機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
夢の話をしよう。
大抵の場合、人間の努力というものは報われない。
これは世界が理不尽だからとか、不条理に満ちているからとか、いろんな形容の仕方があるけれど――まあ言ってしまえば、思ったよりも上手くいかないのが世の道理である。
かつて帝国の中で立身出世することを夢見た少年は今、官吏となってそういう現実に叩きつけられていた。
つまりどういうことかといえば、オットー・マハトの胃は荒れ狂っていた。
男はベガニシュ帝国内務省は異端対策局、その強権的な振る舞いで知られる治安組織の現場責任者である。
本来であれば併合された属州の一つ、バナヴィア地方のヴィタフォード自治区など問題にならない立場の人間だった。
それが状況に振り回される側になって、数十時間の時間が過ぎ去っていった。
いきなり起きたテロ事件に加えて、政治亡命を希望してきた巨大ロボット兵器の正体が自爆目的の爆弾だったと知らされたとき――マハトは深く考えるのをやめたくなった。
死にそうなほどにろくでもない状況だった。
「…………それで、あなた方はこの問題を解決した、と……そう仰るのですねヴガレムル伯爵?」
青い顔でマハトは眼前の男に尋ねた。
「ええ、我が騎士エルフリーデ・イルーシャが確かに無力化しました。抗重力場機関による自重軽減も継続しています。我々は現在、〈ピルグリム・ハート〉の自爆プロセスを完全に終了させたのです」
黒髪の美丈夫だった。身長一八八センチメートルの長身は全身が鍛え上げられていて、その骨格も筋肉もがっしりとしている。
ここ数日、彼らを襲っていた非常事態を苦にも感じず、涼しい顔で対応していた男――ヴガレムル伯爵クロガネ・シヴ・シノムラはどこまでも、腹立たしいほどに冷静だった。
マハトは会議に同席している男に対して、牽制するように口を開いた。
「〈ピルグリム・ハート〉の身柄は――」
「彼の今後については、我々が責任を持って対処いたしましょう。ご安心を、此度の一件を穏便に済ませる手はずは整っています」
「伯爵、それは異端対策局に対する妨害行為だ。彼はベガニシュ帝国によって保護され、証言をすべき存在なのだから」
クロガネは微笑んだ。
「――現在の帝国内で、彼の安全管理が可能なのは我々だけです。マハト監察官、貴族財閥や軍部の介入リスクをこれ以上、異端対策局が抱える必要はありません」
「それは政治案件だ! 伯爵、あなたの協力には感謝しよう。だが、しかし――あなた方に華を持たせるのにも限度はある!」
「彼の身体構造――つまり〈ピルグリム・ハート〉の技術解析については、我々の側で行い、その情報をそちらに提供いたします。現在、我々が直面している多くの問題は、異端対策局とバナヴィア都市連合の協力関係によって解決するのです」
マハトは唸った。
要するに今、問題になっているのは「この事件を誰が解決したか」という面子の問題だ。誰がどう見たってクロガネの功績は大きい。英雄エルフリーデ・イルーシャによる馬鹿げた戦いぶりは考えたくもない。
純粋な戦闘能力だけなら、エルフリーデ単騎だけでヴィタフォード自治区に展開している執行部隊を全滅させられるだろう。
だが、マハトとて役人である。
本来、彼は「クロガネにこれ以上でかい顔をさせない」という目的で現地入りした。
この構図はいきなり襲ってきたテロ事件のせいで綺麗に吹き飛んでしまった。
ガルテグ連邦の軍事技術という甘い蜜に誘われて、ベガニシュ帝国内のあらゆる勢力がうごめき始めたのも頭が痛い問題である。
クロガネの提案は実際のところ、ここまで問題が面倒になってくると渡りに船だ。
〈ピルグリム・ハート〉の身柄は、最初の頃は「押さえたやつがえらい手柄」だったが、今となっては「誰も引き取りたくない貧乏くじ」だった。
実利に満ちた協力関係は、異端対策局にとってありがたい申し出なのである。
「……伯爵、わかっていますか? あなたは今、より多くの敵を作る選択肢をとろうとしている」
「いいえ、マハト監察官。我々はより多くの味方を作りたいのです。その意味では、今回の〈ピルグリム・ハート〉のことも同じことです。我々は利害関係を通じて手を結び、これまでになかった信頼関係を築くことができるでしょう」
マハトは治安組織の人間とはいえ、根本的にはベガニシュ帝国を支える官吏の一人にすぎない。
エリートとはいえお役人なのだ。
そんな彼にとって、この黒髪の伯爵が口にする概念――剥き出しの利害と欲望が絡まり合った、常人にとっては敵意の嵐にしかならない関係性――は不可思議だった。
だが、しかし選択肢は実際のところ、それしかないのも事実である。
これはマハトにとっても重い決断だった。
クロガネ・シヴ・シノムラが上手くやれば、彼の背負わねばならない重責はびっくりするぐらい軽くなる。その代わりに彼がしくじれば、譲歩したマハトも責任を問われることになるだろう。
この不死の伯爵が、功績を挙げるのを妨害しに派遣されたというのに――今となっては、マハトもまた利害に関係する人間になってしまった。
「………願わくば、伯爵。あなたがベガニシュ帝国にとってのリスクでないことを祈りましょう」
「私はヴガレムル伯爵クロガネ・シヴ・シノムラです。ご安心を」
大胆不敵な笑みだった。
オットー・マハトは自分の手に余る事件を、たった今、目の前の男に放り投げてしまったことを自覚した。それは少なからぬ敗北感を彼に与えたが、同時に奇妙なほど清々しい虚脱感をもたらしていた。
男は眼鏡の角度を直しながら、そっとため息をついた。
◆
さて今回の事件は、ヴガレムル伯爵家にとっても、少なからず危ない橋を渡るものになっていた。その一つがヴィタフォード自治区に潜伏していた工作員の身柄である。
〈ピルグリム・ハート〉の暴走と戦闘、それによって起きた異常気象のせいでうやむやになっていたのだが――イエスタデイの捕縛は、ひっそりとヴガレムル伯爵軍によって行われていた。
本来であれば異端対策局に恩を売ってもよかったのである。
そうしなかったのは多分に、ヴガレムル伯爵家の事情が絡んでいた。
何せイエスタデイはガルテグ中央情報局の工作員であり、リザ・バシュレーとも関係が深い人員である。彼がベガニシュ帝国の手に落ちれば、真っ先に売り渡されるのはリザの情報だろう。
そうなると芋づる式にリザの身も危うくなる。
ここまで展開を読んでいたのかはわからないが、流石に自己保身に長けた振る舞いというべきか――イエスタデイは手錠をかけられた状態でも、ふてぶてしい態度を崩していなかった。
彼を乗せたティルトローター輸送機が、ひっそりとヴィタフォード自治区から飛び立っていく。
夕暮れの空の下、そうして一機の飛行機が地平線の向こうに消えた。
その様子を、リザは自動車の中から眺めていた。
「…………片をつけるとあっけないもんですね」
呟く。
自動車の後部座席に並んで座る少女――すぐ隣のエルフリーデ・イルーシャは、肩をすくめて笑った。
「リザ、これは経験談だけどさ。わたしもぶっ殺してやりたいやつは、リベンジマッチで返り討ちにしたよ。わたしたちって超強いから、それぐらいあっさりしてるのかも」
「ええまぁ、お姉さんはそうでしょうけどね! いや、私が泥臭い
リザとエルフリーデは今、バレットナイトを降りて自動車の中に待機している。
〈ラセツベール〉は被弾して正面装甲を貫かれていたし、〈アシュラベール〉はめちゃくちゃな戦闘機動を取ったあとなので整備士の点検を受けている。
そういうわけでその搭乗者である二人は今、周囲を伯爵家の軍勢に守られていた。
イエスタデイを移送する輸送機を見送りに来たのは、純粋にリザの要望を聞き届けたがゆえだった。
二人が乗っているのは、防弾仕様の装甲車並みの防御力を持った車両である。ライフル弾を防ぐ装甲板、パンクしないゴムがみっちり詰まったタイヤ、挙げ句の果てにレーザー照射式の対ドローン防御装置まで搭載してある。
伯爵家の〈アイゼンリッター〉が守りに就いているのと相まって、考えうる最高の防御状態だった。
「わたし、これでも帝国最強の英雄らしいからね。そりゃもう、泣き喚いている子供を泣き止ませるぐらい楽なもんだよ」
「五〇メートルの巨大ロボットも駄々っ子あつかいですか。いや本当、お姉さんってめちゃくちゃすぎて感覚麻痺しますねー」
呆れたように呟いてリザは笑う。
それは皮肉っぽい言葉と裏腹に、心からの親愛が感じられる柔らかな笑顔だった。
エルフリーデはふと、気になっていたことを尋ねた。
「お別れの言葉とか必要じゃなかった? ここヴィタフォードの郊外だし、まあ外に出るのはオススメできなかったけどさ」
「ええ、大丈夫です。イエスタデイは別に仲がいい師匠ではなかったので。あいつ、口を開くと――女はダメだ、勇者じゃないみたいな寝言垂れ流すマッチョイズム野郎ですからね。どっちかっていうと嫌いですね」
叩きのめすことができてせいせいしましたよ、とリザは目を閉じて胸を張った。耐環境パイロットスーツの分厚い生地越しに、リザの肉感的な身体が跳ねた。
勢いがいい、とりあえず元気そうである。
エルフリーデはあらためて、この年下の相棒と自分の気性の違いを思い知った。
リザにも複雑な気持ちはあるようだが、自分があの男――セヴラン・ヴァロールに抱いていた愛憎とも違う、からっとした割り切りがそこにあった。
「やれやれ、忘れてたよ。リザ、きみってわたしが思ってるより――ずっと強い子だったんだよね。うん、安心した」
リザはにんまりと笑った。
「ええまあ――今後も頼ってくれていいですよ、お姉さん! 私、今でもお姉さんの妹の座を狙ってますから!」
「忘れてた。きみって結構、強引だよね!」
少女たちは笑い合う。
うんざりするぐらい報われなくて、救われなくて、苦難に満ちた世界だろうと――手を取り合えば前に進んでいけると信じるみたいに。
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