機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
――我を何をしている?
〈ピルグリム・ハート〉は夢を見ない。数多の命を吸い取り、その残骸から生まれた彼の自我は、その特性上、過去の経験値から生み出される幻想を必要としていない。
人間は夢を見る。脳組織を休めて、情報を整理するプロセスとしてそれを欲するからだ。
しかし電脳棺と一体化し、個人の自意識のすべてが溶けて混ざり合うほどの過負荷にさらされた彼は違う。
ゆえに〈ピルグリム・ハート〉は夢を見ない。
ありえざる希望も、ありえざる痛みも、すべては砂漠に現れる蜃気楼のように儚いものなのだ。
――なのに何故、我はこうして無為に時間を過ぎているのだろう?
わからなかった。
彼は機械ではない。しかし独立した人間であると名乗るには、あまりにも歪で肥大化した自我に成り果ててしまった。
そのような存在を、人間世界では怪物と呼ぶ。
そう、幻想など必要なかった。
だからその日の昼、いつもより何時間か遅れて〈アシュラベール〉が現れたとき、〈ピルグリム・ハート〉には予感があった。
これまで引き延ばしてきた裁きの時は、ようやく自分自身に下るのだという確信。
曇りきった冬空の下、二基のジェット・スラスターバインダーが轟音と共に推進炎を噴き出す。白熱化したプラズマの火と共に、深紅の悪鬼が自分に近づいてくる。
エルフリーデ・イルーシャの動きだと一目でわかった。
互いの距離は五キロメートルほど、ここは遮蔽物が何もない広い海岸沿いの砂浜だ。〈ピルグリム・ハート〉に搭載されたカメラアイは、正確にその特徴を見分けることができた。
レーザー通信が飛んでくる。
『〈ピルグリム・ハート〉――きみのことがわかったよ。わたしの伯爵様はすごい人でね、あの設計図を見るだけで、隠されてたところまで掴んだよ』
〈ピルグリム・ハート〉は無言で電磁装甲を起動させた。その出力はこれまでの低脅威モードのそれをはるかに上回っており、数メートルはあろうかという積層装甲すべてに大電流が流され始める。
その副作用として生じるもの――技術者たちが未だに解決できず、そのままになっていた欠陥――強烈な電磁波が周囲に漏洩し始める。
これは強力なジャミングとして機能するが、同時に〈ピルグリム・ハート〉の存在をはるか彼方にまで知らしめてしまう重大な欠点であった。
だが、そんなことを気にする必要はもうなかった。
――矛盾している。我は死にたかったはずなのに、今こうして、撃破されないための選択肢を選ぼうとしている。
それは人が呼吸するように、当然のものとして選び出される本能。
身長五〇メートルの巨神、複雑怪奇な兵器システムの化身としてヴィタフォード自治区に立っている自分が、何よりも恐れているものはただ一つ。
その巨体ゆえに高精度のセンサーシステムがもたらす知覚能力は、すでに木立に紛れて散開している第二世代バレットナイトの動向を掴んでいた。
第三世代試作バレットナイト〈アシュラベール〉と、その搭乗者である少女――〈剣の悪魔〉エルフリーデ・イルーシャだけが重要な脅威なのである。
密かにこちらに銃口を向けているベガニシュ帝国内務省の執行部隊など問題にはならない。
彼らが頑張って持ち込んだ五七ミリ電磁狙撃砲は、陸上車両の大半を撃破できるレールガンだが――この〈ピルグリム・ハート〉の重装甲を射貫くには足りないのだ。
そう、通常兵器ではこの身を壊すことは困難だ。
しかし不可能ではない――空の彼方からやってくる深紅の機影は、その速度をゆるめることなく言葉を紡いだ。
『〈ピルグリム・ハート〉、きみの正体は――歩く爆弾そのものだ。膨大なエネルギーを生み出す〈トリニティ・コフィン〉を五つ積んで、そのすべてを同調させることで動作する爆弾。それがきみの正体であり、今こうしてここにいる理由そのもの』
正解だった。
そう、否定の余地なく彼の秘密は暴き出された。
ならば自分はどのように振る舞うべきだろう、と考えて――合理的な理由など何もない、ただエルフリーデ・イルーシャとおしゃべりする時間を楽しみにしていた、怠惰なる自分の感情を見つけた。
すべて終わりにしなければいけない。
元より大西洋のどこかで水底に沈んでいたはずの命を、今日まで生きながらえさせたのは、ただの未練だったのだから。
そう、自分は証明しなければいけない。
「エルフリーデ、我はあなた方を侮っていた。あれだけの情報から行き着くとは――我は一五一九番目の試作機〈ピルグリム・ハート〉。〈トリニティ・コフィン〉の実験機として生み出され、その無数の犠牲者をかき集めて改装された存在。我は巨大な爆弾として、この五体を定義づけられた」
『――その爆発範囲は?』
「エルフリーデ、それはあなたの方がよく知っているはずだ。あなた方はフィルニカ王国で、我の同胞――〈イノーマス・マローダー〉の最後に立ち会ったのだから」
〈ピルグリム・ハート〉の言葉を受けて、〈アシュラベール〉から送られてきた言葉は単純明快だった。
互いの距離はすでに五キロメートルを切った。
お互いが相手に対してレーザー照準を始めていた。〈ピルグリム・ハート〉の頭部に内蔵された機関砲、口径五七ミリのそれがカメラアイの視線とリンクする。
『アカシャ臨界反応――あの現象はそう呼ばれているらしいね。〈トリニティ・コフィン〉の暴走によって、膨大な量のエーテル粒子がこの世に吐き出されて、次元の壁を突き破って得体がしれない何かが降りてくる。きみはそれを再現するために、五基分の〈トリニティ・コフィン〉を搭載している』
「そうだ、我はそのために生み出された……
〈ピルグリム・ハート〉はそうして会話を打ちきった。頭部機関砲が咆哮する。ドンドンドン、とリズミカルな音を立てる砲身。液体装薬の燃焼ガスに押し出され、その頭部から五七ミリ砲弾が撃ち出された。
だが、当たらない。
直前まで深紅の機影をたしかに捉えて、予想されるその進路上にばらまかれた砲弾の群れ――そのすべてが宙を切った。
予想よりもはるかに速い。それまで高度一五〇メートルほどを飛んでいた〈アシュラベール〉が、急激にその高度を落として軌道を外れたのだ。
地面すれすれを舐めるように飛翔する影。
白熱するプラズマの光、ジェット噴流と共に――〈アシュラベール〉が突き進んでくる。
見たこともない急激な加速だった。押し寄せる大気の壁をものともせずに、あるいは空気抵抗そのものを受け流すように。
『いいよ。止まれないなら、わたしがきみを止めてあげる。わたしが救うよ――ヴィタフォードの街も、きみの嘆きも』
瞬間、反撃とばかりに機銃掃射が叩き込まれた。〈アシュラベール〉が手にした電磁機関砲が火を噴き、電磁加速された三〇ミリ砲弾が押し寄せてきたのだ。
凄まじい速さで砲弾が飛来する。
大気の壁にぶつかり、断熱圧縮によって瞬時に高温に熱された弾頭。プラズマ化した大気の尾を引いて、〈ピルグリム・ハート〉の胸部装甲に激突する砲火。
着弾する。
その次の瞬間、電磁装甲が爆ぜた。外部から加えられた運動エネルギー弾と、装甲板に流されていた大電流のエネルギーがぶつかり合う。
強烈な電磁気の解放と共に、装甲板が光と熱を放った。
それは正しく爆発だった。
まるで花火でも打ち上がったような閃光――自らの皮膚が上げる絶叫を聞きながら〈ピルグリム・ハート〉は叫んだ。
「エルフリーデ、我の終わりは定まった――我は、あなたに隠していたのだ! 我の終わり方は、この地を巻添えにした爆発であることを――今さら何もできはしない、あなたは無意味なことをしている!」
電磁装甲がまき散らす電磁波の嵐が、無線通信をさえぎっていた。ゆえに届いているかもわからぬ言葉だったが、それでも〈ピルグリム・ハート〉は叫ばずにはいられなかった。
彼は怯えていた。彼は運命に追いつかれた。最も隠すべき秘密は解き明かされ、こうして銃口を向けられているというのに――エルフリーデは何を救うというのだろうか。
〈ピルグリム・ハート〉の体内では、今もなお〈トリニティ・コフィン〉がその活性化し続けている。
次元の壁を破壊する爆弾は、その起爆に向けて時計の針を進め始めていた。
『きみの起爆装置は今すぐに起動しない。〈トリニティ・コフィン〉が臨界状態になって、例の現象が起きるまで三〇〇秒ってところかな――クロガネの受け売りだけどね?』
声が聞こえた。
深紅の悪鬼が、〈ピルグリム・ハート〉に肉薄する。目と鼻の先まで突き進んできたバレットナイトが、減速せずに地面から飛び上がってくる。
その速度域は亜音速――時速一〇〇〇キロメートル近いそれが、その左手で超硬度重斬刀を抜き放った。
全身を五色に塗り分けられた巨神は、その駆動システムで絶叫した。
まるで恐怖に震えるように。
『――三〇〇秒あれば、世界だって救える』
反射的に、〈ピルグリム・ハート〉はその五指を振るった。その指の一本一本がテロス合金で構築されたかぎ爪、バレットナイトの振るう刀剣と同等の刃――大気を引き裂いて、音速超過の斬撃となって振るわれる手指。
だが、当たらない。たとえ直撃せずとも、衝撃波によって圧縮された大気だけで凶器となるはずなのに。
その不可視の壁すらくぐり抜けて、〈アシュラベール〉は空を舞う。
避けられた。
地面に叩きつけられる〈ピルグリム・ハート〉の腕――着弾の瞬間、その衝撃に耐えかねて直径二〇〇メートル、深さ三〇メートルのクレーターが生じた。発生したのは爆発と呼ぶに相応しい事象だった。
右腕単体でも軽く一〇〇〇トンはあろうかという重量物が、音速域の速さで衝突したのだ。
文字通り、大地が揺れた。地震と同等の衝撃が生まれ、液状化した地面を伝わって、砂塵がうねりながら波となった。
〈ピルグリム・ハート〉の巨体そのものが、比類なき破壊の化身だった。その掌と衝突した地面では絶大な圧力が生まれ、瞬時に数千度に達した土砂が白熱した。
プラズマ化した大気が熱と光を放ったのだ。
『――遅い』
刹那、〈ピルグリム・ハート〉の頭部がえぐり取られた。
右側頭部の五七ミリ機関砲が、音もなくその砲身を深々と切り裂かれて――爆ぜ飛ぶ側頭部、剥離した装甲の断片が宙を舞った。
そのすべてを置き去りにして、深紅の悪鬼は剣を振るう。
誰かの悲しみを終わらせるために。
・P1519〈ピルグリム・ハート〉の真実/アカシャ臨界反応爆弾
その正体はガルテグ連邦が進める国家的規模のプロジェクト――ガルテグローヴ構想によって生み出されたアカシャ臨界反応の兵器転用モデル。
要するに自走可能な爆弾であり、自爆そのものが目的の巨大二足歩行ロボットという倒錯した存在である。
電脳棺を暴走させればエーテル粒子が異常出力され、それが〈偽りの神〉の呼び水となる。
その破壊的な物理現象だけを兵器転用しようとしたのが、〈ピルグリム・ハート〉の正体である。
その機体構造は単純明快であり、その規格外の巨体を活かして全身に独立した人型フレームを内蔵として設計。
電脳棺を搭載した兵器システム■つ分の出力と、センサーと連動した火器管制装置としての機能を得ることで歩行要塞と呼ぶべき能力を獲得した。
融合者の意識を保ち続けるため、巨大な人型の各所に人型フレームが組み込まれているものの、実際に人体の似姿として機能するフレームは皆無である。
ある程度の実験データが得られていた〈トリニティ・コフィン〉の発展系として、ガルテグ連邦情報局が密かに被験者を集め、集団融合実験を実行。
正常な電脳棺の動作ではありえないイレギュラーな挙動を誘引させようと試みた。
この結果、被験者は全滅。
人間としての姿形と精神を失い、〈ピルグリム・ハート〉の起動実験は失敗した。
なお実際には「いつ起動し、臨界反応を起こして周囲一帯を滅ぼすかわからない」という兵器として致命的な欠陥を抱えたまま完成。
これは自爆システムと二足歩行フレーム、それぞれ単体では生じなかった原因不明の事故である。
これにともない、先行して試作されていた兄弟機が研究施設ごと消滅。このため本国で解体することもできず、国外で廃棄処分すべく大西洋を輸送中にアクシデントが発生。
想定外の自我に目覚めていた〈ピルグリム・ハート〉は、自らの存在意義を最大限に活用するため、バナヴィアへ向かうこととなる。