機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
周囲を見回す。
色気のない人工物の壁面は、地下実験場と隣接した格納庫の風景だった。高い天井には移動式クレーンが設置されており、重量物の吊り下げも楽にできるようになっていた。
真新しい電灯のおかげで真昼のように明るい広々とした空間――最初こそ地下にこんな場所があることに驚いたものだが、今となっては見慣れた景色である。
身長四メートル半の巨人が、ゆっくりと片膝を突いて降着姿勢になる。機体全体が安定したことを確認後、融合操縦型インターフェースにコマンド。
機甲駆体の首の真後ろで、静かに装甲ハッチが開く。
融合が解ける。
それまで巨人と一体化していた意識が、物理的実体をともなってこの宇宙へと帰還する。自らの手指で乗降用ハンドルを掴み、ぬっと浮かび上がる人影。
片目を隠すような左右非対称の黒いボブカット、鬼火色の瞳、眠たげな目つき、褐色の肌、その実年齢に対して豊満な体つき――テスト用の耐環境パイロットスーツに身を包んだ少女は、そのまま危うげなく巨人の背から壁面に降りた。
少女の名はリザ・バシュレー。
元フィルニカ貴族であり、ガルテグ連邦の市民であり、今ではベガニシュ帝国の臣民ということになっている。
我ながら十数年の人生経験のわりにせわしない経歴である。
巨人の後ろ姿を見上げた――頭頂高が四メートル半もある機甲駆体は、片膝立ちの姿勢になってなおリザよりも背が高い。
その装甲を彩るほの暗い
――パーソナルカラーなんてガラじゃないんですけどね。
群青色の巨人には何かと苦い記憶しかない。ガルテグ連邦の情報機関で働いていた頃の裏仕事にせよ、弟二人の末路である巨神〈イノーマス・マローダー〉の一件にせよ、暗い青色の機械は自分の人生の暗部と言ってよい。
であるからして最初は皮肉か何かかと思ったのだが、どうやらヴガレムル伯領の人々は純粋な善意でこの色をくれたらしかった。
赤色のエルフリーデの
塗り直させるほどの嫌気ではなかったので、テストカラーとして受容するうちに、とうとう開発中の試作機までダークブルーになったのは参った。
まあ暗い青色はそう悪い色ではない。
悪目立ちするわけでもないし、戦術的優位性だって暗夜ならば期待できる。
――その点で言うと、真っ赤な塗装のお姉さんには困ったものですけど。
目も冴えるような赤色なんて戦場では目立って仕方がない。あれは元々、サンクザーレ会戦で敵の目を惹きつけるためにあえてそうしたらしいのだが――いつの間にか、エルフリーデとその乗機〈アシュラベール〉の代名詞になっていたのだから恐ろしい。
リザ自身、フィルニカ王国で起きた事件でその圧倒的な戦闘能力を叩きつけられた側だから、そうなってしまった理由もわかるけれど。
〈アシュラベール〉の場合、その恐ろしげなジェット推進の騒音と相まって、目立つことそのものが心理的な破壊力を発揮している。
中世の戦場で羽根飾りをつけた騎士の一団が、その存在だけで敵陣の士気を崩壊させたように――深紅の悪鬼はその存在が強烈な圧迫感を与えているのだ。
――でもまあ、エルフリーデお姉さんの負担大きいのは改めていきたいですよね。
先日、エルフリーデと一緒に参加した演習だって、そういう意図で伯爵様が仕組んだものなのだろう。
まあ結局、二対三六という一八倍の数の差をものともせず、一五倍のキルレシオ――つまりエルフリーデとリザの二人を倒すまでに、演習相手はその一五倍の精鋭を支払ったのだ――を叩きつける結果になったのだが。
そう、エルフリーデも自分もとんでもなく強いのである。
長い時間をかけて訓練し、高価な装備をそろえた最精鋭部隊でさえ、それほどの犠牲を強いられる戦闘能力。
そういう強みがなければ、そもそもクロガネ・シヴ・シノムラは自分たちを前線に引っ張り出したりはしないだろう。
結局のところ、あの演習は目新しい結果をもたらしてはいない。
ヴガレムル同時多発テロ事件のときなどは、あのエルフリーデと〈アシュラベール〉も被弾して大きな損傷を得ていた。
元々、エルフリーデ・イルーシャは無敵の超人などでないのだ。
現状の再確認だったなと思う。
――つまりお姉さんは最強だけど無敵じゃなくて、周りの人がしっかり支えてあげなくちゃいけないんですよね。
そう、つまりは
そしてゆくゆくは名実ともに妹としての覇権を確立するのである。
リザは胡乱な思考を表に出さず、ぐっと背伸びした。
豊かな胸の膨らみを押さえ込むパイロットスーツは、抜群の安定感で着心地がよい。
そのときだった。
格納庫と通路を隔てる自動ドアが開き、誰かが入ってくるのが見えた。見慣れた人影であった。
「あっ、ロイさん」
「お疲れ様です、リザ様」
金髪碧眼、すらりと背が高く優雅な印象さえ抱かせる美男子――喋る言葉からして、おそらくはベガニシュ帝国の上流階級の出であることは間違いない――貴公子然としたたたずまいの彼の名はロイ・ファルカ。
この地を治める権力者であるヴガレムル伯爵クロガネ・シヴ・シノムラの従者である。
珍しいこともあるものだ、と思う。常日頃、二四時間体制でクロガネに付き従っている青年が、単独で出歩いているなど。
そう思っていると彼がするりと歩み寄ってくる。香ばしい匂いがした。
そっと差し出されたのは、紙コップに入った熱いコーヒーだった。
「おー、ロイさんのお手製ですか? 珍しいですね、伯爵様は紅茶派なのに」
「ええ、私の趣味です」
「いいですねぇ、ロイさん特製ブレンドってわけですか」
受け取りながらにやりと笑う。金髪碧眼の従者は照れもせず、「ええ、そういうことですね」とのたまった。この男、涼しい顔をしているが中々喰えない性格なのである。
そういえば、と思う。いつもはばっちり背広姿なのに、今日はラフな私服姿である。
じろりと頭の毛から靴先までを
「旦那様から少々、あなたの様子を見てくるように言い渡されまして。もちろん、こちらの格納庫の立ち入り許可は取ってありますのでご安心を」
「おおー……あれ、私ってもしかして気遣われてます?」
「旦那様はこういった福利厚生にも気を遣う御方ですよ。ええまあ、たしかにご自分は例外なところもありますが」
ロイは冗談交じりにそう言って笑う。
そして片手に持った紙コップを傾けて、ほかほかと湯気を立てる熱いコーヒーを飲んでみせた。リザもそれに続いてコーヒーに手をつけてみる。
美味しい。
しかもミルクと砂糖の量も完璧で、リザ好みに調整済みだった。
おそらく何度か彼の前でコーヒーを飲んだときの所作で、こちらの味の好みを把握していたのだろう。
すこぶる優秀なロイの記憶力に感心しつつ、ふと少女は思う。
――ロックウェルのクソ野郎の下にいたときは、こんなの想像もつきませんでしたね。
妙なものである。
ほんの半年ほど前はお互いの顔さえ知らず、待ち伏せ攻撃を仕掛ける工作員と、狙われたトレーラーの運転手という間柄だったというのに――今では二人で談笑するほど仲良くなっている。
あの日、対戦車ミサイルで車両の運転席を吹き飛ばすつもりだった自分だけが、こうして生き延びている。
誰よりも何よりも救いたかった弟二人を救えなかったとしても、今は楽しいし、明日に希望を持つことだってできるのだ。
現金なものだな、と思う。
リザ・バシュレーが醒めた目で自分自身をそう評した瞬間、ロイは真剣な表情になった。
「リザ様――あなたが、今ここにいることの意味はあります。それは生き延びたことの代償ではなく、為すべき使命ゆえだと私は思うのです」
まるで人の心が読めるんじゃないかと思うぐらい、ロイはリザの内面を読み切っていた。
その悔恨、悲嘆、諦念のすべてに対して、上っ面ではない共感があった――茶化すこともできないほどの熱量。
ちょっとびっくりして目を見開く。
金髪碧眼の青年はその整った面差しに、かつてなく誠実な意思を乗せていて――リザより二〇センチも背が高い彼が、じっと自分の目を見つめてくる。
晴れ渡った秋の空みたいに青い瞳。リザは照れくさくなって、思わず軽口を叩いた。
「ちょ、ちょ……
「ええ、経験談ですよリザ様――私もいろいろとあった身の上ですから。あなたが抱えている感情を、私が否定するなどおこがましいことなのでしょう。だとしても、それが迷いにならないよう、ご助言することはできます」
ちょっとどころではなくびっくりした。
ロイ・ファルカという男はプロの従者である。おおむねクロガネの傍仕えとして微笑みを浮かべているか、エルフリーデと伯爵様のやりとりで微笑んでいるかの二者択一みたいな男である。
考えてみるとこの数ヶ月、同じ職場の同僚として接してはいるものの、リザは彼のことを何も知らないのだ。
まさかここまで
「オーウ……意外と情熱的ですね? まるでロマンス映画の名俳優みたいですよ、ロイさん」
「リザ様の軽口も、こうしていると時と場面によっては好ましからざることがありますね……」
「あははは、それは今さらでしょう?」
リザは笑う。紙コップの中の温かなコーヒーの熱が、掌を通じて胸の中に流れ込んできたみたいだった。
たぶん自分は今、とても嬉しいのだ。
そして守りたいと思った――エルフリーデのことも、ロイのことも、彼らが敬愛する伯爵様のことも。
――これじゃ皆さんのこと、もっと好きになるじゃないですか。
ああ、そういうのは自分のガラじゃないのに。
恋と情熱に生きる女の子なんて、それこそエルフリーデに譲りたいぐらいである。
そうして皮肉屋の少女は、ロイの視線を
片膝を突いた
それは東洋の鎧武者か、はたまた神話に語られる鬼神のごとき化身。頭部から二本のブレード型の角を生やしたそいつは、リザの願いを叶えるための翼でもあった。
「……量産試作型〈アシュラベール〉。こいつが形になれば、少しはお姉さんに楽させてあげられるんですけどねー……」
かつて身も心も復讐に費やした少女は、ただ祈るように呟いた。