機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
すべてが燃え落ちて、失われたあの夜から――どれほど時間、自分が無人の野をさすらったのか覚えてはいない。
ルクカカウは亜麻色の髪を洗うことなく、土埃に塗れて荒野を歩いて行った。
道中、幾度か獣の群れに襲われたこともあれば、盗賊に寝込みを襲われたこともある。
そのすべてを手に握った剣で斬り捨てて、臓物を地面の上にぶちまけた骸を無数に作り出して――そうして奪い取った衣装と武器を身にまとい、少女はさらに遠くへと足を伸ばした。
深々と外套を頭まで被って、腰のベルトに鉄の剣を手挟んで、山道を歩き続けた。
――行こう、ここではないどこかに。
あるいは亜麻色の髪の乙女は、このときやけっぱちだったのである。具体的な未来の展望は何もなく、それまで歩いたこともない深い森に足を踏み入れていた。
どうやら自分が飲まず食わずでも生きられると気づいたのは、七日七晩、一度も足を止めずに歩き続けたときだった。
大きさの合わない靴を履いていたせいか、ズキズキと痛んでいたはずの足裏の皮膚――すでに完治して傷一つないなめらかな肌となったそれを受け入れた。
自分はもう、摂理の外にあるものだと噛みしめた。
そのことを悲しいと思う心も、苦しいと思うための痛みもすり切れていた。
無数の昼が過ぎ去って、数え切れない夜が通り越していった。
ルクカカウは獣のなわばりを平然と侵し、襲いかかってきた狼の群れを斬り捨てた。いつしか人間の襲撃者はまるで見かけなくなっていた。ここはすでに、常人の生存を拒むような領域なのだと、肌で理解する。
日差しをさえぎる巨木が立ち並ぶ、
人の手が入ってない原生林の森には、時折、湧き水の染みだしている水場があった。ルクカカウは時折、足を止めてはそこで水を飲んだ。
昼も夜もなく、少女は歩き続けた。
睡眠を取ることさえ忘れて、人ならぬ身となった自分を痛めつけるように――筋肉のあげる悲鳴、関節の軋みさえ、歩き続けるうちに消えていくことを前提に進み続ける。
未開拓の原生林を日に何十キロと突き進む、人ならざる徒歩の旅だった。
常人であれば、とうの昔に飢えて死んでいただろう。それほどにルクカカウの選んだ旅路は常人離れしていて、それゆえにもう何日も人の姿を見ていなかった。
飢えと渇き、体温を奪い去っていく夜霧の冷たさ、獣の鋭い敵意、
だが、少女は死ねなかった。
――これが、わたしの運命なの?
わからなかった。
夜明け前の暗がりの中で、少女は気絶するように意識を失っていたのだ。
五感が働く。
すぐに違和感を覚えた。耳を研ぎ澄ます。
目の前の茂みが、がさがさと揺れていた。濃密な獣の体臭。狼のそれよりもはるかに強烈な、汗臭さを何十倍にも腐らせたような臭気――鉄の剣に手をかけた刹那、巨大な何かが飛び出してくる。
灰色の体毛で覆われた巨獣だった。大きい。狼など比較にもならない。
ルクカカウの二倍以上はあろうかという巨体、肉の厚みはそれに比例してさらに凄まじい。鉄剣を引き抜いた瞬間、突進してきた獣――ヒグマに押し倒された。
「がっ……!?」
内臓がひっくり返りそうな衝撃――ぐおおおおお、と低くくぐもった咆哮。
目も開けられていないような生臭い吐息が、顔に吹き付けられてくる。そして振り上げられた獣の前脚が、顔面目がけて降り注ぐ。
恐ろしいかぎ爪が何本も生えた攻撃。咄嗟の反応だった。
常人であれば熊の腕力に対抗することなど不可能だ。大人の男であろうと為す術なく、体中をズタズタに引き裂かれて死んでいくだろう。
だが、ルクカカウは常人ではなかった。鉄の剣の切っ先を差し込む。熊の分厚い毛皮に守られた表皮と、その下の筋肉――よほどの勢いをつけなければ、貫通すること叶わぬそれ。
怪物じみた
刃が通った。
今まさにルクカカウの顔を破壊するはずだった熊の右前脚が、鉄の剣に刺し貫かれる。毛皮に穴が空き、筋肉をぶつぶつと断裂させ、血管を切り開く。
絶叫が響いた。
そして激痛によって怒り狂った熊が、その牙でルクカカウの顔をかじり取ろうとした刹那。
――ひゅおん、と空気を切り裂く音。
何かが着弾する。
のしかかってきていた熊の身体から、不意に力が抜ける。
崩れ落ちる巨体――下半身をはさまれた格好になったルクカカウは、身動きできずに圧迫感に苦しんだ。身じろぎする。自分の顔のすぐ上にあった獣の頭を見た。
右目を射貫かれて、獣は事切れていた。
弓矢ではない。もっと小さく高速の何かが、眼球を撃ち抜き、その
分厚い頭蓋骨の中をかき乱され、真っ赤な血を空っぽの眼窩から垂れ流して。
あっけなく死んでしまった熊に対して、ルクカカウが抱いたのは――奇妙な納得だった。
「……こんな獣も、目を抜かれたら死ぬのですね」
息苦しさすら忘れて、ルクカカウは獣の死骸を見つめていた。こんなに大きな熊は初めて見た。
ぽつりとこぼれた呟きに応じるように、何かが近づいてくるのがわかった。
いや、これは――誰かだ。
二本の足で森の中を歩く生き物など、人間ぐらいのものだろう。しかしルクカカウは今、熊の死骸が上に覆い被さっていて身動きできない状態である。
顔を向けることすら難しい状態だから、相手が何者かを確認することもできなかった。
やがて足を止めた誰かが、ルクカカウのすぐ傍で声を発した。
「お前は今、殺めてきた獣の血のにおいに満ちている。ひどいにおいだ。あの獣を昂ぶらせ、攻撃へ至らしめた。死と殺戮だけを重ねて、身を清めることなく森の中を歩むなど――正気の沙汰ではない」
開口一番、お前は悪臭に満ちているという痛罵が飛んできた。
若い男の声だった。おそらくは青年といっていい若々しさなのに、まるで何十年も年月を重ねてきた老爺のような威厳も備えた不思議な声音。
「……正気ではないもので」
「……そうか」
憎まれ口を叩くと、どういうわけか納得したように男は応じた。何とか顔を動かして、視線を声の主の方へと向けた。
その瞬間、ルクカカウは時間が止まったような気がした。
――夜明けの光が差し込んでくる。
黎明の空の下、とてつもなく美しい
衣装こそ森で暮らす狩人という感じの質素なものだが、粗雑さや不潔さは微塵も感じさせないたたずまいだった。
とても背の高い男だ。何かの武器と思しき金属製の筒を手にして、油断なく周囲を見回す姿に見惚れてしまう。
立っている姿一つ取っても、すべてが絵になるような――高貴さすら感じさせる姿だった。その深遠なるまなざしを浴びて、ルクカカウは我知らず、自身の胸が高鳴っていることに気づいた。
これまでずっと動かなかった感情が、怒りでも悲しみでもない、熱い鼓動によって動き始める。その不思議な感情の流れをなんと名付ければいいのか、亜麻色の髪の乙女は知らなかった。
「……なん、で?」
少女の目から、ぽろりと涙の雫がこぼれ落ちた。
うるんだ瞳の理由がわからず、ルクカカウは困惑しきったため息をもらす。
「少し待て、今助ける」
男は持っていた木の棒を差し込むと、それをつっかえ棒にしてルクカカウを助け出してくれた。
自分を引っ張り出す力強い男の腕――とても狩猟で暮らしているとは思えない、つるりとしてなめらかな肌にドキリと胸が高鳴った。
何を言えばいいかわからず、亜麻色の髪の乙女は視線をさまよわせた末、掠れた声で呟いた。
「……ありがとう」
よろよろと身を起こす。
黒い髪の美青年は、ルクカカウの手を取って彼女が立ち上がるのを助けてくれた。その腕の意外なほどの力強さに戸惑いながら、少女はただ一言、尋ねた。
「あなたの……お名前を聞いても?」
ついさっき、ひどい悪臭がするなどと罵られたことも忘れていた。
燃え上がるような感情でとくんとくんと脈打つ心臓を、その柔らかな
黄金色の瞳。
同時にルクカカウの瞳の色を知った男は、少しだけ目を見開いたあと――ただ静かにこう告げた。
「――俺の名はクロガネ。名も知らぬ不死者よ、お前と同じく限りない不死の運命を持つものだ」
自分と同じもの――摂理の外側を歩き続ける放浪者。
その言葉を聞いた瞬間、ルクカカウは泣いていた。あふれ出す涙の雫を抑えきれなくなって、ぽろぽろと頬を伝い落ちる涙が止まらなかった。
これまでずっと、胸の内に秘めてきた感情が、泣き声と共に喉から絞り出された。
相手がまだどんな人間かもわからないのに、不思議と信じられた。
――きっとこの人は嘘をつかない。
亜麻色の髪の乙女は、塩辛い涙の雫で頬を濡らしながら――悲しみではない感情で笑った。
――もう、わたしは孤独じゃないって、わかったから。
朝日が昇る。
東の空が白く染まって、陽光が木々の隙間から差し込む。
すべてを失った夜からずっと続いていた、長い長い、終わりの見えない夜が明けていく。
待ち受ける未来など知りもせずに、ルクカカウは涙を流す。
今こそが救いなのだと信じて。
ルクカカウ「い、今、何を…」
クロガネ「何って…古代世界で電磁式ライフルを使っただけだが…?」
科学技術チート男。
マタギ並みの精密射撃もできるのが特徴。