 

「まぁ、少なくとも、ボスを倒すまでは協力できるだろう。その後は知らないが」

「……やっぱり今からでも燃やさない?」

「止めてくれ。それじゃ僕達の気質はゴブリンにも劣るということになる」

 

 露骨に嫌そうな顔をしてフレディはアヤナを嗜めた。その言葉に、先程一時的な協力関係を結んだ後のゴブンロスとの会話が蘇る。

 

──言っとくけど。あたし達が調査をしてる間、後ろから襲って来たりなんかしたら容赦しないからね!

── オイオイそんな事はしねェって! 協力者を後ろから刺すようなのは、最低の屑がやることだぜ!

 

 目を丸くして、何言ってんだオメェ、とでも言いたげな表情をしていたのが今思い出しても猛烈に腹が立つ。アヤナが握り締めた拳を震わせていると、目元を拭っていたゴブンロス達が彼女達の方へ戻って来た。

 

「すまねェ、つい我を忘れちまった。ゴブロフのことは残念だが、ここで泣いててもアイツは浮かばれねェ。先へ進もうぜ」

「切り替えが早いのね」

 

 すっかり平常運転に戻った様子のゴブンロスに、アヤナはつい嫌味を言った。だがゴブンロスは気にした風も無く肩を竦める。

 

「手下を悼むのは当然だが、いつまでもそれに浸ることは許されねぇんだ。上に立つってェのはそういうことだ。世知辛いモンだぜ」

 

 そう言って小さく息を吐いたゴブンロスは、そういやァよ、と天井を指差す。

 

「ちょいと気になったんだが、あの天井を焼いたのは、嬢ちゃんか?」

「そうよ。生憎、罠を壊すことは出来なかったけどね」

「ふぅん」

 

 アヤナの棘塗れの声に、ゴブンロスはしかし気のないような声で返事を返して髭を撫でると、気を取り直したのか破顔した。

 

「ま、そういうことなら仕方ねェ。端の方を通って行くとしようか」

 

 ゴブンロスはそう言いながら踵を返すと、道の端を歩いて向こう側へ渡って行く。もうかつての手下の遺骸には目もくれなかった。

 

「……やっぱり気に食わないわー」

 

 アヤナはそう呟くと、ゴブンロスとその後ろを着いて歩く手下達の後を追って、危険地帯の脇を進み始めた。そこからは無言でしばし歩き、

 

「──ここだぜ」

 

 ゴブンロスが三人を案内したのは先程アヤナ達も訪れた広い溝のある部屋だった。

 

「ここならあたし達もさっき来たけど……見せたいものって何よ」

「ああ。あの、奥にある機械が見えるか?」

 

 不機嫌な態度で腕を組むアヤナに流石に苦笑いを浮かべながら、ゴブンロスは奥に見える装置を指差した。

 

「あれがどうやら、この遺跡全体のトラップを動かしてる機械らしい」

「何でそんなことが分かるんだ?」

「あの野郎がそう漏らしていたのさ。アイツは機嫌が悪くなると独り言が酷くなるんだ。遺跡の肝心要の部分が思い通りにならなくてムシャクシャしてたぜ」

「ボスはトラップを利用しているんじゃ無かったのか?」

「あぁ、そうなんだが。俺も詳しくねェからなんとも言えねェんだが、罠の動力がどうたら言ってたぜ」

 

 フレディの質問に答えながら、ゴブンロスは溝の縁へ歩いて行く。

 

「操作するにゃここを超えなきゃならねェ訳だが……」

「生憎、僕達に跳び越える手段はないぞ。使い魔の鴉はいるが、いかにも何かありそうだったから試してない」

「あぁ、ソイツは賢明だな。あの野郎にも爪の垢を煎じて飲ませてやりてェ位だ」

 

 ゴブンロスは鼻を鳴らした。

 

「アイツが一回、俺達の中で一番ジャンプが得意な奴を向こうに渡らせようとしたのよ。誰が見ても無謀だってのによォ……アイツ、頭は悪かったが、よく言うことを聞いてよく働いてくれる、いい奴だったんだぜ……」

「それは……辛かったな」

 

 話す内にみるみる肩を落として落ち込んでいくゴブンロスに、フレディは思わずそう声を掛けた。仕草こそオーバーで態とらしくあるが、その死を悼む気持ちは全くの嘘ではないと感じたからだ。ゴブンロスは軽く手を挙げて謝意を示すと、小さく鼻を啜りながら話を再開する。

 

「だが、奴も完全な無駄死にってワケじゃァ無かった。奴が跳んだ時、空中で不自然に落っこちたんだ」

「不自然に落っこちた? ダウンバーストとか……あるいは何かにぶつかったとか?」

「嬢ちゃんの言うダウンバーストが何かは知らねェが……何かにぶつかったっていうよりは、何かに引っ張られたような感じだったぜ。飛んでる獲物にフックを引っ掛けて引き摺り下ろす時と似たような落ち方だった」

「うーん……重力魔法とか?」

「思い当たるトラップは幾つかございますね。その類の罠があるとすれば、確かにわたくしの使い鴉も墜落してしまうかと」

 

 遺跡で見かける魔法的な罠を幾つか思い浮かべたココロが、ありがとうございますと改めて二人に礼を言う。

 

「ああ、あの時の判断が間違っていなくて良かった。しかし、ここに案内したということは、渡るための手段に目星は着いているんだろう?」

「まぁそういうことだな。あの宝箱を見てくれ。空いてる奴と閉まってる奴があるだろ?」

「そうだな……待てよ? さっきの部屋にも宝箱が並んでいたな。それと関係しているのか?」

「話が早くて助かるぜ。やっぱりお前さん達、頭いいんだなァ」

 

 ゴブンロスは手を叩いて喜びを見せる。

 

「あれはどうやらヒントらしくてな。さっきの部屋の宝箱を正しい組み合わせで閉めると向こうに渡れるんだそうだ。というワケで、元の部屋に戻るぜ」

 

 さっさと踵を返すゴブンロスを尻目に、アヤナは手早く取り出したスマートフォンを宝箱に向けて写真を撮る。

 

「これでいいわ。行きましょ」

「今、何をしたんだ?」

「写真を撮ったのよ。こうすれば後で見返せるでしょ」

 

 アヤナは撮った写真を表示してフレディに見せる。フレディは短く唸って感嘆の声を上げた。

 

「この短時間でこれ程精巧な絵が作れるのか……話には聞いていたが、実際目にするとやはり驚かされるな。興味深い」

「あー、うん、そうね」

 

 フレディの反応にアヤナは苦笑する。彼女としては普通のことなので、こうした反応をされると困ってしまうのだ。フレディが興味を待ったことを追求したがる質なのはこの短い付き合いで分かっているが、アヤナ自身大した知識が無いので突っ込んで訊かれると対処が出来ない。

 

「おーい、何してるんだ? 早く戻ろうぜ」

「あぁ、すまない。すぐ行く」

 

 なので、部屋を出ていたゴブンロスの呼び掛けでフレディの気が逸れたことにアヤナは小さく安堵した。勿論ゴブンロスに感謝などはしないが。

 先程の部屋に戻ると、ゴブンロスは手下に指示を出し、溝の部屋にあった宝箱の開閉状態を再現する。手下達も慣れたもので、細かい指示が無くても迷いなく正しい宝箱の蓋を閉めていった。

 

「よし、こんなもんだろう。床を見てくれ」

「あぁ、気付いている」

 

 同じ列の隣接する宝箱の間には一本、または二本の線が引かれており、その線の真ん中から伸びた一本の線または破線が前の列の宝箱に繋がっている。一見して線の種類の並びに法則性は見えず、ランダムで並んでいるように見えた。

 

「この線とさっきのヒントを頼りに、残りの六列の宝箱を閉めればいいってこと?」

「多分な。こっちにもう一つヒントらしき言葉がある」

 

 ゴブンロスが壁の一箇所を指差す。そこには、『比較する論理の和と積み重ね、そしてそれらの否定が解へと続く道である』という一文があった。

 

「……どういうことだ?」

「そこが分からねェのよ。仕方がねェから片っ端から組み合わせを試してよ。とりあえずここからそこまでの箱で出来る組み合わせは全部試したぜ?」

「試したって……」

 

 絶句したアヤナが宝箱の数を数える。

 

「二十一ってことは……全部で二百十万通り位あるじゃないの!? 馬鹿じゃないの!?」

 

 スマホで手早く計算したアヤナが目を剥いて思わず叫んだ。聞いたゴブンロスも一瞬目を丸くしたが、

 

「そんなにあったのか。だがまァ、確かに俺は馬鹿だ。馬鹿だから解き方なんて分からねェ、となれば、後は愚直に一つずつやっていくしかねェだろう。諦めなければ、いつか必ず正解に辿り着くんだからよォ」

「そこまでどんだけ掛かるのよ……」

 

 ゴブンロスの言葉に、アヤナはげんなりと溜め息を落とした。ゴブンロスも流石に無謀過ぎたとは感じたらしく、乾いた笑いを溢している。

 

「まァ流石に俺達も、行き先が見えなくてこの先どう舵を切ろうか悩んでたところだったんだ。そこにお前さん達がやって来たわけよ。こりゃ神の思し召しだと思ったもんさ」

 

 ゴブンロスのその言葉に神の信徒として思うところがあったのか、ココロが珍しくむっ、とした顔をした。ゴブンロスは勿論構わずに言葉を続ける。

 

「冒険者のメイジならさぞ頭もいいだろうってな。全員頭良さそうだったのは嬉しい誤算だ。お前さん達ならこれくらい簡単に解けるだろう? よろしく頼むぜェ!」

 

 そう言って満面の笑みを見せるゴブンロス。その歯茎を剥き出しにした笑顔から視線を外すように、アヤナは背嚢からノートを取り出して情報を整理し始めた。フレディも顎に手を添えて思案する。二人が解法を考え始めたことを察したココロは鴉を肩から離れさせると、ゴブリン達の監視を始めた。ゴブンロスは邪魔にならないようにする為か、壁に背を預けると、腕を組んで薄ら笑いを浮かべながら冒険者達の動きを観察する。配下の二匹は顔を見合わせると、同じ様に壁に寄って腰を下ろした。

 

「……ふぅむ」

 

 やがてフレディが奥から三列目の端に行き、宝箱を閉める。

 

「お、何か分かったか?」

「あまり自信はないんだが……両隣が開いていて、横が一本、縦は破線だから……これは閉じる、と」

 

 そう言いながらフレディは一箱ずつ考えながら蓋を閉めていく。やがて、最後の一箱を閉め終えるが、

 

「……何も起きないな」

「それじゃないみてェだな。よし、テメェら、箱を開けろ!」

「うぃーっす」

 

 ゴブンロスの号令を受けて、手下達は慣れた手つきで箱を全て開き、一列目と二列目をヒントに合わせて閉め直していく。

 

「どうして一度全部開けてるんだ?」

「一回違う奴動かしちまうと、全部開け直すまでロックが掛かるとか奴が言ってたんだ」

 

 そこまで分かっても解き方は分からなかったんだがなァ! とゴブンロスは愉快そうに嗤う。一方のフレディは眉を顰めた。

 

「かなりの手間だな……それは。君達はこんなことをずっとやってたのか? そこまでして親玉を殺したいのか」

「まぁな。あんなテメェが気に食わねぇからって簡単に手下殺す様な奴ァダメだ」

「それは……見せしめや、刑罰の一環か?」

「まぁ、そんなところさ。逆らったり、群れから離れて遺跡から出ていこうとした奴が何匹も殺された。酷ェ話だ。あいつ等だって、生きてりゃまだまだ頑張れた筈なんだ。それだってのによォ……」

 

 目付きの据わったフレディの問いに、ゴブンロスはそうやりきれないように溜め息を吐く。

 

「しかも、テメェの手で殺るんじゃねェ。罠を使って離れた所から殺るのさ。アイツはここの罠の殆どを把握してるからな。アイツしか知らねェ罠も沢山ある」

「罠で、か……そういえば、入り口にも死体があったな。あの死体がそうなのか?」

「あぁ、いや……アイツは元々の俺達のボスさ。奴に嵌められて、あのザマだよ」

 

 ゴブンロスはフレディにつまらなそうに答えると、肩を竦めて首を振った。

 

「ともかく、いつどうやって殺されるか分かったもんじゃねェから、迂闊に外にも出られねェ。外に出れるのは最初からアイツに従順な態度を示してた奴だけさ。かと言って、ソイツらが飯獲ってこねェと食うにも困るもんだから、当たるに当たれねぇしな。待機組は相当鬱憤を溜め込んでた。宥めんの大変なんだぜ?」

「……苦労してたんだな」

「しょうがねェよ。まァ、群れなんてのは必ず何処かに不平不満が溜まるもんさ。それを上手く散らしてやるのが上の役割ってもんだからな」

 

 そう言って苦笑すると、彼は手を一つ叩いた。

 

「思ってたより無駄話しちまったな。次の上手い手を考えてくんなァ! まだ一つ目が上手く行かなかっただけだ。どんどん次に行こうぜ!」

「む……分かった。君は前向きだな」

「当たり前よ。諦めちまったらそこで終わりだからな」

「それはそうだ。……僕も、医者として他者の命を蔑ろにする輩には思う処がある。微力を尽くさせてもらおう」

「ほ、医者先生か。ソイツぁ立派だ。よろしく頼むぜ」

 

 フレディとゴブンロスがそんな会話を交す一方で、アヤナはノートを片手にひたすら頭を捻っていた。ノートには宝箱を模した四角が書いてあり、床の模様と同じように線で結んである。閉じた箱は黒く塗り潰しているが、スマホの写真を確認しながら塗り潰した奥の二列以外は白いままになっていた。

 

「うーん……比較する論理……何か引っかかるのよねぇ……」

「心当たりがおありですか、主さま」

「うん……聞き覚えがある気がするのよ……そんなに何年も前とかいうわけじゃないと思うんだけど……」

 

 時折背後も気にしつつ問い掛けるココロに、記憶の引き出しを開け閉めしながら半ば上の空な様子でアヤナはそう応じた。

 

「そうなのですね。わたくしには何が何やら……論理の和やら積み重ねやらは意味を掴みかねますし、それらの否定となると……」

「論理の和……論理和……ん?」

 

 入って来たココロの言葉を反芻したアヤナが、強い引っ掛かりを覚えて目を見開く。その頭に、あまり興味を待てずに忘れ去っていた昨年の授業風景が甦った。

 

「あぁ! 情報処理! 論理回路!」

 

 一つ叫んだアヤナがノートに描いた奥二列の箱と線の並びをペンでなぞり、自分の推測と照らし合わせていく。

 

「お分かりになられたのですか?」

「多分。一本線がOR、二本線がAND、破線がNOTだとすると……」

 

 既知の部分が己の推測から外れていないことを確かめると、アヤナはさらさらと続きを埋めていく。

 

「おぉ、嬢ちゃん、分かったのか?」

「気が散る。寄るな。黙れ」

「お、おう」

 

 寄ってきたゴブンロスを烈火の如き眼光で黙らせると、アヤナは解き終えたノートを検算して小さく頷いた。

 

「これでいい筈……! 先生、手伝って!」

「分かった」

 

 アヤナはノートをフレディに渡し、自身もその場で解きながら次々と蓋を閉めていく。そして、

 

「これで最後、っと」

 

 アヤナが最後の一箱の蓋を両手で閉めた瞬間、部屋の外で何か重い音が響いた。

 

「おぉ、上手くいったみてェだな。やるじゃねぇか、嬢ちゃん」

「ふん」

 

 ゴブンロスの賞賛に、アヤナはそっぽを向いた。ゴブンロスは苦笑しながらこめかみを掻く。

 

「いやぁ、嫌われたもんだな」

「仕方がないだろう。むしろ好かれるとでも?」

「違いねェ」

 

 冷やかな目を向けるフレディに、ゴブンロスは大笑いして返した。

 

「さて、これで仕掛けは解いた訳だ。これから罠の動力を切って、親玉を殴りに行く……でいいか?」

「あー、それなんだが」

 

 ゴブンロスは歯切れの悪そうな顔をして言う。

 

「俺達は、ちょっと別行動させてもらうぜ」

「……何かあるのか?」

「今の内に部下達を纏めておきてェんだよ。アレでも頭は頭だ。いきなりそれが無くなりましたって言われたら混乱するだろ? そうならねぇように、先に話を通しておくのさ」

 

 それに、と、

 

「さっき、お前さん達がアイツを殺ったらここから出ていくって約束しただろ? そのための準備も必要だしな」

「……本当に、約束を守る気があるんだな」

 

 少し唖然として言葉を漏らしたフレディに、ゴブンロスは堪らず、といった風に吹き出した。

 

「失礼なヤツだな。俺は、俺が出来ない約束は言わない主義なんだぜ? 嘘だって吐きたくねェしよ」

「嘘云々はともかく……話は分かった。君を信じよう」

「ちょっと先生」

 

 アヤナが眉根を寄せてフレディの袖を引く。ココロも難しい顔で彼を見た。

 

「……常識的に考えておかしいことを言っている自覚はあるさ。だが、ここで奴を信じなければ、人と妖魔の争いは相手を滅ぼすまで終わらなくなる。僕は医者だ。誰も傷付かない道があるならその道を信じてみたい」

「……本当に立派なお人だな。俺が言うのもなんだが、普通は俺のようなヤツの言うことは信じねェよ」

「そうだな。僕もそう思う。すまない、アヤナ」

 

 苦いが少し晴れやかな笑みを浮かべるフレディを見、アヤナは無言で袖を離すと、刺すような視線をゴブンロスに向ける。ゴブンロスもまた苦笑を浮かべて肩を竦めた。

 

「おぉ、怖い怖い。まさに視線だけで相手を殺せそうな目って奴だな。そんな目しなくてま、コトが終わればちゃぁんとこの山から出て行ってやるよ。俺の命を掛けてもいいぜェ?」

 

 そうゴブンロスは言うが、アヤナは押し黙ったまま睨むのを辞めない。ゴブンロスは仕方ねェなとでもいいたげに大袈裟に首を振ってみせた。

 

「その、出て行く件だが」

 

 フレディが少し躊躇いがちに声を掛けた。

 

「僕達は確かに君達の退治を依頼されてここに来た。だが、その原因は君達が脅威になると考えたからだ。君達が脅威ではないと分かれば、退治する必要も無くなるだろう。むしろ君達がいることで他の脅威が入り込みにくくなる筈だ。君達が人間を襲わないって確約が出来るなら、僕がそう言って村に掛け合ってみてもいい。そうしたら、ここを離れなくてもいいだろう? 君達も、次の住処を探すのは大変じゃないのか」

「あー、まぁ、そうだな。確かにこの山には獲物も沢山いる。この山にいる間は、人間を襲わなくてもやっていけそうだ」

 

 フレディの提案に、ゴブンロスは右手で髭を梳きながら考え、そう答える。

 

「だったら……」

「だが、折角の提案だけどよ、この山からは出ようと思う。村の連中も、近くにゴブリンがいるんじゃ安心出来ないだろう? 誰もがアンタみたいに奇特な考えをしてるワケじゃねェんだからよ」

「む……」

「悪いな、先生。アンタの好意は有り難く受け取っておくぜェ」

 

 少し残念そうな表情を浮かべて引き下がるフレディに、ゴブンロスは僅かに眉尻を下げて薄く笑った。代わりに、ゴブンロスを睨み殺さんばかりに観察していたアヤナが一歩、前に出る。

 

「……ちょっと訊きたいんだけど」

「おう、何だい嬢ちゃん」

「アンタ、山を降りたら何処へ行くつもり?」

 

 据わった視線を物ともせず受け、ゴブンロスは髭を撫でつつ視線を上に投げる。

 

「んー、そうだなァ……」

「答えなくてもいいわ。当ててあげるから」

 

 ひたり、とゴブンロスを見据えまま腕を組んだアヤナは、傲然と顎を持ち上げた。

 

「アンタ、村を襲うつもりでしょ」

「……へぇえ?」

「アンタの発言を思い返してたのよ。アンタ、山から出て行くとは言うけど、人間を襲わないとは言わなかった。むしろ、努力はするけど生活に困ったら分からないみたいなことを言って誤魔化してたわね」

「そりゃあ仕方がねェだろう? 先のことなんて予測しようがねぇしよ。それに、俺達は妖魔だ。冒険者やら血の気の多い村人やら、交戦的な人間と出会えば敵対するしかねェ。俺は、出来るかどうか分からねェことを約束なんざ出来ねぇよ」

 

 ゴブンロスはそう弁明の言葉を口にする。その口許には薄ら笑いが浮かんでいた。

 

「だったら先生の提案を呑めばいいのよ。村の人が何て言うかは知らないけど、上手く行けば生活は安定するでしょ。駄目だったらその時改めて考えればいい」

 

 アヤナは、ゴブンロスの弁明をそう冷たく切って捨てた。

 

「そうしないアンタの筋書きはこうよ。『山を出たら食べ物に困ったから近くの村を襲撃した』。村は山の中じゃないものね。これでもアンタはアタシ達にした約束を破ってないし、嘘も言ってないわ」

「──ハ」

 

 違う? と険の強い視線を向けるアヤナに、ゴブンロスはぴしゃり、と左手で額を叩き、

 

「ファーッハッハッハッハッハァ!」

 

 大声で肩を震わせ、心底愉しそうに嗤った。だが直ぐにその嗤いを納めると、額に乗せていた手を少し持ち上げ、悪辣な笑みを浮かべたまま、眼光だけは鋭くゴブンロスはアヤナを見据える。

 

「……で? そうだと言ったら、どうする?」

「燃やすわ」

 

 杖を持ち上げながら言うアヤナの台詞と同時に、ゴブリン達は後ろに散開した。武器を構え出した彼等を見て、フレディが顔を顰めてナイフを取り出す。

 

「……残念だ。君達とは、争わずに済みそうだと思っていたのに」

「あぁ、俺達も残念に思ってるぜェ? アンタはお人好しで、まだまだ利用出来(使え)そうだったからよォ!」

「くっ……信じた僕が馬鹿だった!」

 

 苦虫をまとめて噛み潰したような顔をすると、彼はアヤナの前に出てナイフを構えた。

 

「……すまない、アヤナ」

「良いわよ、別に。あたしも先生の考え方、好きだし。それに、誰かが何か間違えたりしたら、フォローするのが仲間ってもんでしょ」

「主さまの言う通りでございますよ、フレディさま」

「……そうだな。ありがとう、二人共」

 

 二人に礼を言って、フレディは少し入り過ぎていた肩の力を抜いて妖魔達を見据える。それを待っていたかの様に、ゴブンロスは肩に乗せていた片刃の湾刀(カトラス)を指揮棒のように前へ向けた。

 

「ゴブサス、お前は先生に付け。相手はナイフ使いだ。懐に入られるなよ。リーチを活かして牽制しろ。ゴブケル、お前は神官の嬢ちゃんだ。徹底的に邪魔をしろ。周囲に気を配れよ。あの鴉が襲ってくるぞ」

「「了解!」」

 

 ゴブンロスの指揮を受けて、短く応じた二匹の配下がそれぞれの獲物を構えて突進する。槍の長い間合いを活かしつつ細かく突きを放ってくるゴブリンにフレディは堪らず後退し、ココロは回り込むようにして手斧を振りかぶって来たゴブリンの攻撃を障壁を張って凌ぐ。

 

「さて、嬢ちゃんの相手はこの俺だ。お前さんが一番危険と見た!」

「行かせるか!」

 

 脇を抜けようとしたゴブンロスに向けてフレディが強引に短剣を振るうが、無理に放ったそれは狙いが甘くひらりと躱されてしまう。

 

「以外と素早い……くっ!」

 

 直様妨害する様に繰り出された槍を回避したフレディは追撃を断念する。その様を横目に見たゴブンロスは満足そうに低く笑った。

 

「伊達に歳は喰ってないんでな。いいぞ、ゴブサス。そのまま抑えてろ。無理はしなくていい……そうら!」

 

 フレディにそう言い返しながら手下に声を掛けると、ゴブンロスは余裕のある動きでアヤナに斬り掛かる。

 

「主さま!」

「いっつ……!」

 

 ココロが咄嗟に障壁を張るも、ゴブリンの振る手斧を捌きながらでは集中が足りず大した強度にならなかった。アヤナ自身何とか杖を合わせようとするも間に合わず、腕に裂傷を負ってしまう。腕を押さえて下がるアヤナを置いて、ゴブンロスは湾刀の背で肩を叩きながら、ココロを追い回すゴブリンに声を掛ける。

 

「ゴブケル、そっちの嬢ちゃんも体術は大したことねェぞ。もっと圧力を強めていけ!」

「余所見なんて、余裕じゃない……!」

「実際余裕だからなァ! ハッハァ、それにしても嬢ちゃん、中々破廉恥な格好してるじゃねェか」

「な……!」

 

 アヤナは顔を真っ赤にして外套で身体を隠す。外套の下は前回の戦闘でボロボロになった制服のままだ。人に見せたくない格好なのは間違いない。ゴブンロスはその様子を見ておかしそうに嗤う。

 

「嬢ちゃんも、格好を気にするなんてまだまだ余裕がありそうじゃねェか」

「煩い! 焼き尽くせ! 《ファイアボルト》ォ!」

「おっと、危ねぇなァ」

 

 怒りやら羞恥心やらで火が出そうな顔をしたアヤナが癇癪を起こすように魔法を放ったが、ロクに狙いも魔力も練られていないそれは簡単に避けられてしまう。そこへ天井付近で隙を窺っていた鴉が強襲を掛けた。

 

「グァー!」

「おっと、こっちを狙って来たか! だが甘いぜ!」

 

 しかし、ココロが斧から逃れながら吹いた鋭い指笛と、接近する羽音から攻撃を察知したゴブンロスはそれも回避する。そして再び天井付近まで舞い上がる鴉へ向かって声を投げた。

 

「オメェのご主人様のことはいいのか!? 防戦一方だぞ!」

 

 鴉に指示を出す為に一呼吸使ったからか、苦しい顔をしながら杖と障壁を駆使して凌ぐココロの姿に、鴉は迷いを見せる様にくるると唸った。そして主人の指示を待たずにそちらの方へ戻って行く。

 

「ハッハァ、麗しい主従関係様々だな!」

 

 自分への襲撃を言葉で排除したゴブンロスが悠々とアヤナを斬り払う。だが鴉が戻ってゴブリンの気を引いたことで隙を捻出したココロが張った《プロテクション》が間に合い、脇腹を裂く筈だった一撃は彼女に青痣を作るだけに終わった。

 

「ぐっ……ゲホッ、ゴホッ……クソがッ……!」

「ちっ……小さいのに中々粘るじゃねェか」

 

 咳込みながらも怒りの炎を燃やすアヤナから視線を外し、ゴブンロスは舌打ちをしながらも、ココロの動きに感心したように呟いた。その泰然とした姿に、フレディは槍をナイフで逸らしながら表情に焦燥を浮かべる。

 

「くっ……視野が広い……! 部下への指示も的確だ……!」

「当然だ! 叔父貴は群一番の戦巧者だぞ! 叔父貴の指示に従っていれば、間違いはない!」

 

 そう吠えながら、ゴブリンは携えた槍を素早く突き出し続ける。体重を乗せないその突きは威力よりも速さを、相手の動きを阻むことに重きを置いたもの。忠実にゴブンロスの指揮を実行する姿に、フレディはその信頼の篤さを垣間見て内心舌を巻く。

 

「しかし……このままここで拘束される訳には……!」

 

 自分だけならば兎も角、他の二人が保たない。特にアヤナだ。回避も防御もココロ頼りな彼女では、ゴブンロス(敵の最高戦力)とサシで対峙し続けることなど不可能である。ココロの援護が無ければとうの昔に血の海に沈んでいただろうことは想像に難く無い。ココロの方もアヤナを護ることに意識を割く所為で攻撃を捌き切れずどんどん傷が増えていっている。どちらかが斃れるのは時間の問題だった。

 

「やむを得ないか!」

 

 フレディは覚悟を決めると、突き出された槍の穂先を強引に弾いてその懐に飛び込んだ。普段であれば絶対やらない様な、隙未満の一瞬。ゴブリンも一瞬目を見開いたものの、直ぐに対応して弾かれた槍で薙ぎ払ってきた。フレディは左の短剣で何とかそれを受けると、そのまま右手でゴブリンの胴を横一線に斬り払う。

 

「グワッ」

 

 短い悲鳴を上げてゴブリンはバックステップで距離を取る。その手応えが大したものではないことにフレディは歯噛みした。無理を通した所為で踏み込みが足りなかったのだ。傷こそ負ったものの、戦闘力を奪うには到底足りない。ゴブリンは表情を一層引き締めると、腹の傷を無視して再び槍を構え、こちらへ突き掛かる動きを見せている。次は先程のようには行かない。そのことが容易に想像出来たフレディの焦燥感が頂点に達しようとした、その時だった。

 

「──『ファイアボルト』ッ!」

「むっ!? 避けろゴブサス!」

 

 初めて聞いたゴブンロスの焦った声に、反射的に屈んだゴブリンの頭のすぐ上を火線が通過する。放った魔法がゴブリンの頭皮を少し寂しくしただけに終わったことにアヤナが舌打ちした。

 

「あーもう、避けるんじゃない! ごめん先生!」

「あぁ、いや……」

 

 アヤナの言葉に、一瞬惚けていたフレディが我に返る。

 

「……驚いたな、嬢ちゃん。俺を見ながら呪文だけ唱えて、撃つ時だけ杖をゴブサスに向けるなんてよ。思ってたより冷静じゃねェか」

「そりゃあね……。このままアンタに魔法撃ち続けても当たるとは思えないし。それよりも二人を邪魔してるヤツを何とかして助けに入ってもらう方が現実的だわ」

 

 笑みを消し、低い声で唸るように言うゴロンブス。先程までの頭に血が昇った姿から一転、冷静な表情でそれに応じたアヤナに、癒しの光が降り注ぐ。ゴブンロスの声に驚いてゴブリンの攻撃の手が弱まった隙に、ココロが《ヒール》を掛けたのだ。

 

「ふぅむ……ちょいとお嬢ちゃんのコト、見縊っていたみてェだな」

「ふん、あたしのこと、『お嬢ちゃん』なんて舐め腐った呼び方するような奴に遅れを取る気はないわ」

「ハッハァ、威勢がいいな。コイツぁ一本取られたかも知れん」

 

 ゴブンロスは小さく嗤うとカトラスを腰に戻して、じゃらり、とフックの付いた鎖を取り出した。新しい動きに警戒して杖を持ち上げたアヤナに対し、先端付近の鎖を掴んで素早く回転させる。

 

「いいぜェ、次は名前で呼んでやるよ……生きていられたらなァ!」

 

 一瞬深く呼吸をしたゴブンロスが、回転させて速度を増したフックをアヤナへ向けて投げ付けた。咄嗟に杖を掲げて防御しようとするも、全く掠りもせずにフックはアヤナの頭の横を抜けて行く。当たらなかったと微かにアヤナが安堵すると同時、ゴブンロスは強く鎖を引いた。フックの先端がアヤナの左肩に突き刺さって食い込み、衝撃と痛みに襲われたアヤナはバランスを崩す。

 

「ぐあッ……!?」

「主さま!」

「ハッハァ、喰らえェッ!」

 

 低い姿勢で突進したゴブンロスが、跳ね上げる様にしてアヤナへ抜刀したカトラスを振るう。まるで水面から勢いをつけて飛び出した龍魚の様な斬撃をココロが張った障壁が受け止めるも、一瞬の拮抗の後に砕かれてアヤナの腹に浅くない傷を刻む。だがゴブンロスにとってはそうでは無かったようで、彼は深く皺の刻まれた顔を醜く歪めた。

 

「チィィ! 浅かったか!」

「この……!」

 

 強い痛みに脂汗を浮かべながらも目に力を失わず、杖の先に魔力光を灯すアヤナを見て、ゴブンロスは素早くフックを回収して飛び離れる。

 

「主さま……! この、退きなさい!」

 

 柳眉を逆立てたココロが斬り掛かってきたゴブリンを反対に杖で突き飛ばした。これまで身を護るばかりだった少女の思わぬ反撃にひっくり返ったゴブリンを尻目に、彼女はアヤナへ向けて口早に《ヒール》の詠唱を始める。ココロが詠唱を始めたのを聞いて慌てて阻止しようと顔を上げたゴブリンの視界に飛び込んできたのは、自分目掛けて飛んでくる炎の矢だった。

 

「ゴブケル!」

「やっと、当たったわね……!」

 

 咄嗟に身を捻って躱そうとするも間に合わず、吹き飛んだ手下の姿に思わずゴブンロスはその名を呼んだ。その声に釣られる様に、フレディと対峙していたゴブリンの意識が一瞬逸れた。その隙を、彼は逃さない。おざなりに突き出された槍の穂先をナイフで弾くと、一息に懐へ飛び込んだ。いつでも服用出来るようにしている小瓶を咥えて呷りながら、左手のナイフで槍を握る右腕に振り下ろす。

 

「ギャァ!?」

 

 槍を取り落としこそしなかったが、悲鳴を上げて怯んだゴブリンに、フレディは右腕を振り上げ──一瞬だけ考えると、ナイフの柄尻をゴブリンの顎へ横殴りに叩き付けた。脳が揺れて膝の力が抜けたゴブリンの首筋を叩いて昏倒させると、手から離れた槍を蹴飛ばしながらゴブンロスへ振り返る。

 

「オイオイマジかよ、しょうがねェなァ……」

「さて、これで残るは君だけだ。そろそろ観念したらどうだ? 君の手下達は見たところまだ生きている。治療費を出すと言うなら手当くらいはしよう」

 

 アヤナの前に移動しながら、フレディは眉根を寄せて嘆息するゴブンロスに問い掛ける。しかし、彼はハッ、と吐き捨てると、ギラついた目で彼等を見返した。

 

「馬鹿言え。俺はまだまだやれる! 俺は諦めないぜェ!」

「あっそう」

 

 ゴブンロスに言葉を返したのはアヤナだった。彼女は全くの無表情をフレディに向ける。

 

「先生、ちょっとソイツの相手して。デカいの撃つから」

「わ、分かった」

 

 平坦な声に滲むドス黒い感情に若干気圧されつつ、フレディはナイフを構える。しかし、その僅かな気の緩みを突く目をゴブンロスは持っていた。

 

「させるかよォ!」

 

 ゴブンロスが鋭い動きでフックをアヤナへ投げ付ける。反応の遅れたフレディは対処が間に合わない。アヤナの治療の為に側へ戻って来ていたココロが《プロテクション》を掛けようとするも、

 

「ふん」

 

 アヤナは何と杖を振ってフックを打ち払ってしまった。実際は適当に杖を振ったら偶然出来ただけなのだが、その超然とした様からはそうとは分からない。彼自身会心の一投だっただけに、先程まで自分の攻撃に殆ど反応出来なかった彼女に軽くあしらわれたことへの衝撃は大きかった。

 

「何だとォ! ……ぐッ!?」

「隙だらけだ!」

 

 汚名返上とばかりに斬り掛かったフレディに肩を斬られたゴブンロスが、取り落とした鎖の代わりに引き抜いたカトラスで追撃を弾く。だが次々に振るわれるナイフを前に先程までの余裕をすっかり失ったようで、後退りながら必死にカトラスを操っている。アヤナはその様子を見て深呼吸すると、ココロの魔法で腹部の痛みが引いていくのを感じながら朗々とした声で詠唱を始めた。

 

「天高く座し罪見定める光よ。其の振るいし断罪の力を借り受けん……」

 

 アヤナの後背から噴き出した魔力が、細部に雷を遇らう緻密で巨大な魔法陣を形造る。魔法陣から漏れ出た光が後光のようにアヤナを照らし、陰となって隠れた貌の中、魔力で真紅に赫く瞳が真っ直ぐにゴブンロスを捉えていた。

 

「なっ……!? 何だソイツは!?」

「さてな。何でも、アエマ神に選ばれた勇者だそうだが」

「何だとォ!?」

 

 疑い混じりの驚愕の目で見つめて来たゴブンロスに、フレディは肩を竦めて返す。まぁ信じられなくとも無理はないな、とは思う。彼女が彼にしてきた振る舞いは勇者という言葉から受ける印象とはかけ離れていた。彼の目に、彼女は単なる鈍くて凶暴な魔導士として映っていただろう。フレディは一瞬だけ横目で背後を確認する。

 

 ──しかし滅茶苦茶だな、彼女は。アエマ神に召喚されたと言っていたが、今の詠唱は丸っきりアーケンラーヴ神への呼び掛けだ。だと言うのに

、顕れた魔法陣にはグランアイン神の象徴が見える。意味が分からない。

 

「我欲するは、咎滅却せし裁きの焔。我が眼前に罪ぞあり。その一切を燼滅せん」

「くっ、こうしちゃあ居られねェ!」

「おっと」

 

 切迫した表情でゴブンロスが膝上目掛けて投げ付けたカトラスを、フレディは身を捻って躱す。その隙に身を翻して駆け出したゴブンロスを、フレディは黙って見送った。背後からは、魔力に疎いフレディでも肌で解る程の圧力が感じられる。時間稼ぎは十分だろう。それに、ゴブンロスの逃げる先は並んだ宝箱の奥。行き止まりだ。無理に追う必要はないだろう。

 

「堕ちよ──」

「俺は諦めねェぞ! 俺は生き延びてみせる……!」

 

 ゴブンロスは宝箱に手を掛けると、その後ろに飛び込んだ。背を宝箱に付けて頭を抱える。その耳に、アヤナの結びの句〈死刑宣告〉が響いた。

 

(ファイアボルト)──"ミーティア"ッ!!」

 

 魔法陣の魔力が一点に収束し、眩い煌きを放つ。撃ち出された一条の光芒は過たずゴブンロスの隠れた宝箱に直撃し、膨れ上がった爆炎が視界を埋め尽くしたのだった。




ゴブンロスの命運や如何に……

ちなみに、
アエマ:河と泉、豊穣の女神
グランアイン:雷と戦の神
アーケンラーヴ:太陽と裁きの神
となります。もちろんアヤナは知りません。
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