機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
車のドアを開ける。
さくり、とブーツが新雪を踏みしめる感触。
一二月の冷えた空気が喉を突き刺すようだった。まだ夏の名残があった秋口が嘘のように、肌を撫でる冬の寒さ――冬物のコートを仕立てていなかったら、さぞや凍えてしまっただろうと思う。
エルフリーデ・イルーシャは真っ白な雪の積もった路面の上に降り立つと、うんと背伸びをした。
栗色のミディアムヘア、宝石をはめ込んだように赤い瞳、まるでしんしんと降り積もる雪のように白い肌――あるいはヴガレムル伯爵であれば、聞いている方が恥ずかしくなるような美辞麗句で褒め称えるであろう少女。
左目に刻まれた切創の痕すらも、その美しさを陰らせることはなかった。
――いや、事実として世界一可愛い妹のお姉ちゃんだし。世界で二番目に可愛いはず。
そのような胡乱な思考を表に出さず、エルフリーデは周囲を見渡した。街中に建てられた大きな教会は、かつて時の権力者がその権威を示すべく建設し、長い時間の中で地域住民の信仰の柱となっていった。
ヴガレムル大聖堂と呼ばれる、より豪華で有名な観光スポットほど立派ではない――その歴史もずっと浅い――が、それゆえにヴガレムル市の住民にとって身近な存在なのだ。
時刻はちょうど朝の礼拝の時間であり、近隣の住民の中でも信心深いものは教会に出かけているようだった。そうでなくとも冬は寒いので、あまり散歩に出かける人も見かけないのだけれど。
バナヴィア教会はその名の通り、バナヴィア人が信仰する国教である。
生前のエルフリーデの母がそうであったように、バナヴィア人の間では未だに影響力が強い宗教なのだ。
教師だった父の影響もあって科学的知識に傾倒しており、さほど信心深くない少女にも、この場所の示す影響力の大きさは理解できた。
よもや一介の町娘だった自分が、政治的影響力みたいなものを意識することになろうとは。
――人生ってどうなるかわからないなあ。
胸の内で独りごちる。
さて、今頃は教会の中で司祭様のありがたいお説教が終わる頃合いだろう。あまり興味もなかったし、危険も感じられなかったので車の中で待機することにしていたが――いい加減、待ちくたびれた。
白い雪が積もった街並みは、あまり背の高くない建物が多く、ここが旧市街の中心部であることをうかがわせる。
昔から豊かな街だったヴガレムル市らしく、豪奢で横幅の大きな建物が多いものの、新市街や郊外の研究施設のように、高層ビルと呼べるようなものは存在していない。
普段、企業連合体ミトラス・グループの施設に出入りしていると忘れそうになるが――ここヴガレムル市の半分は、こういう歴史の深さに支えられた街並みなのである。
「んー……」
左腕につけた腕時計を見る。銀色の機械式時計だ。どこに出しても恥ずかしくない高級な代物――誕生日にあの伯爵から送られたものを、エルフリーデは大切に手入れしながら使っていた。
時刻は屋敷で合わせてあるので正確なはずである。
すでに正午を通り越していた。日曜日の礼拝はもう終わったらしく、ぽつぽつと教会の建物から外に出てくる人々も見受けられる。
となると礼拝終了後の歓談で時間がかかっているのだろう。
エルフリーデの待ち人――クロガネ・シヴ・シノムラはこの地の統治者であり為政者である。つまり本業は政治家であり、こういう地元民の集いに顔を出して、根回ししておくのも大事な仕事なのである。
そのように理屈はわかっている。しかしいくら何でも、小一時間も待たせられるとは思わなかった。
今まではヴガレムル伯爵の騎士としての日常業務に慣れるので手一杯で、この手の外回りについて行くようになったのは最近のことである。なのでこうして自分が待たせられているのも、仕方がないことなのだろうとは思う。
だが、著しく暇である。
エルフリーデ・イルーシャはさくさくと雪を踏みしめて、教会の敷地を進んでいく。道中、すれ違った人々に軽く挨拶しながら、教会の扉に手を伸ばした瞬間だった。
扉が開き、黒服の男が前に進み出てくる。身辺警護を担当する彼の名はマルコ、夏の事件のときも一緒だった相手だ。
お互いの視線が交差する。
「ああ、エルフリーデ卿。どうしました?」
「待ちくたびれたので迎えに来ました」
そう軽口を叩くと、後ろから聞き慣れた男の声が聞こえた。
「予定を三〇分ほどオーバーしたが、有意義な時間となった。そう怒るな、我が騎士よ」
コツコツと床面を叩くブーツの音。
冬場の装いらしく、コートを着込んだ背の高い紳士が一人。黒髪の美男子が、これまた見目麗しい金髪碧眼の従者を連れて歩み出てくる。ロイ・ファルカが教会の扉を閉めると、ちらちらと雪の舞う空の下、三人の男と一人の少女が顔を合わせることになった。
そう、何度でも意識してしまうが、この男はとにかく顔の造形が優れている。
間違いなく美青年と呼んでいいだろう。
これで女の子を犬呼ばわりする
「どんな気分なんです? 〈始まりの御使い〉がすごい大天使だって崇拝されてるのって」
黄金瞳の不死者は面食らったように立ち止まった。それもそのはずである。
何せこの男、その正体は
エルフリーデのような現代人が、宗教の経典でしばし目にする天使――〈始まりの御使い〉なる存在が起こしたという奇跡は、どうにもこの不死者が科学技術を使って成し遂げたものが多い。
そして〈始まりの御使い〉と言えば、バナヴィア教会では救世主と同じぐらいの信心を集める存在だった。
歴史書が残っている範囲ですら、しばし「我こそは当世の救世主である」と名乗る人間が出てくるが、〈始まりの御使い〉の人気はそれを凌駕していた。
少なくとも有名どころではない救世主や預言者より、よっぽど信心を集めてしまっている。
クロガネはエルフリーデの問いかけの意味を察して、苦虫を噛み潰したような顔でうめいた。
「………早いうちに止めるべきだったと思っている」
「あ、意外ですね。自分でやったものだとばかり」
「それに関して、俺は虚栄心や自己顕示欲で動いたつもりはない。だが時として、傍観に徹した報いを受けることもある――ちょうど今のようにな」
「ふーん」
クロガネの裏事情――そもそも彼がとんでもない歳月を生きている不死者だというのは限られたものだけが知る――を知らなければ、さっぱり意味のわからない会話だろう。
とはいえこの手の会話は、ヴガレムル伯爵の家中ではそう珍しいことではない。
古参の護衛であるマルコも、クロガネのただならぬ背景を察しているのか、口を挟むことはしなかった。
教会の周囲はすでに手厚い警護態勢によって掃除されており、狙撃地点に陣取ることは不可能だ。送迎の自動車までの道のりはさほど長くなかった。
大型の乗用車の後部座席――クロガネを左右から挟むようにして乗り込む。彼の右隣に座ったエルフリーデは、自動車が走り出すのを待って口を開いた。
「どうでしたか、教会の方の反応は?」
「もう内々には通っていた話だからな――ヴガレムル管区のバナヴィア教会は、電脳棺による再生医療を支持するそうだ。近日中に発表できるだろう」
「……よかった」
ほっと胸をなで下ろして、エルフリーデは微笑んだ。事前にあのブリキ缶頭――ハイペリオンから脅されていたものだから、さて、どうなることかと危惧していたのである。
クロガネが始めようとしている新たな医療体制は画期的なものだ。
戦争でその心身に癒えない傷跡を負ったバナヴィア人の若者たちに対して、無償で社会復帰支援として医療を提供する――手足の欠損すら癒やすという、先史文明種の遺産を最大限に活用した奇跡だった。
誰がどう見たって素晴らしい行いだと思う。なのでエルフリーデはちょっと心配になった。
「でも大丈夫なんですか? ほら、財源とか」
「たしかにヴガレムル伯領の繁栄は、大陸間戦争での軍需あってのものだった。今後、経済的には消費の落ち込みが懸念される局面だな」
「大丈夫じゃなさそうな情報!?」
「落ち着け。だからこそ今後のヴガレムル伯領、ひいてはバナヴィア都市連合には新たな柱が必要になる――戦後のバナヴィアをまとめ上げる求心力として、この
なるほど、必要経費だと言いたいらしい。
そういえば、と思い出す。機械卿ハイペリオンもそんなことを言っていた。社会資本だの医療福祉だのと小難しい単語で装飾していたが、要するに――本来であれば戦争の後遺症でまともに働けない状態の人々が、まるっと治療されて労働力になるのだから、収支で見てもプラスになるのだろう。
そして人間というのは理不尽で身も蓋もない生き物だ。どんなに名誉の戦傷だ、あるいは戦争の犠牲者だという理屈を出されるより、明日からは誰もが平等な仲間だと言われる方が受け入れやすい。
クロガネの言う求心力とは、そういう人の心の働きのことなのだろう。
「つまるところ――彼らが健全に働き、生活を再建できる足場作りが、俺のような立場の人間の責務だ」
「おお……政治家っぽい……!」
「失敗すると治安が悪化する。責任重大ということだな」
「それは……そうなんでしょうけど……台無し感がすごい!?」
電脳棺による治療技術は間違いなく世界を変えるだろう。エルフリーデから見ても急進的だと思える医療なのだ。
一〇月の治験から二ヶ月が経過して、どうやら後遺症などの兆候も見られず、万事が順調に進んでいるようだったが――それにしたって、ここまで何事もなくやってこれたのが奇跡みたいだった。
裏でどれほどクロガネが手を回し、如何にもしがらみの多そうな宗教家や医学界に対して働きかけてきたのかはわからない。
おそらく寝る暇もないほど働いて、いろんな人を説得して、ここまで話を進めてきたのだろう。それはエルフリーデの知るものとは違う、政治という次元での戦いなのだ。
今さら自分が指摘することなどあるまい、と思いつつも――エルフリーデ・イルーシャは、万感の思いを込めてこう呟いた。
「本当に、あなたはすごいと思います。だから……冬至祭ぐらいはしっかり休暇を取ってくださいね?」
「三週間は先のことだ。気が早いな、エルフリーデ」
クロガネの軽口に対して、傷ありの少女はじっとりと半眼で彼の顔をにらみつけた。
「放っておくと自分を追い詰めそうなどこかの誰かさんが悪いんですよ、自覚あります?」
出会った頃は自虐的になって度が過ぎた露悪的言動をして、世界のすべてを背負っていたような男である。これぐらいはっきりと釘を刺しておかないと、どうなってしまうか知れたものではない。
もちろんエルフリーデとて、あまり褒められたものではない悪癖はあるのだが――それはまあ、お互い様というべきだろうか。
少女の視線を浴びて、男は金色の目を逸らした。
「……善処しよう」
例によってあまり説得力のない言葉だった。
それはそうと、ほぼ公然の仲である二人のじゃれ合いは、ただ聞かされている側にとってはひどくもどかしいものだった。
護衛のマルコは鋼の自制心で口出しをせず、クロガネの左隣で石像のようになっていた。
そんな気の毒すぎる同僚の姿をバックミラーで確認して――車のハンドルを握るロイ・ファルカは、とてつもない笑顔になっていた。
金髪碧眼の美青年は、仕える主と少女騎士の恋愛模様が大好物なのだ。
生暖かい空気を乗せて、雪景色の中を自動車が走る。
平凡な日常を、愛おしむように。