機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
師から教えをさずかる日々は、長い歳月が過ぎ去っていく時間でもあった。
色彩の春があった。灼熱の夏があった。豊作の秋があった。極寒の冬があった。
生まれ死にゆく赤子が、長じて大人となって、やがて老いて息絶えるまでの循環が幾度も繰り返された。
年に一度か足を運ぶ人里が栄えることもあれば、疫病で跡形もなく死に絶えたこともあった。戦乱によって踏み荒らされ、焼け跡だけが残る村を目にすることもあった。
そうして凍えるような冬を何度も乗り越えて、ルクカカウは多くを教えられた。
太古の言葉を学んだ。文字を知った。
歴史を、数学を、地理を、自然科学を、医学を、建築を、倫理を、宗教を、文学を、芸術を――かつてこの大地に存在した崇高なる文明の形をそうして学んでいった。
クロガネはよき教師であり、師匠であり、庇護者だった。
ありとあらゆることを教えてくれた。
この世界の理不尽と戦う術すらも――ルクカカウの飽くなき探究心を満たすように。
多くの教えを授って、悲しみ以外の感情を受け取った。
――愛していた。
彼と過ごす時間のすべてが愛おしかった。
自分がこの世の摂理から外れたもの、悠久の時間を生きる不死者であることだって平気だった。
定命のものたちが生まれては死んでいく世界の無常さ、寒々しいこの世界の理不尽さすらも――彼と一緒ならば乗り越えられると思った。
だって自分はクロガネのことを、きっと誰よりも深く愛しているから。
――たとえあの人が、わたくしのことを弟子としか思っていないとしても。
いつしか一人称が変わっていた少女は、それでもなおクロガネという男を敬愛していた。
星空が変わらぬように、無常なる世の残酷さは変わらなかった。
クロガネに師事してどれだけの歳月が経っただろうか。ルクカカウの心の傷が癒えて、世界と対峙するだけの力を身につけた頃――不死の男はこう言った。
「世界を渡れ、ルクカカウ。お前に授けた知恵は、そうして人々に還元されるべきものだ」
そう言い置いて、男は荒野へと姿を消した。これまでにも長い時間、クロガネが姿を消すことは珍しくなかった。明らかに彼は何かを探し求めていた。
一体、何を求めているのかと問うたとき、黒髪の不死者は目を伏せて――ただ一言、そっと告げるだけだった。
「俺の使命だ。ルクカカウ、お前たちが生きる世界のために――俺ができる最良の選択だと、信じている」
男は多くを語らなかった。
あるいは語らぬことそのものが、それがどういう意味合いの探索なのかを告げるような旅路――ルクカカウはそれをよしとした。
最愛である師の人生、その使命を侮辱することなどできなかった。
たとえそれが幾百の冬を越えるまで、彼と再会できぬことを意味していたとしても構わなかった。
時間は無限にあったからだ。
定命のものであれば死出の旅になろう。だがクロガネもルクカカウも限りない生命と、尽きぬ時間を持った永遠のともがらであった。
長い時間の中で、ルクカカウは一通りの死に方を試していた。
結果、わかったのは自分がクロガネと同等の不死性を持った存在であるという結論だった。剣で心臓をえぐり出そうと、銃で頭を撃ち抜こうと明瞭に再生される身体/精神――心からの歓喜だけがあった。
――永遠は尽きぬ愛に似ている。
師から譲り受けた魔法――先史文明種の遺産を手にして、ルクカカウはこの残酷な世界に踏み出した。
今や比類なき身体能力と優れた武器と無尽蔵の体力、そしてこの大地の誰よりも洗練された体術を身につけた不死の少女に敵はなかった。
彼女は魔法使いになった。
それは神話の語り手、奇跡の使い手、知恵の授け手であった。亜麻色の髪の乙女は誰もが知る伝承となった。
数多の部族が大地を征服し、国が勃興しては消えていった。
その膨大な時間の流れの中で、いくつもの国々を渡り歩いた――時に賢者として為政者に協力し、時に異端として民衆に追われながら大地をさまよい歩いた。
文明の発達はよろこびに満ちていた。それまで使い方のわからなかった奇妙な遺跡――造物塔の使い方を知って、人々の生活水準は見る見るうちに向上した。
それは文明。
飢餓を駆逐し、疫病に抗い、川の流れすら変えてしまう術。
――制御呪文を聞き出そうと、ルクカカウを拷問にかけようとした愚かな王もいた。
当然、制裁は苛烈に行った。
亜麻色の髪の乙女の呪いは速やかに王の一族を罰した。その罪科を丁寧に読み上げて、近衛兵を切り捨て、王の首を刎ねた。
その過程で吹き荒れた死を少女は肯定した。畏怖によってルクカカウは魔女と呼ばれたが――その出来事によって数世代の間、彼女は不可侵の存在になることに成功した。
二度も三度も同じような出来事を繰り返すよりも、よほど人死にが少ない方法であった。
ルクカカウはたぶん人間を愛していた。
彼らの愚かさも、欲望ゆえの争いも、何かを排斥せずにはいられない不安も、等しくルクカカウにとっては慈悲の対象だった。
――あなたたちは定命のもの。わたくしとは違うのだから。
その短く儚い生が、死へ向かうまでの一〇〇年に満たない時間は美しいものだ。その過程がどれだけ血まみれで、苦痛に満ちて、哀切と共に息絶えるとしても――愛さずにはいられない。
かつて人間の救えない野蛮によって、それまでの営為のすべてを壊された少女は変わった。
不死の命と共に歩むものだと知り、かつて存在した叡智を継承した今、ルクカカウにとって人間は同胞ではなかった。
自らが教え導き、よりよい明日へと連れて行くべき存在なのだ。
ルクカカウは慎重に文明の進歩を制御した。授けるべきタイミングを見計らって知恵を与え、当代の知識人や技術者が育成されるのを待って、段階的に技術水準を引き上げていった。
彼女は知恵の女神であり、為政者に剣を授ける王権の守護者だった。
最初の王国が発展の末、ルクカカウが望んだ水準に到達するまでに一千の冬を越えた。王家の血筋は長い時間の果てに途絶えて、豊かになった社会は幾度かのゆるやかな改革を経て、理想的な社会体制に移行したのだ。
ルクカカウはおおむね、彼女の意図するところにおいて失敗せずにやってこられた。
――権力の掌握と文明の制御において、彼女が行った粛清は正当だった。
そのようにルクカカウは認識していた。うずたかく積み上げられた死骸を踏みしめ、先導し続ける。
それこそが自分の為すべきことだった。
あるいは自分が何もしなければ、この世界に生まれてくることすらなかった人々――その命を軽んじたことはなかったが、同時に彼女はどこまでも無慈悲な裁定者にもなれた。
この滅びの果てに生まれ直した大地で、二度と太古の野蛮、収奪と陵辱の宴を繰り返させぬために。
すべては必要悪だと信じていた。
――そうして築かれた千年王国が、
◆
夜空に咲く焔の華、大気を引き裂く雷鳴にも似た爆音――何十発もの巡航爆弾が撃墜され、地面に破片をまき散らしていく。
あるいは何も知らなければ、花火の打ち上げでもやっているのかと錯覚するような景色。
バナヴィア北部ロシュバレア管区において今まさに繰り広げられているのは、対空砲台として設置された電磁投射砲が、飛来する爆弾を撃ち落とす戦闘行為だ。
撃墜そのものは難しくなかった。
対空レーダーの監視をくぐり抜けるため、超低空を飛来してきた巡航爆弾は、それゆえに対空砲台の複合センサーユニットではよく見えた。
バレットナイトのセンサーシステムを流用しているこの砲台からは、目と鼻の先に感じられるような存在だ。
巡航爆弾は一切の熱源を持たず、極めて静かに飛行する誘導ミサイルだが、その巡航速度は時速四〇〇キロメートルにも満たない。
音速の数倍の速度で撃ち出される電磁投射砲から見れば、止まっているような低速度域に過ぎなかった。
ゆえに未だ、ロシュバレアの都市部を狙った巡航爆弾は着弾していない。
そう、
問題となるのは、この電動プロペラ推進のミサイルは、一〇〇発ぐらいで打ち止めにならないことだった。
すでに三〇〇発以上の巡航爆弾を撃ち落としてきた対空砲台は、それでもなお止むことがないミサイル攻撃に対して限界を迎えつつあった。
元々、総督府が設置した領土防衛のための部隊は、さほど量的にたいしたことがない。
そもそも巡航爆弾の進路上に監視網があり、運よく対空レールガンの射程内だったこと自体が、またとない幸運だったのである。
その幸運が尽きかけていた。
『こちらロシュバレア第二四監視砲台、増援はまだか! 砲台のレールガンだけでは手が足りない!』
『こちら司令部。最寄りの
第二四監視砲台に配置されていたバナヴィア兵たちの士気は高かったが、それだけで物量の差を覆せるわけもない。
巡行爆弾が撃墜されていることに敵ミサイル艦が、進路を変えつつあったのも大きい。対空レールガン砲台は強力な砲システムだが、有効打を与えられる高度には限界がある。
そして高高度を迎撃できる地対空ミサイルはそう弾数が多いわけではないのだ。
低空を飛翔する巡行爆弾と、高空を進路に選んだ巡行爆弾――異なる軌道を取るミサイル攻撃になった時点で、ロシュバレアの街を守っていた対空砲のキャパシティは限界を迎えた。
対空レールガンの頭上をゆうゆうと飛び越える電動プロペラ推進のミサイル群。
三〇発近い巡行爆弾が素通しになっていた。予想される惨劇を前に、監視砲台の兵が悲鳴をあげた。
『不味い、防衛線を抜かれた! 巡行爆弾の撃墜を願う!』
『持ちこたえろ、今なんとか――待て、増援だ。南東から高速の飛行物体だ。識別信号を送った、間違えて撃ち落とすなよ』
『識別信号? 防空戦闘機か?』
『いや、これは――』
そのとき監視砲台に配置されていた兵士たちは、聴音型センサーシステム越しに異様な音を聞いた。
それは悪鬼のうなり声だった。
大気を吸い込み、火焔と共に吐き出す絶対的な力強さ。
この世界において一般的な電動プロペラや
息を呑んだ兵士たちの疑問に答えるように、司令部から通信が入った。
『――ヴガレムル伯爵家の保有バレットナイト〈アシュラベール〉。エルフリーデ・イルーシャの専用機だ』
対空レーダーが捉えた機影は、目を疑うほどの高速だった。
おそらく音の速さの二倍以上の速度――それも一瞬の最高速度ではなく、持続的な巡航速度として達成されている――のそれは、見るものに畏怖を抱かせる圧倒的な速度域だった。
かと思えば、ほとんどすれ違い様に、対空レーダーに映っていたミサイル群の影が消えていく。高空を飛んでいたミサイル群が、相次いで撃ち落とされたのだ。
爆発していく巡行爆弾の破片が、ぱらぱらと海辺に落下していた。
『な、なんだアレ……あんなのありか!?』
唖然として監視砲台の兵が口を半開きにする中、超音速の機影は真っ直ぐに洋上へと消えていく。
『こちら〈アシュラベール〉――これより敵ミサイル艦への対艦攻撃を実行する』
通信機越しに聞こえてきた声が、あどけない少女のものだと気づいて――誰もが戸惑いを隠せなかった。
バナヴィア人の英雄エルフリーデ・イルーシャの名前を知らぬものはいなかったが、それがこんなにも若い女の子であることなど、想像できなかったのだから。
ロシュバレアに配置されたバナヴィア兵たちは、頭を殴りつけられたような衝撃と共に、辛うじて通信に応じるのだった。
『……ご武運を』
『ありがとう』
深紅の悪鬼が闇を切り裂き、空の彼方へと消えていく。
この夜を覆う暗雲を吹き飛ばすために。