「ここがバルーニク山ッスね。改めて名前を振り返ると美味しそうな名前ッス」
「……そんな名前だったっけ?」
「バルーニサ山です、レアさま」
乗合馬車を降りて半刻。レア、アヤナ、ココロの三人は件のバルーニサ山の麓に立っていた。バルーニサ山はそれなりに峻険で、岩場の目立つ山である。植生は低木や薮が多く、その量は大した物ではない。上を見れば部分的に木が密集している場所が幾つかあるが、その程度である。山道は自然の地形に手を加えて馬車が通りやすいように整備されているようで、狭くは感じない。坂にこそなっているが平坦で歩きやすそうであった。
「取り敢えず、一旦休憩しない? 流石にちょっと疲れたんだけど」
「えっ? もうッスか? まだ全然山登ってないッス」
「だってもう一時間も歩き通しじゃないの……ココロも疲れたでしょ?」
「お気遣いありがとうございます。わたくしはまだまだ歩けますので、ご心配ならさずとも大丈夫です」
アヤナを安心させるように微笑み、ココロはぐっ、と胸の前で杖を握ってみせる。違う、そうじゃない、とばかりにアヤナは肩を落としたが、まさか自分より五歳以上年下の少女が平気そうな顔をしているのに、これ以上弱音を吐くことが出来るわけもない。
そんなアヤナの反応にココロは首を傾げたが、レアの方は察したのかしょーがないッスねぇ、と近間のちょうど良さそうな岩に目を付けると軽く払った。
「アヤナ、ちょっとこっちに来て座るッス」
「あ、ありがと」
言われるがまま、アヤナは岩に腰を下ろす。そんなアヤナに、レアは足を出すように要求した。
「足? なんでよ」
「心得があるんで、ちょっとマッサージするッス。その方が早く疲労が抜けるッスよ」
そう言われれば嫌もない。大人しくアヤナは右足を出した。彼女の足元に膝を着いたレアは、その
「んお。この靴、なんか底がぐにぐにしてるッス」
「そう? 普通じゃない?」
「普通じゃ無いッス。革だったらもうちょっと柔らかいッスし、木とか鉄だったら硬いッスよ」
そう言って自分の履く木靴を脱いで見せてくるレア。アヤナは矯めつ眇めつしながら手渡されたそれを観察する。
「ホントに木だわ……履いてて痛くない?」
「気にしたこと無いッスねぇ。良ければ今度アヤナにも作ってあげるッスよ」
「アンタ、そんなこともできるんだ」
肉焼くだけじゃ無いのね、と言うアヤナに、一番得意なのは肉焼きッス、と胸を張りつつその足を取る。
「ん〜……綺麗な足ッスねぇ」
「何? 褒めたって何も出ないわよ」
「褒めてないッス」
むしろ呆れてるトコッス、と半眼でアヤナの顔を見上げる。
「全然歩いてない人の足ッス。だからこれ位の距離歩いただけで疲れるッスよ。もっと沢山歩くッス」
「うっ……しょうがないじゃないのよ。あっちだとこっちより交通網も発達してるし、そんなに歩かなくても生活出来るんだから……」
「あっちはあっち、こっちはこっちッス。この依頼終わったら体力作りッス。ココロ、悪いッスけど手伝い頼むッス」
えー、と不平を上げるアヤナを他所に、お任せください、と頷くココロ。
「ねぇ、一応ココロはあたしの従者なのよね? 主人の意向を全く酌まない従者ってどうなの?」
「主人の言うことに唯々諾々と従うだけでは、従者としては二流もいいところ。主人が不都合を覚えないように心を配るのが真の従者というものでございます。見たところ、主さまの体力には若干不安があるご様子。であるならば、従者としては心を鬼にして、主さまの体力増強に勤めさせていただく所存です」
運動とお食事の管理はお任せください、とココロは深々頭を下げる。こうなると梃子でも動かないことをこの短い付き合いでも十分理解出来ているアヤナは、深々と溜め息を吐いた。
「溜め息吐いても何にもならないッスよ。それより肉を食べるッス」
体力を回復するッスよ、とばかりにすっ、とレアが細く千切った干し肉を差し出してくる。それはアンタだけだろ、と内心思いながら、アヤナは口をへの字に曲げながら、ひったくるように奪って口に含んだ。
しかし、彼女の想像していた
気付けば奪い取った人差し指程度の大きさの肉片はすっかり無くなっていた。
「え、何これヤバっ。マジ美味すぎなんだけどこれマジヤバい」
「アタシが丹精込めて仕込んだ特製の干し肉ッス。アタシがギルマスやる以上、メンバーに肉では不自由させないッスよ」
語彙と知能が死滅したような声を上げたアヤナに向かって、レアは得意げに鼻の下を擦った。
「気に入ったなら一つ丸ごとあげるッスよ。大丈夫ッス。まだまだ沢山あるッスから」
「あー、うん……ありがと」
レアが寄越してきた何かの葉っぱに包まれた肉塊を、アヤナは素直に受け取る。肉を削ぐのに使うといいッス、と小刀も渡してマッサージに戻るレアの姿に、ふとアヤナは首を傾げた。
「そう言えばアンタ、肉肉言う割には全然肉食べてないわよね」
「そりゃあ、今は元気いっぱいッスからね。肉は元気がない時に食べるのが一番ッスよ」
元気がない時は一瞬で消えるッスね、美味すぎて。嘘か真か、そんなことを言ったレアは、終わったッスよ、とアヤナの足を離した。アヤナは試しに足の指をぐにぐに動かしてみる。確かに先程よりは楽になった気がした。
「おぉ……こういうのって本当に効くんだ」
「当然ッス。さぁ、また歩くッスよ」
「はぁ……分かったわ」
アヤナが溜め息を吐きながら靴を履き始める。その時、上空からばさりと羽音が聞こえた。レアが咄嗟にヴォウジェを握り、動けないアヤナを庇うように立つ。しかし、それをココロが制した。
「ご安心ください。あれはわたくしの使い鴉です。周辺の偵察から帰ってきました」
ココロが横へ差し伸ばした左腕に、大きな羽音を立てて一羽の鴉が降り立った。翼長が彼女の身長程もあるその大鴉は、器用にその艶やかな黒翼を畳むと鋭い嘴を彼女の耳に近寄せる。クルクルと喉を鳴らすような鴉の声を聞き、ココロは小さく頷いた。
「どうやら、この周辺に蛇の姿はないようです」
「そうッスか……」
「いや、目的は蛇じゃなくてハーピーだからね?」
残念そうなココロの報告に、レアが肩を落としてアヤナがツッコミを入れる。そのアヤナの声を聞いて、鴉が再びクルルルッ、と鳴いた。
「ハーピーもいないようですね」
「じゃあ、もっと奥まで行かないといけないッスね」
「うげぇ……山登りかぁ」
げんなりとアヤナは山の頂上を睨む。そんなの最初から決まってることじゃないッスか、と呆れながらその手をレアが引っ張る。そんな彼女達の姿を見て、ココロは左腕を軽く跳ね上げるように振った。意図を理解した鴉が翼を広げて飛び立とうとし、
「あ、ちょっと待つッス」
レアの声に、鴉は高度を上げることを止めて空中に留まった。ギリギリヴォウジェの届かない位の高度で滞空する鴉に、レアは背嚢から取り出した肉片を放る。
「偵察お疲れ様ッス。これ食べてこの後も頑張って欲しいッス」
鴉は肉片を咥えると、力強く羽撃いてぐんぐん高度を上げていった。彼女達の頭上をくるりと旋回し、かぽぽっと機嫌良さげに高い声を上げる。
「どうやら、レアさまのことを気に入ったようです。お気遣いありがとうございます」
「頑張ってる仲間を労うのは当然じゃないッスか」
ココロも要るッスか? とレアが首を傾げると、ココロは前にいただいた分がまだ残っていますので、とやんわりと断った。
「さあ、先へ参りましょう」
ココロが先を促して、轍の跡の残る山道を進み始める。レアは意気揚々と、アヤナは渋々とその後に着いて歩き始めた。
◇◆◇ ◇◆◇
状況が変化したのはそこから四半刻程経った頃だった。途中から道は上崖と下崖に挟まれる形となり、空からは好き放題襲撃が出来そうな地形となっていた。幸い道幅はあるので、滑落の心配はあまり無い事が救いか。
そんな地形だからこそ、特に警戒しながら歩いていたところ、上空からグァーッ! と鋭い鳴き声が響き渡った。その声を聞いたココロがすぐさま杖を構え、一瞬遅れて意味を察したレアもヴォウジェを握り直す。
「あちらです!」
ココロが杖を向けた先、上空から鳥型の異形が三体、彼女達に向けて突っ込んでくるのが見える。それは、少女の上半身に人間大の翼と鳥の脚を生やしたような姿をした魔物で、愛らしい顔つきをしてはいるものの、血走った目を大きく見開かれ、ぎゃあぎゃあと煩く騒いでいる。この魔物がハーピーに相違無いだろう。
「来たッスね。さあ、肉にしてやるッス!」
「……ちょっと、レア?」
「んお? どうかしたッスか?」
アヤナは青い顔でハーピーを指差す。
「アレを食べる気?」
「当然ッス」
「上半身殆ど人じゃないの!?」
「そういう魔物もいるッスよ。アヤナは早く慣れた方がいいッス」
そう言うとレアは背嚢を落とし、挑発するように斧槍を振り回しながら前に出る。アヤナは傍らにいる己の従者を見た。
「……ココロ?」
「ご安心ください。レアさまの感性は大分特殊ですので……」
微妙な顔をしているココロに、アヤナは少し表情を緩めた。ああいうのを食べるのが当たり前の世界だったら流石にやって行ける気がしない。
「ですが、主さま」
ココロが杖を持たない左手を口許に添えながら、アヤナに声を掛ける。
「レアさまの仰る通り、あのような見た目の魔物もおります。ですが、人のような姿をしていてもあれは魔物。言葉の通じぬ化け物です。異世界から参られた主さまには、酷なことなのかも知れませんが……」
「あぁ、そこは大丈夫」
アヤナは己の杖を握り締め、口の端を釣り上げた。
「人の見た目をした言葉の通じない化け物なら、よく見てたから」
アヤナはすっ、と杖を持ち上げる。見れば、三体のハーピーに集られる形になったレアがヴォウジェで攻撃を捌いている。余裕はありそうで、擦り傷を負いながらもその内の一体を見定めて斧槍を振り被った。
「おりゃぁあああ!」
「ピィィィィイイッ!?」
ざんッ! と、力強く振るわれた刃が攻撃を仕掛けようとしていたハーピーの脚を斬り落とす。人ならざる甲高い悲鳴を上げて血を噴き出す鳥人。強力な反撃に無事な二体は泡を食ってレアから距離を取った。
瞬間、鋭く短い指笛の音が山腹に鳴り響く。ココロが吹いたのだ。彼女の意を受けて矢のように降下してきた大鴉が片脚を喪ってもがくハーピーの顔面に強烈な蹴撃を叩き込む。鮮血が散り、爪でぐずぐずになった目玉が吹き飛ぶのが見えた。
──目の前に広がる凄惨な光景。元いた世界ではまず目にしないだろうそれに、しかしアヤナは怯まなかった。
感じるものは、胸の奥から湧き上がる魔力の高まり。その高揚感に導かれるように、彼女は言葉を口にする。
「猛き炎よ、万物に流転の理を示せ! 《ファイアボルト》ッ!」
アヤナの杖から激しい炎が一塊となって迸る。炎は片目片脚を失い半狂乱になるハーピーを直撃し、一瞬で全身に燃え広がった。羽毛を、皮膚を、空いた眼窩から脳内までもを焼き尽くされたハーピーは断末魔すら赦されずに地に堕ちる。
「ははっ……! まずは一匹!」
「おお……凄い炎ッス。焼き過ぎッスよ、黒焦げじゃないッスか」
炭化して丸くなる骸を横目にレアが嘆息する。と、
「っ! レアさま!」
「!? あうっ!」
急降下してきたハーピーの爪が、ココロの警告に咄嗟に掲げたヴォウジェをすり抜けてレアの左肩を直撃した。十分な速度の乗ったその一撃はココロの張った障壁を貫通し、レアの肩をざっくりと抉る。苦鳴を上げつつも身を捻り、何とか二匹目からの追撃を躱すも、その傷は深いようで夥しく血が流れている。敵を焼き払って気分の高揚していたアヤナも流石に青くなった。
「ちょ、ちょっとレア、大丈夫!?」
「レアさま、今回復を……」
「……心配要らないッス!」
回復魔法を掛けようと杖を向けたココロを、レアの声が押し留めた。
「ちょっと、強がり言ってる場合じゃないでしょ!? 血が……!」
「こんなの、お肉を食べれば治るッス!」
「肉って……こんな時までそんなこと」
言い募るアヤナの前で、ベルトポーチから肉を一塊掴み出したレアがすかさずそれを口に含んだ。冗談みたいな速さで肉が消え、ごくりと嚥下される。レアは漆黒の目をかッ! と見開いた。
「うおおおおッ! みなぎってきたッスーッ!」
レアは怪我人とは思えぬ速度で前進すると、大きく上に跳躍した。傷を与えて弱らせた筈の獲物が、何故か突然傷を負う前より元気になって自分の頭上を取っている。理解しがたい現実に目が点になっているハーピーは、だからこそ目の前で大上段に振り被られた斧槍に対処が出来ない。
「どっせぇェェいッ!」
叩き付けられた刃はハーピーの左肩から入り、乳房、左下腹部を引き裂いて股間から抜けた。左半身ごと片翼を失ったハーピーは傷口から血と臓物の破片を溢しながら墜落する。何があったか分からないまま虫の息となったハーピーがノロノロと上げた頭を、舞い降りた大鴉が蹴り飛ばした。転がった拍子に傷口から覗いた心臓を目敏く鴉が一突きにしてトドメを刺す。
「ぴ……ぴぃぃぃぃい!」
あっという間に無惨な肉塊に変わった仲間の姿か、それともそれを成した下手人にか。恐れをなした最後の一体が恐慌状態になりながら一目散に逃げていく。
「あ、逃げられたッス」
難なく着地したレアはヴォウジェの石突を地面に突き刺して嘆息すると、気を取り直したように倒したばかりのハーピーへ向かう。
「倒したからには早速肉にするッスよ。先ずは血抜きッス」
「いやそうじゃないでしょ!?」
駆け寄ってきたアヤナがその小さな肩を掴む。レアは不思議そうな顔で振り返った。
「んお……どうしたッスか? アヤナ。血抜きは時間との勝負なんで、出来れば後にして欲しいッス」
「そんなんどうでもいいわ! それよりアンタ、怪我は!?」
「怪我ッスか? お肉食べたから治ったッス」
「そんな訳ないじゃないの! いいから見せなさい!」
アヤナに迫られ、レアは素直に抉られた肩を見せた。そこには生乾きの血がべっとりとついており、アヤナはココロが差し出した手拭いで慎重にそれを拭いていく。そこには、
「……あれ? 傷は?」
傷跡らしい白い線が薄ら残るものの、綺麗な褐色の肌が見えた。だから言ったじゃないッスか、とレアが肩を竦める。
「お肉食べたからもう治ったッス」
「……ココロぉ」
「ご安心ください。多少治癒力を促進する効果はありますが、普通は肉を食べてここまで劇的に傷が治るものではございません。レアさまがおかしいだけでございます」
「酷くないッスか?」
レアは不満げに口を尖らせると、まぁいいッス、と仕留めた獲物に向き直る。
「今はこっちが大事ッス。先ずは吊るして──」
「って、そんなことやってる場合じゃないわよ。逃げた奴を追い掛けないと」
「あ、そうだったッス!」
「ハーピーはあちら……崖上の方へ逃げていきました」
ココロが崖上の一角を指差す。そちらがハーピーが逃げた方角らしかった。崖は切り立つ、とまではいかないが、かなりの急斜面になっており、素人が登るのは厳しそうである。
「うげ……あの崖を登るの?」
「そうですね……あちらは如何でしょうか。上からロープを垂らせば登れそうではありませんか?」
顎に手を当てて崖を見渡しながらしばし勘案したココロが、別の一角を指差す。先程の場所よりも勾配がやや緩く、足場になりそうな大きめの石も多い。お誂え向きに崖上にはロープを結ぶのに丁度良さそうな立木まである。
「そうね……あれならまぁ、何とかいけるか」
「レアさま、ロープをお願いできますか?」
「いいッスけど、先に血抜きだけさせて欲しいッス。頭と翼落として吊るしとけば後は放置でいいんで。あ、一緒に内臓も抜いておいた方が──」
「後にしなさい! 悠長にしてたら見失っちゃうでしょうが!」
「わ、分かったッス」
アヤナの剣幕に圧され、レアはハーピーの脚を放り投げると慌てた様子で荷物を担いで崖へ走っていく。アヤナは深々と溜め息を吐いた。
「ご安心ください、主さま。鴉につけさせていますので、見失っても大丈夫かと」
「ココログッジョブ。まぁ正直、今から崖登っても手遅れだとは思ってたのよね」
「そうなのですか?」
では何故レアさまを急かしたのでしょう? とココロは小首を傾げる。アヤナはだってさ、と肩を竦める。
「ハーピーの解体ショーとかアタシ見たくないもの」
「確かに。ごもっともでございますね」
流石です、主さま、と胸の前で拳を握るココロに、アンタの方が凄いと思うけどね、と返すアヤナ。もう登り終わったのか、レアが崖の上から二人を呼びながら手を振っていた。
「では、急いで登らねばなりませんね。悠長にしていると、降りてきて血抜きの続きを始めそうです」
「それは嫌ね……あー、でもコレ登るのかー」
「頑張ってください、主さま」
応援しております、とココロは優しくアヤナの手を握る。全く、勇者も楽じゃないわね、とボヤきながら、彼女はロープに手を伸ばした。
段々とココロが「ご安心くださいbot」に見えてきたぞ……