機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
クロガネと名乗った不死者は、森の奥深くに隠れ住む知恵者であった。
彼に連れられてその住居へやって来たルクカカウが目にしたのは、磨き抜かれた石材のようになめらかな質感の、奇妙な洞穴であった。
それは明らかに自然にできた洞窟ではない。あまりにも均一な質感で、岩石特有の凹凸が見当たらないからだ。入り口と思しき岩戸の前に立つと、大人の背丈ほどもある蓋が、静かに開いていくのが見えた。
夜闇に慣れていた少女の目は、続いて目に差し込む光に驚く。
それは太陽の白色でもなければ、かがり火から感じられる炎の暖色でもなかった。
洞窟の天井や壁に埋め込まれた光源から、うっすらと明かりが漏れ出しているのだ。
見たこともないような異様な建築物であった。半ば地面の下に埋まっているようなそれは、半透明の黒い結晶体でできていて、少女が目にしたことのある岩石のいずれにも似ていなかった。
地下深くに続く黄泉の国――生まれ故郷の村にいた頃、年寄りから聞かされた伝承を思い出す。
――もしかしたら自分は、これからあの世に連れて行かれるのではないか。
そう思った。
しかしながら、元より現世に対する執着など燃え尽きて久しかった――もし、ここではないどこかに連れて行かれるのなら、それでもよかったぐらいに。
クロガネがこちらを振り返る。足を止めた少女のことをおもんばかってか、その表情には幾分か、こちらを気遣うような優しさが感じられた。
「安心するがいい。少なくとも俺はお前に何もしない。湯浴みと清潔な衣服、そして簡単な食事ぐらいは提供できる」
「……あなたは、どうしてわたしによくしてくれるのですか?」
問うた。
ついさっき出会ったばかりの少女に対して親切すぎたからだ。
ルクカカウは運命というものを信じていたし、自分とクロガネの出会いこそがそうなのだと直感的に信じたが――それでもなお、どこか疑り深くなっていた。
乾いた血が赤茶色の汚れになって、少女の肌にまとわりついていた。
クロガネはその黄金色の瞳でじっとルクカカウを見つめたあと、男は厳かに断言した。
「まず言っておこう。俺は客人にも清潔さを求める。そしてお前は今、衛生的とは言いがたい状況だ。身体を清めて新しい服を与えることは、客人に対する礼儀だ」
つまりお前は不潔だ、と言われていた。
ルクカカウはどう反応していいのかわからないまま、目をぱちくりさせて男の顔を見た。
悪意は感じられない。嫌悪もない。ただひたすらに事実を述べているだけという感じ――ようやく少女にも、クロガネという男の人柄が見えてきた。
実直で親切、そして途方もなく無礼。
結局、ルクカカウは口の端をひくつかせて、精一杯の強がりを口にするのだった。
「…………あなたって友達いないでしょう?」
「極めて高度な問いかけだな――いや、過去に幾度か親交を持った相手はいた。しかしながら今、俺とお前の会話でそれを問う必要はないと思うが?」
「
なんとなく
黄金色の瞳と黄金色の瞳が、互いの姿を捉えていた。何度見ても見惚れそうな美貌を、その眼に収めながら――不死者の少女は名乗りを上げた。
「わたしの名前はルクカカウ。父はトラン村のグバルディ、大河の氏族の娘です」
堂々たる名乗りだった。二度と名乗ることはあるまいと思っていたから、こうして見ず知らずの男に喋ったことに、自分自身でも驚いてしまう。
一方、クロガネの方は別のことに驚いていた。
少女の名乗りを聞いて、男は意外そうに呟いた。
「……大河の氏族? ずいぶんと遠い場所からきたものだな。ルクカカウ、お前と俺の間で意思疎通ができていること自体が奇跡的と言ってもいい」
「いくつもの平原と、山々を越えてここまで来ました」
「…………途方もない長旅だな。何も言うまい。湯浴みの準備をする、ついてこい」
クロガネは素っ気なくそういうと、武器と思しき金属の筒を肩にかけたまま、洞窟――いや、これは人工物でできた通路なのだろう――の奥へと進んでいった。
背後で岩戸の蓋が閉じていく。
奴隷の一人も見当たらないのに、ひとりでに動いてしまっていく扉なのだ。一体どんな仕組みで動いているのか、ルクカカウには想像もつかなかったけれど――結局のところ、少女は
見知らぬものを魔術の産物だと恐れるよりも、その正体を知りたいと思う心。
年若い不死者はおっかなびっくり、男の背中を追いかけるのだった。
◆
そして結局、ルクカカウはクロガネの宣言通りになった。
天井から降り注いでくるお湯の雨にびっくりしたり、壁から聞こえてくる見知らぬ人の言葉――湯浴みの仕方を説明してくれる優しい声だ――に驚いたり、ふわふわの雲みたいな泡だった石けんに出会ったり。
これまでの人生でほとんどの場合、水浴びで身体を清めてきたルクカカウにとって、クロガネがシャワーと呼ぶ湯浴み部屋はすべてが未知の体験だった。
浴槽に溜められたたっぷりのお湯を見たときは、いよいよ自分は生け贄の儀式にも選ばれたんじゃないかと思った。
しかしもちろんそんなことはなくて――入浴で身体の芯までぽかぽかして、夢見心地で脱衣所に移動すると、いつの間にか真新しい衣服と布きれが置いてあった。
身体を拭くのに使え、ということらしい。
ルクカカウは考えることをやめた。明らかに自分の常識に反した出来事が起き続けている。だが、一々それに対して説明を求めていては身が持たない。
綺麗な布で肌の水気を吸い取っていく。もうずっと手入れすることもなく、放置していた長い頭髪を拭き取っていく。
すべてが心地よかった。
ルクカカウはほっそりとした肢体を伸ばし、真っ白な
素足で廊下に出ようとすると、履き物が用意してあることに気づいた。どうやら家――つるつるした不思議な素材だが、ここは間違いなくクロガネの家なのだろう――の中で使う履き物らしい。
それを履いて脱衣所から出た。
奇妙に心地よい風が肌をなでつける。
屋内だというのに、どういうわけかここには風が吹いている。
――魔法使いの住処にやってきちゃった?
認めたくはないが、やはりここは異界なのだ、と思う。
ぽっかりと地上に顔を出している岩戸の奥深くには、眩しくもなく儚くもない不思議な明かりが灯っていて、いくら流しても尽きることないお湯が湧き出ているなんて。
何から何までルクカカウの知っている世界とは、根本的な常識が共有されていなかった。
だが不思議と恐ろしいとは思わなかった。それはたぶん、あの黒髪の男――クロガネの言動のせいなのだろう。
ぺらぺたと廊下を歩き回っていると、突き当たりから人影が現れた。
クロガネだった。
先ほどまでとは装いが変わっており、少しゆったりとした着物を身にまとっている。
――何着も違う服を持っているなんて、本当に別の世界の人なのね?
ルクカカウの住んでいた集落では、少なくともそんな贅沢ができるのは村長のような偉い人だけだった。普段着の他に、祭日のときだけ着るような晴れ着があれば見栄を張れる。
それが庶民の当たり前だった。
とても縫い目が細かい衣服は明らかに仕立てたばかりのそれであり、農作業をするための着古した服とは雲泥の差である。
結局、顔を合わせても何を言うべきかわからず――ルクカカウは沈黙した。
クロガネはそんな少女の様子に構わず、ただ簡潔に用件を述べた。
「ついてこい、食事を用意してある」
「今は――」
「たとえ食欲がなくとも食べることに意味はある。心の健康のためにも定期的な食事は重要だ」
すまし顔で諭されてしまった。
悔しいことにパンもシチューも美味だったのは言うまでもない。
◆
あの黎明の出会いから十日あまりの時間が経った。
岩戸の奥深くに用意された住居は快適そのものだった。これまでの人生で味わったことがないような魔法で動く仕掛けだらけの場所。
食事も寝床も毎日、きっちりと決まった時間に提供された。
そしてクロガネという男は別段、ルクカカウに何か対価を求めることはなかった。
ここはどうやら地下にあるようで明かり窓一つないから、昼なのか夜なのか、判断はつかなかったが――客人としてもてなすという言葉に嘘偽りはなかった。
そして最初の警戒はどこへやら、ルクカカウはこの十日間でだいぶ警戒をゆるめてしまっていた。
別段、少女が無防備だったのではない。
それだけ、クロガネという男が世話焼きだったのだ。
――この人、ひょっとして本当に裏表がないのかな?
ルクカカウにわかってきたのは、このクロガネという不死者が、想像もつかないような魔法の品々を操る力を持っていること。
そしてものすごいお人好しであることだ。
一日に三食――食事なんて朝と夕方に二食が普通だと思うが、クロガネは三食きちんと食べることにこだわっていた――もご飯を出すし、暮らしに不自由がないか尋ねてきたりもする。
そう、恐ろしく親切なのだ。
表情に愛想はないくせに、実際はものすごく気を遣ってくれている。
身だしなみについて、それとなく注意してくるのには
であるからして少女が、うっかり油断して、食事のときにこう尋ねてしまったのは必然だった。
「そういえば……日中、お姿が見えなかったけれど。何をしているの?」
それはこの十日ほど、毎日、姿を消してしまう男に対する疑問だった。食事の時間には戻ってくるから、あまり遠くに出かけているわけではないだが――クロガネがどこかへと足を運んでいるのは、ルクカカウの目から見ても明らかだった。
下手にクロガネの機嫌を損ねれば、また宿なしの放浪の旅に逆戻りする。そんな恐れは消え果てていた。少なくともこの黒髪の不死者に限って、そのような不義理はしないだろうという安心感があったのだ。
簡素なテーブルの向かい側に座った男は、肉入りのシチューをすくっていた器具――スプーンというらしい――を止めた。
男は気分を害したような様子もなく、ただ静かに「そうだな」と呟いた。
「ルクカカウ。お前は以前、魔法に興味があると言ったな?」
「え、えぇ……あなたの使っている不思議な力、この家を動かしている目に見えない何か……それが何なのか、わたしは興味があります」
いいだろう、と男は言った。
流石に言葉足らずが過ぎたので、ルクカカウは首をひねった。クロガネが何を言いたいのかわからなかったのだ。
亜麻色の髪の乙女は、とりあえず今日もパンが美味しいことに感謝した。
パンを千切って口に運ぶ。素晴らしく美味しい。
このカトラリー(ナイフとスプーンはともかく、フォークなんて無駄では?)とかいう道具は使い分けるのが面倒だが、クロガネに指導されて使ってみると中々、便利である。
もぐもぐと口を動かすルクカカウの表情――何もわかっていない感じ――に気づいて、クロガネはうなずいた。
「つまりだ、ルクカカウ。お前に、不死の同胞として……俺の持つ知識を教えよう。ただし、条件が一つだけある」
「……条件、ですか?」
「知恵は人を助けるが、同時に殺すものでもある。願わくば――それを、定命の持たざる人々のために使ってほしい」
「変な話ですね」
それはまるで老人が口にする警句のような、奇妙な説教だった。
ルクカカウは率直に、嘘偽らざる本音を口にした。そうするのがむしろ、この男に対する礼儀だと思ったからだ。
「どうしてご自分でそうしないのです? 森の隠者よ、あなたならばきっと、多くを助けられるでしょうに――」
無垢なる少女は首を傾げた。怒りもなく、悲しみもなく、ただ純粋な疑問として――その問いかけは発せられた。
――それは永劫にも思える時間、幾度となく繰り返される問いかけの始まりだった。