機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
エルフリーデ・イルーシャはその日、明けの明星を見た。
空の彼方で煌めく青白い閃光――同時に白く燃える何かが爆ぜて、雲の上で砕け散っていく。
開戦から六時間後のバナヴィア東部ヴガレムル国境線付近。朝日が昇る中、地上を進軍して突破口を開こうとする機甲駆体の群れを、その刀で切り捨てること一六回。
すでに軽く二個中隊は破壊した。
そういうタイミングで訪れた上空での破壊を目にして、エルフリーデの脳裏をよぎったのはようやく来たかという納得だった。
携帯している電磁投射砲は電磁バレルを何度か入れ替えた。
補給は先ほど済ませたばかりで、〈アシュラベール〉のコンディションも問題はない。
そして何より明瞭だったのは、先ほどまで通じていた無線通信が通じなくなっていることだった。〈アルファマラーク〉の持つ電子戦技術――電波妨害が行使されていると考えるべきだろう。
「――ライオネス2、お客さんが来た。わたしが応対するから、きみは後退して待機。モグラ叩きの続きは任せるよ」
『ライオネス2、了解です。ではエルフリーデ――ご武運を』
リザ・バシュレーは冷静だった。
事前の打ち合わせ通りとはいえ、家族のように慕っている少女を一人、戦場に置き去りにしろと言われているのに――心を制御する術を心得た人間の落ち着きがあった。
今はただ、彼女の律儀さに感謝する。
青の戦鬼〈ラセツベール〉が後退する。レーザー通信が通じる有視界距離から離れてしまえば、エルフリーデとリザを結ぶものは何もなくなる。
朝日が差し込む。
数多の砲弾が爆ぜ、機銃掃射に薙ぎ払われ、大破したバレットナイトがあふれさせたエーテル粒子で消し飛んだ雪の粒が、雪原に無残な
ここに人間の骸はない。
あるのはただ、崩れ落ちたバレットナイトの残骸だけだ。電脳棺ごと破砕され、エーテルの飛沫と共に散っていった搭乗者は、死体になることさえない。
その心身を機械仕掛けの巨人に捧げたものの末路――永遠の炎が消え去ったとき、彼らは土に還ることすら許されないのだ。
碧空が切り裂かれる。
刹那、一筋の光が堕ちてきた――衝撃波の壁が押し寄せてくる。巻き上げられた雪が、木々の枝をへし折りながら四方に散乱した。
まるでこの地上に舞い降りた大天使のように、漆黒の美しい人型が現れる。
絵画から抜け出してきたような優美な曲線の集合体――そういう風に造形された美術品だと言われたら信じてしまいそうなぐらいに。
赤く光る単眼、大きく広げられた一対二枚の
そいつの名前をエルフリーデは知っていた。
「――〈アルファマラーク〉。来たんだね、ルクカカウ」
呼び掛けに答えるのは、優雅な美女の声だった。
『愚かなベガニシュ人――彼らの命は、次なる時代の礎となるでしょう。この大地で滅びぬものなどないのですから』
救国卿ルシア・ドーンヘイルを名乗る不死者は、そうして自身の振りまく死を謳う。
たった今、鼻歌でも歌いそうな気軽さで、高高度を飛行していた爆撃機編隊――クロイツェク管区の側から、ヴガレムル伯領に対して空爆を仕掛けていた――を壊滅させたのだ。
絶対兵器〈アルファマラーク〉。
異常なまでの機体強度と慣性制御技術によって、音速の一〇倍という驚異的速度での高速飛行を可能とする人型兵器。
それは間違いなく、現在、この地上に存在する兵器の中で、比類なき存在の一つに数えられるだろう。
その搭乗者たる不死者ルクカカウの技量もまた、他と隔絶している。これまでエルフリーデ・イルーシャが出会ってきたどんな敵よりも、彼女は強かった。
機体各部に備えた発光素子から、青白い光を放って浮遊する天使――目と鼻の先にいるはずなのに、複合センサーシステムの索敵機能はその存在を認識できない何か――この世のものとは思えぬ天使が、その単眼をこちらに向けてくる。
『この世界は地獄です――エルフリーデ。わたくしには理想があります。それはあらゆる圧政が駆逐され、何者も自らの明日を疑わずに済む世界です。人民が血まみれになってもがき、死んでいく荒れ野があります。それが現実だとうそぶく恥知らずの王を、この世から消し去らねばなりません』
それはきっと、嘘偽りなき言葉だった。
もうエルフリーデは知っている。かつて大河のほとりに住まう少女が、戦乱によってすべてを奪われたことを。よかれと思って築き上げた楽園を、不条理な異界の神に滅ぼされたことを。
長きにわたる放浪の末に、師であるクロガネと決別して――その怒りによって世界を変えると覚悟したことを。
ルクカカウは永遠に燃え盛る劫火だった。人の世がまき散らす不浄を、決して許さない不退転の意思――いっそ美しいと思えるほど、研ぎ澄まされた一振りの剣。
そういう存在が語りかけてくる。
『バナヴィア人には物語が必要です。この一五年間で分かたれ、互いに銃を向け合った兄弟たちが再び一つになるために――力強く、誰もが心打たれるおとぎ話が欲されているのです。わたくしはそれを語り継ぎましょう。よろこびなさい、エルフリーデ・イルーシャ。あなたの名は、消えることない地上の星となるでしょう』
〈アシュラベール〉L型は、その腰のジェット・スラスターバインダーから炎を吹き上げ、ジェット噴流によってホバリングしている。周囲一帯に響き渡るジェットエンジンの駆動音は、まるで地獄の底に住まう悪鬼の声だった。
漆黒の天使と深紅の悪鬼が、異なる作動原理の推進システムで宙に浮かんでいる。
対峙する二機のバレットナイトの間には、今、如何なる愛憎も殺意も流れていない。夜明けまでの数時間で重ねられた戦闘の痕跡――撃破された無数のバレットナイトが、巨人たちの墓場のように雪原を彩っている。
〈アシュラベール〉の
重力制御によって浮動する御使いは、これから断罪する罪人にそうするように、堂々としていた。
「だから、わたしに死ねって? 要するに、わたしが死んだあとの象徴にあなたが成り代わる気でしょう?」
『わたくしのお願い、聞いてくださいますか?』
艶やかな黒の御使いがその両腕を広げて、芝居がかった動作で可否を尋ねてくる。
エルフリーデが融合した巨人〈アシュラベール〉とは大違いだった。右手に機関砲を、左手に太刀を握った自分は、それに比べたらずいぶんと血なまぐさいだろう。
数十機のバレットナイトを狩り殺した自分と、爆撃機編隊を皆殺しにした彼女のどちらがより罪深いかはさておき――向こうは
ため息をついた。
「……ひょっとしてこれ、遺言のつもりですか?」
『ええ、新しい時代を作るものとしての礼儀です――エルフリーデ、あなたには死んでもらいます。ですがその死を侮辱することはしません。わたくしの名の下に、あなたの物語はバナヴィアの誰もが知る神話となるのです』
冗談じゃなかった。
エルフリーデは怒りを通り越して呆れを感じた。いっそ清々しいほどの傲慢さと、そんなありように共感を覚える自分もいるという複雑な現実。
どんな言葉で言い返したって、この不死者には響かないだろう。
彼女は紛れもなく、歴史を作ってきた側の怪物だ。一万年という想像を絶する時間を駆け抜け、数千前からバナヴィア人を導いてきた生ける伝説。
そのような魔人に対して、良心や道徳に基づく拒絶は意味がない。ただルクカカウはおのれの欲する真実のため、エルフリーデの命を奪い、その名前だけを利用しようとするだろう。
そう、自分は死ねない。
生きて未来を歩みたいから、誰かの都合で運命を握られるなんて冗談じゃない。
ましてや殺された姉の名前だけが、建国神話に利用されるなんて――優しいティアナをどれだけ傷つけるか、想像もしたくない地獄だった。
――ルクカカウ、あなたは本当にすごい人だ。わたしよりずっと英雄に向いてて、何より、私が知ってる歴史はあなたの影響下にある。
だから
エルフリーデ・イルーシャは底意地悪く、徹底的に戦い抜くと決めた。自分より賢い人間なんていくらでもいる。政治に長けた謀略家も、戦場の地獄を見てきた老兵も、雄弁で弁舌に優れた扇動家も腐るほどいる。
だがきっと、この地上で自分にしかできない話術があった。
深く深く、クロガネ・シヴ・シノムラという不死者を愛しているから――きっとルクカカウを傷つけられる言葉だって選べるのだ。
「その提案には乗れないよ、ルクカカウ。クロガネをもう一度、孤独に戻すだなんてこと――わたしが許さない。ああ、気づいてないなら言ってあげようか?」
〈アルファマラーク〉がこちらを凝視している。
これまで長い時間をさすらい、それゆえに鮮烈に焼き付いた運命の出会い――ルクカカウという少女にとって、死ぬまで忘れられない愛となった男の存在に言及する。
他の誰が突っついたって、きっと彼女は笑って聞き流すだろう。
だが、〈偽りの神〉の腹の中で繋がり、嫌でも相互理解させられたからこそ、ルクカカウはエルフリーデの言葉を無視できない。
エルフリーデ・イルーシャを、クロガネが愛していることを、彼女は知っているから。
呪うように、謳うように、エルフリーデは静かに弾劾した。
かつて果たされなかった愛の愚かさを。
「ルクカカウ――あなたはそれでも、あの人に手を伸ばすべきだったんだ。怒りに駆られて、クロガネを孤独にしたのはあなたの
なるほど、救国卿ルシア・ドーンヘイルはバナヴィア革命を成し遂げた偉人である。それは王侯貴族が支配する歴史に風穴を開け、市民革命の始まりとなった。
不死者ルクカカウはその歴史の結節点に至るまで、ありとあらゆる手段を駆使してバナヴィアを形作ってきた怪物である。
その存在は最早、神話の域にあると言っていい。
彼女の歩みは、エルフリーデ・イルーシャを育んできたあらゆる領域――思想、言語、文化に影響を及ぼしている。
こんな存在と大局的見地からの話し合いをしたって、主導権を取ることなんてできやしない。
あるいは大きな歴史の流れから見れば、救国卿の言うとおりにした方が多くの人を救えるなんてことになりかねない。
少なくとも当事者にすらそう思わせるほどの弁舌とカリスマを、この不死者は備えている。
――だから、あなたの愛を糾弾しよう。
――あなたの中の燃え上がるような愛を、わたしは責め立てる。
狙い通りに、それはルクカカウの心に深く食い込む棘となったようだった。
青白い光を放って浮遊する天使像――〈アルファマラーク〉から、先ほどまでの芝居がかった言葉が嘘のように、淡々とした声が返ってくる。
『――お黙りなさい。我ら不死の輩、幾星霜をさすらった永遠の
だが、隠しきれない怒気があった。
そう、自分には永遠の時間の重さなどわからない。クロガネやルクカカウの記憶を垣間見たことはあるけれど、それは追憶でしかない。
彼らが重ねてきた選択と喪失の繰り返しと、その果てにある現在の繋がりなど、わかった風なことを言う方が失礼だろう。
「そうだね、ルクカカウ。わたしはちっぽけで、クロガネをすぐ一人にしちゃう存在かもしれない。そんな明日が怖いよ、答えなんて出せない」
『その浅はかで薄っぺらい挑発が、あなたの死に際の言葉になるのですか?』
〈アシュラベール〉と〈アルファマラーク〉の距離は三〇メートルほどしかない。両者が瞬時に数十Gの加速を出せることを考えれば、それはほとんど目と鼻の先と言っていい。
エルフリーデは殺し合いが近いことを悟り、右腕で保持していた電磁機関砲を地面に捨てた。
どすん、と重たい音。この黒い天使に電磁機関砲はほぼ通らないと考えていい。機体の表面積ほとんどを覆い尽くすテロス合金製の主翼が、電磁投射砲を防いでしまうからだ。
ジェット噴流の熱量によって溶けて、湯気を立てて流れ落ちていく雪の成れの果て。
燃え上がるような熱を放ち、少女騎士は静かに頷いた。
「ルクカカウ、わたしはこういう人間だよ。勝利するため言葉を弄して、剣を振るい、誰かの願いを斬り伏せてきた。それはこれからも変わらない。あなたが理想としてこいねがう、綺麗な世界が眩しくてたまらないのにね――
〈アシュラベール〉がその右手で剣を抜いた。
それは東洋の刀剣を模した
この地上に存在する万物を切り裂くため、汚れきった現世の人間が、過去の遺産を弄んで作り出した一振りの刃だ。
流血の業をその手に宿して、深紅の悪鬼が吠える。
「――我が罪、我が悪、我が愛ゆえに。あなたを斬ろう、ルクカカウ」
1章クロガネ「この世界は地獄だ」
7章ルクカカウ「この世界は地獄だ」
エルフリーデ「似たもの師弟だ…」