機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
リザ・バシュレーは粛々と準備を進めていた。
状況は理解している――要するに今、クロガネが代表を務める伯爵家は喧嘩をふっかけられているのだ。新参者の成り上がり貴族が、最高権力者の覚えがめでたく、巨大な権力を握ろうとしていることへの危機感。
おおむねそんな感じの事情によって、古参の貴族が支配するバナヴィア総督府が敵に回ったのである。
状況はさほど悪くない。
もっと用意周到な開戦だったならいざ知らず、実際のところ、敵は満足に準備ができていない状態で暗殺作戦を決行してしまった。
時間が経てば経つほど、反乱を起こした側である総督府――どこぞの侯爵様は追い詰められていく。少なくとも勝つだけならば、クロガネ陣営は難しくないのだ。
――でもお姉さんも伯爵様も、そういう勝ち方はしたくないんですよね。
問題となるのは、これがベガニシュ帝国にとっても、バナヴィアにとっても、戦後政治の一環と言っていい状況であることだ。
今回の戦争の原因は一目瞭然である。ほんの二週間ほど前、ヴガレムル市で開かれた会合――バナヴィア都市連合の会議において、ゲストとして招かれた帝国宰相が、バナヴィア全土の自治権獲得を約束した。
しかもそれは軍事力の制限などの首輪が付いていない、ほぼ放任と言っていいほどの破格の条件だった。
つまり帝国はバナヴィアを支配するという目論見を完全に捨ててしまったのだ。当然のことながら、ハシゴを外されたのはバナヴィア戦争以後、いくつもの州を占領下に治めてきた総督府である。
貴族領として治められている土地の帰属に関してはまだ言及されていないが、いずれ手放すよう強いられるのは明らかであった。
そして一五年前の戦争以後、バナヴィアに入植しようとしてきたのは、有象無象の門閥貴族の郎党であった。
要するにバナヴィアの自治権獲得とは、大貴族を中心にした貴族連合への粛清なのだ。
――帝国の内側の派閥争いが、巡り巡ってこっちに降りかかってくるんですからクソですよね。
であるからして、クロガネは帝国を頼り切ってはならないのだ。
降って湧いてきたような幸運に見える――実際にはあの不死者がいろいろと手を回した結果なのだろう――自治権獲得が、ベガニシュ帝国の尊大な慈悲とやらにすがらねば維持できないと余人に思わせてはならない。
クロガネが何か目論んでいるのは、おそらくエルフリーデの決心と関係がある。
バナヴィア人の英雄。そういう偶像になってやると、エルフリーデは啖呵を切った。つまるところクロガネの目標は、最終的にベガニシュ帝国から距離を置くことにあるのだろう。
そうなると勝ち方を選ぶ必要が出てくる。
元々、ヴガレムル伯爵クロガネ・シヴ・シノムラにさほど友好的ではない人々――バナヴィア南部やバナヴィア西部の住民が、クロガネを信じてもいいと思えるだけの証が必要なのだ。
リザ・バシュレーは専門的な訓練を受け、フィルニカ王国でのクーデター騒ぎにも参加していた工作員である。
自ずとこういう政治的情勢の勘所もわかってくる。
――何はともあれ、私にできるのはお姉さんを支えることですけどね。
ちょうど今頃は、屋敷に帰ってきたエルフリーデとティアナが話し込んでいる頃合いだろう。姉妹水入らずの状況に首を突っ込まないぐらいの気遣いは、リザにも存在していた。
とりあえず書き終えた遺書を封筒に忍ばせておく。
かつてない戦闘に参加する以上、これぐらいの準備はしておくべきだろう――そのように思い、封筒を片手に立ち上がった。
不意に自室のドアをノックする音。
「失礼致します、リザ様。入室の許可をいただきたいのですが」
「ハイペリオン卿? ええ、今開けますよ」
そう言いながら部屋の扉に歩み寄る。のぞき穴から人影をしっかり視認する。
胡散臭いブリキ缶みたいな頭部の紳士がそこにいた。かけておいた鍵を外して、そっとドアを開ける。
機械卿ハイペリオンとリザの付き合いはそう長くない。そもそもリザ自身、伯爵家にとっては新参者もいいところなので当然だが。
つまりわざわざ自室を彼が訪ねてくるなんて状況は、通常、まずありえないことだった。
その上でリザが彼の入室を許可したのは、相手が人間ではない機械人形だと理解していたからだ。この家令ロボットに限って間違いはまずあるまい、と。
「ちょうどよかった。万が一のために手紙を書いたんですよ。これ、預かってもらえますか?」
「ええ、それはもちろん。たしかにお預かりしました」
封筒を渡すと、ハイペリオンはその身を包むフロックコートの内側に封筒を仕舞い込んだ。
褐色の少女はてっきり、自分がしたためた遺書の件で彼が訪ねてきたのだと思った。しかし実際のところ、ハイペリオンがしようとしていたのはもっと複雑な話題だった。
一歩、機械卿が前に進み出る。
「少々、お話があって参りました。リザ様、本当によろしいのですか? これはバナヴィアのための戦いかもしれませんが――あなたにとっては、同胞でもなく故郷でもないもののための戦いです」
「ハイペリオン卿、お姉さんにやってるような謎かけの時間ですか?」
何を今さら、とリザは思う。
そもそも自分より年上のエルフリーデだって大人とは言えないだろう。彼女たちが凄腕の機甲猟兵として、その腕前を買われている時点で、戦闘で命を落とす云々の話は済んでいるのだ。
常日頃から皮肉っぽく露悪的な家令が、今になってそんな当たり前の話題を出してきたことに、リザは違和感を覚えた。
怪訝そうに半眼になった少女の瞳に、機械卿は肩をすくめておどけた。
「いえいえ、これも家令の務めでございます。何せご存じの通り、我らが主はお優しい方ですから――あなたが戦死でもした日には、さぞ落ち込むことでしょう。ですので先に念押ししてアリバイ作りというわけですね」
「これから戦場に出ようって人間に縁起でもない話を……」
「ええ、この通り機械仕掛けの紳士ですので、人の心がないのですよ」
「その流ちょうな喋りで言われると腹が立ちますねー」
なるほど、言われてみるとありそうな話だった。
少女たちの雇い主であるクロガネ・シヴ・シノムラは理性的で合理的な判断をくだせる男だが、同時にびっくりするぐらい甘っちょろいところがある。
まずリザ・バシュレーの助命嘆願をして身柄を引き取ったことが、そういう甘さの表れなのだ。
つい二ヶ月ほど前、ベガニシュ貴族の差し金で襲ってきた刺客――シャルロッテ・シャインの身の安全を保障して、屋敷で引き取って学校に通わせているのだってそうである。
冷静になってみれば、彼女たちはどこかで事故死させて口封じする方がよっぽど道理なのだ。
そういう裏社会の流儀を踏み潰していく優しさが、エルフリーデ・イルーシャの心を掴んでいるのだろうけれど。
ともあれリザとしては、答えはとっくの昔に決まっていた。
「私の
黒髪に褐色の肌、燃えるような鬼火の瞳。リザ・バシュレーは誰の目から見ても、バナヴィア人ではない異邦人である。
だが生活していて、リザが不愉快に感じるような差別に直面したことは、今のところまったくない。
つまりヴガレムル市は素敵な街だったし、このお屋敷の住人も素晴らしい人たちばかりだった。
愛着だって湧いている。
命がけで戦うぐらいの義理立てはある、というのがリザの言い分だった。
嘘偽りなきリザの心情に対して、ブリキ缶の紳士はうんうんと頷いていた。
「ええ、実際問題。エルフリーデ様とリザ様ならば、何とか生きていて欲しいのはエルフリーデ様の方なのは否定しませんが――」
「あははっ、そこで正直に言ってくれるところは好きですよ!」
我ながらどうかと思うが、変に庇われるよりよっぽど気分がよかった。そんな少女の心境を嘲笑うように、不意にハイペリオンが声音を変えた。
「ですがリザ様がいなくなると、お屋敷の誰もが落ち込みます。メイドのアンナは年下の友達が減って悲しむでしょう、料理人のピエールは要望の多い娘が減って寂しがるでしょう、世話焼きのロイはあれでしばらく引きずるでしょう。可愛らしいものです、人間というのはそういう風に生きてしまうのです」
クロガネとエルフリーデ、ティアナとシャルロッテがどう思うのかは言うまでもあるまい、と。
そのように諭されて、リザはようやく相手の言いたいことがわかってきた。
「……だから死ぬなってことです?」
それは綺麗事のようでいて、ざっくりと鋭くリザの心をえぐってくる真実だった。
どんなに自分自身が割り切れていたとしても、彼女の周囲にいる善良な人々は傷つくし、嘆き悲しむのだという当たり前のこと。
不意討ちだった。先ほどまでの晴れ晴れとした気持ちはどこかに吹き飛んでいて、代わりにずっしりと重たいものを叩きつけられた気分だった。
「ええ、ええ、私めの要望は容易いことです。エルフリーデ様を死なせず、あなた自身も死なないこと。陳腐でありきたりのハッピーエンドというのは、そういうつまらない当たり前のことの積み重ねでできているのですよ?」
本当に無茶振りだった。
命を大切にしろという当たり前の注文と、エルフリーデを絶対に死なせるなという難しい注文――どちらか一方だけならまだしも、両方とも叶えろだなんて無茶苦茶である。
しかしながら反論したくはなかった。それはリザの根底にある願望を見事に二つとも言い当てていたからである。
自分だって死にたくはない。好きになった人がいるし、エルフリーデが歩む英雄譚を、誰よりも傍で見ていたい欲だってある。
目を閉じる。自問自答の末、ひねり出されたのは面白みのない回答だった。
「気軽に注文つけてきますね、家令様……わかりました、約束しますよ。私の命も粗末にしない、これでいいですか?」
結構、とハイペリオンは頷いてみせた。
かと思うと機械卿はおどけた調子で、ぬるっと懐から映画のポスターを取り出した。新大陸のガルテグ連邦ではすでに封切りされている大作ヒーロー映画の宣伝広告だった。
リザもまだ見たことがない新作である。
わあ、と子供のように声を弾ませた少女に対して、ハイペリオンは調子よくこう言った。
「このハイペリオン、どんな映画の密輸だろうとこなしてみせましょう。トゥモローマンでもダークケープマンでもアイアンバロンでも結構、すっきりと新作を入手してご覧に入れます」
「油断すると海賊版とかデータ横流しとか、バリバリの真っ黒行為やりますよね!」
「ついこの間まで全面戦争してた敵国から、正規の輸入ができるなどという甘い夢は捨ててください」
「オーゥ……そういう正論で私のオタクスピリットを惑わす作戦ですねー!?」
どうやら自分には、しっかりと生還して――密輸された映画の上映会を開く義務があるらしい。
まったく冬至祭まで一週間を切っているというのに、つくづくせわしない星の下に生まれてしまったようである。
――悪くないって言えるように、生きて帰らなきゃですね。
幸せなんて手放して、見失ってしまったと思っていたのに――意外と身近に転がり込んでくるんだと気づいて。
リザ・バシュレーは笑った。