機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
撤退戦は嫌なものである。
エルフリーデ・イルーシャはそう長く生きたわけではない――ベガニシュ帝国の法律では飲酒が許されているものの、さりとて二十歳にも届かない半生だ――が、戦場での経験ならば相当に濃密な時間を生きてきたと思う。
大陸間戦争の後半戦、ベガニシュ東海岸での戦闘とはそういうものだった。
太平洋艦隊は海戦で敗れ、ばらまいた機雷もものともせず、帝国本土に上陸してきたガルテグ遠征軍との熾烈な地上戦。
比喩でなしに雨のように砲弾が飛び交い、大型爆撃機が空爆を繰り返し、機甲駆体が戦場を駆け抜ける――そういう戦場にあって、時間稼ぎのために投入された兵の一人がエルフリーデだった。
そしてこの戦争においてベガニシュ帝国は基本的に劣勢だった。
これはベガニシュ帝国の覇権を厭う諸外国が、ガルテグ連邦の側に与したことによるパワーバランスゆえの情勢だが、ともあれ現実はただ一つ。
エルフリーデ・イルーシャは初陣で部隊が壊滅状態に陥り、命からがら敗残兵をまとめ上げて撤退戦を乗り切った経験を持つ。
あれは本当に死ぬかと思った。
重ねて言おう、撤退戦は嫌なものである。
――こっちがひたすら不利で、鬼がいっぱいいる鬼ごっこやらされる感じ。
ついでを言うなら、銃弾だの砲弾だの爆弾だのを使ってやる鬼ごっこだ。
それはもう人が死ぬ。どんなに兵器が高性能でも、両軍がきちんと戦う準備が出来ていて、軍備にさほど差がないならばそこそこマシな結果になる。
すり潰されるように人は死んでいくが、それでも一方的な蹂躙劇だけは避けられる。
だが、しかし撤退戦――負け戦から逃げ切らねばならない場面というのは最悪だ。
背中を見せて逃げ惑う敵に銃弾を浴びせるのは、互いに銃口を向け合って、命を奪い合うよりもずっと容易いことなのだから。
幾度かエルフリーデが経験してきただけでも、眼前で多くの味方が死んでいった。
バナヴィア人もベガニシュ人も区別なく、総崩れになった戦場では、ろくな反撃もできずにたくさんの命が消えていった。
撤退戦はとても難しい。
理屈の上では秩序だって行動し、的確にタイミングを読んで引けばいいわけだが――敗色濃厚な戦でそのように行動できる人間がどれだけいるだろうか。
ましてや敵もまた人間なのである。
こちらが嫌がることを、絶対にやって欲しくない瞬間に叩きつけてくると考えてよい。
かくして鉄砲と大砲と爆弾を駆使した最悪の鬼ごっこは、戦場の至る所で繰り広げられるのだ。
――つまり撤退戦をやる羽目になってる現状は、すごい危ないんだよね。
現在、ヴガレムル伯爵軍の車列は、来た道を引き返すようにして撤退している。幸いだったのは長射程の電磁狙撃砲を搭載したバレットナイトが、多数、生き残っていたことである。
これがある限り、空挺部隊の投入や戦闘ヘリによる追撃には、ある程度、事前に対処できる。
敵の襲撃――状況証拠から判断してバナヴィア総督府が絡んでいる――は奇襲だったが、結果として戦力の
要するに一度に対処できる数に収まっていたので、こちら側は犠牲を出さずに切り抜けられた。
このような突発的な戦闘で、今のところ死者が出ていないのは素晴らしいことだ。
それだけで神様に感謝できるぐらいに。
――最初の襲撃から二時間半が経過した。
足の遅いトレーラーを放棄したことで速度は上昇している。敵が拙速だったのが幸いした。退路をふさいだ上での奇襲だったなら、もっと死傷者が出たのは間違いない。
奇妙なことだった。
もしエルフリーデが敵の指揮官だったなら、ヴガレムル伯爵軍の退路をふさいだ上で、十全の戦力を投じていたはずである。
――つまり敵の準備は万端じゃない。妨害電波の行使から短時間で、わたしたちを仕留める必要があった?
――誰の目を気にしてるかと言えば、たぶんそれはクロガネじゃない。帝国政府の意向を裏切るのが怖いんだ。
そして総督府が敵だと仮定した場合、疑問は残る。最初から空爆でもしていれば、抵抗の余地を残さずに皆殺しにできたかもしれない。
それができなかった――つまり攻撃を主導した何者かは、爆撃機や戦闘ヘリを飛ばせるほどの権限はなかった。
重戦車は中々の高級品だが、今回の演習――陸戦用重バレットナイトの運用テスト――を名目にすれば、何両か動かすのは不可能ではない。
つまり敵側の事情として一番ありえそうなのは、今回の演習に関わっていた総督府の関係者だろうか。
――これ以上はやめておこう。考えが固まるのはよくない。
平民のバナヴィア人であるエルフリーデ・イルーシャにも、わかることはある。間違いなく命を狙われたのは自分であるという事実だ。
何故なら、今は時期がいい。
無敵伝説を誇っていた〈アシュラベール〉とエルフリーデを切り離し、クロイツェク管区の演習場というクロガネのお膝元の外で始末できる絶交の機会。
なるほど、クロガネの手札を削っておきたい政敵なら、仕掛けてくるのも理解できる。
――それでもクロガネの予想を上回って、まさか今、仕掛けるなんてと思わせたなら大したやつだよ。
クロガネは理性の人である。
あるいはそれゆえに、事後処理をどうするのか想像もつかない愚行を、あえてやってみせる蛮行が効いたのかもしれない。
鉄兜を被った類人猿の化け物――〈アイゼンヴェヒター〉の無限軌道が、道路を痛めつけながら高速で回る。エルフリーデは今、車列の中程で並走していた。
周囲には七機の〈アイゼンリッター〉型が布陣しており、装甲車の前と真横を固める形で並走している。
バレットナイトは身長四メートルの巨人だが、その身体能力は人間の比ではない。気味が悪いほど一定のリズムを刻んで、機関砲を構えて前進する人型兵器――雪で白く染まった風景の中、鈍色のアルケー樹脂装甲だけが異物だった。
クロイツェク管区の演習場からは離れ、平野部から距離を取ることに成功していた。
地平線の果てまで何もないような空間からは脱することができた。変わりに周囲の景色に現れたのは、背の高い針葉樹の森だ。遠目には黒く見えるような、立派な大木がずらりと並んでいる。
流石にサンクザーレの巨木の森に比べれば、はるかに小さな木々の群れではあるけれど。
聴音型センサーシステムに耳を澄ませる。ティルトローター輸送機や大型輸送ヘリコプターのローターブレードの音は聞こえない。
レーザー通信が入ってきた。隣を並走しているバレットナイト、ベア2からのものだった。
『追っ手は来ませんね、ライオネス1はどうお考えですか?』
「予断を許さない状況に変わりはないよ。敵がいい具合に混乱してるとしても、そろそろ体勢を立て直してる頃合いだ――偉い人が重い腰を上げて、戦闘ヘリの出撃許可でも出せば、わたしたちが稼いだ距離はすぐ埋められる」
『その前にこちら側の援軍が到着するか、時間との勝負ですね』
「そういうことだよ、ベア2。幸いにも電波妨害の影響圏は抜けてる。あとはこっちの送った通信を、ヴガレム伯領の面子が拾ってくれてるって信じるだけ。しんどいけど踏ん張りどころだね、頑張ろうか」
エルフリーデが率いるヴガレムル伯爵軍の部隊は、先ほど通信を送ったばかりだった。
ギリギリの判断だった。
伯爵家の本体に現状を伝えなければ、助けに来てもらうこともできない。しかし長距離通信はこちらの現在位置を露呈させることにもなりかねない。
ゆえに通信を送れるタイミングは限られていた。
つまるところ、これは駆け引きだ。きっと追いかけて来ているであろう敵と、逃げ切るのが勝ちであるエルフリーデたち――両者の知恵比べの場と言ってもいい。
先ほどエルフリーデは決断した。
今この瞬間しかないという距離、時間だったと確信できる。ヴガレムル伯爵家が運用している高高度通信中継プラットフォームならば、確実に通信を受け取ってくれたはずである。
――最高なのは敵が無能で、こっちの通信の発信源を聞き逃してくれてることだけど。
残念ながらベガニシュ帝国の電子戦技術は優れている。
ベガニシュ帝国陸軍――正規軍のそれに比べると一段堕ちるが、総督府もそれに準じた装備を持っていることは疑いようもない。
だが、結局のところすべては誤差である。
――どのみち幹線道路を利用しないとこっちは撤退できない。つまり敵が現在位置を予想するのは難しくない。
本来であれば、このような逃げ方はしたくなかったが――今回は速度を何よりも優先した。
バレットナイトだけなら道なき悪路を行軍するという荒技もできたが、今回、エルフリーデたちが守らねばならないのは装甲車に乗った人々である。
彼らに雪の積もった道路以外を行軍させれば、あっという間に死者が続出するだろう。
冬季の防寒装備があるとはいえ、生身の人間にとって雪が降り積もった大地は過酷な環境なのだ。
そして雪の中を頑張って歩いている人間なんて、自爆ドローンや戦闘ヘリコプターにとっては止まっているようなものである。
ベア2は優秀だった。
エルフリーデが飲み込んだ言葉の意味を察して、〈アイゼンリッター〉がうなずいてみせた。
『
「ベア2、全員で対処するのが一番生存確率が高いやり方です」
『しかしライオネス1、あなたは今後のバナヴィアにとって必要な方です』
ベア2の言いたいことはわかった。
自分を英雄視する人々の視線は、庶民を自認するエルフリーデ・イルーシャにはむずがゆいものだけれど――実際問題、それだけの名声を少女は得てしまっている。
サンクザーレ会戦でガトア公爵家の軍を打ち破り、大陸間戦争で多くのバナヴィア兵の命を救った英雄。
そのネームバリューはバナヴィア人の間で無視できないほどに高まっている。今後のクロガネの政治的動向がどういうものであれ、武力の象徴としてのエルフリーデは必要不可欠だろう。
そんな少女騎士の存在に比べれば、よく鍛えられた精鋭とはいえ、数名の機甲猟兵の命など安い。
そういう命の価値の話を、ベア2はしていた。
――参ったな、わたしが好きじゃない算数の時間みたい。
苦手というわけではない。むしろ生死を分ける場面での損得勘定は誰よりも優れている自認がある。
しかしながら身も蓋もない指揮官としてのエルフリーデは、自己犠牲の申し出をあっさりと却下できた。
「わたしを入れても八機しかいないバレットナイト小隊を、これ以上、細切れにして満足な足止めは期待できない――これでこの話は終わりです」
『……了解』
ベア2は引き下がってくれた。
大人の対応である。きっとクロガネはこういう人格的な適性も含めて、選抜したメンバーを護衛につけてくれたのだろう。
我知らず緊張していたと気づいて、エルフリーデは誰にも気づかれない程度のため息をついた。
大陸間戦争の戦地はもっとひどかったからだ。最悪な現実を認められず、理論上は素晴らしい命令を下す貴族士官とか、すっかり部隊の顔役気取りになった下士官とか、破れかぶれになってろくに命令を聞かない兵士とか――ああ、思い出すと全員ぶん殴りたくなってきた。
説得したり脅迫したり改心させたりで、それはもう大変な経験しかしていなかった気がする。
ともあれ大事なことは二つ。誠意を見せつつ舐められないようにする。ここのバランスがとても難しいのである。味方は剣で斬りつけて殺すわけにもいかないのでなおさらである。
――あんまりよくない盤面だけど、最悪からはほど遠いって素敵だよね!
少女騎士はポジティブだった。
〈アイゼンヴェヒター〉は装備品も含めた重量が三〇トンにも達する重バレットナイトだが、その移動速度は快速だった。
脚部に取り付けられた
その代わりに跳躍のような三次元的機動に関しては、ロケットブースターの補助ありきなのだが。
ともあれ〈アイゼンヴェヒター〉は対戦車戦闘を想定しているだけあって、索敵装置が〈アイゼンリッター〉よりも贅沢だった。単純により高性能なセンサーを積んでいるし、種類も増えている。
それらを統合し解析する電脳棺の演算処理能力――すべてが組み合わさって、ふとエルフリーデは気づいた。
鉛色の空の下、どこまでも続く雪景色の森、踏み固められた雪が凍てついた道路。そんな風景の中にあって違和感が拭えないものを、たしかにその目は感じ取った。
「ライオネス1より各機へ。戦闘態勢で周囲を警戒、発砲を許可する。走行速度を一〇キロ落とす」
『了解――』
ベア小隊は優秀だった。
あのエルフリーデ・イルーシャが何かを感じ取ったのならば、何かがあるのだと判断した。無駄口を叩くものもいなければ、その判断を軽んじるものもいなかった。
そして電磁機関砲を構えたバレットナイト七機と、重バレットナイト一機が周囲を用心深く探ること三〇秒後。
前方一四時の方向、鬱蒼とした森の奥から人影が飛び出してきた。直前まで音響探査にも熱源探知にも引っかからなかった巨人――いや、ついさっきまで雪の中に埋まっていたに相違ない、雪の結晶を振りまきながら動く人型。
それは黒に限りなく近しい紺色の装甲をしていた。
〈アイゼンヴェヒター〉の高感度センサーが捉えた機体形状――骨格や推定身長から〈アイゼンリッター〉や改良型機〈ブリッツリッター〉でないことは
そいつはまるで人間がそうするように、布状の
その両手は手甲となっており、かぎ爪じみたブレードが目視できた。
――セヴランの〈ミステール〉に似てる?
見覚えがある骨格形状だった。おそらく設計者の癖のようなものが見て取れるのだ。
セヴラン・ヴァロールの〈ミステール〉、カガンの〈ルー・ガルー〉、そしてルクカカウの〈アルファマラーク〉――救国卿の設計したバレットナイトに共通する異形が、突如として現れた存在にも受け継がれていた。
「撃て!」
エルフリーデは躊躇わなかった。
そしてベア小隊の〈アイゼンリッター〉が、その命令を忠実に実行しようとした刹那。
聞こえてきたのは――
『――久しぶりでござるなぁ、エルフリーデ殿! ニ~ンニン!』
面識はあるけど知らない忍者だった。
エルフリーデ・イルーシャは思わずうめいた。
「帰ってほしいなあ、今すぐ!!」
忍者「久しぶりでござるなあ!」
エルフリーデ「ウワーッ誰!?」