機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
互いの攻撃を防いだ初撃は、鍔迫り合いからの急速離脱という結果に終わった。体格とパワーで勝るシャルロッテの〈ヤークトドラッヘ〉が、機敏さで勝るエルフリーデの機体を逃してしまったのだ。
音速に迫る速度域で殺し合い、暴風のごとく斬り結んだ二機の間で、衝撃波が生じて周囲の草木をへし折っていく。
たった一秒で視界から消えた敵機。獰猛な竜は、逃した獲物を探して巨木の森に電磁波をまき散らす。
アクティブ・センサーによる索敵――強烈な電磁波を投げかけ、その反射で敵機の位置を探る。だが使い物にならない。あちこちに樹木が生い茂っているせいで、レーダー波が散乱、反射してしまうのだ。
シャルロッテ自身が放った砲火によって、火災が発生していた。放射される強烈な赤外線のせいで、ジェットエンジンの痕跡を熱で探知するのも不可能だ。
――狂っている、壊れている、穢れている。
こんな風になってしまった自分も、そうなる道筋を作ったこの世界も、何もかもがおかしい。
シャルロッテ・シャインの胸を満たす絶望は、濁りきった泥水のように暗く救いがない。その痛みが、少女の心身を人にあらざる形へと
第三世代試作バレットナイト〈ヤークトドラッヘ〉――紫紺の鎧を身にまとい、全身から炎を吹き出して空を飛ぶ機械仕掛けの竜――常人には耐えがたい肉体構造を自分自身として受け入れる。
受容――人でなしの怪物であろうとする。
諦念――普通の女の子でいられる日々は戻ってこない。
放棄――自分の中にあった良心も道徳も捨て去ればいい。
――だって、わたしにはもう、戻る場所なんてどこにもないから。
今のシャルロッテは、機械仕掛けの竜そのものだ。指先の一つ一つにまで意識が行き渡り、背中から伸びた一対二本の竜頭に至るまで、ありとあらゆる異形をコントロールできている。
光学センサーと音響センサー、電磁波を使ったレーダー器官――ありとあらゆる感覚器を総動員して、迫り来る敵の影を追う。
――見つけた。
途切れ千切れに視野に収まった敵影は、一秒で一五〇メートル以上の距離を移動する動態目標だった。信じがたいことに、障害物だらけの森の中で減速する様子すら見せず、そいつは真っ直ぐに突っ込んできた。
長大な一本のブレードアンテナはまるで鬼神の角、その全身の装甲は東洋の鎧武者のよう。
スカートにも似た腰の可動部――二本のスラスターバインダーにジェットエンジンを仕込み、その推力で飛翔する巨人騎士。
――エルフリーデ・イルーシャ。大陸間戦争の英雄、サンクザーレの勝利者、〈剣の悪魔〉。
――帝国最強の機甲猟兵が駆る、世界最強のバレットナイト〈アシュラベール〉。
シャルロッテが倒すべき敵の名前だった。
何故、戦わねばならないのかと問われれば――シャルロッテには理由がない。それが今の自分の存在意義であり、それを成し遂げねば、こうして呼吸している自分自身すら肯定できない。
すべての真実を知った今となっては、ベガニシュ帝国に仇なす人々への怒りは消え失せていた。
そう、シャルロッテにはエルフリーデを憎む理由がない。自分に戦闘技術を仕込んだ特務機関〈勇者のゆりかご〉すら、大本を正せば、傲慢で残酷な帝国が原因なのだから。
あのお祭りの日、エルフリーデ・イルーシャに糾弾した言葉は、自分でも理不尽だとわかっていた。
少なくとも今、シャルロッテが戦いを挑んでいる相手――黒髪の伯爵もエルフリーデもリザも、シャルロッテ・シャインが陥ったどん詰まりの地獄とは無関係だった。
考えれば考えるほど、あのあっけらかんとして明るい年上の少女を殺す理由が見つからなくて――せめて敵であって欲しいから、シャルロッテは呪詛を吐き出した。
「――わたしは命じられたの。これから〈ヤークトドラッヘ〉を使って、バナヴィア人のお祭りを焼き払えって。逃げてばかりいるなら、本当にそうなってしまうわよ!」
オープンチャンネルで呼び掛ける。サンクザーレの巨木の森は、軽く数十メートルの高さがある樹木が生い茂っている。直立二足歩行形態では身長五メートルを超える、〈ヤークトドラッヘ〉すら小人に見えるほど大きな木々の群れ。
電波の発信源という形で、自己の存在を発信するかのごとき行為――この行いに戦術的優位性は何もない。
挑発混じりの言葉に対して返答――
両脚の電気熱ジェット推進機構二基、竜の尾を構成するクラスターロケット四基、脚部に増設されたエンジンポッド二基――全部で八基のエンジンを組み込まれ、大幅に増大した機体重量を無理矢理に動かす。
〈ヤークトドラッヘ〉が大地を蹴って、爆発的推力で急旋回する。生身の人間であれば即座に意識を失う殺人的G。だが、肉体を機械と融合させる電脳棺ならば、こんな負荷にも耐えられてしまう。
飛び上がるようにして機動、極超音速の砲弾を回避。
高速の運動エネルギー弾を浴びた樹木が粉々に砕け散り、自重に耐えきれなくなった巨木が真横に倒れていく。頭上から落ちてくる大質量に、シャルロッテが回避運動を取った瞬間。
――来る。
深紅の悪鬼が踏み込んでくる。ジェット噴流の推進力で加速、二本の足で巨木の幹を蹴って推進方向を調整、時速三〇〇メートルを超える速さで森の中を飛翔する――正気の沙汰ではなかった。
三〇ミリ電磁機関砲の掃射。飛び込んでくる砲火は、シャルロッテが回避運動を取った先を狙っていた。
光波シールドジェネレータを作動させる。高エネルギー粒子の
〈ヤークトドラッヘ〉を竜の姿から、巨人の姿に変身させる――全身の骨格が組み変わり、関節が引き延ばされていく異様な感覚――両腕の先端に生えたかぎ爪を、勢いよく振るった。
刺突だった。
エルフリーデの機甲駆体〈アシュラベール〉が、左手に握った太刀を突き込んできたのだ。刀身がエーテル粒子に防護されており、強固な原子間結合を誇る超硬度重斬刀は、
シャルロッテを串刺しにするはずだった刺撃を、かぎ爪で跳ね上げて防御。
ぎゃぎぎぎぎぎ、と凄まじい金属の擦過音――火花が散って、互いの特殊合金製ブレードが触れ合う。
『きみに命令したのは底なしの馬鹿みたいだね。これからわたしに斬られるのに?』
あまりに冷たく突き放すような言葉――エルフリーデ・イルーシャは透き通るように、雑念のない純粋な殺意の持ち主だった。
彼女は自分を殺すつもりだ。バレットナイトという桁外れの暴力と一体化している以上、シャルロッテを逃す理由は何もないのだ。
ちょっとした村落の一つや二つ、〈ヤークトドラッヘ〉の火力ならば一分と経たずに焼け野原にできるだろう。サンクザーレ地方には農村がいくつもあるし、如何にヴガレムル伯領の軍が警備に当たっていようと、第三世代試作バレットナイトの前では吹けば飛ぶような戦力でしかない。
シャルロッテが犠牲者を作ってしまえば、あとはもう、ゲオルギイの描いた悪辣な罠は防げない。
「もう、あなたたちは罠にはまっているのよ――バナヴィア人を虐殺したバレットナイトと、その関係者と事前に会っていた伯爵様。民衆がそれを知ったら、どうなるでしょうね?」
『……ふぅ』
シャルロッテの予想に反して、エルフリーデは小さくため息をついて。
刹那、〈アシュラベール〉が獰猛な殺意を見せた。左の太刀で粒子防御帯を引き裂きながら、その隙間にねじ込まれる銃口――目と鼻の間ほどの至近距離で、極超音速の
シャルロッテは身をひねりながら、右半身から生えた竜頭で攻撃動作を実行。
近接プラズマ投射システム〈フォイアラート・シュランゲ〉――凄まじい大電力を投じて、大気をプラズマ化させてバーナーのように吹き付ける兵装だ。
数万度のプラズマジェットが放出された瞬間、運動エネルギー弾が竜頭を直撃。
今まさにプラズマジェットを発射していた〈フォイアラート・シュランゲ〉は、徹甲弾の嵐に耐えられなかった。
砕け散る。プラズマを
粉砕、溶解、爆発――三つ首の多頭竜は、右側の首をあっさりと失った。
「きゃああぁあ!?」
悲鳴を上げながら、シャルロッテはかぎ爪を振るった。横薙ぎに左右から迫る斬撃――エルフリーデが投げ捨てた電磁機関砲がぶつかる。衝撃が走る。真っ二つに切り裂かれた砲身を囮に、シャルロッテを蹴って後退する敵機――深紅の悪鬼が二本目の太刀を引き抜いた。
背部の兵装ハードポイントからサブアームが伸びて、鞘に収まった大太刀が抜刀される。
姿勢を崩した〈ヤークトドラッヘ〉が着地するのと同時、〈アシュラベール〉もまた地面に降りたった。気づけば二人の周囲からは巨木が消え失せていた。代わりに見えたのは、ぽっかりとその空間だけを切り取られたかのように、樹木が消失した領域だ。
成長の早い雑草は生えつつあったものの、背の低い樹木すら見受けられない――果てしない無の空間の向こう側には、途方もなく大きな建造物がそびえ立っていた。
サンクザーレの黒塔と呼ばれる巨大な遺跡のすぐ傍まで、二人は来ていたのである。
竜の首を一本、消し飛ばした英雄は――ただ静かにこう告げた。
『わたしは、
「ありえない……わたしは竜になったの……! 人間なんかとは違う……そうじゃなければ、何のために……!」
『ロッテ、話をしようか。昔々、バナヴィア人の女の子がいたんだ。その子は自分に
エルフリーデの話を無視した。シャルロッテは〈ヤークトドラッヘ〉を変形させて、機械仕掛けの竜へと変じた。
左側の竜頭がプラズマ砲を吐き出し、紫紺の竜が熱線砲を発射する。直撃した物質をその熱量でプラズマへと昇華させ、大地をガラス化させるほどの高エネルギー粒子の濁流。
粒子ビームを浴びて、白く大地が光った。
プラズマ化した物質の閃光――周囲に放射された熱だけで、雑草が灰になって燃え落ち、火の粉が雨のように降り注ぐ。
『せっかちだね、きみは』
〈アシュラベール〉の方が速かった。照射された粒子ビームの危害半径から逃れ、高く高く、宙を舞う悪鬼――それは体操選手が見せる極限の身体能力にも似て、全身を装甲で覆った機械仕掛けの騎士とは思えぬほどに美しかった。
その姿が綺麗だと思ったから、妬ましさで胸が張り裂けそうだった。
――撃ち落としてやる。
シャルロッテが背中の竜頭〈フォイアラート・シュランゲ〉で迎撃を試みた刹那。
空中で身をひねった〈アシュラベール〉が、左手に握った太刀を投げつけてきた。刃渡り三五〇センチメートルの超硬度重斬刀が、人工筋肉の瞬発力で
プラズマの光が灯ったかと思うと、左の竜頭が串刺しになって地面に縫い止められた。
『このお話のオチはね――どんなに強くなろうと、結局、その子は人間のままでしたってところ』
衝撃。
エーテルパルスをまとった金属塊の直撃で、近接プラズマ投射システム〈フォイアラート・シュランゲ〉は完全にその機能を停止した。
迷うことなく、串刺しになった首を捨てることにした。〈ヤークトドラッヘ〉はぶちぶちと竜の首を引き千切り、突き刺さった超硬度重斬刀ごと左の首を自身から切り離す。
気が狂いそうなほどの焦燥感の中、シャルロッテは叫んだ。
「人殺しが上手いだけの怪物のくせにっ!!」
『怪物か。きみって詩的な言い回しをするんだね、ロッテ』
ありえない、ありえない、ありえない。手の内を知っているのはこっちだって同じなのに、明らかにエルフリーデ・イルーシャは前回より強くなっていた。
シャルロッテ・シャインだって、彼女のバックアップを引き受けている技術者たちだって、前回の戦いで得たデータから多くを学んだのだ。
〈アシュラベール〉を凌駕するスペックと射程で、相手を封殺する。そういう戦い方をするために、〈ヤークトドラッヘ〉は生まれ変わったのだ。
常人には耐えがたい劣悪な操縦性と、異形の身体構造を受け入れるための適性――正しく悪しき竜に成り果てることで、シャルロッテはエルフリーデを殺せるだけの力を手に入れたはずだった。
『残念だけど、ロッテ。きみがどんな風に、人殺しになった自分を受け入れたかなんて、わたしは知らない――だからこう言ってあげる』
黙れ、黙れ、黙れ――お願いだからそんなひどいこと言わないで、とすがるような気持ちになる。
シャルロッテであったもの――機械仕掛けの竜が、全身の推進装置を最大出力で噴射する。燃え落ちる灰を巻き上げながら、爆発的推力で〈ヤークトドラッヘ〉が突進する。
空中の〈アシュラベール〉を推進方向に捉える。熱線砲を発射。
避けられた。高エネルギー粒子を束ねた熱線が、真っ昼間の日差しの下で、青い空を突き抜けていく。
『――どんな悪行を積み重ねようと、きみもわたしも人間のままだ』
不味い、と思ったときには接近されていた。空中で〈ヤークトドラッヘ〉を変形させる。突き出した左腕で敵機の斬撃を受け止めた――〈ヤークトドラッヘ〉の左腕が肘関節で千切れ飛んだ。
意味がわからない。
一泊遅れて、自身の左腕が骨格ごと切断された理由を悟る――対装甲ナイフ・スティレット。超振動モーターが仕込まれた短剣を、エルフリーデが無手の左手で引き抜き、鍔迫り合いの瞬間に突き刺したのだ。
シャルロッテが今度こそ気が狂いそうになった。
地獄の悪鬼を睨み付け、残った右手を使ってその胴体を撃ち抜こうと急接近――跳ね上げられた〈アシュラベール〉の左膝蹴り――間一髪で刺撃を避けられてしまう。
体当たりを喰らったような形になって、〈ヤークトドラッヘ〉の巨体が弾き飛ばされる。
それは失速であり、墜落であり、衝突だった。
高速で対地高度二〇メートルの高さを飛翔していたバレットナイト二機が、地面に叩きつけられたのだ。
損傷はシャルロッテの方が
電脳棺のステータスウィンドウに、次々と機体の異常を訴えるエラーメッセージが流れていく。
大型化した機体を大量のエンジンで飛ばす代償――そのすべてを振り切って、シャルロッテは吠えた。
「……きっと、きっとわたしたちは地獄に堕ちるわ! 人殺しの報いを受けるときがやってくる! そんな恐ろしい世界で、どうして人間として生きたいなんて思えるの!?」
落ちるところまで落ちてしまえば、きっともう、何も恐れずに済むはずなのに。
刃を振りかぶる深紅の悪鬼を見た。人工筋肉のパワーに任せて
よろめきながら〈ヤークトドラッヘ〉が立ち上がる。三つ首の魔竜は、今や二本の首と左腕を失って、ボロボロの肉体を引きずって立ち上がる惨めな存在だった。
敵を見た。
深紅の悪鬼が、そこにいた。身の丈ほどもある大きな太刀と、一本のナイフを左右の手に携えた二刀流。
――無傷ですって?
〈アシュラベール〉は自ら放り捨てた武装以外、何も失ってはいなかった。どれほどの経験を積み、どれほどの才覚を磨けば、ここまで隔絶した存在に至るというのか。
シャルロッテ・シャインにはわからなかった。
この機械仕掛けの竜〈ヤークトドラッヘ〉と融合していて、初めて――
『わたしたちの勝ち負けを決めるのは、正義でも過失でも理想でもない。善行も悪行も関係ない』
その静かな言葉が耐えがたかった。まるでこちらの心の奥底を見透かすような声音が嫌いだった。
ああ、ああ、どうして。
――わたしと同じ人殺しのくせに、こんなにも綺麗だなんて。
美しくて、気高くて、透き通った力の具現。
身も心も焦がれて燃え尽きるような羨望の中で、シャルロッテは英雄に告げられた。
『――きみの悪をわたしが阻むよ、シャルロッテ・シャイン』
――それはきっと、断罪の刃に似ていた。