機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
プロローグ(9)
ロイ・ファルカにはどうしようもなく、消えぬ傷跡がある。
最初にある景色は、静寂と死に塗れた荒野の中にあった。
それは男にとって忘れがたい、悲しい記憶の始まりだったけれど――同時に途方もない尊さと共に、記憶されている祈りだった。
つまりこういうことだ。
一六年前、彼はすべてを失った。
――そなたらは列車を降りねばなりません。陛下のご意志に背き、バナヴィアを庇ったその罪は消えません。
夢を見る。
冷然と告げる貴婦人の声音は、どこまでも穏やかで慈愛に満ちていて、そのくせちっとも優しさなどない内容を語りかけてくる。
そう、今でも覚えている。
あの日あのとき自分に向けられていた視線、満月の夜に輝く月のような黄金の瞳の冷酷さを。
幼き日のロイは、ベガニシュ帝国に置いて――ある種の特権を付与された一族であった。
それは帝国貴族の多くと比してなお、燦然と輝く特別。
すなわち歴史と名誉を兼ね備え、それゆえに多くの資産を持った上流階級の中の上流階級、世界帝国たる祖国の未来を背負う貴種の血筋。
かつて青年はそういう一族の跡継ぎとして生まれ、それに相応しい教育を受けていた。
だが、一族は破滅した。
その理由は単純明快である。
ベガニシュ帝国において絶対の権力を持った生ける秩序の化身――ありとあらゆる外征において勝利を重ね、その領土を拡大させてきた皇帝に刃向かった。
それは如何に歴史ある貴種と言えど、許されぬ反逆であると断じられた。
――そなたらの忠誠心に疑いはありません。しかし陛下の示された秩序に刃向かうことは、如何に
その結果は追放だった。
一六年前、ロイにとってまだ世界が優しいものだったあの日まで――唐突に日常は終わりを告げた。
地平線の果てまで続く長い列車、この大地に比類なき車列、大陸横断鉄道。
そびえ立つ階層構造の車両が連なり、この世の果てまで続くようにも思える箱庭の世界。
その日まで彼の家だったはずの場所は、本当に色鮮やかなまま終わりを告げた。
運命の日まで彼らを見守っていたはずの騎士たちは、銃口を彼らに向けて、安住の地から追い出す側に変わってしまった。
列車は止まらない。
大陸を途方もない速さで走り抜ける列車から、彼らは放逐された。幾ばくかの食糧と水を与えられ、巨大極まりない蛇の腹から、空の車両に乗せられて――ぽん、と荒野に放り出されたのだ。
ロイは何が起きていたかわからなかった。
それまで一度も巨人列車を降りたことがなかった幼子は、生まれて初めて乗る狭い乗り物に、むしろ、はしゃいでいたように思う。
無知は罪深い。
さめざめと涙で頬を濡らす母や姉の姿を、不思議に思ったものである。
サブレールに放り出された空っぽの車両。その車窓から見えたのは、轟音と共に遠ざかっていく大きな列車の後ろ姿だった。
衝撃波で巻き上げられた積雪が、吹雪を吹かせていた。
空っぽの電車は、それまで家に比べてずっと小さかった。車幅はたったの三メートルしかないから、まるで兎小屋みたいだった。全幅三〇メートルはあろうかという彼の故郷に比べて、十分の一の大きさしかない車両は、まるでミニチュアみたいにちっぽけなのだ。
それが庶民の乗る列車の普通、通常のスケール感だとロイが知ることになるのは、ずっとあとのことである。
ともあれ、それからの数日間はひどいものだった。
ベガニシュ帝国の春は、春という響きと裏腹に寒々しい。地平線の果てまで続く荒野に、薄汚れた雪の白と、雪解けによって露出した大地の茶褐色が混ざり合っている。
見渡す限りの荒れ地には何もない。
足を踏み出せば人体の重さですら、ずぷずぷと泥に沈んでいく底なしの泥沼だ。
青く澄み切った空は絶望の色をしていた。
――そして助けは来なかった。
荒野に放り出された貴人たちは、あっさりと自分の運命を受け入れた。食糧と水が尽きる前に、尊厳のためにできることをしようとした。
帝都コルザレムで処刑された父のあとを追うべく、母と姉は毒をあおって死んだ。侍女たちもまた最期まで忠実に、主人のあとを追って死んでいった。
ロイが生き残ったのは――気まぐれな理由だった。
あるいは悲嘆に染まった家族の姿に、不穏なものを感じて、聡明な少年は毒をあおったふりをした。
眠るように命を終わらせられるという東方の妙薬。
その効能の通りに息を止めて、死んだふりをしたのだ。
ゆえに一人だけ生き残った。
凍えるような寒さだけがあった。
息絶えた母と姉と侍女たちの死骸が転がる、空っぽの客車の中で――少年は涙を流すことさえ忘れて、ただ、月夜が綺麗であることを知った。
ロイは助かるはずがなかった。
幼子が一人、荒野に残されたところで命を繋ぐことはできない。どれほどの時間、自分が身を横たえていたのかは覚えていなかった。
ただ忘れようもない景色を、ロイは知っている。
――月の綺麗な夜だった。
煌々と輝く月を背にして、近づいてくる影があった。
それが自分の見たまぼろしなのか、ロイにはわからなかった。
もうろうとする意識の中で、それでも少年は確かにそれを見た。
――黒衣の男だった。
夜の闇よりも濃い黒を身にまとい、骸が横たわる車両の中に、その男は踏み込んできた。
おそらく死臭が漂っていたはずである。にもかかわらず、揺るぎない足取りだった。
数え切れない骸を踏み越えて、それでもなお、立ち止まることだけはしない――そういう人間だけが見せる、強く気高い意思がそこにあった。
月明かりだけが差し込む、空っぽの客車の中。
地平線の果てまで続く線路しか見えないような、真っ平らな荒野のど真ん中で――その人は、少年を抱き起こした。
「――死ぬな、お前は生きねばならない」
ロイ・ファルカにはどうしようもなく、消えぬ傷跡がある。
そして同時に、忘れることない光がある。
運命を呪ってもいい。帝国を憎んでもいい。この世の不条理に怒り狂ってもいい。
そうする理由は無限無数にあった。
――けれどその日、彼は運命に出会ったのだ。
9章の始まりです。
クソデカ列車を舞台にして、陰謀渦巻く帝国本土での物語が始まります。
例によってろくでもないゲストヒロイン+男性陣にも新たなキャラが出てきます…!
明田川さんから支援絵をいただきました!
みんな大好き〈アシュラベール〉です! 超かっこいい…
【挿絵表示】