機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
さて、政治についてはクロガネに任せるしかない――というのがエルフリーデの現状である。
能力、知識、実績、人望どれを取っても他の人間では代わりが務まらないだろう。これはある意味において、人間社会の内包する矛盾だ、とクロガネは言っていた。
かけがえのない誰かに依存したシステムは安定性を欠くが、何らかの役割をあてがわれた個人の有用性を証明するのは、長い時間をかけて育てられた信頼関係なのだ。
これは政治の世界に限らない話だ、とも。
例えば商人同士の取引だって、相手が約束を守るか、きちんとお金を払えるかなどの条件を見て取引する。
エルフリーデ・イルーシャがかつていた戦地でも、このルールは同じだった。軍隊という組織は、理論上は教えるべきことを教えて、一定の水準を満たしたものを指揮官に配置する。
だが、実際には当たり外れがある。それは能力的なものだったり、人格的なものだったりと様々だが、人間には一長一短がある。
そう、
――要するに人脈とか信用とかって、簡単には生えてこないんだよね。
そう、例えば美味しい料理を作るシェフへの評価だってそうだろう。
そんなことを思いながら、エルフリーデはホテルの朝食を眺めていた。
朝ご飯、いや、これは朝ご飯なのだろうか。
正直なところ、謎の巨大兵器が現れた時点で、エルフリーデ・イルーシャはヴィタフォードでの観光を諦めていた。美味しい料理を食べる機会なんてそうそうないだろう、と。
ところが〈アシュラベール〉を降りて一晩経って、ぐっすり八時間の睡眠を取ったあと――ルームサービスで運ばれてきた朝食は、びっくりするぐらい贅沢だった。
普通、朝食といえばパンにサラダ、それにオムレツ、食後のコーヒーでもつけばかなり上等なものだろう。
ところがこの朝の食事は違った。
「……あれ? これ朝食だよね?」
「わーお……すごいの出てきましたね」
リザと同じテーブルに着き、呆然と皿を眺める。
まず前菜として出てきたのは、ほわほわと湯気を立てる深い皿に注がれたスープだった。琥珀色の美しい液体には、具らしい具が何も入っていないが、魚介類のエキスがたっぷりと溶け出しているようだった。
すごくいい匂いがする。たぶん具材をたっぷりと鍋で煮込んで、出汁を取り終わった身は取り出したのだろう。
ルームサービスの朝食を運んできたホテルマンが、にっこりと微笑んだ。
「事前にご要望をいただいておりましたので、本日は通常ランチでお出ししているお料理を、朝食用に調整してご用意しております。こちら、魚貝の旨味をゆっくりと引き出したスープでございます」
ものすごくお金のかかっていそうなスープだった。
続いて出された皿は、早速メインディッシュという感じだった。どうやら本格的なコース料理ではなく、品目の数を抑えてあるらしい。
平たい皿に載ってやって来たのは、アルミホイルで包まれた何かだった。
うやうやしく皿をテーブルの上に並べたホテルマンが、皿をわくわくして見つめる少女たちに微笑みかける。
「続いて、サーモンを香草とともにアルミホイルで包み、蒸し焼きにした一皿でございます。蒸気が立ちますので、お気をつけくださいませ」
簡素な説明だったが、それだけに絶対的な自信がうかがえる説明だった。
スープ皿、アルミホイルで包まれ蒸し焼きの皿、パンとバター、そしてカトラリー一式がテーブルの上に並べられていく。
朝ご飯の概念は今、確実に破壊されていた。美味しいものを朝から食べるヴガレムル伯爵のお屋敷だって、朝はもっと簡素に済ますことがほとんどである。
「朝のお時間に合わせて仕立てを調整しております――ほかにご入用のものがございましたら、どうぞご遠慮なくお申しつけください。ごゆっくりお召し上がりくださいませ」
一流の老舗ホテルの矜持が感じられる一言――
なるほど、この妙に豪華な――たぶん人によっては、朝から食べるには重たいと思うかもしれない――メニューは、クロガネが料理人に頼んで用意してもらったものらしい。
素敵な心遣いである。
一日中、機甲駆体に乗って周囲を警戒する仕事をするとしても――楽しくやれそうな気持ちになるぐらいには。
ホテルマンが部屋から出て行った。
隣の席に座るリザに対して、そっと目配せした。
「……食べよう、リザ。わたしたちがしあわせになるために」
「朝ご飯で出てくる台詞じゃない気がします」
冗談を言いながら、そっとスプーンを手に取った。まずは魚貝のスープを温かいうちにいただこう。
わくわくしながら口に運ぶ。
うま味が舌の上に押し寄せてきた。
――美味しい……マリヴォーネで飲んだスープに負けてない!
あちらは地中海の水産物を使っていたが、こちらは北の海の幸を使っているのだろう。エルフリーデには美食家みたいな古今東西の知識はないが、それでもこの汁物が恐ろしく手間のかかった一品であることはわかった。
たっぷりと注がれたスープはかなりボリュームがあった。付け合わせのクルトンもサクサクして美味しい。
あっという間に食べ終えてしまった。
具材は入っていないのに、スープが濃厚で美味しすぎて満足感がすごい。最初は具なしのスープとは食べ応えがなさそうだと思ったが――このスープの場合、こうしてうま味だけを
この飲む海の幸というべき味わいの前では、むしろ出汁を取りきったあとの具材は不純物になってしまうのだろう。
恐ろしい。人間というのはここまで、美味しいものを食べるためにもったいないことができるのか。
――金持ちのスープだなあ、本当にこれ。
この一品だけでエルフリーデは確信した。ヴィタフォード自治区は間違いなく富める地域であり、今もなおその経済力は強いのだろう。
北の海から取ってきた食材を、惜しげもなく出汁を使うために使い捨て、こうして濃厚なスープを前菜として提供できるのだから。
純粋な好奇心とともに、次の皿と向き合った。ゆっくりとナイフでアルミホイルを切り開いていく――ふわり、と鼻腔をくすぐるバターのにおいがした。
――脂が乗った鮭! バターのいい匂いがする!
アルミホイルの奥から、とろりとしたバターと香草、そして蒸し焼きになって火の通ったにんじんときのこが顔を覗かせた。
もうにおいが美味しそうだった。
切り分けた柔らかなサーモンを、そっと口に運んだ。
舌の上でほろりと魚肉がほどける。動物性脂肪に溶け込んだ食材のうま味が、最高のソースになってサーモンと絡まりあった。
それでいてくどくない。むしろ後味はスッキリしていて、口の中にしつこく残ったりしない。
無言。
エルフリーデとリザは一言も喋ることなく、淡々と食事を口に運んでいった。
美味しすぎる。
もちろん焼きたてのバゲットをスライスしたパンも、焼き上がった小麦粉が香ばしく、サクサクして最高だった。
そうしてすべてを食べ終えたあと、少女たちはほぼ同時に呟いた。
「美味しかった……」
「
夢見心地で感想を言い合いつつ、エルフリーデはこう思うのだった。
――クロガネも大変だなあ、朝から交渉しにいってるんだもんね。
まさに今、起きている災難の中心――超巨大兵器〈ピルグリム・ハート〉と向き合わねばならない事実を、このときばかりはけろっと忘れていた。
少女騎士は図太い神経の持ち主だった。
◆
さて実際問題、自分にできることは何があるのだろう。
エルフリーデとともに朝食を取って、歯を磨いて、さっぱりと朝のシャワーまで浴びたあと――リザ・バシュレーの頭をよぎったのはそんな疑問だった。
二人は今、
周囲には警備のための車両群。
宿泊しているホテルから、近場に借り受けた待機所――〈アシュラベール〉と〈ラセツベール〉を置いて警備している――までの距離は数百メートル。
その気になれば徒歩でも移動できる距離感である。
しかしながら二人は決してそうしなかった。ヴィタフォード自治区の都市部では今、いくらかの交通規制が行われている。
これはつい二日前、上陸しようとしてきた超巨大人型兵器――その正体や要求についてはかん口令が敷かれているものの、市民の間で噂話が流行るのまでは避けられまい――のせいである。
なまじベガニシュ帝国内務省のバレットナイト部隊が出張ってきているために、推測そのものが容易だった。
身長五〇メートルの人型ロボット兵器が相手なのである。
屋外に突っ立っているだけで、遠くからその姿を視界に収めるのは容易だった。流石に野次馬が近寄ることがないよう、地元警察も見張りを立てているけれど――小高い丘の上とか、高めのビルディングの上層からならば、その姿を目に収めることはできるのだ。
奇妙な光景だった。
まるでランドマークが一つ、突然、都市の郊外に打ち立てられたような風情――相手がかなりの速さで陸上歩行できる怪物だなんてこと、ヴィタフォード市民はいまいちわかっていないようだった。
それも当然かもしれない。
――この人たちが知ってる戦争の産物は、大きくても戦車が精々。大きい船なんて見慣れてる。
自動車が待機所に着いた。
そこは周囲を倉庫の一角を借り受けたものだった。敷地と道路の間には高い壁が設けられており、高い建物も周囲にないためのぞき見の心配もない。
見張りとしてヴガレムル伯領からやって来た兵隊たちが立ち、第二世代バレットナイト〈アイゼンリッター〉数機が常駐している。
ここが自治都市ヴィタフォードの真っ只中であることを忘れてしまいそうなほどの物々しい空気――あるいは独立心の強い市民が見たら、我が物顔で武器を持ち込んでいる伯爵家に反感を抱くかもしれない。
これ自体はヴィタフォード自治区側の要請により、安全保障上の協定に基づいて運び込まれたとしても、市民感情が納得しているとは限らない。
自動車が倉庫の駐車場に入り込む。
防弾仕様の車は、ちょっとした装甲車ぐらいの重量を持っていた。防弾ガラスも防弾ドアも分厚い特注品で、パンクしないようにタイヤも分厚いゴムでずっしりしている。
さらにエルフリーデとリザが車を降りる瞬間を守るため、一機の〈アイゼンリッター〉が近づいてきた。
こうして機体を盾にすることで、少女たちを狙撃の危険から守っているのだ。
「じゃ、行きましょうかお姉さん」
「うん、リザも頑張ってね。今、うちで自由に動けるのはきみぐらいだからさ」
「あははは……〈ピルグリム・ハート〉のお守りよりは気楽ですよ」
軽口を叩いて、リザは自分が先に車を降りる。もし何かの危険の兆候があれば、迷わずエルフリーデを庇うためだった。
一番、緊張する瞬間だった。
破壊工作を仕掛ける側として教育されたから、リザは知っている。最も襲撃側が動きやすいのは、建物を出入りする瞬間と乗り物を乗り降りする瞬間なのだ。
無防備となるその刹那に、ライフルの銃口を合わせて引き金を引く。
本物の狙撃手はそういうことをする。
「よっと……」
地面に足をつける。
相変わらずの肌寒い空気、吸い込んだら肺の奥まで凍えてしまいそうなバナヴィア北部の冬だった。
大陸南方で生まれた自分には少々、冷たすぎる空気――元々、北部で生まれ育ったというエルフリーデなどは慣れた様子だけれど。
――なんだ? この感じはよくない。
突き刺すような殺意は感じなかった。
ただ要するに、なんとなくだった。褐色肌の少女は、その黒髪を寒空の下で揺らして遠くを見て――次の瞬間、確信とともに叫んだ。
「お姉さん――」
「リザ!」
二人の少女は、その類い希なる勘で異変を察知していた。次の瞬間、遠雷のような音が聞こえた。
それは近場のものではなかった。方角からしておそらく臨海部、あるいは水上で起きたものかもしれない。
その音を、リザはよく知っていた。
「――爆弾です」
ごおおぉおおん、と爆音。
重々しい轟音が響き渡る中、エルフリーデとリザは走り始めた。二人に追従するようにして、〈アイゼンリッター〉が幅の広い実体シールドを掲げて早歩きする。
少女たちは足早に駆け抜ける。
バレットナイトに融合して、自らの戦場で羽ばたくために。
ロボットバトルのシーズンです。