機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
バナヴィア東部ヴガレムル伯領、ヴガレムル市――しんしんと一二月の雪が降り積もる、静かな冬の朝だった。
冬至祭まで一週間を切ったこともあり、都市は今、冬至祭に向けた華やかな雰囲気に包まれていた。
商店には冬至祭を祝う食べ物や贈り物が並べられ、店頭に置かれたスピーカーからは冬至祭を祝う伝統的な楽曲が流されている。冬物のコートを着込んで歩く通行人は、誰もが楽しげであった。
クロガネの有する様々なコネクション、その高い技術力と生産力ゆえに、この東部有数の都市は繁栄を謳歌していた。一五年前のバナヴィア戦争で戦火に巻き込まれることなく、ベガニシュ兵の略奪に遭うこともなかった。
ベガニシュ帝国に暗い影を落としていた大陸間戦争でさえ、ヴガレムル市にとってはその重工業を育てるための礎に過ぎなかったのだ。
ゆえにこの都市においては、反ベガニシュ感情はさほど強くない。
ヴガレムルはかつて、騎士による支配を銃弾によって打ち破り、近代バナヴィアの象徴的な価値観を生み出した――人民の自由は、銃口から生まれる。
救国卿ルシア・ドーンヘイルが率いた高度に近代化された陸戦部隊は、強化外骨格によって武装した貴族階級の軍を蹂躙した。この地はその原動力となった銃器を、他のどの都市よりも多く生産した街だ。
あるものはこう語る。
この歴史的経緯こそ、バナヴィア人が優れた技術を持つことの証明だ、と。
あるものはこう語る。
ヴガレムル人こそはバナヴィア革命の立役者であり、最も近代化を願っていた民なのだ、と。
あるものはこう語る。
二五〇年前から変わらず、他者の生き血をすすって肥え太る死の商人、と。
ありとあらゆる物事には異なる顔があり、単純明快な一つきりの解釈などありえない。
であるがゆえに、神ならぬ人の視点で、誤解を恐れずに言及するのであれば――あるいはこう言えるはずだ、とエルフリーデは思う。
巨大な地下構造体と地表構造体から成立する、
それは一〇万年以上の昔、繁栄の絶頂を極めていた旧文明の作り出した生産設備である。クロガネの語る過去の経緯が真実であれば、その原型となっているのは恒星間文明――途方もない物理的距離に隔てられた暗黒世界を行き来する星船の技術だという。
まったく想像できない話だった。
エルフリーデ・イルーシャは、この世界で生まれた人間である。まず夜空の輝く星の光が、光の速度で数年――場合によっては数百万年――かけて届いた、はるか彼方の核融合する熱塊のそれだという概念がわからない。
空想科学的な想像力を働かせて受け入れることはできる。
だが実感はできない。限界高度一〇〇万キロメートルの天球儀――クロガネ・シヴ・シノムラがそう表現した、地球を中心にして森羅万象が配置された小さな宇宙からは、想像もつかないスケール感である。
ともあれ、時間経過の残酷さは実感できる。数万年の時間の前では、石で作ろうが木で作ろうが、あらゆる事物が朽ち果てていくのはわかる。
だが、この大地を襲った如何なる災厄も、先史文明種の遺産を傷つけることはできなかった。
経年劣化の概念すら嘲笑うように、超古代文明の遺産は今も生きている。
このような遺跡が今もなお生きているのは、何も現行人類が大事にこれらの生産設備を守ってきたからではない。
むしろ真逆だった。
人間はすこぶる愚かで野蛮な生き物だった、と悲観的に表現できるかもしれない。
歴史上、様々な征服者たちが試みてきた――敵対者の武器を奪い、飢えさせて殺すために造物塔を壊してしまおう、と。
そしてありとあらゆる試みは失敗に終わってきた。
その外殻はおろか内部構造の破壊でさえ、現行人類の兵器では不可能だったのだ。あるいは一時的に破損させることはできても、それは数十時間から数百時間で復旧される程度の損害だった。
この破壊不可能な不可侵の存在――恵みをもたらし続ける自動工場の存在が、ありとあらゆる権力の源泉になってきたのは歴史の必然だった。
それは神官の操る神秘であり、王権の起源であり、貴族の尊さであった。
さて、これを現代バナヴィア人らしく皮肉たっぷりに表現するならば――どいつもこいつも、自動機械に
――それを言っちゃうと、こうして栄えてるわたしたちの営みも似たようなものかもしれないけど。
数百メートルはあろうかという天を突く塔の群れと、それに付随するように水平方向に広がる直線の箱形。如何なる自重軽減技術が用いられているのか、重力によって生じる歪み一つない均一な外観。
つるりとした外観はむしろ、かつてエルフリーデが見た〈ケラウノス〉関連施設のそれに似ているだろう。
ヴガレムル市はもまた古い歴史を持つ都市の例に漏れず、こういう巨大な構造体をその中心部に持っていた。
正確に表現するのならば、造物塔あるところに人が集まり、そこから得られる資材を元手にして都市を形成していったのだ。
遺跡を掌握したものこそが歴史の勝者となり、やがて時代が下ると遺跡に依存せず、ある程度の自給自足ができる技術力を持つものがより強くなっていった。
造物塔でしか作れない高度科学の産物に、その生産力を回せるものの方が強いのは道理だった。そうして都市と都市の間で強弱ができると、より多くの造物塔を掌握したものが覇権を握るようになっていった。
その過程で神官たちは自動設計AIを動かすための
バナヴィアで有名な笑い話がある。
とある貴族に仕える神官の一族の話だ。彼らは大いなる魔術を用い、魔力のあつかいに長けた一族を名乗っていたが――その実、
彼らは人を殺したという。一つの単語を秘匿するために、秘密を知ってしまったものは、同じ一族であろうと殺めたのだ、と。
これは笑い話である。今であれば笑うしかない話なのだ。技術者の端くれなら、最初に教科書で習うような構文一つのために、数百年間、人を殺して秘密を守り続けた愚かさを笑っている。
残酷な話だ、とエルフリーデは思う。
――まるで全部が全部、でっかい箱庭に押し込められたみたいに。
あるいはベガニシュ帝国ですら、この人類史の流れに沿って生まれた覇者に過ぎなかった。
より多くの都市を掌握し、より多くの造物塔を手中にして、より多くの
エルフリーデ・イルーシャは考え込む。
かつて父から教えられたこと、そしてクロガネの屋敷で閲覧した教科書と資料集。
そこに記されている無数の歴史は、少女を思索の海に沈めるのに十分な破壊力を持っていた。
困ったことに認めるしかなかった。
あの奇っ怪でストーカーじみた怪人、救国卿ルシア・ドーンヘイル――ルクカカウは偉人である。意図的に迷信を広めて、科学技術とその成果物を独占して、未来永劫続く支配体制を築こうとしていた人々の思惑を破壊し尽くした。
執念深く冷酷に、彼女はかつてバナヴィアに存在した因習と権力構造を解体し尽くした。
あらゆる伝統を踏みにじり、あらゆる権力を収奪し、それに変わる近代国家というシステムを根付かせてしまったのだ。
まったくどうかしている。
あるいはエルフリーデが、歴史小説を読みふける後世の一読者ならば、救国卿のファンになっていたかもしれない。
――問題はあの人が、現在進行形でわたしの敵だってことなんだけどね!
送迎用の自動車の中で、エルフリーデはため息をついた。窓の外に広がる冬景色は、いつしかヴガレムル市郊外の研究施設群のそれに切り替わっていた。
◆
「――〈アシュラベール〉は我々の夢だった。決して叶うことがない、子供の夢想のようなまぼろしだよ」
開発主任ゲルト・フレーリヒは、不意にそんなことを言った。仕事上、付き合いがある程度の知己だった。
ここはミトラス・グループの有する研究施設、ミトラス科学研究所の有する地下格納庫である。空襲も想定して地下に造られた研究施設は、幾重にも重ねられた複合装甲の天井によって、強化コンクリート壁で作られたそれとは比較にならない強度を獲得している。
ありとあらゆる先進的な科学技術、その中でも軍事分野のそれが研究されている施設だった。
ここは言うなれば〈アシュラベール〉の故郷。悪鬼が産声を上げた、ミトラス・グループの中核を担う人材がいる施設である。
よく音が響く格納庫の中は、空調の効きが悪いということもなく快適な適温が保たれていた。多くの実験的装備の設計・開発・生産が行われ、その運用試験すら、ある程度は地下空間で行えるように整えられた空間だ。
かつて〈アシュラベール〉が使いこなした無数の試作装備もまた、このミトラス科学研究所で生まれたものだった。
果たして〈アシュラベール〉の生みの親の一人というべき、若き天才の意外な告白に、エルフリーデはどう応じるべきか迷った。
「夢、ですか? それは叶えたい夢とは違うんですか?」
耐環境パイロットスーツの上から軍用コートを羽織り、エルフリーデは男を見た。
痩せぎすの長身、おそらく身長は一八〇センチ前半。手足は長いものの筋肉質な感じとは無縁で、むしろ神経質な印象すら与えそうな外見――短い銀髪、やや角張った顔立ち、楕円形の眼鏡が知的な印象を強調している。
髭の剃り跡すら見えないような、実に当世の流行りに則った見た目だった。
ミトラス・グループの研究職らしく白衣姿、如何にも研究をする人種ですという感じ――男の話すバナヴィア語は流ちょうだったが、それが彼の母国語ではないことをエルフリーデは知っていた。
ゲルト・フレーリヒはベガニシュ人である。
帝都コルザレムの大学で若き天才と呼ばれた男だ。かつてはベガニシュ帝国でも出世頭の研究者だったらしい。ベガニシュ帝国先進技術研究所に在籍していたと、世間話でぽろっともらしていた。
だが、男はクロガネにスカウトされて、迷うことなく単身、異郷の地に乗り込んで来た――すべては夢のためだった、と男は語る。
「イルーシャくん。私の最初の夢はね、飛行機を飛ばすことだったんだ。今、世界の空を飛んでいるような電動プロペラ推進ではない……内燃機関によって空を飛ぶ、ジェット推進する飛行機だ」
「音速の壁を越えられる飛行機、でしたっけ? プロペラ機では、衝撃波の問題でどうやっても超えられないっていう」
「ああ、そういうことだよ。だがベガニシュ帝国の航空機産業は停滞していてね――実用品ならば歴史ある電動プロペラ、先進科学ならエーテルパルス・ロケット。そういう風に決まっていたんだ。電脳棺の軍事利用はベガニシュ帝国の至上命題だった」
つまり格式と伝統ある組織では、既定路線の研究以外は認められなかったのだ、と男は語る。そしてそれゆえに、クロガネが短期間で育て上げた新進気鋭の民間企業――ミトラス・グループは、魅力的だったのだ、とも。
エルフリーデとゲルトの人間関係は、初めて〈アシュラベール〉に搭乗したときにさかのぼる。
初めての搭乗から、サンクザーレへの初出撃まで七〇時間ほどしかない状況下――誰がどう考えても絶望的な条件だった。
エルフリーデを連れてきたクロガネ以外、誰も〈アシュラベール〉を乗りこなせるとは思っていなかった。
十代の少女に対する、無意識の侮りがあった。そして何より、技術者たちの夢とロマンで設計された〈アシュラベール〉は、飛行制御のすべてが人力でまかなわれる狂気のマシンだった。
「そう、あれはね――狂気の産物だった。ヴガレムル伯爵は気前よく予算を出してくれて、いろいろと技術的知見から助言までくれたが。それでも〈アシュラベール〉は人間に乗りこなせる機体にならなかった」
「……なんで飛行機を飛ばす夢が、バレットナイトで空を飛ぶ話になったんですか?」
「この世界で最も軽量で、出力が高いジェネレータは電脳棺だったからだよ。つまりバレットナイトの形式を利用すれば、我々は世界最高のジェットエンジンのテストができる。残念ながら当時の我々は未熟だった。自動設計AIの出力する完成品にかじりついて、必死に正しい答えに至るためのテスト勉強に明け暮れていた。酔っ払いだったんだよ。飛行機とも機甲駆体とも言えない怪物を作ってしまうほど、前が見えていなかった」
ここまではよくある話だ。向こう見ずな発明家たちが、実用化にはほど遠い技術に手を出して、後世で早すぎた試みと評される。
〈アシュラベール〉もまた、そういう未来を辿っていたかもしれない。その概念が日の目を見るには、技術が成熟する数世代先の知見が必要だったろう。
だが、クロガネ・シヴ・シノムラは
彼はあの時点で唯一、ミトラス・グループが確保できる最高の適性者を連れてきた。そしてエルフリーデ・イルーシャは、生みの親にすら鬼子あつかいされる狂気のマシンを、英雄の翼に変えてみせた。
ゲルト・フレーリヒは眼鏡の奥で、灰色の瞳に過去を懐かしむような色を浮かべた。
「イルーシャくん。君が私に未来を見せてくれた。〈アシュラベール〉が空を飛ぶことを、今や世界中の誰も疑っていない。あの子は世界最強のバレットナイトであり、世界最初の飛行型バレットナイトになった」
熱っぽい言葉だった。
このどうしようもなく行き詰まった世界の構図に、息が詰まるような思い。ここ数日間、エルフリーデの頭蓋を満たしていた諦念が、不意に消え去った気がした。
エルフリーデはここ数ヶ月、顔を合わせていた相手の意外な顔を見た。時折、テストの合間に世間話する程度の知人である。
〈アシュラベール〉の試運転を通して、その性能や動作を伝える。あくまで仕事上、必要なやりとりをするだけの相手である。
しかしながら疑う余地がないものを感じた。
それは感謝だった。
「……〈アシュラベール〉は、壊しちゃいましたけどね」
「問題ないさ。伯爵からの許可も下りている――実は開発中だった〈アシュラベール〉の強化型試作機があってね。数日中に実機でテストできる段階まで仕上がるはずだ」
ゲルトからは混じりっけなしの好意と信頼を向けられていた。たぶん彼が抱いていた諦念を打ち破ったのが、エルフリーデだったからだ。
どこにも羽ばたけない怪物を、世界最高の翼に変えてみせた魔法使いとして、彼女は信じてもらえていた。
それゆえに、エルフリーデ・イルーシャは真顔になった。
「それって
「イルーシャくん、
「すごく不安になってきました……!」
〈アシュラベール〉の生みの親、ゲルト・フレーリヒは
疑う余地がないぐらいに。
ゲルトおじさん「君は、私の希望だ…!」
エルフリーデ「いい話風にしてますけど今までのトンチキ装備の生みの親ですよね!?」