機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
英雄。
そう呼ばれる存在がある。
それは時として為政者が自らの都合で作り出し、時として民衆が熱狂の中で作りあげる偶像である。
セヴラン・ヴァロールは英雄を知っている。
その名は救国卿ルシア・ドーンヘイル――二五〇年前のバナヴィア革命を主導し、近代国家という概念をこの世界にもたらした偉人である。
特筆すべき点は、彼女が歴史上の存在ではなく、今もなお生きている不死者であるという点である。
セヴランはかつてその目で見た。
常人であれば死する傷を負ってなお、不敵に微笑み、立ち上がり――自らを刺し貫いた剣を引き抜く超人の姿を。
そう、セヴランは絶望の中で、差し伸べられた手を取った。
ベガニシュ人による支配からバナヴィアを解放し、奪われた尊厳を取り戻すために、ありとあらゆる手段を行使してきた。
――その結果がこの様か。
すれ違い様の一撃だった。
エルフリーデ・イルーシャは常軌を逸した戦闘センスと悪運に満ちた存在だ。そのことを忘れていたわけではなかったのに、今、彼は敗れて死に瀕している。
〈ミステール〉は限界だった。
青い〈アシュラベール〉――援軍として現れた未知のバレットナイトによって、その手足は機関砲に撃ち抜かれた。
そして決死の覚悟で放った刺突は、蘇った深紅の悪鬼によって一蹴されたのである。
四肢を失った鴉頭の機甲駆体は、雪を巻き上げながら地面に倒れ伏した。
衝撃。
引き裂かれた人工筋肉の束が、断面から覗く手足の残骸がうごめく。
『わたしはエルフリーデ・イルーシャ――この世界に、希望を見せる英雄だっ!』
声を聞いた。
その凜々しい宣言に、バナヴィア人を裏切る虚飾はなかった。
信じられなかった。セヴラン・ヴァロールは今、かつて救国卿に見出しものと同じ、言葉にならない畏怖を感じ取っている。
エルフリーデ・イルーシャの傲慢極まりない言葉を、現実を知らない小娘の戯れ言だと笑い飛ばすことなどできなかった。
少女は従軍し、戦地で多くのバナヴィア兵を救い、必殺を期したセヴランの策を二度も乗り越えて――こともなげにここにいる。
――俺は、見誤ったのか?
わからなかった。
ただ一つわかるのは、すでに自分の生殺与奪は彼女に握られているという事実だった。
これも天の采配、正しき報いが与えられたということなのだろう。
ため息一つ、〈ミステール〉の背部装甲ハッチが開放される。電脳棺との融合が解除され、剥き出しになった脊柱からずるりと男の身体が排出される。
耐環境パイロットスーツに身を包んだ肉体は、外気温の低さを感じることはなかった。
バレットナイト同士の戦闘で踏み荒らされ、泥と混じり合った雪の残滓の上に降り立った。
かつてバナヴィア戦争で負った傷は、とっくの昔に快癒していた。電脳棺による祝福、如何なる傷も癒やしていく復元作用だった。
視線を上げれば、すぐそこに一本角の悪鬼がいた。
〈アシュラベール〉――エルフリーデ・イルーシャの象徴であり、今もなおその肉体としてここにあるもの。
「逃げろよ、忍者男」
ぽつりと呟いた。
セヴランの決死の突撃を支援するため、青いバレットナイトに横やりを加えていた忍者――セヴランすら本名を知らない男――は、逃げるタイミングを失っていた。
敵の操縦者は手練れである。
同じ第三世代機であることを考えても、青いバレットナイトと〈残雪〉の戦闘能力は互角と見ていい。
至近距離での奇襲ならいざ知らず、こうして互いの存在を目視している状況下では、むしろ不利と言っていいかもしれない。
そこにエルフリーデの〈アシュラベール〉が参戦した今、セヴランと忍者の命は風前の灯火だった。
「俺を裁くのが、お前だというのならそれでもいい……」
セヴランは自分を凝視している深紅の悪鬼を見つめ返した。
身長四メートル半、重量に至っては数トンある合金とアルケー樹脂で編まれた機械仕掛けの巨人だ。強烈な存在感を放つ二振りの太刀や、手足に接続されたブレード状の突起を振るうまでもない。
軽く触れるだけで、エルフリーデはセヴランを殺せる。
雪が舞い落ちる。
時間にしてみれば五秒にも満たない沈黙のあと、不意に〈アシュラベール〉の装甲が震えた。
『OK、まだ殺さなくていいよ。銃口は向けたまま話をしよう――そっちの忍者さん、わたしの言いたいことはわかるかな?』
エルフリーデの声は落ち着いていた。
まるでこれから商談を始めるビジネスマンみたいに、身振り手振りで敵意がないことを宣言していた。
その態度に戸惑ったのは、セヴランと忍者だけだった。
実際のところ二人は、蛇に睨まれたカエルのように身動きが取れないでいる。抵抗の意思を見せれば、その瞬間に〈アシュラベール〉は彼らを殺すと確信していたからだ。
青いバレットナイトは依然として、油断なく電磁機関砲を〈残雪〉に向けている。
〈残雪〉は回避運動を止めて、静かに直刀を腰の鞘に収めた。武器をしまうことでひとまず、エルフリーデに従うことを示したのだ。
「……なんのつもりだ?」
『そんなに怯えなくていいよ。少なくともその気だったら、二人ともすぐに殺せたから――わたしがしたいのは、あなたたちの上司との対話だよ』
「……総帥と?」
セヴランの困惑を余所に、〈アシュラベール〉は頷いてみせた。
バレットナイトはその制御中枢に搭乗者を融合させ、機械仕掛けの身体として機体を操縦させる仕組みだ。
だからどんなにエルフリーデ・イルーシャとは似ても似つかない姿形をしていようと、その所作には本人の癖のようなものが浮き出る。
人懐っこい少女の微笑みを思い出した。
遠い昔、大陸間戦争が始まる前、セヴランがイルーシャ一家と交流していた頃の思い出が脳裏をよぎる。
感情表現が素直な、明るい娘だった。
そういう思い出の姿と重なる動き――なのにその口からこぼれ出た言葉は恐ろしく冷静だった。
『――これはわたしの思いつきじゃない。クロガネからのメッセージを、そっちの忍者さんの機体に送るよ。あなたたちはただ、情報を持ち帰って報告すればいい。それがあなたたち二人を見逃す条件』
セヴランは必死に頭を働かせた。
この状況下でクロガネ側の人間が、バナヴィア独立派の幹部を見逃す理由などあるのだろうか。
セヴランたちの襲撃は今のところ、エルフリーデの部下に死傷者を出すことはできていなかったが、それはほとんど少女の悪運がなせる偶然だった。
少しでも条件が違っていたなら、間違いなく誰かが死んでいた。
わからない。
自分がエルフリーデの立場だったなら、少なくともセヴランは殺しておくはずだ。彼は数ヶ月前のヴガレムル同時多発テロの首謀者であり、エルフリーデたちにとっては仲間の仇なのだから。
『もう一度言おうか。わたしとクロガネは、救国卿ルシア・ドーンヘイルとの話し合いを望んでいる。これはバナヴィアの未来を掴むための交渉――あなたたちを殺せるのにそうしないのは、こちら側の誠意だと思ってくれていい』
これは本当にクロガネ・シヴ・シノムラの意思なのか、それともエルフリーデ・イルーシャの口から出任せなのか――判断が付かなかった。
エルフリーデの振る舞いはあまりにも堂々としていて、男にはその真意を掴むことができない。
死を受け入れた心境だった先ほどまでとは、まったく異なる緊張がセヴランを支配していた。
場の主導権は疑いようもなく少女の側にあり、襲撃者だった二人は今や、虜囚に過ぎないことを理解させられる。
セヴランの首筋を冷や汗が伝い落ちる。耐環境パイロットスーツの内側では、肉体がかつてないストレスにさらされていた。
『うーむ、これは議論の余地がないほどに……好都合な条件でござるな。必ずや救国卿にお伝えするでござるよ、セヴラン殿を拾ってもいいでござるか?』
一方、忍者の方は判断が速かった。
ふざけたござる口調はそのままに、黒に近い紺色で塗装された機体が身振りで接近の許可を求める。
今もなお、彼に対しては青いバレットナイトが銃口を向けていた。
いや、それだけではない。先ほどまでの死闘では〈残雪〉に押されていた、護衛と思しき〈アイゼンリッター〉も四人の周囲に集ってきていた。
無傷な機体は一つもない。
片腕や両腕を欠損した機体が目立つものの、背部ハードポイントの電磁機銃やミサイルポッドをこちらに向けている。
エルフリーデの指示一つで、彼らは引き金を引くだろう。これほどの殺意の中では、不意討ちで形勢逆転できる可能性はなきに等しい。
『いや、あなたは動かないで。セヴランに歩かせる……お仲間の元にいっていいよ、セヴラン・ヴァロール』
「……ああ」
セヴランは〈アシュラベール〉から目をそらせなかった。
無言で問いかけられている気がした――こうして今、対等の相手として手を差し伸べた以上、誠意を見せられるのかと。
先ほどまでバナヴィア人の未来のため、帝国の傀儡となる少女は排除しなければいけないと思っていた。
そう信じられるだけの危険な兆候はいくつもあった。此度の襲撃事態、ベガニシュ人の内部分裂を独立派が察知したことで、急遽、決定された作戦だったのだ。
如何にヴガレムル伯爵クロガネ・シヴ・シノムラが有能な人物であろうと、その手腕を発揮する前に排除され、バナヴィア都市連合もまた有名無実の傀儡となる可能性は腐るほどあった。
要するにセヴランたちは、クロガネのこともエルフリーデのことも信じられなかったのだ。
だが今は――
「――俺たちの負けか」
男の呟きに応える声はなかった。
一歩、二歩、三歩――歩みを重ねていく。深紅の悪鬼のすぐ傍を通り過ぎた。腕の一振りもすれば、エルフリーデはセヴランを肉塊に変えられる距離だった。
だが、そのような暴力が振るわれることはなかった。
自分が許されたわけではないことぐらい、セヴランにも理解できる。少女がその身に秘めている激情は、鋼鉄のような理性によって御されていた。
感嘆する。
それはたぶん、怒りと憎しみを炎に変えて、走り抜けてきた男にはない強さだった。
〈アシュラベール〉の真横を通り過ぎ、自分に向けられた数多の銃口を感じ取り、それでもなおセヴラン・ヴァロールは仲間の腕の中へとたどり着いた。
〈残雪〉のマニピュレータが、卵の殻でもつまむような力加減でセヴランを抱いた。
何を考えているかわからない忍者が、ふとエルフリーデに話しかけた。
『傑物でござるな』
『褒めても条件は変わりませんよ』
『ああいや、拙者たちの離脱を許してくださるだけでも温情でござろう――では礼儀として名乗りを。拙者の名はツルガ。いずれまたお目にかかりたいものでござるな、エルフリーデ殿』
セヴランは呆気に取られた。
そこそこ長い時間、一緒に仕事をしてきた自分でさえ、知らない忍者の名前だった。おそらく組織の中でも、それを知っているのは救国卿その人だけだったはずである。
この忍者、ふざけた格好と見た目をしているが、主人への忠誠心は堅い。
そういう手合いのはずである。
『では、そろそろお暇するでござるよ』
エルフリーデが合図したのか、四方八方から向けられていた銃口が下げられた。次の瞬間、〈残雪〉は地面を蹴って跳躍――ロケット・スラスターを稼働させた。
推進装置の噴射音、風を切るやかましい音。
イヤーマフラーをしていなければ、頭がどうにかなりそうな騒音と風圧にさらされる。
セヴランはたまらず目を閉じた。
そしてふと思い出す。
――だから、まあな。エルフリーデ、お前はきっと将来、すごいやつになるよ。俺が保障する。
昔、そんなことを言った男がいた。
それはきっと、他愛のない戯れ言だったけれど――あるいはセヴランが積み重ねた如何なる悪逆よりも、真実に近しい言葉だったのかもしれない。
赦しは乞わない。懺悔する資格などない。ゆえに和解することもないだろう。
そのことにたとえようもない痛みを覚えながら、それでも男は願った。
――エルフリーデ、願わくばお前が真の英雄であることを。
その歩む道が、どこに続いていても――正しき側であることを祈った。
心の底から。