バルーニサ山はかつて火山であったらしい。大鴉に導かれながら道なき道を行き、山頂まで辿り着くと、その頂上はすり鉢状の窪地になっていた。もう噴火しなくなって久しいのだろう、ちらほらと緑が見えるその火口に嵌まり込むようにして、その遺跡はあった。中央に見えるホールらしき建物から左右と奥に向かって通路が伸び、それぞれ別の建物に繋がっている。特に奥側の建物はホールに次ぐ大きさであり、一際太い通路で接続されていた。全ての建物を合わせるとおおよそ150m四方の規模であり、それが火口のすり鉢の底から築かれた背の高い石の基礎の上に建っている。長年の風雨によってか側面や天井の窓は枠すら残らずに壊れ、一部壁に草木が生えたり穴が開いたりしているが、全体としては健在のようであった。
「こんな所に遺跡なんてあったんスねぇ……」
「様式からして、大分古いものの様です。何かの施設だとは思うのですが……」
火口口に立ち、間抜けに口を開けながら遺跡を眺めるレアの隣で、ココロが壁の作りや遠目から確認出来る破損の度合いを見ながらそう首を傾げた。その間に大鴉が降りる。その脚にはハーピーの物らしい羽根を掴んでいた。
「お、偵察ゴクローッス」
気付いたレアが鴉に干し肉を差し出す。鋭い嘴で器用にそれを受け取ると、鴉は足元に置いてからココロへ向かってクルクルと鳴く。
「……どうやら、ここにハーピーがいるのは間違いないようです。ただ、建物には人間が出入り出来る侵入路は、あそこにある入り口以外は無さそうだと」
報告を終え、嬉しそうに干し肉を啄み始めた使い鴉を撫でながら、ココロが建物の一画を指す。そこには中央のホールに繋がる入り口らしい四角い穴が見える。そこから細い石の橋が火口の壁面まで伸び、そこから摩滅した階段が彼女達の目の前まで続いていた。
「まぁ……そこ以外から行くのは正直無謀だと思うッスよ。崖が脆いから一気に下まで転げ落ちそうだし、そこからあの足掛かりの無い土台を登るのは無理があるッス」
レアが火口の縁を蹴りながら頷く。蹴られた縁はあっさり砕けると、細かい粒になりながらすり鉢上の斜面を転がり落ちていく。レアの言う通り、元々急な勾配である上に簡単に崩れてしまうのでは安全に降りれるか怪しく、降りれたとしても待っているのは垂直に立つ滑らかな岩の壁だ。大人しく正面から行く他無いだろう。
「そうと決まれば……ほら、アヤナ立つッス。シャキッとするッスよ」
「むり……しぬ……」
レアが呆れ顔で振り返った先では、岩場に腰掛けたアヤナが、今にも口からはみ出た魂の尾が切れそうな顔で白目を剥いている。
「体力が無さすぎるッスよ! 立派な勇者目指すんじゃ無かったんスか!?」
「勇者はやってみるだけだって……立派とかは別に……」
「それにしたって軟弱過ぎるッス! もっと根性出すッス!」
「勇者は根性のある者じゃなくて、勇気のある者であって……」
「ええい、つべこべ言わずに肉食うッス!」
「むがっ!?」
だらだらと言い返すアヤナに業を煮やしたレアが、無理矢理肉で黙らせる。
「どうか落ち着いてくださいませ、レアさま。ここまでの道のりは、わたくしの目から見ても大変なものでございました。歩き慣れない主さまであればいっそうでございます」
「む……確かに、薮とか沼とかあったッスね」
「はい。丁度、昼餉の時間を過ぎた頃でございます。いかがでしょう、食事がてら、一度休憩にしては」
「あれ、もうそんな時間ッスか」
レアは頭を掻きながら空を見上げる。確かに太陽は中天を少し過ぎた所にあった。
「分かったッス。アタシがご飯作るんで、ココロはアヤナを介抱してて欲しいッスよ」
「お任せください」
頷いてぶっ倒れたアヤナの世話を焼きに行ったココロを見送ると、レアは背嚢を降ろして食材を幾つか取り出した。二種類の肉を薄く、多めにスライスすると、ザワークラウトとタマネギのピクルス、きゅうりのマスタード漬けと一緒に、薄めにスライスした黒パンへ挟んでいく。
「完成ッス」
あっという間に三人分のサンドイッチを仕上げたレアは、余った肉のスライスを鴉の前に置いて二人の元へ行く。ココロは地面にシートを敷いて座り、アヤナに膝枕をしていた。
「ご飯出来たッスよー」
「お疲れ様です。主さま、起きてください」
アヤナを仰ぐのに使っていた彼女の帽子を丁寧に横に置き、優しく囁きながら頭を撫でる。アヤナはむずかるようにきつく目を閉じたが、再度主さま、と声を掛けられて諦めたように身体を起こした。
その前に、レアが作ったサンドイッチを差し出す。
「アヤナ、ご飯ッス」
「うん……」
アヤナはサンドイッチを両手で受け取る。レアはココロにサンドイッチを渡すと、アヤナの隣にどっかり座った。自分の分のサンドイッチに視線を落とし、ぽつりと呟くように声を掛ける。
「アヤナ」
「……何よ」
「さっきは、悪かったッスよ。アヤナのこと、全然考えて無かったッス」
「あぁ、そのこと」
アヤナは溜め息を吐く。
「アタシ、体力は有り余ってるッス。それが取り柄の一つだし、今も全然疲れてないッス」
「まぁ、そうなんでしょうね」
「でも、アヤナはそうじゃないッス。流石に体力無さすぎるし、もっと体力付けて欲しいッスけど……でも今すぐには無理ッス。アタシはそれが分かってたハズなのに、今のアヤナにアタシの基準を押し付けようとしたッス。ギルドマスターとして恥ずかしいッス」
「で、悪かったって?」
「そうッス」
アヤナは先程より大きな溜め息を漏らした。
「……分かったわ。アンタの謝罪は受け取った」
「ありがとうッス」
「じゃ、今度はあたしの話聞いて」
アヤナはレアのように自分の頭をがしがしと掻いた。
「あたしはね。自分が情けないって思うわ」
「アヤナ?」
「だってそうじゃない? あたし、元々運動が得意な方じゃなかったけどさ……自分より小さな子がピンピンしてるのに、自分だけダウンしてるなんて……みっともないじゃない、そんなの」
そう言うと、アヤナは目を丸くしているレアに努めて明るく笑い掛ける。
「アンタはあたしに無理強いした。あたしはアンタ達の足を引っ張った。だから、これでお相子ってことにして、水に流さない?」
「アヤナがそれでいいなら、あたしは言うこと無いッスけど……」
「じゃ、決まりね。山から下りたら本格的に体力造りしないとなぁ……」
「お任せください、主さま。必ずや、レアさまにも負けない体力を身に着けさせてご覧にいれます」
「いや、それは無理でしょ」
アヤナは苦笑すると、手にしたサンドイッチにかぶりついた。
「うわこれうっま。レア、アンタ料理の才能あるわよ」
「肉を美味しく食べるためには一切妥協なんてしないッス。パンは自分で焼くより店の方が美味しいから買ってきたッスけど、ザワークラウトもピクルスもマスタード漬けも、今回のカエルの燻製とワニテールハムに合わせた特製ッスよ」
「……なんて?」
「一緒に挟んである野菜類は、肉に合わせて自分で作ってるッス」
「今、何の肉って、言った???」
「? カエルとワニッス」
顔を真っ青にしたアヤナの手からサンドイッチが滑り落ちる。危ないッスー! とレアが滑り込み、何とかキャッチした。
「危うく肉が落ちるとこだったッス。気を付けて欲しいッス」
「いや、だって……!」
「ご安心ください、主さま」
食べていたサンドイッチを畳んだハンカチの上に置き、ココロは人に無上の安心感を与えるような笑顔を見せる。
「カエルもワニも、普通に食べられている食材でございます。レアさまの調理も適切で、非常に美味でございますので、是非ご賞味ください」
「そういう問題じゃないのよぉ……」
泣きそうな顔で頭を抱えるアヤナに、首を傾げたレアとココロだった。
◇◆◇ ◇◆◇
「近くで見ると結構ボロボロッスね」
休憩を挟み、アヤナの回復を待った一行は遺跡の入り口を潜ろうとしていた。かつては木の扉か何かが付いていたのであろうそこは今は歪な四角い穴となっており、辛うじて隅に一箇所だけ残っていた蝶番らしい錆びた金具が、そこに扉が存在していただろうことを教えてくれる。
幸か不幸か、天井に所々空いた穴から差し込む光のお陰で内部は見渡すに支障の無い程度の明るさがあった。遺跡の中も荒れ放題で所々に草や細木が生えているが、歩きにくい位で全く通行出来ない程ではないようである。
「ねぇ……これ大丈夫? 途中で崩れたりしない?」
「申し訳ございません、主さま。わたくしの知識では、風化は進んでおりますが、今すぐ倒壊はしないのではないか、程度の判断しかできません。天井につきましては分からない、としか申し上げることができず……」
「謝らなくていいってそんなこと。むしろ、多少判断出来る位の知識はあるんだ?」
「寺院の中にはこの遺跡位の年代に作られた物もございますから……侍祭として、そういった遺跡の調査に同行させて頂いたことがあるだけでございます」
「そう……真面目ね、ココロは」
真面目……でございますか? と首を傾げたココロに、アヤナは頷いてみせる。
「だってそうでしょ? 多少判断できる程度の知識をその同行で学んできたって事なんだから……あたしだったら多分、何も学べてこれなかったと思うわ。めんどくさーって感じで」
「そういうものでしょうか……」
「そういうもんよ」
お褒めいただきありがとうございます、と頬を染めたココロに笑みを返したアヤナは、改めて天井を見上げる。そして、何かを思い付いてポン、と手を打ち鳴らした。
「そうだ、いっそ崩れそうならあたしの魔法で焼き払って倒壊させたらどうかしら。中の魔獣も一網打尽にできるし、一石二鳥じゃない?」
「主さま、主さまの魔法は火属性でございます。石造りのこの遺跡には効果が薄いかと……また、例え有効な地属性の魔法だったとしても、この規模の遺跡では崩し切る前に魔力切れになると思われます。付け加えますと、熱された石材は脆くなりますので、何かの拍子に倒壊する危険性が高まってしまいます。おやめになった方が宜しいかと」
「……ココロは真面目ね」
「? ありがとうございます……?」
深い溜め息を吐いたアヤナに、ココロは分かっていない顔で首を傾げた。
「結局どうするッスか? 入るッスか? それとも遺跡焼くッスか?」
「焼かないわよ。入るしかないでしょ、こうなったら」
「分かったッス。じゃあ、アタシが先頭になるんで、アヤナ、ココロの順番で着いてきて欲しいッス」
頷いた二人に自身も頷きを返すと、レアは自ら遺跡に踏み込んだ。器用にヴォウジェで歩くのに邪魔な薮や細木を伐り払いながら進んでいく。
「手慣れてるわね」
「野外では結構こういうことやるッスからね。でも、罠探すとかはさっぱりなんで、あったら引っ掛かるしかないッス」
「……大丈夫なの? それ」
「アタシが一番頑丈ッスからね。アヤナやココロが引っ掛かるより何とかなると思うッス。けど、何かヤバいことになったら助けて欲しいッスよ」
あっけらかんと言いながら、さくさく迷いない様子で進むレア。頼もしくはあるが、無策で突っ込む、なので如何ともし難い。
「罠かぁ……考えてみると、そういうの得意なのがいないのよね、あたし達」
「一応罠の場所が分かってれば解除はしてみるッスよ。手先の器用さには自身あるッス」
「そのうちそういうのが得意な人も探さないとかも知れないわね……ココロ、心当たりない?」
「申し訳ございません。そういった技能のある方は、既に他のギルドに所属しておられる方ばかりで……」
まぁそうよねぇ、とアヤナは口をへの字に曲げると同時に、レアがホールに続く扉があったと思われる場所に垂れ下がる蔦を斬り払う。ホールは天井の中央部分が崩落しているが、円周上に配置された八本の石柱は健在で、それらが残りの天井を支えていた。調度品は色々あったようだが、このホールにあったものは木製が多かったのかすっかり植物に呑み込まれてしまっている。外から見た構造の通り、ホールの左右と正面には通路があるのが見えた。扉の類はやはり喪失している。
「さて、どこから行くか……ん?」
アヤナが思案していると、星型の何かがホールを凄まじい勢いで横切って行った。手のひら大のそれは彼女達には気付かず、左の通路へ飛び込んで消える。
「今のは……」
「おそらく、ソーンダイクさまが仰っていたアンラッキースターかと」
「肉ッスね! 追い掛けるッスよ!」
レアは斧槍を振り上げると勇んで左の通路に突っ込んで行く。アヤナはココロと顔を見合わせた。
「あっちの方って確か……」
「はい。使い鴉の偵察で、ハーピーの姿が確認された方でございますね」
昼食の後、遺跡の所まで降りる前の打ち合わせで、そんな報告をココロが挙げていたことを思い出す。左のホールは天井が大きく開いていてハーピーがいるのが確認できたのだとか。
「一人で突っ込ませる訳には行かないわね」
「はい」
アヤナはすぐさまレアの後を追う。ココロも指笛を吹いて大鴉を呼び寄せると、すぐにその後に続いた。幸い、障害物が少ないとはいえ道を啓開しながら進むレアに追いつくのは難しいことでは無い。すぐに追い付いて後ろに並んだ。
「……気の所為かしら。さっきよりもちょっとあったかい様な……?」
「わたくしも同じように感じます。それも、進むにつれて暖かくなっていくような……警戒しておきましょう」
アヤナの言葉に頷いたココロが両手で杖を握り締める。通路を進むにつれて濃くなる緑を適度に排除しつつ進むと、その突き当たりに、ある程度広い部屋が見えてきた。
「ここは……」
そこはまさしく孵卵場であった。何列にも並んだ石造りの円柱上の台座の上には、一抱え程もある鳥の卵が置かれている。それを世話する様に動き回る二体のハーピーを見れば、それが何の卵かは明白だろう。部屋の中は軽く汗ばむ程の気温だが、熱源のようなものは見当たらない。ただ、床や壁には精緻な紋様が刻まれ、それが薄らと赤く明滅を繰り返しているのが見える。何かは分からないが、それがこの部屋の気温が高く保たれる秘密のようだった。
「ハーピーが卵を孵している……? 魔物って、こんな設備を作る技術があるわけ?」
「いいえ。この設備は元々この遺跡のにあったものかと。この遺跡はハーピーの繁殖場だったのでは無いか、と推測できますが……何故そのような……」
「理由とか今はどうでも良いッスよ。それより卵を確保しないといけないッス」
「あら、卵は食べられるんだっけ?」
冗談めかしてアヤナは訊いたが、頷いたレアの顔は冗談の欠片も感じられない位真剣だった。
「卵があれば親子丼が作れるッスよ。他にもスコッチエッグとか、変わったとこだとカツ丼とかも旨いッス」
「親子丼とカツ丼があるの!?」
アヤナは思わず目を剥いた。すかさずココロが補足を入れてくれる。
「近年、アーシアンの方が持ち込んだ料理でございます。お米に載せて食べるそうですが、彼等が専用に品種改良したお米で作った物はまた格別なのだとか」
「アーシアンって結構いるわけ? あ、そうか、だから呼び名があるし、神官長も別に驚いていなかったわけか……」
アヤナは一人納得して考え込む。あの
──だとしたら、あの子も……。
「それよりも、天井をご覧下さい。どうやら、ここは先程までの場所に比べると些か危ないようでございます。急いで行動しなければなりません」
ココロの声に釣られて、アヤナは天井に目を向ける。それが報告にあった穴なのだろう、そこは元は換気用の大窓があったのか、一角とその下の壁面が大きく崩落してしまっていた。天井の穴自体はここまででも珍しくは無かったが、問題は穴の淵から罅が広がっており、時折パラパラと何かが降ってきていることだ。
「それと、レアさま。申し訳ございませんが、今回の依頼は駆除でございます。対象には当然、卵も含まれますので、今回は諦めていただかなくてはなりません」
「そうなんスか!? 残念ッス……」
ココロの言葉を素直に聞き入れてレアは肩を落とすと、気を取り直した様に斧槍を構えた。
「それじゃあ、さっさと仕掛けるッスよ」
「そうね、こっちに気付いてない内に……あっ」
アヤナが杖を構えようとした瞬間、ハーピーの頭に先程の星型の生き物が張り付いた。鬱陶しげに翼で払い除けたハーピーとアヤナの目線が、合う。
「──ぴぃぃぃぃい!」
「気付かれたッス!」
「あの星……! 早速不幸じゃないのよ!」
ハーピー達が真っ直ぐに突っ込んできて、体勢の整い切らない彼女達に襲い掛かる。魔物が獲物に選んだのは、威嚇の声に反射的に身を竦めたココロだった。
「《
咄嗟に障壁を張るも、一体目の体当たりに体勢を崩され、少し狙いの逸れた二体目の蹴撃が頬を浅く裂いた。追撃しようと彼女に集るハーピーを、レアが斧槍を突き込んで追い払う。
「大丈夫ッスか!?」
「なんとか大丈夫でございます」
「二人は後ろに下がるッス!」
更にヴォウジェを振り回してハーピーを追い散らしたレアが前に出る。それを脅威と見たか、ハーピー達は憎々しげにレアを睨み付け、ぎゃあぎゃあと叫んでいる。見れば片方のハーピーの太腿に裂傷が入っていた。先程のヴォウジェが掠めたらしい。
「先ずは手負からっ! 炎よ! 其の罪禍を焼き祓え! 《ファイアボルト》!」
自らにヒールを掛けるココロを庇うように立ったアヤナが魔法を放つ。直撃を受けたハーピーが悲鳴を上げて墜ち、煙を上げて地面を転げ回る。ココロを傷付けた魔物の無様な姿に、アヤナは心が沸き立つのを感じた。自然と頬が吊り上がる。
「あははっ! 燃えろ燃えろ!」
「アヤナ、それちょっと怖いッス……」
「えっ」
レアの言葉に、心がすんっと落ち着いた。確かに、自分の先程の情動に違和感を感じる。自分はこんなに攻撃的な人間だっただろうか……?
「っ! レア、前!」
「!? うぉお、肉ッス!?」
飛んできたアンラッキースターの体当たりを、レアが身体を捻って躱す。レアにぶつかり損ねた星はそのまま天井付近まで飛んで行くと、急降下して再び襲いかかってきた。
「ぐぅ……!」
胸に一撃を貰い、仰け反るように一歩後退するレア。そこへ、機と見た無傷のハーピーが翼を畳んで突っ込んだ。
「レアさま……!」
回復を終え、戦線に戻ったココロが杖を構えたが間に合わない。急拵えの貧弱な障壁を突き破り、鋭い爪がレアの剥き出しの腹に深々と突き刺さった。
「がはッ……!」
「レアっ!?」
明らかに腹を突き破られたレアの姿に、思わずアヤナが叫んだ。夥しい血が噴き出し、会心の手応えにハーピーは悦びの雄叫びを挙げて爪を引き抜こうとする。
だが出来なかった。
「うぐぐ……」
腹筋を締めたレアが、震える手を腰のポーチに伸ばす。口から血を流しながらも、彼女の目は死んでいなかった。
「まだ……アタシには、お肉があるッス……!」
「ぴぃい!?」
掴み取った肉をむしゃりと一口で呑み降すレア。瞬間、乾いた土に水が染み込むように活力が彼女の全身に広がっていく。かッ! と見開かれた目が恐怖に震えるハーピーを捉えた。レアは
「ミート! ザ! パゥワー!!!」
フルスイングした一撃が、動けないハーピーの両脚を纏めて斬り落とした。絶叫を上げて逃げていくハーピーに、レアは大きく肩で息をすると、腹に残った脚を引き抜いて傷の残る腹を撫でる。だがそれは、先程血が噴出していたものとは思えない程小さく、僅かに血が流れる程度のものだった。
「はぁ……ふぅ……お肉が無ければ危なかったッス」
「いや、明らかにおかしいでしょ!?」
「そう言えば思い出したことが……」
アヤナ同様に唖然としていたココロが、胸を撫で下ろしながら呟くように言う。
「南西にあるフィンジアス島の戦士には、素早く肉を食べて活力に変える技法が存在するとか。わたくしも、それがこんな不条理なものだとは思ってもみませんでしたが……」
「いや不条理にも程があるでしょ……お肉ヤバ……」
げんなりとアヤナは呟いたが、気を持ち直した様に杖を構えた。
「さて、と。何か理不尽なものを見た気はするけど、うちのリーダーを傷付けてくれたことには変わりないわ」
その先端に魔力を集める。また破壊的な情動が頭をもたげたのを自覚したが、アヤナは構わないことにした。この情動に不快感は覚えない。ただただ高揚と開放感だけがある。
彼女はちらりとレアを見る。先程のダメージを感じさせない様子で斧槍を構える、無防備な背中。それを見ても、情動は動かない。この感情は向かない。
──ならばきっと、大丈夫。
アヤナは狂ったように飛び回るハーピーに、その情動のままに叫ぶ。
「今度こそ燃やし尽くしてやる! 炎よ! 罪業一切灰と成せ! 《ファイアボルト》ォ!」
杖から打ち出された炎の矢がハーピーの身体を貫いた。自分の情動に気付き、それを肯定した所為か。炎は先程よりも大きな物となって、
「アハハ! 消し炭になるがいいわ!」
アヤナは黒焦げになったハーピーを前に高笑いする。前後から視線を感じた。それは決して悪感情ではない。後で説明をしないとね、と頭に残る冷静な部分が舌を出した。
「とにかく、後は肉……ってぇぇぇぇえ!?」
最初に燃やしたハーピーに大鴉がトドメを差し、残るはアンラッキースターのみ、と振り返った所でレアが叫んだ。これから仕留めようとした相手があっさり天井の穴から外へ逃げていったらそうもなるだろう。
「に、逃げられたッス……」
「……ってこれ、ヤバくない?」
アヤナが天井の一角を指差す。全員がそちらに意識を向けた瞬間、天井が突如として崩落を始めた。
「た、退避ッス〜!」
「言われなくともッ!」
「主さま!」
全員一目散に通路に向かって走る。幸い、比較的通路の側で戦っていたお陰で、三人は何とか崩落に巻き込まれずに通路へ逃げ込むことが出来た。通路に座り込んで呆然と崩落跡を見つめる。崩落は全面的に起こっており、卵は全てその下敷きになったようだった。ハーピー達の死体も瓦礫の下だろう。
「危なっ……これもあの星の所為ってことなの?」
「何とも言い難いですね……ですが、皆様無事で何よりでございます」
大鴉を抱き締めながら、ココロが溜め息を吐く。
「今のうちに治療を致しましょう。レアさま、傷口を見せてください」
「助かるッス。お願いするッスよ」
ココロはレアの傷口を清潔な布で丁寧に拭うと、取り出した薬を塗って《ヒール》を掛ける。
「あ"〜……《ヒール》が染み渡るッス〜……」
「おっさんみたいな声出さないでよ……でさ、レア。ココロも。ちょっといいかしら?」
「んお? なんスか、改まって」
アヤナの声に、レアとココロが振り返る。アヤナは指先で前髪を弄ると、少し照れたように言った。
「あたし、やりたいこと見つかったみたい」
「ホントッスか!」
レアが我がことのような喜びを見せ、ココロも微笑みを浮かべた。多分引かれるんだろうな、と内心苦笑しながら、アヤナは頷いた。
「あたしのやりたいことは、あたしの敵を焼き滅ぼすこと。徹底的に、完膚なきまでにね」
「えぇ……」
「……分かってたけど、そんなにあからさまにドン引かれると結構傷付くわね……」
分かりやすいレアの様子に、アヤナは引き攣った笑みで頬を掻く。ココロも表情を曇らせているのが分かった。アヤナは弁明を始める。
「ほら、初めて会った時さ、アンタ、あたしがずっと抑え付けられて、やりたいこと全部我慢してきた人間だって言ってたじゃない。その通りでさ。あたしはずっと我慢してたんだ。言いたいことも、見過ごせないことも。自覚も無いままにね」
アヤナは自分の掌に視線を落とす。そこに魔力の高まりを意識した。だがやはり何も感じない。心は穏やかなままだった。
「あたしはこの世界に喚ばれて、あたしを抑え付けていたものから解放された。同時に、あたしは力を得た。あたしはあたしの好きに力を振るうことが出来る。あたしが赦せない
小さく息を吐いて魔力を霧散させると、アヤナは肩の力を抜いてへらりと笑った。
「正直、あたしも自分で自分を『悪い子』だって思ってるわ。アンタはあたしを止める?」
「……程度によるって、言ったッスよ」
レアは眉尻を思い切り落とすと、大きく溜め息を吐いた。
「そんな話を聞かされたら止めるに止められないッスよ……全く」
「あはは……ごめん」
「謝らなくていいッスよ。アヤナの好きにしたらいいと思うッス」
ただ、とレアは横に置いていたヴォウジェの柄に触れた。
「行き過ぎたと思った時は、その時は、全力で止めるッス」
「うん。その時はよろしく」
「よろしくされたくないッスよ……もう」
がしがしと頭を掻きながら、落ち着こうというのかレアは取り出したジャーキーを噛みしだき始める。その様に少し申し訳なさを感じていると、その手を柔らかく握るものがあった。
「主さま……わたくしは、主さまがどうなろうとも、お供させて頂きますので」
「いいの? 自分で言うのもなんだけどあたし、その時は勇者というよりは魔王みたいになってる気がするんだけど」
「例え魔王だとしても、主さまは主さまですので」
「そう……本当に頑固ね、アンタ」
「ありがとうございます」
「だから、褒めてないっての」
アヤナは苦笑すると、ココロの頭を柔らかく撫でたのだった。