機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
ある少女の話をしよう。
優秀な貴族の素質を発揮しながら、生まれついた性別と順番ゆえに、その才能を望まれなかった少女の話だ。
彼女は優秀だった。
それゆえに才なきものの痛みに鈍感だった。
否。
その振る舞いが兄を苦しめ、追い込み、とうとう殺し合いになるほどまでに関係を悪化させたのだと――すべてが手遅れになってから気づいた愚かものだ。
結局のところ、劣等感に塗れた兄も、その心情を見ようともしなかった妹も、等しく愚かな貴族だったのだ。
無論、如何なる劣等感も他人を殺していい理由になどならない。
だが、救いがたい劣等感の連鎖だけがあった。
兄は貴族として求められる才能で妹に劣ることに、妹は女として生まれついたことに――ゲドウィン家の兄妹は、どうしようもなく傷ついていた。
自分はそういうものとして生まれついたのに、他者からはそれ自体が欠陥であるように責めさいなまれる。
終わりのない苦痛の円環があった。
――何故、凡人であることを罪のように言われねばならないのか?
――何故、女として生まれたことが悪だと言われねばならないのか?
――どうすれば、私たちは救われたのだろう?
――兄様にも事情をあったとおもんばかればよかったのか?
――それであの卑劣な男が、実の妹に殺意を向けた事実が変わるのか?
ミリアムがいるのは、そういう救いのない現実だ。
あらゆる苦痛と差別が、大した意味もなく積み重なって押し寄せてくる嵐のような現実。
ミリアム・フィル・ゲドウィンの鬱屈は他人の共感が得られるようなものではなかった。少女は優秀だったし、能力主義にこだわりすぎていて、平凡に生きている人間に同情されるような生き方ができていなかった。
何もかもが歪で、そのくせ壊れることもなく走りきれてしまう痛み。
それは時間が癒やしてくれるものではなかった。
自身にとって運命にも思えた英雄エルフリーデ・イルーシャでさえ、貴族社会の謀略と悪意を前にして、膝を屈することしかできなかった現実に――どんな望みを持てばいいのだろう。
答えは間もなく思いも寄らぬ人物からもたらされた。
――先史文明の遺産〈天の業火〉と、その力を利用してベガニシュ帝国を改革する。
改革派の重鎮カール・トエニ将軍その人に声をかけられ、ミリアム・フィル・ゲドウィンは夢を見たのだ。
ベガニシュ帝国という腐りきった二重支配の鎖に絡みつかれ、身動きのままならない巨人を生まれ変わらせるという夢を。
平民だから、女性だから、
そんなくだらない理由で差別が降りかかる世界を、この手で変えられるかもしれないという熱が、少女を疾駆させていた。
あるいは自分が類稀な電脳棺の適性――検査の数値ではエルフリーデ・イルーシャすら上回る――を見込まれ、甘言を弄されているのかもしれないのだとしても。
今この瞬間、何もしないでいる理由にはなり得なかった。
――やっと生きていていい理由を見つけられた気がしたから。
熱線砲の火焔で焼かれた地上を背にして、白銀の竜が空を舞う。四対八枚の翼を広げた異形のバレットナイトは、
眼下で地面すれすれを飛翔する深紅の鎧武者――エルフリーデ・イルーシャの機体が、無線で呼び掛けてくる。
『――この前、きみがサンクザーレでの紛争に介入したのは、このための既成事実作りか。そういう思惑に利用されてるの、わかってる?』
「確かに私は、今まで政治的意図で動いたことはありません。ですが現実的に世界を変えられる力があるのならば、これまでの私の生き様なんて捨てられます。あなたがヴガレムル伯爵の庇護を得て、安寧を得たいのは理解できますが――今まさに歴史は動いている。貴族たちは自らの利権の確保のためにこのような内乱を起こし、ガルテグ連邦との戦争が終わってもいないのに我が物顔で暴力を振りかざして。こんな世界のどこに、あなたや妹さんが安心して暮らせる場所があるんですか?」
『……ミリアム、わたしは』
元隊長の弱音など聞きたくはなかった。
あるいはそれが――平穏な暮らしを求めていて、妹のことを語るとき何よりも優しい顔になるあの人の気持ちを、何一つ理解しない行動だったのだとしても。
「この〈シュツルムドラッヘ〉はその証です。ベガニシュの進歩した科学技術は、公爵家の騎士団を一方的に蹂躙できるほどの力をもたらした。この流れを止めることは誰にもできません」
銀の髪の少女は、電脳棺の中で歌うように言葉をそらんじる。
熱に浮かされたようなそれは、しかし嘘偽りないミリアムの気持ちだった。
「私が願うのは、流れるべき血が停滞して、生きたまま腐ろうとしている現状の打破です。旧態依然とした世界に、あなたや私の居場所はないんですよ――エルフリーデ・イルーシャ」
『そういう戦争が起きれば、真っ先に犠牲になるのはきみやわたしの家族だ』
ああ、なんてこの人は優しいんだろう。
真っ先に出てくるのが家族の心配だなんて、どこまでこの人は――ミリアム・フィル・ゲドウィンと違うのだろう。
大陸間戦争はベガニシュ帝国に対して癒えぬ傷跡を残していった。戦場になった東海岸の都市部は荒れ果てたし、徴兵されて全土からかき集められた兵士たちは心に深い傷を負った。
精神的な後遺症を抱えた帰還兵の話など、嫌でも耳にする。
だけどエルフリーデ・イルーシャは違うのだ。過剰に戦場に適応したのでもなければ、頑なに普通で居続けようとしたのでもない。
当たり前のように誰かの日常を愛して、当たり前のように手を差し伸べながら、誰よりも冷酷で強大な殺戮者として振る舞うことができる矛盾に押し潰されない心。
こんなにも劣等感に塗れて、世界を焼き尽くさなければ呼吸もできない自分とは違う。
粘ついた笑みが、少女の口元を歪めた。
「家族。あなたはきっと、それを温かなものとして口にできる人なのでしょう。ですがイルーシャ隊長、わたしは違うのです。肉親の情を抱くなんて冗談じゃない――血を分けた我が子を、赤子を再生産するための胎盤として消費しようとする母に? それとも実の妹に暗殺者を送りつけてくる兄に? お父様もお祖父様も偽善者でした。素知らぬ顔で私に浴びせられる苦痛を、通過儀礼に扱って――貴族の誇りなんて、一度も見せてくれなかった」
自分の醜悪な劣等感を、口にするだけでおぞましさに喉が焼けただれそうだった。
貴族という存在の精神世界に過剰に適応してしまった母は、自分と同じ人生を娘に歩ませようとする伝統の奴隷だった。
つまるところ女とは家事を差配して、よき子を産み、よき妻、よき母として振る舞うことだけが幸福の存在なのだと――ミリアムの意思を無視してそううそぶく。
貴族が貴族らしくあることに――剣の貴族としてのありようにこだわって、彼らの求める水準に達しない兄を責め、その水準に達していたミリアムを女だからという理由で見ようともしなかった父と祖父。
誰も、ミリアムを顧みてはくれなかった。
古い古い伝統に彩られた伯爵家は、ゲドウィンの家は、ミリアムにとってそんな息苦しいだけの場所だ。
――そんなものが焼け落ちたからなんだというのだろう?
がくん、と機首が下がりそうになる。
〈シュツルムドラッヘ〉の主推進器たるエーテルパルス・ロケット推進の出力を調整――全部で十基あるエンジンは不安定で、安定した推力を保つには手動での出力調整が必須になる。
〈シュツルムドラッヘ〉は無敵の兵器ではない。
高速で空中を飛翔し、遠距離から熱線砲を連続照射して敵陣を撃滅する兵器を目指したこの機体は、多くを求めすぎた結果として設計が破綻した。
電脳棺から供給される無尽蔵の推進剤で、制限時間のない空中飛行を可能とするはずのエーテルパルス・ロケット推進は、実用段階とは言いがたく安定性を欠いた代物だ。
両翼の四基と両足の六基、合わせて十基ものエーテルパルス・ロケット推進装置を〈シュツルムドラッヘ〉が搭載している理由は、そうしなければ飛行に必要な推力を得られなかったからだ。
本来、推力が十分であるならば重量も場所も取るエンジンの数は抑えた方が望ましい。大出力のエーテルパルス・ロケット推進装置を作れなかったからこそ、低出力のそれを束ねて無理矢理に推力を稼いでいるのが実態だった。
しかもそうして積まれたエーテルパルス・ロケットとて、常時、出力百パーセントの状態を維持できるわけではない。
勝手に左右の推力バランスが変わってしまうことは日常茶飯事、それを随時、ミリアムが手動制御で修正することで辛うじて飛行している。
そのような不安定な機体で空中戦の
何もかもを呪うような響きの言葉を、ミリアムの憧れの人はただ静かに聞いていた。
刹那、深紅の悪鬼が地面を蹴りつけた。機体容積から判断して燃料を使うロケット推進ではない光――おそらくは電気熱ジェット推進の焔を吐き出して、真っ赤な武者が上空へ飛び上がる。もちろんミリアムは律儀に接近戦に付き合う気はなかった。
白銀の竜が大気を引き裂いて、銀の翼を縮めて加速する。
このままエルフリーデを振り切って、ヴガレムル伯領の防空陣地を焼き尽くせば彼女の仕事は終わりだった。
あとはベガニシュ帝国陸軍がこの戦場を制圧して、〈天の業火〉を手中に収める。
そう決めた瞬間、ため息が聞こえた。
『ああ、そうか――ミリアム、きみはそんなにも痛かったんだね』
そこには同情は微塵もなくて。
ただ、すべてを見通すような冷淡な納得だけがあった。
「なに、を――」
その一瞬だけミリアムは〈シュツルムドラッヘ〉の出力制御を誤って、上下左右に十基配置されたエーテルパルス・ロケット推進機構が、でたらめな推力バランスになる。
機体は失速しない。ただ狂った推力の比率に応じて、数百メートルほど
その隙を見逃すような相手ではなかった。
空中で推進装置の偏向ノズルを使って、踊るように深紅の悪鬼が機動を変えた。
慣性の法則に従って多大な運動エネルギーを維持したまま、弧を描くように
不味い。
後ろを取られた。
ミリアムは〈シュツルムドラッヘ〉の体勢を立て直し、白銀の竜は自身の背後――推進炎の後ろ側に、両腕の機関砲ポッドを構えた。
狙うのはエルフリーデの未来位置、偏差射撃で回避不可能な弾幕の中に彼女を追い込む。
引き金を引く。
三十ミリ電磁投射砲に大電力が注がれ、電磁誘導によって高速の運動エネルギー弾が連続発射される。
それはこちらに突撃してくる深紅の悪鬼には避けられない弾幕のはずだった。
しかしエルフリーデ・イルーシャはそんなミリアムの必殺を嘲笑うように――光波シールドジェネレータを展開して機関砲の嵐を突っ切ってくる。
想定を超える機体出力だった。
〈シュツルムドラッヘ〉と深紅の悪鬼が交錯する。
――だけど、あなたの切っ先は届かない。
たった一瞬、〈シュツルムドラッヘ〉が推進器の出力を上げるだけで十数メートルの距離が開く。刃渡り三・五メートルの超硬度重斬刀は、高速での空中戦で使うにはあまりにも射程が短すぎる。
どれだけエルフリーデが神懸かった技量を発揮しようと、あの機体は低空飛行が限度の機動兵器だ。高高度飛行を視野に入れた〈シュツルムドラッヘ〉に追い付くことはできない。
そうしてミリアムがエルフリーデの必殺の間合いから逃げ切ったと確信した刹那。
――白銀の竜の翼が、その半ばで切断された。
四対八枚の機動兵装翼のうち、右側の三枚が綺麗に切り離された。何が起きたのかもわからぬまま、ミリアム・フィル・ゲドウィンは自分が二基のエーテルパルス・ロケット推進器と、一基の光波シールドジェネレータを失ったことを知った。
一瞬で右翼と推進装置の十分の三を失い、左右の重量比と推力のバランスが完全に狂った。
上空五百メートルを飛行していた〈シュツルムドラッヘ〉の機動がおかしくなる。左側の推力が強くなりすぎて、機体正面方向へ飛翔することが不可能になったのだ。
高度が下がりすぎた。
これまでの加速の勢いのまま、地面に激突する未来を幻視する。ミリアムは総毛立つような恐怖を覚えながら、機体出力を再調整。
目の前に飛び込んできた巨木の森すれすれで、辛うじて機体を立て直した。
――何が起きたの? どうやって二十メートル近い距離から翼を切断した?
エルフリーデ・イルーシャの機体に射撃武器はないはずだった。再度、機首を上に向けて上昇を試みたミリアムは、自分が完全にエルフリーデの機体を見失っていることに気づく。
その瞬間、出力全開で光波シールドジェネレータを起動したのは勘だった。
エーテルパルスの火花が散って、燐光と共に敵の攻撃が夜闇を引き裂いていく。エネルギー障壁に弾かれた物理的実体が視認できた。
コンマ数秒、判断が遅ければミリアムの機体を切断していたであろうそれ。
ワイヤー状の切断デバイスは、その名を自在軌道剣パイチェシュヴェールトという。
深紅の悪鬼〈アシュラベール〉の前腕部に内蔵されたそれ――
ワイヤー先端部に接続された推進装置――エーテルパルス推進器により、ワイヤーブレードの発射と軌道変更を行う見えざる刃だ。
エーテル粒子が発振されている瞬間でなければ、視認することも難しいであろうワイヤーブレード――エルフリーデはすれ違い様にそれを放ち、その軌道上にあった白銀の竜の翼を切り裂いたのだ。
怖気が走った。
無機質で殺意すら感じない、透明な排除の意思。
これまで部下に向けられたことなんて一度もないエルフリーデ・イルーシャの本気が、たった今、ミリアムに向けられたのだ。
たとえようもない恐怖を覚えながら、ミリアム・フィル・ゲドウィンは自分の口の端がつり上がるのを感じた。
――ああ、ああ、なんて美しい!
だが、攻撃は弾いた――そのまま〈シュツルムドラッヘ〉は宙を舞う。
高く高く、深紅の悪鬼の手が届かぬ高度まで逃げ去るために。
地上からの距離が離れていく。
百メートル、二百メートル、四百メートル、八百メートル――そうしてミリアムは、それ以上、高度が上げられないことに気づいた。
理由は簡単だ。
〈シュツルムドラッヘ〉の想定している積載量以上の重量が、機体に加わっている。
機体状態にエラー。バレットナイトの状態を管理する電脳棺のインターフェースが、凄まじい圧力が左脚部にかかっていることを知らせた。
めりめりと嫌な音がして、高強度の装甲材が砕けていく。
内蔵されたエーテルパルス・ロケット推進装置が軋みを上げて、左脚部に搭載されている三基のうち二基が異常な数値を吐き出した。
ミリアムは動力供給を止めて、左脚部の出力をカットする。
同時に三十ミリ機関砲を足下に向けて乱射した。
狙い撃つ必要すらなかった。光波シールドジェネレータによって機関砲弾が弾かれたときの発光現象。
――脚部に何かが巻き付いている。
異常な強度のワイヤーブレードだった。エーテルパルス発振による切断を行わず、〈シュツルムドラッヘ〉の推力に引きずられて限界高度以上まで到達するために、彼女はあえてそうしたのだ。
――殺される、このままでは確実に!
機動兵装翼に内蔵した熱線砲をチャージする。
ミリアムが――白銀の竜がエーテル粒子ビーム砲を下方に向けた刹那、血のように赤い影が飛び上がってくる。
電気熱ジェット推進の軌跡を描いて、悪鬼が襲い来る。
『ミリアム――わたしはきっと、きみを救えない。きみの痛さをわかってあげられるなんて大嘘、つけるはずがない』
「――エルフリーデッ!」
光波シールドジェネレータでは防御できない。
超硬度重斬刀による斬撃は、容易くエーテルパルスによる物理防護領域を貫通する。
だが熱線砲の発射では間に合わない。
この機体で使うことはあるまいと思っていた、長い両腕――竜の前脚を突き出すように振るう。
通電によって飛躍的にその物理強度を高める特殊合金の爪、五連装
高エネルギーを帯びた刀身と刀身が擦れ合い、バチバチと火花を散らす。
夜の闇を、雷光のごとき輝きが切り裂いていく。
『だけど、その妄執を斬り捨てよう――エルフリーデ・イルーシャが、きみを斬る』
――宣告は死神の足音に似ていた。