機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
ヘッドセットのスピーカーが動作する。
輸送機のローターブレードが空気をかき乱す騒音の中、生身の人間が言葉を交わすための短距離通信の準備だった。
エルフリーデが目を細めると、野原に降り立った輸送機のドアが開き、長身の男が地面に降り立つ。
見慣れた黒衣だった。
「…………お前が無事でよかった。エルフリーデ、よく戻った」
開口一番、クロガネ・シヴ・シノムラがエルフリーデに告げたのは何とも可愛げのある一言だった。
朝日が昇って数時間、すっかり昼前となった草原――うっすらと雪が積もり始めている――の地表に、雪の飛沫を吹き飛ばしながら着陸したのは、一機のティルトローター輸送機だった。
護衛の戦闘ヘリコプターに付き添われてやってきたとはいえ、ヴガレムル伯爵ともあろう人が自ら出迎えに来るのは異例のことだった。
輸送機から降りてきたクロガネは、冬物のコートをしっかり着込んで、その傍らに従者のロイ・ファルカを従えている。
要するにいつも通りである。
さすがは現場主義者の中の現場主義者、まさか直々にお出迎えとは。
彼が到着するまでの間に、エルフリーデ・イルーシャは現在の状況をおおよそ把握していた。九死に一生を得た直後であろうと、その辺のフォローはばっちりやってくれるのがリザ・バシュレーのいいところである。
〈アシュラベール〉から降りた少女は、耐環境パイロットスーツを着込んだ姿だ。突起物に引っかからないようになっているパイロットスーツは、わりとボディラインが出る衣装だ。
そして当然のように、エルフリーデはコートを差し出されていた。
クロガネの方に目を向ける。ロイが両手で差し出したコートを受け取れ、ということらしい。
相変わらず気遣いの多い男である。
ぽりぽりと頬を指で掻きながら、エルフリーデは口を開いた。
「えーっと…………三日ぶりですね……って言っても、わたしの主観的には〈スオラン〉の撃沈からそんなに時間経ってないですけど」
何を言うべきか迷った末、結局、エルフリーデは締まらない言葉で応じた。
ちょっと目が泳いでいるのは、照れているからではない。考えるべきことも言うべきことも多すぎて、何から手をつければいいのかわからなかったのだ。
周囲にはクロガネの手配した護衛部隊――防弾鎧を着込み、各種センサーシステムが搭載されたフルフェイスヘルメットを被った兵士たち――が展開している。
リザの搭乗した〈ラセツベール〉が複合センサーユニットの目を光らせているから、周囲一帯の安全は確保されていると思っていい。
ひとまず手渡されたコートを羽織ると、エルフリーデは真っ直ぐにクロガネの目を見つめた。
黄金色の瞳。これまで一度とて、自分に嘘をついたことがない男の目だった。
彼だから信じられた。
「エルフリーデ、お互いに多くの疑問があると思うが、ひとまず輸送機に乗ろう。ここは寒い。お前の体調が気遣わしい」
「びっくりするぐらい紳士的ですね……」
「俺は常に紳士であろうと心がけているが?」
おかしい、最近の紳士は年頃の乙女を犬呼ばわりする癖でもあるのだろうか。
自覚があるのかないのか、さっぱりわからない発言だった。ともあれここでしれっと言い切れる面の皮の厚さこそ、クロガネの愛嬌なのかもしれなかった。
だがエルフリーデは、差し出された手を取るべきか迷う。
数秒の沈黙のあと、エルフリーデは今ここで言うべきだと悟った。すぅっと息を吸い込む。
「…………ルクカカウに襲われました。彼女は発掘した先史文明種の遺産を使って、自分専用のバレットナイトを作っていたんです。それで……あの人の記憶も垣間見ました」
クロガネはその整った面差しに、わずかな驚愕の色を浮かべると――すぐに静かな納得の気配を見せた。
高度一万メートルを超える高空で、専用の飛行装備をした〈アシュラベール〉を大破寸前に追い込むほどの強敵である。
それがクロガネ自身に「エルフリーデに匹敵する戦闘の天才」と言わしめた逸脱者であるのは、納得がいくところだったのだろう。
エルフリーデが口にした言葉の意味を、彼は多くを尋ねることなく理解していた。
そう、彼は理解者だった――まだ出会って一〇ヶ月しか経っていない少女が、未だに彼の歩いてきた道のりをぼんやりとしか知らないのに。
ここに不理解はなかった。不和もなかった。むしろできすぎているほど強く賢い人だから、ふと、距離を感じた瞬間に不安になってしまう。
「……クロガネ。ルクカカウの対話で、わたしは何度も問いかけられました……本当に
少女は赤い瞳を、親愛と敬愛に値する男に向ける。
不死なる賢者。この世にあるかも定かではない破滅の塔を追い求め、幾星霜をさすらった放浪者。
彼のことが信じられなくなったのではない。
ただ気づいてしまったのだ。
――わたしはこの人のことを、わかった気になっているだけなのかもしれない。
今までずっと考えないようにしていた可能性を、救国卿は突きつけていった。
一五年前、バナヴィア王国に対して行われた侵略戦争の最中、クロガネが動いていたならば、ベガニシュ帝国に屈することはなかったかもしれない、というIF。
それは叶わなかった無数の物語、死んでいった人たちがそうならずに済んだかもしれない
そう、あれは仕方がなかったこと――最終兵器〈ケラウノス〉による人類絶滅という邪悪な結末を避けるために、彼はそうせざるを得なかったのだと、そのようにエルフリーデは理解していた。
彼の記憶と悔恨を追体験したからこそ、そういう相互理解が生まれていた。
言葉を使わずにクロガネ・シヴ・シノムラという不死者の原点を知ったから、今まで考えずに済んでいた巨大な功罪が浮き彫りになっていた。
――その過程で何が選ばれ、何が切り捨てられていったのか。
ルクカカウはそれを、クロガネの選んだ不正義だと糾弾していた。
あのときエルフリーデがそれに強く言い返せなかったのは、その言葉に宿った論理に納得してしまったからだ。
わかっている。
こんなのは現実にそうなった事実に対して、あとからいくらでもつけられる難癖だ。問題提起のように思える言葉すら、ルクカカウが二人の中を乱すために残していった呪詛のようなものだろう。
唇を噛んで、エルフリーデはうつむいた。懐疑を抱いたことを口にしても、信じ続けると断言できない自分がもどかしかった。
自分とクロガネの関係だけなら、彼の騎士でいられると即答できる。
だけどバナヴィア人にとっての正義を問われたとき、今のエルフリーデ・イルーシャは答えを口にできなかった。
押し黙った少女に対して、黒衣の不死者が発した言葉は意外性に満ちていた。
「――いい傾向だ、エルフリーデ。お前が俺を盲信しないことは、決して恥ずべきことではない」
「へっ?」
呆気に取られた。
皮肉の一つも言われるかと思っていたら、クロガネの表情には陰り一つ見られなかった。
何を言い出すかと思えば、この男は寒空の下、むしろ晴れ晴れとした様子で――疑念を向けたエルフリーデの側が、目を丸くするほどに嬉しそうに微笑んでみせた。
ダメだ、さっぱりわからない。どういう気持ちで喋っているんだろう、この人。
少女が怪訝そうに首を傾げると、クロガネは肩をすくめた。
「俺とて人間だ。重ねた過ちを認められないほど
「い、いや……わたしは今、あなたの正義を疑っているんですよ? もうちょっと怒ったっていいんじゃないですか?」
「それが喜ばしいんだ、エルフリーデ。お前は俺を疑ってくれた。それはよく知って、よく考え、よりよく信じるための正当な感情だ。疑い続ける目と耳を持たずに、人が人を信じることなどできはしない。だから――お前の不安も疑念も、俺は歓迎しよう」
エルフリーデ・イルーシャはしばらく呆然とした。
こっちは身近な人を信じ切れないという苦悩、一種の裏切りとすら思える二重背反で頭がいっぱいだというのに――それこそが彼の願いだと言い切られると、どう反応すべきかわからなくなる。
ひとまず何の答えにもなっていない安堵が、胸を満たしていくのを感じながら、やれやれとため息一つ。
「そりゃあ……理想論としてはそうかもしれないけど……」
「俺を信じているから、こうして言葉にしてくれたのだろう? お前のその信頼に背くことだけはない、だから存分に俺を疑え。そして……何度でも話をしよう、エルフリーデ」
「…………クロガネ、あなたって人は」
目の前に立っている不死者は、バカみたいにお人好しだった。
救国卿の記憶を追憶したわずかな時間だけでも、手ひどい裏切りを何度も受けてきたというのに――クロガネという男は、どうしようもなく人間の善を信じられる人なのだ。
何も問題は解決はしていなかった。抱いてしまった疑いが晴れたわけではない。永遠を歩いていく彼の人生から、いつか、自分が消えてしまう明日は恐ろしい。
ルクカカウの問いかけに対する答えだって見いだせてはいない。
だというのに、どうしてだろうか。
――不思議なぐらいに、胸のつかえが取れた気がする。
ふと空を見た。
薄く立ちこめていた鉛色の雲が晴れて、柔らかな日差しが差し込んでいた。
陽光が雪に反射して、きらきらと輝く銀世界の中で――クロガネ・シヴ・シノムラは、身長一八八センチメートルの長身をひるがえして、すたすたと輸送機に向けて歩き出していた。
「えっ、クロガネ!?」
「帰るぞ、エルフリーデ。俺も多忙な身だ――ティアナ・イルーシャにかける言葉はきちんと考えておいた方がいいと思うが?」
「なんか家庭を顧みないダメ親父みたいな扱いを受けてる! 不当な待遇ですよ、これ!?」
振り返ることなく我が道を行く男を追って、少女は足早に歩き始めた。
いつかそうしたように、どんな暗闇が待ち受けていても――二人ならばきっと、正しい答えにたどり着ける気がしたから。
次回でエピローグです。